被団協代表の受賞渡航時に機内CAの神対応

 被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル賞を受賞したというニュースで湧いた2024年であった。そして、その被団協代表者がノルウェーに赴いて授賞式に臨み、その帰路での飛行機内で起きた出来事にも驚かされた。80~90代の被団協代表者にとって、飛行機での長旅は堪えたに違いない。帰路の飛行機では、エコノミークラスでの長時間の飛行が高齢の代表者にはどれほど過酷であったことだろう。それを見かねた航空会社のCAが、会社の上司と直接交渉して、エコノミークラスからビジネスクラスに変更してあげたのだ。

 この素晴らしい神対応に驚いたのは日本人だけではない。世界の人々がとても素敵なプレゼントだとして称賛したのは言うまでもない。そのCAとは、渡辺さんという日本人で、スカンジナビア航空(SAS)の社員であった。直接交渉で許可を出したのは、なんとSASのCEOだったというから再度驚いた人も多かったに違いない、一介の社員が、社長に直接メールを送って許可を得るなんて考えられないことである。そんなことが他の会社で認められる訳がない。でも、実際にSASはそういう航空会社なのである。他の企業では絶対に不可能だ。

 どうしてSASだけが、そんな神対応が可能だったかと言うと、その企業の過去に遡らなければ説明できない。1981年というから、今から44年前のことである。当時、二年間に渡り巨大赤字経営に陥っていたSASの経営立て直しをするために、若干39歳の若き経営者が大抜擢をされた。当時、スウェーデンの国内航空会社リンネフリュ社の経営をV字回復させたのが、ヤン・カールソンという経営者だった。それで彼の経営手腕が買われて、スカンジナビア航空という、大きな航空会社の経営改革を託されて、見事に経営を立て直すのだ。

 何故に、そのヤン・カールソンの経営改革が、今回のCAによる神対応に繋がったのかというと、徹底的な現場主義によるものだからだ。ヤン・カールソンが著した有名なビジネス書がある。『真実の瞬間』(MOMENT OF TRUTH)という著作は全世界で翻訳されて、大ベストセラーとなった。その真実の瞬間という本は、顧客満足度の優秀な教科書として名を馳せた。何故、真実の瞬間という題名なのかというと、顧客と直接に対応する窓口係や客室乗務員が、わずか15秒間という短い時間に顧客満足度が決定づけられるというのである。

 ヤン・カールソンがSASのCEOに着任して、いろいろな経営戦略を立ててそれを実施した。ひとつは、ビジネス客の優先対応で、当時ビジネスクラスという概念はなかったが、ユーロクラスというビジネス客専門のサービスを開始した。徹底して、発着の時刻厳守とビジネス客の便宜を図った。その差別戦略のお陰で、SASの顧客は爆発的に増えると共に経営改善にも寄与した。ビジネスクラスの始まりであった。また、現場主義も徹底して、顧客と直接対応する社員に裁量権を与えるという、権限移譲を出来得る限り実行したのである。

 通常の顧客サービス対応社員に権限移譲をすると言っても、ある程度の限度がある。限られている裁量権と僅かなコスト支出しか認められていない。ところが、ヤン・カールソンは徹底した権限移譲を実行して、出来得る限りの支出を現場判断で出来るようにしたのである。しかも、中間管理職がそのサービスに反対したら、その上司に直接判断を仰いでも良いとするルールを定めたらしい。天候悪化で遅延した飛行機を待つ客に、自分の裁量でパンと飲み物を無償提供した窓口社員。ホテルにチケットを忘れた客の為に、ホテルに連絡してタクシーで届けさせた受付社員。そんな事例が激増したのだ。

 現場で、顧客満足度を高める対応を自ら進んで出来る社員が、社内に育たない訳がない。また、顧客サービスを実行する為に、自ら決定するにはあまりにも大きな支出を伴う場合は、中間管理職を飛び越してCEOと直接交渉するシステムを作るという社内風土が創られるのは当然である。今回の渡辺CAの判断は、スカンジナビア航空だから可能だったのであり、他の航空会社にはけっして真似のできないサービスだったのだ。そして、そんな社内風土を創り上げたのは、ヤン・カールソンという稀代の素晴らしい名経営者だったのである。

落語の死神に学ぶ救済のタブー

 心身を病んだ人々を救うことを、自分の人生における生きがいとして活躍している人がいる。それを生業としているのではなくて、仕事以外の時間を利用して、ボランティアの活動としている方がいる。尊敬すべき方々である。そういう方は、非常に価値観が高いし、普段の生活ぶりも美しい。そういう方たちは、押しなべて自己犠牲を厭わないし、愚痴も言わず淡々と心身を病んだ人々の救済に当たっている。そして、そういう方たちは例外なく、救う相手を選ばない。助けを求めてきた誰でも救うことを生きがいにしている。

 それはそれで素晴らしいことだと思う。しかし、その頑張り過ぎによって自分の生きるエネルギーが枯渇したり、自己犠牲が過ぎて自分の心身が病んだりする事も少なくない。そこまでするのは、やり過ぎであろう。そういう頑張り過ぎる方たちに、参考にしてほしい物語がある。古典落語の名作で、『死神』という物語である。この死神という落語は、三遊亭円生という落語家が得意にしていた。三遊亭円生は、一門を代表する名人であった。多くの古典落語の名作を好演し、特に人情噺を得意とした。死神は三遊亭円朝作の名作である。

 死神のあらすじはこうだ。何の仕事をしても、うだつの上がらない中年男がいた。つきのない人生を諦めて、自殺をしようとうろついていたその男に声をかける者がいた。自分は死神だと名乗り、病気を治す方法を伝授するから、医者にならないのかというのである。その方法と言うのは、不思議なやり方である。瀕死の病人には、大抵の場合死神が憑いている。その死神が頭の方に座っていれば、何をやっても助からない。死神が足元に座っていれば、特殊な呪文(アジャラカモクレン、テケレッツノパ)を唱えると、その取り憑いた死神がたちどころに消えて病気が快癒するというのである。

 そんな話は信じられないとは一旦思うのだが、どうせ死ぬ気になったのだから騙されたと思ってやってみようと医師の看板を自宅に掲げる。すると、こちらに名医がいると聞いたと大店の番頭がやってきた。主人が死にそうで助けてほしいと。行ってみると、幸いにも足元に死神が座っている。早速呪文を唱えてみると、死神が驚いた表情を浮かべながら去っていき、病気は治ってピンピンになる。立て続けにそんな依頼が続いて、その男は大金持ちになる。しかし、元々遊び人だし、あぶく銭は身に付かない。浪費してお金は尽きてしまう。

 しかも不運なことに、たまに病気快癒の依頼があって行ってみると、すべて死神が頭の方に座っていて、助けることが出来ない。そのうち、元の貧乏に戻ってしまい、にっちもさっち行かなくなってしまう。そこに、ある豪商の大番頭がやってきて、主人の病気を治してくれたら大金を支払うと約束する。行ってみると頭の方に死神が座っていて、一旦断るのだが、さらに大金を上乗せするからどうにか助けてほしいと依頼されて一計を案じる。死神がうとうとした隙に、布団を頭と足元をひっくり返して、呪文を唱えて死神を追い払った。

 その豪商の主人の病気は嘘のように良くなり、お礼の大金を受け取る。その帰り道に、最初に出会った死神に呼び止められる。お前は取り返しのつかない大変な事をしてしまったな、付いてきなと有無を言わさず地下の薄暗い部屋に連れていかれる。その中には火の付いて大量の蝋燭が燃えていた。この蝋燭は人の寿命を示していると言う。長くて明々と燃える一本の蝋燭を示した。これは、先ほど助けてあげた主人の蝋燭だと言い、もう一つの短い消えかかった蝋燭があり、これはお前の蝋燭だ言い、もうすぐ消えてしまうというのである。

 元々は元気な蝋燭がお前のもので、この消えかかった蝋燭が主人のものだった。先ほどの呪文によって、取り替えてしまったから、お前の寿命はもうすぐ尽きると言う。蝋燭を取り換えれば生きられると言われるが、間に合わずばたりと死んでしまうという物語である。この寓話から学べるのは、世の中には救うべき人と救ってはならない人がいるということだ。救うべき人を救済しても、自分にはまったく影響がないが、救ってはならない人を救済してしまうと、その人の抱えているカルマを替わりに引き受けてしまうということだ。言い換えると、病気が治って人の為世の為に貢献する人は救っても良いが、そうじゃない人を救うと自分がその病気や不運を引き受けてしまうという戒めである。

※心身を病んでしまった人々の救済をしている方は、この物語を参考にしてやみくもに誰でも彼でも救うということを避けることを薦めたい。ましてや、多額の謝金を宛にした救済活動を無理して実施してしまうと、助けようとするクライアントのカルマや邪気を引き受けてしまう怖れがあることを認識してほしい。多少のお礼なら問題ないが、多額の謝金を頂いてしまうと、見えるものも見えなくなって謙虚さを無くして、自分の身を滅ぼすことになるので気を付けたいものである。

陰謀論に依存して不登校ひきこもりに

 不登校やひきこもりの青少年たちをずっとサポートしてきた経験から実感しているのであるが、そうなってしまった要因のひとつに陰謀論による洗脳がある。勿論、陰謀論にはまってしまう根底の原因は他にあるのだが、不登校やひきこもりになってしまう青少年が陰謀論に洗脳されて依存してしまうケースは想像以上に多いのである。ここでは、陰謀論が正しいのか誤っているのかの議論をするつもりはないが、現実に不登校やひきこもりになってしまう要因のひとつになっているし、抜け出せない要因にもなっているのは間違いない。

 不登校やひきこもりになっている青少年は、スマホに依存しやすい。日がな一日何もすることもなく自室に閉じこもるから、スマホやタブレットを眺めて過ごすのだから当然だ。ネットゲームに依存することも少なくない。それ以上にリスクを持つのがSNSやYouTubeなどの情報に、あまりにも盲目的に信じ込んでしまい、依存してしまい抜け出せないことである。最初は、メンタルを低下させたり病んでしまったりした原因や癒すための方策を検索する。そのような情報を検索しているうちに、次第に陰謀論にはまって洗脳されてしまう。

 元々、不登校やひきこもりになってしまう青少年は、不安型のアタッチメントを根底に持つが故に、誰も頼る人が居ないし相談する相手もなくて、ひとりぼっちである。孤立感や孤独感をもってしまう。自分の苦しさや深い悲しみを理解してくれる人は、周りには誰もいない。当然、ネットの世界につながりを求める。そうすると、同じような境遇の人々と結びついて、情報交換をすることになる。自分が不遇の状況に置かれていると感じる人は、その原因は社会の制度や間違った政治・経済にあるとする情報に共感しやすい。

 自分が不遇な境遇に置かれてしまっているのは、自分自身に原因や責任があるとは思いたくないのは当然である。不登校やひきこもりになってしまったのは、いじめを放任した学校や教育委員会に責任があるし、こんな問題ある教育制度を創って運営している行政や政治に問題があると思いたがるのは当然である。社会に対する恨みつらみが積み重なる。もしかすると、裏の社会で悪意のある誰かがこんなにも問題ある社会を作るように支配制御しているのではないかと思うかもしれない。そんな疑いの目で見ると、益々怪しくなる。

 つまり、陰謀論を信じる人は不遇で孤立していて満たされていない人が圧倒的に多い。皆から慕われて信頼されていて、経済的にも成功していて多くの人々とリアルな繋がりを持つ人は、陰謀論に絶対はまらないのである。何故なら、陰謀論者は不安を煽り立てて信じ込ませているのである。愛で満たされていて不安や怖れを持たない人には、陰謀論はもはや荒唐無稽なフェイクニュースにしか思えないのである。不登校やひきこもりの青少年たちは、不安や恐怖で一杯だから、陰謀論を信じ込ませられて社会に出て行けなくなったのだ。

 陰謀論は真実なのかもしれないし、デマなのかもしれない。ただし、これだけは真実だという点がある。陰謀論の情報を発信している人は、人々の恐怖心を巧妙に利用しているという点である。不安を煽り立て、恐怖の淵に追いやって、社会に対する不信感を持たせて、自分の情報を信じ込ませているというのは確実である。その手口は巧妙で、これでもかこれでもかと過激な情報を発信続けるし、その情報を取り入れ続けないと取り残されてしまうという恐怖感を植え付ける。その情報を拡散するようにと訴えるのである。

 陰謀論を熟知していても認識ていなくても、生活に違いはまったくないのだが、陰謀情報を見ないと不安になるように、巧妙に仕組まれている。不安型のアタッチメントを根底に持つ青少年たちは、陰謀論に嵌まってしまい依存するのである。元々、持っている不安や怖れは益々増幅されてしまう。陰謀論を四六時中確認していないと、居られなくなってしまい、抜け出せなくなる。まさに、陰謀論はカルト宗教のように洗脳させてしまうのである。そして、不安が増強してしまい社会に出て行くのが恐くなりひきこもってしまうのである。

※ひきこもっている青少年は、もしかすると陰謀論に洗脳されているかもしれません。ご子息やパートナーがひきこもりの状態にあるのなら、もしかすると陰謀論にはまっているのかもしれません。どうすれば陰謀論から抜け出せるのかは非常に難しいのですが、1ケ月程度に渡り携帯電波の届かない宿泊施設に宿泊するのもひとつの選択肢です。勿論、当人と相談して納得すれば取れる方法です。

精神科医療で誤診が多い訳

 精神科や心療内科を受診して、確定診断をされてカウンセリングや投薬治療を受けているメンタル疾患の患者さんは多い。職場や学校で精神的に悩んでいる人に対して、関わる人々は精神科の受診を勧めるし、当人自ら精神科や心療内科の診断を望む例もある。かくして、近くにある精神科クリニックを頼ることになる。ところが、精神科医の診療レベルは、他の診療科医師とは違い、かなりばらつきがあると言える。精神科医を最初から希望する研修医が少ないし、どちらかというと優秀な研修医は他科に行く傾向がある。

 精神科医を目指す研修医が少ないのは、一昔前までだった。現在は、精神科医を医学部入学前から希望していた学生も増えてきたし、優秀な研修医も多くなりつつある。しかし、以前は優秀な精神科医が少なかったのは、医療関係者なら誰でも知っている。勿論、優秀な精神科医も存在していたが一握りであり、大学の研究室に残った医師か著名な大学病院に在籍した医師たちである。精神科単独の病院の勤務医や精神科医院の医師に、レベルのばらつきがあったのは当然であろう。そんな精神科医だから、誤診があったのかもしれない。

 精神科は、とても難しい診療科であると言える。他の科であれば、診断技術が年々著しく向上しているし、検査機械や診断機器の開発がものすごい速度で進んでいる。ましてや、最近はAI診断技術も進んでいるし、薬品の開発も著しい。ところが、精神科だけは医療技術の進歩から取り残されているのである。検査機械や診断機器の開発もまったく進んでいないのである。血液検査や尿検査などで、確定診断ができる訳ではない。X線検査やCT検査で異常を発見できる訳ではない。問診や心理検査、脳波検査などで診断するしかない。

 一応、ICDやDMSという国際診断基準やガイドラインは存在しているが、最新のICD10やDMS5の診断基準を用いているのは先進的な医師だけで、依然として使い慣れたICD9やDMSⅣに頼っている精神科医が多い。ましてや、問診やカウンセリングにはそんなに時間をかけていないし、簡単な問診と質問だけで確定診断をしてしまい、安易に精神薬を処方する医師が多いのも事実である。最新の医学理論に疎い開業医はあまりにも多い。ましてや、精神薬は殆どがモノアミン仮説によって開発されていて、科学的根拠が極めて怪しい。

 こんな精神医学の状況なのだから、誤診が起きるのは仕方ない事であろう。気の毒なのは患者さんである。患者さんは藁にもすがる思いで精神科医を訪ねたのに、まさかエリートである医師が誤診をしようとも思わないであろう。食べログのように、医院の評判が詳しくネット上に掲載されている訳ではない。知人に精神科医の評判を聞けないのだから、殆どの人が行き当たりばったりでクリニックを訪ねることになる。どちらかというと、外れを引いてしまう割合が多いのも事実である。そんな患者さんは実に気の毒である。

 精神医学界は、古い医学理論に固執するケースが多い。昔の精神医学理論なんか、現代の複雑な児童心理や発達心理においては使い物にならない。昔ながらのカウンセリング学や精神分析学だって、現代の病理に対しては、歯が立たないケースが多い。それなのに、旧来の精神分析手法を使ってしまい、訳の分からない分析結果を患者さん当人や家族に宣告してしまう。それが間違っている診断だとしたら、大変なことになる。故に精神の患者さんは激増しているし、治療により完治することも少ない。寛解して医療から離脱できるケースも殆どない。

 確かに、病状や育成歴、家族との問診から導き出された診断と病因だとしても、安易に当人とその親に告げるのはあまりにも残酷ではなかろうか。ましてや、その診断が間違っていたとしたら、患者さんとそのご家族の人生を台無しにしてしまう危険だってある。その間違った診断のせいで、学業を諦めたり仕事を失ってしまう患者さんだっているのだ。誤診のおかげで人生を狂わされてしまったり、人生を無駄に過ごさせられたりした患者さんを多く眼にしてきたのも事実である。精神科医の確定診断をそのまま鵜呑みにするのは危険がある。出来れば、大学病院などの専門医のセカンドオピニオンの受診をお勧めしたい。

HSPを癒せばひきこもりから回復

 HSPで苦しんでいる人は多い。ハイリーセンシティブパーソンというのは、精神疾患ではないから医学的な治療対象とはならない。ましてや、HSPによって多少の生きづらさがあったとしても、社会生活が大きな影響を受ける訳ではないと、軽視される傾向がある。HSPを治してくれたり軽減させてくれたりする処もないので、我慢している人が多い。日本人のうち、どれくらいの割合でHSPを抱えているのかというと、おそらく男性で3割、女性だと5割以上の人がHSPを抱えている筈である。

 HSPの影響を社会では過小評価している傾向がある。ところが、HSPの影響は想像以上に多大であり、深刻なメンタル疾患や精神障害の根源なっているということを知らない人が多い。うつ病などの気分障害は勿論のこと、パーソナリティ障害、パニック障害、PTSD、適応障害、ASDなどを発症する人は殆どがHSPである。メンタル面の影響だけではない。身体疾患を起こす根本原因にもなっている。原因不明の各所の身体的痛みやしびれ、線維筋痛症、膠原病、PMSやPMDDなどで苦しむ人々もHSPを抱えているケースが多い。

 社会生活にも多大な影響を与えている。不登校の子どもたちはHSCであるし、ひきこもりをしている若者たちはHSPを抱えている。休職に追い込まれている人や、職場でパワハラやモラハラで苦しんでいる人たちも殆どがHSPを抱えている。HSPというのは、聴覚過敏を初めとして様々な感覚過敏を起こしてしまう。様々な場面で不安感や恐怖感を持ちやすい。それ故に、人と関わり合うことに怖れを感じてしまい、コミュニケーション障害を起こしやすい。なにしろ、得体の知れない不安を常に持ってしまうから厄介である。

 何か特定の事に対する不安なら、対応することも可能であるが、何だか分からないけど不安だと言うのはどうしようもない。ましてや、これから起きるであろう不安は、前に進めない。だから、HSPから不登校やひきこもりになりやすいのである。HSPは神経伝達回路(システム)の異常によって起きると考えられている。HSPは脳内ホルモンのうち、オキシトシンホルモンとセロトニンホルモンの分泌が極めて少ない。そして、交感神経活性化でいつも緊張しているので、コルチゾール(副腎皮質ホルモン)が過剰に分泌され続けてしまう。

 コルチゾールが過剰分泌され続けると、大脳辺縁系の偏桃体が肥大化すると共に、海馬と前頭前野が萎縮する。記憶力や判断力が正常に働かなくなり、妄想や幻想が起きやすいし、実際には起きていない怖い記憶が作られてしまうこともある。現実とバーチャルの境目がなくなるのである。作られた偽の記憶に苦しめられるのである。妄想性の障害や妄想性のパーソナリティ障害は、こうやって発症してしまうのである。HSPというものが、いかに深刻な症状をもたらすかということが解るであろう。

 不登校やひきこもりが、根底にHSPがあって起きるのだから、HSPを癒すことが出来ればひきこもりも解決できると言える。それでは、どうすればHSPを癒すことが出来るのだろうか。HSPが神経伝達回路(システム)の異常によって起きて、オキシトシンH.とセロトニンH.の不足が原因であるのだから、これらのホルモンが正常に分泌されるようにすればよい。オキシトシンH.の不足は、アタッチメントの未形成によって起きている。また、セロトニンH.の不足も同じ理由である。それ故に、アタッチメントの再形成が重要なポイントとなる。

 アタッチメントを再形成すればひきこもり・不登校は解決する。以前は、アタッチメントは『愛着』と訳されていて、親からの愛情不足によって起きるとされていた。親との愛着を再形成しないと愛着障害は改善しないとされていた。しかし、最新の発達心理では、親じゃなくてもアタッチメントを再形成できることが判明した。第三者からの支援により、アタッチメントが再形成できるのである。その支援者とは、誰でもいい訳ではない。試し行動にも動じず、安定した精神状態と正しく高邁な思想・価値観を持ち、完全な自己マスタリーを実現した人物でないと、アタッチメントの再形成を手助けできない。利害・損得を考えず、どんな苦難・困難にも挫けず、慈悲深くて溢れる愛情を注げる人物にしか出来ない役割である。

 ※アタッチメントを再形成してHSPを癒す方法を、イスキアの郷しらかわではメールや電話にて、もっと詳しくお伝えしています。オキシトシンタッチやソフトなソマティックケアのやり方、HSPを癒すNTA療法のこと、オープンダイアローグ療法のこと、ナラティブアプローチ療法のやり方、いろいろなHSPの癒し方を伝えています。問い合わせフォームからどうぞ。

発達障害グレーゾーンを癒す方法

 発達障害は遺伝子の先天的異常によるものだから、どんな治療をしても治らない障害だという認識を誰もが持っている。ある程度は社会に適応できたとしても、学校や職場における周りの人々とのコミュニケーションに苦労することも多い。当人との関わり方において周りの人々が戸惑うことも多いが、それ以上に本人が生きづらさを抱えることも少なくない。そんな発達障害を持つ人の中でも、症状が軽くて学力や能力が高いけど、コミュニケーションだけが難しく感じる発達障害グレーゾーンと呼ばれる人ならば、治る可能性がある。

 勿論、完治と言うレベルまでは難しいけれど、ある程度まで症状が緩和することが出来ると言えよう。その治療法とは、医療機関におけるものではなくて、神経伝達回路を緩やかに改善する整体である。別の言い方をすれば、神経伝達調整(NTA)と呼ぶ治療方法である。どうしてこのNTAと略される神経伝達調整という治療法が有効なのかと言うと、発達障害グレーゾーンのそもそもの原因がHPSによるものからである。HSPとは略称であり、ハイリーセンシティブパーソンという症状のことである。

 HSPは、環境感受性あるいはその気質・性格的指標である感覚処理感受性が極めて高い人たちということである。神経学的過敏が影響して、心理社会学的過敏も起こしやすい。特に聴覚過敏が顕著であることが多い。その他に、接触性過敏や嗅覚過敏、視覚過敏も起こしてしまうケースもある。これらの神経学的過敏が強いために、コミュニケーション障害を起こしてしまうことが多い。このHSPが起きてしまう根底には、得体の知れない強い不安や恐怖感がある。そして、この不安や恐怖感はアタッチメント未形成によって起きている。

 いずれにしても、HSPが強く影響して発達障害グレーゾーンになっているとすれば、このHSPを癒すことが出来れば、得体の知れない不安や恐怖感を払拭することが可能になる。NTA療法をすることで、HSPが改善される可能性は高い。何故、NTA療法がHSPの改善に役立つのかと言うと、HSPになっている原因である神経伝達回路の異常をNTA療法が正常化してくれるからではないかと思われる。HSPは、神経伝達回路が過剰反応を起こして発症している。その過剰反応を適度に抑えてくれるのがNTA療法であると言えよう。

 不安や恐怖感というのは、脳の偏桃体過剰反応によって起きると言われている。HSPによって、通常なら感じない不安や恐怖感が強く感じ過ぎてしまい、偏桃体が刺激され続けることでコルチゾールが過剰に分泌される。また、ノルアドレナリンやドーパミンも多すぎるほど分泌される。逆に幸福ホルモンと呼ばれるセロトニン、そして安心ホルモンと呼ばれるオキシトシンの分泌が少なくなる。偏桃体が肥大化すると共に、海馬や前頭前野脳が萎縮するとも言われている。こうなると、記憶力も低下すると同時に正常な判断が出来なくなる。

 これらの脳内ホルモンの分泌異常を、神経伝達回路の調整(NTA療法)により改善するのではないかと推測される。NTA療法は、アーユルヴェーダ、ホメオパシー、頭蓋骨仙骨療法、波動理論などの代替医療のエッセンスも取り入れながら、微弱電流装置を駆使しながら神経伝達回路の異常を修正してくれる。つまり、得体の知れない強烈な不安や恐怖感を和らげてくれるし、HSPの症状も緩和してくれるのである。だから、発達障害グレーゾーンの症状が改善されるのではないかと思われる

 それでは、NTA療法の施術をしてくれる整体師ならば、誰でも発達障害グレーゾーンの症状改善をしてくれるのかというと、それを断言することは難しい。何故ならば、このNTA療法の施術者の熟練度やマスタリー度合いによって、現れる効果が違ってくると推測されるからである。施術者が豊かで良質な波動エネルギーを受け取って、その波動エネルギーをクライアントに減衰することなく、受け渡してくれるならば効果は高くなる。この波動エネルギーの受け渡しに長けている施術者を選びたい。そうすれば、発達障害グレーゾーンをかなりの良いレベルまで癒してくれることだろう。

※波動エネルギーとは、天または宇宙、そして大地からもたらさられる自然由来のパワーのことで『気』とも言えるものです。この波動エネルギー(気)を天と地から受け取って、人々に授けるレベルの施術者になる為には、私利私欲を無くし徳を積んで人格を磨き高めること、様々な修行を積んで学びを深めることが必要でしょう。気功の達人と言われる『大周天』や密教における『阿闍梨(大阿闍梨)』のようなレベルになるということではないかと思われます。

老いては妻に従い

 『老いては子に従い』という、誰でも知っている格言がある。老人になったら、子どもの助言や指導に素直に従うことで、苦難や困難避けたり乗り越えたりして、平穏な老後を送ることが出来るよという教えであろう。または、子どもの言うことに逆らってばかりしていると、嫌われたり見離されたりすることもあろう。高齢になればなるほど、若い人の意見に従うというのは、当然だと思われる。好々爺という言葉があるくらいだ。そして、高齢になった夫は、子どもだけでなく『老いては妻に従い』ということを心掛けるべきである。

 そんなことは出来かねる。今さら、妻に従うなんてことなんか出来っこないと思われる高齢男性が多いかもしれない。中には、世間をあまり知らない妻だから自分がすべてをリードして大事なことを決定して来たのだから、妻に従うなんて到底できないという夫もいるかもしれない。しかし、家庭が円満で平和で過ごせる場になる為には、老いては妻に従いを実践することが求められる。フルタイムで仕事をしている時ならば、家にいることも少なかった夫だから、何とか我慢していた妻という夫婦形態だから何とか保てていたのである。

 ところが、完全にリタイアして毎日がホリデーで家にいる夫に、朝昼晩の三食を提供して他の家事もすべて妻が負担するようなケースは、夫は妻に従う夫婦形態を取るべきだろう。今までは、夫が家庭内に不在になる時間が多かったから、何とか過ごせていたのである。ところが、趣味やスポーツもせず外出もせず家庭内に居て、テレビを鑑賞するかゲームをしているかという状況では、妻のストレスは相当に高まるに違いない。しかも、妻の主張や指導にまったく従わず、頑固な態度を取り続けたとしたら、離婚になっても仕方ないと言える。

 ところが、このように頑固で自分を変えようとしない夫というのは、離婚するなんてことは絶対に無いと思い込んでいる。したがって、自分に悪いことは何もないし、まさか自分が妻から嫌われているなんて思いもしない。突然三行半を突きつけられたとしても、自分に非があるとは考えられないであろう。自分が何故に離婚をさせられるのか、思い当たることはまったくないに違いない。妻を欺いたことはないし、裏切ったこともないから、自分は良い夫だと思っているであろう。しかし、妻は長年に渡り、我慢に我慢を重ねてきたのである。

 妻の本当の気持ちをまったく知らないのは、夫だけである。知らないのではなくて、知ろうとしなかったと言ってよいだろう。夫にとっては普通なのであろうが、傾聴と共感をしない人間とは一緒に暮らせないと思う妻が多い。これだけ家族の為に一所懸命に汗水たらして稼いできたのだから、リタイア後ぐらいのんびりと好き勝手に暮らさせてくれと思う夫が多いかもしれない。しかし、それは間違いである。妻にしてみれば、夫の横暴さとモラハラやフキハラに我慢してきたのだから、老後ぐらい妻に従ってほしいのである。

 捉え方というか認識の違いだから、何とも仕方ないのだが、老後を迎えるまでの夫婦の過ごし方をどのように認識するかどうかで、まったく違った老後を迎えることになりそうである。夫の現役時代は自分の生き方を犠牲にして尽してきたのだから、リタイア後くらいは妻は好きに生きたいと思うであろう。そして、少しぐらいは家事を分担してほしいし、自分の身の周りぐらい自分でしてほしいと思うに違いない。一方、夫は身を粉にして働いてきたのだから、リタイア後はボーっとして何もせずに好きなことをして暮らしたいと思うし、妻に気兼ねして生きるなんてまっぴらごめんだと思うであろう。

 どちらも正しい考え方だというか、そう思うのは当然ではなかろうか。だとしても、老後を幸福な気持ちで平穏に暮らしたいのであれば、夫はやはり妻に従って生きた方が良い。会社勤めの時は、上司や同僚・部下にあれだけ気を遣ってきたのだから、妻に傾聴し共感しようと思えばできない訳ではない。そして、妻を喜ばせたり幸せな気分にしたりすることも、ちょっと努力すれば可能だ。だとしたら、ここは妻に従っているポーズだけでもいいから、妻の言動に共感して誉めてあげることを心掛けてみたらどうだろうか。たまには料理したり買い物したりするのも楽しいし、掃除や洗濯だって妻より上手になり優越感や達成感を持つのもまた嬉しいものだ。

物分かりの良い人を演じなくても良い

 日本人特有のパーソナリティとして、多数派に属したいとか穏健な言動をして良い人に思われたいという傾向がある。そして、争いごとを好まないし敵を作らないという生き方を志す人が多い。『和を以て貴しと為す』と最古の憲法で主張した聖徳太子に習い、協調性や合意性を重んじる日本人が殆どであろう。これは、団体や企業という組織の中で生きて行くうえでは、必要不可欠な価値観であるに違いない。例え、違った意見であっても上司や経営幹部の主張に逆らうことはしないし、自分の意見はあえて主張しない社員が多い。

 日本人という民族は、あまり争いごとを好まず、競い合うことも避けることが多い。そして、組織の中でも家庭の中でも、物分かりの良い人を演じてしまう傾向が強い。嫌われることを避けたいというのか、どちらかというと周りの人たちにおもねることで無用な軋轢を避けたいという思いが強いのであろう。つまり、周りから『良い人』だと思われたいし、組織の中で無難に生き抜くために必要な処世術なのかもしれない。とは言いながら、自分を失くしてまで相手に合わせてしまい、物分かりの良い人を演じなくてもいいような気がする。

 何故、物分かりの良い人を演じなくてもいいのかというと、あまりにも自分の本当の感情を押し殺してしまうと、自分らしさを失ってしまうからである。人間は、生まれつき自由でありたいと思う生き物である。何故ならば、人間は本来自己組織化をする働きをする。つまり、主体性・自発性・自主性・責任性・連帯性・自己犠牲性・発展性・進化性を持つのだ。それなのに、他人にあまりにも迎合し過ぎて、自分を主張することを止めてしまうと、自己組織化をする働きを失ってしまう危険性が高まってしまうのである。

 また、あまりにも自分の感情を出さないようにしようとして抑圧してしまうと、脳がそのような状況をとても嫌がってしまい、ストレスが高まってしまい脳の異常を起こしてしまうのである。特に、怒りや憎しみの感情を出すことが出来ず我慢を重ねて行くと、偏桃体が肥大化してしまい、海馬が委縮してしまうのである。偏桃体が肥大化して働き過ぎると、ステロイドホルモンが増加してしまい、自律神経が乱れてしまうと共に、睡眠障害が起きやすい。また、海馬と前頭前野脳の機能が低下して、認知症になるリスクが高まる。

 物分かりの良い人を演じ過ぎてしまう危険を示してきたが、日本人と言うのはどうしても相手に合わせてしまう傾向が強い。確かに、職場や公的な場所においては、ある程度の常識的な言動は必要であるが、家庭や仲間の中では物分かりの良い人を演じなくても良いのではなかろうか。特に、親に対しては自分の感情を閉じ込めなくてもいいし、子どもに対しても物分かりの良い親を演じなくても良い。特に避けたいのは、子どもに対して必要以上におもねることである。こんな子育てをすると、子どもが感情を吐露するのが苦手になる。

 家庭内においては、本来は家族相手には気兼ねする必要もなく、自由に発言して良い場所である。いろんな感情を持つ場合、それを相手に素直に、そして正直に伝えても良いのである。そして、伝えられた相手はその素直な感情に共感すべきであることは言うまでもない。そして、それがどんな感情の表現であったとしても、寛容と受容の態度を取らなくてはならない。そうしないと、家族の関係性を良好なものに出来ないのである。家族の良好な関係性があってこそ、安全基地としての機能を保てるのである。

 安全基地というのは、家族が心理的安全性を持てる居場所である。家庭の中では、物分かりの良い人を演じなくても良い関係性が保てる環境が求められる。その為には、やはり父親が重要な役割を果たす。あまりにもパーフェクトな人格を見せ感情を押し殺して、物分かりの良い人物を演じ続けてしまうと、家族は逆に安心感を持てなくなってしまう。時には人間臭くて、マイナスの感情を吐露することも必要であるし、弱音を吐くことだってあっていい。家族が心理的安全性(安全基地)を保つ為には、自分らしく生きてもいいんだよという態度のメッセージを、家庭における主人公が見せ続ける必要がある。

※子どもというのは、家庭内で伸び伸びと育ち、あるがままの自分をさらけ出し、感情を豊かに表現できなければならないのです。家庭内であまりにも良い子を演じさせてしまい、自分らしさを失わせてしまうと、外で良い子でなくなり悪いことをしたり他の子を虐めたりするのです。子どもはどこかで息抜きが必要であり、そのための安全な居場所が必要なのです。親があるがままに生きるというお手本を、家庭内で見せたいものです

レスポンシブルドリンキングの勧め

 レスポンシブルドリンキングという言葉を知っているだろうか。ようやく日本でも提唱されるようになってきたが、まだまだ欧米の認知度から比べると、日本人は知らない人のほうが圧倒的に多い。と言うのは日本では、飲酒上の失敗を大目に見るという風土があるからに違いない。自己責任を重んじる欧米の人たちは総じて、酒を飲んでの不適切な行動に対して厳しい。日本はどちらかというと、飲酒しての不適切行動を、お酒が起こしたことだからと寛容に見ることが多い。そういう理由から、レスポンシブルドリンキングという考え方が浸透しなかったと思われる。

 しかしながら、飲酒のうえで起こしてしまう迷惑行為や不法行為は、けっして許容できないことである。酔っ払いが公道で喚き散らしたり、通行人に言いがかりや女性に絡んだりする姿は、実にみっともない行為で許せない。また、飲酒運転で交通事故を起こす行為は後を絶たず、死亡事故まで起こすに至っては言語道断である。政治家、行政マン、または警察職員・教職員まで飲酒しての不適切行動をしてしまう事例は少なくない。レスポンシブルドリンキングとは、例え酔ったとしても不適切行動をしないような飲酒のことである。

 レスポンシブルドリンキングの程度を遵守できない日本人は、なんと多いことか。お酒を適度な程度までしか飲まないというのは、非常に難しいことである。アルコールを摂取すると前頭前野脳が麻痺してしまい、偏桃体が暴走してしまうので、歯止めが効かなくなり欲望が暴走しやすい。ましてや、飲酒はドーパミンを大量に放出してしまうので、覚せい剤を摂取した時と同じような倫理観の欠如をもたらしてしまう。いずれにしても、飲酒によって煩悩の肥大化と暴走を起こすのだから、いかに適量までに飲酒量を抑えるかは至難の業。

 そんな事情を考慮して、レスポンシブルドリンキングを推奨しようとする醸造メーカーが現れたのである。それも、日本を代表するような巨大ビールメーカーである。それはアサヒビールという、売り上げが増加しているし経営状況も増収増益を続けている優良企業である。アサヒビールは2020年から『スマートドリンキング』という造語を用いて、レスポンシブルドリンキングを推し進めている。社内に、レスポンシブルドリンキング部という部署を9月1日に設置し、『スマドリ』をキャンペーンワードにして推進に取り組んでいる。

 今までのアルコール醸造メーカーは、プロダクトアウトの考え方が強いマーケット戦略であった。アサヒビールの社長松山一雄氏は、一般消費者であるエンドユーザーを顧客と捉える考え方が社内にないことに愕然としたらしい。当時のアサヒビールにとっての顧客は、お酒の問屋・販売店・飲食店であったという。これでは、市民目線のドリンク、市民が求める飲料を企画開発するのは難しいと感じた。勿論、消費者の健康を推進するとか、消費者の幸福を実現するアルコール飲料を企画開発するなんて視点がなかったのは当然である。

 世の中では飲酒することが当たり前だという風潮が根強く残っている。宴会に参加して、アルコールを飲まないと付き合いが悪いなあと批判されてしまう。ようやく最近になって、ソバーキュリアス(敢えて飲まないと言う生き方を志す人)という語句が市民権を得られるようになってきた。飲めない人、または飲まない人の理解が進んできた。これから、ソバーキュリアスを目指す人は激増していくに違いない。サステナブルな社会を目指して行くのであれば、レスポンシブルドリンキングがもっと推進されるべきと確信している。

 アサヒビルビールが「責任ある飲酒」レスポンシブルドリンキングを推進していく為に、ノンアルコールドリンクや低アルコールドリンクの開発に力を注いでいる。今までもノンアルコールビールが販売されていたが、ちっとも美味しくなかったしビールとはけっして呼べないしろものだった。ところが、アサヒゼロは本当のビールと遜色ないし、アサヒのビアリーは0.5%のアルコール度ながら、ビールを飲んだ気分にさせてくれる。実際にビールを醸造して、わざわざアルコール分を抜くという手間暇を惜しまない製法をしている。無責任な飲酒を避けるレスポンシブルドリンキングを他の醸造メーカーにも推進してほしいものだ。

酒は百薬の長という格言はウソ

 お酒が好きな人は、酒は百薬の長だという格言を信じているというか、信じたい気持ちが強いに違いない。古来より、ずっと言われ続けてきたこの酒は百薬の長だという格言は医学的にも正しいことだと信じられてきた。ところが、最新の医学研究によると怪しいという研究結果があるという。飲み過ぎは健康に害があるのは当然だが、適量のアルコール摂取なら非飲酒者よりも長生きするという統計調査結果が公にされてきた。ところが、この調査結果はバイアスがかけられていて、実際は少量飲酒者でも長生きする訳ではないという。

 そんな筈はないと思うお酒好きの方も沢山いるとは思うが、飲酒者よりも非飲酒者のほうが健康で長生きするというのは、医学的にも間違いないと証明されている。ましてや、最新の医学研究では飲酒者のほうが非飲酒者よりも認知症になりやすいという研究結果も明らかになっている。そして、非飲酒者よりも飲酒者は頭頚部の癌になる確率が、なんと5倍にもなるという統計調査も明らかになっている。そもそも、酒は百薬の長という格言は、古代中国の政府による酒税の徴収を増加させるキャンペーンワードだったいうのだ。

 こんないい加減で科学的根拠もない格言に、我々はどうして騙されていきたのであろうか。それは、やはり日本の政府もお酒の売り上げによる税収が貴重だったということもあるだろうし、アルコール製造販売企業と酒類小売店、飲食店への篤い配慮があったのではないかと推測される。ましてや、行政、政治家、医学関係者にも酒好きが多いので、お酒が毒だと思いたくなったのだろう。医学的なエビデンスだって、それを扱う者によってバイアスがかかってしまい、大きく捻じ曲げられてしまうケースは、他にも例がたくさんある。

 いずれにしても、酒は百薬の長という格言はまったくのデマだったということが判明した。しかし、今でも適度な飲酒は健康に良いのだと信じている人は少なくないし、毎日習慣的に飲酒している人も多い。中には、大量飲酒によって肝障害やアルコール依存になって、取り返しのつかない健康被害や生活破綻を起こしている例も多い。飲酒運転による交通事故で、被害者を死亡させてしまうケースも多くある。お酒で身を持ち崩してしまう輩も少なくない。ということは、お酒は百害あって一利なしの、リスクが高いものだと認識すべきだ。

 このような適量の飲酒でも健康被害をもたらすというエビデンスの公表を受けて、日本の酒造メーカーでも、適正な飲酒やノンアルコール飲料を推奨する動きをしているところもある。アサヒビールでは、スマートドリンキングというキャンペーンを始めた。ノンアルコール飲料や低濃度アルコールのお酒を薦めている。勿論、そういうノンアルコールのビールやカクテル、低アルコールの飲料を次から次へと開発して販売している。しかも、本格的な醸造によるノンアルコールビールなので、味も本物のビールに遜色ない出来だ。

 最近では、お酒を飲めるのに敢えて飲まない生き方であるソバーキュリアスを志向する人も増えてきたし、お酒が苦手だと一切飲まない人も増えてきた。さらには飲酒による不適切な行動を防止するというレスポンシブルドリンキングという考え方も外国では定着しつつある。アサヒビールは、そのような世界的な潮流をいち早く取り入れて、スマートドリンキングをマーケットの戦略にしたというのは、素晴らしい英断だと言えよう。アサヒビールの現社長である松山一雄氏は、それまでのプロダクトアウト一辺倒であったマーケット戦略を、大胆にマーケットインに大変革したのである。

 勿論、マーケットインの戦略偏向だけが正しい訳ではなく、自社の強みを生かした開発企画だって必要なのは言うまでもない。しかし、これからの酒造メーカーは、市民の健康をどのように守るのかとか、レスポンシブルドリンキングにどう対応するのかを考慮した市場戦略を練るべきである。お酒というのは毎日習慣的にしかも大量に飲むのは、健康を損ねるだけでなく社会的な損失を招くし、SDG’s上においても勧められる行動ではない。元々、お祭りや特別な日に嗜む程度に飲むのが、『大人のたしなみ』のお酒だった筈だ。特別なハレの日にだけ、最上級のお酒をほんの少しだけ飲むのがお洒落な大人飲みと言えるだろう。