各地で熊による人的被害が止まることなく、益々増えている。10月29日現在12名の方が熊による危害で命をなくされている。過去最多の尊い人命が失われていて、これからも増え続ける勢いである。どうしてこんなにも人的被害が増えているのか、動物の生態に詳しい専門家たちはそれぞれ分析して原因をあげている。しかし、どうも今までの理由だけでは説明がつかない状況が起きているとしか考えられない。これまでの熊に対する常識や定説では、どうにも解らない不思議なことが起き続けていて、新たな分析が必要になっている。
そんな状況の中で、大型野生動物の生態に精通している専門家が、新たな分析をして定説を覆すような分析をしたのである。今まで、原則として熊は人を恐れていて、出会うことを避けていると見られていた。思いがけず出会ったり、子熊を育てている雌の親熊が人間に出会ったりした場合に、人を襲うことがあると分析していた。だから、熊鈴、ホイッスル、爆竹、花火などを鳴らして、人間の存在を熊に知らせることで熊との出会いを避けられると分析していた。しかし、そんな熊だけでなく敢えて人間を襲う熊が出現したというのだ。
人間を恐れずに敢えて襲う熊というのは、里に追いやられてしまった個体だという。奥山に住む熊の好物である食糧は木の実であるが、そこにテリトリーを持つ熊というのは、大きくて強い熊で縄張り競争に勝った個体である。この奥山に住む熊は、豊富な食糧があるので、敢えて里山に降りなくても良いし、人間を怖い存在だと認識し、出会うことを避けている。奥山まで登山したり山菜採りをしたりしている人は体験して知っているが、人間が熊のテリトリーに近づくと、唸り声を出して人間が近寄らないように威嚇するのである。
ところが、縄張り競争に負けたひ弱な熊は、奥山に住むことを許されず、里山まで降りて食べ物を探すしかなくなる。あまりにも個体数が増え過ぎたので、テリトリーを持たない熊が増えて、里山の木の実は足りなくなる。空腹に耐えきれなくなった熊は、野生動物を食べるか家畜を襲うことでしか空腹を満たせなくなる。または、畑の野菜や果樹を食べるようになる。そうすると、人間と出会う頻度は飛躍的に増える。ゴミ置き場を漁ることもあるし、人家に入ることもあろう。人間の食べ物を一度食べると、その味を忘れられなくなる。
人間は恐ろしいものだという遺伝記憶は、銃で撃たれるという体験もないから、怖さが子孫に伝わらなくなり、人間の姿を見ても逃げなくなる。ましてや、人間と一度出会って闘って勝った経験をした熊は、人間は獲物だという認識をすることもあろう。最近の里山に住む熊は、人間を獲物にしたような痕跡が多く見られる。襲った人間をひきずって行き、自分のテリトリーに確保しているような痕跡があると言われている。里山に住む熊は、奥山に住む熊とは明らかに違い、小型であり食べ物が不十分で飢えの為に痩せているという特徴がある。
熊による人的被害のある事故は、おしなべて民家の近くか里山で起きている。登山口近くの登山道で人身被害があるが、奥山の登山道では殆ど起きていない。知床半島の羅臼岳で起きた不幸な人的被害の事件は、登山口に近い登山道で起きている。奥山にテリトリーを持ち、食糧が足りている大きくて強い熊は、人間を襲う必要がないのである。生きていくにはどうしても食べ物が必要なので、里山に住む熊は人家近くに出没して人間を襲ってしまうのであろう。個体数が許容範囲以上に増え過ぎてしまった故に、凶暴な飢えた熊が出現したのだ。
里山に住んでいて、食料が不足して人家近くに時折現れる小型で凶暴な熊は、今までのような常識は通じない。熊鈴、ホイッスル、ラジオ、爆竹などでは逃げない。出会ったときには後ろを向かずに熊の目をじっと見つめたままで、後ずさりして遠ざかるということをしても、襲われる怖れがある。熊が襲ってきたら、腹ばいになり首を手で覆い、攻撃をやり過ごすしかない。しかし、一度人間を獲物にした体験を持つ熊は、引きずって自分のテリトリーに運ぶかもしれない。それ故に、熊の人的被害を防ぐには、里山に住む飢えた熊をすべて駆除するしか、他に方法がないのである。熊との共生なんて、ありえない時代になったと言える。
