一緒にいると疲れる人

この人と一緒にいるだけで、何故か知らないが心が安らぐなあと感じる人がいる。一方、この人と一緒に居ると、何となく疲れるというかいらいらする人がいる。気遣いをさせるのでもなく、何かとりたてて攻撃的な言葉をかけられる訳でもないし、気に障るような行為をするのでもないけれど、一緒に数時間過ごすと、疲れ切ってしまうと感じる人がいるのだ。言い換えると、自分の精気というかエネルギーを吸い取られてしまうような感覚になるのである。そんな経験をしたことがないだろうか。このような人と会って一緒にいると、何となく元気がなくなり、もう二度と会いたくなくなるのである。つまり、一緒に居ると疲れてしまう人である。

それでも、会うのか会わないのかという選択肢がこちらにある場合ならまだ救われる。会うことを拒否したり避けたりすればいいだけのこと。ところが、どうしても会わなければならない相手の場合は、実に困るのである。例えば、会社の上司や同僚部下というケースだ。毎日会うことになるのだから、帰宅する頃の時間になるとエネルギー欠乏症に陥ってしまう。また、一緒に居ると疲れる人が、家庭内にいる場合は最悪である。それも配偶者だとしたら、最悪である。何か意地悪をされるのでもなく、とりたてて攻撃的態度をされる訳でもないのに、すごく疲れるのである。不思議なことであるが、一緒に居るだけで神経が傷付いてしまい、ずたずたになるのである。

こういう人と一緒に居ると、どうして疲れるのであろうか。それは、人の目に見えない念によるのではないかと思われている。この念というものは、別称では波動とも呼ばれる場合も多い。これは科学的に完全に証明されている訳ではないし、目に見えるものではない。ましてや、この波動は今のところ、何らかの測定機器により計測したり記録したり出来るものではないようだ。あくまでも、観念的にあるに違いないと思われているものである。しかしながら、人の念は人から発せられて、人の心に響いているし、影響を与えているのは間違いないようである。波動は、人から人へと伝わって影響を与えているのは間違いないような気がする。

その人の波動には、調和されている波動と調和していない波動があるらしい。それを便宜的に、調和波動と不調和波動と呼ぶことにする。どうやら、一緒にいて疲れる人の波動は不調和波動であり、逆に共に居ると安心して癒される人の波動は調和波動らしいのだ。調和波動は、乱れていないし整然としているから、相手の波動を乱すことはしないし、逆に乱れている波動を整えてくれる働きもするのである。一方、不調和波動は相手の波動に働きかけて、乱してしまう。波動が乱れて調和していないと、不安や恐怖、または憎しみや怒りといったマイナスの感情を惹起させるらしい。または、相手の蓄えたエネルギーを削いでしまったり奪ったりもするのである。

この波動というものが、何故調和したり不調和したりするのかというと、生きるエネルギーの大きさとその健全さに関連しているのではないかと想像できる。そして、その生きるエネルギーというのは、愛に通じている。その愛とは、自己愛ではなくて他に対する愛であり、社会や宇宙全体に対する愛ではないだろうか。言い換えると、それは求める愛ではなくて、ただ与えるだけの無償の愛であろう。そういう博愛とか慈悲の心が、エネルギーを正常化させると共に波動を調和させるに違いない。こういう慈愛や博愛に満ち溢れた人からは癒されるし、自己愛の強い人と一緒にいると疲れるのである。

この調和波動と不調和波動のどちらかを出しているのかによって、一緒に居ると疲れる人と癒される人という分岐点になるのではないかと見られる。不調和波動を出している人は、予想以上に多くて、殆どの人が不調和波動を出していると言っても過言ではない。不調和波動を出している親に育てられると、子どもは不登校や引きこもりになるケースが少なくない。つまり、エネルギー不足になるのである。他人を支配したり制御したりする傾向にある人は不調和波動であり、その人に支配され制御されてしまっている人もまた不調和波動になるから恐ろしい。これらの不調和波動を出している人は、愛というエネルギーが枯渇しているとも言える。一緒に居ると疲れる人、つまりは不調和波動を出している人から、支配されたり制御されたりせず、完全に自立することが求められているように思われる。

LDLコレステロールは本当に悪者か

健康診断を受けると、必ずと言っていいほどコレステロールが基準値を超えているという結果が届く。さらに追い討ちをかけるように、悪玉と呼ばれるLDLコレステロールの値が基準値の範囲をオーバーしているという検診結果が記載されている。そして、要医療の結果を持参して医療機関を受診するようにとの、きついお達しが同封されているのである。こんな厳しい基準値を採用しているのは日本だけで、どうみたっておかしいと思うのは私だけではあるまい。WHOも、こんな高い基準値を勧めてはいない。しかしながら、日本動脈硬化学界の基準値が多くの医療機関では採用されており、こうして大量の検診結果異常者が作られてしまっているのである。当然、医療機関を受診すると、コレステロールを下げる薬を処方されて、『高コレステロール血症』または『高脂質血症』という有難い病名を付けられ、立派な病人となるのである。

誰が付けたのであろうか、悪玉コレステロールという名前が一人歩きをしてしまい、いかにもLDLコレステロールは危険な脂質だと世間的には思われている。動脈硬化による心臓血管障害や脳血管障害の張本人みたいな取られ方をしているし、善玉コレステロールであるHDLコレステロールと対比されるに至っては、無用の長物みたいな扱いを受けている。本当に、LDLコレステロールは何の役にも立たない、病気の原因になる諸悪の根源みたいな存在なのだろうか。人間という完全なる生物において、無駄な臓器や骨格・筋肉、または細胞の中で、何の役にも立たないというものがあるのだろうか。何かの意味や役割があって、そういう細胞が作られたとしか思えないのである。そう思うのが、科学的にみても自然であろう。

以前は、以下のようなことをまことしやかに主張しているドクターがいた。HDLコレステロールが減少してLDLコレステロールが増加すると、セロトニンが不足するから、うつ病になりやすい。だから、LDLコレステロールは動脈硬化だけでなく、うつ病にも関連するので、注意が必要だと強く主張していたのである。現在、この説はまったく科学的根拠がないものであり、根も葉もないデマであるということが解ってきた。逆に、統計調査で明らかになってきたのは、LDLコレステロールとセロトニンには相関関係があって、LDLコレステロールが低い人がセロトニン不足を起こしてうつ状態になりやすいということが判明してきたのである。つまり、LDLコレステロールがセロトニンの欠乏予防に重要な働きをすることが解ってきたのである。

LDLコレステロールは、セロトニンの原料であるトリプトファンを脳に運搬するのに重要な働きをするということが判明している。また、セロトニン受容体が細胞膜へ取り込まれる働きに関係することが解ってきた。セロトニンとLDLコレステロールが密接に関連するということが解明されてきたのである。セロトニンは脳内の神経伝達物質のひとつであり、幸福ホルモンと呼ばれており、これが不足するとうつ状態や慢性疲労症候群に陥ると言われている。また、トリプトファンからセロトニンを生成する際に、重要な働きをするのがインスリンである。このインスリンは、炭水化物から生成される。とすれば、世の中でもてはやされている炭水化物ダイエットは、インスリンの製造をおびやかす危険性があるということである。つまり、LDLコレステロールもセロトニンの生成に必要だし、炭水化物も摂取しなくてはならないということなのだ。偏ったダイエットの危険性が、こういった点からも指摘されている。
最近の医学統計調査によると、LDLコレステロールが低い人よりも高い人のほうが長生きするということが判明している。LDLコレステロールが低い人は、自殺、事故死、癌死をする例が多く、長生きできないというのだ。特に、女性よりも男性のほうがその傾向が強いらしい。おそらく、セロトニン不足による強い不幸感から将来を儚んでしまい、自殺、事故死、病死が多いのではないかと推測されている。総コレステロールだって、多い傾向にあるほうが長生きするという統計結果が出ている。それなのに、どうして医療機関や医学会は総コレステロールやLDLコレステロールが高いと指摘して、画一的にコレステロールを下げる薬を処方したがるのであろうか。実は、ここに日本の医療界の闇が存在するのであるまいか。薬品業界と医学界及び医療界の癒着、そして厚労省のお役人の不勉強さがあいまって、こんな間違いを国民に強いてしまうのである。必要もない無駄な医療費が支出されて、財政破綻を招いている元凶がここにもあるのだ。騙されてはいけない。

児童虐待をなくす為に

昨年度1年間児童相談所で扱った児童虐待の件数が、12万件を突破して過去最高になったというニュースが流れた。これは、昨年度から軽微な心理的DVも加えられたということで、件数が増えたのも当然だと見られるが、それにしても全国的に児童虐待が増えているのは間違いない。こんなにも多いという現実を知らない人も多かったに違いないが、これは実は氷山の一角に過ぎない。この数は児童相談所に寄せられて扱った件数だけであり、地域の人々や親類知人にも知られず、家庭内で陰湿に行われている児童虐待は、これだけではないだろう。その数も入れれば、おそらくは30万件を越える児童虐待が起きていると推測される。

 

どうしてこんなにも児童虐待が増えているのかと分析されているが、子育ての難しさやその苦労によるもの、さらに母親一人に育児の負担がかかり過ぎるという実態が影響しているらしい。または、配偶者によるDVが家庭内で日常化していて、そのことによる子どもへの心理的圧迫が虐待として捉えられているとも報道されている。そして残念なことに、児童相談所にそのような相談や通告が行なわれていても、完全な解決策が見いだせないという現状がある。緊急避難的に、児童相談所に子どもを預かって救助しても、その後の保護者に対する指導援助が効果を上げて、児童虐待がなくなるケースは少ないという。

 

児童相談員のマンパワー不足、児童虐待の行為者に対する相談機能や指導機能が不十分だという指摘もあろうが、児童虐待をする者への支援と指導は難しいものがある。何故なら、当事者だけの問題だけではなく、その配偶者は勿論、同居している恋人、家族の問題もあるし、自分自身の幼児期における育児環境が色濃く反映しているからでもある。自分が幼児期に暴力を受けて育って、自分が親になったときに、同じように暴力を奮ってしまうケースは非常に多い。暴力の連鎖である。さらに、夫婦間の敬愛関係や恋人との恋愛関係が破綻していると、児童虐待に繋がりやすいということも言われている。

 

児童虐待のそもそもの原因は何かというと、経済的な理由や将来に対する不安、家庭環境の悪化、虐待者本人の無自覚無認識、配偶者の問題、子どもの発達障害など様々な要因が上げられるが、それは真の原因ではない。児童虐待が起きる本当の原因は、家族というコミュニティにおける関係性の希薄化と劣悪化にある。親子の関係性、夫婦の関係性、兄弟との関係性、さらには地域コミュニティの関係性も悪化していると、児童虐待が起きやすい。つまり、様々な要因とされているものは単なるきっかけや背景としてのものであり、本当の原因は関係性にあると推測される。

 

家族、地域、企業、組織、国家すべての共同体がその連帯機能を低下、もしくは破綻させてしまっていると言われている。自分さえ良ければいい、自分だけの幸福や豊かさをあまりにも追求する価値観が蔓延してしまい、家族、同僚・部下・上司、隣人と地域住民、国民、お互いの関係性を重要視する価値観が欠落しているとも言われている。だから、医療、介護、福祉、地方の衰退、震災復興の遅延、などの問題が起きていると言っても過言ではない。まさに、その根底、または縮図というような家族に問題があり、児童虐待が発生していると言えよう。それは家族だけの問題ではないし、このような社会を築き上げてしまった我々国民全体に責任があるに違いない。

 

それでは、この児童虐待の根本的問題を含めて、崩壊したコミュニティをどのようにしたら再生できるのであろうか。悪化してしまった関係性をどのように再構築して行ったらいいのか悩ましいところでもある。その為には、どうしてこんなにもコミュニティの関係性が悪くなったのかという歴史にも、注目する必要があろう。関係性が悪化してしまい、コミュニティが崩壊への道を歩み始めたのは、明治維新の近代教育導入からであろう。江戸時代までは、自分たちの利益や幸福を第一義的に求めるのではなく、市民全体の幸福や福祉を求める価値観を持っていたのである。それが富国強兵を実現するために、欧米の個人利益を容認する近代教育を取り入れたのである。

 

欧米の個人の自由や幸福を追求する近代教育の価値観は、コミュニティの劣悪化を招く弊害が現れて、その後見直されて全体最適を求める価値観も必要だと方針変更がなされた。ところが、日本の教育にはその情報がもたらされず、依然として個別最適を求める価値観が依然として残ったのである。その原則を重視するあまり、お互いの関係性をないがしろにしてきたのである。ということならば、そもそもの近代教育の価値観教育を見直し、自分だけの利益幸福を追求するのではなく、全体最適追及の価値観を学校教育や家庭教育で教えなければならない。そうすれば、関係性の重要性を再確認し、家族というコミュニティの再生が図られるに違いない。その結果、児童虐待もなくなると確信している。

疲れの原因は食事にあった

電車やホームでは、疲れ切ってしまい、深くうなだれた会社員を見かける。歩く姿も前屈みで覇気がなく、とぼとぼと家路につく姿が、相当に疲れ切っていると確信させる。この世はストレス社会である。対人ストレスは勿論、超IT社会と言える現代は、PCやスマホに人間が支配され使われているから、テクノストレスにもさらされている。毎日、仕事でも目いっぱい働き、家に帰っても心が休まらないし癒されない。したがって、毎日疲れ切っていて、その疲れは一晩寝ても取れないという人が、多いのは当然かもしれない。

駅の売店やコンビニでは、栄養ドリンクや甘い炭酸飲料を求める会社員を多く見かける。ドラッグストアでは、疲労感が取れると謳われているビタミン剤やサプリメントが大量に売れている。こんなにも、疲れ切った人達がいて、日本のビジネス界は大丈夫なのであろうかと心配になるくらいである。こういうビジネスマンは、疲れないようにと昼はステーキやハンバーグなどのスタミナ食を摂り、夕方は焼き鳥や焼き肉でビールを飲むことが多い。しかし、その結果は思惑とは大きく違って疲れは取れず、翌朝には疲れ切った身体に鞭打って出勤する。

疲れる原因とその疲れが長引く訳は、どうやら精神的なストレスだけではないような気がする。確かに精神的なものが身体に影響するのは間違いないが、現代人がこれだけ疲れる人が多いというのは、肉体的な別の要因がありそうな気がして仕方ない。それで、科学的なエビデンスを示すような過去の実験結果がないかどうか調査してみた。そうすると、実に興味深い実験を試みた例があったのである。それは、明治初期に来日したドイツ人医師ベルツによる、食事による耐久力の実験であり、その結果は我々の常識を完全に覆すものであった。

ベルツが来日してまず驚いたのは、日本人の持久力であった。たいして体力もないように見えるし、痩せて貧弱な身体の日本人が、毎日何十キロも走っているのに、まったく疲れを見せないことである。当時、飛脚は一日100キロを越えて走り回り、車夫が重い人力車を毎日何10キロも引き回る耐久力を持っていた。ベルツはこれだけの体力を持っているのだから、西欧の栄養学に基づく肉食中心でしかも低でんぷん質の食事にしたら、もっと早く走れるに違いないと予想して、人力車の車夫2名に食事の実験をしたのである。毎日、肉食で低でんぷん質のスタミナ食を与え、体重80キロのベルツを乗せて、40㎞の道のりを引かせたのである。

その結果、3日後に2名の車夫は音を上げてしまった。こんな食事では走れないから、肉の量を減らしてくれというのである。それで、元の穀物菜食に戻したら3週間ずっと元気で人力車を引き続けたという。ベルツは、東京から日光まで旅行したことがあるが、午後6時に出発して翌日午前8時に着いた。その際に、馬を使ったのだが、110㎞の間に6度馬を交換し、14時間を要したという。もう一方は1人の人力車に引かせて乗り、なんと10時間で日光に着いたという。1時間に時速11㎞で10時間人力車を引いて走るという超人的な車夫がいたというからすごい話だ。

これは日本人だけの話かと思いきや、米国の大学でも肉食者と穀物菜食者で持久力の対比実験をしたら、瞬発力は肉食が上であるが、持久力は穀物菜食のほうが遥かに高いことが分かったとベルツの著書で紹介されている。これらの実験で明らかなように、現代人の持久力がないのは、食事のせいだということである。現代人がすぐに疲れてしまい、耐久力に乏しいのは肉食中心で炭水化物の少ない食事をしているからであろう。最近の日本人アスリートが、マラソンでは結果を残せていないし、水泳の長距離競泳で勝てないのは、食事のせいではないだろうか。あれほどの圧倒的な強さを誇るケニア人のエリートランナーは、おしなべて高でんぷん質の食事を続けていることが判明し、アスリート界では驚いているという。

明治維新以降の近代栄養学、とりわけ戦後の栄養学は、肉食中心の高蛋白で低炭水化物の食事が健康に良いものだというのが定説だった。ごく最近までも、美容の為には炭水化物ダイエットが良いというまことしやかな説が信じられていた。ところが、ごく最先端の科学的な栄養学では、それが人間の根源的なエネルギーを引き出せないということが判明してきたのである。肉を沢山食べて、でんぷん質をあまり食べないという食事は、持久力を引き出せず、すぐに疲れてしまうという欠点を露呈したのである。ましてや、肉食中心の食事を続けると、腸内環境が悪化して免疫力が低下することも解ってきた。現代日本人の異常なほどの疲れの原因が、肉食と低炭水化物の食事にあったのである。健康とスタミナ維持のためにも、穀物菜食の伝統的な和食に戻るべきではないだろうか。

不倫をしてしまう訳

不倫報道がすさまじい。ダブル不倫、略奪不倫などのセンセーショナルな文字が紙面に踊っている。今井絵里子、上原多香子など、女性が話題の主になっている。古い話題だが、乙武さんの不倫報道に驚いた人も多いことだろう。あれだけの障害を持ちながら、社会的にも頑張ってきたのに、家族の信頼を裏切り、社会的信用も失墜させた。政治家としてのデビューも遠ざかり、大きな代償を払うことになった。宮崎議員も、代議士のポストも棒に振り、家庭も崩壊したに等しい。芸能界でも、度々不倫報道が話題になるが、男性だけでなく妻も不倫をするケースが少なくない。どうして、著名人にはこんなにも不倫が多いのであろうか。一般人も不倫をしているのだが、著名人だから明らかになっただけなのであろうか。相手に配偶者がいるのを承知で性交渉をするほうも、非難されるのは当然だ。

「英雄色を好む」ということわざがある。よく引き合いに出されるのは、豊臣秀吉やナポレオン、そして現代ではゴルフ界のタイガー・ウッズである。中国共産党の偉大な指導者、毛沢東もそうだったと言われているし、北朝鮮の指導者金一族もあちこちに愛人を作っているらしい。ある研究結果から導き出されたのは、ホルモンと権力欲・名誉欲の関係である。政治家や経済的な成功者は、明らかにテストステロンという男性ホルモンが一般の人よりも多かったらしい。テストステロンがドーパミンの分泌に大きく関わっているのだから、関連性はあると推測される。攻撃性や挑戦欲とテストステロンとは関連しているし、テストステロンは性欲と密接な関係があるのは知られている。

それにしても、どうして人間は不倫などという、我が身を滅ぼしかねない危険な行為をしてしまうのであろうか。社会的にも抹殺され、家庭崩壊を起こすような危険行為を何故してしまうのか、理解に苦しむことだろう。勿論、本人たちは家族にも内密にしようと工夫しているだろうし、職場や地域にも知られないような努力はしているであろう。けれども、著名人はマスコミがほっておかないし、世間のねたみやそねみもあったり、相手がわざわざ暴露したりするケースも少なくない。そんなリスクを負ってまでも、不倫をしてしまうというのは、何か特別な理由があるに違いない。社会的に地位や名誉がある者でさえ、しちゃいけないと思いながら不倫をするというのは、脳科学的に観て何か理由があるのではないかと思えて仕方ない。

人間が性行動を求めるのは、ドーパミンという脳内ホルモンが出るからというのはよく知られている。ドーパミンというのは快楽ホルモンとも呼ばれる、脳内神経伝達物質である。性行為だけでなく、飲酒、飲食、ギャンブル、煙草、買い物などでもドーパミンが出ると言われている。快楽を求めたくなるのは人間の宿命みたいなものであろう。さらに、最近の脳内ホルモン研究で、性行為や異性とのスキンシップを求めたがる原因となる脳内神経伝達物質があるのが判明した。それがオキシトシンというホルモンである。子育てにおいて母性を育むホルモンとしても知られているが、お互いの愛情が溢れるような性交渉でも沢山分泌されることが解ってきた。

このオキシトシンを何故人間が分泌したくなるかというと、このホルモンが満たされると、不安感や恐怖感を払拭して精神が安定するからと言われている。特に、仕事や家庭においてストレスフルな状況にあり、自分に自信が持てなくなり、将来に対する不安が強くなると、このオキシトシンを分泌させたくなり、性行為に走るらしい。つまり、職場で粛々と仕事をこなして不安もなく、家庭でも配偶者や子どもたちから愛されている状況にあれば、不倫になんか走らないということだろう。ましてや、夫婦間においてお互いの敬愛関係と信頼関係が万全であり、愛情豊かな性の営みがあったとしたら、不倫なんてことが起こりうる確率は限りなく少なくなるに違いない。

知らず知らずのうちにドーパミンやオキシトシンの分泌を求めてしまい、不倫をしてしまうというのは言い過ぎになる。しかし、無意識のうちにドーパミンとオキシトシンの分泌を求めて、性行為に走るケースは少なくないと思われる。最近解ってきたことであるが、このオキシトシンは人間を不安から守るという働きもあるが、逆に危険な行為に対する回避行動も阻害するらしい。つまり、不倫で性交渉を何度も繰り返すうちにオキシトシンを沢山分泌させて、身を滅ぼすような行動をもしてしまうということである。だから、不倫がばれたり家庭を崩壊させたりするような行動をしてしまうのであろう。ドーパミンやオキシトシンに翻弄されないような生き方を心がけたいものである。人間の性(さが)というのは、実にやっかいなものである。

ひきこもりや不登校を解決するきっかけ

今まで不登校やひきこもりの子どもたちの保護者さんを相談支援してきました。保護者の方達の心の負担を少しは和らげることが出来たという自負はあります。しかし、残念ながらひきこもり・不登校を完全に乗り越えるには困難な壁がありました。保護者の相談支援だけでは、やはり限界があるのかもしれません。子どもが変わるには、まずは親が変わらなければならないと言われていますが、保護者の方達が自ら変わろうとするのは、なかなか難しいものです。抱えている問題の大きさもありますし、辛さや悲しみ、大きな苦しみのことを考慮すると、あなたは間違っているから自分を変えなさいとは助言しにくいものです。家族でも親類でもないし、主治医でもないボランティアとしては、限界があるのだろうとも思います。

 

ひきこもりや不登校を乗り越えたケースは確かにあります。しかし残念ながら、極めて少ないのも実情です。児童精神科医や児童心理学の先生方、カウンセラーの懸命な努力もなかなか及ばないようです。優秀なカウンセラーであっても、ひきこもりや不登校の青少年が、自ら自分を変えようと決断し、それを実現して社会復帰するという結果を残すことはまったくない訳ではないものの、稀なようです。精神医学の心理療法やカウンセリングの限界があるのかもしれません。どうして、単独での精神療法やカウンセリングの効果が出にくいのかと言いますと、それだけ青少年の心が深く閉ざされていて、その心を開くことが相当な困難を伴うのでしょう。

 

効果があった実例はどんなケースかというと、精神医学的・心理学的アプローチだけでなく、農業体験や自然体験などの癒しを共に提供したプログラムであり、総合的な治療のケースです。さらには、食生活や生活習慣をも改善することで、複合的な効果があったみたいです。ひきこもりや不登校の青少年は、どうしてもスマホやPCに対する依存性が高いし、ゲームに依存しているケースが多いようです。食生活も含めた生活習慣が乱れているというのも特徴的です。ですから、スマホやPCなどのデジタルデトックス、悪い食習慣をデトックスすると共に、規則正しい生活に戻すことで効果が表れるケースが多いようです。だから難しいのだろうと想像します。

 

ひきこもりや不登校が起きる原因は、実に様々のようです。また、そのきっかけはもっと多くのものがあります。不登校の原因は、子どもどうしの心無いいじめ、先生による不適切な指導、保護者の偏った子育て、家族との軋轢などと言われていますが、それは原因ではなく単なるきっかけでしかないと思っています。不登校の根底にあるのは、「関係性」の希薄さや低劣さです。ひきこもりも同様です。親子など家族同士の関係性、先生と子どもとの関係性、子どもどうしの関係性、先生どうしの関係性、両親どうしの関係性などが極めて薄くて歪んでいて正常でないケースが殆どです。特に、ご両親の関係性が良くないケースが多いのが特徴的です。表面的には上手く行っているように見えていても、心からお互いに敬愛している例が少ないというのが多いようです。

 

こういうそもそもの原因がある訳ですから、きっかけに対する問題解決型の助言や指導が功を奏しないのも当然です。不登校になったきっかけになったことを解決しようといくら努力しても、無駄なことになってしまうのは当然です。それぞれの関係性を改善しなければ、根本的な解決になりえないのです。この世の中は、そもそも関係性によって成り立っています。関係性が基本になって、コミュニティが本来の機能を果たしています。関係性が損なわれますと、コミュニティが崩壊します。家族というコミュニティが崩壊しているから、ひきこもりや不登校という問題が表出するのです。学校、地域、会社、国家というコミュニティが崩壊しつつあるから、社会的な問題が現れているのです。

 

コミュニティの構成要員それぞれが幸福になり、心も豊かになり、存続可能な生活をしていくには、それぞれの構成要員が個別最適ではなくて、全体最適を目指さなければなりません。つまり、自分だけの豊かさ幸福、地位や名誉・評価・利益を目指すのではなく、コミュニティ全体の最適を目指すことが要求されます。しかし、残念ながら家族も含めて殆どのコミュニティは個別最適を求めています。お互いを心から尊敬し愛して、相手の幸福を実現するにはどうしたらいいのかと心を砕いている家族ならば、当然関係性も良好になります。関係性が良くなれば、子どもたちは安心して社会に出て行けるのです。家族の大切さ、全体最適の価値観を獲得し、関係性を良好にするための方策を気付くきっかけを、「イスキアの郷しらかわ」で見つけてみませんか。

メンタル障害は何故治らないのか

うつ病、双極性障害、パニック障害、適応障害、不安神経症などのメンタルの障害を起こしてしまっている方が増えている。何故もこんなにメンタルを病んでいる方が増えているかというと、ストレスフルな世の中のせいだとする専門家も多い。職場において、PCなどのIT機器や最新機器の操作で一日の大半を過ごす職員、または対人サービス業における難しいクライアントに対する応対を求められる職員、クレーマーや理不尽な顧客に対応せざるを得ない職員、パワハラやセクハラ・モラハラなどの職場における嫌がらせを常時受けている職員、そういう実に気の毒な社員・職員が多いせいもある。こういう勤務状況はなかなか改善出来ないし、自分の努力だけでは解決し得ない職場であるので仕方ない。

 

さて、メンタル障害を起こしてしまった方たちは、医療機関に足を運び診断を受けて、投薬・注射またはカウンセリングや認知行動療法などの治療を受ける。薬物治療は、緊急避難的な用法においては効果が現れるケースが少なくない。しかし、長期的な薬物投与は、どうしても効果が長続きしないし、副作用が表出するケースが多いという。さらにメンタル障害を起こした方々は不眠症を伴うことが多いのであるが、睡眠導入剤や睡眠薬などは緊急避難的に短期で利用する意味はあるものの、長期投与ではその効果が続かなくなるケースが多いし、副作用や離脱が難しくなる。カウンセリングや認知行動療法もまた、一時的には効果があるものの、完全治癒まで到達する例はなかなか見えにくい。

 

抗うつ剤としてSSRIやSNRIなどの新薬が登場した際には、画期的な抗うつ剤として大きな期待をされた。副作用も少ないとされ、うつ症状の患者さんたちはこれで自分達も救われると喜んだのである。しかし、残念ながらこれらの新型の抗うつ剤も長期投与されてしまうケースが多いし、離脱症状の危険性もあり、一度飲み始めたらずっと飲み続けなければならないという結果を示している。不思議なことに、これらのSSRIやSNRIの新薬が登場して、うつ病の患者さんは減少するどころか、かえって増加しているという皮肉な結果を示しているのである。

 

このように、様々な医療行為を受けることで、寛解や症状の軽減という例はあるものの、完全治癒というケースが極めて少ないというのも不思議である。ここに精神医療の限界というものが見え隠れしているように思えて仕方ない。たまに完全治癒した人の話を聞くことがあるものの、それは一時的な投薬を受けても、長期投薬を中断して、自力で治したというケースが殆どであるというのも不思議なことである。勿論、すべての医療行為を否定するものではないが、医療だけでメンタル障害が治癒することはごく稀であるという事実があるのも確かであろう。精神医療の行為には何が足りないのか、何を足せば完全治癒に向かうことが出来るのか、明らかにしていかなければならない課題が存在していると思われる。

 

これだけ医療が進歩して、新しい薬剤や治療法が提起されているにも関わらず、何故か精神医療分野だけは完全治癒が少ない。完全治癒が難しい分野だとは認識しているが、それにしても治りにくいし、これほど多くの患者さんが増えているというのは解せない。メンタル障害とされる原因も、違うのではないかとも感じられる。メンタル障害を起こす方々に共通しているのは何かというと、確固たる理念が存在しないという点と、何があっても揺るがない自己肯定感がないという点である。つまり『自己マスタリー』が確立されていないという点に注目したい。理念とは正しい真理に基づいている信念のことであり、自己マスタリーとは真の自己確立のことである。この二つがないことで、多くの方がメンタル障害に苦しんでいるのではないかと想像している。

 

正しい理念とは、この宇宙・社会の存在そのものを担保している真理に基づいた信念であり、端的に言うと『システム思考』のことである。全体最適とそれを担保する関係性重視の哲学のことと言い換えられる。自己マスタリーとは、マイナスの自己と呼ばれる低劣な価値観を持った自己を認め受け容れ、そしてそのマイナスの自己を恥じると共に慈しむことが出来る自分を確立することである。言葉では優しいが、自分を完全に否定して消してしまいたいと思い悩む世界に浸ることでもあり、簡単には出来得ない。おそらく、この日本で自己マスタリーを完全にクリアーした人は1割にも満たないはずである。マサチューセッツ工科大学のペーター・シュンゲ上級講師が提唱している理論であるこのシステム思考を身に付け、自己マスタリーに成功すれば、メンタル障害から完全に立ち直ることが可能となるであろう。

自ら命を絶つ前に

大手広告会社の期待の新人社員が自らの命を絶ってしまい、労災認定がされたというショッキングなニュースが流れました。さらに、大企業の薬品会社の新入社員がやはり自殺をして、労災と認定されたという報道がありました。これらの報道は、労災認定をされたということでマスコミが取り上げただけであり、労災認定をされない仕事が原因の自殺は、他にも相当にあると推測されます。なにしろ、統計上明らかになっているだけで、年間3万人近くの方々が自ら命を絶ってしまうこの日本です。おそらくは、仕事上のストレスや疲れから自殺に追い込まれてしまっている方は相当に多い筈です。それにしても、こんなにも豊かで便利な世の中になったにも関わらず、生きにくい社会になっているというのは、理解できないことでもあります。

 

今、職場で心身共に疲れ切ってしまい、他には解決の方法が見つからず、死んでしまうしかこの現状から解放されないと思っていらっしゃる方がいらしたら、ちょっと待ってほしいものです。または、職場での執拗なパワハラやセクハラを受けて、会社は何も対応策をしてくれず、家族との板挟みで会社を辞める訳にも行かず、死んでしまうしかないと思っていらっしゃる方がこの日記を読んでいましたら、早まらないでほしいのです。このような八方塞がりの状況に追い込まれた方々にしてみれば、他には方法がないと思っていらっしゃることでしょう。確かに、もう誰も助けてくれないし解決策は他にないと思うのも当然かもしれません。

 

しかし、もし自殺という道を決断したとしても、あとせめて1週間から10日くらい先延ばし出来ないでしょうか。そして、「イスキアの郷しらかわ」で数日間過ごしてほしいと思います。または、会社を休めないなら土日の2日間でもよいから、しばしの休息を「イスキアの郷しらかわ」で過ごしてみてはどうでしょうか。勿論、しばしの休息で仕事の状況が変化する訳ではありません。しかし、少なくても自分をもう一度見つめ直す時間は必要ですし、何か心境の変化が見られるかもしれません。『四季彩菜工房』という農家民宿で、心尽くしの料理や心優しいもてなしを受けることで、心が癒されるに違いありません。または、辛くて苦しい出来事をありのままに受け容れてくれる相談をしているうちに、何かしらの解決策が見いだせるかもしれないのです。

 

最先端の心理学においては、マインドフルネスという方法が推奨されています。マインドフルネスというのは、ストレスコーピング(解消策)の有効な方法の一つです。ストレスを解決するには大きく分けて2つの方法があります。ひとつは問題焦点型のストレスコーピングで、ストレスの原因をダイレクトに解決するという解消法です。もう一つは情動焦点型のストレスコーピングで、問題そのものは解決できないものの、そのストレスに対する自分の認識や考え方を変えて、ストレスをストレスとして認知しないようにする方法であります。または、ストレスの対する耐性や柔軟な思考が出来るようにするという解消法です。その情動焦点型のストレスコーピングの有効な一つの方策がマインドフルネスです。

 

日本では、古来よりこのマインドフルネスという考え方や方策が実践されてきました。仏教では『唯識』という考え方です。瞑想、座禅、写経、読経、滝行や山岳修行などの苦行難行として実践されてきた歴史があります。マインドフルネスとは、ストレスから完全に開放されるような「何か」に心を奪われることにより、マイナスの思考を停止または手放すことで、本当の自分を取り戻すという方法です。人間は一旦強大なストレスに支配されてしまいますと、そのストレスを考えないようにすることが出来ず、四六時中そのことだけを考えてしまいます。それでは、不眠に追い込まれたりうつ状態になったりして、正しい考え方が出来なくなってしまうのです。これでは、解決策は思いつかなくなるばかりか、生きる気力も失ってしまいます。

 

マインドフルネスをするには、ストレスの原因になっている場所からなるべく離れて、非日常の世界に身を置くことが、まずは求められます。何もかも忘れてしまうには、自然豊かな処で、農業体験や自然体験に勤しむことが有効です。また、自分をまるごと受け容れてくれて許し肯定してくれる環境も必要です。それが、まさしく「イスキアの郷しらかわ」です。一旦思考を停止させて、自分自身をまずは取り戻すことが出来る場所、「イスキアの郷しらかわ」で、しばらく過ごすことでマインドフルネスが実践できます。仕事を休めない方は、週末だけでも何回か訪れてみてはいかがでしょうか。休職をしているなら、数日滞在することで、デトックスが可能になります。自ら命を絶つのは、今一度考え直してみてください。イスキアの郷しらかわで過ごしてみてください。自分の本当の「出口」(グリーンエグジット)がきっと見つけられます。

自己責任論の危うさ

元復興大臣が、自主避難者は自己責任だと言い切っていたが、同じように本音では自己責任だと思っている政治家や官僚たちが実に多い。批判されることを恐れて、口に出してこそいないが、貧困や格差問題も、自己責任だと思っている政治家や官僚、そして富裕層の人々は少なくない。子どもの貧困問題や高齢者の医療・介護問題だって、根本的には自己責任だと考える人は多いに違いない。アリとキリギリスというイソップ寓話を引き合いに出して、生活保護を受給している家庭や国民年金しか受給出来ていない貧困家庭を批判的に見ている富裕層は少なくない。そして、そうなったのは自己責任だから自業自得だろうと思っているのではないだろうか。

 

確かに、そういう見方も出来ない訳ではない。しかし、自己責任という言葉だけで社会的弱者を切り捨てることは出来ないのではあるまいか。何故なら、そのような社会的弱者を作り出したのは、政治や行政にも責任の一旦があるからだ。高福祉社会においては、なまじっか働いて苦労するよりも、国や市町村などによる福祉サービスを受けたほうが経済的には豊かな生活を送れるケースが少なくない。国民年金から2ケ月に1度10万円ほどの年金額が支給されるより、生活保護費を毎月10万円以上支給されたほうが、遥かに豊かな生活が出来る。働けるのに働かないという選択をする国民がいるのも確かである。しかし、それがすべてではないし、働こうとしない国民を作り出してしまった政治と行政の無策にも責任があると思うのである。

 

政治は、世の中に貧困を作り出すようなことをすべきではない。それも、貧困が多世代に渡って連鎖するような社会を作るのは、失政だと言っても過言ではない。江戸時代以前に、過酷な自然災害や飢饉などで人々が飢え、社会不安に陥ったケースが少なくない。ある意味仕方がないという側面もあるが、そういう世情不安が起きるような例でも、政治がしっかりしていれば、何とか乗り切れたという歴史がある。ところが、政治や行政が失敗を繰り返すと、貧困が蔓延化してしまい、一揆やクーデターが起きてしまった歴史がある。世界の歴史を見ても、貧困化が一定の率を越えてしまったときは、革命やクーデターが起きているのである。それは、政治の無策によるものと言っても過言ではない。

 

時の政治家や為政者は、貧困や格差が起きたことに対する自分の責任を回避して、市場経済のせいにしたり市民の無能や無教養が原因だとしたりするが、その主張が的を射てないのは明白である。つまり、自己責任論を展開するのは、政治家や官僚が自分の無能さを社会に対して自ら宣言していると言っても過言ではない。政治の重要な役割のひとつが、社会的弱者を生み出さないようにするのは当然だ。頑張った人が報われるべき社会にすべきだとしても、所得の再分配や富の再配分という機能を政治が果たさないといけない。貧困や格差は、本人の怠惰な性格や生き方、または本人の間違った価値観にあるとする考え方もあろう。しかし、そういった思想哲学の低劣化は、公的教育の貧困さに原因があると言えまいか。

 

江戸時代において、貧困や格差がまるっきりなかったとは言えないが、幸福度という尺度から見たら、その格差は社会的に許せる範囲だったように思える。何故、江戸時代はそんな社会が築けたのかというと、『システム思考』という考え方が浸透していたからではあるまいか。個別最適を目指すのではなく、常に全体最適を目的にしていたのである。当然、全体最適を目指すからには、お互いの関係性をとても大切にしていた。そして、弱者や敗者に対する思いやりというか慈悲の心を最重要視していたのである。特に、社会的強者である武士は、常に弱者に対する配慮を重んじる教育を幼少期から受けていた。つまり、惻隠の情という教育を徹底していたのである。現代における政治家と官僚の役割を果たしていた武士こそ、社会的弱者に対する配慮が必要なのだと教えられたのである。

 

現代の政治家や官僚に、惻隠の情があるかというと、彼らの言動からはあまり感じられないのである。どちらかというと、社会的強者に対する配慮のほうが優先していて、弱者を思いやる政策は不足している。アベノミクスは強者のための経済政策であり、富裕者が益々豊かになる政策である。トリクルダウンが起こり、貧困者にも富のおこぼれが起きると主張しているが、実際には起きていないし、円安は貧困者や年金生活者の生活を圧迫している。自己責任論が彼らの根底にある価値観であるから、惻隠の情があるとはまるっきり思えない。富や所得の再分配のための政策は後回しになっているし、格差は益々広がっているのが実情である。政治家や官僚は、自己責任論をひとまず封印して、江戸時代の武士を見習い、惻隠の情を根本的な価値観にした政策を進めてほしいものである。

怒りの感情を上手に処理する

この世は、とても生きずらい。自分が思っているような理想社会には、ほど遠い。自分を傷つけたり無視したりする人がいる。または、自分を支配し制御しようとする人も多い。どうして、こんなにも人が人をコントロールしたがるのであろうか。それにしても、怒りや憎しみの感情を起こさせる人のなんと多いことだろうか。身勝手で自分のことしか考えない自己中心的な人は、平気で人を傷つけるようなことをする。パワハラやセクハラ、モラハラをしてくるし、わざと人が困るようなことを何度もしてくる。怒りの感情がふつふつと込み上げてくる。しかし、この怒りを当人に返すと、その何倍にも還ってくるし、逆切れするかもしれないので我慢するしかない。生きずらい世の中である。怒りを抑えるしか方法がないのだろうか。

怒りという感情は持ってはいけないと言われている。仏教の教えでは、「憤りの心は燎原の火の如し」と言って、けっして持ってはならないものだと説く。つまり、憤りの心を心の中に燃え盛らせると、燎原(原っぱ)に火をつけたと同じで何もかも焼き尽くすし、その火は自分をも焼き尽くすという。これは脳科学的にも証明されている。怒りの感情は、脳の偏桃体を刺激する。そうすると、偏桃体から副腎にコルチゾールを分泌させるように命令が行く。怒りの感情が起きると、戦闘態勢に入りなさいと脳が指示するのである。コルチゾールという副腎皮質ホルモンは、血圧を上げて脈拍数を増やす。コルチゾールは、脳の海馬に伝わり、記憶系を麻痺させる。恐怖や不安感を失くすようにするためではないかと思われる。脳と身体を臨戦態勢にすることで、体調の変調までさせてしまうのである。

さらに、コルチゾールが海馬を刺激し続けると、海馬が委縮してしまうことが分かっている。海馬というのは、記憶を司る大事な場所。海馬が委縮すると、記憶障害が起きるし、ひどくなると認知症にもなってしまう。コルチゾールによって血圧が上がり脈拍数を上げて、血糖値も上げてしまうと、生活習慣病になってしまう。脳血管障害や心筋梗塞を起こすこともあろう。怒りの感情というのが、どれほど自分の身体を傷つけるということが解る。怒りはメンタルの病気を起こすこともあるし、生活習慣病の元になると言っても過言ではない。怒りは一刻も早く手放さないと、自分の身を焼き尽くすのである。

とは言いながら、怒りを爆発させると人間関係を損なうから解放できないし、我慢するのもよくないとなったら、どうすればいいのだろうか。怒りを手放すにはどうすればいいのかというと、脳内の怒りの感情を上手に処理するしかないのである。怒りの感情は右脳に記憶される。そして、右脳にある怒りの記憶は、忘れようとしても忘れることが出来ないし、時々怒りの記憶が蘇り自分を傷つける。だから右脳から左脳に怒りの記憶を移し替えるのである。そうすれば、第三者的に客観的に怒りの記憶を眺められる。ああ、あの時私は怒りの感情があったんだと、過去のこととして冷静に自分の怒りの記憶を見れるようになる。そうすれば、怒りは偏桃体を刺激しないし、コルチゾールも出ないから海馬を委縮させない。

それでは、怒りの記憶をどのようにして右脳から左脳に移し替えればいいのだろうか。移し替えのコツは、カウンセリングである。右脳にある怒りの感情を誰かに話して、その話を傾聴してもらい否定せず共感してもらうのである。そういうことを何回か繰り返すと、怒りの記憶を右脳から左脳に移し替えられる。日記やブログでもいいが、その際否定されたり馬鹿にされたりすると効果がない。優秀なカウンセラーは、自分のことのように相手の話を聞く。けっして否定したり無視したりせず、相手の身になったように共感するのが、本当のカウンセラーである。『イスキアの郷しらかわ』では、まずはこのようなカウンセリングをしたい。怒りの感情の処理を手伝いするので是非利用してほしい。