わいせつ教師は絶対に許せない

 教師による性被害の報告が増加している。今まで、泣き寝入りをしていたり、子どもが性被害だと認識できなかったりしたケースもあったが、現在は性被害だという社会の認識も広がったことにより、性被害の報告がしやすくなったのであろう。それにしても、これだけ日本の教育界に性被害が蔓延していたとは驚きである。イスキアの郷しらかわで過去にサポートしていた不登校やひきこもりの方々の中にも、高い割合で教師による性被害者がいらしたので、やっぱりそうかという思いが強い。

 どうして、こんなにも教育現場において性被害が多いのであろうか。または、わいせつ教師がこんなにも多いのかと不思議に思う人も多いに違いない。以前は、『聖職者』と呼ばれて世間からリスペクトされていた教師が、こんなにも不祥事を起こしてしまうとは、信じられない思いである。それにしても、教師とはどんな時も子どもたちの味方であり、子どもを正しい道に導く存在でもあり、子どもたちの見本となるべきなのに、地に墜ちたものである。子どもに対してわいせつ行為をする教師は、絶対に許せない。

 教師以外でも、わいせつ行為をする人間は存在する。だとしても、教師が子どもに対してわいせつ行為を行うのは、絶対に許せないのである。何故かと言うと、子どもは先生に対して「嫌だ」と言えないからである。先生は子どもに対して常に優位な立場にあり、子どもたちは先生には逆らえないのである。そんな状況にあるのを利用して、か弱い立場にある子どもにわいせつ行為を行うというのは、鬼畜にも劣る卑劣な行為である。ましてや、子どもは逃げることも闘うことも出来ない状況に追い込まれて、シャットダウン化してしまうのだ。

 どういうことかと言うと、人間の副交感神経は殆どが迷走神経である。その迷走神経には、腹側迷走神経と背側迷走神経の二つあることが、最新の医学研究により判明した。その腹側迷走神経は、安心、休息、免疫を活性化させる。ところが、背側迷走神経は回避や逃避も出来ず闘う事もできない危機的状況に追い込まれると、心身の遮断が起きて考えることもできず、身体が凍り付いて動けなくなるのである。つまり、わいせつ教師のほうでは児童生徒が拒否もせず逃げもしないから、同意したと勘違いしているが、まったく違うのである。

 この『遮断・凍り付き』の状況になってしまうと、身体が硬直して動けなくなるし、何も考えられず「嫌だ」と声も出せなくなるのである。逃げもせず嫌だと拒否もしないから、自分に好意を抱いているのだとわいせつ教師は勘違いする。こうして、罪悪感を抱くこともなく非業の性行為に及ぶ。そして、拒否されないからと複数回の性的行為に及ぶケースも少なくない。かくして、性被害児童生徒たちは恐怖のどん底に落とされて、怖くて誰にも訴えられない。さらに、逃避できず拒否できない自分が悪いからだと、自分を責めてしまうのである。

 大人になった女性が、上司や権力者・著名人から無理にレイプされた際にも、遮断・凍り付きが起きて、拒否や逃避が出来なくなる。そして、拒否や逃避が出来なかった自分が悪いからだと、自分を責めるだけでなく、警察に訴えることも躊躇ってしまうのである。そして、このあまりにも悲惨な出来事をなかったこととして、右脳の奥底にトラウマの記憶として仕舞い込む。教師から性被害を受けた児童生徒も、同じように右脳の奥底に強烈なトラウマとして仕舞い込み、なかったこととして永久に現れないように重い蓋をするのだ。

 右脳の奥底深くに仕舞い込んでないことにしてしまったトラウマは、同じような場面に出くわすと、表出してしまうことがある。これがフラッシュバックであり、圧倒的な恐怖感で苦しめられる。性行為そのものだけでなくても男性が怖くて、触れられるのも怖いと思う女性もいる。教師による性被害は、当該児童生徒を大人になってもなお苦しめることになるのである。つまり、わいせつ教師による鬼畜のような性被害は、人の一生を台無しにしてしまう、絶対に許せない行為なのである。万死に値する罪だと言えよう。死をもって償うほどの重罪だと言っても過言でない。文科省の初期研修に、迷走神経による遮断・凍り付きの学びを含めるべきだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA