家族葬には大きな落とし穴がある

都会だけでなく、地方でも家族葬をするケースが多くなっている。全体でも8割以上の遺族が家族葬を執り行うらしいし、都会だと9割を超える方々が家族葬だと思われる。高齢者である故人の友だちは既に鬼籍に入っている人も多く、故人も残された家族に負担をかけたくないと家族葬で良いと言い残すことが、その理由であろう。確かに、家族葬のほうが負担も少なく、義理で弔問する人たちにとってもありがたい。余計なコストをかけて葬儀を行うより、家族だけでじっくり故人を見送りたいという気持ちも理解できる。

しかし、この家族葬には大きな落とし穴や危険性が内在しているということを、認識している人は極めて少ない。その落とし穴とは、故人ロスが起きる危険性が高まるということである。夫をなくした方がまさしく『夫ロス』で長く苦しまれているので、支援したケースがいくつかある。そういう夫ロスを起こすケースでは、例外なく家族葬をしていたのである。そして、単なる家族葬だけでなく、親しくしていた故人の友達にさえも訃報を知らせることなく、密かに葬儀を執り行っていた。焼香のための弔問も遠慮してもらっていたのである。

愛する人をあの世に送りだすというのは、非常に辛いことである。特に、長年に渡りずっと寄り添っていた配偶者を突然失うというのは、大きな悲しみが襲う。そして、その悲しみと孤独感は長く心を支配しがちである。だとしても、徐々に悲しみが癒えてくるものであるが、たまに悲しみがなくならないケースがある。それがどういう訳か、家族葬の場合であり、しかも通知を出さないで弔問をお断りしているケースなのである。遺族の負担は少なくて済むし、義理で弔問しなければならない人は有難いが、悲しみが癒えないのは困る。

どうして家族葬だと悲しみが癒えないのか、脳科学的に洞察を試みた。悲しみが癒えない理由は様々であるが、一番は最愛の人の死を受け入れられないことである。死んでしまってこの世にもう存在しないのだと頭では解っていても、実感できないのである。この実感できないという意味は、亡くなって悲しくて辛い記憶を右脳に閉じ込めてしまっているということだ。辛くて悲しくてどうしようもない感情と共にある記憶は右脳に存在しがちだ。それを徐々に左脳の記憶に移し替えていく。これは意識してするものではなくて、時間が経過する中で自然と最愛の人を喪失した記憶を左脳に移動させる。そうすると悲しみが癒えるのだ。

辛い記憶を右脳から左脳に移し替えると、何故悲しみやトラウマが和らぐのかというと、右脳の記憶は自分のマイナスの感情とごちゃまぜにあるからだ。そうすると、記憶を思い出す度に、辛くてどうしようもない感情に押し流されてしまい、冷静な判断や認知が出来なくなるのである。ところが、左脳に移し替えた記憶は、自分の辛い記憶を客観的に俯瞰して眺められる。あの時、私はとても辛かったんだよと、第三者的にコメントできて、冷静に記憶を振り返ることが可能になり、悲しみが癒えるのである。

この辛い記憶を右脳から左脳に移し替えるのを支援するのが、カウンセリングである。カウンセラーやセラピストは、クライアントの辛い記憶を否定することなく共感してくれる。何度も辛い記憶を話して共感してもらうと、右脳の記憶がいつの間にか左脳に移し替えられて、悲しみやトラウマが癒されるのである。葬儀にいらした弔問客と故人の思い出話や亡くなった時の話をすることで、カウンセリングと同じ効果が得られる。それも次から次へと訪れる故人と親しかった人との対話が、悲しみを癒すのに必要なのである。家族葬にして通知もせず、弔問客がなくて故人の話ができないと悲しみやトラウマがずっと残るだろう。

生前に故人と関わった人々に訃報の知らせをして、通夜や葬儀に弔問にきてもらい、さらには精進落としにも参加してもらい、故人の思い出話や亡くなった経過などを話すのは、遺族としては辛いものである。しかし、長年に渡りこのような慣習が作られてきたのには、深い意味がある。遺族の深い悲しみを癒すのに、こういうしきたりが必要だったのである。元々、通夜と葬儀をすることに長い時間をかけるのは、遺族の悲しみを癒す効果があるからと言われている。葬儀や弔問を簡素化してしまうのは、遺族の悲しみがいつまでも続き、ずっと癒せなくなる危険性が高い。したがって、故人ロス症候群を防ぐ為にも、従来のような葬儀・告別式をすることを勧めたいと考える。

悲劇のヒロインから抜け出す為に

幸福な人生を歩もうと思いながら、どうしても不幸な生き方になってしまう人がいる。自分で不幸を望んでいる訳ではない。それなのに、何故か不幸を招いてしまう人がいるのだ。そういう人は圧倒的に女性が多い。つまり、悲劇のヒロイン役を演じてしまう女性が多いのである。しかも、高学歴で教養も高く聡明な女性ほど、自分の人生は不幸だと思っているケースが多い。人生における最良のパートナーにも恵まれず、持っている才能を発揮することも出来ずに、職場でも不遇なことが多いというのは実に不思議である。

悲劇のヒロイン役を自ら望んで演じたいと思う女性なんている訳がない。誰だって、幸福な人生を歩みたい。それなのに、大切な人生の岐路で選択を間違ってしまい、悲劇の主人公のような人生を引き寄せてしまうのである。一方、いつも幸福なヒロイン役を演じ続けている女性がいる。人生の岐路に立った時に、迷わずに自信を持って選んだ道を進み、幸福な人生を歩み続ける。例え一時的には不幸な目に遭っても、それを自分の試練だと思い、けっしてひるまず逃げずに乗り越えて、結果として幸福な人生を引き寄せてしまうのである。

悲劇のヒロインになるのか、それとも幸福なヒロイン役を演じるかのその違いはなんであろうか。運が良い悪いかの単純なものではない筈である。悲劇のヒロインになることを、生まれついた時から決められているなんてことはけっしてない。幸運な人生を歩むのか、それとも不運な人生を歩むのかは、その人の生き方によって決まると言ってよいだろう。幸福になるかどうかは、すべて運命で定められているとすれば、努力しても無駄だということだ。しかし、幸福な人生を歩んでいる人は、自ら幸福を引き寄せる生き方をしているとしか思えないのである。

松下幸之助氏は、入社試験の面接時に必ずこんな質問を受験者にしたという。「あなたは自分の人生を恵まれていると思うか」と問うた。「恵まれた人生です」と答えた人は採用し、「恵まれていません」と答えた人は、けっして採用しなかったと言う。何故、松下幸之助はそんな質問をしたかというと、幸運だと思う人というのはそうなるように努力しているし、不幸だと思う人はその状態に甘んじていると見たらしい。また、恵まれているという人は、自分が周りの人々に尽くしているから、多くの人に好かれて支えられ、いざという時に周りから助けられるのだと説いていた。

悲劇のヒロイン役を演じている人を見ていると、まさしくそんな人生を引き寄せているとしか思えない。悲劇のヒロイン役を自ら演じていることで、安心しているように見えるのである。そんな馬鹿なことはない、自ら進んで悲劇のヒロイン役を演じる訳がないと反論するかもしれないが、自分が不幸であることに満足しているのである。いつも自分が不幸になるかもしれないという不安や恐怖感に支配されていて、幸福である状態にいると逆に不安になる。だから、いつも不幸になることを予想してしまう。それが不幸を現実化させてしまうのだ。

人間の脳というのは、不思議な働きをしてしまう。オキシトシンホルモンという安心ホルモンの分泌が少ない人は、いつも不安感に支配されている。そうすると、自分は皆から嫌われてしまうのではないか、攻撃を受けてしまうのではないか、不幸になってしまうのではないかという恐怖感で心がいっぱいになる。こういう不安や恐怖感が強いと、無意識下の脳は思わず不幸な人生になる言動をさせてしまうのである。または、不幸になってしまうという不安から、あまりにも自分の幸福を願う為に、他人の幸福に寄与することを忘れてしまうのだ。そうすると、周りの人々から嫌われてしまい、支えられず応援されず孤立するのである。

このオキシトシンホルモンの分泌が少ない人というのは、親やパートナーとの正常な愛着が結ばれていない人である。愛着障害を抱える人は、どうしてもオキシトシンホルモンが不足しがちになる。不安定で傷ついた愛着を抱えている人は、悲劇のヒロイン役を演じる傾向が強い。いつも悲劇のヒロイン役を演じてしまう人は、愛着障害を疑ってみるほうがよい。悲劇のヒロイン役を演じないようにするには、愛着障害を癒すしかない。適切な愛着アプローチを受けることで、見事に悲劇のヒロインから脱却することが可能になるに違いない。

家族愛と絆が問題の根源である

あなたの家庭は深い愛と強い絆で結ばれていますか?と問われて、充分に家族愛で満たされて絆が強いですと、胸を張って答えることができる家庭はどれほどあるだろうか。家族の中で、父親だけは絆があると答えるケースがあるかもしれない。しかし、母親と子どもは我が家に強い家族の絆がないと答えるのではなかろうか。現代の家庭環境においては、溢れるほどの家族愛で満たされて強い絆で結ばれた家庭は、殆どなくなってしまったのではないだろうか。それほど、家族の絆は希薄化し劣悪化してしまったと思われる。

家族の絆が薄くなってしまうと、いろんな問題が起きる。家族の関係性が薄くなくなると、お互いに支えあう関係もなくなり、家族はバラバラの状態になってしまう。そうなると、夫婦はもちろん親子の信頼関係もなくなり、家庭崩壊または機能不全家族になるケースもある。家族の絆が希薄化してしまった家族は、やがて大きな問題を抱えることになる。不登校、ニート、ひきこもり、家庭内暴力、様々な依存症(アルコール、薬物、ギャンブル、買い物、ゲーム)メンタル疾患、メンタル障害、離婚などが起きてしまうことになる。

家族愛が豊かにあれば、家族相互間に豊かな愛着が育つ。家族愛がなくなってしまうと、愛着が不安定になり傷つき、やがて愛着障害を起こす。この愛着障害は世代間連鎖を起こすから、祖父母から父母に、そして父母から子へと引き継がれていく。愛着障害の子はやがて、うつ病や双極性障害などの気分障害、発達障害、パーソナリティ障害、強迫性障害、摂食障害、妄想性障害、依存症などを発症する。強烈な生きづらさを抱えるが故に、社会への不適応も起こしてしまう。だからこそ、家族愛がなによりも大切だということである。

どうして家族愛が不足しているのだろうか。豊かで正常な家族愛がなくなってしまった原因は何かというと、家族間において互恵的共存関係が薄らいでしまったからだと思われる。家族の間で愛を分かち与え合うのでなくて、愛を求め合う関係になっていると思われる。本来は、家族どうしがお互いの考え方や生き方を尊重し合い、家族お互いの心の豊かさや幸福の実現を願い、そのために自分が犠牲になっても良いという覚悟で向き合う必要がある。ところが、反対に自分が愛されたい、幸せになりたいと思ってしまう傾向が強い。これでは正常な家族愛が育つ筈がない。

とかく人間というのは、相手の考え方や生き方を自分の価値観に合わせたいと思うものである。周りの人が自分と同じような考え方や言動であれば、ストレスなく生きられるからである。家族であるからこそ、余計にそう思ってしまうものらしい。そして、親というのはついつい子どもを見下してしまい、自分の支配下に置きたがるものである。または、夫は妻を自分の所有物のように勘違いしてしまう傾向がある。妻や子の尊厳を認め、その考え方や生き方に対して介入することや余計な干渉をすることなく、そっと見守るような態度を父親はとるべきである。ところが、実際には妻や子を支配し制御したがる父親が多いのである。

本来のあるべき家族愛を高めるには、相手が主体性、自主性、自発性、能動性、責任性などを育めるように、共感的メンタライジング能力を発揮して寄り添う必要がある。それなのに、まるっきり正反対の対応を家族にすれば、家族愛は育つ筈がない。ましてや、父親とは家族全体の幸福や豊かさを実現するために、自分の犠牲を厭わない態度が求められる。さらに家族全体の安全基地としての機能を発揮するべきである。そうじゃないと、家族は精神的な拠り所を失い、不安になって生きる勇気を持ちえない。妻は、安心して母性愛を子どもに注げなくなるのである。

現代日本の父親の多くは、家庭を顧みず仕事に没頭し過ぎてしまい、家族の拠り所(安全基地)になりえていない。妻や子どもが主体性や自発性などを発揮できるように、共感的互恵関係を確立して豊かな家族愛を注ぐべきなのに、逆に介入や干渉をし過ぎて妻や子の自己組織化を阻害してしまっている。これでは、豊かな家族愛が育まれる筈がない。家族間の互恵的関係性が希薄化して、家族愛が失われてしまったから、家庭内の様々な問題が顕在化してしまったのである。家族を大切に思い、お互いの尊厳を認め合い、家族愛を高め合うようなライフスタイルを確立したいものである。

ゲーム障害(依存症)を克服する

ゲーム依存症という精神疾患の医学的診断名は、正式には存在しなかった。つまり、病気としては認めていなかったのである。ところが、WHOは『ゲーム障害』という名前の精神疾患として認定することにしたという。今後、ゲームに依存し過ぎて、長期間に渡り通常の生活に影響を及ぼすような状況にあると、ゲーム障害と診断されることになる。今までは単なる依存の一形態だというとらえ方で、医学的治療の対象とはならなかったが、今後はゲーム障害という正式な診断名が付いて、医学的なケアを受けられるということになる。

今まで、ゲームに依存し過ぎてしまい、ひきこもりになったり学校や職場に行けなくなったりする若者や中年は多かった。我が子がそういう状況に追い込まれても、親はどうすることもできなかった。なにしろ、病気でもないから病院にも連れて行けないし、誰にも相談することができないから、悩み続けるしかなかった。今後は、病気なのだから精神科クリニックか心療内科で診察やカウンセリングを受けることが出来るようになった。しかしながら、ゲーム障害を本人は病気だと認めないし、医療レベルで治すのは非常に難しいと言えよう。

ゲーム障害を医療レベルで治すのが何故難しいかというと、現代の精神科領域における投薬中心の医療では、ゲーム障害を乗り越える治療をすることは不可能に近いと言える。他の薬物依存やギャンブル依存などの依存症においても、精神医療の対象としてやっかいなものはないのである。依存症の治療に対して、ほとんどの精神科医は及び腰になってしまう傾向がある。何故なら、依存症を完全に治癒させる方法が見当たらないのである。ましてや、ゲーム障害が深刻な病気だという認識がないから、治療に真剣にならないことが多い。

ゲーム障害になるそもそもの原因を、精神科医、またはカウンセラーやセラピストが正確に把握しているとは思えない。新しい依存症であるから、研究の成果も上がっていないことから当然なのかもしれない。これから、ゲーム障害について研究が進めば、原因も解明されてくるかもしれないし、治療法も確立されてくるであろう。しかし、現在ゲーム障害に陥っている我が子を何とか救い出そうと悩み苦しんでいる保護者にとっては、一刻も待てない状況に違いない。ゲーム障害は、当事者が病気だという認識がないから深刻なのである。

ゲーム障害は疾病であるが、その原因は脳の異常によるものではないかとみられている。前頭前野という理性を司る脳分野があるが、ゲーム障害の人はその前頭前野の機能が著しく低下しているらしい。やってはならないと思いながら、ついついゲームにのめり込んでしまうという。依存症の人たちは、感情のコントロールが苦手であることが多い。不安感や恐怖感も強く、五感の強い刺激に敏感で傷つきやすい傾向がある。安全な居場所がないと思う人が多く、満たされない思いに支配されていることが多い。だから、ゲームにしか喜びを見いだせないし、ゲームをしている時だけ不安を忘れられるから、のめり込むのであろう。

どうして脳の異常が起きるのかというと、オキシトシンホルモンの分泌低下とセロトニンの分泌低下が起きていると思われる。特にオキシトシン不足からいつも不安感や恐怖感にさいなまれていて、自分にとって安全な居場所がないと感じている。苦難困難にぶつかると乗り越える勇気が持てないから、ゲームに逃げ込んでしまうのだと思われる。ゲームにのめり込んでいる時間だけが、不安や恐怖から解放される。または、満たされない思いや誰からも愛されていないという思いから、ゲームをしている時だけ心が満たされると勘違いするのかもしれない。強烈な孤独感に陥っていることも多い。ゲームをしている時間だけが、自分の幸福だと思い込むのだろう。

このようなオキシトシンホルモンの分泌低下が起きるのは、愛着に問題があるからだと思われる。親との愛着が傷ついていたり不安定になっていたりすると、オキシトシンホルモンの分泌が低下してしまう。すると、いつも不安感や恐怖感が高まっている状況になり、自分にとって乗り越えることが難しい課題が起きると、ゲームに逃げ込んで依存することになる。つまり、ゲーム障害になるそもそもの原因は、愛着障害なのではないかと思われる。そうだとすると、ゲーム障害を乗り越えるには適切な愛着アプローチが有効だということになる。ゲーム障害に陥っている当事者とその母親などの家族に対して、適切な愛着アプローチをすることで、ゲーム障害を克服できるのではないだろうか。

※我が子がひどいゲーム障害のために、生活に支障を来していて、とても困っている保護者がいましたら、是非「イスキアの郷しらかわ」にご相談ください。問い合わせフォームからまずは相談の申し込みをしてください。

8050問題を解決する方法

8050問題が、マスメディアで盛んに取り上げられたこともあり、注目されている。川崎市登戸無差別殺傷事件や元農水省事務次官の長男殺人事件が、ひきこもり関連で起きたことから、中高年のひきこもりが話題になったと思われる。80代の高齢者が50代の中高年ひきこもりを養育しているという家庭が急増しているという。内閣府の調査で40歳~64歳のひきこもりが61万人もいることが判明した。15歳~39歳のそれは54万人で、ひきこもりの実に6割が中高年だということになる。これは将来においても、由々しき大問題である。

中高年のひきこもりの子どもを抱えている親たちは、ひきこもりだと認めたがらない。当事者自身もひきこもりだと認識していないことも多い。したがって、内閣府によるひきこもりの調査に、ひきこもりの多くはカウントされていないと思われる。おそらく、調査で明らかにされた数の約2倍の200万人がひきこもっているのではないかとみられている。仕事をしていない訳だから、健康保険と年金にも加入していないし、収入もなくて親に養われている。親が高齢になり老齢年金しか収入がなくなると、生活困窮家庭となってしまう。

8050問題を放置して解決しなければ、健康保険制度や年金制度が破綻しかねない。ひきこもりを続けている人たちは、生活保護を受給するようになり、国家財政をひっ迫させる恐れもある。働かないで公的扶助を受ける人が多くなれば、日本経済は低迷するかもしれない。日本の経済的損失は、多大なものになる。ひきこもりも50歳という年代になると、ひきこもりを解決しようとせず諦める。ひきこもりになる原因が親子の愛着に問題があるのだから、親があまりにも高齢になると親子の愛着を再構築することが不可能になるのだ。

だからこそ、ひきこもりの親子が8050にならないうちに、愛着障害を解決してひきこもりを乗り越えなければならないのである。ひきこもりになっている子どもは愛着障害であるが、その親もまた愛着が傷ついているので、親子共に傷ついた愛着を癒す必要があるのだ。しかも、ひきこもり当事者の愛着障害を癒すためには、その親の不安定な愛着を安定したものに変えることが、一番効果があると言われている。となると、親が80代になってしまうと不安定な愛着を安定した愛着に変えることが非常に難しくなってしまうのである。

ひきこもりになっている親の傷ついている愛着をどのように癒すのかというと、それは愛着アプローチという方法が取られることが多い。この愛着アプローチという方法をとる場合、父親よりも母親のほうが有効になるケースが圧倒的に多い。男性というのは、考え方に柔軟性がなくて、謙虚さや素直さがない人が多いせいかもしれない。そういう意味では、女性は考え方に柔軟さがあるうえに、謙虚さもあるし素直な気持ちなので、愛着アプローチを受け容れやすいのだろう。特に年齢を重ねているせいもあるが、男性は頑固で人の話を聞かないから、支援が難しいと言える。

さて、この愛着アプローチによって傷ついた愛着を癒すのであるが、この愛着アプローチ療法を施すセラピストのメンタライジング能力が問われる。つまり、メンターとしての資質が必要とされるのである。そして、カウンセラーやセラピストというのは、不思議と自分も傷ついた愛着を抱えながら大人になっていることが多い。そして、その不安定な愛着を乗り越えたセラピストが優秀なメンターとなれるのである。傷ついた愛着を癒すことが出来るメンタライジング能力も高いが、自分も辛い経験をしたことから共感力が非常に高いのである。

ひきこもりをしている当事者に対して愛着アプローチができるケースは、残念ながら極めて少ない。ひきこもり当事者と親を含めたオープンダイアローグによる愛着アプローチが、とても有効だと思われるが、ひきこもり当事者が拒否する例が多い。ひきこもりの母親への愛着アプローチが、何故効果があるかというとこういう理由からだ。ひきこもりで苦しんでいる我が子を何とかしようとして、母親は孤軍奮闘している。そして、なかなかひきこもりが解決できずに、孤独感と絶望感に打ちひしがれている。そして、母親にとっての安全基地が存在せず、不安感や恐怖感がマックスになっている。その母親に適切な愛着アプローチをして、安全基地としての機能を発揮してくれる人物がいてくれたら、母親の気持ちは安心するし、愛着が安定する。そうすると、自分自身が我が子の安全基地としての機能を持てて、子どもの傷ついた愛着を癒せるし、やがてひきこもりから抜け出せるようになるのだ。

※「イスキアの郷しらかわ」では、ひきこもりの子どもを持つ母親のサポートをしています。我が子に対する愛着アプローチの仕方、またはメンタライジング能力を高める研修をしています。母親が我が子の安全基地としてなれるような支援をすると共に、安全基地としての機能をイスキアとして発揮させてもらいます。まずは、問い合わせフォームからご相談ください。

夫の定年後に迎える妻の最悪の日々

夫が定年退職を迎えて自宅に居るようになると、二人で一緒に毎日過ごせるようになる。そうなれば二人で過ごす毎日が充実して、妻も喜ぶかと思っていた。しかし、そういう妻は殆どいなくて、毎日が地獄のように感じる妻が大半だという。信じられないことであるが、夫の定年後に一緒に居ることが、最悪だと思っている妻がとても多いのである。どういうことかというと、毎日のように夫が家にいると、妻はストレスが溜まる一方だという。夫がいない平日の昼間は自由気ままな暮らしだったのが、定年後は出来なくなるからである。

夫は、家族のために定年まで頑張って身を粉にして働いてきた。大企業や官公庁で働いた人は、年金も十分に支給されるし蓄えだってあるから、無理して働くこともないと再就職する人は少なくないらしい。それでも、趣味や市民活動に精を出す人ならまだ救われるというが、趣味や友達もなくて、毎日出かけず家にいて、テレビを観たりレンタルビデオを観たりして過ごす夫なら最悪である。どういう訳か、いつも妻と一緒に居たいと思うらしい。妻が一人で出かけるのを嫌がるし、外出する時は一緒に出掛けたいと主張するらしい。

一緒に買い物に行くと、夫に時間をせかされるしこんなものを買ってと批判される。外食をすると、家の食事のほうが旨いだの、この料理はどこそこのレストランと比べると格段に味が落ちるだのと批判的コメントを垂れ流す。食材や調理法の蘊蓄を、料理の前で延々と聞かされたら食べたくなってしまう。洒落たレストランの雰囲気だって壊されてしまう。男という生き物は、妻の気持ちを逆なですることに、実に長けているらしい。スーパーに買い物に行くと、食材を買うたびに細かく口出しをする。一緒に出掛けたくないと思うのも当然だ。

一緒に旅行すると、もっと最悪な雰囲気になる。妻がここに行きたいとか、こんな所を見学したいと言っても、夫はそんな所に行って何が面白いのか、何がいいんだと否定的発言をしがちだ。男と女の興味を持つことが違うし、どのように過ごすことで満足するかが、そもそも違うのである。女性は感性やイマジネーションを大事にしたいが、男性は何でも科学的に分析的に物事を見がちである。だから興味を持つ対象も違うことが多い。そういった際に、妻に寄り添い共感できる夫なら、妻の望むようにする。しかし、そんな夫はいない。

家に居る時だって、雰囲気は最悪である。テレビのチャンネル権は、殆ど夫が握る。妻は、韓流の恋愛ドラマが大好きである。または、人間ドラマやイケメンが出演するドラマを観たがる。ところが、夫はアクションドラマ、ビジネス番組、歴史ドラマ、スポーツ番組、SFものが大好きである。当然、自分の観たい番組しか観ない。たまには、妻の好きな番組に付き合うという優しい旦那はいない。少しは、家事を手伝う気持ちでもあれば嬉しいが、居間のソファーにでーんとふんぞり返って、何もしてくれない。家事の邪魔になるだけである。

夫が仕事で不在の時は、友達と女子会ランチに行って、おしゃべりしてストレス解消ができていた。しかし、夫が家にいると、もう年金生活なんだから、女子会ランチなんてそんな無駄なことは止めろと制限する。女性同士で旅行することも認めてくれない。自分と一緒に行けばいいのだから、妻だけで旅に出ることを認めようとしない。趣味の会やフィットネスクラブに外出しようとすると、もうそんな余裕はないんだと止められる。こんな奴隷のような生活を夫から強いられることが、実に多いというから最悪である。イプセンの人形の家という戯曲があるが、あの主人公ノラのような生き方をさせられる。たまったものではない。仕事をしている時なら、少しは自由があったのに、まったく自由がなくなるのである。

こういう生活を強いられたら、妻は間違いなく夫原病になってしまう。こんな夫であれば、妻はどうすれば良いのだろうか。こういう時は、夫に対してショック療法をするに限る。離婚を切り出すしかないであろう。なにしろ、こういう夫は、言って聞かせて態度が変わることは期待できない。勿論、本気ではない。一種の賭けでもあるが、安心して良い。離婚するしかないと言われて、夫は本当に離婚することはしない。一人になって困るのは、圧倒的に夫だからである。夫と妻の年金支給は合算して折半することが出来る。財産はどちらが稼いだとしても、不動産の名義が夫であってとしても、すべて折半なる。そうなれば、夫は離婚したら財産が半減するし、生活が困るのだから、離婚するのが惜しくなる。試しに、家裁に調停を受けたいと言って実際に相談するくらいの脅しをかけてみるのもよいだろう。

またも児童相談所の怠慢で

札幌でまた虐待死事件が起きてしまった。2歳の詩梨(ことり)ちゃんが衰弱死をした事件である。勿論、この母親と交際している男性が暴行を繰り返して虐待やネグレクトをしたことが、この虐待死に繋がったのは間違いない。それにしても、問題なのは児童相談所の対応の拙さである。3度も虐待しているとの通報がありながら、虐待とは見られないとの間違った判断をして、みすみす詩梨ちゃんを死なせてしまったことは言い訳できない失態である。児相が的確な判断をして、適切な保護をしていれば救えた命なのである。

虐待の報告を受けたら、児相は親と本人に面談をすることになっている。しかも、虐待が疑われる際には48時間以内に、たとえ面談を拒否されたとしても、内部介入する規則が設けられたばかりなのである。2回目の通報で、この定めを実行すべきなのに、児相が怠ったことでこんな悲惨な事件が起きてしまったのだから、児相の罪は大きいと言わざるを得ない。大切な幼な子の命が奪われたというのも悲惨であるが、母親に我が子殺しという大変な罪を背負させてしまったという責任も大きいと言えよう。児相の職員は何をしていたのだろう。

児相の職務怠慢によって、幼い子どもが犠牲になったという事件は枚挙にいとまがない。もう少し丁寧な対応をしていれば救えた命がたくさんあるのだ。いくらマンパワーが不足しているとは言え、緊急避難的に救い出さないといけない事案は、最優先的に実行すべきだ。児童相談所の人員が圧倒的に不足しているという状況を勘案したとしても、子どもの命を守れていない児相の怠慢さは問題があろう。こんなにも児相の問題が提起されているのにも関わらず、その運営における抜本的な改善がされていないのは何故だろうか。

児童相談所が子どもたちの命を守れていない理由は、第一に業務量が急増しているのに職員数が絶対的に不足していることがある。虐待通告を受けても、満足に調査ができえる人員配置がされていないのであろう。二つ目の理由は、児相の相談業務のマネジメントができていないということである。児相の所長を始めとした管理者が、職員の業務の管理と指導をしていないと思われる。三つ目の理由は、相談員の業務遂行能力不足とメンターとしての資質が不足している点だ。虐待を見抜く洞察力がなく、保護者を指導する力量がないと思われる。

児童相談所の職員が不足しているという問題は、以前より各界から指摘されているが、それ以上に問題なのは、相談員としての資質を持ち得ている職員が不足していることである。児童相談員とは厚労省が制定した任用資格を取得した人だけがなれる。その資格はあくまでも任用資格であり、地方公務員の採用試験を通ることが前提となる。そして、例外はあるものの殆どが福祉系または心理学系の大学や学部を卒業した学生が相談員として就職している。実は、これが資質不足を呈しているそもそもの原因になっているのではなかろうか。

相談員として必要な資質とは、児童心理学や精神医学の知識、またはカウンセリング能力だけではない。それ以上に必要な資質は、メンターとしての能力である。虐待やネグレクトを受けている子どもは愛着障害を抱えている。そして、その母親や父親もまた愛着障害を抱えていることが多い。その愛着障害を癒したり和らげたりすることが相談員に求められる。メンタライジング能力がないと、愛着障害を抱えている児童や保護者を適切に支援することができない。メンタライジングについての専門的知識を学んだとしても、その能力を持てるとは限らないのである。

誤解を受けずに言えば、福祉系の仕事を目指す学生は、自分自身が傷ついたり不安定な愛着を抱えたりしていることが多い。愛着に問題を抱えている人間が、正常なメンタライジング能力を持つことは、非常に難しいと言わざるを得ない。採用する際に、メンタライジング能力に長けた学生を採用すればいいのだが、面接でそれを見抜ける目を持つ面接官がいるとは思えない。だとすれば、厚労省は児童相談員の任用資格を抜本的に見直してもいいじゃないかと思う。民間企業で社員の教育や指導をしてきた経験を持つ優秀なメンターを採用することを検討してはどうだろうか。企業内で愛着障害を抱えた社員を指導してきた経験が、生かされるに違いない。経験豊富なメンターが、虐待をしている親に適切な愛着アプローチをすれば、親子の良好な愛着を結びなおし、虐待を止めさせることが可能になるであろう。

我が子に愚母と蔑まれ殴られて

農水省事務次官にまで昇りつめた元エリート官僚が、我が子を殺してまったという事件は、世間に衝撃を与えた。しかも、その息子はひきこもりで家庭内暴力を振るっていたというから驚きである。そして、その長男は自分の母親をインターネット上で愚母と書き込んで、殴り倒していたというのだ。自分が生み育てた我が子からこんな仕打ちを受けていたこの母親が、不憫で哀れでもある。さらに、その息子を自分の夫が殺してしまう事態にまで追い詰められてしまったというのは、実に悲しくてやりきれない思いであろう。

このひきこもりの長男は、ゲーム障害の依存症でもあったと伝えられている。家庭内暴力は、中学生の頃から始まったらしいが、その背景には学校での深刻ないじめがあったとも伝えられている。また、作りあげて大事にしていたプラモデルを母親が壊したことをきっかけにして、母親への憎しみから暴力が始まったと言うが、間違って壊したのか敢えて壊したのかは不明である。ともあれ、父親に憎しみや怒りが向かわないで、母親に向いてしまったというのは不思議でもある。思春期の男性は、同性の父親に憎しみが向かうことが多い筈だ。

どうして父親に対して憎しみが向かわなかったのかというと、ひとつは父親が圧倒的な社会的ステータスを持っていて、立派過ぎて立ち向かう勇気が持てなかったのかもしれない。そして、もうひとつの理由は父親が育児や教育に対して無頓着であったか、仕事が超多忙であり我が子と関わる時間的余裕がなかったのではなかろうか。おそらくは、後者の理由が大きいような気がする。東大法学部卒のキャリア官僚であり、入省時から将来は農水省のトップまで到達すると目されていた逸材で、エリート中のエリートであったであろう。当然、エリートコースを歩んだのだから、土日もなく必死に働き、父親不在の家庭だったに違いない。

キャリア官僚の妻というのは、殆どが専業主婦である。良妻賢母として、子育てや家事に専念する。勿論、良家の才媛であったと思われるし、教養学歴も高いであったろうと想像する。父親不在の家庭で、しっかりと家を守り、立派に子どもを育てようと必死に頑張ったと思われる。そして、この育児環境に落とし穴があったのではないかと推測されるのだ。全部が全部そうなる訳ではないが、父親が仕事で忙しくて専業主婦の母親にすべての育児と教育の負担と責任が押し付けられてしまうと、子どもが愛着障害を起こしてしまうケースが多い。

父親が仕事を優先せざるを得ない状況に陥り、子育てのすべてを母親に押し付けざるを得なくなり、母親が育児を頑張り過ぎてしまうと、子どもはいろんな不具合を起こしやすい。本来、父親は条件付きの愛である父性愛を注ぎ、母親は無条件の愛である母性愛を豊かに注ぐという役割分担をするのが通例である。つまり、条件付きの愛である『しつけ』を父親が担当し、厳しく子どもを指導する。母親は、危ないことだけを厳しく教えるが、それ以外については無条件に子どもを否定せず批判せずまるごと愛する。あるがままの子どもを愛し受け容れるのである。

この父性愛と母性愛をかける順序が大切で、まずはたっぷりと母性愛を注いであげて、自我を満足させてあげて、自分がどんなにわがままを言っても甘えても許してくれる存在があるのだと認識することが大事なのである。そして、どんな自分であっても許し受け容れられ、けっして見捨てられることがないという安心感を持つことが肝要である。そのうえで、しつけを厳しく行うのであれば、子どもは素直に聞き入れることができるのだ。そして、どんな苦難困難に遭おうとも、乗り越えられる勇気が持てるようになるのである。さらに、父親は子どもと妻の安全基地であらねばならないし、守護神の役割が求められる。

母親ひとりで子育てをすると、ついつい母親一人で父性愛と母性愛を注いでしまうケースが多い。当然、子どもの正常な自我が育たないばかりか、甘え下手になるしわがままが言えず、インナーチャイルドが虐げられてしまうことになる。母親との豊かな愛着が結ばれず、愛着障害を抱えることが多い。オキシトシンホルモンという安心ホルモンの分泌が阻害されて、いつも不安や恐怖感を抱えて生きることになる。子どもは強烈な生きづらさを抱えてしまい、その捌け口をゲームや食べ物などに求めやすい。依存症や強迫性障害、パニック障害、摂食障害、妄想性障害などの症状や境界性のパーソナリティ障害の症状も抱えやすい。愛着障害は統合失調症や発達障害の症状が出現しやすい。父親が仕事にのめりこみ過ぎて、母親だけで子育てをしてしまい、あまりにも干渉し過ぎると、このような愛着障害が起こるので注意が必要である。

※ひきこもり、家庭内暴力で悩み苦しんでいるお母さんは、「イスキアの郷しらかわ」にご相談ください。どうすればいいのか困っていらっしゃるお母さんをサポートしています。ひきこもり、家庭内暴力の解決をご支援申し上げます。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

一人で死ねばいい

川崎市で起きた小学生の無差別殺傷事件で、事件を起こして自死した岩崎容疑者に対して、SNSやツイッター上で「一人で死ねばいいのに」という書き込みが多数寄せられているらしい。この書き込みに対して、多くの賛否両論があって、情報番組でもコメンテーターが喧々諤々の論戦を繰り広げている。死ぬのは構わないが、罪もない人々を巻き込むのは許せないという思いで書き込んだのだと思うが、そんなことを言う権利があるのだろうかという反論が多い。または、自分の命を自分で奪うという行為を容認し勧めることに疑問を持つ人も多い。

犯人の岩崎容疑者がしでかしたこの悲惨な事件による被害者の方やその家族の方たちの心情を察するに、どうして何の縁もゆかりもない人々を道連れにしたのだろうかと、岩崎容疑者に対して怒りや憎しみの感情を持ってしまうのは仕方ない。岩崎容疑者が自殺してしまったことにより、ぶつける相手がいないことから、やり場のない怒りを抱え込んでしまうに違いない。被害者や家族が「一人で死ねばいい」とついつい思ってしまうのは当然と思われる。しかし、まったくの第三者による死ねばいいという書き込みには、違和感を覚える。

岩崎容疑者が起こした事件は、法的・社会的・人道的にも絶対に許せない非道な行為である。人の命を奪うという行為は、どんな理由があるにしてもしてはならない。当人に問い質せないので、その動機の解明が難しくなっている。報道によると、岩崎容疑者が小学生の時に両親が離婚してしまい、伯父夫婦が養父母になって育てられたという。実子が二人いて、その二人と育児上での差別を受けていたのではないかと言われている。自分が誰からも愛されていないという孤独感と不幸感から、社会に対する憎しみへと変化し、増幅したのかもしれない。

それにしても、「一人で死ねばいい」という投稿が多く、その投稿に共感する人たちがとても多いということに慄然とする。凶悪事件を起こした犯人に同情や共感することはないにしても、岩崎容疑者がそこまで追い込まれてしまった不幸な境遇をどのように感じているのであろうか。けっして許されることではないにしても、当事者本人の自己責任として扱うことに何となく違和感を覚える人もいるに違いない。岩崎容疑者のあまりにも悲惨な養育環境を考慮すれば、もし自分がそんな育てられ方をしたらどうなったのかと、想像できないのが情けない気がする。

自己責任論が独り歩きしていることに、以前から苦々しく思っていたが、あまりにも本人だけにすべての責任を押し付けてはならないように感じる。『三つ子の魂百までも』と言われているように、乳幼児期の育児環境によって、大人になってからの生き方がある程度決まってしまうのは間違いないと思われる。特に、最先端の脳科学や発達心理学の研究によって、脳内神経伝達物質の分泌や脳の発達が、2~3歳までに決定されてしまい、その影響が大人になっても大きく影響することが解明されている。自己責任論で押し切るのは乱暴であろう。

岩崎容疑者の両親は小学生の時に離婚したらしいが、乳幼児期に両親夫婦が毎日のように争いをしていて、怒鳴り声や金切り声をあげていたのではないかと想像する。こういう状況で育てられた子どもの脳は、正常な発達が阻害されてしまう。脳が破壊されてしまうこともあるし、オキシトシンホルモンの分泌が阻害されたと思われる。事情はあったにせよ、どちらの親も彼の育児を放棄したのだから、自分は親から見捨てられたという絶望感が広がったに違いない。岩崎容疑者は、重度の愛着障害を抱えていたと思われる。それが今回の凶悪事件に繋がったと考えられる。過去の無差別殺傷事件の犯人たちとの共通点がここにある。

一度重い愛着障害を抱えてしまうと、自分の努力だけで愛着障害を乗り越えることは殆ど不可能である。家族や第三者からの適切な『愛着アプローチ』がないと、愛着障害を癒したり克服したりすることはできないのである。岩崎容疑者に対して、誰かが豊かな愛情を込めながら愛着アプローチをしたとしたら、こんな不幸な事件は起きなかったかもしれない。または、愛着障害を起こさないような教育をしようという社会的な共通認識があったとすれば、岩崎容疑者のような人間は生み出されなかったと思われる。彼のことを誰かが突然変異だと言っていたが、そんなことはなくて誰でも悲惨な育児環境におかれたら、こういう事件を起こす可能性があると認識すべきだ。「一人で死ねばいい」というような冷たい言葉が横行することもなかったに違いない。

ひきこもりと家庭内暴力を解決する

ひきこもり関連の事件が続いていて、社会に衝撃を与えている。川崎の小学生殺傷事件や元農林事務次官が我が子を殺めてしまった事件が、その加害者と被害者がひきこもりだったという関連性もあり、情報番組でも話題を集めている。様々な専門性のあるコメンテーターが助言しているが、ひきこもりの子どもを抱えている保護者の方たちの心痛は想像以上のものではないかと思われる。特に家庭内暴力をするような攻撃性のあるひきこもりを持つ保護者の心配や不安は極限まで高まっているに違いない。

川崎の小学生殺傷事件の加害者の保護者は、行政の担当者に14度も相談していたらしいが、ひきこもりの若者や中高年者を社会復帰させることを行政で支援する法的根拠はないこともあり、ひきこもりの解決には至らなかった。元農林事務次官も行政の専門家であるから、行政としても無力であることを知っていたに違いない。ひきこもりや家庭内暴力の状況を解決する行政の支援はないし、医療機関や民間の支援も得られにくい。ましてや、ひきこもりの状況をひた隠しにする保護者も多いことから、孤立するケースが多い。

ひきこもりの高齢化が進んでいると言われている。今回の川崎の事件の当事者は51歳であったし、元農林事務次官の長男は44歳であった。ひきこもりは若者に特有のものと思われていたが、中高年のひきこもりが急増しているということだろう。若い時にひきこもってしまい、それが解決されずに高年齢化してしまったというケースが多いと思われる。ひきこもりという状況に一度なってしまうと、社会復帰が極めて難しいということが解る。誰にも相談できず、家族だけで苦悩しながら生活しているという実態が浮き彫りになる。

このようなひきこもりや家庭内暴力を解決するための支援する民間施設がまったくない訳ではない。ネットで検索すれば見つからない訳ではない。民間の営利企業が入所しての社会復帰支援施設を経営しているところもあるし、NPO法人や市民活動団体が活動しているケースも増えてきている。しかし、ひきこもりや家庭内暴力をしている保護者がそういう施設やセンターに連れて行こうとしても、当事者は頑として受け付けないであろう。自分が悪い訳ではないと思っているし、厄介者として扱われるのを嫌うからである。

テレ朝の情報番組に出演していた家族再生センターの所長と名乗る人物が、家庭内暴力のケースにおいては、警察に通報して傷害罪として立件してはどうかとアドバイスしていたが、愕然としてしまった。確かに、緊急避難的に家庭内暴力を振るう当事者と振るわれる人を一時的に引き離す行動は必要かと思うが、それで問題は解決しないばかりか、益々こじれてしまうに違いない。何故なら、ひきこもりや家庭内暴力が起きる原因は、そもそも家族関係にこそ問題の根源があるのに、当事者を見捨てるような行為は、関係性を益々損なうであろうに違いない。

ひきこもりや家庭内暴力が起きるすべての原因は、愛着障害にあると言っても過言ではない。特に親と子の絆が希薄化もしくは劣悪化しているケースが殆どである。しかも、子どもの両親の夫婦関係も希薄化していることが多いし、家族の関係性が非常に悪いのである。子どもの愛着が傷ついているし不安定化しているから、ひきこもったり家庭内暴力を振るったりするのである。言わば、家族崩壊の危機的状況に陥っていると思われる。そして特徴的なのは、愛着障害の子どもを持つ母親もまた傷つけられて不安定な愛着であることが多いのである。

愛着障害は世代間連鎖をしやすい。祖父母が愛着障害を抱えているケースでは、父母もその子も愛着障害であることが多い。そして、どういう訳か愛着障害どうしが結婚する場合が多いのである。こういう場合、その夫婦関係が最悪であり夫婦喧嘩が子どもの前で繰り広げられ、最悪の場合は離婚をしてしまう。川崎殺傷事件の加害者の両親は離婚していた。元農林事務次官の長男は、母親との関係性が非常に悪く、暴力を振るう対象者は母親だったらしい。母親に対して適切な愛着アプローチがあれば、こんな不幸な事件にはならなかったに違いない。ひきこもりや家庭内暴力は、当事者と親に対して適切な愛着アプローチさえすれば、愛着障害を克服できるし社会復帰が可能になるのである。

※イスキアの郷しらかわでは、ひきこもりや家庭内暴力を解決するための支援をさせてもらっています。根本的な原因としての愛着障害を癒す「愛着アプローチ」を実施しています。特に母親への愛着アプローチこそが、劇的な効果を生み出すケースが多いようです。ひきこもりや家庭内暴力で悩んでいる方は、まずは問い合わせフォームからご相談ください。