チェ・ホソンがゴルフの常識を変える

先日開催されたゴルフのカシオワールドオープンで、韓国人プロゴルファーのチェ・ホソンが優勝した。このトーナメントには内外のトッププロが参加しているので、優勝するには非常にハードルが高い。この歴史ある大会で優勝して、優勝賞金4,000万円を獲得したのである。このチェ・ホソンプロの優勝を、TV各局のワイドショーでこぞって取り上げている。何故かというと、このチェ・ホソンのゴルフスィングが独特だからだ。まさしく踊るようなスィングをする。今までのゴルフ理論からすると、あり得ない姿なのである。

なにしろ、まずスタンスが独特である。とんでもない方向を向いてスタンスを取る。極端なクローズドスタンスだ。そのまま真っすぐボールが飛んで行ったら間違いなくOBになる。さらに、スィングをし終わってフォロースィングがとんでもない動きをする。左足1本でくるっと回るのである。しかも、1回転してから左に身体を傾けたり右に傾けたりして、飛んだボールを見守る姿は、ふざけているとしか見えない。左足で回転してクラブを振り回す姿は、まるで釣り人のよう。自らフィッシャーマンズスィングと命名する。

チェ・ホソンは、スィングも特徴的であるが、そのプロフィールも他のプロゴルファーと違っている。最近のプロゴルファーは、ジュニア時代から指導を受けている。小学生から英才教育を受け、ゴルフ部のある名門高校を卒業してプロになるか、または大学でゴルフ部を経てプロになるのが通例だ。そして、プロになってからも誰かに師事するケースが殆どである。一匹狼的なプロは皆無である。ところが、チェ・ホソンは誰にもコーチを受けずにプロになったのである。しかも、25歳からゴルフを始めたというから驚きだ。

彼は水産高校を卒業後、水産加工工場に就職し魚の解体と調理をしていたという。20歳の時にマグロを解体していた時に右の親指を切り落としてしまったという。移植手術を受けたものの親指は短くなり、微妙な業務が出来なくなり離職したらしい。それで、いろんな職業を転々として、ゴルフ場のアルバイト募集広告を見つけて、人生の転機が訪れた。最初はクラブ磨きなど下働きをしていたが、社長からゴルファーの気持ちを理解する為に全員ゴルフを覚えるようにという指示を受けて、彼のゴルフ人生が25歳から始まった。

実際にゴルフを始めると、水を得た魚のように生き生きとした生活になった。毎日ゴルフ場の営業終了後から午後11時まで、黙々と練習に励んだ。誰からもゴルフ理論を教えられなかったから、独学でゴルフを学んだ。めきめきとゴルフの腕前が上達して、あれよあれよという間にプロに転向した。ところが、若い頃からゴルフをしていた訳ではないこともあって身体が固くて、しかも年齢も盛りを過ぎていて、ボールの飛距離が他のプロよりも圧倒的に劣っていた。それを克服するために編み出したのが、あの独特なスィングだった。

このスィングをしてから、飛距離が飛躍的に伸びた。ましてや現在45歳なのだが、このスィングが進化した2年前から、以前と比較して15ヤード飛距離が伸びているのだ。このフィッシャーマンズスィングは、ゴルフの基本理論からするとあり得ない。解説者やコーチたちは、揃って言葉を失う。しかし、これだけの実績を残しているのだから、けっして間違っている訳ではない。飛距離が落ちてきたシニアゴルファーにとっては、このスィングを取り入れるのもありだと言わざるを得ない。科学的に考察すると、柔軟性がなくなり筋力の落ちたアマチュアにとって、実に理想的だということが判明したのである。

まず、ゴルフのスィングはなるべく真っすぐに振るほうが良いと思っているアマチュアが多いが、間違いである。スィングは円回転であるから、真っすぐに振れないのだ。そして、円回転だから回転軸がぶれると、スィングスピード(球速)は落ちて、ボールは飛ばなくなる。左ひざや左腰に壁を作って円回転をさせないと、ヘッドスピードは低下する。チェ・ホソンのスィングは、左足1本で回転するから軸がぶれない。しかも、フォロースルーがスムーズで大きくなる。極端なクローズドスタンスは、身体が固い人でもバックスィングで肩がスムーズに回るから、スィングアークも大きくなる。クローズドスタンスでも回転軸が左足だから回転がスムーズだ。自分でも試してみるとよく解る。私も試してみたが、距離が10ヤード以上伸びるし、飛ぶ方向も安定する。チェ・ホソンのスィング理論が多くのシニアゴルファーから受け入れられ、ゴルフの常識が変わることであろう。

 

※このチェ・ホソンのフィッシャーマンズスィングは、飛距離の落ちてしまった女性やシニアゴルファーには最適ですが、柔軟で筋力のある若いゴルファーにはお薦めできません。そして、身体は硬くても、心が柔軟で柔らかい感性を持ってないゴルファーには向かないと思います。さらに、このスィングは器用でないと真似できませんから、自分は不器用だと自認する人もマスターするのは難しいと思います。チェ・ホソンは、常識を疑い自分の柔軟な感性と直観を信じたからこそ、このスィングを開発できたのでしょう。彼の素晴らしいファンサービスにエールを送りたいと思います。

自分の目で自分を見る

「僕らは奇跡でできている」というTVドラマで歯科医の水本先生がこんな台詞を言うシーンがある。「私は自分を自分の目で見ずに、いつも他人の目を通して自分を見ていた」と語り、いつも自分をいじめていたとも言い付け加える。これには伏線があり、主人公の高橋一生演じる一輝が水本先生に、「自分をいじめているんですね」と言われていたのである。人は、自分を自分の基準で評価せず、いつも他人による評価を気にしている。だから、必要以上に自分を大きく見せたりする。あるがままの自分を認め受け容れられないのだ。

人間という生き物は、動物と違い苦しい生き方をするものだ。他人が自分をどうみているかとか、他人からの評価をどうしても気にするものである。他人からの自分に対する批判を耳にすると、落ち込んでしまうし自分を責めてしまう傾向がある。自分の評価を自分ですればいいのだが、小さい頃からの習い性で、どうしても他人の評価を優先させてしまうものである。これは欧米人よりも日本人のほうが、陥りやすい落とし穴みたいである。何故かと言うと、日本人はアイデンテティの確立をしていないからではなかろうか。

アイデンテティとは自己証明と訳されている。他人が自分をどう見ようとも、自分は自分であり、他人の見方によって自分が変わることはないという自己の確立のことである。自分らしさとか、自分が自分である自己同一性とも言える。揺るがない自己肯定感を得るには、このアイデンテティを確立しなければならない。この自己同一性を持つ日本人が少なくて、欧米人が多い傾向があるのは、その信仰心による影響ではないかとみている人も少なくない。江戸時代は殆どの市民が自己の確立をしていたが、明治維新後に激減した。

何故、明治維新以降に自己の確立が出来なくなったかというと、近代教育のせいであろう。明治維新後に国家の近代化を推し進めようとした明治政府は、西郷隆盛を政治中枢から追い出して、欧米の近代教育を導入した。西郷隆盛は、欧米の近代教育導入は国を滅ぼすことになると頑迷に反対していたが、大久保利通らが無理やりに導入してしまったのである。この欧米型の近代教育とは、客観的合理性の教育であり、自分を自分の目で観るという内観の哲学を排除したのである。いつも自分を他人の目で見る思考癖を持ってしまった。

明治維新以後に欧米型の近代教育を受けた人間は、あるがままの自己を認め受け容れることを避けるようになった。自分にとって都合の良い自己は認め受け容れ、誰にも見せたくない醜い自己はないことにしてしまっている日本人が多い。つまり、他人の目をあまりにも気にするあまり、自分の恥ずかしくて醜い自己を内観することを避けてしまったのである。欧米人が日曜ミサや礼拝において、神職の前で醜い自己をさらけ出して、あるがままの自己を確立するプロセスを歩んだのと、あまりにも対照的である。

身勝手で自己中で、自分だけが可愛くて歪んだ自己愛の強い醜い自己を持つ日本人が異常に増えてしまったのである。だから、自己愛の障害を持つ人間が多いし、揺るがない自己肯定感を持つ人間が少ないのであろう。ましてや、主体性や自発性、責任性などの自己組織性を持つ日本人も極めて少なくなってしまった。これも、日本の近代教育の弊害とも言える。日本の教育における多くの問題の根源も、近代教育の悪影響であると言えよう。家庭における虐待や暴言・暴力、夫婦間の醜い争い、親子間の希薄化した関係性、パーソナリティ障害の多発、愛着障害の多発生、それらのすべての発生要因は、自己の確立が出来ていないことに起因していると言えよう。

あるがままの自分を自分の目で見ることは、ある意味怖ろしいことである。醜い自己を自分の心の中に発見したら、自分を否定することになるからである。だから、誠実で素直な内観を避けたがるのであろう。他人の目で自分を見ていたほうが楽であるし、自分の醜い自己を見なくても済むのである。しかし、これではいつまで経ってもアイデンテティの確立は出来ない。この自己マスタリーという行為を成し遂げないと、一人前の人間として欧米人は認めない。欧米人から最近の日本人が信頼されにくくなり尊敬されなくなったのは、アイデンテティの確立をしていないからである。もう、他人の目で自分を見るのは止めて、あるがままの自分を自分の目でみようではないか。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、あるがままの自己を認め受け容れる自己同一性を持つための研修をしています。この自己マスタリーを学ぶ勉強会を、ご希望があれば随時開催できます。ご希望があれば、問い合わせフォームからご相談ください。

長期の権力集中は腐敗を生む

日産自動車のカルロス・ゴーン会長が金融商品取引法違反容疑で逮捕された。日産の経営立て直しを実現させた功労者であり、日産自動車の躍進を支えた名経営者として評価されている。彼の図抜けた剛腕ぶりは、社内では恐れられていて、長い期間に渡りトップ経営者として君臨した。1999年低迷していた日産自動車を、ルノーの副社長からCOOとして乗り込んで、見事にV時回復させたのである。その経営手腕は経済界でも一目置かれていて、毎年10億円以上という破格の役員報酬を得ていたと、話題をさらっていた。

カルロス・ゴーン会長は、日産自動車の内部調査によって会社資金を私的に支出していたことが判明したという。内部告発で密かに内部調査を進めていて、確証が掴めたらしく取締役会で会長と取締役の解任を提案するという報道がされている。あれほどの絶対的権力を握っていたゴーン会長があっけなく失脚するなんて驚きである。絶大な権力を持って大胆な経営改革を断行して、多くの社員と協力企業を切り捨ててきたゴーン会長が、内部告発によってその絶大な権力を失うなんて、実に皮肉なものである。

日産自動車がV字回復をしたことを、ゴーン会長の経営手腕だと評価し、素晴らしいイノベーションだと称賛される一方で、まったく評価に値しないというアナリストも少なくない。あの大胆な資産の投げ売りとリストラは、将来の日産自動車に暗い影を落とすに違いないと見ている。譲渡してしまったいろいろな資産は、将来の日産にとって必要不可欠な良好な資産もあり、苦しい現状を乗り切る為とは言え、実にもったいないことをしたと嘆く人も多い。さらに、過激なリストラによって将来性のある優秀な社員を失ったとも言える。

また日産自動車が不正検査による不祥事を起こしたが、あれもゴーン体制が引き起こしたとも言われている。あれほど日産と経済界から称賛されていたのに、カルロス・ゴーンの名誉も地に堕ちたとも言えよう。それにしても、何故にゴーン会長は法を犯すようなことをしたのだろう。また、日産自動車という会社はゴーン会長の暴走をどうして止められなかったのであろうか。日本を代表するような大企業が、こんな子どもでも解りそうな誤魔化しを許したのか。自浄能力のない会社なら、実に情けない。

昔から、権力者は長い期間に渡りトップに君臨すると、汚職に走りやすい。だから公務員は同じ部署に長期間勤務させないし、同じ管理職を続けることを避ける。オーナー経営者は別としても、民間企業における雇われ経営者だって長期間同じトップだと腐る可能性が限りなく高くなる。流れない水は腐ると言われる所以である。これは経済界だけではない。政界においても長期政権が利権を私物化したり汚職したりするケースが多い。だから、大国の大統領は複数回の就任に制限を加えているのである。

日本の自民党も、過去にあった汚職や利権の私物化を受けて、総裁を3期以上続けることに制限を設けていた。自浄能力が発揮できなくなることを怖れての処置である。ところが、今回3期までの総裁を認めるだけでなく、4期までも認める規則改正を見込んでいるらしい。これでは、日産自動車の二の舞になりかねない。本人だけでなく、取り巻き連中やトップに親しい奴らが汚職のようなことを平気でやり出すのだ。森友加計問題のような事件が、益々増えて来るに違いない。権力や利権に群がる輩が、暴走するリスクが高まるのではないだろうか。自民党議員の良識に期待したいものである。

日産自動車で、どうしてこんな不祥事が起きたのであろうか。それは、経営理念が企業内にしっかりと根付いてなかったか、もしくは経営理念が機能していなかったに違いない。経営理念または企業理念と言うのは、企業経営をする目的のことあり、正しい普遍的な価値観がなければ、適切な経営の目的は作れない。日産自動車の役職員に、高い価値観に基づく経営哲学がなかったと断じなければならない。なんとも情けない話である。日産自動車は膿を出し切るだけでなく、しっかりした企業理念を作る為にも、高い価値観に基づく経営哲学を持つ経営者の体制に生まれ変わってほしいものである。

 

パワハラ上司をやっつけるには

パワハラを平気で繰り返すような上司に仕えるかどうかは、宮仕えの身では上司を選ぶことが出来ないから、もしそんな上司に仕えることになったら最悪である。人事異動を申し出ても、余程の理由がない限り希望が叶うことはない。ましてや、パワハラを認定してもらうには、相当なリスクを負担する覚悟が必要だ。パワハラと認定されたとしても、それからずっと睨まれるし、恨みを買う場合もあろう。ましてや、パワハラをするような上司は粘着タイプが多いから、逆恨みをして仕返しされるかもしれない。

ということであれば、次の人事異動まで我慢するしかないのであろうか。それなら、上司か自分のどちらかが異動するまでの数年間を忍耐の一念でやり過ごすしかないのであろうか。それは、辛い数年間になるし、メンタルを病んでしまうかもしれない。どうにかして、パワハラ上司を何とかやりこめる方法はないのだろうか。職場の総務・人事部門に訴えるのは出来ないから、水戸黄門のように悪を懲らしめてくれる存在はないだろうか。そんな役員や経営者がいたら有難いが、パワハラ上司は上の人に取り入るのが上手いので難しい。

パワハラ上司というのは、役員や経営者に上手に媚びへつらい、部下には厳しい態度で臨むケースが多い。歯の浮くようなおべっかをつかうことを平気でするし、懇親会になると役員や経営者べったりで酒を注いでは気に入られようと必死だ。そんな姿を見せられると、役員や経営者だってパワハラ上司を快く思うことだろう。こんなパワハラ上司は、完全な人格障害である。自分よりも出来そうな部下は、徹底して苛め抜くし、ちょっとしたミスも許さず貶める。何かと権力を盾にして、自分の立場を危うくするような部下を虐める。

このような自己愛性のパーソナリティ障害者は、権力闘争が巧みだし、あることないことを上役に進言しては、部下の出世を阻もうとする。少しでも反抗したり自分よりも目立とうとしたり、名誉を傷つけられたりすれば、激怒して意地悪をする。始末に負えないのである。このようなパーソナリティ障害の人は、歴史上の有名人でいうと、ヒットラーやムッソリーニと同じ人格を持つ。ヒットラーは政敵を卑怯な手を使って葬ったのである。だから、パワハラ上司と戦って勝つという確信がなければ、争わないのが賢明だ。

それでは、毎日我慢すればよいのかというと、それも辛いものだ。ひとつだけ、パワハラ上司と対峙する方法がある。自己愛性パーソナリティ障害の人物は、実は小心者である。だから、自分の資格や地位、または名誉を求めるのである。小人物ほど、自分を大きく見せたいのである。必要以上に大きい車を乗りたがるし、出世や昇給に異常にこだわる。そして、自分の噂や悪口に過剰反応をする。いつも自分の評価を気にしたがるのである。自分が嫌われることを異常に避けたがる。この辺のことが、付け入る隙になるのだ。

先ずは、パワハラをされている現状をつぶさに記録することである。出来る事ならば、録音データとして残すことを勧める。何月何日の何時にどこどこの場所で、言われたことを一言一句違わずに記録する。感情的なことや感想は記録せず、あくまでも客観的な事実だけを記録する。そして、可能ならば同じようにパワハラを受けている人とタッグを組んで、記録を残すとよい。それらの録音データやらもろもろを集めたら、少し大変だがデータを日時順と共に、パワハラの系統別に集計しておくとよい。その記録書をパワハラ上司が偶然見つけられるような処に、しまい忘れたように出しておくのもよい。見つけたら、小心者のパワハラ上司は二度とパワハラをしないに違いない。

これらの行動は、パワハラ事案をある程度集計するまで絶対に内密にしなければならない。信頼できる同僚しか味方にしないことも大事だ。万が一にも裏切られたら、とんでもないことになる。慎重にことを進めるようにしたい。パワハラの集計データを上役に見せる時には、絶対に勝てる見込みがなければしてはならないであろう。根回しを十分にして、勝てると確信してから開示したい。さらに、「あまりにもパワハラ事案が酷いので、しかるべきところ(例えば法務局の人権擁護委員会)に訴えたいという人もいるみたいで困っています」というような柔らかい言葉で訴えるのがよいと思われる。まずはデータの収集をすることから始めることを勧めたい。

グレイヘアは自分を解放する

グレイヘアが静かなブームを呼んでいるらしい。自分自身も3年前からヘアカラーで黒髪に染めるのを止めてグレイヘアにしたのだが、自分でもとても気に入っている。男性がカラーリングを止めてナチュラルヘアにするのは抵抗がないだろうが、妙齢の女性が黒髪からグレイヘアにするのは勇気がいるに違いない。それでも敢えて黒髪に染めずに自然のままにするという女性が増えているというのだ。それは、自分が自分らしく生きるという選択をして、自分の姿と心をありのままでもいいんだと解放することに繋がるというのだ。

女性はおしなべておしゃれであるし、みだしなみに気を付けている女性が圧倒的に多い。白髪という言葉のイメージがあまりにも悪い。グレイヘアと呼ぶならば印象も良いから、染めないという選択をする人もいるだろう。だとしても、やはり白髪のままでいるのは避けたいであろう。ましてや、ビジネスの場面に居続けるにはグレイヘアでいるのは抵抗感があまりにもある。白髪のままでいるのは、面倒くさがり人間とか、だらしない人だと見られやすいことも影響している。染めるという無難な選択をせざるを得ないであろう。

今までも60代以上の男性の中には、敢えて染めなくてもおしゃれに見せられる芸能人がいた。代表的な芸能人としては、吉川晃司、柴田恭兵、渡辺篤郎、舘ひろし、柳葉敏郎などである。彼らは大物芸能人と呼ばれて、存在感のある演技にも定評があるし、人間としても魅力あふれる成熟した大人である。女性芸能人でも、グレイヘアが似合う人が増えてきた。草笛光子、中尾ミエ、永作博美、有働由美子は素敵なグレイヘアを見せている。彼女らは、グレイヘアであっても仕事が減らず、逆に増えているという。

元フジテレビのアナウンサー近藤サト女史が、悩みに悩んだ末にグレイへアを選んで、自分らしく生きることを選んだという。若い頃から白髪が増えてしまっていて、アナウンサーを続けるためにはカラーリングが必要だと自分に言い聞かせてきたらしい。しかし、本来の自分の姿を押し隠してまでして、偽りの自分を多くの視聴者に見せていることに違和感を覚えたという。それは、自分の心までも偽ることに通じはしないかと悩んだという。あるがままの自分を見せたいと決断し、グレイヘアでTVに出ることにしたという。

人は誰でも、自分の醜い部分を隠しておきたいものだ。いつまでも美しい自分でありたいし、他人には美しい自分を見せ続けたいであろう。ましてや、美貌を売り物とする芸能界であれば、若い年齢でグレイヘアをさらすのは自殺行為にも等しい。白髪の頭では仕事もなくなるのではという恐怖感にさいなまれることだろう。しかし、それは本当の自分を隠すということであり、本当の自分を否定するということでもある。人間は、自分の醜い心を隠して生きているが、それが故に生きづらい人生を歩むことにもなる。白髪を隠して生きるというのは、本当の心を隠して生きることに通じるのかもしれない。

白髪を染めずにグレイヘアを敢えて見せることをした女性たちは、おしなべてその時点から生き生きとした人生を歩んでいるという。それまでは、避けていたパステルカラーのファッションに身を包むのが楽しいと言っている。ピンクやクリーム色の服が実に似合うようになったと喜んでいるらしい。表情も明るくなり、いつもけれんみのない笑顔がはじけるという。そして、あるがままの自分を見せることで、自己肯定感が強くなったと口を揃えて微笑む。自分らしさを誇らしく思えるようになったと言うのである。

人間というのは、自分を見る際に自分の目を通して観るのでなくて、いつも他人の目を通して観察したがるものである。特に日本の女性は、男性から見たらどう思われるかという視点から自分を評価したがる傾向にあるらしい。だから、必要以上にフェミニンなファッションに身を包みたくなるし、可愛いと言われたいらしい。本来は、自分の価値観や自分らしさに見合った服装やメイクをしたいのに、他人の目を気にするあまり、あるがままの自分をさらけ出せない女性が多いということだ。グレイヘアを選択する女性が増えてきたというのは、あるがままの自分を見せることが出来る自立した女性が増加してきたと思われる。グレイヘアは、自分を解放することに繋がるのだろう。

指導教育は最新の複雑系科学によって

スポーツの指導方法において、根性論や精神論を基本に据えてコーチをする指導者は流石に少なくなったものの、相変わらず旧態依然とした指導法を続けている指導者は少なくない。コーチングというと、自らの技術や知識を披露して、その技術や知識を教え込むことだと勘違いしている指導者がいる。山本五十六の、「やって見せて言ってきかせてやらしてみて誉めてやらねば人は動かじ」が指導者の正しい心得なのだと思い込んでいる指導者がいる。企業や学校教育の現場でも、知識や技術を教え込むのが教育だと思う人も多い。

家庭教育においても、子どもに必要な知識や技能を教え込むことが大切だと勘違いしている親が少なくない。当然、子どもはそのような教え方に反発するし学ぼうとする意識が低いから、教育効果は上がらない。子どもに教えなければならないのは、命に危険が及ぶような事柄、人に迷惑をかけたり人を傷つけたりしないということだけでよい。それも、何故なのかという人間の尊厳に関わるような大切な理由も含めて伝える必要がある。ただ、これはダメあれも駄目というような単純な押し付けをしてはならない。

金足農業高校の吉田輝星選手を指名した日本ハムファイターズの指導育成法は、独特であるという。監督コーチは育成する選手に野球の技術を進んで教えることをしないという。選手が自分で練習してもなかなか上手く行かなくて、悩んで困り抜いた末に、「教えてください」と自ら申し出た際にだけ教えるという。そうでないと、選手が聞く耳を持たないからだという。監督コーチから技術を教え込もうとすると、謙虚にしかも素直に聞くことをせず、まったく効果が上がらないというのである。

日本ハムファイターズに入団した高卒選手、大谷翔平選手や中田翔選手が伸びたのは、このような指導育成方法によるものらしい。吉田輝星選手や清宮幸太郎選手も、このような指導法によって大成すると思われる。このように、最近の野球界や他のスポーツ界において、教え込む指導法から自ら技術を学び吸収するという指導法に変えるチームが増えてきた。それも、指導者が選手に対してただ質問をするだけという指導法を取るやり方である。この質問を繰り返していくうちに、本人が自ら気付き学ぶのだという。

さらに、セリーグで圧倒的な強さを誇る広島は、ドラフトで指名する時に重要視するのは、実績ではなくて潜在能力や基礎体力だという。そして、もっとも考慮するのはその人間性だとも言われている。どんなに才能があったとしても、人間性が劣悪であれば伸びないからだという。特に、謙虚で素直な人間性や全体に貢献したいという価値観を持たない選手は、絶対にドラフト指名をしないらしい。こういう選手を集めて地道に育成したおかげで、すべて生え抜きの選手だけでレギュラーを占める成果を上げているのだというのだ。

最新のこれらの指導育成法は、最新の複雑系科学に基づいたものである。最先端の物理学や分子生物学、脳科学におけるシステム論、またはシステム思考に基本を置いている。人間という生物は、生まれつき自己組織化するようになっている。つまり、主体性、自発性、自主性、責任性を本来的に持つのである。さらに、人間は自ら進化して自己成長をしていく生き物なのである。この機能をオートポイエーシス(自己産生)と呼んでいる。人間というシステムは、生まれつき自己組織性とオートポイエーシスを持つのである。この自己組織性とオートポイエーシスを引き出してあげることが、本来の教育の使命なのである。

そして、この自己組織性とオートポイエーシスの機能は、外からの強い介入によってその機能を果たせなくなるのである。つまり、何らかの外から行き過ぎた介入(教え込む指導育成)があると、本人の自己成長が止まるし進化しないばかりか、深刻な退化が起きかねない。これはスポーツ選手ばかりではなく、我が子にも起きてしまう由々しき事態なのである。大切なのは、指導育成する際にこの自己組織性とオートポイエーシスを発揮できるように、強い介入をせずに本来持つ良さを『引き出す』という観点が必要である。そして、素直で誠実で謙虚でしかも全体最適の価値観を持つ子どもに育つように見守ることが肝要なのである。そうすれば、必ず教育の効果が上がるに違いない。

夫現病を治す方法

ご婦人の不定愁訴症候群のうち、他の特定のストレス要因がなくて、夫が原因としか考えられないものを『夫原病』と呼ぶという。この夫原病が益々増加しているし、その症状が深刻化しているという。そして困ったことに、この夫現病がそのまま改善しないと、重大な免疫疾患や内分泌疾患にもなりやすいし、うつ病やパニック障害などの精神疾患に追い込まれることが多い。さらには、これらの症状を放置しておくと、乳がん、子宮がん、卵巣がんになるケースも少なくないから、軽症のうちに治す必要があるとみられる。

ところが、この夫現病を治癒させることが非常に難しいのである。元々、夫の言動や関わり合いが原因なのだから、投薬治療やカウンセリングで完全治癒することは期待できない。夫が変わらない限り、この夫現病は完全治癒することはない。または、夫と離婚すればこの夫現病から解放されるが、子どもが居れば踏み切れないし、離婚したあとの経済的な不安があると思いきれないものだ。自分が原因だと分かったとしても、夫は自分から変わろうとはしない。ましてや、ドクターから夫原病だと宣言されても納得できないのが人間だ。

だとすれば、夫原病になった妻は一生この苦しさに甘んじなければならないのか。ましてや、夫が高い社会的地位や立派な職業に就いていて、高収入で経済的にも裕福な暮らしを保証している夫婦関係であればあるほど夫原病を発症しやすいから複雑である。自分が我慢しなければならないと思うほど、そして良妻賢母ならなおさらこの夫現病になりやすいから、治りにくいのである。妻よりも夫の方が社会的成功者に見られていて、圧倒的に優位な立場であるほど、夫原病が完治することが少ないというのである。

ひとつだけ夫原病を治す方法がある。教養や学歴が高くて、プライドの高い夫が唯一自ら変化しようとする心理療法があるのだ。それは、オープンダイアローグという最新の家族カウンセリング療法である。フィンランドのセイックラ教授が開発した、難治性の精神疾患を完全治癒させるという精神療法のひとつである。これを夫婦に対する家族カウンセリング療法として実施すれば、かなりの効果を挙げることになろう。このミラノ学派の家族カウンセリング療法は、家族内に存在する病理を糾弾することはないし、介入することはない。だから、夫も協力的な態度をしてくれるし、自ら変わろうとするのである。

通常、メンタルの疾患の原因が家族にあるとすれば、家族に対するカウンセリングを行い、その病理を明らかにして、メンタル疾患の原因になっている家族の言動を変化させるという手法を取ることが多い。ただし、その場合家族の疾患の原因が自分にあると指摘された本人はどのように感じるであろうか。おそらく、原因が自分にあるとされたならば、当事者はおおいに反発するに違いない。ましてや、妻の病気の原因が自分にあると断言され、あなたは変わらなければならないと言われたら、相当なショックを受けるし、反論したがるのは目に見えている。自分だけの責任ではないと、変化するのを拒むに違いない。

オープンダイアローグ(以下ODと略する)という家族カウンセリングの手法は、今までのそれとはまったく違うのである。だから、治療効果が高いという。ODは基本的に確定診断をしないし、治療計画を示さない。当然、診断をしないのだから原因も追究しない。ましてや、特定の誰かに疾患の責任を負わせることをしないのである。どうするのかというと、当事者と家族に対してセラピストが開かれた対話を繰り広げるだけである。それも、当事者のつらくて苦しい状況とその気持ちを聞き取って明らかにするだけである。さらに、どのような時にそういう症状が起きるのかを否定せず共感的に傾聴するだけである。

ODをするセラピストは、家族関係に対して一切『介入』をしない。つまり、インプットをしないしアウトプットも求めない。あくまでも、家族が自分たちで現状をどのように認識して、自分がどうすれば良いのかを気付き学ぶ場を提供するだけである。ODのセラピストは、当事者が治癒することを求めないのである。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、人間というのは何か変化することを他人から求められると拒否するからである。人間が本来持つ『自己組織性』と『オートポイエーシス(自己産生)』を引き出すのが、ODなのである。ODを続けて行くと不思議なことに、本人自ら変わろうとするのである。当事者も含めた家族全員が、自分から変化したいと心から思うのである。これは、実に不思議な化学反応が起きると言えよう。夫原病を治すには、ODが最適だと言える所以である。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、オープンダイアローグの勉強会を実施しています。ODの手法を実際に展開しながら、その効果を実感することが可能です。家族カウンセリングをしたいからと、当事者と家族が一緒にセラピストを訪問するというのは、かなり敷居が高くて難しいことです。しかし、あくまでも心身の保養のために、一緒に農家民宿を利用するというのはハードルが低いと思われます。その際に、オープンダイアローグの手法を学びながら、家族カウンセリングを体験するという形を取れば、実質的なODが受けることが可能です。まずは「問い合わせ」フォームからご相談ください。

主体性を喪失した指示待ち社員

ファーストフード店において、若いアルバイト店員が発する決まりきった質問に対して、突然予想外の質問やお願いをしてみると面白い。まずは、答に窮するに違いない。そして、自分で判断できず、誰かに応援を求めるか、もしくは黙り込んでしまうであろう。ファーストフード店で働く若いアルバイト店員は、細かいマニュアルに基づいて業務をこなしている。マニュアルで示された業務や受け答えは出来るものの、イレギュラーの対応ができる店員は殆どいない。そんな教育はされていなのだから当然だが、主体性がないのである。

他の会社でも、決まりきったルーチンの作業は出来るものの、何かイレギュラーな業務が発生すると遂行できない社員がいる。また、何かのトラブルが起きるとその対応や解決が出来なくて、おろおろしてしまう社員が存在する。上司や同僚から指示命令を受ければ動くが、自ら率先して動くことが出来ない社員も見受けられる。このような指示待ち社員は、想像以上に多いようだ。このような社員は、業務改善や問題解決に主体的に取り組むことはないし、問題に気付かないことも多い。このように主体性を持てない社員が増えている。

ひと昔前であっても、こういう困った社員がまったく居ない訳ではなく、僅かだがそれぞれの部署に少数だが在社していた。しかし、最近は自発性を発揮できない指示待ち人間が増えている。毎日決まりきった業務しかしないのであれば、何とか目の前の業務をこなすだけだからそれなりに役に立つ。しかし、日々の業務が臨機応変の対応が日々求められるような職場であれば、まったく役に立たない社員として烙印を押されてしまう。主体性や自発性だけでなく、自分の仕事に責任性を持たない社員が増えているのである。

このように主体性を持たない指示待ち人間が増えている原因は、教育における間違いであろう。学校教育では、知識や技能を詰め込むだけの教育であり、智慧を育てる教育をないがしろにしているからである。家庭教育では、子どもが行動を起こす前に親が先取りや先読みをしていて、子どもの行動を制御してしまうのである。親が事前に指示をしないと、行動できないし話せない子どもが増えているのである。しかし、知力だけは人並みに育つから、一定の学力は発揮して高校と大学は優秀な成績を残し、就職試験も突破する。

このように主体性を発揮できず指示待ち社員は、益々増えることになる。官公庁の職場で、マニュアル通りの業務しかしない特定の職場においては、何とか仕事は務まる。また、工場や現場作業において、マニュアル通りの業務しかしないケースならば、指示待ち社員でも困らない。しかし、複雑な顧客対応やイレギュラーな業務だらけの職場では、まったく使えない社員とされてしまう。上司からは毎日のように叱責されるし、同僚からは馬鹿にされる。自分がいじめにあっているように感じて、勤務できなくなり休職に追い込まれる。

主体性、自発性、自主性、責任性などを総称して『自己組織性』と呼ぶことにする。システム論において、ノーベル賞物理学者のイリヤ・プリゴジンが提唱した自己組織化の理論から導き出した説である。物体や生物など、そしてそれらの構成要素には、すべて自己組織性が存在する。当然、人間の構成要素である細胞にも自己組織性がある。誰からも指示命令しなくても、自己組織性を発揮して過不足なく全体である人間の最適化のために日々働いている。当然、人間は生まれつき自己組織性を発揮できるようになっている。ところが、間違った教育によって、不幸にも自己組織性を発揮できないようにされてしまっているのである。自己組織性が乏しく、主体性がなく指示待ち社員になっているのだ。

このように、間違った学校教育と家庭教育をされた為に、自己組織性を発揮できずマニュアル通りの業務しかできなくなった社員に、自己組織性を取り戻すことが可能なのであろうか。社員教育や職場指導で、自己組織性を取り戻すことは殆ど不可能であろうと思われる。何故なら、システム論を把握していて、本来人間の持つ自己組織性を引き出す術を知っている指導者・管理者はいない。ましてや、自己組織性を引き出すには当人に対して介入してはならないのに、知識や技能を強制的に植え付ける指導法を取るのだから、かえって逆効果なのである。ひとつだけ本来持つ自己組織性を引き出す教育指導の手法がある。それは、オープンダイアローグという心理療法を利用した指導教育である。

 

※オープンダイアローグを利用した最新の社員教育の技法を、「イスキアの郷しらかわ」ではレクチャーしています。指示待ち社員の教育で困っている管理者・指導者に、オープンダイアローグの社員教育手法をお教えします。また、主体性を持てず指示待ちの社員に対して、自己組織性を発揮できるように教育いたします。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

どうしていいか解らないひきこもり

ひきこもりは、全国で54万人もいるという。しかも、これは39歳までの年齢層だけであり、40歳以上のこきこもりも加えたら、100万人を超える数字になるかもしれない。何故なら、ひきこもりの実態をひた隠しにしている家庭は多いし、自分の子どもがひきこもりだとは思いたくない親が多いのである。厚労省の調査統計上は、6ケ月以上に渡り家庭内にいるというしばりがあるので、その期間に少しでもアルバイトをすれば除外される。しかも、実質的にはひきこもりなのにその範疇にはじかれるひきこもりも多いと思われる。

ひきこもりの5人に1人近くは、不登校から移行するらしい。そして、ひきこもりになるきっかけは、学校でのいじめや職場における嫌がらせ・パワハラ・セクハラ・モラハラなどがあげられるという。特徴的なことは、それらのきっかけになったことを家族に相談しないというのである。一人でそれらの問題を抱え込んで、悩み苦しみ行き場もなくて、ひきこもってしまうらしい。家族はいたとしても、孤独感を抱えて生きているというのだ。

どうして、ひきこもりになるきっかけが起きた際に家族に相談できないのだろうか。その時に家族に相談してくれたとしたら、なんとか対応もできたに違いない。しかし、ひきこもっている人は、親に相談できない人が殆どである。ひとつは、親に心配をさせたくないという気持ちもあろうが、親に相談をしたいと思わないのではなかろうか。親を信頼していないなどというと少し乱暴であるが、親が解決してくれるだろうという確信を持てないからではなかろうか。親への絶対的な信頼感と敬愛感があるなら、相談するに違いない。

ひきこもりや不登校の方たちの相談を受けていて感じるのは、育児や家庭教育における父親の存在感が希薄であるケースが多いということである。父親の職業がハードな勤務状況にあるとか、単身赴任で不在であるようなケースならある意味仕方ない。しかし、子育てや教育に関与する時間があるにも関わらず、あまり父親が協力的でなく、母親だけにその役割負担が過大になっている例が多いのである。ましてや、夫婦関係が希薄化・劣悪化している場合が多いというのも特徴的である。

ひきこもりや不登校になる原因が父親だなんて極端なことは言わないが、その一因になっているように思えて仕方ない。そして、子どもに対して正しい思想や哲学を語ることが出来ない父親が多いのである。勿論、ひきこもりに陥っているケースで父親を心から信頼し尊敬しているというのは極めて少ない。だから、ひきこもりの人々は、相談もできず何をしていいか分からないのである。当然、ひきこもりから離脱することは出来ないし、長期化することが多い。とは言いながら、父親ばかりに責任を押し付けるのも正しくない。

ひきこもり家庭の父親に事情を聞いてみると、子育ての仕方も解らないし子どもを愛する術を知らないと言うのである。勿論、子どもに語れる正しい思想や哲学も習ったことがないというのである。これでは、父親にひきこもりの原因を求めるのは酷である。父親自身も自分の父から教えられていないのである。とは言いながら、ひきこもりになった我が子を救う最大限の努力をしたかというと、そういうようには見えない。ひきこもりの我が子を本当に心配しているのは母親であるし、何とかしたいといつも心を砕いているのは父親よりも母親であるケースが多いのである。

ひきこもりや不登校の相談にいらっしゃるのは、圧倒的に母親が多い。そして、一人で悩んで苦しんでいるのは母親が多い。とは言いながら、ひきこもりをどうして解決していいか解らず苦しんでいるのは両親である。どう対応して解らず、差しさわりのない会話は出来るが、心を開いた本音での対話は出来ないでいる。ひきこもりの当事者は、解決したいと思いながら、どうしていいのか分からず苦しんでいる。相談するところもなく、解決をしてくれるところもないことから、現状に甘んじているのである。社会として、この状況を解決する手立てを見つけなければ、大変なことになる。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、ひきこもりの当事者からの相談、そしてご両親からの相談を受けています。また、どうしたらひきこもりの状態から離脱できるのかの研修を開催しています。さらに、家族と当事者に対するオープンダイアローグ療法を研修させてもらっています。ひきこもりには、このオープンダイアローグが高い効果をあげます。是非とも、ご利用ください。まずは、問い合わせフォームからご相談ください。

一芸に秀でる者は多芸に通ずる

京都大学特別教授の本庶佑氏が、ノーベル医学生理学賞に輝いた。彼は、実に多趣味である。一芸に秀でる者は多芸に通ずという諺があるが、まさにその諺通りの理想的な人物である。医学の分野、特に免疫学においては世界のトップクラスの研究者である。まさに一芸に秀でている。多芸においては、ゴルフと楽器演奏など多数の趣味を持つ。ゴルフはシングル並みの腕前で、ゴルファーなら憧れのエイジシュートを目指しているというからすごい。楽器演奏では、京都大学楽団で演奏の難しいフルートを吹いていたという。

ゴルフと言えば、やはりノーベル医学・生理学賞を取得した大村智北里大学特別栄誉教授もシングルハンデの腕前だと言われている。さらに、優れた経営手腕もあり、赤字続きだった北里研究所を黒字化したマネジメント力もすごい。経営改善のために、経営学を真剣に学んだと伝わっている。大村氏は、美術コレクターとしても玄人なみの眼力もあったらしい。また、温泉まで掘り当てることに成功したとのこと。ゴルフ好きのお陰で、名門コースの川奈ホテルゴルフ場から持ち帰った土で、エバーワクチンの開発に成功したという。

このように自然科学の学者というと、スポーツが苦手で超インドア派のガリ勉タイプを思い浮かべるが、世界に通用する超一流の学者は、多芸にも一流なのである。手前味噌になってしまうが、自分でも呆れるくらいの多趣味である。ゴルフ、登山、カメラ、料理、読書、テニス、PC、等々上げればきりがない。ゴルフはベストスコアが本庶氏と同じ78であるし、登山ガイドは10年以上続けている。残念ながら、器用貧乏というのか秀でた一芸はない。芸は身を助けるというが、趣味のお陰で充実ライフを過ごしている。

どうして多芸であることが一芸に秀でることになのか、詳しく考察してみよう。社会一般で言われているのは、いろんな趣味を楽しむことにより多眼的な視点と柔軟な思考力を持つことが出来るし、想像力と発想力が養われるということだろう。専門バカになることを防ぐことにもなろう。いずれにしても、昔からだいそれたことを成し遂げるような人物は、『遊び』が上手だった。その遊びが、泥臭くなくて洗練されてもいた。一流の人間は、遊びも一流なのであろう。遊びも出来ない人間が、世界的に認められる人物たりえないのだ。一流の人間は文武両道が基本であろう。

さらに、多芸ということを拡大解釈すれば、『統合』というキーワードに思いを馳せる。ノーベル賞の自然科学3分野である物理学、化学、医学・生理学は、現在はそれぞれの分野を分けるのが難しくなっているという。何故なら、それぞれの分野はお互いに影響し合っているし、3分野を統合しないと真理が明らかにならからである。最先端の科学研究では、すべての学問を統合して研究しないと、正しい法則を導き出せないことを科学者たちは認識せざるを得なくなっている。さらに、自然科学と社会科学も統合されつつある時代である。科学と哲学さえ統合され、科学哲学が最先端の学問になりつつある時代でもある。

古川学園高校(旧古川商業高校)の女子バレー部を率いて、当時無名の高校だったのに12回の全国制覇を成し遂げたのは国分秀男監督である。彼は、赴任当時バレーの技術と知識は素人同然だったが、猛勉強をしてバレーの指導術を得た。それと同時に、経営学を学んだ。選手たちの育成管理とチーム運営には、経営学が必要だと認識したからである。ドラッカーやジャック・ウェルチの本を読み漁って、チーム管理に生かした。かのアインシュタインは、科学の発展進化には形而上学(神智学)が不可欠だと主張していた。ノーベル賞を取るような最先端の欧米の量子力学の科学者たちは、押しなべて仏教哲学に傾倒しているという。

宇宙の万物がこの現実の世界に生成し、それが発展進化し存在するための法則(真理)を見極めるには、物理学だけでは困難である。化学、生物学、分子細胞学、医学、大脳生理学などの自然科学だけでなく、神智学、人智学、哲学、人間行動学、社会システム学などの社会科学にも精通していなければ普遍的な真理には到達できないことが判明しつつある。医学の世界では、脳外科、消化器外科、整形外科、精神科、循環器内科、眼科などの単科に精通していても、病気の原因は分からないことから、総合診療科や統合診療への流れが加速している。人体を全体の「システム」として考えないと、病気の原因と治療が出来なくなっているのである。これからの時代は、一芸だけを極めるには、まさに多芸としての『統合』が必要不可欠なのである。