複雑性PTSDとポリヴェーガル理論

 何度も何度も悲惨な出来事に遭って、深刻な心的外傷を受け続けてしまうと、複雑性PTSDという精神疾患になって、生涯に渡り悩み苦しむことになるということが、最新の精神医学知見で明らかになった。この複雑性PTSDは、非常に治りにくくて予後も悪いことが解っている。この複雑性PTSDが治癒しにくいのは、解離性があり本人も病識を持ちにくいということがあるが、潜在意識のトラウマを表出しにくいし、無理矢理に表層意識に引っ張り出してしまうと、却って症状を悪化させてしまうし、パニックを起こすからだ。

 複雑性PTSDが難治性の疾患である理由が、もうひとつある。それは、ポリヴェーガル理論における、迷走神経によるシャットダウンが起きているからである。ポリヴェーガル理論というのは、最新の医学理論であり、多重迷走神経理論と訳されている。今までの自律神経理論では、交感神経と副交感神経のふたつがあり、活動時や闘争時に働く交感神経と、休息時や安眠時に優位になる副交感神経があると考えられていた。ところが、副交感の殆どを占める迷走神経には、働きがまるっきり違う背側迷走神経と腹側迷走神経のふたつがあることが判明したのである。

 どういうことかというと、休息時や安眠状態にある際は腹側迷走神経が働き、戦うことも逃げることも出来ない極限状態に追い込まれた時には背側迷走神経が勝手に働いてしまい、シャットダウンを起こすことが解ったのである。シャットダウンと言うのは、闘争や逃走が出来ないような状況に追い込まれ、自分自身の精神的な破綻や破滅を防ぐために、精神的な『遮断』を無意識下で行うことである。精神のブロックとも言えるものである。そして、精神的なシャットダウン化だけではなくて、同時に身体的な遮断も起こしてしまうのだ。

 何故、自分の心身の遮断を迷走神経は起こしてしまうのであろうか。それはある意味、自分の心身を守るためのセーフィティロックシステムなのである。そうしなければ、自分の身を滅ぼしてしまうので、止むを得ず心身のシャットダウンを起こして、自らの命を守るのである。具体的に言うと、自分の生命を自ら断つような行動を取らないように、心身の遮断をするのである。それは、緊急避難措置が作用して、最悪の状況としての自死は避けるのであるが、心身の著しい機能低下という副作用を生んでしまう。これが心身の深刻な不調を起こしてしまうのである。

 この心身の不調というのは、迷走神経の遮断が解けなければ良くならない難治性の障害であり、対応療法の西洋薬処方が中心の現代医学では、治癒しないのである。そして、心と身体の両方を同時に癒してあげなければ治らない。さらに厄介なのは、複雑性PTSDが何度も心的外傷を積み重ねている点である。これにより、背側迷走神経による遮断がゆっくりと進んでいるのである。一度の衝撃的な心的外傷によって起きた背側迷走神経の遮断は、比較的簡単に解くことが可能だが、ゆっくりと進んだ迷走神経の遮断は解けにくいのである。

 複雑性PTSDが何度も心的外傷を積み重ねて起きることで、背側迷走神経のシャットダウン化がゆっくりと進んでしまったが故に、逆にその遮断が強固になってしまったのである。だからこそ、複雑性PTSDは難治性になってしまうし、背側迷走神経の遮断を解くのに時間を要するし、誰かの支援が必要不可欠なのである。自分の力だけで複雑性PTSDを癒すことは非常に難しい。それでは、ゆっくり起きてしまった背側迷走神経の遮断を解いて、複雑性PTSDを癒すには、どんな方法が有効なのかを考えてみたい。

 深刻で衝撃的な一度だけのトラウマによって起きた普通のPTSDは、カウンセリングによって右脳の奥底に仕舞い込んだトラウマの記憶を、左脳の記憶に移し替えて俯瞰的に観察できる記憶に移し替えることで癒される。複雑性PTSDは、下手にトラウマを明らかにしてしまうと、パニック症状を起こして悪化させてしまう。したがって、まずは支援者(治療者)が寄り添い信頼関係を築き、認知行動療法を実行し安心してもらう。それから、ナラティブアプローチ療法を駆使しながら、本人の価値観や行動規範の物語を変化してもらう。緩やかに迷走神経の遮断を解きながらトラウマを癒していくのである。ボディケアも含めて、長い時間をかけてゆっくりと治療していかなければならない。

※背側迷走神経の遮断を解いて緩めることを安易に行いますと、自死を招いてしまう危険性が高まることに留意する必要があります。精神疾患者が回復期に自死を選んでしまうケースがとても多いのですが、これは背側迷走神経の遮断が解けてきたからです。だからこそ、要支援者にずっと寄り添って不安や孤独感を持たないように、そして自責の念を持たぬようにサポートしなければなりません。森のイスキアの佐藤初女さんのような方が必要なのです。

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