登山とマインドフルネスと唯識

メンタルを病んだ方への心理療法のひとつとして、最近とみに注目されているのが、マインドフルネスである。マインドフルネスとは、常に心を捉われている何らかの意識や感情を一時的に心から手放す為に、別の何かで心を満たすことである。例えば、辛くて悲しい事があったり、考えるだけでも怖ろしいことがあったりした時、その感情で心の中が一杯になってしまったりする。そういう時には、人間はその感情にどっぷり浸かってしまい、他のことが考えられない。そうすると、解決策も考えられないくらい悩んでしまい、ずっと苦しみ続けるのである。

ところが、そのどっぷり浸かってしまったマイナスの感情や思考を一時的にも手放したり停止させたりすると、不思議にも自分で解決できることがあるのだ。この一時的にマイナスの思考や感情を停止させたり手放したりする為に、他の意識や思考で心を満たしてしまうという行為を『マインドフルネス』というのである。例えば悲しみに打ちひしがれた感情があるとしよう。その際に、気分転換のためにヨガ・瞑想・スポーツなどをしたとする。そうすると、困りごとや苦しみ事の新たな解決策が心にふと浮かぶのである。これが、マインドフルネスの効果である。

古来より仏教などでは、人々を苦しみから救う手段としてこのマインドフルネスを取り入れてきた。唯識論もそうであるし、座禅・読経・写経・荒行・山岳修行などが行われてきた。実は、ヨガもまた唯識の実践行のひとつである。精神分析療法や心理療法よりも手軽で効果が高いと、精神医療の治療法として取り入れるクリニックも増えている。とは言いながら、このマインドフルネスも適切な指導の元で実施しないと、なかなか効果を上げることが難しい。何故ならば、人間とはひとつのことに意識を集中するということが困難な生き物だからである。

さて、マインドフルネスを実行するツールとしていろいろなものがあるが、どんな手法がいいのだろうか。何かひとつのことに集中して、自分の心を捉えて離さない思考・感情を一時的に停止するには何がいいのか迷う処である。私がいろんな方にお勧めしているのは、登山である。それも、ちょっと厳しくてハードな登山であり、少し危険性も伴うような登山を推奨している。ハイキングやトレッキング程度でも良いが、目の前の登山にだけ心を集中しやすいのは、やはり本格的な登山である。躓いたり転んだりするような悪路であれば、一歩一歩に精神を集中しなければならない。体力的にハードな登山なら、余計なことを考える余裕もなくなる。

もう30年近く続けている登山であるが、マインドフルネスの究極と言える『唯識』を体感した経験がある。1泊2日で南八ヶ岳の縦走をしたことがある。美濃戸口から阿弥陀岳から赤岳を登り赤岳頂上小屋に泊まり、翌日朝から横岳、硫黄岳を縦走して、赤岳鉱泉を通り美濃戸口に下山するロングトレイルだった。硫黄岳までは、すんなりと行けたが、その後に長々と続く下山道には辟易した。前日のハードな登りの疲れもあり、パートナーとの会話もなくなるほどの体力の低下もあった。延々と続く下山道は、足が棒のようになるだけでなく、意識も時折薄らいでしまうほどの体力消耗があった。

人間というのは体力の限界ぎりぎりになると、有意識と無意識の境界をなくしてしまうらしい。その時にふと無意識の入り口の世界で体感したことがある。目の前に広がるこの世界は、実体としては存在せずに自分の心が在ると思っているから、あたかも存在しているように見えるだけなんだと実感したのである。この唯識論は、理論として頭で認識しようとしてもなかなか理解できない。この唯識は、身体全体で体感するものであろう。しかも、マインドフルネスで他の雑念などを心から除外し、無我や無心の状態にして初めて実感できるような気がする。

仏教を修行する者や修験者は、厳しい山岳修行をする。自分の体力の限界まで自分を追い込むことで、無我や無心の状態に到達するのではないかと思われる。山岳修行は、それこそ連日50キロメートルから100キロメートル超の山野を駆け巡る。超人のような修行をこなして、ようやく悟りをひらくことが出来ると言われている。現代の登山などは、山岳修行にはその厳しさでは到底及ばない。だから、登山によって唯識や『空』の理論を体感したなどと、軽々しく述べるべきではないということは認識しているつもりである。しかし、登山によって唯識と『空』の理論を不十分ながらも体得できたのは、とても幸運であったと言えよう。

 

※イスキアの郷しらかわでは、マインドフルネスの実践法を指導させてもらっています。トレッキングをしながらマインドフルネスや唯識のレクチャーもします。さらには、本格的な登山のガイドもいたします。心の癒しを求め、心を元気にしたいと願っていらっしゃる方は、イスキアの郷しらかわの自然体験をご利用ください。

 

ネットの世論操作に騙されるな!

インターネット上において、巧妙に世論の操作をするという卑劣な行為が横行している。米国の大統領選での世論操作が当選結果に影響したと言われている。その世論操作にロシアの関係者が関わっていたというニュースが流れている。また、韓国においても軍部が世論操作をしていたとして、元国防相が逮捕された。元々韓国という国は、世論の動向が政治に色濃く反映されるお国柄である。世論を操作して、自分たちの政治に利用したいと思うのも当然であろう。英国のEU離脱への国民投票結果に、世論操作が利用されたというニュースも報道されている。

このように、国の大事な政策決定や選挙結果に世論の動向が影響するのは仕方ないとしても、その世論が巧妙に操作されたものだとしたら、非常に危険な事だと言わざるを得ない。日本においては、世論操作が巧妙にされているという証拠はないものの、一切存在しないということも言い切れない。現在の政治体制や経済体制を守ることが、自分たちの権威や利益を守ることに繋がるというのなら、多大なコストを支払ってでも、世論操作をしたい人がいないとも限らない。昔ならばこんな心配は不要だったのに、ネット社会だからこそこういう危険性が増したと言える。

このように体制維持の為や選挙結果を変えるような意図的な世論操作は、絶対に許せない。とは言いながら、意図的で卑劣な世論操作に騙される人がいるのは確かだ。とすれば、このような世論操作に騙されない確かな見識と信念が必要であろう。このような卑劣な世論操作に左右されないようにする対策を取らなければならない。ましてや、フェイクニュースによって振り回されている人々が存在するのは確かである。インターネット上において、我々が実施した検索エンジンの入力は、すべてインターネット検索会社の有用な情報として蓄積される。そして、その有用な情報が売り買いされていると推測される。

このように、インターネットでどんな文言や記事を閲覧したのかという個人情報が、すべて把握されてしまうのである。したがって、この人はこのようなものに興味があるとか、この人物はこのような思想傾向があるとかがまるっきり解ってしまうのである。そうすると、このような思考の傾向がある人間を、同じような考え方に上手く誘導して、より過激な思考に洗脳するのは簡単である。この傾向にある記事やニュースを見つけたら必ず読むし、その考え方があたかも自分の考え方だと思い込みやすい。だから、世論操作が簡単に出来てしまうのである。

このような世論操作に抗うことが出来る人は、特定の傾向の意見だけに対して反応するのではなくて、すべての意見に対して興味を持つ人ではないだろうか。つまり、多様性の考え方を持つということである。固定観念や偏見に捉われることなく、柔軟性を持った思考性を持つことが大切なのである。そうすれば、特定の偏った世論に誘導されることもないし、さらには騙されることもない。思考の多様性を持った人というのは、巧妙な詐欺に引っかかることはまずないであろう。詐欺に騙されている人は、頑固で偏見を持つ人である。

さらに、巧妙な世論操作に騙されてしまう人は、低レベルでしかも愚劣な価値観を持った人である。公益性が低くて、自分の利益や名誉にこだわり、自己中心的な人間が騙されやすい。自分の損得で行動する人である。社会全体の幸福や豊かさを追求し、何よりも人間どうしの絆なつながりを大切にする人は、滅多に騙されることはない。だから、自己の利益を何よりも大切にするような身勝手な人ほど、巧妙な世論操作に惑わされるのである。

英国において、難民を排除するためにはEU離脱が必要だというように世論操作されて賛成の投票をしたのは、自国民だけの幸福を願うような身勝手な人である。米国において、難民や移民を排除し、自国民の平和だけを願うような人が世論操作をされて、投票に利用されたのである。つまり、自分の損得を何よりも重要視するような低劣な価値観を持つ人が騙されるのである。全体の幸福や平和の為に働いている人、言い換えると全体最適のために尽くすような人は、絶対に世論操作をされることはないのである。巧妙な世論操作をされたり、騙されたりしないように柔軟な思考性を持ち、しかも正しくて高い価値観を持ちたいものである。

健康長寿の目的は?

健康ブームである。TV番組では毎日、これでもかと健康を守るための秘訣についての内容が放映されている。医学番組の出演で超有名になった医師もいる。病気になった人が、劇的に回復したというケースも放映されている。勿論、予防医学が中心になっているので、食事や睡眠、そして運動などの生活習慣を見直すという内容が多い。特異なサプリや食生活も紹介されると共に、ひと昔まではまったく言われてなかった予防方法も紹介されている。最先端の医学知識が、惜しげもなく放映されて情報開示されているようだ。

ところが不思議なことに、予防医学に対する認識が高まってその効果が高まったのかというと、それほどでもないのである。または、予防医学の効果が高まり、医療費や介護費が劇的に低減されたのかというと、そんな事実はまったくないのである。ということは、これだけの健康ブームによっていろんな情報が飛び交っているにも関わらず、その効果は限定的であるということだ。医学的なエビデンスも得られ、これを守り続ければ健康になるということを実施する人もけっして多くないし、取り入れようともしない人がかなり多いという結論にならざるを得ない。

人間である限り健康にはなりたい。けれども、そこまで努力をしたり苦労したりはしたくないというのが本音であろうか。特に、好きでもないし美味しくもない食事を毎日続けなければならないのは勘弁してほしいし、毎日汗をかきながら運動するのもしたくないというのが本心だろう。例えば、薬を飲めば血圧も下がるし血糖値も抑えられるし、高脂血症だってコントロールできる。サプリや特別な市販薬を飲んでいるから、苦労して食習慣を見直さなくてもいいじゃないかと思っている人は多いだろう。苦しい運動は、出来れば避けて投薬治療でなんとかしたいと思うのが常である。

かくして、日本人の生活習慣病の罹患率は高い水準のまま推移している。確かに、面倒な事をしなくても投薬治療やサプリメントなどで健康を保てるのだから、安易な方法に依存するというのも頷ける。しかし、こんなにも医療費や介護コストを高騰し続けてもよいのであろうか。増え過ぎ続ける医療費を削減して、予防医学に徹しようとする大改革が昭和57年から始まった。老人保健法の施行である。40歳からの予防健診と保健指導が義務付けられた。しかし、残念なことにその効果はあまり見られない。医療費の高騰はその後も続き、無駄な医療費の浪費は止まらない。

このように、どんなに生活習慣病の予防策として国の政策として押し進めても、または健康を守る方策の番組を放映したとしても、効果はあまりないのである。生活習慣病と命名したのは、先日亡くなった日野原重明先生である。先生は、自分たちの生活習慣を見直して健康的な生活をすれば、生活習慣病にはならないということを言い続けられた。そして、ご自分でも実践されて健康を維持されてきた。おそらく、日野原先生が健康で長生きをすることができたのは、尊い使命感によるものであろう。自分の為でなく、人々の健康を維持発展するために日々貢献されてきたからであろう。

森のイスキアの佐藤初女さんも健康で長寿であった。94歳まで精力的に活動されていらした。マザーテレサもまた、87歳になるまで貧しい人と病める人の支援活動をされてきた。マハトマ・ガンジーも78歳で不幸にも暗殺されてしまったが、この事件がなければまだまだ長寿だったに違いない。健康になるのは誰の為かと問われて、殆どの人は自分のためと答えるだろう。しかし、ガンジー氏、テレサ女史、佐藤初女さん、日野原先生は、健康を維持するのは人々を救い続け幸福にする為に必要だと答えただろう。

健康を願うのは誰でも一緒である。ところが、何のために健康を維持し発展させなければならないのかという点においては、大きく違っている。自分のために健康になりたいと思う人は、そんなに努力も出来ないし苦労もしたくないであろう。自分では健康になるための精進もしないし、安易に医療に頼る。人間とは自分のために頑張れない生き物なのである。ところが、佐藤初女さんたちのように使命感を持って、社会の人々のためにもっと尽くさなければならないと強く願い、その為に健康でありたいし長生きしたいという人は、楽しんで苦労をする人である。これが、健康になれるかどうかの分岐点なのである。メンタル面での健康も、同じであることを肝に銘じたい。

霊的な啓示を売り物にする

世の中には不思議な人物がいる。自分を神だと主張して憚らない者がいるのだ。または、自分は神からのメッセージを伝えるメッセンジャーだと言い張る者がいる。すべての者が偽りだとは言わないが、どうも胡散臭い人物が多い気がする。古代から、神の生まれ変わりだと世間に喧伝した人物も多くいたし、シャーマンとして呪術を操った人も大勢いた。今でも、霊が見えるとか、過去世が解ると言っては占いを生業にしている者は少なくない。日本だけでなく、全世界でもこのように自分を神と同一だとしている人物はかなり多い筈だ。

神または神の使いだと主張する者が、人々を意図的に騙しているとは言わないが、どうも怪しい人物は多い。まず人相を見てみると、明らかに信頼に足るような人相をしていない。神々しさはまったく感じられないし、どちらかというと統合失調型のパーソナリティ障害のような感じを受ける。または、妄想性のメンタル障害としか思えない者が多い。中には、本物だと思えるような素晴らしい人もいるが、極めて少ない。こういう人物に、どうして人々は騙されてしまうのだろうと不思議に思えて仕方ない。

誰でも自分は騙されないぞと思っている。高学歴で教養が高く、いつも科学的な分析をしている良識人は、本来は騙されないものである。ところが、こういう高学歴で知能の高い人のほうが、いとも簡単に騙されるのだから不思議である。人間というものは、賢い人で疑り深い人のほうが騙されにくいと言われているが、実は疑り深い人のほうが騙しやすいのである。こういう人は、科学的な根拠を少しばかり示されたり、実際に不思議な実験結果を見せられたりすると、簡単に騙されることが多い。あれほどの高学歴で教養の高い人が、ころっと騙されてしまったオーム真理教事件を思い出せば理解できるだろう。

神を名乗ったり、神の使いだと言ったりするという者が本物かどうかを見分ける簡単な方法がある。それは、お金を求めるかどうかである。集会や講演会において、相当の謝金を要求したとしたら、まずは偽物だと思って間違いない。旅費の実費や車代程度のものならあり得るが、数万円の謝金が必要だと言うのなら、疑ってかかっていいだろう。または、パワーストーンや数珠、または運気を呼び込む各種グッズ等を販売するのも怪しい。本当の神であれば、自分から謝金を要求したり高額なモノを売りつけたりすることなどあり得ないというのは誰でも理解できる筈である。

自分は霊が見えるとか、神の存在を感じるという者がいる。あなたにはこんな守護霊が付いているとか、悪霊が付いて悪さをしているということを指摘する人物がいる。そう主張する本人は、本当に見えるのであろう。騙しているとは思えない。だから、信用してしまうのであろうが、実はそう見えたり聞こえたりするのは9割がた幻覚幻聴であるケースであると言われている。あなたには素晴らしい守護霊が付いているから、安心して生きていきなさいというのならば害はないのでまだ許せる。しかし、あなたには悪霊が付いていると脅し、お祓いや運気グッズの販売などをするならば、疑ってみる必要がある。

霊的な啓示を信用するというのは、自分の人生が恵まれなくて、苦難困難を抱えている人が多い。そんな不遇な人からお金を巻き上げるような非道を、神がする筈がない。運が悪い人は、悪霊とか貧乏神がついている訳ではない。あくまでも、生きる姿勢、生きるための価値観、生きる哲学が劣悪で低いからであり、運のせいではない。生き方に問題があるから、悪運がついてまわるのである。ただ、勘違いしないでもらいたいのは、因果応報とは違うということである。因果応報というのは時の権力者が仏教の教えをねじまげたものである。関係性(縁)を基本にした因果、つまり因縁によって人間の運命は左右されるのである。関係性という大切な生きるうえで大切な価値観が希薄だから不運なのである。

輪廻転生や唯識論、または一念三千論などの仏教の教えを拡大解釈して、救いを求める人々を助けようとしている者がいる。悩める本人をまったく否定せず受け容れて、カルマを抱えた過去世や悪い霊が付いているので不運なのだと安心させるヒーラーや霊能者、占い者たちである。そして、高額な占い料金・除霊代金・除霊グッズ代を要求するような者は、まずもって偽物であろう。そんなのは単なる気休めであり、一時的に気分は良くなるが、気分障害は再発する。そして、一生その霊能者に食い物にされるのである。生きるうえでの価値観や哲学が間違っているから不運なのであり、正しい理念を持つことが大切なのだと、耳障りで聞きたくないことを指摘してくれる支援者だけを信用することが肝要であろう。

常識ほど宛にならないものはない

誰でも常識を基にして物事を判断する。常識から逸脱することを誰しも嫌う。常識的な行動を誰でもしがちであり、常識に従っていれば世間に波風を立てることはないと安心している。しかし、そんな常識ほど実は宛にならないものはないのも事実である。何故ならば、常識とは時の権力者や権威者、もしくは経済的に恵まれた者が自分たちの権利や権力を守るために作り上げたものを、常識として定着させてきた歴史があるからだ。常識に縛られて生きるのは、人間の本来の生き方と乖離しているケースが少なくないのである。

時の権力者や為政者というものは、自分の政治体制や経済体制を継続させたいと思うものである。だから、政治的や経済的な安定を求めたがる。故に人々の争いや波乱を禁じる為に、社会に常識として定着させたのであろう。平穏な社会を作ることが、自分たちの地位や権威を失墜させないことに通じることを知っていたからこそ、常識に人々を縛り付けたのである。さらに、日本は男性社会であるが故に、権力があり経済力のある男性にとって都合のよいものを常識にしてきた歴史があるのだ。ある特定の人々が意図を持って作り上げた常識を、愚かにもありがたく信奉しているのは実に滑稽でもある。

勿論、中には正しい常識もない訳ではない。しかし、よくよく常識を洞察してみると、いかに男性にとって都合の良い常識が多いことに気付くであろう。しかも、男性や家長にとって女性を家庭に縛り付け、男性が支配し制御しやすいようにするような常識を押し付けてきたのである。良妻賢母という言葉なんかは、その最たるものである。女性は家庭に居て、家族を守るものという常識もそうである。貞女は二夫にまみえずというのも、今は死語化しているが、甚だおかしな常識である。不倫だって、ついこの前までは男性はいいが女性はけしからんという常識がまかり通っていたのである。

『常識とは、18歳までにあなたの精神の底に沈殿した偏見の堆積にすぎない』と言ったのは、かのアルバート・アイシンシュタインである。彼が世界的な大発明の相対性理論を確立できたのは、偏見に捉われなかったからでもある。つまり、アインシュタインが常識に縛られていたとしたら、社会に対して多大な貢献をすることはなかったに違いない。日本における常識は、真理とはかけ離れたものが少なくない。常識という偏見に縛られず、もっと柔軟な思考をしたいものである。そうすれば、もっと自由で斬新な発想が出来るし、多くの市民が平等で公平な生き方が可能になるに違いない。

我々国民が、常識によって生き方を縛られるのを避けるとすれば、何に基づいて生きるべきなのであろうか。真理に基づかないものでも常識というが、真理に基づいた思考・信念を『理念』という。つまり、宇宙の真理や科学的な真理に適っている思考・信念である『理念』こそが、我々に間違った生き方をさせない価値観でもある。この違いを我々は、しっかりと認識すべきであろう。権力者は自分取って都合のよい常識を、メディアを利用して大衆に浸透させる手段を取りやすい。太平洋戦争時、軍部により思想教育をさせられた歴史がある。あたかも正しい常識だと思い込ませられたのである。

日本国憲法では、基本的人権を何よりも尊重しているし、その基本的人権の中で一番優先して守るべきものとして『表現の自由』がある。日本人の殆どは、表現の自由が保証されていると思っていることであろう。ところが、先進国の中で一番表現の自由が制限されているのが日本であることを知らない人が多い。放送法という法律がある。自分たちの政権を批判するような放送を垂れ流すような番組に対して圧力をかけたり、キャスターを交換することを強要したりしているのである。さらには、それに従わないと放送法に基づいて電波の割り当てをしないという恫喝を、TV局に対して平然と行っているのだ。

常識という概念の中で、時の権力者が意図して作り上げられたものは、信用すべきでない。または、男性が女性を自分の所有物や支配物にするために作られた常識に、縛られてはならない。それが、さも正しい真理に基づいたものだと思わせるために、表現の自由を侵害させられたメディアを使って喧伝していることを認識すべきだ。我々国民は、時の権力者にこびへつらい追従するようなメディアを信用してならない。また、古い権力志向の男性が牛耳っているようなマスメディアの論調には、絶対に耳を貸さないことだ。古い常識に縛られることなく、正しい理念に基づいた生き方をしたいものである。

スランプはこうして乗り越える

アスリートなら誰でも一度は経験するスランプ。生涯に何度もスランプを経験する選手もいる。スランプ経験なんかしたことがないというアスリートもたまに存在するが、滅多にいない。ましてや、トップアスリートなら必ず一度や二度のスランプを経験している筈だ。スランプを乗り越えることは難しい。これといった原因が見つからないことが多い。また、芸術家や文芸家にもスランプがあるし、タレントや芸能人もスランプに陥るケースがある。そして、その原因が解らずスランプに苦しみ続けることが多いし、そのスランプを乗り越えることが出来ずに、廃業にまで追い込まれる人も少なくない。

スランプになる『きっかけ』は、実に様々である。そして、スランプに陥った人はよくよく深く考えて、そのきっかけに気付いて、それを除外する為に努力する。しかし、そのきっかけを取り除いたとしても、不思議なことにまた違う『きっかけ』が起きてしまうのである。ひとつ解決しても次から次へと『きっかけ』が起こり続けて、スランプから立ち直れないのである。つまり、スランプの本当の原因を把握できず、場当たり的な対応をしている限り、スランプを克服できないのである。

アスリートがスランプに陥るきっかけは、技術的な側面もあるが、それ以上に重要なのがメンタル面である。身体というのは、実に不思議なものである。一度精神的な不安や恐怖感を感じてしまうと、筋肉が固まってしまい、いつもと違う動きになってしまう。ゴルフのトッププロが、4パットや5パットをする場面が放映されることがある。あんなこと、普段ではありえないのである。優勝が決まるかというような最終ホールのティーショットで、身体の回転が止まってしまいひっかけOBなんていうケースが実に多い。アスリートがスランプになるきっかけはメンタル面にあると言われているのも頷ける。

大スランプに陥っているのが、あのタイガー・ウッズである。彼は、酷い腰痛を起こしてから思うようなスィングが出来なくなり、スィングのバランスを崩してしまい、復帰の目途さえ立たない。全盛期には、どれだけプレッシャーがかかったとしても、またはどんなに難しいショットが要求される場面でも、いとも簡単にスィングしていたのに、見る影もないようなアンバランスなショットをしている。人間という生き物は、どこか1か所に不安の要素を抱えてしまうと、すべてが駄目になるものらしい。このようにして、大スランプから抜け出せないで苦しんでいるアスリートは少なくない。

大スランプに陥る原因を脳科学的に分析してみたい。長い期間のスランプに苦しんでいるアスリートの殆どは、不安と恐怖心からリズムとフォームを崩している。脳科学的には、脳内ホルモンであるオキシトシンの分泌が極端に減少しているか枯渇しているケースが多い。それだけではないが、今まで十分な量を分泌していたのに出ていないのだから、不安感や恐怖感を払拭できなくなっている。それじゃ、何故そんな状況に陥っているかというと、人間関係を損なっている場合が多いと推測される。夫婦、恋人、親子、兄弟、友人の関係性が、劣悪化もしくは希薄化してしまっているのである。それがオキシトシンの分泌不足を招いているのである。

このオキシトシンの分泌不足はアスリートだけでない。日常生活においても、得も知れないような不安と恐怖感から、メンタルが落ち込んでしまったりパニック障害になったりするケースも、このオキシトシンの分泌不足から起きることがある。つまり、日常生活におけるスランプもまた、このオキシトシンの影響がある。親しいパートナーとのある事件や事故などをきっかけに劣悪化してしまい、修復不可能な関係になってしまったケースを思い浮かべれば、解ってもらえると思われる。タイガー・ウッズはまさにそんなケースから、腰痛になり最悪のスランプになった。イチローが一時期スランプになったのも同じケースであろう。

オキシトシンは、深いスキンシップや愛情豊かな触れ合いにより大量に分泌される。このオキシトシンが十分に分泌されていると、どんなにプレッシャーがあっても不安にならない。またはストレスが大きくても、けっしてメンタルが落ち込まない。だから、スランプを乗り越えるにはオキシトシンを分泌させるような暮らしをすれば良いのである。性的な触れ合いが一番確実なのであるが、相手がなければ難しい。ペットとのスキンシップも効果あるし、社会貢献活動も有効である。ボランティアや公益活動をして、相手から大きな感謝と愛を与えられると、オキシトシンが多量に分泌される。不安感と恐怖感にさいなまれている人は是非試してほしい。

 

※スランプを乗り越えるための相談・カウンセリングを、イスキアの郷しらかわでは承っています。どんなご相談でも受けたいと思いますので、『問い合わせ』のフォームからメッセージを送ってください。秘密保持をお約束します。スランプに陥った本当の理由を明らかにして、その乗り越える方法を一緒に考えます。ご遠慮なくご相談ください。相談料はいただきません。

生きる意味が見つからない

座間市の猟奇殺人事件で犠牲になられた方々に、謹んでご冥福を祈りたい。なんと、女子高校生が3人もいたという。これからの人生なのに、若くて無念の死を遂げてしまったとは慙愧の念に堪えない。彼女たちに自殺念慮があったとはいえ、本気でこの世を儚んでいたとは思えない。自分の生きる意味が見つからないと悩んではいたであろうが、何とか見つけたいと悩み続けていたのではないだろうか。生きる意味とはなんであろうか。生きる意味を見つけるにはどうしたらよいのか、悩み苦しんでいる若者は少なくない。

生きる意味を見つけて、意気揚々と溌溂とした人生を送っている若者はどのくらい居るのであろうか。若者だけじゃない、中年者、老年者も、生きる意味を完全に見つけて生き生きとした人生を送っているのは稀ではないかと思えて仕方ない。どうして、人々は生きる意味を見つけられないのかというと、それは生きるうえでの確かな価値観を持っていないからである。価値観とは、哲学と言い換えてもよい。人間が何のために生きるのかという目的を持つには、確かな価値観を持つというのが必須なのである。

あなたは生きていく上で、どんな価値観を大事にしていますか?と聞かれて、私の価値観はこうですときっぱりと言える人は、どのくらいいるであろうか。おそらく、日本人の中で、私の価値観はこうですと即座に言えるのは、ほんの一握りの人でしかないであろう。何故なら、日本の学校教育でも家庭教育においても、価値観を教えることはしてこなかったのである。明治維新以降の近代教育制度のもとでは、価値観教育なんて不要だと敢えて避けてきたのである。さらに、戦後には思想・哲学教育は危険だとして、学校教育から一切排除してきた歴史があるのだ。

日本人とは、なんと不幸な人間だときっぱり言い切ったのは、日本を訪れたマザーテレサである。経済的にも豊かで、何もかも満たされているのに、心はいつも満たされていないし他人への思いやりも持てないでいる日本人があまりにも不幸だと感じたらしい。いつも自分だけの物質的な豊かさと幸福だけを追求して、まったく満足できていない日本人は、哀れだと思えたのかもしれない。これもやはり、日本人が正しい価値観を持てないが故の悲しさでもある。価値観を持てない日本人は、生きる意味も持てないし、正しく生きることが叶わない。こんなにも不幸なことはない。

日本のマザーテレサと呼ばれた、森のイスキアの佐藤初女さんは、人間が元気で生きるには誰かの為に役に立っているという実感が必要だと説いていらした。佐藤初女さんほど、人々の幸福に貢献した方は他にいないであろう。多くの人々の命を救い、元気にしてくれた。彼女は、確かな価値観を持っていらしたのは当然だし、人間の生きる意味をご存知だったからこそ、あんなにも多くの方々を幸せにしてこれたのに違いない。自分では何も語ることはなかったものの、その後ろ姿が雄弁に語っていた。

生きるうえでの大切な価値観、そしてその価値観に基づいた人生の意味と目的、それを学校でも家庭でも教えてくれない。だからこそ、マザーテレサや佐藤初女さんは、多くのことを敢えて語らず、自分らの行動で多くの人々に知らしめていたのに相違ない。今は、マザーテレサも佐藤初女さんもこの世には存在しない。しかし、今でも彼女たちの生き様は多くの人々に愛と勇気を与え続けてくれている。そんな生き方を自分もしたいと思っている。生きる意味が見つけられないという不幸な若者を、これ以上増やさないために。

 

※イスキアの郷しらかわでは、生きるうえで大切で正しい価値観を気付き学ぶ支援をしています。また、その価値観に基づく生きる意味や目的を設定するための研修を実施しています。解りやすい言葉で、しかも理解しやすいように物語としてご説明しています。是非、研修を受けてみてください。問い合わせフォームから申し込みください。

自殺をする前にしてほしいこと

神奈川県座間市で起きた、自殺志望者をターゲットにした連続殺人事件は、実に卑劣な行為である。被害者の殆どが若い女性であり、自分よりもか弱い立場の人間を薬やアルコールでさらに反抗できない状況にしての凶行は鬼畜以下の所業である。いくら自殺願望があったとしても、こんなバカな若者に信用させられて、不用意に彼の自宅に招き入れられてしまうというのは、よほど辛かったのであろう。この犯人が巧妙にSNSを利用しながら、言葉巧みに騙していたという報道がされている。人の弱みに付け込むという卑劣な行為は、けっして許されるものではない。

それにしても、自殺志望者でなければ、こんなにも簡単に信用することはなかったであろう。自分と同じ自殺願望者だと、犯人を信じ込んでしまったのだと思われる。このような自殺志望者は、他にも数十万人いると言われている。自殺願望者のSNSサイトでは多くの人々が交流しているらしい。自殺予備軍とも言われる人々がこれだけいるのに、救えないで手をこまねいているのは実に情けない。これらの自殺願望者の中で、本当に自殺しようと決断して、その時を待っている人というのはそんなに多くないと言われている。

しかし、自殺を最終決断していなくても、こんな世の中に未練がなくて、死んだ方がましだと思っている人がいるというのは事実である。社会に絶望し、夢も希望も見いだせず、生きる意味なんてないと思っているに違いない。それだけ、この世は生きづらいと思っている若者たちが多いのであろう。自殺願望者の方たちを救うために、電話での対応やネット上での支援サイトが開設されている。しかし、匿名での応対であり、効果は限定的にならざるをえない。やはり、実際に対面しながらお互いに胸襟を開いての対話による支援でしか、自殺願望者を救えないのではないだろうか。

自殺を願望する人たちを何とか救いたいと、『イスキアの郷しらかわ』は日々活動している。自殺を志望する人たちに叱咤激励は効果がないと言われている。自殺をしてはいけない訳を、正論を掲げてくどくどと説明しても聞く耳を持つ訳がない。社会に対して絶望していているのだから、社会的な貢献意識を目覚めさせようとしても、無駄であろう。ましてや、社会や家族との絆やつながりを大切に考えて、自分を必要としている人がいるんだという説得にも耳を貸さないであろう。本当に思い詰めてしまった方々には、何を言っても聞いてもらえないかもしれないのである。

ただひとつだけ自殺願望者を救えるとすれば、何も言わずにただ寄り添うことだけかもしれない。それも一切否定するような感情を持たず、その人のあるがままを認め受け容れ、暖かく迎え入れる態度が最適であろう。そして、心の籠った温かい食事を提供することである。冷え込んで固まってしまった心を、溶きほぐすのは優しい料理しかない。『イスキアの郷しらかわ』は、まさしくそんな食事を提供している。身体に優しく愛が溢れる食事は、冷え込んでしまった心を温めてくれるに違いない。

もうこの世には未練も、そして夢も希望もなく、生きる意味なんてないと思っている方たちがこのブログを読んでくれたなら、最期の最期にイスキアに一晩だけでも訪れて泊まってから決断してほしい。自殺するのは、それからでも遅くはない筈だ。何を言わなくてもいいし、何をしなくても良い。ただ、泊まって最期の食事をしてほしい。住所と氏名だって明かさなくてもよい。何も聞かないし、問いただすこともしない。もし、何かしら言いたくなったとしたら、ただ黙って聞くことはしよう。だから、自殺をする前に、一度だけイスキアの郷しらかわを訪ねてほしい。

 

※申し込みは、問い合わせフォームからしてください。通信欄に「そっとしてほしい」と記入してもらえば、何も聞きませんし、こちらから何もアクションをしません。食事だけを提供いたします。聞いてもらいたいことがあるなら、何も言わずに黙って伺います。

体内細菌と共生する

一般的に腸内フローラと呼ばれる腸内細菌叢(そう)の重要さが認識されている。腸内細菌が人々の健康な生活に欠かせないものだということが判明してきたのである。それは、身体的な健康ばかりでなく、精神面での良い影響もあることが分かってきている。脳内ホルモンの分泌など、脳の正常な働きにもおおいに関係していることが分かり、その重要性が認識されている。腸内環境が悪化すると、大腸の疾病だけでなく、人間の全身症状が悪化することが知られている。現代人に多い、過敏性大腸などの難病も腸内細菌が影響していると言われている。身体全体の免疫にも関係しているので、腸内環境が悪化すると、いろんな感染性疾患も発症しやすくなる。

さて、腸内細菌を代表とする体内に存在する細菌であるが、実に様々なものがあると言われている。ついこの前までは、これらの細菌やウィルスの重要性は認識されていなかったし、百害はあっても一利もないと思われていた。したがって、体内の菌やウィルスは駆除しても何の影響はないと思われていたのである。実際に、医療機関において投薬や注射によって抗生物質や抗菌剤が投与され、体内の菌は駆除され続けてきたのである。近年、胃潰瘍の原因はヘリコバクター・ピロリ菌だとされて、その除菌療法が保険適用の効果もあり、多くの人々は勧められるままに除菌療法を受けてしまった。抗生物質の乱用によって、体内細菌は除去されてしまう状況になっている。

ところが、ヘリコバクター・ピロリ菌を駆除したら、重篤な逆流性食道炎で苦しむ人が増えた。さらに、除菌療法によって有用な体内細菌も一緒に駆除されてしまい、他の疾病が発症するリスクも増えているらしい。どうやら腸内細菌も含めて、体内細菌が存在するそもそもの理由があると判明してきたという。人間というのは、長年に渡り環境に適応するように進化してきた。体内細菌もまた、その進化に合わせて環境に順応してきたらしい。それが、近年の急激な医学の進歩や科学技術の進歩により、有用な体内細菌までも駆除しつつある。抗生物質や殺菌剤の乱用により、逆に疾病に罹患する人を増やしているとしたら、実に皮肉なものである。

様々な新薬の開発に凌ぎを削っている薬品会社の苦労が想像できる。新薬の開発に遅れを取れば、会社そのものの存続が危うくなる。当然、かなり副作用の強い危険な薬品だって、手掛けるしかなくなる。厚労省の認可を得るために何度も治験を繰り返し、副作用のデータを収集して完全に安全なものとして世に出す。しかし、過去にもあった例であるが、副作用や危険性を意図的に隠して世に出してしまった新薬もない訳ではない。いずれにしても、抗菌剤や殺菌剤、または抗生物質を安易に使用しないように注意したいものである。

腸内細菌などの体内細菌を減少させたり壊滅させたりするのは、薬品だけではない。毎日飲んでいる水道だって危ない。ご存知のように水道には、次亜塩素酸ナトリウムという消毒剤が含まれている。水道法によって、1リットルの水に0.1㎎以上の塩素剤が含まれていなければ飲料水とは認めないとなっている。しかし、怖いのは実際にその基準の数倍以上の塩素剤が含まれていて、しかもその塩素剤と汚染物質が結びついて、有害な消毒副生産物が産生しているのである。塩素剤も含めてこの消毒副生産物は、ガンの発生原因にもなっているのである。食べ物にだって、消毒剤としての塩素剤は含まれているし、多種に渡る殺菌剤・除菌剤が添加物として入っている。これらが有用な体内細菌をも死滅させていることは、容易に想像できる。

薬品だけでなく食料品にも有用な体内細菌を駆除してしまう成分が含まれている。スーパーで売っているカット野菜は次亜塩素酸ソーダで殺菌されている。レストランのサラダバーの野菜も同じだ。スーパーやコンビニで売っている野菜サラダなんて、殺菌剤にまみれている。実は食べ物だけではない。ヘアーシャンプーやボディシャンプーなどにも抗菌剤殺菌剤が添加物として入っている。最近は、抗菌効果のあるおもちゃや日用雑貨品が増えてきたが、これらも皮膚表面に存在する有用な細菌を殺してしまう可能性がある。このように有用な体内細菌や皮膚細菌までも駆除してしまうので、十分に留意し食べるものや日用品は安全なものを選びたいものである。

自殺願望の人を救えるか

自殺願望者を自殺サイトで巧妙に誘って、金を奪い乱暴までして9人の命を奪うという凶悪事件が起きた。自殺を志望しているとは言っても、人の命を奪うという卑劣な行為は絶対に許せない行為である。自殺サイトというのは、インターネット上のSNSを利用したものであり、登録してお互いに対話をしている人はかなり多いという。どうせ自殺しようとしているのだから、それを助けて上げただけだという認識を彼が持っているとしたら、それはおおいなる勘違いである。

自殺願望者の方たちがSNSで発信しているツィートを見ると、既に自殺する気持ちを確定している人は極めて少ないことが伺える。まだまだ迷いがあって、心の奥底では誰かに救ってほしいという気持ちがどこかにあって、そんな気持ちが見え隠れしているのである。だから、中には自殺を手伝うという人がいたとしても、または自殺を早くしろと促すようなツィートをしても、反発する自殺願望者が多いように見受けられる。自殺願望者たちは、自殺をする前に自分の心の悲しさ苦しさ辛さを解って、共感してほしいと思っているのである。

自殺を救うNPOやそのサイトを見ていると、自殺そのものを否定するのでなくて、自殺願望者の気持ちに寄り添うことがまずは必要だとしている。自殺願望者のサイトを見ていると、自分の気持ちに寄り添って共感してくれる人がいないという嘆きが漏れ聞こえる。厚労省の自殺を救うサイトも開設されていて、まずは相談を受けて共感することに重きを置いている。しかし残念なことに、いろんな支援施設に実際に駆け込んで、救いを求める自殺願望者はけっして多くないのである。自殺を思い止まらせることが難しい所以である。

自殺願望の人を救う、現代の駆け込み寺的な宿泊施設がある。『森のイスキア』という施設である。青森県の弘前市、岩木山の麓にあるこの施設は、佐藤初女さんという女性が運営していた。佐藤初女さんは、日本のマザーテレサとも呼ばれていた人で、彼女の握ったおむすびを食べただけで自殺を思い止まったという有名なエピソードがある。心が疲れ切って完全に心が折れてしまい、生きる気力を失ってしまった人がこの森のイスキアを訪れて、また生きようと思い直す施設である。残念ながら、昨年の2月に佐藤初女さんが94歳の生涯を閉じられて、森のイスキアは現在活動を休止している。

佐藤初女さんは、特別な心理療法や助言をする訳ではなかった。心の籠った料理を食べさせて、ただ寄り添い共感するだけで、利用者自ら話し出すのをじっと待っていたという。利用者は佐藤初女さんの料理で癒されて、彼女の優しさと包容力を実感し、自分の苦しさ悲しみを訥々と話し出す。一切否定されることなく傾聴と共感をしてもらうことで、本人は安心する。そして、自分自身の力で解決策を見出すという。こうして、多くの心を痛めた方々が救われてきたのである。このような癒しと救いの施設がなくなってしまったのは、こういう悲惨な事件が起きるとつくづく残念なことである。

自殺願望者をSNSなどの自殺サイトや相談支援のサイトで救えるかと言うと、成果は限定的であろう。やはり、人の心を癒すには傾聴と共感だけでは難しいというのは、専門家の共通認識であろう。バーチャルの世界や電話応対でヒーリングを受けたとしても、絶対的なお互いの信頼関係を築くのは難しいからである。実際に出会って、相手の表情やそぶりを見ないと親近感は湧かない。ましてや、人生に絶望した人を救うのは、特別な食事などの提供も必要であるし、農業体験や自然体験などの仕組みなども求められる。マインドフルネスの時間も共有しなければならない。

ところで、座間市で起きた残虐事件の犯人は、父親に対してこんなことを言っていたという。「人生を生きる意味が見つからない。死んだほうがましだ」と。彼にも自殺願望が実際にあり、だから自殺サイトにアクセスしたのかもしれない。自殺願望の方々はおしなべて、自分の生きる意味を見つけられず苦しんでいるように思える。生きる意味とは生きる目的と言い換えていいかもしれない。正しい生きる目的を見つけるには、崇高で真理に基づいた価値観を持つ必要がある。間違っている低劣で劣悪な価値観では、正しい生きる目的は設定できない。自殺願望者の方々に、正しい価値観(哲学)を気付いてもらう支援施設が必要ではあるまいか。

※『イスキアの郷しらかわ』では、心の籠った自然食の料理、農業体験&自然体験、そしてマインドフルネスの実践を提供しています。さらには、正しい人生の目的を見つけるための価値観学習をしています。