人生に行き詰ったら環境浄化をしてみよう

 長い人生を生きる間には、どうしても前に進めないという時期があろう。どういう訳か分からないが、ふと立ち止まってしまい、そこから再度進もうとしても歩みが止まったままということがあるものだ。自分の今まで生きてきた過去を振り返り、これで良かったのか、これから進む道が間違っていないのかと一瞬でも疑った時にこそ、これ以上進むことが出来なくなってしまうことが少なくない。または、何をやっても裏目になってしまい、どうあがいても失敗続きで行き詰ってしまい、進むのが怖くなってしまうこともある。

 こんな状況に陥った際に、どうしたら現状打破が可能になるのだろうか。メンタルの問題だからと、誰かに相談するとかカウンセリングを受けることもあろう。または、身体の問題だからと、温泉やサウナに行ったり、マッサージや整体を受けたりすることもある。これらの対処方法もそれなりの効果がみられると思うが、それよりも簡単に、しかも短期的な効果を得られる方法がある。それは、環境浄化と身の回りの整理整頓である。断捨離も含めて、住環境の徹底的なお掃除を敢行することで、心身のリフレッシュ効果が起きる。

 行き詰ってしまいどうしても心身が動かなかったのが、住環境のお掃除や除菌を徹底的に行うと共に、洋服や調度品などの断捨離を含めて、徹底的な浄化により不思議と心が軽くなる。と同時に歩みを進めることが出来るだけでなく、失敗がなくなりすべて好転するようになる。さらには、今まではどうしてもお金が回らなかったのに、断捨離や掃除を徹底的に行ったら、急にお金回りが良くなるということが起きる。今までは欲しくても手に入れられなかった物が不思議と得られたり、素晴らしい出会いがあったりするのである。

 環境浄化や断捨離だけでそういうことが起きるのかというと、それだけでは人生が好転する訳ではない。それと同時に、心の浄化も実行する必要がある。断捨離やお掃除を徹底して行うと、心も清浄になる傾向を示すものの、その際にどのように心を整えるかということも大切である。環境浄化や断捨離をする際の、心がけも大事だということである。したがって環境浄化や断捨離をする時に、支援したり指導したりしてくれる存在が必要だと思われる。それでなくても、心身が動かない状況なので、背中を押してくれる人が欲しいと思うのも当然である。

 それでは、その環境浄化をする際の支援や指導は、どのような人に依頼すればいいのだろうか。先ずは、お掃除のプロにお願いしたいものである。どのようにお掃除をすれば良いのか、汚れを完全に落とすにはどのような洗剤と道具を使用すれば良いのかを適切にコーチングしてくれる人が欲しい。そして、細菌・ウィルス・カビなどの除菌や殺菌をする方法にも精通した、消毒のプロも必要である。さらには、お掃除をすることにより、過去のトラウマを解放する方法を伝授してくれたり、心の浄化をする手伝いをしてくれたりしてくれる人もいてくれたらありがたい。

 お掃除をやってくれる業者は多く存在する。しかし、一緒に作業をしてくれながら、お掃除のやり方を丁寧に手取り足取り教えてくれるような業者は殆どいない。ましてや、お掃除を支援・指導をしながらカウンセリングやセラピーをしてくれるようなお掃除のプロは皆無である。さらには、疲れたらボディーケア(マッサージ)までしてくれる人はいない。すべてに精通しているプロフェッショナルならば、とんでもなく高い対価を支払うことになると想像できる。それを安価で実現してくれるプロがいたらすぐに依頼したいだろう。

 現在このような業者はいないし、すべての環境浄化や心の浄化を提供してくれる業種は存在しないので、実際に依頼することは残念ながら叶わない。インターネットで検索したとしても、日本国内でヒットする可能性はゼロであろう。今後、このような環境浄化と心の浄化を一緒にしてくれる起業家が現れてくれることを願っている。このような新規の業務を起ち上げてくれる企業が現れてほしいものである。そうすれば、人生に行き詰ってしまい、一歩も踏み出せなくなってしまった多くの人々が救えるに違いない。いろんな苦難困難に遭うと共に、不幸のどん底に陥ってしまった人々も立ち直れるかもしれない。

※このような業種を新規に立ち上げたいというベンチャーが居ましたら、『イスキアの郷しらかわ』では起業支援をさせてもらいます。また、このような業務を始めたいという企業家がありましたら、同じく業務起ち上げのサポートをいたします。さらに、試しにこの環境浄化・心の浄化をしてもらいたいという方がいましたら、問い合わせ・申し込みの欄からお問い合わせください。どちらの金額もボランティア価格にて対応させてもらっています。

滝ヒーリング(魂の浄化)が起きた瞬間

 先日、何回目かのイスキアの郷しらかわの見学・研修会を開いた。その研修会は、初期研修の集中研修であり、2泊3日の日程で2回分の研修なのだが、時間的な余裕もあったので、参加者をオプションツアーとして滝ツアーにお連れした。農家民宿がある西郷村の近在には、滝がいくつかあり、そのどれもが素晴らしい景観を提供してくれる。そして、いずれもパワースポットとしての要素も兼ね備えている。予想した通りの結果になったのだが、5名の参加者は、滝ヒーリング(魂の浄化)を実証できたのである。

 第2日目の午後に少し時間に余裕があったので、隣町の下郷町にある「日暮らしの滝」に参加者たちを案内した。この滝は、地元の人にもあまり良く知られていなくて、訪れる人も少ない。以前は滝の近くまで行けたのだが、滝つぼまで降りていくアクセスの登山道が流されていて、危険なため柵が設けられている。以前に実地に確認して、初心者でも自己責任にて行けることが解っていたので、参加者たちをエスコートして滝つぼまで連れて行った。その見事な迫力ある滝の流れ落ちる姿に、見る人が圧倒されたのは言うまでもない。

 全国的なに有名な名瀑と呼ばれる滝は、殆どが危険防止と環境保護の為に、滝つぼの近くまでは行けなくなっている。したがって、遠くから眺めることしか出来ないし、ましてや瀧の飛沫を浴びるほど近くまで行くことは叶わない。この日暮らしの滝は、3段になって滝が流れていて、近くで眺めるとすごいパワーを感じるし、飛沫から受けるマイナスイオンがすさまじい。そして、その滝の近くでしばらくたたずんでいると、その癒し効果に唖然とする。自分の心が解放されるというのか、魂が打ち震える感覚が味わえるのである。

日暮らしの滝

 その後、さらに滝巡りは続く。今度は西郷村の甲子(かし)遊歩道にある「熊の滑り台」という滝を案内した。この滝は、ただ眺めるというよりは体験する滝というべきなのかもしれない。熊の滑り台と呼ばれるように、まるで熊がその場所で滑って遊ぶかのような滝である。勿論、人間だってその滝に入り込んで遊びたくなる。小さな子どものようにはしゃぎたくなる場所だ。参加者たちも、誰に薦められることなく、いきなり靴を脱ぎ捨てて、滝の中で遊びまわったのは当然である。インナーチャイルド全開状態となった。

熊の滑り台

 翌日の午後からは、棚倉町の山本不動尊をお参りした。このお寺は、弘法大師空海ゆかりの真言宗のお寺で、本堂に安置されるご本尊は阿弥陀如来であるが、川向うの石段を昇った高い霊窟にある本尊が不動明王であり、地元の人々には山本不動尊の愛称で呼ばれ親しまれている。弘法大師空海がこの霊窟において、護摩壇を築いて護摩炊きを行ったと伝わり、霊験あらたな霊場として多くの参拝者を呼び寄せている。この護摩壇の近くには弘法大師の像も安置されていて、パワースポットとしても人気が高い。

山本不動尊

 この山本不動尊のパワースポットで、参加者たちは十分なエネルギーを受け取った後に、いよいよ最後の「江竜田の滝」を訪れた。そこで、驚くような不思議な出来事に遭遇するとは予想だにしなかった。まずは、到着寸前の際に車のフロントガラスの目の前にキジが現れたのである。キジは滅多に人前には現れない。キジは古来より神の使いと言われていて、近寄ってくる場合はこの後に幸運に恵まれるとされている。また、滝の上空は晴れているのに、虹が見えてその近くには龍雲が現れたのである。まさに奇跡が起きたのだ。

 参加者たちは、江竜田の滝の迫力に圧倒されるだけでなく、深く内観したみたいで、じっと滝を眺めていた。そのうち、参加者たちは大声で号哭しながら、お互いに抱き合っていた。自分の辛くて苦しくて思い出したくなくて封印した過去を、表出させてしまったようである。おそらく、泣くことさえもできない悲しい過去をないことにして仕舞い込んでいたと思われる。今回の研修で、佐藤初女さんの癒し、自我と自己、自己マスタリー、形而上学、愛着、母性愛と父性愛、等々を学んでいたせいもあるが、両親と自分の関係を素直に振り返ることが可能になったと思われる。まさしく、滝からの癒しと魂の浄化が実現した瞬間でもある。

江竜田の滝

以前のブログでも「滝と龍と私」という題名でブログを書いたが、まさしく滝つぼに住み遊ぶ龍に誘われて自分の心に存在する龍(自我やインナーチャイルド、または過去)が表出し、それを認め受け容れ慈しんであげたことで、魂が浄化されたに違いない。佐藤初女さんを目指している方々だからこそ、それが可能になったのかもしれないが、滝ヒーリングの効果が確認された瞬間である。

ソバーキュリアスというお洒落な生き方

 ソバーキュリアスという言葉をご存じであろうか。数年前から使われ出している語句で、比較的新しい言葉である。ひとつの特徴的な生き方と言えるもので、お酒を飲めるのにもかかわらず敢えて飲まないという人生プランである。ただし、絶対に飲まないという頑なとも言える生き方ではなくて、人生の節目に当たるようなお祝い事には、多少のアルコールを嗜むこともある。お酒が嫌いとか飲めないという訳ではないのに、飲まないというのが新しくてお洒落だと言える。昔にはなかった人生における選択肢である。

 お酒好きで晩酌を欠かさないという人には、到底考えられない生き方がソバーキュリアスでもある。好きな人には、お酒がない人生なんて、実に詰まらないに違いない。職場の上司や同僚との飲み会は、無くてはならないものであろうし、友達との飲み会は何よりも楽しいに違いない。酒好きの人間にとっては、お酒を飲まないで集まりに参加するなんて、許せないかもしれない。お酒の場こそが人間関係を円滑にさせてくれるし、酒席を活用することで仕事が上手く行ったという思いがある。お酒の効用は非常に大きいと実感している。

 確かに、お酒の効用は多大なものがある。長い人間の歴史の中で、お酒がもたらしてくれた効用は数限りない。しかし、一方で酒による失敗も同様にある。酒というものが、いかに人生に大きな影響を与えてきたということである。それだけ、お酒というものが人間の歴史に様々な足跡を残してきたと言えよう。そんなお酒を、敢えて飲まないという人が増えてきたらしいのである。ソバーキュリアスという生き方を志す人が、世界中に増えてきたという。どうしてお酒を飲まないという人が増えたのであろうか。

 ちなみに、ソバーキュリアスという生き方を志す人は世界中にいるし、著名人にも多い。日本人では、泉谷しげる、斎藤工、伊達みきお、ロバートの秋山竜次、X JAPANのToshi、京本政樹、森保一らが挙げられる。海外では、ブラッド・ピット、ダニエル・ラドクリフ、アン・ハサウェイ、ヴィクトリア・ベッカム、ナオミ・キャンベル、ナタリー・ポートマン、マドンナ、ジェニファー・ロペスと枚挙に暇がない。しかし、日本人のソバーキュリアスは元々お酒が苦手だという人が多いが、海外の著名人は元々お酒が飲めるのに敢えて飲まないケースが多い。本来のソバーキュリアスとは、後者のことを言う。

 お酒を飲むことのメリットとデメリット、飲まないことによる長所と短所について述べるつもりはない。また、お酒を飲む人を蔑んだりソバーキュリアスの人々だけをリスペクトしたりする訳ではない。何故、著名人や教養・学歴の高き人たちにソバーキュリアスの人が増えたのかについて述べたい。元々、人はお酒を何故飲むのかと言うと、大脳生理学的にはドーパミンという脳内伝達物質が多量に放出されるからである。お酒を飲むと、快楽的になり気が大きくなるのはこのせいだ。そして、このドーパミンというホルモンは習慣性がある。つまり、このドーパミンの作用により、お酒に依存してしまうということである。

 ソバーキュリアスという生き方に目覚めた人々というのは、お酒に依存したり快楽を追い求めたりする生き方が、人間のあるべき生き方とかけ離れていることに気付いたのであろう。お酒を習慣的に飲むことが、精神的自立を阻んでしまい、自己人格の確立が実現できなくなることに気付き始めたのではなかろうか。人間が無意識的にドーパミンを放出させようとしまうのは、どこか満たされない人生を歩んでいるという感覚があると言えよう。自我人格を克服できないと、どうしても欲望(煩悩)に支配された生き方をしてしまうのである。

 欲望に支配されてしまっている自我人格を乗り越えて、自我人格と自己人格を統合させて、全体最適の高い価値観を持つ自己人格を確立するには、お酒を飲む習慣を持っていては難しいと思われる。勿論、100%無理だとは断定できないが、少なくてもドーパミンに支配されているような生き方では無理である。それは、お酒だけでなく煙草やギャンブルに依存していても難しい。アルコール依存症は、本人だけでなく家族を不幸にする。欧米では、アルコール依存症になる人が多く社会問題化している。だからこそ、ソバーキュリアスという生き方に人々が注目し、その生き方がお洒落でカッコいいと、もてはやされているのかもしれない。

牛肉を食べると地球温暖化が進む

 牛肉を食べると地球温暖化を招くと聞いても、ピンとこない人が多いかもしれない。牛肉と地球温暖化にどのような関連があるのか、不思議に思うことであろう。牛が呼吸をすることで二酸化炭素を増やすから、または飼料作成の段階で二酸化炭素を放出することにより、地球温暖化が進むと考えるのは、普通に考えられることだ。しかし、牛を育てると二酸化炭素だけでなく、地球温暖化の物質が大量に出るという事実があるのだ。その地球温暖化の元凶とはメタンガスである。牛はメタンガスを大量に出す生き物なのだ。

 牛には、胃が4つあるということは広く知られている。第一胃に入れた食物を、第二、第三、第四の胃へと反芻しながら移していく。牛は第一の胃に入れて、食物を消化する為に腐敗を起こさせる。この腐敗させる段階で、メタンガスが大量に作成されて、反芻の際にゲップをして外に放出されるのである。メタンガスは、二酸化炭素よりも遥に高い温室効果ガスになってしまうのである。二酸化炭素の28倍もの高い温室効果があると言われている。牛の反芻のゲップだけが、メタンガスの発生源ではないが、かなりの量が発生している。

 メタンガスの発生源は、牛の他に反芻をする羊もゲップをすることが知られているが、牛ほどのメタンは発生させていない。化石燃料を燃焼させる時にもメタンは発生するし、ゴミの集積所でも生じる。田んぼでもメタンの発生が確認されている。発生源のうち、牛の発生量はかなり多いらしい。牛だけを地球温暖化をさせている悪者にするつもりはないが、実際に東南アジア、アフリカ、南米でメタンガスが大量に増えている。これらの地域では、牛肉を食べる食習慣が増えていて、ここにきて牛の飼育が急増しているのも事実だ。

 SDGsを推進するために、牛の飼育頭数を減らす努力が求められる。温室効果ガスだけの問題だけでなく、省エネや健康増進の観点からも牛肉を大量に消費する食習慣を見直すべきではないだろうか。牛を飼育する為には、大量の穀物を食べさせる必要がある。先進国が牛を食することで、飼料である穀物を大量に消費してしまい、発展途上国で穀物が足りなくなって飢餓が起きているのである。日本でも牛肉を必要以上に消費するようになった。牛丼やハンバーガーが大量に消費されるようになったからだ。

 元々日本においては、牛肉を食する習慣はあまりなかった。明治維新の文明開化によって、牛鍋、すき焼き、焼き肉、ステーキの食文化が広まった。富国強兵策と肉食がリンクしたのであろう。戦後には欧米の食文化がさらに広まり、ハンバーガーが大量に消費されると共に、牛丼がファストフードとして定着し、大量の牛肉が消費されている。ハンバーガーや牛丼は廉価であるし、手軽にどこでもいつでも入手できることから、大量に食されるようになった。このようなファストフードの食習慣は、伝統的な和食文化を廃れさせている。

 牛乳を飲むという食習慣も、戦後に米国がパン食を日本に広めるための戦略が機能して、広まってしまった。牛乳が健康を増進するというプロバガンダが成功したのであろう。日本では、牛乳を飲むという食習慣はなかったが、学校給食において牛乳を飲ませることで、日本の子どもたちの食習慣を洋風に変えたのである。牛肉を食べることと牛乳を飲むという食習慣が日本に広まったことで、牛を飼育する農家が急激に増えたのである。さらに、牛肉の輸入自由化によって、安価な牛肉が米国や豪州から大量に輸入されるようになった。

 このまま牛肉を大量に食べ続ける食習慣と牛乳をたくさん飲む食生活を継続すると、世界で牛を大量に飼育することになり、SDGsを進めるうえで問題となる。地球温暖化に悪影響を与えるのは間違いない。だとすれば、完全に牛肉を食べないようにするとか、牛乳を飲まないようにするということは難しいが、大量消費だけは避けたいものである。ましてや、牛肉や牛乳を摂り過ぎると健康上の問題が起きると主張する専門家が多い。元々日本の伝統的な食文化においては、肉を食べるのはハレの日だけだった。日常的に大量の牛肉を食べる食習慣を見直して、地球温暖化を防ぎたいものである。

腹七分目がアンチエイジングを実現

 昔から日本で言われ続けてきた健康の秘訣に、『腹八分目』というものがある。おそらく、いつも満腹まで食べ続けて飽食人生を歩んできた人は、不健康になり長生きも出来なかったに違いない。一方、敢えて八割程度の食事量で我慢した食生活を続けた人は、健康で長生きしたのではなかろうか。そのような人々の生き方から、腹八分目という言葉が生まれたのであろう。飽食を続ければ、高脂血症や糖尿病などの生活習慣病になりやすいし、肥満になって下半身に負担がかかって腰痛や膝痛で悩む人も多かったであろう。

 最新の科学的な検証によって、この腹八分目が正しいということが証明されたのである。この食事制限というのは、普通の食事カロリーの25%~30%なので、正確に言えば腹八分目ではなくて腹七分目というべきかもしれない。何故、カロリー制限をするとアンチエイジングが実現するかというと、それはサバイバルシステムが起動するからである。そのサバイバルシステムに重要な働きをするのが、サーチュイン遺伝子である。サーチュイン遺伝子は、適度なストレスをかけられると、危機的状況を感知してサバイバルシステムのスイッチをONにするのだ。

 このサバイバルシステムというのは、どのような意味なのかと言うと、こういうことらしい。食事カロリーが制限されて生きて行く上でギリギリのエネルギー状態に置かれると、種の保存が脅かされる危機感を持つらしい。つまり、身体が危機的な状況に追い込まれたと感知するのだ。そうすると、どのような方法を使っても、種を保存しなくてはならないと、身体のシステムが勝手に働くのである。老化をさせないようにして、後々まで生殖能力を残そうとするのである。そのために、老化した細胞を再活性化させて若返りを図るのである。

 米国ウィンスコン大学の研究チームがアカゲザルを研究対象にして実験した結果、食事を70%に減らしたグループの方が、制限しなかったアカゲザルのグループよりも三倍も病気と老化にならない確率が高かったという。30%の食事制限したグループのアカゲザルは、肌がつやつやして皺も少なく、毛並みも明らかに良かったらしい。ただし、他の研究グループでの実験結果では、あまり効果がなかったという報告もあったという。そこから解ったのは、やせているサルは食事制限の効果が少なく、少し肥満気味のサルに効果があるということだ。

 アカゲザルにカロリー制限の食事を提供することにより、アンチエイジングの効果があるという実験結果が現れたものの、人間ではまだ実証実験がされていない。人間が30%の食事制限よって、老化が抑制されるということは、理論的には証明されている。腹八分目は医者いらずという諺は、実体験からできたものであろう。断食をすると、健康になるというのも広く知られている。そして、激やせの人間は食事制限してもサーチュイン遺伝子は活性化せず、少し肥満気味の人間の方がカロリー制限の効果が出るのかもしれない。

 適度なダイエットによってサバイバルシステムのスイッチがONになると、サーチュイン遺伝子が働き始めて、オートファジーが活性化されて活性酸素が消去され始める。心筋の保護機能も働くし、脳の神経変性疾患も抑制され、認知症も予防される。体の中に産生された活性酸素が消去されれば、癌の発生も抑制されることだろう。それだけではない。ストレス改善や疲労改善にも効果がある。シミや皺も改善されるし、ミトコンドリアの活性化が起きる。老化した細胞に働きかけて、DNAを修復するのである。

 この飽食の時代に、30%削減した食事を摂り続けるというのは、難しいかもしれない。美味しい食事が目の前に並んでいれば、ついつい食べてしまうだろう。それで、プチ断食がお勧めかもしれない。最近、16時間ダイエットという手法がもてはやされている。夕食後、16時間は食べ物を口に入れないというダイエット法である。つまり、朝食を完全に抜くという方法である。サーチュイン遺伝子を活性化させるサバイバルシステムを働かせるのだろう。毎日ではなくても、16時間のプチ断食が効果的かもしれない。いずれにしても、飽食を止めなければ老化が進むということを認識しなければならない。

コロナで見直す人間本来の生き方

 新型コロナウイルスは、次から次へと変異株が生まれていて、感染症の終息は迎えられそうにない。そこで、世界各国では新型コロナウイルス感染症の完全な封じ込めは難しいと判断して、ウィズコロナの社会を作り上げて、ウイルスと共存する道を模索始めている。どのようにすれば、重症化を防ぐことが出来るのか、死亡率を下げられるのか、医療体制を崩壊させずに出来るのか、様々な検討をしている。新型コロナウイルスの特徴やワクチンの効果もある程度解ってきたので、ウイルスと共存できる時期は近いかもしれない。

 そこで、深く考えるべきは、我々自身のライフスタイルをどのようにすれば、新型コロナウイルスと共存できるかである。新型コロナウイルスの性質や特徴が判明してくれば来るほど、何故か不思議な程、人間が本来目指すべき生き方に添ったように生活すると、ウイルスとの共生が可能になるような気がするのである。それはより人間らしい生き方でもある。人間らしい生き方というのは、心身共に健康で自然と共生する生き方と言えよう。物質的な豊かさや便利さを追い求める暮らしではなくて、心の豊かさを重視するライフスタイルだ。

 人間がすべてのウイルスと闘って何とか凌いできた歴史があるが、それには医学の発展と医療の進化も寄与してきた側面もある。しかし、最終的には人間自身の自己免疫力を高めて、自己治癒力を向上させることが何よりも大事であると気付かされている。新型コロナウイルス感染症でも、感染しても基礎疾患もなく免疫力が高ければ、決して重症化しないし軽く済むだろう。だから、普段からの食生活、運動、休養、養生が大切なのである。さらには、化学過敏物質を生活全般で避ける気遣いも必要であろうし、電磁波にも注意が求められる。

 最近、国立宇都宮病院の研究チームがワクチン後の抗体価変動を調査したところ、喫煙者の抗体価が著しく減少していることが判明した。日常的に飲酒をする人と喫煙者は新型コロナ感染症が発症しやすいと言われてきたが、ワクチンの効果も減少することが解ったのである。たまに少量の飲酒ならば免疫力を上げるが、日常的に飲酒することは免疫力を下げてしまう。夜間に飲酒する狭いお店の会合で、感染が広がると言われている。新型コロナウイルスと共生するならば、お酒の飲み方もウィズコロナに合わせて変えなければならない。

 新型コロナ感染症によって『飲みにケーション』が不要だと認識する人が増えて、飲酒機会が減ったと言われている。新型コロナ感染症により飲酒機会が減ってしまい、飲食業は壊滅的な被害を受けたと言われている。観光業も同様である。新型コロナウイルスが弱毒化して、単なる『風邪』と同じ扱いになれば、飲食業や観光業も復活できると思われる。だとしても、何軒もはしごして深夜帯にまで浴びるように飲酒するような習慣は、ウィズコロナには相応しくないように思う。もっと上品な飲み方をしないとウィズコロナにならないだろう。

 新型コロナウイルスと共存していくのなら、現代の暮らし方や生き方に対する考え方を抜本的に見直すべきだと思う。あまりにも便利で贅沢過ぎる生活をどうにかしなくてはならない。まずは食生活である。コンビニやスーパーに行けば、インスタント食品やお惣菜が豊富に並ぶ。超多忙な生活にはとても便利である。しかし、使われている素材や調味料をよく観察してみると、あまりにも危険なものが使用されている。酸化物質が多いし、リスクの高い重金属類も含まれている。これでは免疫システムを破綻させてしまい、新型コロナウイルスに身体は対抗できない。外食偏向も同様である。SDGs上もよろしくない。

 都市集中化した住み方をして、あまりにも便利で贅沢な暮らしというのは、食生活だけでない。仕事の仕方も同じで、満員電車に揺られ通勤して、狭い空間で大勢の社員がPCに向かって仕事をする。狭くて換気もしない室内では、ストレスフルで人間関係も破綻しやすい。余暇の過ごし方も同様である。インドアで換気の良くない狭い空間でスポーツすれば、感染症が起きるのは予想できる。やはり屋外や自然豊かな広大なフィールドでのスポーツこそが、ウィズコロナの時代に相応しいし、ストレス解消にもなる。都市一極集中化が新型コロナ感染症を蔓延させる環境と免疫力を下げてしまう暮らしを作ったと言っても過言ではない。今こそ人間らしい生き方にシフト変更すべきだ。

身体を動かさないと死へと向かう

 人間の寿命は『骨』で決まると言うと、びっくりする人が多いかもしれない。そして、身体を動かすかどうかで、長生きするかどうかが決まると聞いたら、そんなことがあるのかと驚く人も多いであろう。人間の身体が老化を迎えるかどうかは骨が決めていて、身体を動かすと骨が作られ、動かさないと骨は滅んで行く。ということは、身体をよく動かす人は老化しないで長生きするし、身体を動かさない人は早く老化してしまい、滅んでしまうということになる。それは身体だけではなく、脳の機能も滅ぶというから恐ろしい。

 人間の老化を促進させてしまうシステムは、骨に関連するホルモン(神経伝達物質)によって働いているという。そのホルモンとは、スクレロスチン、オステオカルシン、オステオポンチンという三つの神経伝達物質である。スクレロスチンは骨芽細胞を減らしてしまう。スクレロスチンが多く分泌されると破骨細胞を増やして骨芽細胞を減らし、逆に少ないと骨芽細胞が増加するのだ。そして、その骨芽細胞から人間の老化させるかどうかに関係するオステオカルシンとオステオポンチンというホルモンが作られているのである。

 骨芽細胞から産出されたオステオカルシンが、血液によって脳の海馬まで運ばれて、海馬を刺激する。そうすると海馬の働きが活性化するだけでなく、海馬の細胞も増加して大きくなる。反対に骨芽細胞が少なくてオステオカルシンが分泌されないと、海馬の働きは衰え、海馬の体積も縮小するという。極端に海馬が委縮すると、記憶力が極端に低下してしまい、認知症にもなりやすい。つまり、骨芽細胞の多い少ないが、脳の老化を進めるかどうかを決めているというのである。オステオカルシンが脳の機能を決めているのだ。

 それだけではない、オステオカルシンが筋肉組織に届くと、筋肉組織の細胞を増加させて、筋力アップにも寄与するらしい。さらに驚くのは、オステオカルシンが精巣に届くと、なんとテストステロンというホルモンを活性化させ、精子の生産力を向上させるというのである。また、骨細胞から分泌されるオステオポンチンというホルモンが、人体の各組織に送られて、免疫力を高めるのに役立っているというのだ。オステオポンチンが不足すると免疫力が低下して、ガンや生活習慣病、または重篤な感染症を引き起こすのである。

 どうして骨が人体の老化を決めているのかというと、骨の状況によって寿命を延ばすかどうかを決定するのではないかと推測される。どういうことかというと、骨の密度が低下してスカスカの状況になってくると、もう無理して長生きさせる必要がないと記憶力や免疫力を下げるものと思われる。さらには、筋力も低下させるし精力も必要ないと判断するとみられる。骨の状態を人体ネットワークが分析して、老化をさせて死に至らせる作用が働くのではないだろうか。ある意味、老人にとっては残酷なシステムとも言える。

 その際、オステオカルシンやオステオポンチンという若返りホルモンを分泌させる骨芽細胞を増やすかどうかをコントロールするのが、スクレロスチンというホルモンだ。このスクレロスチンが骨芽細胞を増やすかどうかを決めているのだ。運動をするとスクレロスチンが減少し、身体を動かさないとスクレロスチンが増える。スクレロスチンが多いと、骨をスカスカにさせて身を滅ぼすのである。その運動も、骨に対してショックを与えるような運動こそ効果が高いということが解った。つまり、ただ歩くだけでは駄目で、走る、ジャンプする等、骨に対して負荷をかけることで、スクレロスチンが少なくさせることが判明したのである。

 骨に強い衝撃を与える運動が老化と死を防止して、健康で長生きさせるのである。ということは、骨にあまりショックを与えない運動は、老化を止められないということだ。例えば、スイミングやサイクリングは筋肉に負荷をかけるが、骨にはあまりショックを与えないから、老化は進むということである。それじゃ、どんな運動がいいかというと、バスケット、バレー、テニス、野球、ジョギング等が良い。しかし、高齢者には過酷である。高齢者でも出来る老化を防ぐスポーツは何かというと、登山、ゴルフは骨に衝撃を与えるのでピッタリだ。特に登山は、下山する時にドンドンと踵にショックを与えるから、骨芽細胞を増やす。新型コロナも防ぐ。健康で長生きしたいなら、登山をすることをお勧めする。

ひきこもりは迷走神経によって起きる

 ひきこもりになる原因は、学校や職場におけるいじめや不適切指導だと思っている人が殆どではなかろうか。それはまったくの間違いであり、確かにそれらはきっかけではあるが、本当の原因ではない。ひきこもりにならざるを得ない真の原因は、迷走神経にあるのだ。だから、一旦ひきこもりに追い込まれてしまうと容易に回復できないし、何度も挫折を繰り返してしまうのである。そして、ひきこもりは自分の努力だけでは解決できないし、例え手助けがあったとしても、ひきこもりから引き出すのは容易でないのである。

 迷走神経が本当の原因であると言われても、ピンとくる人は極めて少ないであろう。なにしろ、現代の医学理論においては、迷走神経の研究がまだまだ進んでいないからである。ましてや、最新の医学理論であるポリヴェーガル理論を知っている医師や研究者が少ないのだから当然である。正しくて斬新な医学理論であればある程、多くの臨床医は自分の自説を曲げずに、新しい医学理論を受け入れたがらないのだ。優秀で実績をあげている臨床医ほど、自分の経験や知識が正しいのだと思いがちなのである。

 ポリヴェーガル理論というのは、今までの自律神経理論を覆す極めて重要な医学理論である。免疫学分野において、新しく獲得した免疫システムが、重症感染症に罹患することによって、古い免疫システムに切り替わってしまうという不思議な現象が起きることは知られている。免疫学の大家である安保徹先生は、そのことを理解されていたが、その切り替わりが迷走神経によるものだということはご存じなかったようである。自律神経のうち、副交感神経の免疫システムには二つあるというのは認識されていたようだ。

 従来の自律神経システムは、交感神経と副交感神経の二つの自律神経がバランスを取って、人間の活動と休息を支えていたと思われていた。社会交流や免疫を支援する副交感神経と、闘争または逃走かの状況に陥った時に働く交感神経の二つだけだと認識していたのである。副交感神経のうち約8割は迷走神経から出来ている。実はその副交感神経は一つだけでなく、2つの迷走神経があるということを、米国のポージェス博士が発見して学会に発表した。それは1994年のことであったが、日本で氏の著作が出版されたのは2015年である。

 副交感神経を司る迷走神経には、背側迷走神経と腹側迷走神経がある。だから複数の迷走神経の理論ということで、ポリヴェーガル理論と呼ばれている。腹側迷走神経というのは、従来の平穏でストレスフリーの状態で、休息や社会交流を促進する迷走神経である。それがストレスにさらされ危険な状態が差し迫ると、脊髄交感神経が働き闘争するか逃走するかの選択をする。ところが、闘うことも適わず逃げることも出来ない極限状態に陥ると、背側迷走神経のスイッチが入り、遮断や失神を起こすのである。

 背側迷走神経が一旦働いてしまうと、遮断(シャットダウン)や不動化、または心身の閉塞状況に追い込まれてしまう。社会交流が出来なくなり閉じこもり、いわゆるひきこもりの状態になるのである。何故、そんなことになってしまうかというと、人間の防衛反応なのである。闘争も逃走も出来ないような極限状況に人間が追い込まれてしまうと、精神の解離や崩壊を起こすとか、または自殺を起こしかねない。そういう状況にならないように、自分自身を守るためにシャットダウンや失神、閉じこもりを起こすのである。

 何故、闘うことも出来なく逃げることも出来ないと判断してしまうのかというと、根底に愛着障害があるからだ。安全と絆を提供してくれる「安全基地」が存在しない為に愛着障害になってしまうと、HSPになり背側迷走神経のスイッチが入りやすくなるのである。背側迷走神経のスイッチが入りシャットダウンが起き、ひきこもりに追い込まれてしまうのである。言い換えると、自分自身の防衛反応として敢えてひきこもりをするのである。意識的にひきこもりになるのではなく、無意識的になってしまうのだ。ひきこもりを解決するには、背側迷走神経のスイッチを切って、腹側迷走神経に切り替えることが必要なのである。

痛みが和らぐ優しくなでる手当法

 原因不明の痛みやしびれで苦しんでいる人が意外と多い。骨や神経には特に目立った異常がなく、これと言った痛みの元となるような生活習慣も見当たらないという。メンタル面では気になることもあるが、それが痛みやしびれの原因になるとは到底思えない。医師からは、精神的なものかもしれないと診断を受けることもあるが、自分ではそんなに深刻な悩みを持っているとは感じないのである。医師からは、心因性疼痛とか線維筋痛症という診断を受けて投薬治療となるが、一時的には良くなっても再発を繰り返すことも少なくない。

 

 そんな原因不明の頑固な痛みやしびれを、いとも簡単に和らげる方法がある。それは、お母さんが痛みを訴える子どもに実施している方法である。「痛い痛いの飛んでけえー」というあのやり方である。優しく撫でたりさすったりしながら、あの魔法のような言葉「痛い痛いの飛んでいけえー」と言ってあげるのである。流石に、大人にはこのような台詞は似合わないから、「ここが痛いんでしょ、痛いよねえ、早く痛みがなくなりますように」というような言葉を掛けながら、心を込めて優しく撫でてあげると、不思議と痛みが和らぐのである。

 

 そんな馬鹿なことがあるかと思う人は多いかもしれない。そんな非科学的な方法でこんな深刻な痛みが和らぐことなんかないと思うことであろう。しかし、騙されたと思ってやってみるといい。ただし、施術を受ける人と実施する人との間に信頼関係があることが必要だ。また、施術をする人自身、痛みが和らぐと心から信じることが求められる。さらには、施術する相手を安心させて緊張を緩めるような言葉がけや態度を要する。つまりは、カウンセリングマインドが必要だということだ。そうすれば、魔法のように痛みが和らぐ。

 

 どうして、そんなことが起きるのかと言うと、原因が心因性の疼痛だからである。でも、実際に疼痛が起きているのは確かであり、痛みの原因物質が存在する。または、痛みを感じるように無意識の脳が痛みの神経を刺激して、疼痛があると意識させるのである。心因性の疼痛を起こしている方は、自分でも乗り越えることのできない大きなストレスまたは深刻なトラウマを抱えていることが多い。心がいつも緊張しているから、筋肉がいつも緊張していて凝り固まっているのである。故に血流障害が起きているし、神経系誤作動の暴走がある。

 

 痛みが起きている場所を、信頼する人に優しくゆっくりと撫でられると、筋肉が緩むし心も和らぐ。皮膚に存在する痛点よりも感触点を感じる力の方が優位であるから、軽く触られていることを感じると、痛点の感覚が少し麻痺してしまうらしい。ましてや、心を込めて優しく触られているという快感があるので、痛点が感じなくなるシステムだと考えられている。勿論、これで疼痛がすべて完治する訳ではない。しかしながら、心を込めて自分の為に優しくさすってくれることを繰り返しているうちに、症状が随分と軽くなるのは間違いないだろう。

 

 心因性疼痛や線維筋痛症で苦しんでいる人たちは、ストレスやトラウマだけでなく、得体の知れない不安や恐怖をも抱えていることが多い。それは、自分にとっての絶対的な安全基地がないからである。そして、この不安やお怖れが神経系統の誤作動を起こさせ、『痛み』を感じさせているのではないかと見られている。痛みの場所をゆっくりとなでられると、オキシトシンホルモンという安心ホルモン(愛情ホルモン)が放出される。これがオキシトシンタッチという不安を解消させる療法である。自分を安心させてくれる人が優しく撫でてくれることで不安が和らぎ、痛みも少なくなるのである。

 

 心因性の疼痛や線維筋痛症の症状は、優しく撫でたりさすられたりすることで和らぐ。そして、痛みの筋肉部分を揺らしたり筋膜をリリースしたりすることでも痛みが和らいでくる。筋肉を緩めることが心を緩めることにも繋がっているのかもしれない。メンタルが不調の方たちも、筋肉が過緊張になっていて原因不明の疼痛を抱えていることが多い。心が固まっていると言えなくもない。心が緊張して固まっていると、筋肉も強張っているから血流障害や神経系統の誤作動が起きて、疼痛が起きていると思われる。こういう症状にも、優しく撫でたりさすったりすることで疼痛を和らげられるだろう。

ええ加減でいいんですよ

 料理家として有名な土井善晴さん、さぞかし素材や作り方に拘っていて、きっちりとした料理を作るんだろうと勝手に思い込んでいた。プレバトというTV番組でも料理の盛り付けにも厳しい評価をしていたものだから、ついついそんな風に思っていた。ところが、NHKラジオの対談番組を聞いてびっくりした。『料理なんてええ加減でいいんですよ』というのが口癖らしい。料理を作る時に、最後に味を調えたりもう一工夫を加えたりというのはありがちだが、それをしてはいけないと言うのだから驚きだ。

 

 勿論、ええ加減というのは努力を怠ったり手抜きをしたりして料理をするということではないらしい。私たちが料理をする際に、どうしても最後になって味をもっと良くしようと、隠し味やら独特の調味料を加えてしまい、素材本来の味わいを薄めてしまうことが往々にしてあるものだ。この最後のひと手間を敢えて我慢して、素材そのものの良さを味わってほしいから、ええ加減な状態で仕上げてはどうだろうかという意味らしい。確かに、あまりにも手を加え過ぎて素材の良さを殺してしまうものだ。

 

 そう言えば、火加減もそうだ。あまりにも火を通し過ぎてしまい、素材の歯ごたえや甘みなどを損なうことも少なくない。余熱のことを考慮しないで火を通し過ぎて、オムレツや玉子丼をだいなしにすることも多い。あれも、ええ加減で火を止めないから失敗するのだ。ええ加減というのは、その素材に対する思いやりでもある。和食というのは、そもそも素材の良さそのものを生かす料理である。和食の調味料も素材を生かすためにあるし、日本料理の素材も少ないし調理法もある意味シンプルである。

 

 土井善晴さんの料理に対する考え方は、実に素晴らしい。話し方も飄々とした感じで、柔らかい口調で、優しい人柄が出ている。そして、驚くことに料理を通して人生の哲学を解き明かしているようにも感じる。ええ加減に生きてもいいんじゃないの、と言っているようにも感じるのである。つまり、人間も生きているだけでも素晴らしいのだから、あまり頑張り過ぎなくてもいいし、自分の良さをだいなしにするまで無理することもないよということを言っているように思われる。

 

 この『ええ加減でいいんですよ』という言葉は、強烈な生きづらさを抱えた人たちにも言ってあげたい言葉でもある。生きづらいと感じながら生活している人は予想以上に多いように思う。その生きづらさというのは、曖昧で混沌としたこの社会だからこそ感じるものであるのかもしれない。そして、周りの人たちがあまりにもいい加減であることにも起因しているような気がする。さらには、生きづらさを抱えている人というのは、自分自身がいい加減な生き方が出来ないからとも言えそうだ。

 

 私が日々サポートしているクライアントも、強烈な生きづらさを抱えている。それは愛着障害が根底にあるから、二次的な症状としてメンタルを病んでいるからでもある。そして、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)だから心理社会的過敏症も抱えている。さらには、完璧さを求めてしまうから、ものごとに対して白か黒という二者択一的思考をしてしまう。0点か100点のどちらしか考えられないのである。グレー色や50点でもいいやという選択肢を取れないのだ。言ってみれば、ええ加減でもいいやと考えられないから、生きづらいのである。

 

 土井善晴さんが言っているように『ええ加減でもいいんですよ』という生き方が徐々に出来たとしたら、生きづらさも解消されるかもしれない。そうは言っても長らく続けてきた生き方や習慣化した考え方をすんなりと変えられるものではない。自分の無意識化での固定化された価値観は変えるのが難しいと思われる。意識を変えるには、まず行動から変えるのが良いと思われる。それこそ、料理とか掃除とか普段の生活から、ええ加減な行動をすることから変えてみてはどうだろうか。ええ加減でも生きられると解ってくると、少しずつ意識も変えられるような気がする。なお、自分自身でも『ええ加減でいいんだよ』と自分自身に言い聞かせるのも効果があるだろう。