厳しくて優しい母でした

 イスキアの郷しらかわでは、不登校やひきこもりの状況に置かれてしまっている方々をサポートさせてもらっている。そういう方々にどのような母親でしたかと聞くと、おしなべて「母は厳しくて優しい人でした」と答える。厳しいと優しいというのは、相反する形容詞であり、本来はあり得ない評価である。ところが、実際に不登校やひきこもりを起こしている子ども(若者)に聞くと、厳しいけど優しいお母さんという形容をするのである。彼らは不安定な愛着を抱えている。厳しくて優しい母に育てられると愛着障害を起こすのである。

 虐待やネグレクトの子育てをされるとか、または乳幼児期に母親から離される経験をすると愛着障害を起こすということは広く知られている。しかし、ごく普通に両親から愛情を注がれて育てられたというのに、不安定な愛着や傷ついた愛着を抱えてしまう子どもがいる。まさか、愛着障害になるなんて両親は夢にも思っていないのに、現実に愛着障害になってしまい、不登校やひきこもりを起こしてしまう子どもは大勢いる。または、愛着障害から摂食障害、ゲーム依存、ネット依存、薬物依存で苦しむ子どもは想像以上に多い。

 母親は厳しくて優しい人ですと、自分の母親を形容する子どもが多いのは何故であろうか。それは、母親がダブルバインドのコミュニケーションをして子育てをしているからである。ダブルバインドのコミュニケーションとは、二重拘束のコミュニケーションと訳されている。精神医学者のベイトソンが唱えた理論で、母親がダブルバインドのコミュニケーションを繰り返して子育てすると、子どもは統合失調症を発症すると主張した。子どもに対して相反する意味の言葉をかけ続けると、子どもはどちらの言葉が本心なのか疑心暗鬼となってしまう。

 母親が我が子に対して、「あなたのことは大好きだよ」と言ったかと思うと、違う場面では「あなたなんか大嫌い!」と言うことは良くある。母親が精神的に安定していないと、子どもの言動に切れてしまい、つい激高して子どもに対してきつい言葉をかけてしまう。特に、家事と育児に非協力的な夫だと、自分ばかりどうしてこんなに苦労するのかと思ってしまい、つい子どもに辛く当たることもある。また、発達障害のような夫である場合は、コミュニケーションが成り立たないから、孤独感を持ってしまい、つい子どもに厳しく対応する。

 このように母親がダブルバインドのコミュニケーションを子どもに対して繰り返し行っていくと、両価型の愛着障害になりやすい。親の愛情が信じられず、親に心から甘えられないし、親から見捨てられるのではないかという不安や恐怖感を持ち続けてしまうのである。子どもは、いつか自分は見離されてしまうのではないかという不安が心を支配しているし、周りの人は自分を嫌うのではないか、それは自分が駄目だからなんだと、自信を喪失する。つまり、絶対的な自己肯定感が育たないのである。

 厳しくて優しいお母さんは、子どもを立派に育てたいと思って必要以上に頑張るのである。学校の成績を上げて、良い大学に合格させて、高収入で安定した就職をさせようと必死になる。何かと、子どもに対して過介入や過干渉を繰り返す。無意識のうちで母親は自分が理想とする人生を子どもに歩ませようと、支配し制御してしまう。本来、母親は子どもをあるがままにまるごと愛するだけで良いのである。つまり、無条件の愛である母性愛を注ぐのが母親の務めである。ところが条件付きの愛である父性愛(しつけ)を父親が放棄するから、母親が母性愛と父性愛の両方を注いでしまい、厳しくて優しい母親になるのである。

 子どもを育てる際に、大事なのは先ず母性愛だけをたっぷりと注いで、それから父性愛を注ぐという順序なのである。父性愛を先に注いだり、または父性愛と母性愛を同時に注いだりするのは、絶対に避けなければならない。そうすると子どもは健全に育たず、いつも不安や恐怖を抱えてしまい、周りの人を信頼できないし、社会不適応を起こしたりメンタルを病んでしまったりする。「私の母はいつもすごく優しいし、大きな愛で包んでくれました」と子どもが言ってくれるような母親でありたいものである。間違っても母は厳しいけど優しかったなんて、子どもに言わせてはならないのである。

教育のイノベーションはシステム思考で

 日本経済の再生は教育のイノベーションによって実現できると、前回のブログで提起させてもらった。教育のイノベーションは、近代教育の問題点である客観的合理性偏重の教育を見直すことだと説いた。今回のブログではさらに踏み込んで、どういう価値観に基づいて教育を見直すべきなのかについて述べたい。本来目指すべき教育とは、普遍的な正しさを持つ価値観を基にした教育だと言える。その正しい価値観とは、システム思考である。システム思考とは全体最適を目指す価値観であり、関係性を根底にした自己組織化理論である。

 人間は完全なるひとつのシステムである。人間の構成要素である34兆2000億個の細胞からなるシステムである。人体におけるそれぞれの細胞のネットワーク(関係性)によって、人間は本来の機能を発揮できている。そして、それらの細胞は自己組織化されていて、誰からも指示命令を受けずとも、人体の維持・発展・成長・進化の為に昼夜働いている。それぞれの細胞は、主体性、自主性・自発性・責任性・進化性を持っている。細胞どうしのネットワーク(関係性)が壊れてしまうと、人体というシステムは機能を失い、病気になる。

 社会もひとつのシステムであるし、会社や職場もシステムである。地域社会も行政も、そして国家も世界も、さらには地球も宇宙もシステムである。そして、それらの構成要素も関係性によって存在しているし自己組織化の機能が発揮されている。すべてのシステムは全体最適を目指している。ところが、これらのシステムにおいて全体最適の価値観でなくて個別最適の価値観によって構成要素が動いてしまうと、システムは劣化したり破綻したりする。家族が崩壊するのも、全体最適ではなくて個別最適に陥り家族の関係性が壊れるからだ。

 すべてのシステムが正常な機能や働きを発揮するには、それぞれの構成要素のネットワーク=関係性が良好でなければならない。家族間の絆が損なわれると崩壊してしまう。夫婦が離婚するのは嫌いになったからではなくて、関係性が悪化するからである。子どもが不登校になったりひきこもりになったりするのは、親との関係性=愛着が形成されないからである。企業が破綻するのも、景気が悪い訳でもなく経営戦略が悪いせいでもない。社員どうしの関係性が悪いからシステムが機能せず自己組織化能力が発揮できないからである。

 つまりすべての集合体=システムは、全体最適の価値観を持つこと、そして豊かな関係性がないと、自己組織化が阻害されシステムが破綻してしまうのである。だからこそ、人間はシステム思考に基づく全体最適と関係性重視の価値観が必要なのである。小さい頃から、父親もしくはそれに代わる誰かからシステム思考の考え方や行動規範を教えられなければならない。そして、学校においてもシステム思考を基本にした教育が必要なのである。明治維新以降の教育は、システム思考と相反する教育をしてきたのである。

 明治維新以降の教育は、個別最適という間違った価値観を植え付けてしまった。能力至上主義や行き過ぎた競争主義を押し付け、自分だけの経済的な豊かさや地位名誉を求める利己主義を蔓延させてしまった。これでは良好な関係性は築かれない。人々は競い合いいがみあって生活し、人の不幸が自分の幸せだと感じるような利己主義の人間を作り出してしまったのである。これは、全体最適と関係性重視の価値観に基づくシステム思考という大切な哲学を子どもたちに教えてこなかったせいである。思想・哲学を忘れた教育は最悪だ。

 不登校、ひきこもり、いじめ、虐待、貧困、格差社会、孤独と孤立、自殺、生産効率の低下、経済の低迷、すべてはシステム思考という大切な哲学を失った為に起きていると言っても過言ではない。欧米では、このシステム思考の大切さに気付き始めている。特に北欧ではシステム思考的な教育が取り入れている。だから、北欧諸国の教育効果が非常に高いのである。オランダでも小学生からシステム思考を教えている。システム論に基づく自己組織化を発揮できるような自立・自律を重んじる教育をしている。米国でもシステム思考の第一人者であるMIT上級講師のピーター・センゲ氏が、多くの若者から支持されている。確実に世界ではシステム思考が支持を受けているのに、日本の教育だけが取り残されている。

経済再生は教育のイノベーションで

 前回のブログにおいて、日本経済が低迷している原因は愛着障害にあることを明らかにした。そして、その愛着障害が多いのは教育に根本的な誤りがあるからだと説いた。教育の誤りは何故起きたのか、その教育の誤謬をどのように正したら良いかを今回のブログで明らかにしたいと思う。日本の教育を本来あるべき姿に戻さないと、このままでは日本経済は益々駄目になって行くだろうし、不登校やひきこもりだって増加の一途を辿るに違いない。いじめや児童虐待、貧困、格差は増大し、家庭崩壊だって進んで行き、取り返しがつかなくなる。

 いつから日本の教育が間違った方向に進んだのだろうか。江戸時代の教育は至極まともだったし、教育レベルも相当に高かった。明治維新後に、欧米列強に続けと欧米から近代教育を取り入れたのである。その時から日本の教育は劣化してしまったと言える。当時の明治政府で実権を握っていた大久保利通等が、西郷隆盛の反対を押し切って近代教育を強引に導入してしまったのである。西郷隆盛は、近代教育の欠点を見抜いていた。近代教育によって日本人の大切な『心』を失ってしまうと西郷は猛反対したのである。

 何故、近代教育によって心を失うのかというと、能力至上主義であり客観的合理性をあまりにも重視する教育だったからである。それ故に、技能や知識を取り入れることだけを目指し、大切な思想や哲学、価値観の教育を排除してしまったのである。もしかすると、権力者を批判するような人間を排除しようとして、価値観教育をさせまいとしたのではなかろうか。明治政府が導入した近代教育は、知識や技能だけを獲得するための教育だから、教え込む教育である。言わば詰め込み教育であるから、自ら考え決断し行動する力を削いでしまった。

 人間は、本来自分の行動をどうするか熟慮して決断して、自らの考えで主体的に行動する。ところが、過介入や過干渉の教育、支配と制御の教育を推し進めると、主体性や自発性を失ってしまう。人間は主体性、自発性、自主性、責任性、進化性を本来持っている。それは、自己組織化する能力と言い換えることができる。人間は誰からか指示・介入されなくても、自己組織化するのである。ところが、誰かによってあまりにも制御されたり支配をうけたりすると、自組織化能力を失い、操り人形やロボットのようになってしまう。

 そして、人間が自己組織化するためには、正しく高邁な価値観に基づいた「生きる目的」を認識しなければならない。ところが、明治政府は価値観教育を排除してしまったから「生きる目的」を子どもたちは認識できなくなってしまったのである。親たちも、そして教師たちも「生きる目的」を知らないのだから、子どもたちに「生きる目的」語り諭すことが出来ない。試しに、自分にあなたの生きる目的は何ですか?と問うてみればいい。殆どの人が正しく「生きる目的」を概念化する力がないことに気付くであろう。

 江戸時代の教育においては、「生きる目的」を自らが考えて導き出すための思想・哲学をしっかりと学んでいた。だから、自己組織化能力を持っていたのだ。父親が思想・哲学を子どもに対して語り諭し、子どもが正しい価値観を持ち「生きる目的」を自らが導き出せたら、人生に迷うこともないし生きづらさを抱えることもなかった。父親が条件付きの愛である父性愛を注いでしつけをしてくれたら、母親は無条件の愛である母性愛を注ぐだけで良いのである。母親がまるごとあるがままに我が子を愛し続けてくれたら、愛着障害になることはなかった筈である。

 欧米では、近代教育の欠陥をいち早く見抜いて、修正をしてきた。だから、自己組織化の能力を失うことがなかったのである。自己組織化する能力を開発する教育を取り入れているし、信仰を利用して価値観の教育をしっかり実施している。正しい価値観を失い「生きる目的」を失ってしまった日本人は、世界から取り残されてしまっているし、外国人から信頼まで失いつつある。家庭教育、そして学校教育の欠陥である客観的合理性偏重の教育を見直し、主観的共感性も重要視する教育に今すぐにでも改革しなければならない。そして、思想・哲学の教育を復活させて、正しく高い価値観を持てるようにすべきである。この教育のイノベーションを断行すれば、現代のあらゆる社会問題は解決し、日本は再生するに違いない。

日本経済低迷の原因は愛着障害

 日本の経済成長は、先進国の中で最低である。とりわけ低迷しているのは、実質賃金である。先進国の中で、実質賃金が下がっているのは日本だけである。この20年間で、10%以上も実質賃金が下がっているのは特異的である。何故、実質賃金が下がっているのかというと、デフレ傾向、低金利、生産性の低迷、所得分配率の低迷、非正規雇用者の増大などが原因だと言われている。本当にこれらが原因なのであろうか。だとすれば、政府の経済政策や金融政策で何とか出来る筈だが、20年間にも渡って改善されないのはどうしてだろうか。

 岸田政権は、安倍と菅が推し進めた政策を見直し始めている。所得の分配率を高めようと、税制を変更までして、企業に昇給圧力をかけている。しかし、この税制改革が成功するとは到底思えない。また、いくら設備投資をさせようと企業に圧力を加えたとしても、企業経営者たちは応えようとはしないだろう。何故ならば、企業経営者並びに幹部たちは、新規設備投資をするとか、イノベーションにチャレンジをするなどの積極的な企業経営をする筈がないのである。経営者たちはおしなべて不安感や恐怖感を抱いており、臆病だからである。

 大企業の経営者たちは、新たな設備投資をすることに対して慎重姿勢を崩さない。賃金を上げることにも消極的である。さらに、利益が確保されているし株価は安定しているから、無理をしてイノベーションをしなくても良いだろうと考えている節がある。これでは、絶対に好況になることはない。さらに企業における日本の生産性が、他の先進国と比較して、極めて低いという問題もある。特にホワイトカラー労働者の生産効率が低いと言われている。これもイノベーションが実行出来ていないせいだと思われる。

 大企業の経営者だけでなく、日本国民全体が将来に対する不安を抱えているとしか思えない。良く言えば慎重だということだが、新しいことに挑戦する勇気がないのである。不安や恐怖感が拭えず、無難な考え方や生き方しか出来ないのである。何故、そんなに臆病なのかと言うと、絶対的な自尊心が育ってないからと言える。青少年の意識調査を国際比較してみると如実なのであるが、日本の青少年の自己肯定感が異常に低いのである。さらに、主体性や自発性、責任性が他国の若者と比較すると極めて低いということが解っている。

 主体性、自主性、自発性、責任性というのは、人間が生まれつき持っている『自己組織化』の働きのことだ。現代の日本人は、この自己組織化する働きが著しく低下しているのである。つまり、日本人は自己肯定感が低下しているし、自己組織化する働きが低迷しているので、企業におけるイノベーションが進まず、生産効率が低いのであろう。何故に日本人の自己組織化の働きと自己肯定感が低いのかというと、それは端的に言えば『愛着障害』を抱えているからである。愛着障害が根底にあるから、将来に対する不安が強く勇気が持てないのである。

 根底に愛着障害があると、オキシトシンが不足するのでいつも不安が強くて、無難な生き方しか出来なくなる。新たなチャレンジにも挑戦出来なくなるし、現状を守りたいという意識が強く保守的になる。現代の若者が政治的に保守的なのは、愛着障害を抱えているからに他ならない。消費意欲が湧かずに貯蓄が増えるばかりなのは、愛着障害による不安のせいである。大企業経営者が新規の設備投資意欲がないのも、そしてイノベーションに踏み切れないのも愛着障害だからである。自己組織化の能力が低いからイノベーションが実行できないのであろう。

 日本人の大多数が愛着障害であると言っても過言ではない。何故、そうなってしまったかと言うと、学校教育と子育ての間違いからである。自己肯定感と自己組織化を育てる教育をしてこなかったせいである。自己肯定感は、0歳から3歳くらいまでの間、母親が我が子をありのままにまるごと愛さなければ育たない。つまり無条件の愛である母性愛を注ぎ続けなければ自尊心は芽生えない。さらには、自己組織化を阻害するような教育ばかりを家庭も学校もしたのだ。強い干渉や介入をして、支配し制御する教育をしたのだから、自己組織化する筈がない。故に多くの日本人が愛着障害を抱えているせいで、日本経済は低迷しているのである。教育のイノベーションが必要なのは言うまでもない。

夫が嫌いですか?

 夫が嫌いですか?というアンケートを実施したら、21%の妻がYESと答えたという。30歳~59歳1000人の既婚女性に聞いて、嫌いだと答えた人が21%というのは、男性からすると多いと思うことだろう。でも、女性にしたら以外に少ないなと感じたかもしれない。世の中の妻たちは、もっと夫のことを嫌っている人がいる筈なのに、不思議だと思っているに違いない。おそらく質問の仕方が良くなかったのではないだろうか。夫のことが今でも好きか?という質問だったら、7割以上の妻がNOと答えたことだろう。

 様々な意識調査のアンケートをする際に、質問の語句選びによって結果が変わることが少なくない。特に、このような好きか嫌いかという設問においては、微妙なニュアンスよって結果が変わるのは当然だ。この夫が嫌いですか?という質問で何を明らかにしたかったのであろうか。嫌いと思う妻の割合を知って、何を狙ったのだろうか。嫌いかと聞かれたら、はっきりと嫌いだと答えるのは抵抗感があるだろう。嫌いかどうかの二者択一ならば、NOと答えるだろうが、どちらかというと嫌いという選択肢があれば、5割以上が選んだと思う。

 夫婦の意識調査をする度に、妻と夫の意識に温度差がある結果となることが多い。夫は、妻との結婚生活に概ね満足していることが多い。一方、妻の方はと言うと、夫の生活態度やコミュニケーションに不満を持っていることが少なくない。イスキアの郷しらかわの活動で支援させてもらっている既婚女性の殆どの方が、夫に対する強い不満を持っている。不登校やひきこもりの子を持つ母親は、夫との家庭生活に大きな不信感と諦め感を持っている。夫のことが嫌いかと聞けば、間違いなく嫌いだと答えるに違いない。

 不登校やひきこもりの子どもを持つ両親の夫婦関係は、もはや破綻していると言っても過言ではない。経済的に自立している妻のケースでは、離婚していることが多い。家庭崩壊を起こしている故に、子どもが不登校やひきこもりになっていると言えよう。勿論、父親だけが悪いとは言えないが、そもそも家庭崩壊を起こす要因は、大黒柱である父親にあることが多い。不登校やひきこもりを起こしている子どもの両親の夫婦関係は、100%冷え込んでいると断言できる。だから、妻が夫を嫌いだと言う家庭は、既に崩壊していると言える。

 不登校やひこもりの子どもたちに共通しているのは、親の夫婦仲が良くないという点である。不登校やひきこもりの子どもたちは愛着障害であるケースが殆どであるが、その大きな要因は両親の不仲にあると言っても過言ではない。表面的には中良さそうに見えていても、関係性が壊れているケースが多い。不登校やひきこもりの子どもは、HSPであることが多い。常に不安と恐怖感を抱いている。HSPになる原因は、家庭の中に居場所がないからだ。それも、両親の不仲が遠因となっている。安全基地が存在しないのだ。

 両親の夫婦仲が悪くて、いつも夫婦がバトルをして無視をし合っていると、母親の精神状態は不安定になるから、子どもとの豊かな愛着が結ばれない。つまり、妻が夫のことを心から敬愛していて、夫も心から妻を愛していないと、子どもの愛着が不安定になるし、HSPになって自尊心が育まれない。子どもは生涯に渡り、強烈な生きづらさを抱えて生きることになる。不登校やひきこもりになってしまう可能性が高くなる。妻が夫を敬愛できるかどうかで、子どもが幸せになるかどうかが決まるのである。夫のことが嫌いだというような家庭においては、子どもが不幸になるということだ。

 妻が夫のことが嫌いなのか、それとも好きなのかは、単に夫婦間の問題だけではないのである。家族全体の問題であり、子どもの人生における非常に重要な問題なのである。両親の仲が良くて、お互いに敬愛する関係なら、子どもは健全に育つ。子どもの前だけでは良い夫婦を演じているというケースもある。こういう場合、子どもは両親の夫婦仲が本当は悪いんだということを直感的に認識している。経済的に自立出来るのなら、無理して夫婦を演じる必要はない。さっさと離婚して、精神的に安定して子育てをするほうが遥かに良い。『子はかすがい』なんていう諺は、もはや死語になり果てたのである。

親ガチャは努力によって克服できるか

 親ガチャという言葉があるのをご存じだろうか。語源は、ガチャというネットゲームがあり、結果を自分では選ぶことが出来なくて、どんな結果になるのか運次第であることから、親もガチャと同じだということから生まれたという。確かに子どもは親を選べない。どんな親の家庭に生まれるのか、ガチャゲームのように運次第である。特に、親の経済的な貧富の差はいかんともし難く、貧困家庭に生まれた子どもは満足の行く高等教育が受けられず、親になっても同じように貧困家庭になり、貧困家庭の連鎖が止まらないと言われている。

 韓国や米国などでも、親ガチャと同じような概念があって、社会問題になっていると言われている。大きな経済的格差がある社会が形成されるというのは、政治がお粗末だからと言える。親ガチャは子どもの努力によって乗り越えられるのか否かと、ネット上でも盛んに議論されているが、否定する意見のほうが優勢のようである。しかし、一部の経済的に裕福で恵まれた人たちは、努力すれば貧困から抜け出せる筈だと主張する。確かに経済的な面での親ガチャを克服することは、本人が相当な努力をすれば何とか出来る可能性もある。

 しかし、どうにもならない親ガチャがある。子どもが不登校やひきこもりになってしまうのは、親との健全な愛着が形成されないからである。健全な愛着を子どもに対して育んであげることの出来ない親ガチャである。不安定な愛着、傷ついた愛着を子どもに持たせてしまうのは、親の責任である。そして、一旦不健全な愛着を持ってしまった子どもは、自分の力ではどうしようも出来ない。ましてや、深刻な愛着障害を持つ子どもは、一生に渡って苦しむことになる。問題ある親が劇的に変わらなければ、子どもは愛着障害を乗り越えられない。

 あるがままにまるごと我が子を愛する母親と、何があっても子どもを信頼して守ってくれる強い父親がいれば、子どもは健全な愛着を持つことができる。無条件の愛で包んでくれる母親と、いかなる時も妻と子どもの為に命を惜しまず闘ってくれる父親がいてこそ、子どもは安心して暮らせる。つまり、安全基地が保証されてこそ、子どもは安心して学校生活を過ごせるのである。豊かな母性愛と父性愛で満たされてこそ、子どもは揺るがない自尊心を持てて、どんな困難や苦難にも立ち向かう勇気を持てるのである。

 ところが、不安定な愛着や傷ついた愛着しか持てない子どもが育ってしまうことがある。それは、あまりにも過干渉や支配とコントロールを繰り返すような両親の元に生まれた場合である。または、ダブルバインドのコミュニケーションによる子育てを日常的にする両親に育てられた時である。勿論、虐待やネグレクトをするような両親なら、間違いなく愛着障害になってしまう。これもまた深刻な親ガチャである。このような親ガチャが当たってしまったら、自分の力で乗り越えることは出来ない。愛着障害を自分で乗り越えるのは不可能だ。

 愛着障害の両親に育てられた子どもは間違いなく愛着障害になってしまう。貧困家庭が世代間連鎖する確率が高いと言われるが、愛着障害の世代間連鎖は100%に近い。絶対的な自己肯定感を持つ子どもに育たないのは、両親自身が絶対的な自己肯定感を持ち得ていないからである。自尊感情というのは、0歳から3歳頃までに、無条件の愛でまるごとありのままに愛されなければ育たない。つまり、絶対的な自己肯定感を持てるかどうかは、親ガチャで当たるかどうかなのである。自分の力ではどうしようもないのだ。

 このどうしようもない親ガチャにより愛着障害になってしまった子どもは、一生生きづらさを抱えて生きることになる。親が自らの子育てを反省し、子どもに心から謝罪し、悔い改めて子育てをし直せば、愛着障害が癒されるかもしれない。しかし、そんなケースは皆無である。親自身が愛着障害なのだから、子どもの安全基地になれないのは当然だ。しかし、この深刻な愛着障害である親ガチャを克服する方法がひとつだけある。この愛着障害の親子を癒すことができる、優秀なセラピストがサポートして、安全基地の機能を果たすことである。時間はかかるが、不可能ではない。親ガチャを乗り越えるには、この方法しかない。

夫婦別姓にすると離婚が増えると言うが

 夫婦別姓に反対する人たちは意外と多い。最高裁の女性判事でさえ夫婦同姓の制度を合憲とする意見を述べているのにはびっくりする。夫婦同姓を絶対に譲らないというのは、夫婦別姓を認める制度にしてしまうと日本の家族制度が崩壊してしまうという理由からであろう。確かに正当な主張だと思われがちである。しかし、その主張は本当に正しいのであろうか。夫婦別姓の制度にすると、夫婦の絆が希薄化してしまい、離婚が増えてしまうのではないかという心配は、反対論者も賛成論者も共に持つのかもしれない。

 夫婦別姓の制度にすぐに踏み切ろうという世論が盛り上がらないのは、家族というコミュニティが崩壊するという心配が完全に払拭できないからではないだろうか。日本は、男女平等と言いながら、まだまだ男性中心の社会である。男性中心の『家』に嫁いだ女性がその『家』縛られる。そんな男性中心の家族制度を壊したくないというのが、夫婦別姓反対者の本音であろう。夫婦別姓が実現したら、嫁は『家』に帰属する意識が低くなり、夫婦の絆が薄くなり離婚が増えるという主張をしている。このような考え方に同調する人が多いのも当然だ。

 しかし、この主張は科学的に考察すれば、まったくの間違いだと気付くことだろう。心理学、システム工学、脳科学、生物学、物理学、行動生理学、社会行動学等を基礎にして考察したら、夫婦別姓にすると離婚が増えるという主張は間違っているばかりか、夫婦同姓が逆の効果を生んでいるということが明らかになる。それは、人間と言う生き物が何を基準して考えて行動するのかという視点がないし、人間社会全体の幸福の為にはどちらの制度が必要なのかという視点が欠如しているからである。個人最適ではなく全体最適の視点が必要だ。

 この社会は、ひとつのシステムである。家族というコミュニティもひとつのシステムである。システム論という科学的な理論でもって、夫婦同姓と夫婦別姓のどちらが正しいのかを論じるべきなのである。家族というシステムは、豊かな関係性(絆)によって保たれている。家族というシステムが崩壊するかどうかは、家族それぞれの関係性によって決められている。夫婦の姓が同じか別かによって、関係性が豊かになるのか希薄化するのかが決められる訳ではない。そもそも、夫婦関係が壊れるのは元々関係性が良くないからである。

 つまり、夫婦別姓であろうとも夫婦の関係性が良ければ離婚することはないのである。親子関係や夫婦関係が良好であるならば、家族が崩壊することは絶対にない。夫婦同姓であっても離婚しているのは、そもそも夫婦の関係性が壊れているからなのである。家族というシステムが、夫婦別姓にしたから崩壊するのではなく、そもそも夫婦の絆が希薄化しているせいなのだ。夫婦同姓という制度に胡坐をかいて、夫婦の関係性を良くしようとする普段の努力が足りないのである。あたかも自分の所有物や支配物のように妻を扱う夫が、妻の愛情を失って、関係性を損なっているのだ。

 夫婦同姓の制度は、お互いに支配や制御の関係を求めてしまうし、依存の関係に陥りやすい。人間と言うものは、自由を求めているというか、自己組織化しなければ本来の機能を失ってしまうのである。夫婦同姓というのは家族への帰属意識を高めてしまうが、それは人間本来あるべき生き方を阻害してしまう。帰属意識というのは、予め強いるものではなくて、結果として生み出さられるものである。強制的に帰属意識を求めるのではなくて、関係性(愛)が強くなって、帰属意識が高まるのだ。帰属させようと無理強いすると、愛が冷めるのだ。

 夫婦別姓にすれば、夫は安穏としていられなくなる。常に、妻から愛される存在でなければなくなる。自分を絶え間なく磨いて成長し、妻から認められて惚れ続けられることになる。夫が家事や育児に協力するのは勿論、毎日ハグやキスをして『愛してる』と言い続ける。妻も、それに応えて夫に愛を注ぎ続けることになる。夫婦別姓にすることで、夫婦の絆は間違いなく強くなるし豊かなものになっていくに違いない。家族の関係性も豊かになり、家族というシステムも自己組織化してオートポイエーシスの機能も働く。つまり家族は幸福になるのだ。科学的に考察すれば、夫婦別姓のほうが正しいというのは、こうした理由からである。

人は愛するために生きている

『人間は誰かを愛するために生きています。しかし、誰かを愛した瞬間から苦しみが伴います。だからといって、苦しいから愛さないというのは間違いですよ。』11月9日に天寿を全うされた瀬戸内寂聴さんの言葉である。愛に生きた人と言える。若い頃から、形に捉われない奔放的な生き方をしたと言われる。倫理的ではないと批判されるような行動もしたが、ある意味自分の本能に対して忠実な生き方だったと言えよう。性愛や愛欲は、苦をもたらすし身を滅ぼすと仏教では教えているが、それでも寂聴さんは人を愛さずにはいられなかった。

 自由奔放に生きて、けっして後悔をしないような生き方をした寂聴さんであったが、ずっとその後も悔やんでいたことがある。それは、結婚して夫の教え子と婚外恋愛をしてしまい、離婚したときのことである。我が子を自分の手で育てたかったのだが、経済的に自立してなかったが故に、我が子の親権を夫に譲らざるを得なかったという点である。もし、収入が充分に確保されていたら、我が子と一緒に暮らせたのにと、ずっと後悔し続けたという。経済的な理由で離婚に踏み切れないという女性が世の中には多いが、とても不幸なことである。

 配偶者や恋人がいる女性が、他の男性と恋愛関係になるというのは、『不倫』と呼ばれる。勿論、その逆のケースも同じである。昔は、経済的に余裕のある男性が、妾を持つことに寛容であった。しかし、結婚した女性が婚外恋愛をすることは、けっして許されなかった。何故かと言うと、自分の子どもかどうか解らないのに者に、財産を譲れないからである。縄文時代は性交渉がおおらかであったが、私有財産が形成された弥生時代からは、男は女性の婚外恋愛を厳しく戒めたのである。日本は男性中心の社会だから、財産は実子長男に譲るのが通例だった。

 結婚しているから他の男性を好きにならないのかというと、けっしてそうではない。結婚していても素敵な男性に惹かれるのは、人間として当たり前のことである。寂聴さんは、ひとりだけの男性ではなく同時に複数の男性を愛していたらしい。自分は一人の異性しか愛せないという女性がいるが、それも素敵な生き方である。寂聴さんのような生き方をしたいと思いながらも、世間の目を気にして我慢して生きるというのは、どうなのであろうか。倫理観に照らせば、けっして許されないことであるが、自分の気持ちに嘘をついて生きるというのは、苦しいものである。

 結婚していながら、他の男性と恋愛をすることで、育児を放棄したり家庭を崩壊させたりするのは、人間としてあるまじき行動である。自分の愛欲の為に、誰かを不幸にするのは許されないことだ。誰かの幸せを犠牲にして成り立つ愛なんてありえない。ましてや、婚外恋愛の相手から何かを得ようとか、性的な快楽を求めるためだけに恋愛をするのだったら、それは本当の愛ではない。相手に癒しや幸福な気持ちを与えたいとか、安全と絆という安全基地になってあげたいという、与える愛であるべきだと思う。つまり、無償の愛でなければならない筈である。

 ところが、相手のことが好きになればなるほど、自分だけで囲って独占したいとか、自分の思い通りに相手をコントロールしたがるものである。相手の自由を奪うような愛では、やがて相手の気持ちは自分から離れて行き、破綻するであろう。心身を鍛えて、自分の魅力を磨いて、相手が愛したいと思うような自分であり続ける為に精進したいものである。ところが、愛着障害を抱えている女性は、見捨てられるのではという不安や恐怖が大きく、相手を縛り付けたくなるものである。見捨てられ不安が強い女性ほど、相手を縛らずに、与える愛に徹したいものである。

 人間は、人を愛することで成長する。たとえ実らない恋愛であったしても、貴重な経験となるだろうし、大きな気付きや学びを得るものである。ましてや、無償の愛で相手を包み込むような言動を続けて行き、愛される自分であるために自らを磨いて行けば、心身共に美しくなるに違いない。益々人間的な魅力を増すであろう。寂聴さんは、だからこそ人々に愛することを勧めたのである。寂聴さんは、求める愛ではなく無償の愛を注ぎ続けたからこそ、人間として輝き続けたのかもしれない。ご冥福を祈りたい。お疲れさまでした。

宇宙人の夫と暮らす

 宇宙人のような夫と悩み多き暮らしをしている妻が多いと、前回のブログで発信した。それでは、悩み苦しんでいる妻はどうすれば良いのだろうか。この暮らしを捨てることが出来るなら、そうするのが一番の解決である。ところが、経済的な理由とか子どもとの関係、または親の反対などで、どうしても離婚に踏み切れないケースもあろう。そうした場合は、宇宙人のような夫との暮らしを続けないとならない。どうしたら、自分の心が折れたり傷つけられたりしないように、心穏やかに暮らせるのかを、知りたいと思う妻も多いだろう。

 家庭においては、宇宙人のような言動をする夫であるが、社会的な地位や評価を得ていて、経済的にも裕福な生活をさせてくれる夫であれば、周りの人は良い旦那さんですねと、もてはやすであろう。そうすると、宇宙人のような夫だと感じるのは、自分が正しい評価や考え方をしていないからではないかと疑心暗鬼になる。そして、宇宙人のようだと感じてしまうのは、自分の方が悪いのではないか、至らない妻ではないかと思い込んでしまう。それ故に、自分を責めてしまうし、我慢しなければならないと勘違いするのである。

 しかし、間違っているのは夫のほうであるし、妻はまったく悪くない。そのことを先ずは認識しなければならない。宇宙人のような夫と暮らすのは、どんな女性でも難しい。確かに、優しいところもあるし、高額のプレゼントをしてくれるし、たまには高級レストランにも連れて行ってくれるかもしれない。海外旅行にも行けるし、高級車にも乗せてくれるだろうが、毎日憂鬱な思いをさせられるマイナス面が、帳消しになる訳ではない。妻の話を聞いてくれないし、気持ちを解ってくれない。自分の興味がないことは無視する。そういう人間なのだ。

 なにしろ、宇宙人の夫は自分が一番なのだ。自分の考えに妻が従わないと、途端に不機嫌なる。妻は自分の所有物だと言わんばかりの行動をする。妻は自分の召使いだと勘違いしているような言動をする。妻を支配したがるし、コントロールしたがる。妻が自分の思い通りにならないと、怒り出したり黙り込んだりする。パワハラやモラハラを繰り返す。妻を常識がないと叱ったり、だからお前は駄目なんだと、何度も否定したりする。妻は、夫から批判され否定され続け、自己否定感を植え付けられて、メンタルを病んでしまう。

 常識がないのは、夫の方であるし、駄目なのは妻ではなくて夫のほうなのである。人間として、低劣な価値観を持っているのは夫なのである。全体最適を目指していなくて、個人最適を求めているのは夫である。自分の幸せや豊かさを第一に考えているのだ。家族全体の幸福や豊かさを求めるという、全体最適の価値観を持っていないのである。家族の幸福を考えていると言いながら、妻の気持ちに寄り添っていない。家族全体の幸福を実現しようと、自分を犠牲にして頑張っているのは、いつも妻ばかりなのである。

 こんな宇宙人の夫と、どうしても暮らさないとならないのであれば、『夫は宇宙人』だと割り切ることである。宇宙人とコミュニケーションが成り立たないのは、当たり前である。妻の話を聞かないのは、宇宙人だから仕方ない。妻の気持ちを解ってくれないのも当然である。日本人なら思いやりもあるし、慈悲もある。しかし、日本人ではないし人間ではないのだから、妻を慈しむ気持ちなんてありはしない。宇宙人には、一切期待しないことである。夫は、生活する為のお金を引き出すことが出来るATMの機械だと思えば良い。

 家事や育児は、ひとつだけでもしてくれたら有難いと思えば良い。どんな酷いことを言われようとも、無慈悲な仕打ちをされようとも無視することだ。夫に対しての怒りは忘れることにしたほうが良い。怒りは自分の心身を滅ぼす。パワハラやモラハラをされたら、夫に従っているふりをしていればいい。しかし、心は絶対に従わないことだ。心の奥底では、バカな人間だと蔑んでいればよい。巧妙に家計を誤魔化して、へそくりを貯め込むのもよい。何か資格を取る勉強をして、いつかは離婚できる日を迎える準備を着々と進めるのが賢明だ。いつか離婚できる日を夢見ていれば、何とかやり過ごせるに違いない。

私の旦那様は宇宙人

 自分の夫が、まるで宇宙人のようだと感じている妻はすこぶる多いに違いない。何故、宇宙人のようだと言うと、夫婦なのにまともなコミュニケーションが成り立たないからである。いや、夫婦なのにという表現は適切でない。夫婦だからこそ、コミュニケーションが成り立たないのである。そして、その為に多くの妻たちが悩み苦しんでいるということさえ、宇宙人の夫は知らないのである。そんな馬鹿なと、世の中の男性は思うかもしれない。しかし、これは真実なのである。宇宙人のような旦那様の為にメンタルを病んでいる妻が多い。

 宇宙人のような夫というのは、どういう意味かと言うとこういうことだ。まずは、妻の話を聞いていないのである。『地図が読めない女、話を聞かない男』というベストセラーになった本がある。あの本で男性がいかに話を聞かないかということが脳科学的に説明されていたが、夫婦間においてはその傾向が益々強くなるのである。妻が言うことを夫は聞いているように見えるが、まったくその心には響いていない。夫のメンタルモデルが低劣な故に、妻の話を傾聴しないし共感できないのである。だから話が噛み合わないのだ。

 宇宙人の夫は、さらに困った言動をする。なにしろ、自己中心的な言動をするし、身勝手なのである。家族の為に頑張っていると言いながら、家族全体の幸福を目指しているとは思えないような行動を平気でする。確かに仕事は真面目にこなしているし、裕福な暮らしをさせてくれている。職場では高い地位や評価を得ているらしいし、物分かりの良い職員で通っているという。しかし、家庭では我がままだし、頑固なのである。さらに、アスペやADHDのような言動をする。まさしく、予想が出来ない困った行動をするのである。

 こんな分らず屋になったのは、結婚してからである。結婚前に付き合っていた頃は、至ってまともであった。おかしいなと思う部分はあったものの、話を真剣に聞いてくれたし解ってもくれた。優しくもしてくれたし、思いやりのある言動をしてくれていた。ところが、結婚して数か月過ぎた頃から様子が変わってきた。思い通りにならないと、面白くない表情や態度をするし、黙り込んでしまうことも度々ある。やがて、家族のことよりも自分の趣味や娯楽を最優先するようになる。仕事を言い訳に家事や育児も放棄する始末だ。

 こうなってしまった旦那様を、心から愛せる妻なんている訳ないだろう。こんなにも人が変わるなんて信じられないであろう。しかし、それは間違いである。結婚する前は仮の姿であり、今の宇宙人のような夫が本来の姿なのである。無理して猫を被っていただけであり、元々変な人だったのである。相手に気に入られようと必死で、本心を隠していただけなのであり、結婚して安心して本来の自分を現したのである。だから、結婚する前のような優しい夫に戻ることは期待できない。二度とあの思いやりのある旦那には戻らないのである。

 何故、結婚すると宇宙人のような夫になってしまうのかというと、元々彼は発達障害や自閉症スペクトラムの傾向があったのである。それでも、外では普通の社会生活や職場生活が営めるのである。外では気を張って過ごしているので、宇宙人のような性格や人格を出さない。ところが、家庭では気が緩んでしまい、本来の宇宙人のような性格や人格を現してしまうのである。こういう人間は、知能が高いし、学歴も高いケースが多い。医師、教師、行政職、技術者、政治家、法律家、科学者、文芸家、芸術家として成功している例が多い。

 発達障害や自閉症スペクトラムの傾向を持つ旦那様なんてそんなに多くないと思うだろうが、そんなことはない。日本人の旦那様の約7~8割は、宇宙人のような性格や人格を持つと言っても過言ではない。まともな旦那様なんて、世の中では圧倒的に少数なのである。自分の夫が宇宙人のようだと嘆くことはない。世の中の旦那様なんて、皆宇宙人のようなのである。東大の名誉教授で社会学者の上野千津子さんが、「あら、男性なんてみんな発達障害みたいなものよ」と言ったというのは有名な話である。宇宙人のような発達障害の夫を伴侶に持つ妻は、カサンドラ症候群になりやすいので注意が必要だ。夫は元々宇宙人なんだから正常なコミュニケーションは無理なんだと諦めてしまえば、気が楽になるに違いない。