言論統制が強すぎると内部崩壊する

現在の政界において、官邸が必要以上に党内統制を強めている。以前の自民党議員は、こんな党内統制に甘んじることはなかった。自らの矜持を持つ議員たちは、自分たちの持論を堂々と述べていたし、納得の行かない議案や法案の採決に反対しなかったものの、採決に加わらないという筋を通した行動をしたものである。現在は、そんなことをした議員は次回の選挙で党公認を外されるだけでなく、当該選挙区に刺客を送り込まれる。独裁政治ではないと新聞に投稿した高校生がいたが、これを独裁と言わないでなんと言うのか。

こういう状況は、世界共通の傾向らしい。米国や欧州でも、強硬姿勢の政治家が実権を持ったとたんに民意を無視した強権政治を実行している。中国や北朝鮮だって同じだ。政治の世界だけでなく経済や福祉の世界でも起きている。自分の絶対的権力を失うことが怖ろしくて、対抗勢力を徹底して貶める。自由闊達な討論を制限する。報道統制も徹底して行う。強大な権力を一度握ったら、その権力に執着するのは人間の性であろう。自分の立場や利権を守ろうとして、力での統制を強めるのは世の常であるらしい。

例えば民間企業において、カリスマ的な経営者がいて絶対的権力を握ったとしよう。最初は企業繁栄の為にと全力を傾注して結果を残す。ところが、やがて私利私欲のために公私混同を始める。しかし、あまりにも強大な権力を持つが故に、他の役員や管理者たちは黙認せざるを得ない。そして、言論統制を強いて社内での自由な発言を封じ込めるだけでなく、役員会でも反対意見を出せないような環境にしてしまうことがある。統制を強めることで、自分の地位を守ろうとするのである。言わば独裁である。

ヒットラーは恐怖を用いて内部統制を行った。自分に従わない者を徹底して粛清し、忠誠を誓う者だけを重用した。現代においては、あんな乱暴な手法は使えない。どんな手法で統制を行なうのかというと、人事権を独占することや言論の自由を制限することで実施する。首相官邸が一元的に官僚幹部の人事権を握っているのは、まさしく官邸による官僚への統制である。そして、官僚に対して人事権を盾にして徹底した言論統制まで行っている。こういうのは、『忖度』とは言わない。絶対的な強権による統制である。

太平洋戦争開戦に至る時代、軍部が対抗政治勢力をクーデターや軍事的圧力で独裁政治権力を握った。そして、報道管制を敷いて真実を国民に知らせず、自分たちの権力を守ろうとした。さらに、言論の自由を徹底して制限して、権力に対する批判をさせないようにしたのである。その結果、悲惨な戦争によって多くの国民の生命を奪ってしまった。あの時に、言論の自由が守られていれば、あんな悲惨な戦争を起こさなかったかもしれない。その反省を踏まえて、日本国憲法では基本的人権の中で、言論の自由を何よりも優先したのである。世界の先進国でも同様に言論の自由を最優先する憲法を制定している。

ところが、その言論の自由が日本では制限されつつあるのだ。NHKも含めた各放送局の経営幹部は、官邸に配慮した報道をしている。放送法を盾にして、いろいろな嫌がらせを官邸が実施するぞと、陰に陽に脅しているからである。各放送局は、放送法を後ろ盾にされて、電波を割り当てないぞと脅されたら従わざるを得ない。あの太平洋戦争での苦い経験を忘れているとしか思えない。国民を真実から目をそらさせてしまうと、独裁政治になってしまい、平和が脅かされて、国民は悲惨な目に遭ってしまう。統制が強すぎる組織は、内部崩壊を起こすのである。

言論統制を強めている他の国家も同じ運命を辿っている。トランプ大統領は、徹底した報道統制をしている。米国は危険な道を歩み始めていると言えよう。日産自動車がゴーン一強体制で統制を強め過ぎた結果、あんな出鱈目な経営をさせてしまい、結果として酷い低迷を招いたのは記憶に新しい。組織というのは、権力者が強いリーダーシップを発揮しないと運営が滞る。しかし、権力者が自分の権力を守るために言論統制を強め過ぎると内部崩壊を起こす。過去の歴史がそれを証明している。組織というのは、その発展と繁栄をするにためにこそ言論の自由を認めて、闊達な討論や対話をしなくてはならない。

メンタルを病む原因は迷走神経にある

日本人は他国の人々と比較すると、メンタルを病む人の割合が多いという。何故そうなるのかと言うと、いろいろな要因が考えられるが、日本人特有の性格や人格、または価値観が影響していると思われる。そして、一度メンタルを病んでしまうと、なかなかその症状を克服することが出来なくなる。長期の療養が必要になるし、ひきこもりや休職に追い込まれてしまうケースも少なくない。そうなってしまう訳は、現在の医学レベルではメンタル疾患を完治させることが難しいし、投薬や各種セラピーでは効果が期待できないからであろう。

メンタル疾患に対する医学的アプローチの効果がないのは、そもそもメンタルを病む本当の原因を特定していないからではなかろうか。精神疾患の医療関係者は、メンタル疾患になる原因を以下のように捉えている場合が多い。乗り越えることが難しいストレスやプレッシャー、苦難困難にさらされた際に、偏った認知傾向や歪んだ価値観を持つ人は、脳内の神経伝達回路系統に異常をきたして、メンタル疾患になってしまうと考えている。故に脳内の神経伝達物質を正常にする投薬治療や認知行動療法等が有効な治療法と考えられている。

しかし、驚くことに投薬治療による効果は限定的であり、認知行動療法などの心理療法や精神療法もあまり効果が見られない。したがって、一度メンタル疾患を患うと、長期療養になることが多いし、重症化してしまうと入院治療をしても症状が改善しないことが多い。特に、双極性障害やPTSD、各種依存症などは投薬治療による改善が見られず、医学的アプローチの効果が見込めないと言われている。精神疾患に効くという新薬が続々と開発されて承認されているのに、患者は増加する一方だというのは実に不思議な現象である。

このことから導き出される結論としては、メンタル疾患になる原因は、ストレスや苦悩などによる脳内の神経伝達回路の異常ではないということだ。メンタル疾患になる本当の原因は、迷走神経による心身のシャットダウン(遮断)によるものなのである。自律神経には交感神経と副交感神経がある。今までの医学理論では、副交感神経は単一のものと考えられていたが、複数あることが判明した。副交感神経の約8割は迷走神経であり、そのうち腹側迷走神経と背側迷走神経が存在するということが解ったのである。これがポリヴェーガル理論である。

今まで副交感神経の働きと言われてきた、休息、免疫、交流を進めるのが腹側迷走神経である。一方、背側迷走神経とは闘争や逃走が不可能な場面に追い込まれた際に働く、シャットダウン(遮断)を起こす副交感神経である。人間は、逃げることも叶わず闘うことも出来なくなって八方塞がりの状態になると、心身の遮断・解離・凍り付きが起きてしまうのである。特に、自分の力ではどうしようもない強大なトラウマに心が支配されると、背側迷走神経による遮断・解離・凍り付きが起きる。

この心身の遮断・解離・凍り付きによって起きるのが、各種のメンタル疾患である。特に医学的アプローチによる治療効果がないと言われているのが、パニック障害やPTSDである。このパニック障害やPTSDが典型的な迷走神経による遮断・凍り付きの症状と言えよう。または、うつ病などの気分障害も迷走神経による影響である。そして、これらの迷走神経の遮断・凍り付きによるメンタル疾患は難治性であり、長期化する傾向にある。何故なら、一度迷走神経による遮断・凍り付きが起きてしまうと、そこから抜け出すのが困難になるからだ。

一度迷走神経による遮断・凍り付きが起きると、何故治癒しないかというと、トラウマ化しているからである。トラウマになってしまうのは、不安と恐怖からである。トラウマ化してしまうは、その人間に安全と絆が確保されていないからと言える。そして、安全と絆が保証されずに育てられると愛着障害を起こす。つまり、迷走神経による遮断・凍り付きが起きる根底には、愛着障害が存在しているからなのである。だから、安全と絆がないので何か大きなトラブルに見舞われると、それがトラウマ化してしまい、メンタル疾患を起こすのであろう。日本の子育てに、安全と絆が保証されていないことが根本的な問題だろう。

※迷走神経による遮断・凍り付きが起きて、そこから抜け出せなくなった人は、社会に適応するのが困難になります。不登校・ひきこもり・休職というような状況に追い込まれてしまいます。この遮断・凍り付きの状態から抜け出すことは、医学的アプローチでは極めて難しいと言われています。しかし、適切なボディケア、音楽療法、運動療法、そして安全と絆を提供するカウンセリング、さらに適切な愛着アプローチを実施すれば、遮断・凍り付きから抜け出せるのです。イスキアの郷しらかわでは、この迷走神経による遮断・凍り付きから抜け出すケアを実施しています。お問い合わせフォームからご相談ください。

自己愛性パーソナリティ障害の上司

職場で自分の直属上司が、自己愛性パーソナリティ障害であるという悲惨なケースがある。こういう場合、陰湿なパワハラやセクハラ、モラハラで部下を徹底的に攻撃してくる。それだけでなく、ハラスメントすれすれで、部下の嫌がる言葉をこれでもかとマシンガンのように浴びせかけてくる。部下に対しては、高圧的な態度で接してくるのに、自分の上司や役員には取り入るのが得意で、仕事ができるというアピールが上手いから評価が高い。したがって、ハラスメントを会社側に訴えても取り上げてもらえず、泣き寝入りせざるをえない。

自己愛性のパーソナリティ障害(自己愛性PD)を持つ人間が、企業内や組織内で管理職になってしまうとその職場は大変なことになる。なにしろ、自己愛性PDの人間というのは極端に称賛を求める傾向にある。そして権力志向が強い。地位とか名誉、そして評価を何よりも強く求める。そのためには、手段を択ばず他人を蹴落とすことも平気でするし、自分の敵になりそうな人間は徹底的に追い落とす。自分の利益になることしかしないし、損か得かが行動する基準になる。部下の実績を自分のものにするし、ミスを部下に押し付ける。

歴史上有名な人で、強烈な自己愛性PDを持つ人物がいた。この人物のことを知れば、自己愛性PDの人物というのが、いかに危険かということが解ろう。その人物とは、ハインリヒ・ヒットラーである。彼は、権力を掌中に収めるために、あらゆる手段を講じた。秘密警察ゲシュタポを用いて、敵対する政治家たちを闇に葬った。恐怖を用いて人々の心を支配し、自分に味方せざるを得ないように仕向けたのである。このような人物が職場にいたら、そして管理者になったら最悪だということがよく分かるだろう。

自己愛性PDの上司がいる職場というのは、周りの人々がメンタルを病んでしまうことになる。休職に追い込まれて、退職を余儀なくされるケースも少なくない。だから、職員の定着率が悪く、社員の入れ替わりが激しい。実に巧妙なやり方で、心をへこませる。自分の意見だと相手に言わないで、皆がこう言っていたよと自分の個人的意見なのに、さも全員の意見のように伝える。このように言われた当人は、多くの人がそういう評価をするんだから、自分が駄目なんだと思い込んでしまう。こうやって同僚や部下を攻撃するのである。

このような自己愛性PDの上司と、職場ではどのように対応すれば良いのだろうか。どのように接すれば、自分が攻撃の対象にならないのであろうか。勿論、闘って勝てる見込みがあるのなら、攻撃してもよい。その際には、職場における多くの管理職が味方をしてくれるという確信がなければ闘ってはならない。そして、確かなハラスメントの証拠やコンプライアンス違反の証拠を集めてから、闘いをしなければならない。そうでなければ、このような自己愛性PDの上司とは闘わないで、上手にあしらうことを勧めたい。

自己愛性PDの特性を上手に利用することで、この上司と問題なく接することが可能となる。自己愛性PDの人間は、称賛されることが何よりも大好きなのである。それも、歯の浮くようなお世辞にも喜ぶのだから不思議である。だから、ヨイショをすることが大切なのである。そして、けっして反抗をしてはならないし、会議や公の場でこの上司に反抗したり、プライドを傷つけたりする行為は禁物である。じっと我慢することが求められる。そうすれば、少なくても自分のほうに攻撃の矛先が向かうことはないだろう。

とは言いながら、自分の正義感や価値観に反する言動をするということになるから、大きなストレスが伴うことになる。まるで太鼓持ちのような言動をするというのは、正直言って辛いものである。本当の心と違う行動をするというのは、自分を否定しまうようで苦しい。だから、けっして心まで相手に売り渡してはならないのである。あくまでも、相手は悪魔のような存在である。自分の身を守るための、仕方ない防衛行為なんだと心得るようにしたい。自己愛性PDの上司を称賛した後で、後ろを振り向いてあかんべえをすることが肝心だ。

さらに、自己愛性PDの上司の問題ある言動をメモしておくか、録音しておくことを勧めたい。ハラスメントや規則違反の証拠を積み重ねておいて、いつかは反撃の機会を伺うことが必要である。それが、自分の正義感や価値観を損なわない秘訣でもある。将来は、自己愛性PDの上司をぎゃふんと言わせたり駆逐したりするんだと思えば、どんな苦しいことでも耐えられるものである。くれぐれも、そのことを誰にも内緒にすることも大事なことである。もし、本当に信頼できる同僚がいたら協力して証拠集めをするのも良い。正義は必ず勝つのである。

病院という環境が治癒を阻害する

病気やケガをしたら、ほとんどの人は病院や診療所に行って診察と治療をしてもらうだろう。自分で治すというのは、ごく軽い風邪や傷ならあり得るが、まずは医療機関に行くに違いない。そして、傷病が重い場合は入院治療となる。その際に、入院した部屋には鍵がかからないし、個室であってもプライバシーを守る術がないというのはご存じだろう。看護師や医師が入室しようとするのを拒むことは不可能である。そして、誰かが無理に入室しようとしても防ぐ手立てはない。つまり、病室というのは防犯上、とても脆弱なのである。

入院して着用が義務付けられる病衣であるが、あれは中身が見えてしまうのではないかと思われる素材と作られ方である。また、病室で聞こえてくるあの雑音には、神経が疲れてくる。他の患者さんのうめき声や話し声、医療関係者の騒々しく走り回る音、エアコンなどの機械音、ストレッチャーや車いすの車輪の回転音、これらの音が24時間聞こえてくるのである。大部屋なんて最悪である。カーテンひとつ隔てた空間で、裸の状態にされることもしばしばある。医療関係者は患者の羞恥心に対する配慮などあまりしない。

さらに、入院すると大量の確約書や承諾書にサインをさせられる。検査や手術の際にも、承諾書が用意される。あたかも、失敗することもあるのが当然だと言わんばかりの事前対応である。これでは患者は安心するどころか、益々不安をかき立てられるに違いない。ホテルと病院を同列に扱うことは出来ないが、ホテルよりも高い入院費をもらいながら、事前のオリエンテーションはいかにもお粗末だ。トイレや洗面所、各種検査や処置室の場所、ナースステーションとナースコールの扱い方、電話や見舞者への対応について詳しく案内されない。

そして、一番我慢がならないのは、医師や看護師の態度である。医師や看護師との信頼関係を築けなければ、安心して治療を任せることなんてできやしない。まずは信頼関係を築くためには、笑顔での十分なコミュニケーションが必要であろう。ところが、病名、病状や治療方針についての紙ベースでの伝達はあるが、言葉で丁寧に患者が安心するように、十分な説明などしてくれない。特に医師は、患者の目を見ずに、PCの画面を見て入力をしながら話している。患者がどんな表情やリアクションをするかなんて、医師には関係ないらしい。

つまり、与えられた入院環境はまったく安心できなくて、不安になる要素ばかりがいっぱい詰まった環境なのである。心が休まる環境ではないのは確かである。これでは、いつも不安感や恐怖感を持ちながら治療を受け続けなければならないのである。しかも、医療関係者と患者との信頼関係は築けないばかりか、不信感ばかりが募るだけである。そもそも、病気になるのは迷走神経がニューロセプションを起こしてしまい、身体が自己防衛反応を引き起こしたからなのである。ニューロセプションという神経による勝手な身体反応は、安全と絆がないばかりに起きた反応だ。安全と絆がない病院環境で良くなる訳がないのだ。

ポリヴェーガル理論という多重迷走神経を基盤にした神経生理学の考え方によると、ほとんどの病気(精神的な疾病も含む)は、古い迷走神経がニューロセプションの働きによって暴走し、引き起こされたものであると言える。その際に、ニューロセプションを起こすかどうかは、安全と絆が確保されているかどうかにかかっているのである。生命が危険にさらされるような緊急事態に陥っても、安全と絆がしっかりと担保されていれば、ニューロセプションは起こらない。ところが、安全と絆がなくていつも不安や恐怖を抱えている人は、容易にニューロセプションが起きて、心身のシャットダウン化を来し病気になってしまう。

一度でも心身にシャットダウン化が起きてしまうと、この状態から抜け出すのは至難の業である。唯一このシャットダウンから抜け出す方法は、絶対的な安全と豊かで信頼できる絆が確保できた時だけである。勿論、一時的に投薬治療や手術・セラピーが必要なのは言うまでもない。安全と絆が確保できなければ、どんな医学的アプローチも無駄になる。だから、病院環境は先ずもって安全であり患者との絆づくりが大事なのである。ここの部分を大事にせず、いくら高度な医療を提供したとしても、病気は完治しない。一時的に寛解したとしても、必ずと言っていいほど再発するのである。病院は安全と絆が確保される環境づくりに邁進することが求められると言える。

ポリヴェーガル理論が医学の常識変える

ポリヴェーガル理論という神経学における画期的な大発見が、今までの医学的な常識を大転換しようとしている。この多重迷走神経理論と日本語訳されている理論は、1994年に米国で発表されて、医学界において圧倒的に支持を受けているが、日本の医学界ではあまり知られていない。既に一部の大学の研究室では認識されているものの、文科省や厚労省は敢えて認めたくないから、無視をしているのかもしれない。なにしろ、今までの医学界の常識を覆す大発見だし、医学的アプローチでは病気が治らないことを証明しているのだから、医療界が認めたくないのも当然だ。

ポリヴェーガル理論とは、米国のイリノイ大学名誉教授のステファン・W・ポージェス博士が提唱した理論である。この世紀的な大発見によって、精神医学界の変革は勿論のこと、医療のイノベーションが起きるかもしれないのである。今までは難治性の精神疾患とされてきたPTSDやパニック障害などが、医学的アプローチではなくても完治するし、自閉症の子どもたちの症状が見事に改善したという実績を上げている。この理論がいろんな症状に応用されたら、糖尿病・高血圧症という生活習慣病も投薬せずに完治するかもしれないのである。

ポリヴェーガル理論の概略について述べたい。今までの医学的常識では、自律神経というのは交感神経と副交感神経があって、それぞれが調整し合いバランスを取って、人体の健康を保っていると考えられてきた。ところが、副交感神経には二つの迷走神経が存在して、まったく別の働きをしていることが判明したのである。ひとつは今まで考えられてきた、腹側迷走神経の働きである健康・調整・交流を司っている神経系統である。ところが、これ以外にある背側迷走神経は、これとはまったく違う驚きの働きをしていることが解ったのである。

交感神経は、生命が危険な状況に陥った際に、闘争するかそれとも逃走するのかを選択する神経である。ところが、闘争も逃走も出来ない状況に追い込まれた動物は、背側迷走神経のスイッチを入れる。すると、死んだように気絶または失神するのである。死んだふりをするとか狸寝入りとか言われている同じ状態である。死んだように気絶した動物を、肉食動物は食べない。死んでいる動物の肉は腐敗しているかもしれないので食べないのだ。何故、動物は気絶するのかというと、失神すると助かるというDNAの記憶がそうさせるのか、それとも気絶していると痛みを感じないから、そうするのかもしれない。

背側迷走神経のスイッチが入って気絶・失神した小動物は、危険な状態が過ぎると体をぶるぶるっと震わせて目覚め、何事もなかったように走り去る。つまり、背側迷走神経のスイッチを入れたり切ったりするのである。ところが人間は、それが出来ない生き物なのである。勿論、危険を察知しての気絶や失神からは抜け出せるが、過大なストレスや生命の危険を感じるような状態に置かれると、自分を守るためにニューロセプションが起きて、背側迷走神経が働き、心身の不動化(シャットダウン)が起きてしまう。そして、そのニューロセプションは自分の意思では止められない。心身の遮断が長い期間続いてしまうのだ。

自分の命の危険を感じて、心身の遮断状態に陥ってしまうと、PTSDやパニック障害などを引き起こす。または、現実と想像の世界が混濁したり意識の解離が起きたりする。妄想性障害、強迫性障害、パーソナリティ障害、統合失調症、うつ病、双極性障害などの症状が起きることもある。神経過敏による身体症状として、三叉神経麻痺、眼瞼下垂、顎関節症、聴覚過敏、しびれ、痛み、めまい、難聴などの症状が起きてしまう。不登校やひきこもりが長い期間に渡り続くのは、この心身のシャットダウンによる影響である。

それでは、どんな人にでもこれらの症状が起きるのかというと、けっしてそうではない。愛着障害が根底にあると、この心身の遮断が起きやすいと言われている。つまり、絶対的に安全な場所や環境があって逃げる処があり、良好で豊かな絆(関係性)があれば、シャットダウンは起きないのである。誰も助けてくれないし守ってもくれなくて、孤独感にさいなまれていると、心身の遮断が起きてしまうのである。一旦スイッチが入ってしまった背側迷走神経が回復したり修復したりすることはないかというと、けっしてそうではない。絶対的な安全と絆が確保されて、愛着アプローチが適切に受けることが出来たら遮断から完治できる。

※この難解で理解しにくいポリヴェーガル理論を、イスキアの郷しらかわでは懇切丁寧に分かりやすく説明します。メンタル疾患に苦しんでいる方やひきこもりの方には、心身のシャットダウンから抜け出す方法をお伝えしています。音楽療法、簡単で長続きする運動療法、ボディーワーク、簡単で優しいヨーガ、等を実際に実施して学びます。

ひきこもりの原因は迷走神経による遮断

ひきこもりが増えている。完全にひきこもっているのは若者だけでなく、中高年のひきこもりも多い。さらには、完全なひきこもりではなくても、買い物などの外出はできるのに、仕事や市民生活ができない社会的ひきこもりも増加している。そして、ひきこもりになっている原因は、メンタル疾患、適応しにくい社会、当事者の性格や人格、失敗体験、孤独感や絶望感などと言われている。確かに、それも一因にはなっているが真の原因ではない。ひきこもりという状況によってしか自分を救えないから、敢えて迷走神経が『遮断』をさせただけである。

草食の哺乳小動物は、強大な肉食動物の前では、闘うことはもちろん逃げることも出来ずに失神して固まってしまう。肉食動物が動いている動物しか食べないことを本能的に知っているのか、死んだように固まり肉食動物に捕食されることを防ぐ。これは、持って生まれた自己防衛反応である。この働きは、副交感神経を支えている迷走神経の一部が起こしている。生死に関わる緊急事態が起きた際に、その危険を回避するため、または食べられる時に痛みを感じなくするために、迷走神経が勝手に失神させてしまうと考えられている。これがポリヴェーガル理論だ。

実は、人間も生死に関わるような危険状態に陥った時に、失神したり不動化してしまったりすることはよくある。迷走神経が自分自身を守るために起こしている自己防衛反応である。人間は痛みによってショック死することがある。それを防ぐために一時的に気を失わせると考えられている。それをシャットダウンと便宜上呼ぶことにする。草食系の小動物は、この一時的シャットダウンから自力で蘇ることが出来る。人間は逃げられない過大な苦難困難やショックな出来事に遭うと、シャットダウン化が起きてしまい、元に戻れなくなる。

今までの医学的常識では、人間の自律神経は交感神経と副交感神経の二つの調整とバランスによって成り立っていると考えられてきた。ところが、この副交感神経を支えている迷走神経には、二つの迷走神経が存在すると判明した。ひとつは腹側迷走神経で、健康・調和・交流などを支援している。もうひとつは背側迷走神経で、これが命の危険に巡り合った時にシャットダウンをさせてしまうのである。このシャットダウンは、心を遮断させると同時に、身体的にも血流やリンパの流れを遮断したり筋肉を収縮させたり、神経を過敏にすることもある。

これはとても深刻な心身状況を起こしてしまうということである。神経過敏に陥ると、大きな音や強い光、匂いにも過敏になり、外出さえできなくなる。人の声、特に低周波の男性の声に恐怖感を覚えるし、低い機械音にも不安になる。LEDなどの強い光を見ると精神が疲弊する。特定の匂いに敏感にもなり、外出できなくなる。がやがやする人声がすると、逃げ出したくなる。トラウマやPTSDにもなるし、パニック障害を起こすこともある。メンタル疾患にもなりやすいし、対人恐怖症、妄想性障害、摂食性障害、強迫性障害にもなりやすい。こうなると、あまりの恐怖感で社会に出ることが出来なくなるのである。

迷走神経によってシャットダウン(不動化)が誰にでも起きるのかというと、けっしてそうではない。どんなに危険な状況に追い込まれても、シャットダウンが起きない人もいる。どうしてそんな違いが起きるのかというと、根底に愛着障害を抱えているかどうかによる。愛着障害を抱えている人は、安全な場所や境遇を提供してくれる存在がないし、良好な絆が結ばれていない。そういう人は、オキシトシンホルモンが不足しているから、いつも大きな不安や恐怖感を抱えている。故に生命が脅かされる状況に追い込まれると遮断が起きるのだ。

人間の場合は、背側迷走神経が働いて一度シャットダウンが起きると、そこから自力で脱出することが不可能になる。投薬やカウンセリング、心理療法などの医学的アプローチをしても、シャットダウンが解決できない。認知行動療法や様々なセラピーを駆使したとしても、シャットダウンから回復することは難しい。臨時的であっても安全な場所と境遇を提供され、良好な絆が結ばれて、音楽療法、適切な運動とボディーワークを続ければ、やがて迷走神経によるシャットダウンが和らいでくる。もちろん、同時に適切な愛着アプローチを受けることが出来たとしたら、遮断から完全に解き放たれてひきこもりから抜け出せるに違いない。

性的暴行に無抵抗になる訳

男性から暴力を伴う性行為を、女性が無理やりに強いられるケースがある。または男性の養育者から、女の子が性的虐待を受けるケースがある。強い立場の者が弱い立場にある者に、こんな人間としてあるまじき卑劣な行為をするというのは、絶対に許されないことである。しかし、裁判とか家裁の聞き取り調査で、実に不思議な証言が加害者と被害者から述べられることが多い。それは、被害者が抵抗しなかったという点である。だから加害者側から、合意のうえだったとか、暗黙の了解だったと主張する根拠にされてしまうのである。

この抵抗できなかったという点で、被害者の女性は法廷の場でセカンドレイプのような気分を味わうし、自分自身を責めてしまうことになる。ましてや、抵抗しなかったことで多大な負い目を持ってしまうし、多くの人々から非難めいた言葉が寄せられて、メンタルを病んでしまうことが多い。そして、深刻なトラウマやPTSDを持つことも多い。また、養育者から性的虐待を受けた子どももまた、深刻なメンタルの傷を負ってしまう。どうして抵抗しなかったのかという後悔の念を、大人になってからも持ち続けることだろう。

実は、これは抵抗しなかったのではなくて、身体が勝手に反応してしまい、抵抗できなかったというべきなのである。しかも、自分の生命を守るために、迷走神経系統が勝手に反応して、止むを得ずに起きた正しい反応なのである。どうしてかというと、それはポリヴェーガル理論で説明できる。ポリヴェーガルというのは、日本語では多重迷走神経と訳される。自律神経というのは、現代医学においては今まで交感神経と副交感神経の二つで、身体のバランスを取っていたと見られていた。しかし、副交感神経には二つの迷走神経があることが判明したのである。

副交感神経を支える迷走神経に、実は二つの迷走神経回路が存在することを、ステファン・W・ポージェス博士が世界で初めて明らかにした。そして、この二つの迷走神経のうち、背側迷走神経が進化上初めに出来た神経経路で、その後に新しく腹側迷走神経が出来たとみられる。したがって、交感神経と副交感神経だけで身体の健康や体調を調整している訳ではないということである。つまり、交感神経と二つの迷走神経の合計三つの神経経路が、身体と心のバランスを制御しているのである。これは画期的な発見であり、今までの医学界の定説を覆したと言える。

今までは、哺乳動物が命を脅かされるような事態が起きた時には、交感神経が闘争/逃走の二者選択をして生命を守る行動をすると思われていた。ところが、逃げるのも出来ず闘うことも出来ない状況に追い込まれた小動物は、背側迷走神経が働いて、不動化・固まるというような防衛行動を取ることが知られている。この背側迷走神経がやっかいな存在で、人間の場合は不動化・シャットダウンだけでなく、精神的な解離や失神状態にさせるのである。本来は、新しく発達した腹側迷走神経を働かせて、安全だと認識できたら古い背側迷走神経が働くまでは行かないのだが、レイプされるという恐怖感がシャットダウンをさせるのだ。

被害を受けた女性は性的暴行や虐待をされるという恐怖感があり、そして自分よりも強大な敵で、逃走も闘争もかなわないというので、背側迷走神経を動かすスイッチが入ってしまい、身体が動かなくなったり心が固まったりして、反抗することが出来なくなったとみるべきだろう。もし対抗したら相手を怒らせて、命までなくす危険もあったのだから、正しい防衛反応をしたと言える。性的暴行を受けた時に、抵抗しなかったのではなく、迷走神経が働いて防衛反応を無意識に起こしたのであり、被害者は自分を責めたり否定したりする必要はない。抵抗の出来ないか弱き女性を、思うままに凌辱した男性が卑怯なのである。

性的暴行を受けた被害者で、シャットダウンを起こしてしまった女性はその後、新しく進化した腹側迷走神経を働かせることが出来なくなる。そうなると、トラウマやPTSDを克服できないばかりか、正常な社会生活や社会的交流が出来なくなり、メンタル障害を背負うことが多い。ましてや、その後に異性と付き合えなくなるとか、セックスが出来なくなったり性的快感を得なくなったりする。だから、性的暴力は被害者の人生そのものを狂わせてしまうものなので、死刑に値する重罪なのである。ただ、ポリヴェーガル理論を用いた適切なアプローチをすれば、シャットダウン状態から救い出せるということを最後に付け加えたい。

※イスキアの郷しらかわでは、過去に性的暴行を受けて現在もメンタルを病んでいるとか、トラウマを抱えて生きづらいという方に、何故克服できないのかをポリヴェーガル理論を駆使して説明します。と共に、迷走神経によるシャットダウン状態から抜け出すための音楽療法やボディーワークを詳しく丁寧に説明します。

貧困は自己責任か

貧困家庭が急増していると言われている。そして、その貧困家庭は世代間を超えて連鎖している。つまり、一度貧困家庭に陥ってしまうと、その子孫は貧困のまま生きていくことになるというのである。その一方で、貧困になるのは自己責任であるから、政治や行政の責任ではないという立場を取る政治家や行政マンが多い。富裕層の人たちもまた、貧困は自己責任だと思っている人が少なくない。本当に貧困という状況を作り出しているのは、自己責任だけなのか。政治や行政の努力では、貧困はなくならないのであろうか。

自民党政権の中枢にいる政治家、そしてキャリア官僚を中心にした官公庁の幹部は、口に出してこそ言わないが、貧困は自己責任だと思っている人が多いのも事実だ。公の場所でそんなことを言おうものならバッシングを受けてしまうから口を閉ざしているが、身内の集まりや組織内においては、貧困は自己責任だと断言している。だから、時折そんなニュアンスの発言がポロリと漏れ聞こえてくるのである。貧困家庭をなくそうとしていると言いながら、本音は違うのであるから貧困家庭をなくす政策に本腰を入れないのは当然だ。

マスメディアの大多数もまた貧困は自己責任だと思っている節がある。マスメディアに働く人々もまた、ある意味で恵まれて育った人々である。政治家や高級官僚も、恵まれた環境で育てられた人々である。小さいころから何不自由なく育ち、著名な塾や予備校、または名門私中学にも行かせてもらい、高等教育を受けさせてもらって、今の立場や地位を得た人々である。ずっと貧困に喘いで、どうあがいても高等教育を受けさせてもらえない家庭のことなど、解ろうとしないのは当然だ。貧困の苦しさなんて理解できようか。

とは言いながら、自己責任がまったくないと言い切れないのも事実である。何故貧困が連鎖してしまうのかというと、その背後には教育の貧困があるし、当事者の勤勉さや我慢強さにも問題があるし、努力が足りないのも事実であろう。だとしても、スタート地点があまりにも差がついていたら、頑張りたいと思う気持ちも失せてしまうに違いない。ましてや、貧困から抜け出すための支援をする政策が乏しいとしたら、努力が無駄になってしまうのではないかと思うだろう。貧困から抜け出すチャンスを与えられていないのである。

政治と行政の重要な役割は、貧困層を作らないことであるし、それが世代間連鎖を起こさないようにすることである。貧困はある意味、教育格差から起きていると思われる。ところが、今の政治や行政は教育格差を放置しているとしか思えない。逆に、教育格差をさらに広げているように感じる。これでは、貧困層は増加の一途を辿るのは仕方ない。教育格差だけでない。所得格差もひどい状況にある。非正規雇用を多量に生み出した小泉構造改革から国民の格差が広がったのは間違いないし、貧困層が増えたこともこれが原因である。

かなりの金融資産を持つ世界の富裕層のうち、かなりの日本人がその割合を占めていると言われている。日本の全人口の1%にも満たないような富裕層が、99%の日本人から仕事もせずに搾取をしているという実態がある。そして、この格差は益々広がっているし、貧困層は世代間連鎖をしていて、政治もそれを放置していると言わざるを得ない。貧困が何故起きているかというと、自己責任も多少はあるものの、国の労働政策、経済政策、福祉政策、教育政策などの失政によるものであると断言できる。貧困層を救いあげ、国内の一般消費を増やすことが、日本経済を好況に導く最善の方法なのに、しないのは怠慢だ。

欧米などでも貧困層が増えている。それは、やはり富裕層や大企業を優遇する税制改悪や労働政策による影響である。その流れを受けて日本でも、大企業優遇税制、高所得者の所得税減税、金融商品の規制緩和、相続税の減税、金融商品による所得税の優遇化などを一般庶民には解らないようにこそっと実施している。これでは貧困層が減らないばかりか、益々絶対的貧困層が増え続けていくに違いない。『貧困は自己責任だ』という為政者や富裕層たちには耳障りのない言葉だけが、独り歩きをしてしまっている。こんな根拠のない言葉で騙されてはならない。貧困層をなくすのは我々の使命であるし、喫緊の課題だと心得たい。

月経前不快気分障害PMDDの原因

女性なら誰でも月経前の時期は、不快で憂鬱な気分になりがちである。月経前症候群(PMS)という、辛い心身の症状がある人がいる。そして、そういう月経前の困った精神症状が強く出る障害を月経前不快気分障害(PMDD)と呼んで、ひとつの疾病として取り扱い、治療を受けている人もいる。このような月経前の辛さは、我々男性には想像もつかないが、各種メンタル障害を起こすケースもあるし、強いうつ症状を呈する人も少なくないという。そして、医学的なアプローチをしても、症状が改善することは期待できないという。

PMDDは、複雑で実に不快な気分にさせてしまう。その中で一番困る症状は、怒りが爆発することである。家族の何気ない言動に我慢ならず、いきなりキレてしまい、怒りを相手にぶつける。当然、けんか腰で言い合いになるし、関係性を損なってしまいかねない。家庭だけではなく、職場でも同様のことが起きてしまう。さすがに上司には盾突くことはないものの、上司や同僚の言動に怒りを感じてしまう。それをじっと我慢しなければならないとストレスが溜まってしまい、しまいには職場で孤立してしまうこともある。

このPMDDの症状で困るのは、イライラが募ってしまうことである。必要以上にイライラして攻撃性が出るというのは、本当に困ったものである。怒りや憎しみの感情が沸騰してしまい、ついつい相手を攻撃しがちである。爆発しそうになる怒りをないことにしてしまわないと大変なことになるからと、ついつい感情を押し込んでしまう。そうすると、腰痛や肩こりなどの症状が出やすい。かと言って、怒りを相手にぶつけてしまうと、夫婦喧嘩や親子喧嘩になりやすい。職場で怒りを爆発させてしまうと、仕事が長続きしなくなる。

PMDDという辛い精神症状を、周りの人に理解してもらえないというのも苦しい。特に、男性はその不快な気持ちを理解できないから、家庭でも職場でも寛容に扱ってくれない。自分の努力次第で乗り越えられる筈なのに、そんなに怒りを爆発させるのは、人間が出来ていないからだと思われてしまうことが多い。男性はその深刻さを知らない故に、月経前の不快な気分なんて、気持ちの持ちようでいくらでも吹き飛ばせると考えがちである。ところが、これは自分の努力ではどうにもならない難治性の精神症状なのである。

PMDDの原因が、女性ホルモンの異常から起きると考えられることから、婦人科で治療を受けるケースが多い。あまりにも酷い症状には、経口避妊薬(ピル)を処方することもある。うつ病の症状が出る場合は、抗うつ剤の投与も考慮される。女性ホルモンの異常、またはセロトニンの不足によってPMDDが発症すると思い込んでいる医師が多い。しかし、ホルモン量の検査をしてみると、異常が発見されることは極めて少ない。ましてや、幼児期からの育成歴や親との関係性やパートナーとの関係性などを詳しく問診する医師がいないので、本当の原因を探り当てることはまずないであろう。

PMDDの患者さんに、HSP(神経学的過敏症)であるかどうかを問診すれば、おそらく多くの項目で当てはまるに違いない。そして、親との愛着について詳しく聞いてみれば、愛着障害であることに気づく筈である。つまり、PMDDの患者さんの多くは、愛着障害によって症状が現れていると推察される。したがって、PMDDはホルモン治療などの医学的なアプローチでは改善されないということである。適切な愛着アプローチをすれば、症状が軽減する可能性があるということでもある。

愛着障害の人は、オキシトシン・ホルモンの分泌量が極めて低いことが判明している。オキシトシン・ホルモンの分泌量が低いために、不安・恐怖感が強くて、いつも最悪の未来を予想してしまうと共に、パートナーを心から信頼することが出来ない。職場では上司や同僚の善意を感じることが出来なくて、悪意を感じてしまいがちになる。月経前には、何らかの理由によりホルモンバランスが崩れて、オキシトシン・ホルモンやセロトニンホルモンが欠乏すると思われる。その為に、PMDDの症状が強く出てしまうのだと推察するのが妥当であろう。PMDDの患者さんは症状改善を諦めているが、愛着アプローチによって症状が収まる可能性があるので、試してみてはどうだろうか。

発達障害ではないかもしれない

少し他の子どもと違う言動を繰り返したりして、どうしても扱いにくいと感じる子どもを、学校現場や保育施設では、「あの子発達障害じゃない」と言って色眼鏡で見る傾向がある。そして、幼稚園や学校の教諭たちはこの子たちを厄介者扱いにして、親に専門医の受診を勧めたがる。発達障害という概念が社会に普及していないに時期は、そんなことを保護者に言えば反発されていたが、今は素直に専門医を受診することが多い。そうすると、精神科の専門医は、問診検査等で発達障害だと診断し、投薬治療を始めることになる。

ところが、投薬治療で多動や注意欠陥などの症状が和らぐことが一部で見られることもあるが、まったく効果がない子どもが多い。ましてや、投薬によって効果が見られた子どもでも、徐々に効果がなくなることが多い。ましてや、子どもだから嫌がって飲まない日が続くことがあるが、不思議と一向に症状は悪化せず変わらないことが多いのである。果たしてこの薬は効いているのか効いていないのか半信半疑になっている親たちは、想像以上に多いのではないだろうか。私が関わっている子どもや親たちは、薬に期待していないケースが多い。

何故、薬が効かないということが多いのかというと、ドーパミンやノルアドレナリンの不足によって起きている発達障害ではないのかもしれない。オキシトシンホルモンの分泌不足による愛着障害によって、発達障害のような症状を呈していると考えると、すべての疑問が解ける。それに、この発達障害治療薬の副作用欄を見れば驚くだろうが、とんでもない副作用がこれでもかと羅列されている。こんな危険な薬を認可する厚労省も酷いが、安易に処方をする医師もどうかと思う。ましてや、発達障害だと診断された子どもが実はそうではないのだから、薬が効かないのも当然である。

一時的に発達障害の薬が効いたように医師と親は思ってしまうが、実はそうではなくて発達障害という診断が下されて、親がある意味安心すると共に、子どもへの親や教師の対応が変化したから症状が一時的に和らいだだけだと思われる。本当は愛着障害なのであるから、傷ついた愛着や不安定な愛着が修復されなければ、その一見すると発達障害のような症状がなくなることはないと思われる。愛着障害は医学的アプローチで寛解することはない。あくまでも適切な愛着アプローチでしか、症状が和らぐことはないと言われている。

発達障害という診断が出て、先生からの指示があり、これは病気なのだから、親は子どもに傾聴と共感的対応をするのですよと諭される。ところが、困ったことに子どもが愛着障害の場合は親にも問題が存在するのである。つまり、親の愛着もまた傷つき不安定になっているのである。それ故に、保護者特に母親の精神が安定しないし、いつも不安や恐怖感を抱えていることが多い。したがって、子どもにいつも優しく接しなさい、子どもの気持ちに寄り添いなさい、子どもを見守ってあげるような態度をとりなさいと言われても、意識した時はできるが、そういう態度は持続しないのである。

発達障害という診断が果たして正しいのかどうかを一度疑ってみることも必要なのではないかと考えられる。もしかすると愛着障害によって発達障害のような症状を呈しているかもしれないのである。発達障害の薬を投与し続けても、あまり効果が見られない場合は、愛着障害を疑ってもよいだろう。もし、愛着障害ならば適切な愛着アプローチという手法で治療すれば、発達障害のような症状も和らいでくる。ただし、愛着アプローチ効果を発揮するには、子どもにとって安全基地という存在が必要になる。通常は親が安全基地となる。

人間には「安全基地」という存在が必要である。愛着障害の子どもには安全基地が機能していない。自分が愛着障害を抱えている母親は、子どもの安全基地になれないのである。そして、母親にも絶対的な安全基地が存在しないである。祖母もまた安全基地を持たず愛着障害になっている。さらに、夫である父親が仕事に逃げ込んでいて育児を母親任せにしていれば、妻の安全基地になれていない。愛着障害の子どもを癒して愛着を修復できるのは、精神が常に安定して健全な愛着を持つ親だけである。それ故に、まずは母親が安全基地となれるように、第三者による愛着アプローチの支援が必要となる。

※我が子が発達障害的な症状があったとしても、もしかすると愛着障害によるものかもしれないと思われた方は、一度イスキアの郷しらかわにご相談ください。愛着障害を乗り越える愛着アプローチの学びを提供しています。問い合わせのフォームにはLINEのQRコードが張り付けてあります。問い合わせフォームから送信すれば、こちらの連絡先もお伝えするメールを返信します。