私憤を切り捨てて公憤にシフトする

 憤りの感情は、自分の脳を痛めつけるということを、何度も提唱し続けている。怒りとか憎しみの心を持つと、偏桃体が異常興奮をしてしまい、コルチゾールを大量に分泌してしまい、偏桃体が肥大化すると共に海馬と前頭前野脳を萎縮させる。つまり、正常な判断力や記憶力を低下させてしまうのである。セロトニンやオキシトシンの分泌まで抑制してしまい、幸福感や安心感までも奪い、いつも悲しくて不安な気持ちにさせてしまうのである。だから、憤りの感情は持ち続けずに、すぐに消化や昇華をさせなければならないのだ。

 特に、社会的な憤りは仕方ないけれども、個人的な憤りは避けなければならない。何故かと言うと、政治家や行政などに対する怒りと言うのは、公憤と言って自分の脳に対する影響は少ないのである。ところが私憤と言って、身近な家族・親族や職場の人に対する怒りというのは、自分の脳に対して深刻な影響を与えてしまうのである。何故、公憤と私憤は違うのかと言うと、公憤というのはその相手に対してSNSなどで批判や否定をしたとしても、相手に対する直接の攻撃は出来ないのである。私憤は、相手に相手に攻撃も出来るのである。

 公憤とは、当局というか政治や行政への怒りであり、ある意味仕方がないという怒りでもある。当然、どうにもならない怒りであり、その怒りの感情があったとしても折り合いをつけなければならないことを、なんとなく自分で納得するしかないのである。ところが、私憤とは特定の人物やグループへの怒りであるから、折り合いをつけることは極めて難しい。その怒りの感情は、ずっと脳に怒りや憎しみの感情と共に記憶される。ましてや、自分にとってあまりにも理不尽で辛い思いをさせられた記憶が、強烈な心的外傷として残るのである。

 例えば、その心的外傷が親からの虐待やネグレクト、または行き過ぎた支配や制御などの過干渉を受けて、毒親に対する怒りや憎しみを抱え続けている人がいる。また、配偶者からモラハラやパワハラを受け続けて、メンタルが落ち込んでしまって配偶者への恨みを持つ人もいる。職場で、パワハラやセクハラを上司や同僚から受け続けて、休職や離職に追い込まれて憤りを持ち続けている人もいる。さらに、青少年期に性被害を受けた為に、大きなトラウマを抱えてしまい、加害者に強い憎しみを抱き続けている人もいる。

 そんな特定の相手に対する怒りや憎しみは、私憤としてずっと記憶に残っていて、消し去ることが難しい。簡単に相手を許せるものではないし、そんな自分の人生を受け容れることが出来る訳がない。このような強烈なトラウマは、一度だけでもPTSDとしての症状も起こすし、何度も心的外傷を受け続けると複雑性のPTSDという深刻な精神障害を抱えることになる。なにしろ、生きる上でとても大切な脳にダメージを与えてしまうので、私憤を何とか消化・昇華させないと、長期間に渡り自分を苦しめることになってしまうのである。

 それでは、私憤を乗り越える為にはどうすれば良いのであろうか。医学的アプローチも効果が認められるし、他人による支援も必要である。しかし、何よりも大事なのは自分自身が私憤をどう乗り越えるのかである。いくら医学的なアプローチを受けたとしても、私憤をどのように認識するのかが問われるのである。私憤を乗り越えるためのヒントが、私憤を公憤に切り替えるということである。毒親やハラスメント配偶者、または問題上司などによる謂れなき虐待や攻撃に対して、加害者に対する憎しみや怒りを持つのは仕方ないとしても、そのハラスメントが起きるバックグラウンドやシステムを洞察することが必要なのである。

 まずは毒親というのは、自らが好んで毒親になった訳ではない。自分自身が毒親から同じように虐待や束縛を受けて、愛されずに育ったのである。ハラスメント配偶者や上司もまた、同じように問題ある社会によって生み出されモンスターである。そういう意味では、私憤でありながら教育や社会システムに問題があるから起きた公憤とも言える。パーソナルはポリティカルという言葉がある。私憤が起きた原因は個にあるのではなくて、政治や行政などの社会システムにあるのだ。家庭教育や学校教育に問題があるから、私憤を産み出したと言える。だからこそ、私憤を切り捨て、公憤にシフトすることが大切なのである。

憤りの心は燎原の火の如し

 憤りの心は燎原の火の如しという格言がある。仏教において、憤り=怒りは煩悩のひとつであり、我が身を滅ぼす悪であるとして、どんな理由があろうとも怒りの感情は捨てなさいと説く。憤りの感情というのは、燎原(原っぱ)の火のようであり、自分が点けたその火に飲み込まれて焼け死んでしまうという意味である。徳川家康も同じような事を遺訓として後世に伝えている。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、と言い遺している。怒りと言う感情が、どれほど深刻な悪影響を与えるのかという警鐘を鳴らしているのである。

 怒りの感情というものが、どれほど自分自身に対して悪影響を与えるのかということを、科学的・論理的に考察してみたい。まず、怒りや憎しみという感情は、人間の正常な判断力を削いでしまうということを認識すべきである。怒りや憎しみの感情が高まってしまうと、人間はその感情の渦に飲み込まれてしまい、正しい判断力を失うばかりでなく、思いがけない言動に駆られてしまうことが多い。後から冷静になって判断すると、どうしてあんな愚かなことをしてしまったかと反省するのだが、怒りの感情は人間の冷静さを失わせるのである。

 怒りや憎しみの感情がどうして判断能力を奪うのかと言うと、それは脳中枢部である大脳辺縁系の偏桃体の過剰反応によるものと推測されている。本来は理性的判断能力を持つのに、憎しみや怒りの感情があまりにも頻繁に起きてしまうと、偏桃体が暴走してしまい判断能力が機能しなくなるらしい。怒りや憎しみをまったく否定するものではないが、ある程度に留めることが必要なのであろう。怒りや憎しみの感情を持ち続けると、偏桃体の興奮は止まらずに暴走し続ける。そうすると、脳はとんでもない変性を遂げることになる。

 ストレスホルモンの一種で副腎皮質ホルモンのひとつであるコルチゾールが過剰に分泌され続けて、偏桃体が肥大化してしまうのである。そうなると、自律神経のうち交感神経が過剰に活性化すると共に、それが過ぎてしまうと副交感神経まで影響を受けてしまう。迷走神経のうち背側迷走神経が暴走してしまい、心身のフリーズやシャットダウンに陥るのである。また、偏桃体の興奮が収まらず何度も暴走することで肥大化してしまった偏桃体が、海馬や前頭体にまで影響を及ぼして、萎縮させてそれらの機能低下を招いてしまうのである。

 特に、DLPFCと略称で呼ばれる背外側側前頭前野脳の機能が著しくダウンしてしまうことから致命的な悪影響を起こす。DLPFCはフラッシュメモリーのような機能を持つ。一時的な記憶装置と演算を受け持つのだ。DLPFCの機能が低下すると、記憶が飛んだり間違った記憶を作り出すエラーを起こす。また、複雑な判断や理論の統合が上手くいかなくなるばかりか、倫理的な判断が出来なくなるし、他人との良い関係性が作れなくなる怖れがある。海馬は記憶を司るところであり、認知機能に著しい障害を起こしかねない。

 偏桃体を暴走させてしまうのは、怒り憎しみだけではなくて、多大な悲しみ寂しさや不安・恐怖感も同じである。さらには、過大なる痛みやストレスも同じように偏桃体と海馬・前頭前野に悪影響を与えてしまう。偏桃体の過剰な興奮を、本来は前頭前野が鎮めてくれる筈だが、何度も何度も繰り返して憎しみや痛み、そして過大なストレスを与え続けられると、不眠となりやがてはメンタル疾患を抱えてしまうことになる。だからこそ、過大なストレスになってしまう怒りや憎しみは、どんな理由があろうとも持ち続けてはならないのである。

 それでは、どんな理不尽なことをされても、人間は怒り憎しみを持ち続けないように我慢して笑顔でやり過ごせというのか。それでは、問題は解決しない。人間の記憶は、そんなに便利に抑えられるものではない。誰かにその怒りや憎しみを批判されることなく否定されずに傾聴されて共感されたら、怒りや憎しみは和らぎ偏桃体の異常興奮は抑えられる。それだけでは不十分で、「辛かったね苦しかったね」と抱きしめられたり背中を擦られたりすると、視床下部で合成され下垂体からオキシトシンを分泌させることにより扁桃体の興奮を鎮静化することが出来るのである。

陰謀論に依存して不登校ひきこもりに

 不登校やひきこもりの青少年たちをずっとサポートしてきた経験から実感しているのであるが、そうなってしまった要因のひとつに陰謀論による洗脳がある。勿論、陰謀論にはまってしまう根底の原因は他にあるのだが、不登校やひきこもりになってしまう青少年が陰謀論に洗脳されて依存してしまうケースは想像以上に多いのである。ここでは、陰謀論が正しいのか誤っているのかの議論をするつもりはないが、現実に不登校やひきこもりになってしまう要因のひとつになっているし、抜け出せない要因にもなっているのは間違いない。

 不登校やひきこもりになっている青少年は、スマホに依存しやすい。日がな一日何もすることもなく自室に閉じこもるから、スマホやタブレットを眺めて過ごすのだから当然だ。ネットゲームに依存することも少なくない。それ以上にリスクを持つのがSNSやYouTubeなどの情報に、あまりにも盲目的に信じ込んでしまい、依存してしまい抜け出せないことである。最初は、メンタルを低下させたり病んでしまったりした原因や癒すための方策を検索する。そのような情報を検索しているうちに、次第に陰謀論にはまって洗脳されてしまう。

 元々、不登校やひきこもりになってしまう青少年は、不安型のアタッチメントを根底に持つが故に、誰も頼る人が居ないし相談する相手もなくて、ひとりぼっちである。孤立感や孤独感をもってしまう。自分の苦しさや深い悲しみを理解してくれる人は、周りには誰もいない。当然、ネットの世界につながりを求める。そうすると、同じような境遇の人々と結びついて、情報交換をすることになる。自分が不遇の状況に置かれていると感じる人は、その原因は社会の制度や間違った政治・経済にあるとする情報に共感しやすい。

 自分が不遇な境遇に置かれてしまっているのは、自分自身に原因や責任があるとは思いたくないのは当然である。不登校やひきこもりになってしまったのは、いじめを放任した学校や教育委員会に責任があるし、こんな問題ある教育制度を創って運営している行政や政治に問題があると思いたがるのは当然である。社会に対する恨みつらみが積み重なる。もしかすると、裏の社会で悪意のある誰かがこんなにも問題ある社会を作るように支配制御しているのではないかと思うかもしれない。そんな疑いの目で見ると、益々怪しくなる。

 つまり、陰謀論を信じる人は不遇で孤立していて満たされていない人が圧倒的に多い。皆から慕われて信頼されていて、経済的にも成功していて多くの人々とリアルな繋がりを持つ人は、陰謀論に絶対はまらないのである。何故なら、陰謀論者は不安を煽り立てて信じ込ませているのである。愛で満たされていて不安や怖れを持たない人には、陰謀論はもはや荒唐無稽なフェイクニュースにしか思えないのである。不登校やひきこもりの青少年たちは、不安や恐怖で一杯だから、陰謀論を信じ込ませられて社会に出て行けなくなったのだ。

 陰謀論は真実なのかもしれないし、デマなのかもしれない。ただし、これだけは真実だという点がある。陰謀論の情報を発信している人は、人々の恐怖心を巧妙に利用しているという点である。不安を煽り立て、恐怖の淵に追いやって、社会に対する不信感を持たせて、自分の情報を信じ込ませているというのは確実である。その手口は巧妙で、これでもかこれでもかと過激な情報を発信続けるし、その情報を取り入れ続けないと取り残されてしまうという恐怖感を植え付ける。その情報を拡散するようにと訴えるのである。

 陰謀論を熟知していても認識ていなくても、生活に違いはまったくないのだが、陰謀情報を見ないと不安になるように、巧妙に仕組まれている。不安型のアタッチメントを根底に持つ青少年たちは、陰謀論に嵌まってしまい依存するのである。元々、持っている不安や怖れは益々増幅されてしまう。陰謀論を四六時中確認していないと、居られなくなってしまい、抜け出せなくなる。まさに、陰謀論はカルト宗教のように洗脳させてしまうのである。そして、不安が増強してしまい社会に出て行くのが恐くなりひきこもってしまうのである。

※ひきこもっている青少年は、もしかすると陰謀論に洗脳されているかもしれません。ご子息やパートナーがひきこもりの状態にあるのなら、もしかすると陰謀論にはまっているのかもしれません。どうすれば陰謀論から抜け出せるのかは非常に難しいのですが、1ケ月程度に渡り携帯電波の届かない宿泊施設に宿泊するのもひとつの選択肢です。勿論、当人と相談して納得すれば取れる方法です。

精神科医療で誤診が多い訳

 精神科や心療内科を受診して、確定診断をされてカウンセリングや投薬治療を受けているメンタル疾患の患者さんは多い。職場や学校で精神的に悩んでいる人に対して、関わる人々は精神科の受診を勧めるし、当人自ら精神科や心療内科の診断を望む例もある。かくして、近くにある精神科クリニックを頼ることになる。ところが、精神科医の診療レベルは、他の診療科医師とは違い、かなりばらつきがあると言える。精神科医を最初から希望する研修医が少ないし、どちらかというと優秀な研修医は他科に行く傾向がある。

 精神科医を目指す研修医が少ないのは、一昔前までだった。現在は、精神科医を医学部入学前から希望していた学生も増えてきたし、優秀な研修医も多くなりつつある。しかし、以前は優秀な精神科医が少なかったのは、医療関係者なら誰でも知っている。勿論、優秀な精神科医も存在していたが一握りであり、大学の研究室に残った医師か著名な大学病院に在籍した医師たちである。精神科単独の病院の勤務医や精神科医院の医師に、レベルのばらつきがあったのは当然であろう。そんな精神科医だから、誤診があったのかもしれない。

 精神科は、とても難しい診療科であると言える。他の科であれば、診断技術が年々著しく向上しているし、検査機械や診断機器の開発がものすごい速度で進んでいる。ましてや、最近はAI診断技術も進んでいるし、薬品の開発も著しい。ところが、精神科だけは医療技術の進歩から取り残されているのである。検査機械や診断機器の開発もまったく進んでいないのである。血液検査や尿検査などで、確定診断ができる訳ではない。X線検査やCT検査で異常を発見できる訳ではない。問診や心理検査、脳波検査などで診断するしかない。

 一応、ICDやDMSという国際診断基準やガイドラインは存在しているが、最新のICD10やDMS5の診断基準を用いているのは先進的な医師だけで、依然として使い慣れたICD9やDMSⅣに頼っている精神科医が多い。ましてや、問診やカウンセリングにはそんなに時間をかけていないし、簡単な問診と質問だけで確定診断をしてしまい、安易に精神薬を処方する医師が多いのも事実である。最新の医学理論に疎い開業医はあまりにも多い。ましてや、精神薬は殆どがモノアミン仮説によって開発されていて、科学的根拠が極めて怪しい。

 こんな精神医学の状況なのだから、誤診が起きるのは仕方ない事であろう。気の毒なのは患者さんである。患者さんは藁にもすがる思いで精神科医を訪ねたのに、まさかエリートである医師が誤診をしようとも思わないであろう。食べログのように、医院の評判が詳しくネット上に掲載されている訳ではない。知人に精神科医の評判を聞けないのだから、殆どの人が行き当たりばったりでクリニックを訪ねることになる。どちらかというと、外れを引いてしまう割合が多いのも事実である。そんな患者さんは実に気の毒である。

 精神医学界は、古い医学理論に固執するケースが多い。昔の精神医学理論なんか、現代の複雑な児童心理や発達心理においては使い物にならない。昔ながらのカウンセリング学や精神分析学だって、現代の病理に対しては、歯が立たないケースが多い。それなのに、旧来の精神分析手法を使ってしまい、訳の分からない分析結果を患者さん当人や家族に宣告してしまう。それが間違っている診断だとしたら、大変なことになる。故に精神の患者さんは激増しているし、治療により完治することも少ない。寛解して医療から離脱できるケースも殆どない。

 確かに、病状や育成歴、家族との問診から導き出された診断と病因だとしても、安易に当人とその親に告げるのはあまりにも残酷ではなかろうか。ましてや、その診断が間違っていたとしたら、患者さんとそのご家族の人生を台無しにしてしまう危険だってある。その間違った診断のせいで、学業を諦めたり仕事を失ってしまう患者さんだっているのだ。誤診のおかげで人生を狂わされてしまったり、人生を無駄に過ごさせられたりした患者さんを多く眼にしてきたのも事実である。精神科医の確定診断をそのまま鵜呑みにするのは危険がある。出来れば、大学病院などの専門医のセカンドオピニオンの受診をお勧めしたい。

HSPを癒せばひきこもりから回復

 HSPで苦しんでいる人は多い。ハイリーセンシティブパーソンというのは、精神疾患ではないから医学的な治療対象とはならない。ましてや、HSPによって多少の生きづらさがあったとしても、社会生活が大きな影響を受ける訳ではないと、軽視される傾向がある。HSPを治してくれたり軽減させてくれたりする処もないので、我慢している人が多い。日本人のうち、どれくらいの割合でHSPを抱えているのかというと、おそらく男性で3割、女性だと5割以上の人がHSPを抱えている筈である。

 HSPの影響を社会では過小評価している傾向がある。ところが、HSPの影響は想像以上に多大であり、深刻なメンタル疾患や精神障害の根源なっているということを知らない人が多い。うつ病などの気分障害は勿論のこと、パーソナリティ障害、パニック障害、PTSD、適応障害、ASDなどを発症する人は殆どがHSPである。メンタル面の影響だけではない。身体疾患を起こす根本原因にもなっている。原因不明の各所の身体的痛みやしびれ、線維筋痛症、膠原病、PMSやPMDDなどで苦しむ人々もHSPを抱えているケースが多い。

 社会生活にも多大な影響を与えている。不登校の子どもたちはHSCであるし、ひきこもりをしている若者たちはHSPを抱えている。休職に追い込まれている人や、職場でパワハラやモラハラで苦しんでいる人たちも殆どがHSPを抱えている。HSPというのは、聴覚過敏を初めとして様々な感覚過敏を起こしてしまう。様々な場面で不安感や恐怖感を持ちやすい。それ故に、人と関わり合うことに怖れを感じてしまい、コミュニケーション障害を起こしやすい。なにしろ、得体の知れない不安を常に持ってしまうから厄介である。

 何か特定の事に対する不安なら、対応することも可能であるが、何だか分からないけど不安だと言うのはどうしようもない。ましてや、これから起きるであろう不安は、前に進めない。だから、HSPから不登校やひきこもりになりやすいのである。HSPは神経伝達回路(システム)の異常によって起きると考えられている。HSPは脳内ホルモンのうち、オキシトシンホルモンとセロトニンホルモンの分泌が極めて少ない。そして、交感神経活性化でいつも緊張しているので、コルチゾール(副腎皮質ホルモン)が過剰に分泌され続けてしまう。

 コルチゾールが過剰分泌され続けると、大脳辺縁系の偏桃体が肥大化すると共に、海馬と前頭前野が萎縮する。記憶力や判断力が正常に働かなくなり、妄想や幻想が起きやすいし、実際には起きていない怖い記憶が作られてしまうこともある。現実とバーチャルの境目がなくなるのである。作られた偽の記憶に苦しめられるのである。妄想性の障害や妄想性のパーソナリティ障害は、こうやって発症してしまうのである。HSPというものが、いかに深刻な症状をもたらすかということが解るであろう。

 不登校やひきこもりが、根底にHSPがあって起きるのだから、HSPを癒すことが出来ればひきこもりも解決できると言える。それでは、どうすればHSPを癒すことが出来るのだろうか。HSPが神経伝達回路(システム)の異常によって起きて、オキシトシンH.とセロトニンH.の不足が原因であるのだから、これらのホルモンが正常に分泌されるようにすればよい。オキシトシンH.の不足は、アタッチメントの未形成によって起きている。また、セロトニンH.の不足も同じ理由である。それ故に、アタッチメントの再形成が重要なポイントとなる。

 アタッチメントを再形成すればひきこもり・不登校は解決する。以前は、アタッチメントは『愛着』と訳されていて、親からの愛情不足によって起きるとされていた。親との愛着を再形成しないと愛着障害は改善しないとされていた。しかし、最新の発達心理では、親じゃなくてもアタッチメントを再形成できることが判明した。第三者からの支援により、アタッチメントが再形成できるのである。その支援者とは、誰でもいい訳ではない。試し行動にも動じず、安定した精神状態と正しく高邁な思想・価値観を持ち、完全な自己マスタリーを実現した人物でないと、アタッチメントの再形成を手助けできない。利害・損得を考えず、どんな苦難・困難にも挫けず、慈悲深くて溢れる愛情を注げる人物にしか出来ない役割である。

 ※アタッチメントを再形成してHSPを癒す方法を、イスキアの郷しらかわではメールや電話にて、もっと詳しくお伝えしています。オキシトシンタッチやソフトなソマティックケアのやり方、HSPを癒すNTA療法のこと、オープンダイアローグ療法のこと、ナラティブアプローチ療法のやり方、いろいろなHSPの癒し方を伝えています。問い合わせフォームからどうぞ。

高額料金の心理学セミナーに要注意

 心理学のセミナーとか独自資格の取得セミナーの開催が数多く開催されている。それもかなり高額の参加費となっているケースが多い。受講する期間・時間数もある程度多いので、高額になるのは当然かと思うのかもしれないが。しかし、公的な資格ではなく社会的にも認知度は低いし、対外的には信頼性もないのに関わらず、結構な高額な料金設定になっている。このような資格セミナーは要注意である。明らかに、資格商法またし資格セミナー詐欺と呼んでいいような心理学セミナーは少なくない。

 熟慮すれば怪しいぞと気付くのであるが、インターネットを巧妙に利用しているので、騙されるのかもしれない。まず、公的資格ではなく民間資格を取得する心理学セミナーには騙されないようにしたい。セミナーを受講した人には自動的に資格が与えられるというのは、あり得ないことである。最後に受講内容を確認する試験さえないというのは、酷い話である。ある程度の知識や技術を拾得できたかどうかの確認もせず、誰でも心理学の資格が与えられるというのは、まず資格商法(詐欺)だと思って間違いない。

 セミナー受講料が高額だというのも、極めて怪しい。6日~7日の期間の講座だから、30万円~40万円になるのは当然だと思わせるが、1日あたりにすれば6万円前後になるというのはあり得ない。1日あたり3万円を超えるような心理学セミナーは、怪しいと思っていいだろう。ましてや、数段階に渡ってセミナー料金が高額になって行くようなセミナーは非常に怪しい。初期セミナー30万円、2回目のセミナー60万円、3回目のセミナー100万円というような料金設定は、明らかに資格商法の詐欺セミナーだと思われる。

 特に、すべての資格セミナーを完了すれば、コーチや教師としてセミナーを開催できると謳っているようなものは、特に危ないように感じる。このコーチ・教師としてセミナーを開催できるとされているが、民間のコーチ資格を持っているからと言って、誰がそのセミナーを受講するというのか。無名の民間資格を持つ講師のセミナーなんて、集客が出来ないのは当たり前である。心理カウンセラーの民間資格を持っているからといって、開業できるほど世間は甘くはない。ましてや、カウンセリング経験がないのだから、資格は役に立たない。

 注意したいのは、このようなまやかしの資格商法的な心理学セミナーだけではない。スピリチュアルな技能を開花させるとか、霊的な目覚めを実現させるというような怪しいセミナーも世の中には多数存在する。次元上昇とかアセンションと呼んで、覚醒しないと三次元に取り残されるというような危機を煽ってセミナーに呼び込むようなケースは危ない。セミナーを受講すれば、またはイベントに参加すればアセンションが可能になるという謳い文句はいかにも怪しい。こういうセミナーやイベントに参加したとしても、残念ながら覚醒はしないのである。

 世の中では、このようなスピリチュアルな覚醒セミナーとかイベントが大流行しているらしい。そして、参加費が2万円~5万円というような高額設定になっている例が多い。不思議なものであるが、人間と言う生き物は高額になればなるほど有難く感じ、効果が高いと思い込まされるらしい。人は思い込みが激しい。高額な料金設定になればなるほど、価値があると勘違いするのだ。そういう心理的な弱さに付け込んで、スピリチュアルなセミナーは高額な料金設定で開催しているのである。何度参加しても、覚醒なんて実現しない。

 どうして、こんな高額な料金設定のセミナーやイベントに騙されるのかというと、それは自己肯定感や自尊感情が低いからだと言えよう。つまり、自我と自己の統合、または自己の確立が実現していないから騙されるのである。自我を超越して絶対的な自己を確立して、自己マスタリーを実現している人は、このような詐欺まがいのセミナーには引っ掛からない。アイデンティー(自己証明)の確立を成しえた人は、嘘や陰謀論などを見破ることができる。自己の確立が出来ていなくて、不安や怖れが強い人というのは、どうしても自分を何かの資格や認定証で大きく見せたいのである。それだけ自己マスタリーを実現していない人が多いという証左でもある。

佐藤初女さんが人々を癒せた訳

 天国に召されてしまった森のイスキアの佐藤初女さんは、数多くの病める人々を癒した。こんなにも多くの人々の悩み苦しみを聞いて、そっと寄り添い勇気と元気を与えてくれた人は他にいない。どうして、佐藤初女さんは、どうしてこんなにも多くの人々の心身を癒せたのであろうか。その訳は、佐藤初女さんが専門家でなかったからだと言えば、それはおかしいと思う人がいるかもしれない。心身の病気になった人を治せるのは、その道の専門家にしか出来ないと思うであろう。でも、初女さんは専門家でなかった故に癒せたのである。

 どうして、人々の心身を癒すことが出来たのかと言うと、初女さんは医療の専門家じゃないから、診断や分析をしなかったし、治そうとしなかったからである。医療の専門家というのは、まず患者に対する問診や検査をして、分析して診断する。その診断に基づき診療計画を立てて、最善の投薬や治療をする。メンタルの疾患であれば、投薬だけでなく、カウンセリングや精神療法、各種療法を駆使して患者を治すのである。患者の精神を健全にしようとして、ドクターはカウンセラーやセラピストと協力しながら、治療をするのである。

 初女さんは、森のイスキアを訪れる心身を病んだ方々を、無理に治そうとはしなかったのである。勿論、医療の専門家でない初女さんだから、精神分析やカウンセリングもしなかったし、診断をする筈もなかった。治療計画なんて立てようもないし、実際に治療をしようともしなかったのである。それなのに、森のイスキアを訪れた多くのクライアントは、心身を癒されて元気になり、社会に復帰していったのである。初女さんは、クライアントに寄り添い、ただ話を聞くだけで無理に問い質したり助言をしたりすることはなかったのである。

 佐藤初女さんがクライアントの心身を癒して、勇気と元気を引き出せたのは、奇跡のおむすびや心の籠った食事のお陰だと思っている人が多い。確かに、それもひとつの重要な要因ではあるものの、単なるツールに過ぎない。同じようなおむすびや料理を提供したとしても、初女さんという存在がなければ、あれだけ多くのクライアントを元気にすることは出来なかったであろう。それだけ初女さんという存在は大きかったのである。彼女は、科学の専門家でもないのに、人体と精神の科学的な仕組みを上手に活用していたのである。

 どういうことかというと、まずは人体や精神がひとつのシステムだということを、初女さんは認識していたとしか思えないのである。人体は一つの全体であり、その人体を構成する要素どうしのネットワークがある。このネットワークシステムは、各々の構成要素どうしが『関係性』を持っており、それ故に『自己組織化』の働きがあるし、オートポイエーシス(自己産生)の機能を発揮できる。つまり、人間という生き物はひとつの完全なるシステムであり、このシステムのネットワークがエラーを起こして、心身の病気が起きるのである。

 そして、関係性が劣化したりお互いの互恵的つながりが破綻をしたりしてしまうと、自己組織化が働かず、自己成長や自己進化が止まってしまうだけでなく、後退してしまうのである。これが心身の病気という状態である。こうなってしまった人間に、治そうとしてこうしなさいああしなさいと指示をしたり強要したりすると、自己組織化が阻害され、さらに悪化してしまうのである。診断をして分析をして原因を特定して、その原因を無理やりに外的な力でつぶそうとすると、症状が改善することはないし、別の症状さえ起きてしまうのである。

 佐藤初女さんは、そのことを直感的・経験的に知っていたからこそ、クライアントの話に耳を傾け共感するだけだったのである。そして、心の籠った食事を提供してクライアントとの関係性を深めることに傾注したのである。クライアントが例え間違った考えを持ち誤った行動をしていても、その誤謬を指摘することも直させることもしなかった。ただ、クライアントが自分で気づき自ら治す力があるということを見抜き、信頼したのである。そして、見事にクライアントは自らを癒すことができたのである。自らの病気を自らの力で治した経験がある初女さんだからこそ可能なのだ。第二第三の佐藤初女さんが出てくれることを祈るだけである。

※イスキアの郷しらかわでは、佐藤初女さんを目指そうとする方々をサポートしています。どうやって、佐藤初女さんが多くの人々を癒すことが出来たのか、佐藤初女さんのような活動をするには、どうすれば良いのかの講義と研修を開催しています。極めて科学的な根拠を示しながら、納得の行くまで説明をしています。システム思考、オープンダイアローグ、ナラティブアプローチなどの最新の科学的な療法と、最新医学のポリヴェーガル理論なども伝えています。佐藤初女さんは、そういった最新の療法を誰にも習いもせず、自然と実施していました。問い合わせ・申し込みのフォームから申し込みください。直接、お電話をいただいても結構です。(プロフィールの名刺に電話番号とLINEアカウントが記載されています)

性暴力被害は深刻な後遺症に

 性的暴力被害を受けた経験を持つ人は、どのくらいの割合でいるのかとアンケート調査した結果、驚くことに3割近くあることが解った。ただし、これはアンケートに答えた人だけであり、性暴力を受けたことがトラウマ化していたり、記憶を無意識下に留めて思い出したくないと回答を拒否したりしたことも考慮すると、3割以上の方々が何らかの性暴力を受けた経験を持つのではないかと想像できる。そして、性暴力の加害者は教職員などの学校関係者が一番多いという愕然たる調査結果が明らかになった。

 また、一方では親族からの性暴力も多く、特に親からの性暴力被害も少なくないことが解った。教職員や親族からの性暴力は、何度も続けられていて慢性的な性暴力の被害になりやすい。教職員や親からの性暴力被害は、嫌だと拒否できないばかりか、誰にも相談できず孤立しやすい。拒否できない自分が悪いからだと自分を責める傾向がある。性暴力被害を受けた人の性別は、圧倒的に女性が多いものの、男性の被害も相当数あることが判明しつつある。ジャニーズ事務所の性被害報道があり、少年時代に教職員から受けていた性暴力を思い出す人が多いらしい。

 学校内において、担任、副校長、校長からの性暴力被害が多いということが解り、鬼畜にも劣る低劣な人間性を持つ教職員がいることが判明したのである。ここで性暴力の加害者について考察したい。立派な職業を持ち、地位や名誉もありながら性暴力の加害者になるケースがある。医師がその立場を利用して患者さんに対して性暴力を行う例も少なくない。そうした自分よりも弱い立場の者に対して性暴力を行うというのは、ある意味マウンティングという意味もあるのではないかと専門家が分析している。

 そういう意味では、夫婦間や恋人関係において、望まない性行為をされてしまうという悩みを抱えている方も相当数存在していて、支配欲というものが介在しているのではと分析されている。相手を支配・制御したいという欲求は、絶対的な自己肯定感が醸成されていず、確固たる自己の確立(アイデンティの確立)もされていない、不完全な人間がいかに多いかということでもある。自己の確立という言わば自己マスタリーを実現出来ていない不完全な人間が、親になったり教師になったりしているのである。まともな教育が出来る筈がない。

 これは由々しき大問題である。このような自己マスタリーも完遂していない親に育てられた子どもは、自分自身も自己マスタリー出来ないまま大人になるということだ。教師と教え子の関係においても同様である。このような教師や親から受けた性暴力被害は、酷い後遺症を起こすということが判明した。見ず知らずの他人からの性暴力は、PTSDやパニック障害になりやすい。性暴力被害を複数回受けて、それがトラウマとして積み重ねられることにより、より深刻な複雑性PTSDを抱えてしまう危険性が極めて高いのである。

 子どもの頃に教師や親から受けた性暴力被害は、複数回に及ぶことから深刻な心的外傷(トラウマ)を何度も残すことになる。このように何度もトラウマを受けてしまうと、複雑性PTSDを発症してしまう危険性が極めて高くなる。この複雑性PTSDという精神疾患になると、二次的症状として様々な発達障害も起きてしまうし、不登校や引きこもりになる可能性が非常に高くなる。なにしろ、得体のしれない不安に苦しむし、恐怖感を日常的に感じてしまう。睡眠障害や摂食障害などの深刻な精神障害を起こすことも多い。

 そして、この複雑性PTSDという精神疾患には、さらに厄介な特徴がある。それは、親族や教師からの性暴力被害をひたすら隠し通して無いことにしてきたので、トラウマを潜在意識の奥深くに押し込めてしまっているのである。したがって、日常の生活においてはトラウマが表出することはなく、何となく不安や恐怖感を感じるものの、何故そんな感情を抱いてしまうのか、本人にも解らないのである。これが解離性という厄介な症状である。つまり、当人にも複雑性PTSDを抱えていることが自覚できず、強烈な生きづらさを抱えているし、自己組織性を失っているので主体性や自発性が発揮できなくなっているのだ。こんな深刻な後遺症を生みだす性暴力は、けっして許せない。教育の抜本的改革が必要である。

複雑性PTSDの実態と治療法

 最近、複雑性PTSDという精神疾患が注目されている。眞子さまが世間からの誹謗中傷を受けて、この疾患で苦しんでおられるとの報道がされて、認知されてきたのかもしれない。しかし、この報道によって複雑性PTSDのその深刻さや重症度が伝わらなかったのも事実である。通常のPTSDよりも軽症なのではないかと勘違いした人が多いかもしれない。実は、通常のPTSDよりもその症状は深刻であり、極めて強い難治性の精神疾患であるし、非常に予後が良くない悲惨な疾患でもある。二次的な症状も深刻である。

 複雑性PTSDによって、不登校やひきこもりに追い込まれてしまった患者は予想以上に数多い。複雑性PTSDを抱えている人は、自己組織化が阻害されてしまっているからである。主体性、自発性、自主性、進化性、責任性などの働きが育っていないので、学校や職場において、苛めの対象者になりやすいからである。職場ではパワハラやモラハラの対象となってしまうし、毎日のように上司や同僚から、からかわれて笑われてしまうことが多い。空気が読めないとか気か利かないとか言われ、皆から揶揄されてしまうのだ。

 そのような苛めに遭ったり除け者にされたりすること自体がトラウマ化しやすいこともあり、益々症状が重症化しやすく、最終的に引きこもりになってしまうのである。現在、不登校やひきこもりになっている人のうち、相当数の人が複雑性PTSDになっていると思われる。したがって、日本全国で数十万人、またはそれ以上の人々が複雑性PTSDで苦しんでいるものと推測される。実は、強烈な生きづらさを抱えているものの、自分が複雑性PTSDであるということを認知していない患者も相当多い。公務員、政治家、医師などの専門職は、いじめられることが少ないからである。

 この複雑性PTSDの患者が、自分で深刻なトラウマを抱えているという実感を持ち得ないのには理由がある。深刻な心的外傷を負っているという自覚が、あまりないのである。何となく嫌な記憶がありそうだという感覚はあるものの、それがどんな心的外傷なのかを思い出すことが出来ないからである。そのため強烈な不安や恐怖感はあるものの、それが何の不安なのかはっきりしなく、得体のしれない不安に苛まれているだけである。解離性という複雑性PTSDの特徴があり、トラウマが無意識の奥底に仕舞い込まれてしまい、顕在意識には現れてこないからだ。

 例えば、少年や少女の時代に性的虐待を負ってしまったケースがある。性的な虐待の加害者が実父母だったり教師や親族であったりする場合、誰にもその性被害を訴えられずに、一人悩み泣き続けるだけである。そして、その悲惨な性被害の記憶を無いことにしてしまいと思い、記憶の奥底に仕舞い込む。これが、トラウマになるものの自分でも思い出したくない記憶なので、顕在意識には現れなくなるのだ。しかし、得体のしれない強烈な不安を抱えてしまい、訳が分からずに異性、または性交渉に対して異常なほどの恐怖感を持ってしまうのである。

 この複雑性PTSDの治療は極めて難しい。無意識下に何度も閉じ込めたトラウマをカウンセリングによって引き出そうとすると、強く抵抗するしパニックを起こしやすい。安易に精神分析をして本人にそのことを伝えると、反発するだけでなく信頼感を無くす。触れられたくないことを、無理にこじ開けられることに異様なほど抵抗するのである。もし、カウンセリングやセッションを何度も繰り返し、深く閉じ込めたトラウマを無理に明らかにすると、ショック状態になって益々心を閉ざしてしまうことにもなりかねない。

 それでは、複雑性PTSDを治療することは出来ないのかというと、けっしてそうではない。適切な治療によって寛解することや完治することも不可能ではない。まずは認知行動療法を駆使して、偏った認知傾向の改善変更を丁寧にしかも緩やかに実施する。そして、認知行動の改善傾向が少しずつ見られるようになったら、ナラティブアプローチやオープンダイアローグ療法を、極めて慎重に行う事が必要だ。その際に、大切なことがひとつある。クライアントと治療者との関係性と信頼感を醸成することである。クライアントの安全と絆になる安全基地としての機能を、支援者・治療者が果たすべきである。複雑性PTSDの治療は長い時間を要する。少なくても50回以上の治療回数を要するので、治療者は諦めることなく根気よく対応しなくてはならない。

複雑性PTSDになる本当の理由

 精神医療の分野では、他の医療分野に比して、まだまだ解明されていないことが非常に多い。何故なら、生きた人間の脳の内部は実際に覗き見ることが出来ないし、脳の働きというのはあくまでも仮説によるものでしかなく、実は確実なエビデンスが得られていないのである。ましてや、精神疾患や精神障害が起きる原因は、脳の働きだけによる影響だけではないことが解ってきたのである。大腸などの腸内細菌による影響も大きいし、骨や筋肉、各臓器との人体ネットワークの影響もおおいにあることが判明したのである。

 脳内の各刺激ホルモンである、セロトニン、オキシトシン、ドーパミン、ノルアドレナリンなどのモノアミンと呼ばれる神経伝達物質の欠如や過剰が精神疾患を起こすと考えられているが、エビデンスは得られていない。あくまでも神経伝達物質であるモノアミンが、このような作用機序を起こしているのではないかという『仮説』に基づいて薬剤が服用させられている。投与が増えているSSRIと呼ばれるセロトニン選択的再取り込み阻害薬でも、その作用機序が確認されたのではなく、モノアミン仮説で説明されているに過ぎない。

 さて、いよいよ本題に移ることにするが、最新の医学的見地によって明らかになった疾患名がある。それは、複雑性PTSDという疾患名である。最新の診断基準であるDMS-5では、複雑性PTSDの診断は独立させられず、PTSDの範疇に収められた。別の国際的疾患部類であるISD-11でようやく認められた疾患名である。何度も心的外傷を繰り返されてしまうことによって起きる複雑性PTSDは、他のPTSDとは明らかに症状も違うし、治療法も異なる。他のPTSDと同じ治療をすると、却って悪化するとも言われている。

 また、複雑性PTSDと非常に似通った症状を起こす疾患に、発達性トラウマ障害というものがある。同じように、養育期から成長期にかけてトラウマを何度も体験することにより起きる精神障害である。さて、この複雑性PTSDや発達性トラウマ障害が起きる原因は、心的外傷を何度も体験したことによるということだが、誰でもそうなる訳ではないと考えられている。それは何かというと、特定のパーソナリティが根底にあると考えられる。深刻な自己否定感を持つが故に、悲惨な体験が安易にトラウマ化するのではなかろうか。

 強烈な自己否定感を持つ日本国民が増えている。それは、日本の教育環境に原因があるとも言われている。米国や中国の国民と比較すると、絶対的な自己肯定感を持つ国民が極めて少ないことが明らかになっている。学校教育にも原因がありそうだが、特に日本の家庭教育に自己否定感を抱えてしまう原因がありそうだ。悲惨な体験をした場合にトラウマを抱えてしまうのは、絶対的な自己肯定感の欠如があって、それは豊かな愛着が育まれていないからと考えられている。実際、複雑性PTSDや発達性トラウマ障害を抱えている人は、愛着に問題を抱えているケースが非常に多いことが解っている。

 つまり、愛着に何らかの問題を抱えることで絶対的な自己肯定感が育まれず、悲惨な体験がトラウマ化してしまい、複雑性PTSDや発達性トラウマ障害を抱えてしまうという構図らしい。この何らかの愛着の問題というのは、保護者からの強烈な虐待やネグレクトによって起きる愛着障害だけではなく、最近増加している『不安型愛着スタイル』と呼ばれるものも含まれていると考えられる。特に、ごくごく普通の愛情豊かな家庭に育った子どもでも、この不安型愛着スタイルを持つことが解ってきた。親から父性愛的な支配や制御を強く受けて育った子どもは、発達における大切な自己組織化が進まないのだ。

 親は子どもを立派に育てようと願うものだ。将来、経済的に困らないようにと、著名な進学校に入学させて経済的に裕福な職業に就かせたがる。子どもに優秀な学業成績を取らせようと必死になっている。有名幼稚園に入園させる為には、幼児期からの躾教育が不可欠となっている。いずれにしても、今の親たちは子どもに干渉や介入をし過ぎであることは間違いない。三歳ころまでは、母性愛的なあるがままにまるごと愛される経験をたっぷりとしないと、絶対的な自己肯定感は生まれないし、自己組織化が起きない。不安型の愛着スタイルを持ってしまうのは当然である。複雑性PTSDの特徴的な症状である自己組織化の欠如と併せて考えると、不安型愛着スタイルが本当の理由だと言えよう。