漫画シュリンクで描く精神医学の世界

 コミックの『シュリンク精神科医ヨワイ』がNHK総合でドラマ化されて放映されている。初めて知ったことであるが、こんなにも素敵な精神科医を扱ったコミックが発売されているとはびっくりである。精神科というと、どうしても敷居が高い診療科である。世間でも少しずつ認知されてきたとは言いながら、精神疾患を持っているとカミングアウトすると、特別視されることが少なくない。このドラマでも触れていたが、米国では4人に1人が精神科を受診していて、日本では12人に1人しか精神科の診察を受けていない。

 そのことにより、米国よりも日本の方が精神疾患に罹患している人が少ないのかというと、そうではないとも言えるらしい。なにしろ、自殺する人は圧倒的に日本の方が多いのである。そこから推論できることは、日本でも適切に精神科やカウンセラーのケアを受ければ、自殺者を米国並みに減らせる可能性があるということだ。題名のシュリンクとは、精神疾患の患者の心はいろんな悩み、苦しみ、不安でいっぱいに膨らむ。その大きな膨らみを小さくすることをシュリンクと言い、精神科医を指すスラングになっているらしい。

 とても良くできたドラマであると評価したい。第1回はパニック症がテーマであり、主人公の弱井先生は患者の認知行動療法に親身になり付き合ってくれていた。安易な投薬治療に頼らず、患者に依存させるようなこともせず、本人が自分の力でパニック症を乗り越えられるように温かく寄り添ってくれている。こんな精神科医が日本でも増えてくれば、自殺するような人も多く救えるに違いない。日本の精神科医は、時間をかけて診療をしても報酬が得られないからと、投薬治療に偏るケースが多い。仕方ないが、これでは完治しない。

 シュリンクのドラマで描かれている弱井先生は、患者さんに対して徹底的に寄り添う。日本の精神科医や臨床心理士たちは、患者さんに共感し過ぎて感情移入してしまうと、転移や逆転移が起きる危険性が高まると、敢えて距離感を取るケースが非常に多い。それは、自分を守る為と、患者さんの依存性を高めてしまうのを避ける為に、必要な事だと主張する。しかし、あまりにも距離感を保つことを徹底すると、冷たい態度だと感じてしまい、信頼感や関係性を持ち得ない。これでは、治療効果が高まることは期待できない。

 原作者の七海仁氏は、精神疾患に罹患した家族が精神科を受診する際に、実際に診療所や病院探しに困った経験があると言う。また、複数の精神科医の診療にも立ち会って、精神科医のレベルに疑問を持ったのと、情報提供に問題があると感じて、原作を執筆する原動力になったという。それぞれの精神科医のレベルの差は、非常に大きい。日本の精神医療が、諸外国と比較しても遜色ないレベルだと思っている人は少ない。日本の精神医療のレベルは酷い。だから、精神疾患に一度罹患してしまうと、完治しないのは当たり前で寛解さえ実現する事は稀である。

 この原作者の七海仁氏は、精神科医に多岐に渡るインタビューや取材をして、このシュリンクという物語を構築したと言われている。その際に、取材した精神科医が最新の医学知識を持たなかったせいで、一部にエビデンスが取れていない話が生まれてしまったのは悔やまれる。ポリヴェーガル理論を知らなかった為に、自律神経理論の説明が論理的破綻を起こしている事に気付けなかったのが残念である。パニック症になる原因は、自律神経のアンバランスだという説明で、副交感神経よりも交感神経が優位になり過ぎてしまい、交感神経の暴走でパニック症が起きたという説明である。

 でも、よく考えてみればこれは論理的にあり得ない。交感神経が優位になり過ぎて暴走することは考えられない。副交感神経には2つ存在し、背側迷走神経と腹側迷走神経があり、その背側迷走神経の暴走が起きてしまい、フリーズ化とかシャットダウン化が起きていると考えるのが妥当である。人間は逃走することも適わず、逃避することも出来ない絶体絶命の状況に追い込まれると、背側迷走神経が暴走してしまい凍り付きや遮断が起きてしまうのである。これがパニック症の本当の原因だ。このような最新医学理論にも疎いのが、日本の精神医学界なのである。レベルが低いと言われるのも当然である。

陰謀論にはまった人を救い出す方法

 家族が陰謀論や妄想に取りつかれてしまったので、何とか救いたいのだが、どうすれば良いのかという相談依頼があります。家族は、何とか本人を妄想から目覚めさせたいと、科学的な反論を試みるのだが、どんなに必死になって何度も説得するのに、まったく聞く耳を持たないので無駄になるらしい。陰謀論はフェイクニュースだと、説得しようとすればするほど頑なになってしまい、一切耳を貸さないばかりか騙されているのは家族なのだと、逆に説得されてしまうという。こんなにも頑固ではなかったのに、どうしてなのか不思議らしい。

 陰謀論に固執する理由について、まずは考察したい。陰謀論に嵌まってしまう人は、日常的に不安が強い人である。それも得体の知れない不安に苛まれている傾向がある。また、HSP(ハイリィセンシティブパーソン)の傾向が強く、神経学的過敏や感覚過敏があり、心理社会学的過敏も強い。不安型愛着スタイルのパーソナリティを持つ。それは、親との良好な愛着が形成されなかったせいもある。陰謀論を妄信してしまう人は、安全と絆を提供する『安全基地』(心理的安全性)が存在しないのである。

 安全基地(安全な居場所)を持たない人は、強烈な生きづらさを抱えている。そして、自尊感情や自己肯定感を持てていない。自己愛性の障害を抱えているが、自覚はない。それ故に、自分は正常な認知機能を持っているし、正しい判断が出来ると思い込んでいる。ところが、満たされない思いを抱えていて、どちらかというと不遇な境遇に置かれていて、愛情に恵まれていない。このような状況に追い込まれているのは、社会が悪いし、闇の勢力が社会を捻じ曲げているからだと、他人のせいだと思い込み自己を正当化するのである。

 自尊感情が低い人は、変なプライドが高い。だから、自分だけは正しいし一般の人は知らない情報を人一倍早く仕入れていると、皆に自慢したいのである。故に、科学的根拠のないとんでもない似非情報に飛びついてしまうのである。そして、人からの批判や否定に対して、極めて強い反撃的態度を取る。さらに、自説を曲げようとはせず、拘りが強い。柔軟性や可塑性が極めて低いパーソナリティを持つ。このような人には、間違いを正そうとしても無理だし、陰謀論をあらゆる根拠を示して否定しても聞く耳をもたなくなるのである。

 こういう人を真実に覚醒させて救う方法はまったくないのかというと、一つだけ方法がある。それは、ナラティブアプローチ療法という心理学的方法である。妄想性障害にも唯一効果のある療法である。陰謀論にはまっている人は、間違った物語(ドミナントストーリー)を信じ切っている。このドミナントストーリーを信じてしまうと、正しい物語(情報)は一切拒否する。だから、まず支援者(治療者)はこのドミナントストーリーに付き合う必要がある。けっして否定せず批判せず共感するだけの態度を取り続けるのである。

 これは言葉では簡単に言えるが、支援者(治療者)にとっては辛いものがある。明らかに誤解していると分かっているのに、その間違いに付き合うのだからストレスがかかる。それでも、陰謀論の主張に批判することなく、ただ寄り添って傾聴して共感するだけの態度を取り続ける。何か月かかるか解らないが、共感して聞くことに徹することが必要である。そうすることで、陰謀に嵌まっている人は自分の理解者がようやく現れたと思い喜び、支援者を心から信頼する。そうすれば、陰謀論者は心を開き、少しは支援者を信用して耳を傾けるようになる。ようやくニュートラルな状態になるのだ。

 陰謀論者は、何度も自説を語り続け、批判や否定をされることなく聞いてもらっているうちに、自分の主張していることが本当に正しいのかと、かすかな疑問を持つようになる。そうしたうえで、少しずつ論理の矛盾点や破綻点を、優しい態度と言葉で支援者は陰謀論者に質問するのである。そして、ようやく陰謀論がフェイクニュースではないのかと思い始める。そして、陰謀論を否定したネット情報を積極的に取り入れるようになる。そして、陰謀論が明らかに論理的破綻を起こしていることに自ら気付くのである。正しい物語のオルタナティブストーリーを確立したのである。支援者が安全基地として機能して、見事に陰謀論から抜け出せるのである。

不機嫌ハラスメントによるメンタル悪化

 フキハラという言葉がネット上で使われるようになってきた。不機嫌ハラスメントの略であり、家庭や職場で起きるハラスメントのひとつである。家庭においては、主に父親や夫がこの不機嫌ハラスメントで、子どもや妻を苦しめている。勿論、父親だけでなくて母親が子どもに対してフキハラをするケースだってある。職場では主に上司が部下に不機嫌ハラスメントをすることが多い。逆に部下が上司に対してフキハラをするケースだってあるが、その影響は周りの同僚に及ぼし、職場の雰囲気が悪化する。

 不機嫌ハラスメントが存在することは、イスキアの活動をしていて数年前から気付いていた。ようやく、社会での認知が進んできたかと、喜んでいる。この不機嫌ハラスメントは、暴言や暴力を奮うようなハラスメントよりは、影響は少ないだろうと思っている人が殆どである。➀無視、➁舌打ち、➂ため息、➃無言、⑤嫌な顔、⑥必要以上の音立て等によるフキハラは、執拗に繰り返し行われることで、ボディーブローのように心身を痛めつける。特にフキハラをしている当人が無意識で実施しているから、気付かないので始末に悪い。

 不機嫌ハラスメントを受ける側は、自分が不機嫌にさせるようなことをしたせいだと、自分を責めてしまう事が多い。平気で受け流せるならいいが、相手が地位や評価が高い人物であればあるほど、自分が悪いからだと思ってしまう傾向にある。包容力がなくてちっぽけな心の持ち主なんだなあと、蔑んだり可哀そうだと思ったり出来るならいいが、そんな風に思えないのである。ましてや、家庭においての妻が夫から受けるフキハラは深刻である。外面が良くて地位・学歴・収入の高い夫である場合、悪いのは自分だと思いがちになる。

 夫が暴言を繰り返したり酷い暴力を奮ったりするケースでは、割り切って離婚する決意が出来る。ところが、この不機嫌ハラスメントは他人には解りにくいし、そんなことぐらいでどうするのよと逆にたしなめられることも少なくない。実家の両親に話しても、あなたが不機嫌にさせるようなことをさせるからなんだから、気を付けなさいと叱られる始末である。かくして、誰にも言えずもんもんとした日常を送ることになる。そして、フキハラの影響で不定愁訴症候群になったり、原因不明の痛みを抱えたりすることになってしまう。

 中にはフキハラが執拗に何年にも渡り繰り返されることで、うつ病などの深刻な気分障害に追い込まれるケースもある。セクハラやモラハラに付随してフキハラが起きるので、妻のダメージは非常に大きい。パニック障害や複雑性PTSDになってしまう例もみられる。特に、経済的な自立が出来ていなくて夫の収入に殆ど依存せざるを得ない家庭では、妻は闘うことも逃げることも出来ず、八方塞がりの状況に追い込まれてメンタル疾患、免疫異常の疾患、線維筋痛症などの原意不明の痛みに苦しむことが多い。

 さて、そんな不機嫌ハラスメントを乗り越えるにはどうしたら良いであろうか。まずはフキハラをする人物にすべての非があり、自分にはその責任はないのだと認識することだ。不満や不備があるのなら、面と向かって言葉で伝えるべきであり、その方法を取れない人物が悪いのだと認識して良い。それを言葉として発せられない人に非があり、自分にはその責任がまったくないのだと思うことだ。二つ目は、可能ならその環境から逃げることである。職場移動を願い出ることも一つの方法であり、それも無理ならば離職するしかない。家庭では、別居か離婚しかない。

 さて、何故に不機嫌ハラスメントをするのだろうか、心理学的に検証してみたい。そもそも、フキハラを行う人物は自己肯定感や自尊心が育っていないのである。面と向かって言葉で間違いを正したり、注意をしたりする勇気がないのだ。だから、態度や表情で自分は不満であると暗に伝えようと無意識で行うのだ。そして、注意したり指導したりして、反発を受けるとか反論されたりするのが怖いのである。そもそも、こういうフキハラをする人物は、親からもそのように育てられて、愛情不足なのだ。いわば不安型愛着スタイルだから、不機嫌ハラスメントをして、相手をコントロールしようとする卑劣な輩なのだ。可哀そうだと蔑むしかない。

アタッチメント欠落による生きづらさ

 日本の精神医学においては、アタッチメントの重要性がなかなか認識されなかったが、ようやく認知されるようになってきた。どうしてかと言うと、米国の若者たちのSNS上でのアタッチメントという言葉が広まり、その情報が日本にも伝わった影響で医療や福祉の世界でも認識されたと思われる。ジョン・ボウルビィという英国生まれの精神医学者が、1950年代に米国においてアタッチメント理論を初めて提唱した。あれから長い期間が過ぎて、ようやく世界的に認識されてきたというのは、精神医学の発展上喜ばしいことである。

 ジョン・ホウルビィは戦中戦後に生まれた孤児や施設の子どもたちの研究をして、虐待や望まない親との離脱をさせられた子どもたちがアタッチメント・ディスオーダーという深刻な障害を抱えてしまうことを提唱した。アタッチメント理論を基にして、エインワースは安全基地という概念も論じた。精神医学界では、アタッチメント・ディスオーダーという疾患名は存在しない。長い期間に渡り精神疾患とは認めらなかったのである。それが、日本の家庭教育における大きな間違いを、延長させてしまったと言えなくもない。

 ようやくアタッチメントの重要性を認識されるようになったのであるが、家庭教育における間違いを指摘するまでには至っていない。母性愛と父性愛のかけ方の誤解や、あまりにも強い干渉や介入がどれほど子どもの心を蝕んでしまっているのかを認識している人は極めて少ない。だから、不登校やひきこもりは益々増えているし、メンタルを病む人が激増しているのである。正しいアタッチメントが育っていないから、特定できない不安や恐怖感を持つ人があまりにも多いし、生きづらさを抱えている若者が急増しているのだ。

 生きづらさを抱えている若者たちは、何故そうなってしまったのか解らないし、抱えている不安や恐怖感の特定も出来ていない。生きづらさと不安や怖れは、アタッチメントが存在しないせいなのである。アタッチメントがないことを認識できるようになって、ようやく自分の育てられ方に問題があったということを知る若者もいるらしい。自分には安全基地がないということを認識できて、安全と絆を求める行動を始められるのだ。安全基地はいくつになっても作ることが可能であると言われているが、実際にはとても難しいのである。

 日本において、アタッチメントの概念が広がらなかった原因は、アタッチメント・ディスオーダーという語句を『愛着障害』として意訳してしまったせいであろう。アタッチメントを愛着と訳したのであるが、愛着というと愛情の有り無しが必要以上に強調されてしまう。ましてや、愛着障害というと虐待やネグレクト、または親からの暴力が原因で起きると勘違いされてしまい、特殊な家庭環境や育成環境でしか起きえないものとして認識されてしまったと思われる。一般家庭においては、愛着障害は起きないものだと思い込んだのである。

 しかし、実際には愛着障害と呼べなくても、同じような強い不安や恐怖感の症状を抱えた子どもたちが増え続けているし、強烈な生きづらさ故に不登校やひきこもりになる若者が増大している。まさしく、適切なアタッチメントが存在しない人々である。それを、『不安型愛着スタイル』と呼んでいる精神科医もおられる。あまりにも躾が厳しくて、親からの干渉や介入が強過ぎてしまい、本当の自分を見失い誰かの操り人形を演じているだけだから、自分らしく生きることが出来なくなっているのである。当然、安全と絆を提供してくれる安全基地は存在しないし、HSPを抱えていて不安に押しつぶされそうになって生きている。

 先日放映されたNHKのドキュメンタリー番組では、アタッチメントはいくつになっても構成され得ると断言していたが、そんなに容易なものではない。アタッチメント・ディスオーダーの人々を長年に渡りサポートしてきたが、安全と絆である安全基地を提供してアタッチメントを確立するのは、非常に難しい。何故なら、アタッチメントを確立していない人間は、他人を信頼しにくいからである。不信感があるばかりか、試し行動をし掛けてくるのである。そういう人々に対して、安全基地となるのは容易ではないし、長期間に渡る支援が必要だということを覚悟しなければならない。

依存症の本当の原因と克服の方法

 大谷選手の元通訳水野一平容疑者が、深刻なギャンブル依存症で600億円を超える借金を抱えているというニュースは社会を驚かせた。それにしても途方も知れない金額をギャンブルに注ぎ込んだものである。2021年からスポーツ賭博を始めたというが、3年足らずのうちに、こんなにも多額の賭け金を賭博によって失ったというのは、前代未聞のことであろう。ギャンブル依存症という精神疾患は、そら恐ろしいものである。アルコールや薬物依存も怖いが、雪だるま式に増えて行く賭け金と負債が、犯罪にまで手を染めさせてしまった。

 依存症には、他にも様々なものがある。アルコール依存症、薬物・麻薬依存症、ニコチン依存症、パチンコ依存症、ネット依存症、ホスト依存症、ゲーム依存症、浮気依存症、セックス依存症、万引き依存症等々、あげたらきりがない。一度これらの依存症に嵌まってしまうと、抜け出すことが難しい。完全に離脱するには、相当な努力・費用・時間が必要だと言われている。しかも、再依存になりやすい傾向もあるので、一旦抜け出せたとしても、再発を繰り返すケースも少なくない。薬物やアルコール依存症はその典型である。

 依存症になってしまう原因は、脳内ホルモンの影響が大きいと言われている。とりわけ快楽ホルモンと呼ばれるドーパミンと脳内麻薬のβ-エンドルフィンが、依存症に引き込むと推測されている。そして、セロトニンホルモンが欠乏しているのも要因らしい。しかし、それだけではなく元々依存症になりやすい人間と、なりにくい人間がいることから、気質や人格にも依存症になる要因があるとも考えられる。さらには、人間が生きて行くうえで拠り所となる価値観・思想に問題があると、依存症になりやすいとも考えられている。

 依存症になってしまう原因は、それだけではない。依存症になる人間には、特別に何かあるような気がする。それは、『満たされない何か』である。最近注目されている英語で言えば『アンメット・ニーズ』である。常日頃から何となく満たされない何かを抱えていると感じていて、心の中に何か空虚な隙間があるように思っている人間は、その満たされない何かを別のもので満たそうとあがき苦しむのではなかろうか。それ故に、何かにとりつかれ依存してしまい、それから離脱できなくなってしまうように思える。

 それでは、その満たされない何かとは、具体的に何なのか。端的に言えば、それは『愛』ではなかろうか。勿論、お金・地位・名誉・評価・ブランド品・高級車だと思っている人もいるだろうが、そういうものを求めてしまうのも、実は愛に満たされていないからなのだ。愛というのは、恋愛における性愛のようなものではない。つまり愛欲とは違うもので、見返りのない無償の愛である。人類愛というか、博愛とか慈愛と呼ばれるものである。プラトンが論じた『アガペ』のような、与えるだけの愛である。

 そういう無償の愛によって満たされることがない人間は、愛を渇望する。例え相思相愛の伴侶や恋人が居たとしても、お互いに無償の愛(アガペ)で包みこむような関係でなく、求め合う愛(エロス)なら、満たされていない心境になり依存症になりやすい。世の中の夫婦や恋人は、このエロスを求め合う関係であることが多い。何故なら、パートナーのうちどちらか一方、または両方が不安型の愛着スタイルを抱えているからである。不安型の愛着スタイルを抱えていると、いつも見捨てられるのではないかという不安に心が支配されている。その不安を打ち消すために、何かの欲望で満たそうと依存症に陥るのであろう。

 不安型の愛着スタイルを持ってしまったのは、親から無償の愛を充分に与えられなかったからである。無償の愛を与えられずに大人になった人は、自分だけへの無償の愛を求める。しかし、無償の愛をたっぷりと注いでくれる相手なんて、おいそれと見つかるものではない。満たされない思いを持ちながら生きることになる。その心の隙間を何かに依存して満たそうとするのである。本物の無償の愛で満たされない限り、依存から解放されることがないのである。つまり、依存症を克服するには、揺るがない無償の愛を注ぎ続けてくれる存在が必要なのである。

佐藤初女さんが人々を癒せた訳

 天国に召されてしまった森のイスキアの佐藤初女さんは、数多くの病める人々を癒した。こんなにも多くの人々の悩み苦しみを聞いて、そっと寄り添い勇気と元気を与えてくれた人は他にいない。どうして、佐藤初女さんは、どうしてこんなにも多くの人々の心身を癒せたのであろうか。その訳は、佐藤初女さんが専門家でなかったからだと言えば、それはおかしいと思う人がいるかもしれない。心身の病気になった人を治せるのは、その道の専門家にしか出来ないと思うであろう。でも、初女さんは専門家でなかった故に癒せたのである。

 どうして、人々の心身を癒すことが出来たのかと言うと、初女さんは医療の専門家じゃないから、診断や分析をしなかったし、治そうとしなかったからである。医療の専門家というのは、まず患者に対する問診や検査をして、分析して診断する。その診断に基づき診療計画を立てて、最善の投薬や治療をする。メンタルの疾患であれば、投薬だけでなく、カウンセリングや精神療法、各種療法を駆使して患者を治すのである。患者の精神を健全にしようとして、ドクターはカウンセラーやセラピストと協力しながら、治療をするのである。

 初女さんは、森のイスキアを訪れる心身を病んだ方々を、無理に治そうとはしなかったのである。勿論、医療の専門家でない初女さんだから、精神分析やカウンセリングもしなかったし、診断をする筈もなかった。治療計画なんて立てようもないし、実際に治療をしようともしなかったのである。それなのに、森のイスキアを訪れた多くのクライアントは、心身を癒されて元気になり、社会に復帰していったのである。初女さんは、クライアントに寄り添い、ただ話を聞くだけで無理に問い質したり助言をしたりすることはなかったのである。

 佐藤初女さんがクライアントの心身を癒して、勇気と元気を引き出せたのは、奇跡のおむすびや心の籠った食事のお陰だと思っている人が多い。確かに、それもひとつの重要な要因ではあるものの、単なるツールに過ぎない。同じようなおむすびや料理を提供したとしても、初女さんという存在がなければ、あれだけ多くのクライアントを元気にすることは出来なかったであろう。それだけ初女さんという存在は大きかったのである。彼女は、科学の専門家でもないのに、人体と精神の科学的な仕組みを上手に活用していたのである。

 どういうことかというと、まずは人体や精神がひとつのシステムだということを、初女さんは認識していたとしか思えないのである。人体は一つの全体であり、その人体を構成する要素どうしのネットワークがある。このネットワークシステムは、各々の構成要素どうしが『関係性』を持っており、それ故に『自己組織化』の働きがあるし、オートポイエーシス(自己産生)の機能を発揮できる。つまり、人間という生き物はひとつの完全なるシステムであり、このシステムのネットワークがエラーを起こして、心身の病気が起きるのである。

 そして、関係性が劣化したりお互いの互恵的つながりが破綻をしたりしてしまうと、自己組織化が働かず、自己成長や自己進化が止まってしまうだけでなく、後退してしまうのである。これが心身の病気という状態である。こうなってしまった人間に、治そうとしてこうしなさいああしなさいと指示をしたり強要したりすると、自己組織化が阻害され、さらに悪化してしまうのである。診断をして分析をして原因を特定して、その原因を無理やりに外的な力でつぶそうとすると、症状が改善することはないし、別の症状さえ起きてしまうのである。

 佐藤初女さんは、そのことを直感的・経験的に知っていたからこそ、クライアントの話に耳を傾け共感するだけだったのである。そして、心の籠った食事を提供してクライアントとの関係性を深めることに傾注したのである。クライアントが例え間違った考えを持ち誤った行動をしていても、その誤謬を指摘することも直させることもしなかった。ただ、クライアントが自分で気づき自ら治す力があるということを見抜き、信頼したのである。そして、見事にクライアントは自らを癒すことができたのである。自らの病気を自らの力で治した経験がある初女さんだからこそ可能なのだ。第二第三の佐藤初女さんが出てくれることを祈るだけである。

※イスキアの郷しらかわでは、佐藤初女さんを目指そうとする方々をサポートしています。どうやって、佐藤初女さんが多くの人々を癒すことが出来たのか、佐藤初女さんのような活動をするには、どうすれば良いのかの講義と研修を開催しています。極めて科学的な根拠を示しながら、納得の行くまで説明をしています。システム思考、オープンダイアローグ、ナラティブアプローチなどの最新の科学的な療法と、最新医学のポリヴェーガル理論なども伝えています。佐藤初女さんは、そういった最新の療法を誰にも習いもせず、自然と実施していました。問い合わせ・申し込みのフォームから申し込みください。直接、お電話をいただいても結構です。(プロフィールの名刺に電話番号とLINEアカウントが記載されています)

君が心をくれたから

フジTV系列で放映している月9の今度の新ドラマは、『君が心をくれたから』というシリアスな恋愛物語である。永野芽郁と山田裕貴が主演する青春ドラマで、若者向けの物語だと思われるが、初回を見た限りではなかなか良くできた脚本である。ヒロインは母親から虐待を受けて育った愛着障害の女性で、強烈な自己否定感に苦しんでいる。男性の主人公は、色覚障害者の花火師見習いで、厳格な父親から一人前として認められていない。どちらの二人とも、生きづらさを抱えている現代の若者を象徴しているような青春ドラマだ。

ヒロインの女性は、母親から受けた虐待を受けた体験が、強烈なトラウマとして残っていて、今でもフラッシュバックして苦しめている。パティシエになりたいと都会に出て修行を積んでいたが、ミスを繰り返してはどこの店でも挫折を繰り返して、心が折れてしまっている。それが奇跡のような出来事を通して、自分自身を取り戻すというファンタジー物語らしいが、2回目以降どのように進展していくのか楽しみである。そして、しばらくぶりでTV主題歌を担当するのが宇多田ヒカルで、書き下ろしの珠玉のバラードである。

毒親からの虐待によってトラウマ化してしまい、大人になってもまだ苦しんでいる人は少なくない。乳幼児期から虐待やネグレクトを何度も繰り返して受けて育った子どもは、殆どが愛着障害を抱えることになる。そして、何度も心的外傷を受けることにより、複雑性PTSDという難治性の精神疾患を抱えてしまう。そして、この疾患を抱えてしまうと、どういう訳か自閉症スペクトラム障害(ASD)という発達障害を二次的症状として起こしてしまう。このドラマで描かれているヒロインもまた、同じような疾患と障害を抱えている。

このドラマの脚本家は、どうしてこのような精神疾患のことを知ったのか不思議だが、誰か知っているモデルがいたのかもしれない。見事な脚本だと思う。現代は、障害者に対してある意味冷たくて残酷な部分がある。発達障害の子どもに対して、学校でいじめをしたり無視をしたりする心無い子どもがいる。また、職場においても発達障害者に対して、まるでゲームを楽しんでいるかのようにパワハラやモラハラを仕掛けるバカ社員や上司がいる。障害者が生きづらい世の中である。このドラマは、このような社会の闇をも描いている。

愛着障害を抱えることで強烈な自己否定感を持ってしまい、複雑性PTSDになりASDという発達障害を起こしてしまうと、非常に治りにくい。医学的アプローチでは、治すことが極めて困難である。根底に愛着障害があることから、傷付いて歪んだ愛着を癒すことでしか心を癒せないからである。ましてや複雑性PTSDは、通常のカウンセリングによるトラウマ暴露療法をしてしまうと、逆に症状を深刻化しかねない。精神分析をして本人に原因を軽率に伝えてしまうと、自分を益々否定してしまい症状が悪化しかねない難しさがある。

毒親からの虐待やネグレクトを受けて育ち、複雑性PTSDという難治性の精神疾患を抱えてしまった人を、唯一癒すことが出来る方法がある。無条件の愛である母性愛を受けずに育って傷付いた愛着を抱える人を癒せるのは、あるがままにまるごと愛してくれる存在しかない。勿論、普通の医療機関や障害者サポート施設では無理だ。何故かと言うと、自分だけを愛してほしいと思う利用者に、無条件の愛を独占して注ぐことは不可能だからだ。けっして揺らぐことのない愛と絆を提供してくれる、絶対的な安全基地が必要なのである。

臨時的ではあったとしても、誰しもこの絶対的な安全基地になれる訳ではない。自己マスタリーを実現していて、豊かなホスピタリティーが発揮できて、メンタリーゼーション能力に長けている人物である。ましてや、愛着障害を抱えている利用者は『試し行動』をして、支援者が自分を見捨てないかどうかを、わざと嫌われる言動を繰り返し試すのである。こういった試し行動にも揺るがず、まるごとありのままに利用者を愛し続けられる支援者なんて、そうざらには居ないであろう。君が心をくれたからというドラマが、どうやってお互いの傷付いた心を癒していくのか注目したい。

※愛着障害を抱えた様々な心身の不調を抱えていた方々の安全基地として機能して、心を癒して差し上げていたのが、今は亡き森のイスキアの佐藤初女さんです。彼女のようになりたいと思う方々は多いのですが、それだけの資質と能力、そして人間性と哲学を兼ね備える人は、残念ながら居ません。佐藤初女さんに近づきたいという高い志を持った方を、私は支援しております。

結婚と出産を望まない女性たち

 韓国では非婚主義を実践する女性が急増しているという。日本においても、マスコミは取り上げていないが、非婚主義と出産しないことを貫く女性が増えている。婚姻をしたとしても、敢えて出産しないという女性も少なくない。対外的に宣言はしないものの、絶対に出産はしたくないと心に決めている女性が多いのである。少子化が社会的大問題になっていて、経済的な理由や育児に対する負担や不安が多いという理由から、出産を選ばないと思われているが、実はそもそも結婚と妊娠を望まない女性が多くて少子化が起きているのだ。

 その証拠に、様々な出産に対する経済的支援や産み育てられる環境改善策を政府行政が進めているのにも関わらず、一向に少子化が改善できていない。どんなに出産や育児に対する支援策を実施したとしても、そもそも婚姻や出産を女性が望まないのだから、少子化が止まらないのは当然である。婚姻を望まず、頑なに出産を拒む女性がいるというのは、一昔前には考えられないことだった。どうして、そんな状況が解らなかったのかと不思議に思うだろうが、誰もがそんな女性がいるとは、予想もしなかったからである。

 それでは、どうして婚姻を望まないばかりか出産を拒んでしまうのであろうか。世の中の中高年者にとっては、まったく理解できないことである。ましてや、自分が大事に育てた娘が、結婚や出産を敢えて望まないとは、想像も出来ないに違いない。適齢期になれば結婚をしたいと望むだろうし、子どもを産み育てたいと我が子が願うだろうと、親なら誰しも思うに違いない。出産を望まない女性がいないという前提があるから、アンケートによる統計調査をすることもない。調べようともしないから、出産を望まない理由も解らないままだ。

 結婚を望まない女性が徐々に増加しているのは、周知の事実である。その理由は、いろいろと挙げられているが、自分の描いたライフプランに結婚と言うステップがないからだと思われる。仕事などを優先する人生を全うしたいという女性には、結婚がその大きな障壁になると予想するから独身を通すのかもしれない。仕事と家庭を両立させるのは、論理的には可能であるが、海外勤務や転勤を繰り返すキャリア志向の女性には、極めて両立は難しい。また、夫と子どものために自分の夢を諦めたくないと思う女性が増えてきたように思う。

 これらの理由以外に、女性が結婚と出産を望まない深刻な訳があることを認識している人は少ない。その深刻な理由とは、不安定な『愛着』のまま成長してしまったことによる影響である。酷いケースは『愛着障害』であり、そこまででなくても、愛着に問題を抱えた女性は、結婚したがらないし出産を望まないのである。不安定な愛着の中でも、不安型愛着スタイルという障害を持つ人は、病識もないことから自分でも異常だと気付かない。愛着に問題を抱えている人たちは、自尊感情を持てないが故に、子を産み育てるのを無意識下で拒んでしまうのである。

 自尊感情、または絶対的な自己肯定感を持てないと、自らの遺伝子を後世に残したいと思えないのである。どういうことかというと、自分をまるごとありのままに愛せない人は、自分の分身をこの世に残したくないのである。夫婦としての良好な関係性を構築することが不得意だった両親を持つと、子は愛着に問題を抱えやすい。そして、三歳頃までの乳幼児期に、ありのままにまるごと愛されるという経験をしていない。無条件の愛情である母性愛を与えられなかった人は、絶対的な自己肯定感が確立されていないので、愛着が不安定であり、自分でも安定した恋愛関係を築けないのだ。

 親からあるがままにまるごと愛されて育った人は、豊かな愛着が確立されるので、絶対的な自己肯定感が確立される。自分に対する寛容と受容があり、自分のことが大好きでどんな自分でも愛せる。こういう安定した愛着を持つ女性は、安定した愛着を持つ男性に巡り会えて、幸福で愛が溢れるような家庭を築ける。ところが、親から所有・支配されて制御を受け続け、指示や命令を受け続けて育った女性は、自己組織化が起きない。自己組織化が出来ずに育った人間は、オートポイエーシス(自己産生)が働かず、子孫を残そうとしないのである。少子化の本当の原因は、愛着障害にあると言えよう。

※親から支配されコントロールされて育った人は、結婚したがらないし出産を望まないようになることが多いものだと、イスキアの活動から得た実感があります。そして、毒親からの支配を逃れるために、一刻も早く家を出たいからと、しょうもない男と結婚をしてしまうケースが多く、結婚生活はやがて破綻してしまいます。自分と同じように苦しむ子どもを産みたくないと思うのも当然です。また、このような不安型愛着スタイルの女性は、ダメンズと何度もめぐり逢い、その度にトラウマを蓄積してしまうのです。

 

複雑性PTSDとポリヴェーガル理論

 何度も何度も悲惨な出来事に遭って、深刻な心的外傷を受け続けてしまうと、複雑性PTSDという精神疾患になって、生涯に渡り悩み苦しむことになるということが、最新の精神医学知見で明らかになった。この複雑性PTSDは、非常に治りにくくて予後も悪いことが解っている。この複雑性PTSDが治癒しにくいのは、解離性があり本人も病識を持ちにくいということがあるが、潜在意識のトラウマを表出しにくいし、無理矢理に表層意識に引っ張り出してしまうと、却って症状を悪化させてしまうし、パニックを起こすからだ。

 複雑性PTSDが難治性の疾患である理由が、もうひとつある。それは、ポリヴェーガル理論における、迷走神経によるシャットダウンが起きているからである。ポリヴェーガル理論というのは、最新の医学理論であり、多重迷走神経理論と訳されている。今までの自律神経理論では、交感神経と副交感神経のふたつがあり、活動時や闘争時に働く交感神経と、休息時や安眠時に優位になる副交感神経があると考えられていた。ところが、副交感の殆どを占める迷走神経には、働きがまるっきり違う背側迷走神経と腹側迷走神経のふたつがあることが判明したのである。

 どういうことかというと、休息時や安眠状態にある際は腹側迷走神経が働き、戦うことも逃げることも出来ない極限状態に追い込まれた時には背側迷走神経が勝手に働いてしまい、シャットダウンを起こすことが解ったのである。シャットダウンと言うのは、闘争や逃走が出来ないような状況に追い込まれ、自分自身の精神的な破綻や破滅を防ぐために、精神的な『遮断』を無意識下で行うことである。精神のブロックとも言えるものである。そして、精神的なシャットダウン化だけではなくて、同時に身体的な遮断も起こしてしまうのだ。

 何故、自分の心身の遮断を迷走神経は起こしてしまうのであろうか。それはある意味、自分の心身を守るためのセーフィティロックシステムなのである。そうしなければ、自分の身を滅ぼしてしまうので、止むを得ず心身のシャットダウンを起こして、自らの命を守るのである。具体的に言うと、自分の生命を自ら断つような行動を取らないように、心身の遮断をするのである。それは、緊急避難措置が作用して、最悪の状況としての自死は避けるのであるが、心身の著しい機能低下という副作用を生んでしまう。これが心身の深刻な不調を起こしてしまうのである。

 この心身の不調というのは、迷走神経の遮断が解けなければ良くならない難治性の障害であり、対応療法の西洋薬処方が中心の現代医学では、治癒しないのである。そして、心と身体の両方を同時に癒してあげなければ治らない。さらに厄介なのは、複雑性PTSDが何度も心的外傷を積み重ねている点である。これにより、背側迷走神経による遮断がゆっくりと進んでいるのである。一度の衝撃的な心的外傷によって起きた背側迷走神経の遮断は、比較的簡単に解くことが可能だが、ゆっくりと進んだ迷走神経の遮断は解けにくいのである。

 複雑性PTSDが何度も心的外傷を積み重ねて起きることで、背側迷走神経のシャットダウン化がゆっくりと進んでしまったが故に、逆にその遮断が強固になってしまったのである。だからこそ、複雑性PTSDは難治性になってしまうし、背側迷走神経の遮断を解くのに時間を要するし、誰かの支援が必要不可欠なのである。自分の力だけで複雑性PTSDを癒すことは非常に難しい。それでは、ゆっくり起きてしまった背側迷走神経の遮断を解いて、複雑性PTSDを癒すには、どんな方法が有効なのかを考えてみたい。

 深刻で衝撃的な一度だけのトラウマによって起きた普通のPTSDは、カウンセリングによって右脳の奥底に仕舞い込んだトラウマの記憶を、左脳の記憶に移し替えて俯瞰的に観察できる記憶に移し替えることで癒される。複雑性PTSDは、下手にトラウマを明らかにしてしまうと、パニック症状を起こして悪化させてしまう。したがって、まずは支援者(治療者)が寄り添い信頼関係を築き、認知行動療法を実行し安心してもらう。それから、ナラティブアプローチ療法を駆使しながら、本人の価値観や行動規範の物語を変化してもらう。緩やかに迷走神経の遮断を解きながらトラウマを癒していくのである。ボディケアも含めて、長い時間をかけてゆっくりと治療していかなければならない。

※背側迷走神経の遮断を解いて緩めることを安易に行いますと、自死を招いてしまう危険性が高まることに留意する必要があります。精神疾患者が回復期に自死を選んでしまうケースがとても多いのですが、これは背側迷走神経の遮断が解けてきたからです。だからこそ、要支援者にずっと寄り添って不安や孤独感を持たないように、そして自責の念を持たぬようにサポートしなければなりません。森のイスキアの佐藤初女さんのような方が必要なのです。

性暴力被害は深刻な後遺症に

 性的暴力被害を受けた経験を持つ人は、どのくらいの割合でいるのかとアンケート調査した結果、驚くことに3割近くあることが解った。ただし、これはアンケートに答えた人だけであり、性暴力を受けたことがトラウマ化していたり、記憶を無意識下に留めて思い出したくないと回答を拒否したりしたことも考慮すると、3割以上の方々が何らかの性暴力を受けた経験を持つのではないかと想像できる。そして、性暴力の加害者は教職員などの学校関係者が一番多いという愕然たる調査結果が明らかになった。

 また、一方では親族からの性暴力も多く、特に親からの性暴力被害も少なくないことが解った。教職員や親族からの性暴力は、何度も続けられていて慢性的な性暴力の被害になりやすい。教職員や親からの性暴力被害は、嫌だと拒否できないばかりか、誰にも相談できず孤立しやすい。拒否できない自分が悪いからだと自分を責める傾向がある。性暴力被害を受けた人の性別は、圧倒的に女性が多いものの、男性の被害も相当数あることが判明しつつある。ジャニーズ事務所の性被害報道があり、少年時代に教職員から受けていた性暴力を思い出す人が多いらしい。

 学校内において、担任、副校長、校長からの性暴力被害が多いということが解り、鬼畜にも劣る低劣な人間性を持つ教職員がいることが判明したのである。ここで性暴力の加害者について考察したい。立派な職業を持ち、地位や名誉もありながら性暴力の加害者になるケースがある。医師がその立場を利用して患者さんに対して性暴力を行う例も少なくない。そうした自分よりも弱い立場の者に対して性暴力を行うというのは、ある意味マウンティングという意味もあるのではないかと専門家が分析している。

 そういう意味では、夫婦間や恋人関係において、望まない性行為をされてしまうという悩みを抱えている方も相当数存在していて、支配欲というものが介在しているのではと分析されている。相手を支配・制御したいという欲求は、絶対的な自己肯定感が醸成されていず、確固たる自己の確立(アイデンティの確立)もされていない、不完全な人間がいかに多いかということでもある。自己の確立という言わば自己マスタリーを実現出来ていない不完全な人間が、親になったり教師になったりしているのである。まともな教育が出来る筈がない。

 これは由々しき大問題である。このような自己マスタリーも完遂していない親に育てられた子どもは、自分自身も自己マスタリー出来ないまま大人になるということだ。教師と教え子の関係においても同様である。このような教師や親から受けた性暴力被害は、酷い後遺症を起こすということが判明した。見ず知らずの他人からの性暴力は、PTSDやパニック障害になりやすい。性暴力被害を複数回受けて、それがトラウマとして積み重ねられることにより、より深刻な複雑性PTSDを抱えてしまう危険性が極めて高いのである。

 子どもの頃に教師や親から受けた性暴力被害は、複数回に及ぶことから深刻な心的外傷(トラウマ)を何度も残すことになる。このように何度もトラウマを受けてしまうと、複雑性PTSDを発症してしまう危険性が極めて高くなる。この複雑性PTSDという精神疾患になると、二次的症状として様々な発達障害も起きてしまうし、不登校や引きこもりになる可能性が非常に高くなる。なにしろ、得体のしれない不安に苦しむし、恐怖感を日常的に感じてしまう。睡眠障害や摂食障害などの深刻な精神障害を起こすことも多い。

 そして、この複雑性PTSDという精神疾患には、さらに厄介な特徴がある。それは、親族や教師からの性暴力被害をひたすら隠し通して無いことにしてきたので、トラウマを潜在意識の奥深くに押し込めてしまっているのである。したがって、日常の生活においてはトラウマが表出することはなく、何となく不安や恐怖感を感じるものの、何故そんな感情を抱いてしまうのか、本人にも解らないのである。これが解離性という厄介な症状である。つまり、当人にも複雑性PTSDを抱えていることが自覚できず、強烈な生きづらさを抱えているし、自己組織性を失っているので主体性や自発性が発揮できなくなっているのだ。こんな深刻な後遺症を生みだす性暴力は、けっして許せない。教育の抜本的改革が必要である。