メンタル疾患を治そうとすると、その治療には時間を要するし極めて治りにくいということで、一筋縄ではいかないということを当事者も治療者も認識している。投薬治療も劇的に効果が出るケースもあれば、まったく効かないという症例もある。ましてや、確定診断する事さえ難しいこともあれば、誤診だってある。最新医学を活用したとしても、その治療は難しいというのが共通認識である。そんな状況の中、自然体験などによって、メンタル疾患や難治性の精神障害が癒されることが少なくない。そして、本格的な登山経験によってメンタル疾患が治ったという経験を持つ人も少なくない。
登山によって、癌が寛解した人も多い。癌患者が登山グループを作ってその病気を完治させているケースもある。登山をすることで、精神疾患が寛解するとか症状が軽くなるというのは、自分でも何度も経験しているのであるが、どうしてなのかその理由について考察してみたい。登山というとハイキングやトレッキングのレベルを超えた、2,000~3,000メートルの山登りであるから、メンタル疾患を抱えている人が単独で登るというのは不可能である。当然、誰かのサポートがなければ登れない。厳寒期の冬山登山やクライミング技術を要求されるような岸壁登山は無理だが、夏山であるならサポートにより殆どの山登りが可能だ。
また、メンタルを病んでいる人が山を登るなんて絶対に無理だと思っている人が多いであろう。勿論、自室に引きこもり寝たきりになり、起き上がることさえ出来ない人が登山をするのは無理である。外の散歩程度なら可能な体力があれば、簡単なトレッキングから始めれば可能だ。適切できめ細かなサポートがあればという条件付きながら、メンタルを病んだ人が登山をするのは可能である。実際に、メンタルを病んでいる方々を登山に連れて行った経験を持っている自分には、自信を持って登山することを薦めている。
登山によってメンタル疾患や精神障害が癒されるのは何故かと言うと、まずは自然との触れ合いによる癒し効果が挙げられる。人間は自然が豊かで人工物がない空間に置かれると、自然のままの自分でいられる。他人や親族との関係性において、いい人でありたい嫌われたくないと無理したり我慢したりして本来の自分じゃない自分を演じなくても良い。これは非常に楽な気持ちになる。自分らしくありのままの自分でいられるというのは、気持ちが穏やかになる。そして、大きな自然の中に抱かれると素直で謙虚な気持ちにもなれるのだ。
自然が豊かで樹木が豊富にある場所には、フィトンチッドと呼ばれるストレス軽減効果がある物質がたくさん漂っている。小川や渓流が流れる水辺には、マイナスイオンが多く存在して、自律神経のバランスが保たれるし酸化され過ぎた人体の細胞が生き返る。標高が少しでも高い山に登ると下界より気圧が低くなる。空気中の酸素量が減ると、自律神経の副交感神経が活性化して、ストレスが軽減されて自己免疫力が向上する。美しい眺望に感動して登山道わきに咲き誇る花々を愛でることで、心が癒されるし生きる勇気が湧いてくる。
山岳修験者たちは、厳し過ぎるような体力の限界に挑むような登山を何度も繰り返すことで、自分の心に住んでいる邪気や弱気、穢れを振り払う事ができた。禊(みそぎ)と呼ばれる修行によって、自分の心身を磨いて清浄なる心を得たのである。我々も、体力の限界とは言えなくても、ちょっとだけ厳しい登山を継続すれば、穢れを払うことが出来るに違いない。まさしく禊のような効果で、清浄な心を持つことができる。そして、厳しくて長い登山道を重い荷物を背負って歩いて頂上に立てたなら、頑張った自分を誉めてあげられる。
自分自身を心から誉めてあげる、そんな自分の事を心から愛せることが出来たなら、自尊感情が湧き上がってくる。そんな登山経験を何度も積み重ねることで、自分を受容し寛容の心を持って、自分に接することが出来よう。登山による大きな癒し効果だと言える。さらに、登山がメンタルを癒す一番の効果は、なんと言ってもマインドフルネスによるものだと言えよう。三昧(ざんまい)という仏教用語がある。何もかも忘れて目の前のことに没頭することである。まさに『登山三昧』という心境になることで、マインドフルネス効果が生まれる。登山によってメンタルが癒されるのは、以上のような理由からである。
※イスキアの郷しらかわでは、長い期間に渡り登山体験のサポートを通して、多くの悩み苦しむ方々を癒してきました。登りながらのカウンセリングは、自然の雄大さに心も解放されるので、大きな効果を生みます。中には、本格的な山登りである百名山の登山も支援してきました。岩手山、鳥海山、月山、燧ケ岳、会津駒ケ岳、磐梯山、安達太良山、男体山などの名山にもお連れしました。身近な低山のトレッキングから本格的登山まで、クライアントの力量に合わせて登山ガイドをいたします。是非、ご検討のうえ、お問い合わせください。