若者の労働観と価値観

若者を対象にした勤労意識や労働観について、電通がアンケート調査を実施した結果を見て、とても驚いた。多くの若者が低レベルの価値観に基づいて、嫌々ながら仕事をしているというし、仕事をする目的が単なる収入を得るため、または趣味や遊びに使うお金を稼ぐためという、非常に情けない答えをしているからである。まさか、こんな酷い価値観に基づいて仕事をしている若者がかくも多数存在しているとは思ってもいなかったが、実際には若者だけでなく、中高年も同じような価値観で仕事をしているのかもしれない。実に情けないものである。だから、日本を代表する企業が、次から次と赤字経営に転落するのかもしれない。

アンケート結果は次の通りである。18~29歳の働く上での不満は「給料やボーナスが低い」(50.4%)、「有給休暇が取りづらい」(23.8%)、「仕事がマンネリ化している」 (17.6%)が上位に来ているという。働く目的は「安定した収入のため」(69.3%)、「趣味や遊びに使うお金を稼ぐため」(36.5%)、「将来(就労期間中)の生活資金のため」(30.5%)といった項目が上位に並んだらしい。働くことへの意識については、18~29歳の約4割が「働くのは当たり前だと思う」(39.1%)と答えた一方、「できれば働きたくない」(28.7%)も約3割に上った。仕事に対する価値観でも「仕事はお金のためと割り切りたい」(40.4%)と答えている。唖然としてしまい、声も出ない。

若い勤労者の約3割近くが、できれば働きたくないと答えている。じゃ、働かないでどうやって暮らしていくのか。ずっと親に寄生して生活するというのだろうか。ましてや、収入のためだけに仕事をするというのは、如何なものか。仕事はお金のためと割り切りたいと思う若者が4割以上いるというのは、情けなくて仕方ない。これでは、仕事が楽しくないばかりか、苦痛だろうと思われる。こんな低いクォリティの価値観だから、ちょっと嫌な上司・同僚と一緒になったり大変な仕事を押し付けられたりすると、メンタル疾病になって休職に追い込まれるのかもしれない。こんな低劣な価値観なら、仕事がまともに出来ないのは当たり前であろう。

ましてや、アンケートでも3割以上の若者が、価値観を共有できる人と一緒に仕事がしたいと答えている。一旦会社に入社したら、上司や同僚を自分で選べないのは当然だろうに。人間として大きな成長をする為には、価値観の違う人たちと仕事を一緒にするのが一番確かだと思うが、それを拒否したいというのだから、驚きである。仕事というのは、一人前の人間として自己成長をするために避けて通れないものであり、ましてや辛い仕事や苦難困難を強いられる仕事をやり遂げるからこそ、働き甲斐や生きがいを見出せるのである。難しい上司や部下と出会うとか、難癖をつけるような顧客を担当して、自分が磨かれてその人間性が耀くのである。

若者だけでなく、今の日本人はどうしてこんなにも酷い勤労意識や労働観を持つようになったのであろうか。その根本的な原因は、すべて近代教育の欠陥にあると確信する。近代教育は、個人の権利を何よりも大事にすることを教える。個人の自由・平等を保障し、基本的人権を認める日本国憲法だから、それは認められて当然である。しかし、この個人の権利をあまりにも強く意識させる教育をすると、全体を見失うし、人間相互の関係性を損なう。つまり、人間は本来全体最適を目指すべきなのに、個人最適を第一義的に目指してしまい、全体がどうなろうと構わないという、間違った価値観を植えつけたのだ。こうなると、社会全体や企業に貢献しようとする人間を育てることが出来ないのだ。

人間は、本来は家庭、企業、地域社会、国、国際社会といったコミュニティに貢献するように生まれてくる。このようなコミュニティはそもそもひとつの有機体であり、自己組織性があると言われている。ということは、人間はこのコミュニティの中で全体性と関係性を発揮して、そのコミュニティの繁栄のために力を尽くすように生きているのである。ところが、このコミュニティに貢献するという気持ちが薄らいでしまうと、そのコミュニティは内部崩壊を起こすのである。夫婦関係や親子関係が破綻して家庭崩壊するのは、これが同じ原因であり、地域共同体が崩壊したのは、これが要因となっている。企業が倒産するのも、同じ原因である。このアンケート結果を真摯に捉えて、若者も含めた人々の勤労意識や労働観を正しく導くための価値観教育を、文科省は目指すべきであろう。

パーソナリティ障害という生きずらさ

パーソナリティ障害が激増しているという。現在、類推するに150万人の人々が医療もしくは何らかの形で支援を受けているらしい。これは、あくまでも何らかのサポートを受けているという数字であり、本人も周りの人々も気付かずにいるパーソナリティ障害は、おそらく300万人から500万人を越えると思われる。私も、自己診断表を使用して自分自身を診断するとパーソナリティ障害になってしまうし、wifeも同じくパーソナリティ障害の範疇に入っている。ご存知のように、DSMⅣという判定基準における診断表が存在する。その診断表によって自己診断すれば、半数以上の人々がパーソナリティ障害に該当するだろう。以前、ある研修会でこの診断表によって参加者に自己診断させたところ、なんと30人中29人がパーソナリティ障害に該当していた。

このパーソナリティ障害に該当している人々の大半は、生きづらさを抱えている。つまり、現代社会に適応するのが難しくて、いろんな悩みや苦しみを抱えているということである。それは、本人のパーソナリティ障害によるものが殆どである。しかし、中には現代社会に問題がある故に、そのパーソナリティ障害が際だってしまい、結果として生きづらさを抱えているというケースも少なくない。例えば強迫性のパーソナリティ障害である。この強迫性のパーソナリティ障害というのは、いわゆるこだわりが強い人格を持つ人である。あまりにもいい加減で出鱈目な人とは馬が合わない。当然軋轢を起こす。あまりにもいい加減な人が多い組織や社会では生きづらさを抱えることになる。

とんでもない問題行動を起こすパーソナリティ障害もある。例えば反社会性や境界性のパーソナリティ障害である。犯罪を起こしたり自傷行為を繰り返し起こしたりするケースが多い。周りの人々が対応に手こずることになる。また、会社の中で目に余る問題行動を起こす人々がいる。攻撃性の強い自己愛性のパーソナリティ障害があると、部下をパワハラやセクハラで苛め抜く。上司には媚びへつらい、部下は奴隷のように扱うし、自分の地位や名誉を守る為には、とんでもないことをしでかす。依存性や回避性のパーソナリティ障害もまた、問題行動を起こしてしまう。不登校やひきこもりなどになりやすいし、結婚生活の破綻を引き起こしやすい。

何故もこんなにパーソナリティ障害が増えてしまったのかと言うと、専門家は脳の器質的な異常によるのではないかと主張する。しかし、それだけではないような気がする。やはり、何かのきっかけがあって子育てが上手く行かなかったケースが多いように感じる。生まれた子どもが病弱であったり、先天的な脳の異常があったりで、あまりにも母親が子どもへの過干渉をした例に多いのではなかろうか。または、保護者があまりにも厳し過ぎる教育をしたり、虐待を繰り返したり、逆に育児放棄をしたりしたケースでも、パーソナリティ障害が起きているみたいである。正常で豊かな母性愛と父性愛を受けた子どもには、このパーソナリティ障害はあまり見られないようだ。

また、このパーソナリティ障害は学校教育の欠陥によっても、発生したり強化されたりするように思う。現在の学校教育においては、思想哲学の教育が排除されている。明治以降の近代教育から思想や哲学の基本となる価値観の教育が消えてしまった。さらに、戦後の教育では思想哲学を教えることが、軍国主義につながると誤解されてしまい、一切排除されてまったのである。また、国家主義を助長するからというとんでもない理由で、日教組により倫理教育がないがしろにされた影響もある。このような学校教育の混乱が、正しい価値観を持たない若者を大量に生み出して、パーソナリティ障害の予備軍にしてしまったきらいがあろう。実に困った教育制度である。

さて、このように一旦パーソナリティ障害になってしまった人間は、通常の精神障害とは違い、完全治癒は難しいとされている。確かにパーソナリティ障害は人格の障害だから、医療による治療は困難を極める。想像するに、パーソナリティ障害というのは一種の人格的な偏りであり、それは脳内ホルモン(神経伝達物質)の偏った放出や欠如によって起きているのではないかと思うのである。その脳内ホルモンというのは、ドーパミン、オキシトシン、セロトニン、ノルアドレナリンなどであろう。そして、それらの脳内ホルモンが異常を来たすのは、腸内環境(腸内細菌)による影響が大きいということが判明してきた。つまり、食生活を改善して腸内環境を整えることで、パーソナリティ障害も和らぐのではないかという仮説を提起したい。試してみる価値はおおいにあろう。

メンタル障害は何故治らないのか

うつ病、双極性障害、パニック障害、適応障害、不安神経症などのメンタルの障害を起こしてしまっている方が増えている。何故もこんなにメンタルを病んでいる方が増えているかというと、ストレスフルな世の中のせいだとする専門家も多い。職場において、PCなどのIT機器や最新機器の操作で一日の大半を過ごす職員、または対人サービス業における難しいクライアントに対する応対を求められる職員、クレーマーや理不尽な顧客に対応せざるを得ない職員、パワハラやセクハラ・モラハラなどの職場における嫌がらせを常時受けている職員、そういう実に気の毒な社員・職員が多いせいもある。こういう勤務状況はなかなか改善出来ないし、自分の努力だけでは解決し得ない職場であるので仕方ない。

 

さて、メンタル障害を起こしてしまった方たちは、医療機関に足を運び診断を受けて、投薬・注射またはカウンセリングや認知行動療法などの治療を受ける。薬物治療は、緊急避難的な用法においては効果が現れるケースが少なくない。しかし、長期的な薬物投与は、どうしても効果が長続きしないし、副作用が表出するケースが多いという。さらにメンタル障害を起こした方々は不眠症を伴うことが多いのであるが、睡眠導入剤や睡眠薬などは緊急避難的に短期で利用する意味はあるものの、長期投与ではその効果が続かなくなるケースが多いし、副作用や離脱が難しくなる。カウンセリングや認知行動療法もまた、一時的には効果があるものの、完全治癒まで到達する例はなかなか見えにくい。

 

抗うつ剤としてSSRIやSNRIなどの新薬が登場した際には、画期的な抗うつ剤として大きな期待をされた。副作用も少ないとされ、うつ症状の患者さんたちはこれで自分達も救われると喜んだのである。しかし、残念ながらこれらの新型の抗うつ剤も長期投与されてしまうケースが多いし、離脱症状の危険性もあり、一度飲み始めたらずっと飲み続けなければならないという結果を示している。不思議なことに、これらのSSRIやSNRIの新薬が登場して、うつ病の患者さんは減少するどころか、かえって増加しているという皮肉な結果を示しているのである。

 

このように、様々な医療行為を受けることで、寛解や症状の軽減という例はあるものの、完全治癒というケースが極めて少ないというのも不思議である。ここに精神医療の限界というものが見え隠れしているように思えて仕方ない。たまに完全治癒した人の話を聞くことがあるものの、それは一時的な投薬を受けても、長期投薬を中断して、自力で治したというケースが殆どであるというのも不思議なことである。勿論、すべての医療行為を否定するものではないが、医療だけでメンタル障害が治癒することはごく稀であるという事実があるのも確かであろう。精神医療の行為には何が足りないのか、何を足せば完全治癒に向かうことが出来るのか、明らかにしていかなければならない課題が存在していると思われる。

 

これだけ医療が進歩して、新しい薬剤や治療法が提起されているにも関わらず、何故か精神医療分野だけは完全治癒が少ない。完全治癒が難しい分野だとは認識しているが、それにしても治りにくいし、これほど多くの患者さんが増えているというのは解せない。メンタル障害とされる原因も、違うのではないかとも感じられる。メンタル障害を起こす方々に共通しているのは何かというと、確固たる理念が存在しないという点と、何があっても揺るがない自己肯定感がないという点である。つまり『自己マスタリー』が確立されていないという点に注目したい。理念とは正しい真理に基づいている信念のことであり、自己マスタリーとは真の自己確立のことである。この二つがないことで、多くの方がメンタル障害に苦しんでいるのではないかと想像している。

 

正しい理念とは、この宇宙・社会の存在そのものを担保している真理に基づいた信念であり、端的に言うと『システム思考』のことである。全体最適とそれを担保する関係性重視の哲学のことと言い換えられる。自己マスタリーとは、マイナスの自己と呼ばれる低劣な価値観を持った自己を認め受け容れ、そしてそのマイナスの自己を恥じると共に慈しむことが出来る自分を確立することである。言葉では優しいが、自分を完全に否定して消してしまいたいと思い悩む世界に浸ることでもあり、簡単には出来得ない。おそらく、この日本で自己マスタリーを完全にクリアーした人は1割にも満たないはずである。マサチューセッツ工科大学のペーター・シュンゲ上級講師が提唱している理論であるこのシステム思考を身に付け、自己マスタリーに成功すれば、メンタル障害から完全に立ち直ることが可能となるであろう。

自ら命を絶つ前に

大手広告会社の期待の新人社員が自らの命を絶ってしまい、労災認定がされたというショッキングなニュースが流れました。さらに、大企業の薬品会社の新入社員がやはり自殺をして、労災と認定されたという報道がありました。これらの報道は、労災認定をされたということでマスコミが取り上げただけであり、労災認定をされない仕事が原因の自殺は、他にも相当にあると推測されます。なにしろ、統計上明らかになっているだけで、年間3万人近くの方々が自ら命を絶ってしまうこの日本です。おそらくは、仕事上のストレスや疲れから自殺に追い込まれてしまっている方は相当に多い筈です。それにしても、こんなにも豊かで便利な世の中になったにも関わらず、生きにくい社会になっているというのは、理解できないことでもあります。

 

今、職場で心身共に疲れ切ってしまい、他には解決の方法が見つからず、死んでしまうしかこの現状から解放されないと思っていらっしゃる方がいらしたら、ちょっと待ってほしいものです。または、職場での執拗なパワハラやセクハラを受けて、会社は何も対応策をしてくれず、家族との板挟みで会社を辞める訳にも行かず、死んでしまうしかないと思っていらっしゃる方がこの日記を読んでいましたら、早まらないでほしいのです。このような八方塞がりの状況に追い込まれた方々にしてみれば、他には方法がないと思っていらっしゃることでしょう。確かに、もう誰も助けてくれないし解決策は他にないと思うのも当然かもしれません。

 

しかし、もし自殺という道を決断したとしても、あとせめて1週間から10日くらい先延ばし出来ないでしょうか。そして、「イスキアの郷しらかわ」で数日間過ごしてほしいと思います。または、会社を休めないなら土日の2日間でもよいから、しばしの休息を「イスキアの郷しらかわ」で過ごしてみてはどうでしょうか。勿論、しばしの休息で仕事の状況が変化する訳ではありません。しかし、少なくても自分をもう一度見つめ直す時間は必要ですし、何か心境の変化が見られるかもしれません。『四季彩菜工房』という農家民宿で、心尽くしの料理や心優しいもてなしを受けることで、心が癒されるに違いありません。または、辛くて苦しい出来事をありのままに受け容れてくれる相談をしているうちに、何かしらの解決策が見いだせるかもしれないのです。

 

最先端の心理学においては、マインドフルネスという方法が推奨されています。マインドフルネスというのは、ストレスコーピング(解消策)の有効な方法の一つです。ストレスを解決するには大きく分けて2つの方法があります。ひとつは問題焦点型のストレスコーピングで、ストレスの原因をダイレクトに解決するという解消法です。もう一つは情動焦点型のストレスコーピングで、問題そのものは解決できないものの、そのストレスに対する自分の認識や考え方を変えて、ストレスをストレスとして認知しないようにする方法であります。または、ストレスの対する耐性や柔軟な思考が出来るようにするという解消法です。その情動焦点型のストレスコーピングの有効な一つの方策がマインドフルネスです。

 

日本では、古来よりこのマインドフルネスという考え方や方策が実践されてきました。仏教では『唯識』という考え方です。瞑想、座禅、写経、読経、滝行や山岳修行などの苦行難行として実践されてきた歴史があります。マインドフルネスとは、ストレスから完全に開放されるような「何か」に心を奪われることにより、マイナスの思考を停止または手放すことで、本当の自分を取り戻すという方法です。人間は一旦強大なストレスに支配されてしまいますと、そのストレスを考えないようにすることが出来ず、四六時中そのことだけを考えてしまいます。それでは、不眠に追い込まれたりうつ状態になったりして、正しい考え方が出来なくなってしまうのです。これでは、解決策は思いつかなくなるばかりか、生きる気力も失ってしまいます。

 

マインドフルネスをするには、ストレスの原因になっている場所からなるべく離れて、非日常の世界に身を置くことが、まずは求められます。何もかも忘れてしまうには、自然豊かな処で、農業体験や自然体験に勤しむことが有効です。また、自分をまるごと受け容れてくれて許し肯定してくれる環境も必要です。それが、まさしく「イスキアの郷しらかわ」です。一旦思考を停止させて、自分自身をまずは取り戻すことが出来る場所、「イスキアの郷しらかわ」で、しばらく過ごすことでマインドフルネスが実践できます。仕事を休めない方は、週末だけでも何回か訪れてみてはいかがでしょうか。休職をしているなら、数日滞在することで、デトックスが可能になります。自ら命を絶つのは、今一度考え直してみてください。イスキアの郷しらかわで過ごしてみてください。自分の本当の「出口」(グリーンエグジット)がきっと見つけられます。