寝取られた男が恥の上塗り

 妻が不倫をしたと記者会見して、相手を非難している姿を見ていると、何だか奥さんが可哀そうになってしまう。勿論、特定の伴侶がいるのに不倫をするというのは、道義的に許されることではない。しかし、妻は献身的に尽くしてくれたと、妻を擁護する言葉を連ねながら、一方では相手の男がすべて悪いし、謝罪をしないと言って糾弾している姿を世間に晒しているのは、みっともないような気がする。浮気をした妻や相手の男性を擁護する訳ではないが、寝取られてしまった男性が記者会見までして訴えるのは、実に不思議な光景だ。

 一昔前であれば、自分の伴侶を寝取られた男が、記者会見とか情報発信などをするなんて考えられなかった。自分が悪くないのだから恥じることはない、というのは正論である。逃げ隠れする必要はない。とは言いながら、自分の伴侶が他の男性に恋心を抱くと言うのは、結論から言うと自分よりも浮気相手に魅力があったということである。言い換えれば、相手の男性との恋愛競争に負けたとも言えよう。もし、それがもし自分であったしたら、自分があまりにも惨めであり、人さまの前に寝取られた自分を絶対に晒したくはない。

 昭和22年までは姦通罪という刑法上の不貞の罪があった。江戸時代は、不義密通を働いた妻と浮気相手は死罪になり、夫はその場で両方を切り捨てても罪にはならなかった。なお姦通罪は、女性とその相手だけに適用されて、夫が不義密通をしても罪にはならなかった。江戸時代の不義密通の罪もまた、女性とその姦通相手にだけ適用された。女性だけに適用した不平等の罪だ。これは、男性中心の時代だからであり、財産を子どもに相続させる際に、自分の遺伝子を繋ぐ子どもだけに財産や権力を譲りたいという切実な願いから出来た罪であろう。

 不義密通の罪や姦通罪という法的な縛りがあったというのは、古来より伴侶以外の男性に心を奪われてしまい、身も心も捧げてしまう女性が相当数存在していたという証しであろう。何故、そんな妻たちが沢山いたのかというと、夫たちに魅力がなくなってしまい、夫にときめかなくなってしまったからではなかろうか。または、夫をリスペクトできなくなり、詰まらない人間に見えてきたというか、真実の姿が見えてきたのかもしれない。身勝手で自己中で、妻の心に寄り添えず、自分の損得しか考えない夫に、妻は愛想を尽かしたのだ。

 すべての夫がこんな酷い男だという訳ではないが、妻たちが夫のパワハラ、モラハラ、セクハラに耐えられなくなったケースは多いに違いない。その逆で、妻にときめかなくなった夫もいることだろう。何故、そんなことになったかというと、自分を磨く努力を怠ったからだとも言える。若い頃のスマートな体型を保つ為に節制と運動をし、健康を保つための食生活を心掛ければ、みっともない体型にはならない。また、常に自分を高めようと勉学に勤しみ、魂を磨く努力を怠らなければ、魅力が衰えることはない筈だ。

 自堕落な生活を送り、自分の幸福だけを追求して、仕事が忙しいと家事育児を放棄して、妻への傾聴と共感が出来ない夫を愛することが出来る妻がいる訳がない。そんな夫婦関係であるのだから、婚外恋愛についつい心を奪われるのも仕方ないことであろう。例の寝取られた男の続報だが、実は自分も浮気をしていて、部下にパワハラをしていて、妻にはモラハラとパワハラをしていたのではないかとの報道がされている。そして、寝取った相手も当該の夫に反撃をしている。泥試合の様相を呈している。実に醜い不毛の争いだ。

 結婚当時の魅力を失わない努力を続けるのは当然だが、人間は日々成長していかなければ時代に取り残されるだけでなく、家族からもリスペクトされ続けるのは無理である。身体的にも、精神的にも、そして人間的にも進化を続けることが、輝き続けることの必須条件である。もし、そのような努力を積み重ね、魅力ある男性であり続けることが出来たなら、他の男に寝取られることなんてなかった筈だ。他の男に寝取られたなんてカミングアウトするのは、自分磨きに失敗したんだと宣言しているようなものではないか。こういうのを恥の上塗りと、世間では言うのである。

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