家庭問題を解決するキーパーソンは大黒柱

一家の大黒柱という言葉が死語になっている。今の若い人に「一家の大黒柱は誰のこと?」と聞いても答えられないだろう。そんな言葉を今時使う人もいないし、家庭に大黒柱になる人なんていないだろう。そもそも大黒柱という意味さえ知らないに違いない。それは伝統的な建築手法で建てられた民家で、土間と居室部分の境目に立てられる一番太い柱のことである。家を支える大事な柱のことで、転じて一家の主人を差すようになったという。通常は、家庭における家長のことを大黒柱と呼ぶことが多い。

戦後、GHQの指導によって家長制度が廃止になり、男女平等の考え方が浸透して、一家の大黒柱という言い方が敬遠されたと思われる。そして、実質的にも大黒柱が不在となる家庭が殆どになってしまった。家族がみんな平等で、それぞれの基本的人権が保障され、大黒柱がいなくても困らないだろうと思っている人が多い。確かに、大黒柱に頼り切ってしまい、家族が一家の大黒柱に依存し過ぎてしまい、精神的にも経済的にも自立出来なくなるというのは困る。しかし、一家の大黒柱が不在になることで起きている家庭の諸問題が、実に多いように感じられて仕方がない。

家庭における諸問題が次から次と起き続けている。家庭内における児童虐待や育児放棄、パートナー間におけるパワハラやモラハラ、ひきこもりやニートの長期化と高齢化、家庭内暴力などが多発する事態となっている。家族の中に、発達障害やメンタル疾患が急増している。そして、これらの家庭内における問題が解決されることもなく、長期化するばかりか深刻化している。離婚してしまう夫婦も多くなっているし、親子関係が断絶してしまい、家庭崩壊を招いているケースも少なくない。これらの家庭における諸問題は、家族の中に大黒柱が不在になってから、増えているように感じられる。

ここでいう大黒柱というのは、経済的な支柱になっている収入の中心者という意味ではない。精神的な拠り所という意味であり、すべての家族の守り神という役割を担う人を差す。そして、この一家の大黒柱を家族みんなが頼りにしているし、いざという時には家族の為に命を賭してスーパーマンのように大活躍する存在である。家族が困ったり悩んだりした時は、メンターの役割を果たしてくれるのが大黒柱である。通常は父親がその役割を担うことが多いが、母親だって大黒柱になれない訳ではない。母親が大黒柱として家族を守っているケースも少なくない。けれど男性よりも精神的な拠り所としては難しいと思われる。

女性が男性よりも劣っていると言いいたい訳ではない。男性のほうが女性よりも強いという意味でもない。ある意味、男性よりも精神的に頼りになる女性も少なくない。社会では男性よりも活躍している女性が非常に多い。だとしても、家庭内においては女性よりも男性のほうが圧倒的に頼りにされるケースが多い。しかし、残念なことに家庭における父親が頼りにならなくなっているのである。家庭内における諸問題が起きている家族関係において、父親の存在が希薄化しているケースが圧倒的に多いのだ。家庭内の諸問題を心配して何とか解決しようと努力している人は、殆どが母親なのである。

つまり、家庭内の諸問題が発生しているのは、名実共に一家の大黒柱と呼ばれる人物が不在の家庭なのである。ということは、家庭内の諸問題を解決するキーパーソンは一家の大黒柱ということになる。家庭における主人が、大黒柱としての本来の働きをすれば、家庭内の諸問題が解決に向かうのではないかと想像できる。精神的支柱となって、家族をひとつにまとめ上げ、関係性を親密にして、お互いの信頼関係を高めることで、問題は解決される。くれぐれも言っておきたいが、戦前のように大黒柱が絶対的権力を持つような支配構造を持つことは絶対に避けたい。あくまでも、精神的な拠り所としての役割だけだ。

一家の主人が大黒柱としての役割を立派に果たすには、まずは家族の話を傾聴することが大切だ。それも共感的態度で対話することが肝要だ。相手の気持ちに成りきって否定せず話を聞く姿勢が必要だ。そのうえで、指示することなく命令することなく、相手の自己組織化をそっと見守る姿勢が大事である。家族それぞれが自己成長して、主体性や自主性、そして責任性を発揮できるように寄り添いサポートすることが求められる。そういう意味では、大黒柱は優秀なカウンセラーでありセラピストでありたいものだ。家庭内において父親が名実共に大黒柱となって、諸問題を解決する役割を果たせるようになって欲しい。仕事も大事であるが、家族はもっと大切であると自覚してもらいたいものである。

セックスレス夫婦になる本当の訳

男どうしならセックスレス夫婦だなんてことは軽々しく言えないみたいだが、女性どうしではこんな状況にあると平気で話題にするらしい。そして、セックスレス夫婦が想像以上に多いというから驚きである。高齢者夫婦ならそれもあり得るが、若い夫婦にも夜の営みがないというケースが多いらしい。統計調査を取りにくいこともあり、公にはされていないが、周りの知っている夫婦は、殆どがセックスレスだというのだ。特に、第一子を設けてからセックスレスになってしまう夫婦が非常に多く、第二子以降出来ないケースも多い。

セックスレス夫婦の方にそうなってしまった原因を聞いてみると、驚くことに特に理由もないし、男性にとっては思い当たる原因もないというのである。そして、セックスがなくなったことで不自由感もないし、それが当たり前の夫婦生活になってしまっているというのである。どうやら男性側からも、そして女性側からも求めることがなくなり、自然とセックスレスに陥っていて、それが自然な流れとして定着しているらしい。夫婦仲が特別悪い訳ではないし、一緒に買い物したり食事もしたりするが、夜の交渉だけはないというのだ。それが何年間にも及んでいるので、いまさらどうしようとも思わないという。

これは由々しき大問題である。それでなくても少子化が社会問題になっているのに、その流れが加速してしまうではないか。ましてや、夫婦関係というのは複雑である。身も心も許し合ってこそ、お互いの信頼関係も深まろうというもの。それが精神的なつながりだけでは、夫婦関係が破綻しかねない。最近は、離婚する若い夫婦が増えているし、仮面夫婦が以外に多いというが、セックスレスがそれを後押ししているかもしれない。夫婦関係だけでなく、恋人関係でも性関係のないカップルが増えているらしいのである。

日本では、互いの愛情が感じられず、夫婦の性交渉がなくなってしまっても、そのまま夫婦関係を続行するケースが多い。しかし、フランスではカップルの愛情が冷めてしまったら、即離婚するか同居を止めるという。何故ならば、愛情がないのに一緒にいる必然性がないというのである。子どもが居ようとも、それがかすがいになって離婚を思い止まることはない。愛情のなくなった夫婦が一緒にいることによって、子育てにおける悪影響のほうが大きいと認識しているからだ。フランス人は戸籍に縛られることがないと言える。

日本において、夫婦に性交渉が途絶えてしまう本当の原因を、深層心理学的に考察してみよう。人間という生き物は、本来自己組織化する働きを持つ。つまり、生まれつき主体性・自発性・自主性を持ち、自分の生き方に対して責任性を持つのである。ところが、夫婦として籍を入れると、男性が主要な人生の選択・決定においては主導権を持ちたがる。日常の生活における衣食住の簡易なものは女性が主導権を持つが、重要な決定事項は夫が持ちたがる。そして、夜の営みも男性が主体性を持ちたがるというか、それが当たり前だという先入観念に縛られていて、女性がその選択権を持ってはいけないと思うらしい。

夫が性交渉を望めば、妻がそれに応じるのは当然で、拒否権がないと勘違いしている。本来は、男性だけにその決定権はない筈なのに、男性上位の古い価値観に縛られているが故に、性関係を持つかどうかは男性が握っていると思いがちである。そして、妻である女性はそれに従うことが、自らの自己組織性を発揮することを阻害されてしまうことから、嫌がる傾向を持つのである。そして男性は、性関係を持ちたいと思いながら、お願いしてまで性交渉を持つことを嫌う。女性に性交渉の決定権を与えるくらいなら、我慢しようと思うのではなかろうか。こうして、夫側も妻側も性関係を望まなくなってしまうと思われる。

特に、精神的にも経済的にも自立した妻は、この傾向が強い。身も心も夫に依存している夫婦関係であれば、セックスレス夫婦になる確率は低い。ところが最近の女性は、夫に依存した生き方は間違っていると気付き、すっかり自立している。故に、自らの自己組織性を発揮した生き方をしている妻は、自分を見下したような夫の要求に応えることは、アイデンテティを否定されるようで許せないのである。夫が妻の尊厳を認め受け容れ、妻の生き方を尊重することが出来れば、互いの自己組織性を進化させることが出来る。そうすれば、妻の話を傾聴し気持ちに共感できるし、性交渉を嫌がる気持ちも理解できる。妻の微妙な心の揺れ動きも感じることが可能になる。妻を自分が所有していると勘違いし、妻を支配し制御したがるような夫に、妻は身を任せようとはしないのだ。セックスレスになっている本当の原因は、夫の未熟な精神性にあると心得るべきである。

ひきこもりやニート対策を営利事業に?

ひきこもりやニートと呼ばれる若者が、残念なことに年々増加している。そして、これからも増加の一途を辿る可能性が高い。親としてみれば、何とか社会復帰させたいと思うのは当然だ。ましてや、自分が生きているうちは何とか面倒をみられるが、もし先に他界してしまえば子どもが困るだろうと思い、あらゆる対応策を考えるようだ。そんな困りきって藁にもすがりたい親や当事者から、ひきこもりやニートを必ず社会復帰させますと謳い、高額の滞在費やセミナー費をむさぼる業者がいるらしい。

その殆どの業者は、数か月という長期間に渡り滞在させて、セミナー費用として請求するという。安くても月額30万円、酷いケースだと月額50万円以上にもなるという。そして、この滞在期間は、1ケ月では済まなくて、滞在を何度も繰り返させるケースも多いし、良くならないからと何か月も滞在させる例も多いらしい。食事も提供するのだから、そんなに高くないと考える親と当事者も多いらしい。しかし、食事内容も学生相手の食堂並みであるし、居住スペースも狭くて、研修や体験内容もお粗末な場合が多いという。

セラピストやカウンセラーも常駐して、個別に相談も受けるというが、果たして画一的な心理療法や研修内容で社会復帰できるものだろうか。ましてや、完全に営利を目的にした法人が運営している施設である。なるべくクライアントを多く集めたいし、せっかく集めた利用者を手放したくなるのは当然である。何やかやと手を尽くして完全復帰を先延ばしたくなるのは経営者として考えたくなることである。精神科病院が『固定資産』と称して、精神疾患の患者を囲い込んだ過去の不幸な歴史と、構図が似ている。

こきこもりやニート対策は、ビジネス(営利事業)として実行されてしまうと、クライアントを囲い込む傾向が強くなる。なにしろ利用対象者は大切な顧客なのである。せっかく得た顧客を無くしたくないし、長期に利用してもらえば収入も上がる。だから、このような福祉的な事業は公的機関が実施すべきなのである。しかし、障害者認定されてなければ、公的扶助や支援の対象ともならないし、公的機関が本格的な宿泊施設を活用したひきこもりやニート対策を取るにはハードルが高い。ひきこもりやニートに多額の公費をつぎ込むことに対しては、市民の理解を得られにくいであろう。

さらには、ひきこもりやニートをどのようにすれば解決できるのか、行政機関が明確な答を見つけられるとは思えない。ましてやひきこもりやニートの本当の原因を、行政側で認識していないように感じられる。となれば、民間の福祉関連施設がその役割を担うしかないだろう。しかし、民間の法人がひきこもりやニートの社会復帰訓練施設を公的援助なく運営するとなれば、相当に高額な利用料にならざるを得ない。ましてや、多くの職員を雇いビジネスとして事業経営するとなれば、収益を上げることに躍起となるのは当然である。

ひきこもりやニートを社会復帰させる研修は、一筋縄では行かない。乳幼児から十数年もの育児や家族との関わりから起きてきたことであり、そもそも社会に問題があるからこそひきこもりやニートに陥ったのである。単なるカウンセリングやセラピーだけで社会復帰が実現する訳がない。ひきこもりやニートの社会復帰支援は、家族療法や当事者の価値観教育なしには不可能である。ましてや、当事者の事情や人格は様々であるから、個別対応をきめ細かく実施しなければならない。だから、ビジネスとしては不似合いなのである。

完全復帰を目指したひきこもりやニート対策が出来るのは、限られた施設であろう。農業体験や自然体験を十分に行いながら、家族を呼んでミラノ型の家族療法をすることが出来る施設が望ましい。それも、オープンダイアローグの心理療法を駆使したセラピーができるような施設であればなおいいだろう。何十人も一緒に生活するような施設では、こういう対応は難しいし、ましてや収益の上がらないような対応策は取りたがらないであろう。こじんまりとした個別対応のできる農家民宿が、ひきこもりやニートの社会復帰訓練には一番ふさわしいと思われる。いずれにしても、ひきこもりやニート対策事業は営利企業にとっては荷が重すぎる。

※「イスキアの郷しらかわ」では、ひきこもりやニートの社会復帰支援をしています。農業体験や自然体験をしながら、オープンダイアローグ療法もします。何故生きるのか、働くという意味や意義についても、哲学を基本にしたレクチャーをしています。イスキアの事業は、理念にも書かれている通り、営利を目的にしたものではなく、社会貢献活動として実施しています。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

キレるのは何故か~脳科学的検証~

高速道路でのあおり運転から事故死を招いて、危険運転致死傷罪で23年の求刑をされた被告運転手がいた。まだ判決は出ていいが、この被告は運転中に何度もキレていたと交際していた女性が証言していた。最近、このような危険なあおり運転が続発しているが、その殆どのケースで運転手がキレていたと思われる。車というのはある意味凶器にもなりえる。そんな凶器を操っている人間が、こんなにも簡単にキレてしまえば、周りの善良な運転手と同乗者は大変なリスクを背負うことになる。死と隣り合わせのドライブと言えよう。

隣国の韓国では、最近飲食店や販売店に訪れたお客が、突然キレて店員に暴力を奮う事件が続発しているらしい。韓国のケースでは、この様子を動画で録画していた他の客がSNS上にアップして、人物が特定されてしまうという。この人物はネット上で炎上するだけでなく、警察にも摘発されてしまい、深く反省させられるという。韓国ではこのキレる客が多いことから社会問題化してしまい、労働法を改正せざるを得ない状況に追い込まれているくらい深刻だという。韓国ではキレた経営者が社員を暴行する事件も起きている。

日本や韓国で、どうしてこんなにもキレる人間が多くなっているのであろうか。我慢できない人間が増えているとも言えるが、何故こんなに忍耐力を持てなくなっているのか、脳科学的に検証してみたいと思う。怒りや憎しみの感情などを起こすのは大脳辺縁系における偏桃体だと言われている。キレるというのは偏桃体が暴走した状態と言えよう。この偏桃体の働きを抑えるのは前頭前野である。前頭前野が正常に発達していると、偏桃体が暴走するのを鎮めてくれるらしい。偏桃体が異常に働きすぎることと前頭前野の未発達がキレる原因を作っているのではないかと見られている。

キレる原因はこれだけではない。セロトニンの分泌が少ないとキレやすいとも言われている。脳幹部に近いところにある縫線核という箇所に、セロトニン神経の細胞が集中している。このセロトニン神経が、現代の過剰なストレスや疲れ、または不眠などにより、セロトニン神経が疲弊しているとキレると言われている。さらに、低血糖状態でキレることが解明されている。現代の食生活の乱れが血糖値の不安定を呼んで、低血糖状態を起こしてキレる。糖分や糖質の多い食べ物や飲み物を好んで飲食する生活が、キレることに繋がる。

偏桃体や前頭前野の異常、そして脳幹部の縫線核の機能低下、さらには食生活の乱れがキレるという症状を起こしているのである。現代人における、運動不足・不眠などの生活習慣の乱れもキレやすくさせている。自然派の医師たちは、農薬と化学肥料使用の農産物・人工の食品添加物・殺菌剤・ホルモン剤や抗生物質投与の畜産物や魚介類・ワクチン投与・牛乳の摂取なども脳や人体システムの異常を起こしていると主張している。そういう意味では、小さい頃からの食生活も含めた生活習慣が大切だと言える。ましてや、セロトニン不足がキレるというのであれば、親からの愛情不足も影響しているかもしれない。

現代人がこんなにもキレやすくなっているというのは、別の視点から考察すれば、このままに推移していくと、社会生活が安心して送れなくなってしまうということになる。街を歩いていて、ちょっとした動作や表情が気に入らないからと、突然暴行を奮われることになり兼ねない。車の運転だって、いくらドライブレコーダーを積載して抑止効果はあっても、あおり運転をされる危険性がまったくなくなる訳ではない。ましてや、激高した人間は後々のことなんて考えない。一度キレてしまえば周りの人が止めてもブレーキが効かなくなる。車を運転するのは楽しい筈なのに、おどおどしながらドライブするしかなくなる。

こんなキレるような人間を生み出している責任は、すべてではないにしても、保護者にあると言える。小さい頃から愛情いっぱいに育てて、正しい食生活を心がけ、運動や自然体験をたっぷりとさせて、豊かな想像力と感性を育むことが大切だ。しかも、前頭前野を正常に発達させるには、正しい価値観の教育が必須である。人は何故生まれてきたのか、どう生きるべきかという人生哲学を育むには、根底となる宇宙の真理に基づく価値観が必要になる。自分の為だけでなく、周りの人々や世界人類を幸福にすることが人間としての務めであると、具体例や物語として教えてくれる大人が必要だと言える。これがキレる人間をこれ以上生み出さない唯一の方策である。

※キレやすい我が子、またはキレる社員がいて困っている方がいたら、「イスキアの郷しらかわ」の研修を受講されることをお薦めします。キレる本人だけでなく、親、または企業の管理者がキレる人間をどう扱うかという学びも可能です。自分がどうしてキレるのか悩んでいらっしゃる方には是非受講してもらいたいと思っています。問い合わせフォームからご相談ください。

NOと言える企業風土なら伸びる

個人経営の企業や商店でしかもワンマン社長のケースでは、自分の信念など忘れたようにイエスマンを演じている社員・店員がいる。いや、信念そのものがないような振る舞いを平気でしている社員が所属している例が多い。社長・店主に逆らえば、会社を去るしかないと思い込んでいるのかもしれないが、絶対に反対意見を述べない社員が殆どだ。いわゆる裸の王様状態であり、それを社長自身も気付いていない会社が多い。ワンマン社長が悪い訳ではない。最終的には、社長が決断して責任を取るのだから、ワンマンであっても良い。しかし、社員が意見まで言いにくい環境になっているのは問題であろう。

役員のように自分の地位や待遇を守る為には、ある程度は社長に追随しなくてはならない。それでも、社長が経営の為に必要な情報を持ちえない場合は、その情報が社長の望まない情報であったとしても伝えるべきであろう。たとえ機嫌を損なったり自分に風当たりが強くなったりするような、都合の悪い情報であったとしても提供すべきであろう。その情報が伝えられなければ、経営や重要な決定において誤る可能性が高いならなおさらである。ところが、得てして地位が高くなればなるほど、社長に評価されればされるほど、追随を通り越して、社長に追従してしまうケースが多いのである。

このような企業は外から見ると社長を中心にして一枚岩のように見えているし、ある程度は安定経営をしているが、残念なことに伸びないのである。何故かというと、一つは必要な情報が社長に集まらないからである。それも、社長にとって都合の悪い情報や、社長が機嫌を悪くするような情報が伝わらないのである。社長の機嫌を損なったり叱られたりするのを避けたいと、会社経営には絶対に必要な情報も敢えて伝えないようになるからである。さらに問題なのは、社員たちが自分たちで即断出来なくなることである。社員すべて社長の判断を仰ぐようになり、スピードが必要な判断が出来ず、対応が後手に回るケースが増えるからである。

もっと悪い状況が起きる。社員が伸びないのである。自己成長や自己実現をする社員がいなくなるという状況が起きるのは、企業にとって致命的となる。自発性、自主性、主体性という会社を構成する社員が絶対に必要とする人間性が欠落してしまうことになる。しかも、責任性さえも持てなくなるから最悪である。社員は指示されたことだけをするようになるし、責任を問われるようなことは絶対にしなくなる。会社にとって最善となる処理さえも、後から責任を追及されるのが嫌だから、見て見ぬふりをする。問題の先送りという由々しき事態が起きる。後で大問題になるようなことにさえ、社員は目をつぶることになってしまうのである。

やがて、もっと最悪な状況が社内に起きる。社内の人間関係が最悪になるのである。社長ににらまれないようにするし、社長に気に入られようとする社員たちは、お互いに協力しなくなる。何故なら、行き過ぎた競争原理が働いてしまい、周りの人々の悪口を平気で言うようになるし、競争相手の失敗を望むようになるのである。お互いに必要な情報交換、共に協力が必要な問題解決がまったくなくなるからである。社員の関係性が悪くなれば、社内の問題はまったく解決されず先送りされて、やがて問題は先鋭化・巨大化していき、取り返しのつかない状況に陥る。関係性が悪くなるから、優秀な社員ほど辞めていくし、やる気をなくすのである。メンタル障害者も多発するし、離職者や休職者も多くなる。

業績が伸びている会社、さらにはイノベーションを起こして発展している会社は、社員がいきいきとしている。社員が自発性や主体性をいかんなく発揮している。そして、自らが率先してリスクとコストを引き受ける。つまり、社員が責任感をいかんなく発揮しているのである。会社が大きく発展しているというのは、何も社屋や組織、売り上げや社内留保、時価総額が大きくなることではない。社員がおおいなる成長をして、人間性の優秀な社員が増えることである。そうすれば、収入の伸びよりも収益性が高くなるし、常に新しい価値を創造して、社会に提供している。つまり、おおいに地域貢献・社会貢献をしている会社になるのである。そういう会社は間違いなく、安心してNOと言える社内風土がある。

※NOと言える会社風土を創るための研修を、イスキアの郷しらかわでは実施しています。また、集合研修だけでなく、実際に企業を訪れて職場の診断とOJT指導をすることも可能です。メンタル障害が多発するとか、離職者や休職者が多いという職場は、風通しが悪くNOと言えない環境なのかもしれません。お悩みの人事担当や経営者の方は、問い合わせフォームからご相談ください。

※NOと言える会社風土を創るための研修を、イスキアの郷しらかわでは実施しています。また、集合研修だけでなく、実際に企業を訪れて職場の診断とOJT指導をすることも可能です。メンタル障害が多発するとか、離職者や休職者が多いという職場は、風通しが悪くNOと言えない環境なのかもしれません。お悩みの人事担当や経営者の方は、問い合わせフォームからご相談ください。

詐欺や偽投資話に騙されない為に

ジャパンライフという会社が2,000億円の負債を抱えて倒産したというニュースが流れた。投資した多くの出資者は、その投資額の殆どが戻らないと言われている。なけなしの退職金をつぎ込んだり、細々とため込んだ虎の子の老後資金を投資したりしてしまい、これから生活もままならないという可哀想な人もいるという。最初から巧妙に騙そうとしたのではないかと疑われている。騙されるほうも悪いなんてことは言わないが、どうして人はこんなにも簡単に、儲け話やうま過ぎる話に騙されてしまうのであろうか。

世の中において、巧妙に詐欺を働く人間は後を絶たない。天下の一流企業でさえころっと騙される世の中である。積水ハウスが地面師グループに55億円を騙し取られる詐欺事件が起きたのは記憶に新しい。なりすまし詐欺事件も、これだけ注意喚起されているのに、続々と起きている。高齢者を騙す、偽請求事件や偽投資話も増えている。結婚詐欺も巧妙化していることもあるが、騙されてしまう人も少なくない。人間と言うものは、実際に痛い目に遭わないとその怖さを認識できなくて、騙されてしまう生き物なのだろうか。

詐欺に遭ってしまうという人は、疑うことをしない人で素直に信じてしまう人なのかというと、実はそうではないらしい。客観的に、そして合理的な判断をする傾向にある人だというのだ。そして、知識や教養もあり、高い学歴もあり知能も高いという。だから、どうしてこんなにも簡単に騙されるのか、不思議でならないと警察関係者は言うのである。だとすると、誰でも騙されるのかというと、そうでもないという。騙されない人というのは、どんなに巧妙に仕組まれたとしても、絶対に詐欺には引っかからないらしいのだ。

それじゃ、騙される人と騙されない人との違いは何なのか、それが解れば詐欺に遭わない方法が解るであろう。詐欺に遭う人が居なくなれば、詐欺という行為をする人がいなくなるというものだ。積水ハウスの詐欺事件でも、この地面師たちは違う不動産会社にこの話を持ち掛けたが、疑われてしまい失敗したという。その際に、この売買交渉に当たった不動産会社の社員は、地面師たちとの会話から何かおかしいぞと感じて、断ったらしい。積水ハウスの社員は嘘を見抜けなかったことになる。その違いは何だろうか。

その違いのヒントは、松下電器産業の創始者松下幸之助氏が著作の中で述べている。松下幸之助氏の元には、儲け話を持って沢山の人たちが集まったという。それらの儲け話によって、幸之助氏は一度たりとも騙されたことがなかったというのだ。巧妙な嘘をすぐに見破ったし、そんな騙しには乗らなかったというのである。それらを判断する際に、基準としたのはこういうことである。氏は最初から疑わしいぞと先入観を持って話を聞いたことがないというのである。相手の話を100%信じて聞いたというのである。それも、相手の気持ちに成りきって、あたかも自分のことのように聞いたのだ。

そうすると、こんなにもおいしい話をどうして私の処に持ってきたのか不思議だと感じるというのだ。こんなにも儲かるような話なら、自分なら独り占めしたくなる。それを敢えて他人である私に何故儲けさせようとするのか、おかしいと気付くというのである。そして、相手の話を疑いもせずありのままに聞くことによって、相手の本音が認識できるというのである。ありえないようなうまい話を持ってきたら、うさん臭いぞと思うのが普通の感覚である。そうすると、騙そうとする人はありえないことがあり得る根拠をこれでもかというくらいに羅列する。聞いているほうは、一時は疑っていたのに疑問点がすべて解消されることによって、徐々に信じてしまうのであろう。客観的合理性の考え方をしている人が騙されるのは、こういう仕組みなのである。

騙そうとする人は、相手の弱いところや足りない部分を巧妙に見抜く。そして、騙そうとする相手の欲望や弱点をついてくる。騙す人は、そういう意味では客観的合理性の感覚ではなく、相手の気持ちを解ろうとする努力を続けるのである。想像力や感受性が強い人間しか、詐欺行為は務まらない。相手の気持ちが手に取るように解るからこそ、相手の欲しいものを提供しようと提案するのである。ということは、巧妙な詐欺に騙されないようにするには、客観的合理性の考え方にとらわれず、ある意味では主観的でしかも関係性を重視する考え方を持つことである。近代教育は、客観的合理性を重視しているあまり、皮肉にも騙されやすい人間を育てているとも言える。近代教育の見直しが必要であろう。

 

※イスキアの郷しらかわでは、客観的合理性の近代教育によって作られてしまった人間性を、主観的互恵関係の研修によって改善することをサポートしています。ある意味、歪んでしまったメンタルモデルを改善する研修でもあります。問い合わせフォームでご相談のメッセージをください。

酔いどれパイロットと問題飲酒

飲酒をしていながら飲酒テストを不当にすり抜け、乗務しようと企んだパイロットが英国で逮捕された事件が起きた。このように飲酒して乗務しようとする事態はJALだけでなくANAでも度々起きているというから驚きだ。大勢の乗客を乗せて飛ぶ大型旅客機の操縦士が、飲酒しながら操縦かんを握るなんて考えられない。地上を走るバスの運転手だって許せないが、より高度な操作を要求される大型旅客機のパイロットが、飲酒してコクピットに座るなんて考えられない異常事態だ。

このパイロットは、今回が初めだったとは思えない。たまたまバスの運転手が気付いたから解ったのだろうが、今までは見過ごされてきたこともあったに違いない。同乗勤務していた他のパイロットたちも狭いコクピットなのだから、酒臭いのは感じていただろう。それなのに、見て見ぬふりをしていたものと推測される。ひどい会社があったものである。人命軽視も甚だしい。国内線では何度も飲酒パイロットのせいで遅延があったというのだから、そういう体質の会社だと思われても仕方ないだろう。

前の日に飲んだとの報道であるが、おそらく勤務数時間前まで飲んでいたものと思われる。12時間前までしか飲酒が認められていないというが、大量に飲酒したら12時間で完全に酔いが覚めないケースもあろう。また、そもそも乗務前12時間前だといっても、前日に大量飲酒をすること事態通常考えられないことである。普通の人の感覚なら、勤務の前日は酒を控えるだろう。おそらく、毎日のように大量飲酒していたと思われる。もしかすると、アルコール依存症に近い状態にあったのではないだろうか。

パイロットという職業は、多くの人命を預かる使命があるうえに、航空機という巨大な鉄の塊を安全に飛ばさなければならぬ大きなプレッシャーと共にストレスが伴うことだろう。前日、眠りが浅くなってしまうこともあろう。だから、アルコールの助けを借りて眠る気持ちも解らないでもない。しかし、このようなお酒の飲み方は、大変なリスクを伴うことぐらい百も承知であろう。会社にも専門の精神科医がいるに違いない。このようなアルコール摂取は習慣化するし、アルコール依存症になりやすいことを周知していた筈だ。

それなのに、パイロットのアルコール摂取による遅延事故が毎年複数件起きているというのは、自己管理できていない酔いどれパイロットが相当数存在している証でもある。そして、これらの状態を会社が見逃していたということになる。会社の人事管理や健康管理がおろそかになっている証拠でもある。パイロットというと、航空会社の中ではエリート中のエリートである。だから、自己管理が出来ている筈だと思い込んでいたに違いない。それは浅はかな考えであろう。教養が高くて分別があってもアルコール依存症になるのである。人事管理や業務管理が徹底されていなかったと言えよう。

これらの飲酒による遅延事故があまりにも多いので、12時間前までの飲酒を認めていたが、24時間前までという制約に変更した航空会社も増えてきたらしい。飲酒テストもより厳密になる傾向らしい。しかし、そもそもこんなに厳しくする必要があるのだろうか。飲酒するかどうかは、本人が選択するべきであり、そんな厳しい飲酒管理を会社がしないと飲酒運航事件が起きるというのは、分別ある大人の成熟社会ではありえないことである。自己管理が出来ない人間が、人々の生命や安全の鍵を握っているなんてことが許される訳がない。厳しいルールに縛られないと正しい飲酒が出来ないような人間に、自分の命を預けることは出来ないと思うに違いない。

実は、パイロットだけでなく医師や高級官僚たちにも、飲酒の自己管理できない人間が多いのである。また、企業の経営者や役員、著名な政治家や首長にも飲酒の自己管理が出来ない人間が少なくない。その証拠に、飲酒時にセクハラやパワハラ事件を起こす人間が多い。世間からすれば、立派な学歴や経歴を誇るような人間は、自己管理できているからこそ、業務が遂行できると思い込んでいる。しかし、飲酒の自己管理出来ないような人間には、重要な仕事は任せるべきではない。何故なら、問題飲酒をするような人間には、そもそも正しい理念や思想哲学がないからである。そして、その理念の基になる崇高な価値観を持たないのである。だから、いくら高い学歴や教養があっても、自己管理が出来ないのである。人の上に立つような人物には、価値観の学習こそが必要である所以である。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、飲酒の自己管理ができない役職員、または問題飲酒の傾向がある幹部の役職員のための、『問題飲酒を解決する価値観学習』という研修をしています。飲酒のために健康を損なってしまっているような社員も対象です。このような問題飲酒は、医療やカウンセリングでは完全治癒が難しいのです。価値観の学習と思想哲学、正しい理念を持つことでしか克服することはできません。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

ひきこもりは老化が進み早死に

ひきこもりの方は、あまり外出しないし運動をする習慣がない傾向にある。運動が大好きだというひきこもりの方は殆どいない。当然運動不足になる。運動をしないと、人体というシステムがとんでもない方向に向かってしまうという真実を知らない人は意外と多い。骨折して寝たきりになった高齢者は、急激にQOL(生活の質)が低下してしまうことは広く知られている。認知症になる人も少なくないし、筋肉量の低下、骨密度の低下、消化器や循環器の低下、免疫力の低下まで起きてしまう。運動が出来ない故に起きる反応であろう。

こういうQOLの低下は、運動しないことによる影響だということは知られているが、何故こういうことが起きるのかを医学的に正しく認識している人は少ない。運動しないことによる老化は、骨に関連するホルモン(神経伝達物質)によって進むということが解明された。そのホルモンとは、スクレロスチン、オステオカルシン、オステオポンチンという三つの神経伝達物質である。スクレロスチンとは骨を増やす骨芽細胞の増減に関わっている。その骨芽細胞からは人間の老化に関係するオステオカルシンとオステオポンチンというホルモンが作られているのである。

骨芽細胞から産出されたオステオカルシンが、血液によって脳の海馬まで運ばれて、海馬を刺激する。そうすると海馬の働きが活性化するだけでなく、海馬の細胞も増加して大きくなるという。反対に骨芽細胞が少なくてオステオカルシンが分泌されないと、海馬の働きは衰え、海馬の体積も縮小するという。極端に海馬が委縮すると、記憶力が極端に低下してしまい、認知症にもなりやすい。つまり、骨芽細胞の多い少ないが、脳の老化を進めるかどうかを決めているというのである。

それだけではない、オステオカルシンが筋肉組織に届くと、筋肉組織の細胞を増加させて、筋力を上昇させる。さらに、オステオカルシンが精巣に届くと、テストステロンというホルモンを活性化させ、精子の生産力を向上させる。生殖能力を高めるのだ。一方、骨細胞から分泌されるオステオポンチンというホルモンが、人体の各組織に送られて、免疫力が活性化される。オステオポンチンが不足すると免疫力が低下して、ガンや生活習慣病、または重篤な感染症を引き起こすのである。

どうして骨が人体の老化を支配するのかというと、どうやら骨の状況によって寿命を延ばすかどうかを決めているのではないかと見られている。どういうことかというと、骨の密度が低下して骨粗しょう症の状況になってくると、もう無理して長生きさせる必要がないと記憶力や免疫力を下げるのかもしれない。さらには、筋力も低下させてしまうし生殖能力も必要ないと判断するのであろう。骨の状態を見て、少しずつ老化をさせて死を穏やかに迎えさせる準備をするとも言える。ある意味、高齢者には残酷なシステムとも言える。

その際、若返りをさせるオステオカルシンやオステオポンチンというホルモンを出す骨芽細胞を増やすかどうかを決めるのが、スクレロスチンというホルモンである。このスクレロスチンが骨細胞を作るかどうかのアクセル役とブレーキ役を果たしている。スクレロスチンが多いと破骨細胞が多くなり骨芽細胞が減少する。逆にスクレロスチンが少ないと破骨細胞が少なくなり骨芽細胞が増加する。つまり、スクレロスチンが少ないと骨細胞が増えるし、スクレロスチンが多くなると骨細胞が少なくなることが判明したのである。

スクレロスチンを少なくすれば、骨細胞を増やして老化を防げるし若返りも可能になる。このスクレロスチンの分泌量の多い人と少ない人の研究調査をしたら、運動する人が多いことが判明した。その運動も、骨に対してショックを与えるような運動こそ効果が高いという。つまり、ただ歩くだけでなく、走る、ジャンプする等、骨に対して負荷をかけることで、スクレロスチンが少なくなることが判明したのである。運動不足の人はスクレロスチンが増加して老化させて死に向かわせる。これは若者だって例外ではない。どんな運動が良いかというと、バレーボールやバスケなどが最適だが、ひきこもりの方にはチームスポーツは合わない。とすれば、軽い縄跳びや登山などがよいし、軽いジャンプをするダンスなども勧められる。ひきこもりは、病気になりやすいし老化が早まり長生きできないということであるから、少なくても運動することを薦めたい。心を動かすためにも、身体を動かすことが必要である。

 

自分の目で自分を見る

「僕らは奇跡でできている」というTVドラマで歯科医の水本先生がこんな台詞を言うシーンがある。「私は自分を自分の目で見ずに、いつも他人の目を通して自分を見ていた」と語り、いつも自分をいじめていたとも言い付け加える。これには伏線があり、主人公の高橋一生演じる一輝が水本先生に、「自分をいじめているんですね」と言われていたのである。人は、自分を自分の基準で評価せず、いつも他人による評価を気にしている。だから、必要以上に自分を大きく見せたりする。あるがままの自分を認め受け容れられないのだ。

人間という生き物は、動物と違い苦しい生き方をするものだ。他人が自分をどうみているかとか、他人からの評価をどうしても気にするものである。他人からの自分に対する批判を耳にすると、落ち込んでしまうし自分を責めてしまう傾向がある。自分の評価を自分ですればいいのだが、小さい頃からの習い性で、どうしても他人の評価を優先させてしまうものである。これは欧米人よりも日本人のほうが、陥りやすい落とし穴みたいである。何故かと言うと、日本人はアイデンテティの確立をしていないからではなかろうか。

アイデンテティとは自己証明と訳されている。他人が自分をどう見ようとも、自分は自分であり、他人の見方によって自分が変わることはないという自己の確立のことである。自分らしさとか、自分が自分である自己同一性とも言える。揺るがない自己肯定感を得るには、このアイデンテティを確立しなければならない。この自己同一性を持つ日本人が少なくて、欧米人が多い傾向があるのは、その信仰心による影響ではないかとみている人も少なくない。江戸時代は殆どの市民が自己の確立をしていたが、明治維新後に激減した。

何故、明治維新以降に自己の確立が出来なくなったかというと、近代教育のせいであろう。明治維新後に国家の近代化を推し進めようとした明治政府は、西郷隆盛を政治中枢から追い出して、欧米の近代教育を導入した。西郷隆盛は、欧米の近代教育導入は国を滅ぼすことになると頑迷に反対していたが、大久保利通らが無理やりに導入してしまったのである。この欧米型の近代教育とは、客観的合理性の教育であり、自分を自分の目で観るという内観の哲学を排除したのである。いつも自分を他人の目で見る思考癖を持ってしまった。

明治維新以後に欧米型の近代教育を受けた人間は、あるがままの自己を認め受け容れることを避けるようになった。自分にとって都合の良い自己は認め受け容れ、誰にも見せたくない醜い自己はないことにしてしまっている日本人が多い。つまり、他人の目をあまりにも気にするあまり、自分の恥ずかしくて醜い自己を内観することを避けてしまったのである。欧米人が日曜ミサや礼拝において、神職の前で醜い自己をさらけ出して、あるがままの自己を確立するプロセスを歩んだのと、あまりにも対照的である。

身勝手で自己中で、自分だけが可愛くて歪んだ自己愛の強い醜い自己を持つ日本人が異常に増えてしまったのである。だから、自己愛の障害を持つ人間が多いし、揺るがない自己肯定感を持つ人間が少ないのであろう。ましてや、主体性や自発性、責任性などの自己組織性を持つ日本人も極めて少なくなってしまった。これも、日本の近代教育の弊害とも言える。日本の教育における多くの問題の根源も、近代教育の悪影響であると言えよう。家庭における虐待や暴言・暴力、夫婦間の醜い争い、親子間の希薄化した関係性、パーソナリティ障害の多発、愛着障害の多発生、それらのすべての発生要因は、自己の確立が出来ていないことに起因していると言えよう。

あるがままの自分を自分の目で見ることは、ある意味怖ろしいことである。醜い自己を自分の心の中に発見したら、自分を否定することになるからである。だから、誠実で素直な内観を避けたがるのであろう。他人の目で自分を見ていたほうが楽であるし、自分の醜い自己を見なくても済むのである。しかし、これではいつまで経ってもアイデンテティの確立は出来ない。この自己マスタリーという行為を成し遂げないと、一人前の人間として欧米人は認めない。欧米人から最近の日本人が信頼されにくくなり尊敬されなくなったのは、アイデンテティの確立をしていないからである。もう、他人の目で自分を見るのは止めて、あるがままの自分を自分の目でみようではないか。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、あるがままの自己を認め受け容れる自己同一性を持つための研修をしています。この自己マスタリーを学ぶ勉強会を、ご希望があれば随時開催できます。ご希望があれば、問い合わせフォームからご相談ください。

長期の権力集中は腐敗を生む

日産自動車のカルロス・ゴーン会長が金融商品取引法違反容疑で逮捕された。日産の経営立て直しを実現させた功労者であり、日産自動車の躍進を支えた名経営者として評価されている。彼の図抜けた剛腕ぶりは、社内では恐れられていて、長い期間に渡りトップ経営者として君臨した。1999年低迷していた日産自動車を、ルノーの副社長からCOOとして乗り込んで、見事にV時回復させたのである。その経営手腕は経済界でも一目置かれていて、毎年10億円以上という破格の役員報酬を得ていたと、話題をさらっていた。

カルロス・ゴーン会長は、日産自動車の内部調査によって会社資金を私的に支出していたことが判明したという。内部告発で密かに内部調査を進めていて、確証が掴めたらしく取締役会で会長と取締役の解任を提案するという報道がされている。あれほどの絶対的権力を握っていたゴーン会長があっけなく失脚するなんて驚きである。絶大な権力を持って大胆な経営改革を断行して、多くの社員と協力企業を切り捨ててきたゴーン会長が、内部告発によってその絶大な権力を失うなんて、実に皮肉なものである。

日産自動車がV字回復をしたことを、ゴーン会長の経営手腕だと評価し、素晴らしいイノベーションだと称賛される一方で、まったく評価に値しないというアナリストも少なくない。あの大胆な資産の投げ売りとリストラは、将来の日産自動車に暗い影を落とすに違いないと見ている。譲渡してしまったいろいろな資産は、将来の日産にとって必要不可欠な良好な資産もあり、苦しい現状を乗り切る為とは言え、実にもったいないことをしたと嘆く人も多い。さらに、過激なリストラによって将来性のある優秀な社員を失ったとも言える。

また日産自動車が不正検査による不祥事を起こしたが、あれもゴーン体制が引き起こしたとも言われている。あれほど日産と経済界から称賛されていたのに、カルロス・ゴーンの名誉も地に堕ちたとも言えよう。それにしても、何故にゴーン会長は法を犯すようなことをしたのだろう。また、日産自動車という会社はゴーン会長の暴走をどうして止められなかったのであろうか。日本を代表するような大企業が、こんな子どもでも解りそうな誤魔化しを許したのか。自浄能力のない会社なら、実に情けない。

昔から、権力者は長い期間に渡りトップに君臨すると、汚職に走りやすい。だから公務員は同じ部署に長期間勤務させないし、同じ管理職を続けることを避ける。オーナー経営者は別としても、民間企業における雇われ経営者だって長期間同じトップだと腐る可能性が限りなく高くなる。流れない水は腐ると言われる所以である。これは経済界だけではない。政界においても長期政権が利権を私物化したり汚職したりするケースが多い。だから、大国の大統領は複数回の就任に制限を加えているのである。

日本の自民党も、過去にあった汚職や利権の私物化を受けて、総裁を3期以上続けることに制限を設けていた。自浄能力が発揮できなくなることを怖れての処置である。ところが、今回3期までの総裁を認めるだけでなく、4期までも認める規則改正を見込んでいるらしい。これでは、日産自動車の二の舞になりかねない。本人だけでなく、取り巻き連中やトップに親しい奴らが汚職のようなことを平気でやり出すのだ。森友加計問題のような事件が、益々増えて来るに違いない。権力や利権に群がる輩が、暴走するリスクが高まるのではないだろうか。自民党議員の良識に期待したいものである。

日産自動車で、どうしてこんな不祥事が起きたのであろうか。それは、経営理念が企業内にしっかりと根付いてなかったか、もしくは経営理念が機能していなかったに違いない。経営理念または企業理念と言うのは、企業経営をする目的のことあり、正しい普遍的な価値観がなければ、適切な経営の目的は作れない。日産自動車の役職員に、高い価値観に基づく経営哲学がなかったと断じなければならない。なんとも情けない話である。日産自動車は膿を出し切るだけでなく、しっかりした企業理念を作る為にも、高い価値観に基づく経営哲学を持つ経営者の体制に生まれ変わってほしいものである。