キレるのは何故か~脳科学的検証~

高速道路でのあおり運転から事故死を招いて、危険運転致死傷罪で23年の求刑をされた被告運転手がいた。まだ判決は出ていいが、この被告は運転中に何度もキレていたと交際していた女性が証言していた。最近、このような危険なあおり運転が続発しているが、その殆どのケースで運転手がキレていたと思われる。車というのはある意味凶器にもなりえる。そんな凶器を操っている人間が、こんなにも簡単にキレてしまえば、周りの善良な運転手と同乗者は大変なリスクを背負うことになる。死と隣り合わせのドライブと言えよう。

隣国の韓国では、最近飲食店や販売店に訪れたお客が、突然キレて店員に暴力を奮う事件が続発しているらしい。韓国のケースでは、この様子を動画で録画していた他の客がSNS上にアップして、人物が特定されてしまうという。この人物はネット上で炎上するだけでなく、警察にも摘発されてしまい、深く反省させられるという。韓国ではこのキレる客が多いことから社会問題化してしまい、労働法を改正せざるを得ない状況に追い込まれているくらい深刻だという。韓国ではキレた経営者が社員を暴行する事件も起きている。

日本や韓国で、どうしてこんなにもキレる人間が多くなっているのであろうか。我慢できない人間が増えているとも言えるが、何故こんなに忍耐力を持てなくなっているのか、脳科学的に検証してみたいと思う。怒りや憎しみの感情などを起こすのは大脳辺縁系における偏桃体だと言われている。キレるというのは偏桃体が暴走した状態と言えよう。この偏桃体の働きを抑えるのは前頭前野である。前頭前野が正常に発達していると、偏桃体が暴走するのを鎮めてくれるらしい。偏桃体が異常に働きすぎることと前頭前野の未発達がキレる原因を作っているのではないかと見られている。

キレる原因はこれだけではない。セロトニンの分泌が少ないとキレやすいとも言われている。脳幹部に近いところにある縫線核という箇所に、セロトニン神経の細胞が集中している。このセロトニン神経が、現代の過剰なストレスや疲れ、または不眠などにより、セロトニン神経が疲弊しているとキレると言われている。さらに、低血糖状態でキレることが解明されている。現代の食生活の乱れが血糖値の不安定を呼んで、低血糖状態を起こしてキレる。糖分や糖質の多い食べ物や飲み物を好んで飲食する生活が、キレることに繋がる。

偏桃体や前頭前野の異常、そして脳幹部の縫線核の機能低下、さらには食生活の乱れがキレるという症状を起こしているのである。現代人における、運動不足・不眠などの生活習慣の乱れもキレやすくさせている。自然派の医師たちは、農薬と化学肥料使用の農産物・人工の食品添加物・殺菌剤・ホルモン剤や抗生物質投与の畜産物や魚介類・ワクチン投与・牛乳の摂取なども脳や人体システムの異常を起こしていると主張している。そういう意味では、小さい頃からの食生活も含めた生活習慣が大切だと言える。ましてや、セロトニン不足がキレるというのであれば、親からの愛情不足も影響しているかもしれない。

現代人がこんなにもキレやすくなっているというのは、別の視点から考察すれば、このままに推移していくと、社会生活が安心して送れなくなってしまうということになる。街を歩いていて、ちょっとした動作や表情が気に入らないからと、突然暴行を奮われることになり兼ねない。車の運転だって、いくらドライブレコーダーを積載して抑止効果はあっても、あおり運転をされる危険性がまったくなくなる訳ではない。ましてや、激高した人間は後々のことなんて考えない。一度キレてしまえば周りの人が止めてもブレーキが効かなくなる。車を運転するのは楽しい筈なのに、おどおどしながらドライブするしかなくなる。

こんなキレるような人間を生み出している責任は、すべてではないにしても、保護者にあると言える。小さい頃から愛情いっぱいに育てて、正しい食生活を心がけ、運動や自然体験をたっぷりとさせて、豊かな想像力と感性を育むことが大切だ。しかも、前頭前野を正常に発達させるには、正しい価値観の教育が必須である。人は何故生まれてきたのか、どう生きるべきかという人生哲学を育むには、根底となる宇宙の真理に基づく価値観が必要になる。自分の為だけでなく、周りの人々や世界人類を幸福にすることが人間としての務めであると、具体例や物語として教えてくれる大人が必要だと言える。これがキレる人間をこれ以上生み出さない唯一の方策である。

※キレやすい我が子、またはキレる社員がいて困っている方がいたら、「イスキアの郷しらかわ」の研修を受講されることをお薦めします。キレる本人だけでなく、親、または企業の管理者がキレる人間をどう扱うかという学びも可能です。自分がどうしてキレるのか悩んでいらっしゃる方には是非受講してもらいたいと思っています。問い合わせフォームからご相談ください。

NOと言える企業風土なら伸びる

個人経営の企業や商店でしかもワンマン社長のケースでは、自分の信念など忘れたようにイエスマンを演じている社員・店員がいる。いや、信念そのものがないような振る舞いを平気でしている社員が所属している例が多い。社長・店主に逆らえば、会社を去るしかないと思い込んでいるのかもしれないが、絶対に反対意見を述べない社員が殆どだ。いわゆる裸の王様状態であり、それを社長自身も気付いていない会社が多い。ワンマン社長が悪い訳ではない。最終的には、社長が決断して責任を取るのだから、ワンマンであっても良い。しかし、社員が意見まで言いにくい環境になっているのは問題であろう。

役員のように自分の地位や待遇を守る為には、ある程度は社長に追随しなくてはならない。それでも、社長が経営の為に必要な情報を持ちえない場合は、その情報が社長の望まない情報であったとしても伝えるべきであろう。たとえ機嫌を損なったり自分に風当たりが強くなったりするような、都合の悪い情報であったとしても提供すべきであろう。その情報が伝えられなければ、経営や重要な決定において誤る可能性が高いならなおさらである。ところが、得てして地位が高くなればなるほど、社長に評価されればされるほど、追随を通り越して、社長に追従してしまうケースが多いのである。

このような企業は外から見ると社長を中心にして一枚岩のように見えているし、ある程度は安定経営をしているが、残念なことに伸びないのである。何故かというと、一つは必要な情報が社長に集まらないからである。それも、社長にとって都合の悪い情報や、社長が機嫌を悪くするような情報が伝わらないのである。社長の機嫌を損なったり叱られたりするのを避けたいと、会社経営には絶対に必要な情報も敢えて伝えないようになるからである。さらに問題なのは、社員たちが自分たちで即断出来なくなることである。社員すべて社長の判断を仰ぐようになり、スピードが必要な判断が出来ず、対応が後手に回るケースが増えるからである。

もっと悪い状況が起きる。社員が伸びないのである。自己成長や自己実現をする社員がいなくなるという状況が起きるのは、企業にとって致命的となる。自発性、自主性、主体性という会社を構成する社員が絶対に必要とする人間性が欠落してしまうことになる。しかも、責任性さえも持てなくなるから最悪である。社員は指示されたことだけをするようになるし、責任を問われるようなことは絶対にしなくなる。会社にとって最善となる処理さえも、後から責任を追及されるのが嫌だから、見て見ぬふりをする。問題の先送りという由々しき事態が起きる。後で大問題になるようなことにさえ、社員は目をつぶることになってしまうのである。

やがて、もっと最悪な状況が社内に起きる。社内の人間関係が最悪になるのである。社長ににらまれないようにするし、社長に気に入られようとする社員たちは、お互いに協力しなくなる。何故なら、行き過ぎた競争原理が働いてしまい、周りの人々の悪口を平気で言うようになるし、競争相手の失敗を望むようになるのである。お互いに必要な情報交換、共に協力が必要な問題解決がまったくなくなるからである。社員の関係性が悪くなれば、社内の問題はまったく解決されず先送りされて、やがて問題は先鋭化・巨大化していき、取り返しのつかない状況に陥る。関係性が悪くなるから、優秀な社員ほど辞めていくし、やる気をなくすのである。メンタル障害者も多発するし、離職者や休職者も多くなる。

業績が伸びている会社、さらにはイノベーションを起こして発展している会社は、社員がいきいきとしている。社員が自発性や主体性をいかんなく発揮している。そして、自らが率先してリスクとコストを引き受ける。つまり、社員が責任感をいかんなく発揮しているのである。会社が大きく発展しているというのは、何も社屋や組織、売り上げや社内留保、時価総額が大きくなることではない。社員がおおいなる成長をして、人間性の優秀な社員が増えることである。そうすれば、収入の伸びよりも収益性が高くなるし、常に新しい価値を創造して、社会に提供している。つまり、おおいに地域貢献・社会貢献をしている会社になるのである。そういう会社は間違いなく、安心してNOと言える社内風土がある。

※NOと言える会社風土を創るための研修を、イスキアの郷しらかわでは実施しています。また、集合研修だけでなく、実際に企業を訪れて職場の診断とOJT指導をすることも可能です。メンタル障害が多発するとか、離職者や休職者が多いという職場は、風通しが悪くNOと言えない環境なのかもしれません。お悩みの人事担当や経営者の方は、問い合わせフォームからご相談ください。

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詐欺や偽投資話に騙されない為に

ジャパンライフという会社が2,000億円の負債を抱えて倒産したというニュースが流れた。投資した多くの出資者は、その投資額の殆どが戻らないと言われている。なけなしの退職金をつぎ込んだり、細々とため込んだ虎の子の老後資金を投資したりしてしまい、これから生活もままならないという可哀想な人もいるという。最初から巧妙に騙そうとしたのではないかと疑われている。騙されるほうも悪いなんてことは言わないが、どうして人はこんなにも簡単に、儲け話やうま過ぎる話に騙されてしまうのであろうか。

世の中において、巧妙に詐欺を働く人間は後を絶たない。天下の一流企業でさえころっと騙される世の中である。積水ハウスが地面師グループに55億円を騙し取られる詐欺事件が起きたのは記憶に新しい。なりすまし詐欺事件も、これだけ注意喚起されているのに、続々と起きている。高齢者を騙す、偽請求事件や偽投資話も増えている。結婚詐欺も巧妙化していることもあるが、騙されてしまう人も少なくない。人間と言うものは、実際に痛い目に遭わないとその怖さを認識できなくて、騙されてしまう生き物なのだろうか。

詐欺に遭ってしまうという人は、疑うことをしない人で素直に信じてしまう人なのかというと、実はそうではないらしい。客観的に、そして合理的な判断をする傾向にある人だというのだ。そして、知識や教養もあり、高い学歴もあり知能も高いという。だから、どうしてこんなにも簡単に騙されるのか、不思議でならないと警察関係者は言うのである。だとすると、誰でも騙されるのかというと、そうでもないという。騙されない人というのは、どんなに巧妙に仕組まれたとしても、絶対に詐欺には引っかからないらしいのだ。

それじゃ、騙される人と騙されない人との違いは何なのか、それが解れば詐欺に遭わない方法が解るであろう。詐欺に遭う人が居なくなれば、詐欺という行為をする人がいなくなるというものだ。積水ハウスの詐欺事件でも、この地面師たちは違う不動産会社にこの話を持ち掛けたが、疑われてしまい失敗したという。その際に、この売買交渉に当たった不動産会社の社員は、地面師たちとの会話から何かおかしいぞと感じて、断ったらしい。積水ハウスの社員は嘘を見抜けなかったことになる。その違いは何だろうか。

その違いのヒントは、松下電器産業の創始者松下幸之助氏が著作の中で述べている。松下幸之助氏の元には、儲け話を持って沢山の人たちが集まったという。それらの儲け話によって、幸之助氏は一度たりとも騙されたことがなかったというのだ。巧妙な嘘をすぐに見破ったし、そんな騙しには乗らなかったというのである。それらを判断する際に、基準としたのはこういうことである。氏は最初から疑わしいぞと先入観を持って話を聞いたことがないというのである。相手の話を100%信じて聞いたというのである。それも、相手の気持ちに成りきって、あたかも自分のことのように聞いたのだ。

そうすると、こんなにもおいしい話をどうして私の処に持ってきたのか不思議だと感じるというのだ。こんなにも儲かるような話なら、自分なら独り占めしたくなる。それを敢えて他人である私に何故儲けさせようとするのか、おかしいと気付くというのである。そして、相手の話を疑いもせずありのままに聞くことによって、相手の本音が認識できるというのである。ありえないようなうまい話を持ってきたら、うさん臭いぞと思うのが普通の感覚である。そうすると、騙そうとする人はありえないことがあり得る根拠をこれでもかというくらいに羅列する。聞いているほうは、一時は疑っていたのに疑問点がすべて解消されることによって、徐々に信じてしまうのであろう。客観的合理性の考え方をしている人が騙されるのは、こういう仕組みなのである。

騙そうとする人は、相手の弱いところや足りない部分を巧妙に見抜く。そして、騙そうとする相手の欲望や弱点をついてくる。騙す人は、そういう意味では客観的合理性の感覚ではなく、相手の気持ちを解ろうとする努力を続けるのである。想像力や感受性が強い人間しか、詐欺行為は務まらない。相手の気持ちが手に取るように解るからこそ、相手の欲しいものを提供しようと提案するのである。ということは、巧妙な詐欺に騙されないようにするには、客観的合理性の考え方にとらわれず、ある意味では主観的でしかも関係性を重視する考え方を持つことである。近代教育は、客観的合理性を重視しているあまり、皮肉にも騙されやすい人間を育てているとも言える。近代教育の見直しが必要であろう。

 

※イスキアの郷しらかわでは、客観的合理性の近代教育によって作られてしまった人間性を、主観的互恵関係の研修によって改善することをサポートしています。ある意味、歪んでしまったメンタルモデルを改善する研修でもあります。問い合わせフォームでご相談のメッセージをください。

酔いどれパイロットと問題飲酒

飲酒をしていながら飲酒テストを不当にすり抜け、乗務しようと企んだパイロットが英国で逮捕された事件が起きた。このように飲酒して乗務しようとする事態はJALだけでなくANAでも度々起きているというから驚きだ。大勢の乗客を乗せて飛ぶ大型旅客機の操縦士が、飲酒しながら操縦かんを握るなんて考えられない。地上を走るバスの運転手だって許せないが、より高度な操作を要求される大型旅客機のパイロットが、飲酒してコクピットに座るなんて考えられない異常事態だ。

このパイロットは、今回が初めだったとは思えない。たまたまバスの運転手が気付いたから解ったのだろうが、今までは見過ごされてきたこともあったに違いない。同乗勤務していた他のパイロットたちも狭いコクピットなのだから、酒臭いのは感じていただろう。それなのに、見て見ぬふりをしていたものと推測される。ひどい会社があったものである。人命軽視も甚だしい。国内線では何度も飲酒パイロットのせいで遅延があったというのだから、そういう体質の会社だと思われても仕方ないだろう。

前の日に飲んだとの報道であるが、おそらく勤務数時間前まで飲んでいたものと思われる。12時間前までしか飲酒が認められていないというが、大量に飲酒したら12時間で完全に酔いが覚めないケースもあろう。また、そもそも乗務前12時間前だといっても、前日に大量飲酒をすること事態通常考えられないことである。普通の人の感覚なら、勤務の前日は酒を控えるだろう。おそらく、毎日のように大量飲酒していたと思われる。もしかすると、アルコール依存症に近い状態にあったのではないだろうか。

パイロットという職業は、多くの人命を預かる使命があるうえに、航空機という巨大な鉄の塊を安全に飛ばさなければならぬ大きなプレッシャーと共にストレスが伴うことだろう。前日、眠りが浅くなってしまうこともあろう。だから、アルコールの助けを借りて眠る気持ちも解らないでもない。しかし、このようなお酒の飲み方は、大変なリスクを伴うことぐらい百も承知であろう。会社にも専門の精神科医がいるに違いない。このようなアルコール摂取は習慣化するし、アルコール依存症になりやすいことを周知していた筈だ。

それなのに、パイロットのアルコール摂取による遅延事故が毎年複数件起きているというのは、自己管理できていない酔いどれパイロットが相当数存在している証でもある。そして、これらの状態を会社が見逃していたということになる。会社の人事管理や健康管理がおろそかになっている証拠でもある。パイロットというと、航空会社の中ではエリート中のエリートである。だから、自己管理が出来ている筈だと思い込んでいたに違いない。それは浅はかな考えであろう。教養が高くて分別があってもアルコール依存症になるのである。人事管理や業務管理が徹底されていなかったと言えよう。

これらの飲酒による遅延事故があまりにも多いので、12時間前までの飲酒を認めていたが、24時間前までという制約に変更した航空会社も増えてきたらしい。飲酒テストもより厳密になる傾向らしい。しかし、そもそもこんなに厳しくする必要があるのだろうか。飲酒するかどうかは、本人が選択するべきであり、そんな厳しい飲酒管理を会社がしないと飲酒運航事件が起きるというのは、分別ある大人の成熟社会ではありえないことである。自己管理が出来ない人間が、人々の生命や安全の鍵を握っているなんてことが許される訳がない。厳しいルールに縛られないと正しい飲酒が出来ないような人間に、自分の命を預けることは出来ないと思うに違いない。

実は、パイロットだけでなく医師や高級官僚たちにも、飲酒の自己管理できない人間が多いのである。また、企業の経営者や役員、著名な政治家や首長にも飲酒の自己管理が出来ない人間が少なくない。その証拠に、飲酒時にセクハラやパワハラ事件を起こす人間が多い。世間からすれば、立派な学歴や経歴を誇るような人間は、自己管理できているからこそ、業務が遂行できると思い込んでいる。しかし、飲酒の自己管理出来ないような人間には、重要な仕事は任せるべきではない。何故なら、問題飲酒をするような人間には、そもそも正しい理念や思想哲学がないからである。そして、その理念の基になる崇高な価値観を持たないのである。だから、いくら高い学歴や教養があっても、自己管理が出来ないのである。人の上に立つような人物には、価値観の学習こそが必要である所以である。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、飲酒の自己管理ができない役職員、または問題飲酒の傾向がある幹部の役職員のための、『問題飲酒を解決する価値観学習』という研修をしています。飲酒のために健康を損なってしまっているような社員も対象です。このような問題飲酒は、医療やカウンセリングでは完全治癒が難しいのです。価値観の学習と思想哲学、正しい理念を持つことでしか克服することはできません。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

自分の目で自分を見る

「僕らは奇跡でできている」というTVドラマで歯科医の水本先生がこんな台詞を言うシーンがある。「私は自分を自分の目で見ずに、いつも他人の目を通して自分を見ていた」と語り、いつも自分をいじめていたとも言い付け加える。これには伏線があり、主人公の高橋一生演じる一輝が水本先生に、「自分をいじめているんですね」と言われていたのである。人は、自分を自分の基準で評価せず、いつも他人による評価を気にしている。だから、必要以上に自分を大きく見せたりする。あるがままの自分を認め受け容れられないのだ。

人間という生き物は、動物と違い苦しい生き方をするものだ。他人が自分をどうみているかとか、他人からの評価をどうしても気にするものである。他人からの自分に対する批判を耳にすると、落ち込んでしまうし自分を責めてしまう傾向がある。自分の評価を自分ですればいいのだが、小さい頃からの習い性で、どうしても他人の評価を優先させてしまうものである。これは欧米人よりも日本人のほうが、陥りやすい落とし穴みたいである。何故かと言うと、日本人はアイデンテティの確立をしていないからではなかろうか。

アイデンテティとは自己証明と訳されている。他人が自分をどう見ようとも、自分は自分であり、他人の見方によって自分が変わることはないという自己の確立のことである。自分らしさとか、自分が自分である自己同一性とも言える。揺るがない自己肯定感を得るには、このアイデンテティを確立しなければならない。この自己同一性を持つ日本人が少なくて、欧米人が多い傾向があるのは、その信仰心による影響ではないかとみている人も少なくない。江戸時代は殆どの市民が自己の確立をしていたが、明治維新後に激減した。

何故、明治維新以降に自己の確立が出来なくなったかというと、近代教育のせいであろう。明治維新後に国家の近代化を推し進めようとした明治政府は、西郷隆盛を政治中枢から追い出して、欧米の近代教育を導入した。西郷隆盛は、欧米の近代教育導入は国を滅ぼすことになると頑迷に反対していたが、大久保利通らが無理やりに導入してしまったのである。この欧米型の近代教育とは、客観的合理性の教育であり、自分を自分の目で観るという内観の哲学を排除したのである。いつも自分を他人の目で見る思考癖を持ってしまった。

明治維新以後に欧米型の近代教育を受けた人間は、あるがままの自己を認め受け容れることを避けるようになった。自分にとって都合の良い自己は認め受け容れ、誰にも見せたくない醜い自己はないことにしてしまっている日本人が多い。つまり、他人の目をあまりにも気にするあまり、自分の恥ずかしくて醜い自己を内観することを避けてしまったのである。欧米人が日曜ミサや礼拝において、神職の前で醜い自己をさらけ出して、あるがままの自己を確立するプロセスを歩んだのと、あまりにも対照的である。

身勝手で自己中で、自分だけが可愛くて歪んだ自己愛の強い醜い自己を持つ日本人が異常に増えてしまったのである。だから、自己愛の障害を持つ人間が多いし、揺るがない自己肯定感を持つ人間が少ないのであろう。ましてや、主体性や自発性、責任性などの自己組織性を持つ日本人も極めて少なくなってしまった。これも、日本の近代教育の弊害とも言える。日本の教育における多くの問題の根源も、近代教育の悪影響であると言えよう。家庭における虐待や暴言・暴力、夫婦間の醜い争い、親子間の希薄化した関係性、パーソナリティ障害の多発、愛着障害の多発生、それらのすべての発生要因は、自己の確立が出来ていないことに起因していると言えよう。

あるがままの自分を自分の目で見ることは、ある意味怖ろしいことである。醜い自己を自分の心の中に発見したら、自分を否定することになるからである。だから、誠実で素直な内観を避けたがるのであろう。他人の目で自分を見ていたほうが楽であるし、自分の醜い自己を見なくても済むのである。しかし、これではいつまで経ってもアイデンテティの確立は出来ない。この自己マスタリーという行為を成し遂げないと、一人前の人間として欧米人は認めない。欧米人から最近の日本人が信頼されにくくなり尊敬されなくなったのは、アイデンテティの確立をしていないからである。もう、他人の目で自分を見るのは止めて、あるがままの自分を自分の目でみようではないか。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、あるがままの自己を認め受け容れる自己同一性を持つための研修をしています。この自己マスタリーを学ぶ勉強会を、ご希望があれば随時開催できます。ご希望があれば、問い合わせフォームからご相談ください。

グレイヘアは自分を解放する

グレイヘアが静かなブームを呼んでいるらしい。自分自身も3年前からヘアカラーで黒髪に染めるのを止めてグレイヘアにしたのだが、自分でもとても気に入っている。男性がカラーリングを止めてナチュラルヘアにするのは抵抗がないだろうが、妙齢の女性が黒髪からグレイヘアにするのは勇気がいるに違いない。それでも敢えて黒髪に染めずに自然のままにするという女性が増えているというのだ。それは、自分が自分らしく生きるという選択をして、自分の姿と心をありのままでもいいんだと解放することに繋がるというのだ。

女性はおしなべておしゃれであるし、みだしなみに気を付けている女性が圧倒的に多い。白髪という言葉のイメージがあまりにも悪い。グレイヘアと呼ぶならば印象も良いから、染めないという選択をする人もいるだろう。だとしても、やはり白髪のままでいるのは避けたいであろう。ましてや、ビジネスの場面に居続けるにはグレイヘアでいるのは抵抗感があまりにもある。白髪のままでいるのは、面倒くさがり人間とか、だらしない人だと見られやすいことも影響している。染めるという無難な選択をせざるを得ないであろう。

今までも60代以上の男性の中には、敢えて染めなくてもおしゃれに見せられる芸能人がいた。代表的な芸能人としては、吉川晃司、柴田恭兵、渡辺篤郎、舘ひろし、柳葉敏郎などである。彼らは大物芸能人と呼ばれて、存在感のある演技にも定評があるし、人間としても魅力あふれる成熟した大人である。女性芸能人でも、グレイヘアが似合う人が増えてきた。草笛光子、中尾ミエ、永作博美、有働由美子は素敵なグレイヘアを見せている。彼女らは、グレイヘアであっても仕事が減らず、逆に増えているという。

元フジテレビのアナウンサー近藤サト女史が、悩みに悩んだ末にグレイへアを選んで、自分らしく生きることを選んだという。若い頃から白髪が増えてしまっていて、アナウンサーを続けるためにはカラーリングが必要だと自分に言い聞かせてきたらしい。しかし、本来の自分の姿を押し隠してまでして、偽りの自分を多くの視聴者に見せていることに違和感を覚えたという。それは、自分の心までも偽ることに通じはしないかと悩んだという。あるがままの自分を見せたいと決断し、グレイヘアでTVに出ることにしたという。

人は誰でも、自分の醜い部分を隠しておきたいものだ。いつまでも美しい自分でありたいし、他人には美しい自分を見せ続けたいであろう。ましてや、美貌を売り物とする芸能界であれば、若い年齢でグレイヘアをさらすのは自殺行為にも等しい。白髪の頭では仕事もなくなるのではという恐怖感にさいなまれることだろう。しかし、それは本当の自分を隠すということであり、本当の自分を否定するということでもある。人間は、自分の醜い心を隠して生きているが、それが故に生きづらい人生を歩むことにもなる。白髪を隠して生きるというのは、本当の心を隠して生きることに通じるのかもしれない。

白髪を染めずにグレイヘアを敢えて見せることをした女性たちは、おしなべてその時点から生き生きとした人生を歩んでいるという。それまでは、避けていたパステルカラーのファッションに身を包むのが楽しいと言っている。ピンクやクリーム色の服が実に似合うようになったと喜んでいるらしい。表情も明るくなり、いつもけれんみのない笑顔がはじけるという。そして、あるがままの自分を見せることで、自己肯定感が強くなったと口を揃えて微笑む。自分らしさを誇らしく思えるようになったと言うのである。

人間というのは、自分を見る際に自分の目を通して観るのでなくて、いつも他人の目を通して観察したがるものである。特に日本の女性は、男性から見たらどう思われるかという視点から自分を評価したがる傾向にあるらしい。だから、必要以上にフェミニンなファッションに身を包みたくなるし、可愛いと言われたいらしい。本来は、自分の価値観や自分らしさに見合った服装やメイクをしたいのに、他人の目を気にするあまり、あるがままの自分をさらけ出せない女性が多いということだ。グレイヘアを選択する女性が増えてきたというのは、あるがままの自分を見せることが出来る自立した女性が増加してきたと思われる。グレイヘアは、自分を解放することに繋がるのだろう。

一芸に秀でる者は多芸に通ずる

京都大学特別教授の本庶佑氏が、ノーベル医学生理学賞に輝いた。彼は、実に多趣味である。一芸に秀でる者は多芸に通ずという諺があるが、まさにその諺通りの理想的な人物である。医学の分野、特に免疫学においては世界のトップクラスの研究者である。まさに一芸に秀でている。多芸においては、ゴルフと楽器演奏など多数の趣味を持つ。ゴルフはシングル並みの腕前で、ゴルファーなら憧れのエイジシュートを目指しているというからすごい。楽器演奏では、京都大学楽団で演奏の難しいフルートを吹いていたという。

ゴルフと言えば、やはりノーベル医学・生理学賞を取得した大村智北里大学特別栄誉教授もシングルハンデの腕前だと言われている。さらに、優れた経営手腕もあり、赤字続きだった北里研究所を黒字化したマネジメント力もすごい。経営改善のために、経営学を真剣に学んだと伝わっている。大村氏は、美術コレクターとしても玄人なみの眼力もあったらしい。また、温泉まで掘り当てることに成功したとのこと。ゴルフ好きのお陰で、名門コースの川奈ホテルゴルフ場から持ち帰った土で、エバーワクチンの開発に成功したという。

このように自然科学の学者というと、スポーツが苦手で超インドア派のガリ勉タイプを思い浮かべるが、世界に通用する超一流の学者は、多芸にも一流なのである。手前味噌になってしまうが、自分でも呆れるくらいの多趣味である。ゴルフ、登山、カメラ、料理、読書、テニス、PC、等々上げればきりがない。ゴルフはベストスコアが本庶氏と同じ78であるし、登山ガイドは10年以上続けている。残念ながら、器用貧乏というのか秀でた一芸はない。芸は身を助けるというが、趣味のお陰で充実ライフを過ごしている。

どうして多芸であることが一芸に秀でることになのか、詳しく考察してみよう。社会一般で言われているのは、いろんな趣味を楽しむことにより多眼的な視点と柔軟な思考力を持つことが出来るし、想像力と発想力が養われるということだろう。専門バカになることを防ぐことにもなろう。いずれにしても、昔からだいそれたことを成し遂げるような人物は、『遊び』が上手だった。その遊びが、泥臭くなくて洗練されてもいた。一流の人間は、遊びも一流なのであろう。遊びも出来ない人間が、世界的に認められる人物たりえないのだ。一流の人間は文武両道が基本であろう。

さらに、多芸ということを拡大解釈すれば、『統合』というキーワードに思いを馳せる。ノーベル賞の自然科学3分野である物理学、化学、医学・生理学は、現在はそれぞれの分野を分けるのが難しくなっているという。何故なら、それぞれの分野はお互いに影響し合っているし、3分野を統合しないと真理が明らかにならからである。最先端の科学研究では、すべての学問を統合して研究しないと、正しい法則を導き出せないことを科学者たちは認識せざるを得なくなっている。さらに、自然科学と社会科学も統合されつつある時代である。科学と哲学さえ統合され、科学哲学が最先端の学問になりつつある時代でもある。

古川学園高校(旧古川商業高校)の女子バレー部を率いて、当時無名の高校だったのに12回の全国制覇を成し遂げたのは国分秀男監督である。彼は、赴任当時バレーの技術と知識は素人同然だったが、猛勉強をしてバレーの指導術を得た。それと同時に、経営学を学んだ。選手たちの育成管理とチーム運営には、経営学が必要だと認識したからである。ドラッカーやジャック・ウェルチの本を読み漁って、チーム管理に生かした。かのアインシュタインは、科学の発展進化には形而上学(神智学)が不可欠だと主張していた。ノーベル賞を取るような最先端の欧米の量子力学の科学者たちは、押しなべて仏教哲学に傾倒しているという。

宇宙の万物がこの現実の世界に生成し、それが発展進化し存在するための法則(真理)を見極めるには、物理学だけでは困難である。化学、生物学、分子細胞学、医学、大脳生理学などの自然科学だけでなく、神智学、人智学、哲学、人間行動学、社会システム学などの社会科学にも精通していなければ普遍的な真理には到達できないことが判明しつつある。医学の世界では、脳外科、消化器外科、整形外科、精神科、循環器内科、眼科などの単科に精通していても、病気の原因は分からないことから、総合診療科や統合診療への流れが加速している。人体を全体の「システム」として考えないと、病気の原因と治療が出来なくなっているのである。これからの時代は、一芸だけを極めるには、まさに多芸としての『統合』が必要不可欠なのである。

京大卒のノーベル賞が多い訳

今年のノーベル医学生理学賞を本庶佑氏が受賞した。がんの免疫療法の画期的方法を開発した成果を認められたという。この免疫システムを利用して、がんの特効薬が開発されて既に臨床に用いられ、多くのがん患者を救っていると言われている。本庶氏は、京都大学医学部卒で、現在は特別教授を務めている。日本を代表する国立大学と言えば東京大学と京都大学であるが、自然科学分野のノーベル賞を取るのはどういう訳か京都大学出身者が多いのは不思議である。

ノーベル賞の受賞者が卒業した大学を調査すると、やはり東京大学と京都大学の出身者が図抜けて多い。どちらも8名ずつである。そのうち、人文科学分野は3人ですべて東京大学出身者である。ということは、自然科学分野の受賞者に限ると東京大学が5人、京都大学は8人になる。自然科学分野というと、物理学賞、化学賞、医学生理学賞であるが、科学者にとってはノーベル賞を取ることが世界で一流の研究者として認められるということなので大変な名誉である。それが東大卒よりも京大卒が多いというのは驚きである。

この不思議さというのは、たまたま偶然であろうと思う人も多いに違いない。しかし、考えてみてほしいのだが、京都大学に在学している方と卒業している方には失礼だが、東大のほうが入学試験の偏差値は高い。それなのに、ノーベル賞の自然科学分野で圧倒的に東大よりも京大が多いと言うのは考えられないことなのである。東大といえば、卒業後にキャリア官僚になる人が圧倒的に多いし、自然科学分野の研究者も優秀な方が多いのは当然であろう。それなのに、自然科学分野で京大の後塵を拝するのは考えられないのである。

何故、京都大学卒のほうが東京大学卒よりも自然科学分野でノーベル賞を取る人が多のか、やはりそれなりの訳があるとみたほうが自然であろう。自然科学分野において、東大と京大の学生及び研究者における違いは何なのであろうか。そのことが明らかになれば、東大の研究者がこれからノーベル賞を取るような研究成果を上げることが可能になるに違いない。ひとつのヒントとしてあるのは、湯川秀樹氏は西田幾多郎教授にかなりの影響を受けたという事実である。西田哲学と言えば世界的にも誇り得る足跡を残している。

湯川秀樹博士は、西田幾多郎教授の講義を誰よりも真剣に聴講していたと伝えられる。それが、ノーベル賞の受賞につながる研究に繋がったというのは、京大関係者ならたいていの人が知っている事実である。科学者が哲学を好きだったなんて、普通なら考えられない。ところが、伝統的に京都大学の科学者は、哲学が好きなのである。京都大学には、他の大学にはない価値観が存在する。それは、科学哲学という価値観である。科学は哲学という基本のうえに成り立つものであり、哲学を忘れた科学は危険だという価値観だ。

同じことを主張していた世界的に著名な科学者がいた。それは、かのアインシュタインである。アインシュタインは原子爆弾を開発する提案書に署名してしまったことを、一生後悔していた。彼は、科学を志す者は形而上学(哲学)をしっかりと学んだうえで、研究に邁進すべきだと考えていたと伝えられる。そうでないと、科学研究は暴走してしまい、人間の幸福に寄与しないばかりか、戦争や殺戮の為に利用されてしまう危険があると主張していたのである。何の為に科学を研究するのかという大事な哲学を忘れてはならないのだ。

西田幾多郎教授は、禅などの仏教哲学と西洋哲学を統合させたという功績だけでなく、多くの科学者の卵である理系の学生に哲学を教えて、日本の基礎研究の発展に寄与する成果を上げたと考えられる。西田幾多郎教授は、京都大学における科学哲学の基本を作ったのは間違いないであろう。IPS細胞の山中伸弥教授や本庶教授も、西田哲学の科学哲学の影響を受けたのは想像に難くない。ノーベル賞につながるような研究成果を上げるには、科学哲学という価値観が必要なのである。これが京大卒の科学者がノーベル賞を取る訳である。

本庶佑教授が、今回のノーベル賞を取る研究成果を上げるに至った動機は、同級生が病気で亡くなったことを契機に、こんな不幸な目に遭う人々を少しでも救いたいというものだったと伝えられる。つまり、科学研究を通して人々の幸福に寄与したいという強い決意を持って、研究に邁進したのである。東大の研究者にそのような哲学がないというような乱暴なことは言わないが、東大に科学哲学という概念が京大よりも希薄なのは確かであろう。文科省のキャリア官僚は、国立大学に哲学なんて要らないと嘯いているが、科学研究にこそ哲学が必要不可欠なのである。

未婚男性が増えている本当の原因

結婚できない、または結婚しない男性が猛烈に増えているという。なにしろ、生涯未婚男性(生涯に渡り一度も結婚しない男性)が、全男性の25%にも上るという。えっ、そんなに多いの?と疑問に思う人が多いかもしれないが、これが事実である。なお、生涯未婚女性だって14%いるという。男性の4人に1人が一生独身だというのは大問題である。戦前から戦後20年くらいまでなら、特別な理由があるケースを除いて、男性が一生独身を通すなんてことはあり得なかった。それがこんなに独身男性が多いと言うのは情けない。

何故、独身男性が多いのかというと、それぞれ様々な要因がある。ひとつは、貧困化という経済的な要因がある。全体の平均年収は低下していないものの、若者の年収が二極化していて、200万円から300万円の低収入の若者が増えている。そして、定期昇給やベアが期待できない会社や職種で働いている。これでは結婚して子どもを生み育てることができる訳がない。竹中平蔵と小泉首相が結託して、国際競争力を高める為にと法制化した派遣労働法が正規労働者を激減させて、雇用の不安定化と低賃金化をさせたのだ。

さらに、すべての結婚のうち再婚であるケースが全体の4分の1にもなっているという事情がある。その再婚のうち、男性が再婚で女性が初婚というケースが急増しているという。男性は離婚してもその後に何度も結婚するし、その際に初婚の女性と結婚する場合が多いと言うのだ。女性は一度離婚すると、男なんてもうこりごりだと思い、再婚するケースが少ないという。そして、その再婚する場合の男女の年齢は、7歳以上の年齢差があるという。一人の男性に複数の女性が取られて、一度も結婚できない男性が多くなることになる。

生涯未婚男性は、都会ではその割合が少なくて地方に多いらしい。何故かと言うと、地方にある工場に勤務するのは、跡取りの男性が多いという。一方、事務職に就職を希望する女性は、地方では事務職の求人が圧倒的に少ないので、都会に出て就職する。当然、結婚適齢期の女性は、地方には圧倒的に少なくなり、未婚男性が多くなる。TV番組で、都会に住む女性を地方の男性に紹介する集団見合いイベント番組を放映している。地方では、行政が都会の未婚女性を呼び込んで、集団出会いのイベントを仕掛けている。

このような事情もあり、男性の未婚化が進んでいるし、適齢期で結婚を希望する女性が激減していて、晩婚化が進んでいる。男性は35歳を過ぎると、妊娠させる能力が衰えることが判明している。女性も晩婚化によって、妊娠する確率が低下することになる。このままで何も対策をしないと、日本の少子化は益々深刻になってしまう。それでなくても、貧困家庭が増えていて、子どもを産み育てたいけど産める経済状況にないと出産を断念する家庭も少なくない。これでは、将来日本の公的保険と年金を負担する若者が少なくなり、保険・年金制度が破綻してしまう危険性が高まってしまう。

このように生涯未婚男性が増加している各種要因を挙げてきたが、結婚できない男性がいる本当の原因は他にある。それは、男性の価値観があまりにも低劣で、女性が尊敬し信頼できる男性が極めて少ないという事情である。女性は、男性の優秀で持続可能なDNAを瞬時に見抜くことができるのである。優秀で持続可能なDNAというのは、社会的に成功を収めて経済的にもある程度恵まれて、将来に渡り幸福な人生を歩めるという遺伝子である。それは、技術・能力や知能が高く体力があるというDNAではない。自分の損得や利害にだけこだわらず、社会貢献や公益活動をすることを進んで実行し、それを喜びと思う遺伝子である。そういう男性こそが、社会的に評価され成功するからである。

こいいう全体最適を目指す遺伝子を持った男性の価値観は、すこぶる高くなる。このような男性は、個別最適よりも全体最適を大切にする価値観を持つ。その全体最適を目指すには、関係性を豊かにするために最大限の努力をする。互恵的関係性を大切にする価値観を持つ男性は、女性にとって魅力的に映る。だから、女性にモテモテなのである。そして、女性はこのような高い価値観の男性に惚れるし、この遺伝子を後世に残したいと無意識で強く思い、その男性に心も体も開きたくなるのである。ところが困ったことに、このような高い価値観を持った男性が激減しているのである。それが、生涯未婚男性が増えている本当の原因である。

 

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アスリート育成は科学と哲学で

またまたスポーツ界にパワハラ育成の不祥事が発覚した。女子体操、パワーリフティング、そして日体大の駅伝競技部にパワハラによる選手育成があったという。いろいろと背景や事情があるにせよ、スポーツ界というのは根っからのパワハラ体質らしい。根性論やら精神論がまかり通る古い体質がいまだに残っているというのが驚きだ。ましてや、指導者が選手を管理して統制し、さらに制御する育成の仕方が横行しているというのが情けない。

根性論や精神論を用いて、選手を管理して制御する方法で育てるという考え方は既に古い。今は、普遍的で正しい科学的な手法で選手を育成するのが主流となっている。そうしないと選手たちが納得しないし、成果が上がらない。昔の選手なら、トレーニングをする理由とその効果を科学的に説明しなくても、コーチを信じて従っていた。しかし、現在の若者や学生は、徹底した客観的合理性の教育を受けてきているから、科学的な根拠を示さないと自ら頑張ろうとはしない。半信半疑でトレーニングを受けても効果がないのは当然だ。

それなのに、今まで根性論や精神論でやってきたし、それしか教えられていないから古い理論を踏襲していると、選手たちはまったく付いて来なくなる。その為に、力で無理やり従わせようとして、パワハラになるのであろう。下手なコーチは、選手が自分の命令に従わないと、ついつい暴言や暴力で選手をコントロールしたがるものだ。育成される選手たちの心は、コーチから益々離れてしまう。そして、パワハラはエスカレートするのである。

それではすべて客観的合理性があり科学的根拠のあるトレーニング方法にするとよいかというと、それでは選手は成長しないに違いない。何故なら、体力・能力・技術というのは、あくまでも育成される選手のメンタルモデルに問題がないという前提条件が必要だからである。どんなに先天性の優秀な能力があって、優秀なコーチの技術指導を受けたとしても、メンタルモデルが歪んでいれば選手として大成することはない。謙虚で素直な性格を持ち、しかも自発性や主体性の高い人格を持たなければ、成長がしないからである。

したがって、選手の技能や体力のトレーニングと共に、メンタルモデルを磨く努力も必要となる。それでは、メンタルモデルを磨くにはどうしたら良いだろうか。メンタルモデルを高邁なものにするには、哲学または形而上学が必要だ。人間として何を目指して成長するのかという根本的な価値観を学ぶことである。または、自分がスポーツを通して何を学びどう成長するのかという事とか、どのように生きるべきなのかをスポーツから学ぶということである。そのような視点を持つことをなくしては、一流のアスリートにはなりえない。だからこそ、アスリートの育成には科学と哲学の両方の観点が必要なのである。

メンタルモデルを高品質で正しいものにするには、正しくて清浄なる言動にすることである。ひとつは挨拶や礼儀をしっかりと身に付けることである。正しい言葉遣いをしないと、メンタルモデルは低劣化してしまう。さらに身の周りを整理整頓することと、徹底的に清掃して清浄なる場にすることが大切である。無名だった西脇工業高校駅伝チームを8度の全国優勝に導いた渡辺公次監督は、先ずはトラックをチリ一つなく清掃することを選手たちに教えた。伏見工業高校のラグビー部山口良治監督は、部員にはまずあいさつと礼儀を教えた。無名の済美高校を全国優勝させた野球部監督の上甲監督は、まずは挨拶と清掃を徹底させた。明治大学野球部の嶋岡監督も部員にトイレ清掃をして心を磨かせた。

勿論、選手たちのメンタルモデルを高品質で正しいものに導くためには、挨拶、礼儀、清掃だけでは難しい。指導者は、何故そのような言動を正しくしなければならないのかを、選手たちに科学的な検証を示しながら解りやすく丁寧に説明しなければならない。例えば、主体性・自発性・責任性などの自己組織化を目指す理由、または自らの成長は他からの介入によっては実現しないというオートポイエーシス論などを科学的に説明できなければ、選手たちは納得しない。最先端の科学であるシステム論や量子力学論、または分子細胞学や人体ネットワークシステム論などを駆使しながら、科学哲学の観点から証明する必要がある。そうすれば、科学的に真逆の効果があるパワハラ事件などは絶対に起きる筈がない。一流アスリートの養成には、科学哲学的に正しいトレーニングが必要だ。

 

※アスリートの育成に必要な科学理論、例えばシステム論、量子力学、分子細胞学、人体ネットワークシステム論、宇宙物理学などの研修を「イスキアの郷しらかわ」で開催しています。勿論、社員研修にも活用可能です。さらに、科学哲学の観点からの人材育成についても研修させてもらいます。メンタルモデルの改善、自己マスタリーについても科学的な検証を加えながら講義しています。問い合わせフォームからご相談ください。