雨が降っても自分のせい

 経営の神様と呼ばれた松下幸之助さんは、様々な名言を残されているが、その中でも異彩を放っている言葉がある。それは『雨が降っても自分のせい』という、常人にはなかなか理解しがたい言葉である。雨というのは天候のひとつであるから、人間の力ではどうしようもないし、ましてや特定の人にその責任はないのは当然である。それなのに、敢えて松下幸之助さんは、雨が降っても自分のせいだと言い切ったのである。その真意はどこにあるのであろうか。または、その言葉に隠された本当の意味は何であろうか。興味深いことである。

 経営アナリストや評論家たちであれば、このように解釈するのではなかろうか。松下幸之助さんの名言として、もうひとつ『雨が降れば傘をさせ』という言葉が残されている。この言葉と併せて考えると、雨が降ると言う事も予測しなさい、そしてその対策を万全にしておきなさいという意味だと解釈できる。雨というのは自分や会社にとって逆風や逆境ということであり、そのような状況になることも予測をしてその対策も十分に用意しておくべきだし、そうなったらいち早く対応すべしということだろうと思われる。

 会社経営において、リスク管理はとても重要な役割を持つ。リスクマネジメント長けていないトップ経営者の企業は、経営破綻を起こし存続できない。その他の組織運営においても、リスク管理は大切である。危機管理が出来ない父親の家庭は、経済破綻を起こしてしまうし、安全安心が保持できない。この世は、晴れの日ばかりではない。雨の日と言えるような悲惨な状況に追い込まれることもあるし、苦難困難に立ち向かうことも多い。そういう逆境や逆風も予想して、乗り越える準備と危機管理の能力も身に付けなさいということであろう。

 もっと深い意味があったかもしれない。ともすると、人間と言うものは何か自分取って不都合なことや思いもよらない失敗が起きてしまうと、何かのせいや誰かのせいにしたがるものだ。世の中の経済状況や環境が悪いからだと言い訳したり、誰かが邪魔をしたからだと人のせいにしたりする傾向がある。このように、自分に悪いことが起きたことに対して、自分には責任がないと言い逃れする人はすこぶる多い。これでは、自分の成長や進歩はまったく生まれない。悪い結果のすべての責任を自ら負い、二度と同じ失敗を繰り返さないと誓ってこそ、将来の成功や栄光は生まれるものだ。

 雨が降るのは自分のせいという言葉には、すべての責任は自分が負うものだという松下幸之助氏の尊い教えが詰め込まれているようにしか思えない。これは、科学的にも正しい。人間と言うひとつのシステムは、自己組織化する性質がある。人間は生まれながらにして、主体性、自発性、自主性、連帯性、責任性、自己犠牲性というような働きを持つ。つまり、人間と言うのはすべて自分の周りに起きることに対して、リスクとコストを負担するということである。システムダイナミックスという最先端の科学的思考においては、これは当たり前のことである。

 さらに科学的思考を発展させると、量子力学的に鑑みれば、雨が降るというのは自分の思考がそうさせたのだということも言えるのである。そんな馬鹿なと思う人もいるかもしれないが、量子物理学においては、思考そのものが物を実体化させて変化させるという事実が明らかになりつつあるのだ。松下幸之助氏が、雨が降っても自分のせいだという言葉を残したのは、量子力学的な思考に基づいての発言かどうかは解らないが、科学的事実である。仏教哲学における、色即是空や空即是色が科学的事実だと松下氏は知っていたに違いない。

 自分でも、不思議な体験を何度もしている。福井県の百名山である荒島岳を数人の仲間と登った時のことである。午後からは天気が崩れるという予報だったが、何となく午後2時くらいまでは天気が持つに違いないという勝手な確信を持った。午後2時までは下山する計画で、予定通りに下山して車に乗った途端、その時刻に土砂降りの雨が降り出したのである。その後、信州の御座山でも同様のことがあり、福島県の和尚山でも起きたのである。こういう体験が数知れず起きている。すべてがそうなるとは言えないが、かなりの確率で雨を降らせるのは自分の思考ではないかと思うようになった。雨が降っても自分のせいだという教えに基づき、これからも謙虚に生きていこう。

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