どうして人はトラウマを抱えてしまうのか

 人は一旦トラウマを抱えてしまうと、それを乗り越えることが非常に難しいものだ。それだけではない。抱えたトラウマによって、非常に生きづらくなってしまう。不安感や恐怖感をいつも持ってしまうだけでなく、考え方や行動に影響を与えてしまうので、生き方そのものも変化してしまうのである。さらには、小さい頃から何度もトラウマを積み重ねることで、複雑性のPTSDを負ってしまうことになり、ASD(自閉症スペクトラム障害)までも起こしてしまう事が判明した。どうして、人はトラウマを抱えてしまうのであろうか。

 実に不思議な事であるのだが、心的外傷を負うような同じ事件・事故に出会っても、トラウマを負ってしまう人と、まったくトラウマを抱えることがないという人がいる。どうして、そんな違いが生じてしまうのであろうか。このトラウマを負ってしまうという人は、特定のパーソナリティを持つ人なのであろうか。そもそもトラウマになってしまうことがなければ、いろんなメンタルの疾患になることもないし、身体的な疾患に罹患することも少ない筈だ。生きづらさを抱えることもないので、もっと人生を謳歌できるに違いない。

 自分にとって辛くて悲しい目に遭ったり、苦しくてどうしようもない出来事に追いこまれたりしても、トラウマにならない方法が解れば、パニック障害やPTSDにならない筈である。それでは、トラウマにならないような生き方が誰にでも出来るのであろうか、またはトラウマになるようなパーソナリティを克服できる方法はあるのだろうか。結論から言うと、トラウマを抱えるパーソナリティは乳幼児期に作られてしまうし、一旦このような性格・人格が形成されてしまうと、簡単には変えること難しいのである。

 それは、どんな性格・人格かというと、端的に言えば『不安型の愛着スタイル』というものである。自己否定感が極めて強くて、不安が異常に強いパーソナリティである。自尊感情が極めて低いために、自分のことが好きになれないし、あるがままの自分を愛せない。どんな子育てをされたかというと、三歳までに無条件の愛をあまり注がれずに、条件付きの愛を受け続けた育児をされたケースである。あるがままにまるごと愛されるという経験をしないと、絶対的な自己肯定感は育まれず、不安型の愛着スタイルになってしまうのである。

 言い換えると無条件の愛情である母性愛を三歳ころまでにたっぷりと注がれ続けてから、条件付きの愛情である父性愛を受けないと、健全な精神は育たずに不安で仕方ない性格・人格が形成されてしまうのである。絶対的な自己肯定感が喪失している不安型の愛着スタイルを獲得してしまうと、あまりにも悲惨で辛い出来事や、生命の危険を感じるような事件・事故に出会うと、トラウマ化してしまうのである。あるがままにまるごと愛されるという母性愛をたっぷりと注がれた子どもは、絶対的な自己肯定感が確立されるので、どんな悲惨な目に遭っても、トラウマ化しにくい。

 現代においては、父親と母親自身が不安型愛着スタイルを抱えているケースが多く、我が子をあるがままにまるごと愛せない。自分が強い不安や恐怖感を持つ故に、子育てに自信や安心感を持てない。故に、常に子どものことを心配するあまり、支配しコントロールをしてしまい、『良い子』に育てようとして過干渉と過介入を繰り返すのである。これでは、子どもは自己組織化が進まないし、自己否定感が強い子どもになり、いつも不安に苛まれることになる。悲惨なことが起きると、容易にトラウマ化しやすい。そういうことが何度も積み重なると、複雑性のPTSDになって発達障害になってしまう。

 それでは、トラウマを抱えやすい不安型愛着スタイルになってしまった人は、一生トラウマ化しやすいパーソナリティを抱え続けるのかというと、けっしてそうではない。大人になってからでも、あるがままにまるごと愛してくれる人に出会い、自己組織化させてくれる安全基地として機能してくれるパートナーに出会うことが出来れば、不安型の愛着スタイルは癒される。安全と絆を確信させてくれる安全基地となって不安と恐怖感を払拭しくれるパートナーが寄り添ってくれたら、不安型愛着スタイルは少しずつ癒される。時間はかかるが、人生のパートナーではなくて臨時の安全基地として機能してくれる人でも可能である。それは、森のイスキアの佐藤初女さんのような人である。

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