イスキアの郷しらかわでは、不登校やひきこもりの状況に置かれてしまっている方々をサポートさせてもらっている。そういう方々にどのような母親でしたかと聞くと、おしなべて「母は厳しくて優しい人でした」と答える。厳しいと優しいというのは、相反する形容詞であり、本来はあり得ない評価である。ところが、実際に不登校やひきこもりを起こしている子ども(若者)に聞くと、厳しいけど優しいお母さんという形容をするのである。彼らは不安定な愛着を抱えている。厳しくて優しい母に育てられると愛着障害を起こすのである。
虐待やネグレクトの子育てをされるとか、または乳幼児期に母親から離される経験をすると愛着障害を起こすということは広く知られている。しかし、ごく普通に両親から愛情を注がれて育てられたというのに、不安定な愛着や傷ついた愛着を抱えてしまう子どもがいる。まさか、愛着障害になるなんて両親は夢にも思っていないのに、現実に愛着障害になってしまい、不登校やひきこもりを起こしてしまう子どもは大勢いる。または、愛着障害から摂食障害、ゲーム依存、ネット依存、薬物依存で苦しむ子どもは想像以上に多い。
母親は厳しくて優しい人ですと、自分の母親を形容する子どもが多いのは何故であろうか。それは、母親がダブルバインドのコミュニケーションをして子育てをしているからである。ダブルバインドのコミュニケーションとは、二重拘束のコミュニケーションと訳されている。精神医学者のベイトソンが唱えた理論で、母親がダブルバインドのコミュニケーションを繰り返して子育てすると、子どもは統合失調症を発症すると主張した。子どもに対して相反する意味の言葉をかけ続けると、子どもはどちらの言葉が本心なのか疑心暗鬼となってしまう。
母親が我が子に対して、「あなたのことは大好きだよ」と言ったかと思うと、違う場面では「あなたなんか大嫌い!」と言うことは良くある。母親が精神的に安定していないと、子どもの言動に切れてしまい、つい激高して子どもに対してきつい言葉をかけてしまう。特に、家事と育児に非協力的な夫だと、自分ばかりどうしてこんなに苦労するのかと思ってしまい、つい子どもに辛く当たることもある。また、発達障害のような夫である場合は、コミュニケーションが成り立たないから、孤独感を持ってしまい、つい子どもに厳しく対応する。
このように母親がダブルバインドのコミュニケーションを子どもに対して繰り返し行っていくと、両価型の愛着障害になりやすい。親の愛情が信じられず、親に心から甘えられないし、親から見捨てられるのではないかという不安や恐怖感を持ち続けてしまうのである。子どもは、いつか自分は見離されてしまうのではないかという不安が心を支配しているし、周りの人は自分を嫌うのではないか、それは自分が駄目だからなんだと、自信を喪失する。つまり、絶対的な自己肯定感が育たないのである。
厳しくて優しいお母さんは、子どもを立派に育てたいと思って必要以上に頑張るのである。学校の成績を上げて、良い大学に合格させて、高収入で安定した就職をさせようと必死になる。何かと、子どもに対して過介入や過干渉を繰り返す。無意識のうちで母親は自分が理想とする人生を子どもに歩ませようと、支配し制御してしまう。本来、母親は子どもをあるがままにまるごと愛するだけで良いのである。つまり、無条件の愛である母性愛を注ぐのが母親の務めである。ところが条件付きの愛である父性愛(しつけ)を父親が放棄するから、母親が母性愛と父性愛の両方を注いでしまい、厳しくて優しい母親になるのである。
子どもを育てる際に、大事なのは先ず母性愛だけをたっぷりと注いで、それから父性愛を注ぐという順序なのである。父性愛を先に注いだり、または父性愛と母性愛を同時に注いだりするのは、絶対に避けなければならない。そうすると子どもは健全に育たず、いつも不安や恐怖を抱えてしまい、周りの人を信頼できないし、社会不適応を起こしたりメンタルを病んでしまったりする。「私の母はいつもすごく優しいし、大きな愛で包んでくれました」と子どもが言ってくれるような母親でありたいものである。間違っても母は厳しいけど優しかったなんて、子どもに言わせてはならないのである。