面倒くさいと言うのが大嫌い

ああ、面倒くさいなあと、誰でも思うことがあるに違いない。もう少し努力する余地はあったとしても、忙しさや困難さに心が挫けてしまい、まあこれぐらいでいいかと面倒くさいことから逃げてしまうことはよくあることだ。面倒くさいというのが口癖になっている人もいる。ところが、面倒くさいと言わないことを人生のモットーにしている人がいる。その人とは、森のイスキアという施設で多くの人々を救った佐藤初女さんである。2016年2月に亡くなられたので、もう実際に会うことは出来ないが、まだ多くのファンを持つ。

佐藤初女さんは、青森県弘前市の岩木山のふもとで、心身を病んでしまわれた方々を森のイスキアという宿泊施設に迎え入れて、黙って話を聞いて共感すると共に、心尽くしの食事を提供してきた。その食事はご馳走などではなくて、ごく普通の田舎料理である。その食事を作る際に、けっして手抜きをすることはなかった。食材を選ぶ時も、切ったり皮をむいたり、さらには煮たり焼いたりする際にも、妥協をすることはなかったという。だから、面倒くさいと言わないことが佐藤初女さんのポリシーだったのである。

何故、面倒くさいと言わないかというと、その料理を食べる人が喜んでいる顔を思い浮かべながら作っているからである。だから、何をするときにも妥協を許さなかったのである。佐藤初女さんの料理は、食べる人の感動を呼んだのだ。少しでも面倒くさいと思って料理を作ったら、その料理は死んだも同然である。人の心を癒そうとする際に、少しでも面倒だと思い妥協してしまったら、その人の心が癒されることはないだけでなく、自分が見捨てられたと思い心が傷つく。それ故に、佐藤初女さんは面倒くさいと言わなかったのだ。

自分のために何かをする時なら、面倒くさいと思って手抜きするのは許される。誰かの幸福や豊かさに寄与する為に何かの行為をやっている時は、絶対に手抜きは許されないのである。手抜きする気持ちが、その貴重な行為を台無しにしてしまい兼ねないのだ。そのことを誰よりも解っていたからこそ、佐藤初女さんは面倒くさいと言うのが嫌いだと、自分自身を戒めていたのではあるまいか。そんな佐藤初女さんが握ったおむすびだからこそ、人の命を救ったのである。奇跡のおむすびと言われた所以である。

佐藤初女さんは、2016年2月に永眠なさってしまわれた。その後、弘前にある森のイスキアの扉は開かれていない。あれほど多くの悩み苦しんでいる方々を救われていた佐藤初女さんの逝去を悔やんでいらっしゃる方は多いに違いない。今でも、多くのファンが第二第三の佐藤初女さんを望んでいらっしゃるのではないだろうか。私は一度だけ佐藤初女さんにお会いしたことがある。弘前の森のイスキアを尋ねて、お話をさせてもらった。いつかは森のイスキアのような施設を、白河に作るということをお約束してきた。ようやく3年前にその約束を果たせることが出来た。

イスキアの郷しらかわという癒しの施設を作り、イスキアの名前を名乗らせてもらっている。佐藤初女さんのお名前を汚さないように、面倒くさいという言葉を封印して運営させてもらっている。農家民宿の料理を担当しているスタッフも、けっして手抜きせず全身全霊を傾けて料理をしてくれているし、農業体験をサポートしてくれているスタッフも細心の注意を払いながら寄り添ってくれている。自然体験の支援をしたり相談をしたりする私も、面倒くさいという思いを一切捨ててクライアントに向き合っている。

勿論、佐藤初女さんのご活躍には、まだまだ足元にも及ばないことは承知している。だからこそ、少しでも佐藤初女さんに近づこうとして、自分自身を磨き続け進化させたいと思っている。出張ケアをする際には、なるべく初女さんのおむすびを作って手作りのおかずを持参するようにしている。また、レンタルルームを利用してケアする際にも、昼食を用意させてもらっている。それらのおむすびや料理を作る際には、けっして面倒くさいとは言わず、あらん限り心を込めて調理させてもらっている。面倒くさいということが嫌いだということが、口癖になるまで精進したいと思っている。

まぶたがピクピクしたら心の救助サイン

片側の目だけがピクピクしたことがあるだろうか。意識してそうしていないのに、何故か勝手にまぶたが動いてピクピクしてしまうことがある。こうなってしまう原因は、主にストレスだと言われている。子どもにも顔面の痙攣が起きることがあり、『チック』の症状だと診断される。このまぶたが痙攣する症状をほっておくと、やがてもっと酷くなるばかりか、様々な症状が起きてしまうことがある。まぶたが痙攣するのは、重いストレスがあるから解消しないと大変なことになるよ、という心からのサインであり警告なのである。

したがって、まぶたがピクピクして勝手に動いてしまったら、自分の心に手を当ててよく考えてみる必要がある。何とか自分が努力すれば解決できるストレスならば、こんなまぶたの痙攣は起きない。自分に大きなストレスがあったとしても、自分の努力や意志力で解決できるものであれば、身体症状やメンタル疾患になることは少ない。対人関係のストレスがあり、相手があることだからどうにもならなくて、しかもその環境を変えられず、深刻な状況に追い込まれてしまうと、心身の強い症状に悩まされてしまうことになる。

どんな心身の症状に発展してしまうかというと、身体のしびれや痛み、うつ病やパニック障害などの深刻なメンタル症状である。やがては双極性障害や統合失調症を発症することもあるし、もっと酷くなると、悪性腫瘍を発生させてしまうこともある。だからこそ、まぶたがピクピクと動いてしまったら、すぐに対処しないと大変なことになるのだ。そのストレスの原因が職場にあるケースもあるし、家庭にある場合もある。片方だけでなく、どちらにもストレスの要因があるという時に、まぶたが痙攣することが多いのである。

このまぶたがどうして痙攣するのというと、医学的な解明はまだされていない。したがって、対症療法としての投薬治療しか方法がない。鍼や灸もある程度の効果が認められるし、マッサージや整体などでも症状が一時的に和らぐ。しかしながら、原因になっているストレスが完全に解消されなければ、まぶたの痙攣が再発することが多いし、違う症状として現れることも少なくない。まるで、もぐらたたきのように身体のあちこちに様々な症状が出てくるのだ。だからこそ、まだ症状が軽いうちに完全に治癒することが肝要だ。

まぶたが痙攣するシステムの医学的な解明は完全にされていないものの、この症状が脳神経からの指示で起きているらしいということは判明しつつある。脳神経の誤作動(暴走)とも言えるし、ある意味では自分の心身を守るためのサインだとも言える。まぶたがピクピクするような症状が起きる前に、殆どの人は腰痛や酷い肩こり等の症状を抱えていることが多い。または、手足のしびれや不定愁訴に悩まされていることも少なくない。我慢や忍耐の限界に達してしまうと、まぶたの痙攣などの身体症状が現れるのである。

それでは、ストレスを完全に解消すれば、これらの症状は完全に治るのであろうか。しかしながら、このように大きなストレスによって、一度でもまぶたの痙攣など他の身体症状が出た場合は、残念ながら症状が消えるまで、時間が掛かることが多い。長い期間に渡り、様々な身体症状で苦しむことがあるのだ。それでは、早く完治させるためには、どうしたら良いのだろうか。重大なストレスから逃げることが出来たとしても、そのストレスがトラウマ化していることが多い。そうした場合は、適切なボディケアを受けると共にカウンセリングが必要なのである。

何故ならば、過重で深刻なストレスがトラウマ化している場合は、ストレスを取り除いたとしても、身体症状はなかなか取れない。心と身体がシャットダウン(遮断)を起こしているからである。こうなってしまうと、カウンセリングやセラピーだけではトラウマを乗り越えることが出来ない。これがポリヴェーガル理論における、背側迷走神経の暴走によるシャットダウン化である。このようなシャットダウンが起きてしまった場合、身体のあらゆる筋肉が緊張し硬直している。この緊張した筋肉を緩めるボディーワークが必要なのである。適切なボディーワークとカウンセリングを並行して実施することで、まぶたの痙攣などの身体症状がようやく取れるのである。

※まぶたがピクピクする痙攣や顎関節症、原因不明のしびれや痛みがありましたら、それは心が助けを求めるサインです。ストレスがトラウマ化しようとしているか、または既にトラウマ化しています。迷走神経の暴走によるシャットダウン化が起きつつあります。すぐに適切なボディーワークとカウンセリングが必要です。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

甘えさせ方を知らぬ親と甘えられぬ子

不登校やひきこもりの子どもたちを支援していてすごく感じるのは、甘えるのがとても苦手だという点である。甘え下手と言えるほど、親に甘えることがまったく出来ない子どもが多い。そして驚くことに、その親が甘えさせ方を知らないのである。甘えさせ方を知らない親なのだから、子どもが甘えることが苦手になるのは当然だ。さらに親自身の育てられ方を検証してみると、自分自身もまた甘えられずに育ったという過去を持つ。つまり、甘えられずに育った大人は、自分が親になった時に子どもに甘えさせることが出来ないのだ。

さらに付け加えると、甘えさせ方を知らない親の両親である祖父母もまた、甘えられずに育ったということが判明している。つまり、甘えることと甘えさせることを知らないということが、世代間連鎖をしているという事実があるのだ。これは、子育ての極意として伝わっている社会常識、『過保護過ぎると自立できなくなる』という教えが強く影響していると思われる。甘えさせ過ぎたり依存させ過ぎたりして育てると、甘えん坊になって自立性が損なわれてしまうと思い込んでいる人が殆どなのである。

実は、この甘えさせたり依存させたりして育てると子どもが自立できなくなるというのは、完全に間違いである。甘えさせず依存をさせないで育てると、その子どもは逆に自立できなくなる。やがて、メンタルを病んでしまい、不登校やひきこもりになるケースが多いのである。このことは、著名な児童精神科医で川崎医療福祉大学の特任教授だった佐々木正美先生は、過保護こそが大事なんだと語っていらっしゃる。そして、子育てにおいて過保護過ぎるということはまったくない、過干渉や過介入こそが問題なのだと先生は断言されている。

何故、十分に甘える経験をしないと自立できなくなるのだろうか。また、過干渉や過介入することがどうして問題なのであろうか。それは、人間の正常な精神発達において、甘えや依存という段階がどうしても必要だからである。社会通念上、甘えや依存は悪いこととされているが、そんなことはない。乳幼児期に子どもは母親に十分に甘えて無条件の愛に包まれないと、正常な自我が芽生えないのだ。人間と言うのは、最初に自我が芽生えてから、やがてその自我を乗り越えて、自我と自己を統合させて精神的に自立するのである。

また、子どものうちに過干渉や過介入を繰り返すと、人間は自己組織化が阻害されてしまうのである。つまり、あまりにも幼少期から指示・所有・支配・制御を親から受けてしまうと、人間として生きるうえで大切な、主体性・自主性・自発性・責任性・関係性が芽生えないばかりか、自己成長が止まってしまうのである。そして、オートポイエーシス(自己産生)の能力が阻害されて、自ら何も生産や産出が出来ないような人間なってしまうのだ。つまり、人間として不十分な精神を持つばかりか、身体的にも劣ってしまうことになる。

子どもが親に心から甘えるには、親が子どものことをまるごとありのままに愛する態度を取る必要がある。そのように無条件で愛されることで、甘えたり依存したりできるのである。そして、大事なのはまずは無条件の愛で十分に包まれてから、躾である条件付きの愛が注がれるという順序である。これが逆であったり同時であったりすると、自尊感情や自己肯定感が生まれず、ずっと不安感や恐怖感を持ち続けてしまい、社会に適応できなくなる。不登校やひきこもりになってしまう可能性が高くなる。

無条件の愛を通常『母性愛』と呼び、条件付きの愛を『父性愛』と名付けている。まずは母性愛をたっぷりと注がれてから父性愛を受ければ、子どもは健全に育つことができる。ところが、無条件の愛である母性愛が不十分だと、自我の芽生えがなく反抗期もなくて大人になり、精神的な自立が出来ないまま大人になる。これがアダルトチルドレンであり、愛着障害である。社会に対する不適応を起こしやすいし、メンタルを病むことが多い。だからこそ、乳幼児期に母性愛をたっぷりと注ぎ、十分に子どもを甘えさせることが必要なのである。甘えて甘えて甘え切ったら、子どもは自然と自立して親を離れるのである。

※甘えることが出来なくて甘え下手の大人になってしまったら、アダルトチルドレンや愛着障害になってしまい、ずっとその状態が続いてしまうのかと言うと、そうではありません。適切な愛着アプローチによって、甘えることを体験すると、精神的な自立が可能になります。イスキアの郷しらかわは愛着アプローチを活用して支援します。自分が甘え下手だなと感じている人は、問い合わせフォームからご相談ください。

コロナで学ぶ真の新しい生き方

新型コロナウィルス感染症を抑えるための、新しい生活様式が政府から提唱されている。密接による感染を防ぐためにどうすれば良いか、具体的に示されている。この新しい生活様式に対して、殆どのマスメディアは好意的に扱っているし、批判的な報道をしたのをあまり見かけない。この新しい生活様式に対して疑問を持つのは私だけだろうか。こんな生活様式で、本当にコロナを抑え込めるのだろうか。また、こんな新しい生活様式を国民が実行して、本当に幸福で豊かな暮らしを実現できるのだろうか。

この新しい生活様式というのは、あくまでもコロナが収まるまでの臨時的なものなのであろうか。それともコロナが収束してもしばらく続くのか、実にあいまいである。どうせ新しい生活様式を提案するのであれば、コロナが収まったとしても、これからもずっとこのような感染症の流行が起きないような新しい生活様式を提案するべきではないだろうか。それこそが真の新しい生活様式ではないだろうか。そして、このコロナ感染症をきっかけにして、人間として真の幸福や豊かさを実感できる生活スタイルを目指すべきではないかと思う。

コロナ感染症を予防するうえで大切なことは、密接状態を作らないことである。東京や大阪、名古屋、横浜などの大都市では人口密度が非常に高いのだから、どうしたって密接状態が出来てしまう。満員通勤電車、会社の事務所、飲食店、居酒屋、ライブハウス、スポーツジム、カラオケルーム、バー、キャバレー、クラブ等、どれをとっても狭い部屋に多人数の密接空間が出来てしまう。それも、無理をした部屋割りになり空調が不十分な為に密閉された空間になる。不動産価格が高額になるから借家料金もバカ高く、狭い場所で営業せざるを得ない。

あまりにも都会に人口が集中し過ぎた結果、こんな密接・密集・密閉の三密状態を作り出したのである。いわゆるソーシャルディスタンスを保てない都市空間を生み出している。こんな非人間的な三密状態の中で暮らすことが問題なのではなかろうか。大都会は何でも揃っている。とても便利で快適である。一方、田舎は三密ではないが、不便であるし快適さには程遠い。コンサートやライブもないし、美術館や映画館もない。三ツ星のフレンチレストランもないし、洒落たシティーホテルもない。田舎ではコロナ感染が起きにくいのは当然だ。

この新型コロナウィルス感染は、もしかすると三密状態を避けてソーシャルディスタンスを保てる、ゆったりした生き方の大切さを我々に教えたかったのではあるまいか。大都会、とりわけ東京一極集中というのは、経済的側面だけを考えれば便利だし、快適である。しかし、感染症予防という観点からは、危険な生活だと言える。今後も、新たな感染症が出てこないとも言い切れない。世界的に観ても大都会が、コロナ感染症で大被害を受けたのだ。とすれば、根本的な暮らしそのものの見直しが必要なのではあるまいか。今こそ『田舎暮らし』が求められているような気がする。

緊急事態宣言の解除を受けて、事業自粛要請が取り下げられつつある。レストラン、居酒屋、パチンコ店、ライブハウス、クラブ、接客業などが通常営業になろうとしている。これらの業種や業態は、人々の暮らしに欠かせないものであろうか。そんなことはない、別になくても生きていけるだろう。飲食は、本来家庭でするもの。それがあまりにも便利で手軽なものになり、ついつい外食するようになった。深夜から翌朝まで飲み歩き遊び歩き、不健康な身体になった。そして、不健康な暮らしから免疫力が低下してコロナ感染を起こしたのだ。

そもそも普段食べれないようなご馳走は、ハレの日(特別なお祝いの日)に食べるものだ。外食を日常的にするなんて考えられない。昼食だって、安全な食べ物を摂るなら弁当が基本。また、飲酒もまたハレの日やお祭りの日にたしなむもので、日常的に飲むと身体が蝕まれる。LOHASの生き方をするなら、添加物が入っていない自然素材での自作料理だ。お酒だって少量なら百薬の長であるが、多量に飲んだら毒薬だ。都会での便利で快適な暮らしが、コロナウィルス感染症を生み出したと言っても過言ではない。少しくらい不便でストイックな田舎暮らしにシフトしてみてはどうだろうか。SDGsの観点からも薦められる。

コロナが重症化するのは免疫の暴走

新型コロナウィルスに感染して、重症肺炎を起こして重篤な症状を起こす人がいる。一方では感染しても、軽症で済む人や無症状のまま抗体を持つ人がいる。その違いはどうして起きるかというと、どうやら免疫の暴走が原因らしい。免疫システムが誤作動を起こし、重症肺炎が起きてしまうことが判明した。コロナウィルスを打ち負かそうと免疫が過剰に働いて、免疫がまるで暴走したかのように働き、正常な細胞にまで攻撃して、肺の炎症が広範囲に起きて重篤化するというのだ。免疫システムの異常が起きるというのである。

免疫の働きを高める「インターロイキン(IL)6」という特殊なタンパク質が体内で過剰に分泌されると、免疫細胞はウィルスに感染した細胞だけでなく、正常な細胞も攻撃してしまうという。感染が起きた初期では、このIL6というタンパク質が分泌されて、ウィルスに感染した細胞を叩くことで回復に向かう。ところが、感染が進んでしまい重症化すると、このIL6が回復するのを逆に邪魔してしまうらしい。これが免疫を暴走させるらしい。軽症時と重症時とで、免疫システムが切り替わって、まるで逆の働きをするというのだ。

この免疫システムの誤作動というか、重症感染症をきっかけにして免疫が切り替わるということを、免疫の大家として著名な安保徹先生も主張されていた。副交感神経における新しく獲得した免疫システムが、生命を脅かすような重症感染症によって退化してしまい、抑え込んでいた古い免疫システムが働いてしまうと。実は米国の神経学の権威であるポージェス博士も、ポリヴェーガル理論で同じようなことを提唱している。生命を脅かすような精神的ショック(トラウマ化)により、古い免疫システムが働いてしまうのだと。

これはあくまでも仮説の話であり自分の私見なので、エビデンスは取れていないと断ったうえで提唱してみる。コロナ感染によって重症化してしまう人は、そもそも免疫システムが脆弱であり、精神的ショックに極めて弱い人ではなのではないか。反対に感染しても症状がないか軽症で済む人は、新しい免疫システムが警固だから、誤作動を起こさないのではないかと思うのである。だから、軽症で済む人は普段から日常的な運動をするし、健康的な食生活を心がけ、酒やタバコに依存することなく、ストレス解消も上手にできる人であろう。

免疫の暴走を起こしやすい人と起こしにくい人がいて、それが生死の分かれ目になっているように思えて仕方ない。心疾患、呼吸器疾患、糖尿病、高血圧、喫煙者、肥満者などが重症化しやすいし、男性のほうが重症化しやすいのも特徴である。喫煙者と慢性呼吸器疾患を持つ割合の高いのが男性であることも影響していると思われる。もちろん巷で言われているように、持病がある高齢者のコロナによる致死率は極めて高い。特に、寝たきりや要介護者、QOLが著しく低下した入院患者は重症化しやすい。元々、免疫力に問題がある生活なのだから当然だと言えよう。

コロナ感染によって新免疫システムが破綻して、旧免疫システムに切り替わり、IL6が正常な細胞にまで攻撃してしまう免疫の暴走が起きるのは、食生活などの生活習慣に問題があるからだけではない。それよりも、精神状態に問題があると思われる。食習慣などに問題があるのも、実は不安定な精神状態に原因があると言える。さらに、ギャンブル依存症やニコチン・アルコール依存症になってしまうのは、そもそもメンタルに問題があるからと言えよう。つまり不安定な精神になるのは、その人の価値観や哲学に問題があると思われる。

それでは精神的に問題があり、食習慣や生活習慣が乱れ免疫系に異常が出るのは、どんな価値観かというとこういうものだ。自分の損得や利害を優先し、欲望に流されてしまうような利己的で自己中の価値観である。言い換えると自分本位で、個別最適を目指す価値観であろう。一方、精神的に安定して食習慣や生活習慣が乱れることなく、免疫系が暴走しないのは、常に個別最適よりも全体最適を目指す価値観を持つ人である。人々の幸福や豊かさを心から願い行動するような価値観、他人の幸福に貢献することを喜びとするような哲学を持つ人だ。コロナ感染は、高い価値観を持つ人だけをノアの箱舟に乗船させる仕組みかもしれない。

コロナで学ぶLOHASな生き方の大切さ

「パチンコ店さえ休業してくれたら、来ないのに!」とのたまうパチンコ客が大勢いる。それは本末転倒である。そもそも、感染の危険が高いパチンコをする人さえいなければ、パチンコ店は営業しないのだ。こんな危険な時期にパチンコに行かないでいられない人は、ギャンブル依存症という病気なのである。精神科を受診することを勧めたい。パチンコは、遊戯ではなくて完全なギャンブルである。公営でしかギャンブルを認めない筈なのに、民営のギャンブルであるパチンコを許可することがそもそも間違いなのだ。

コロナ感染の危険性が高いと言われているのに、バーやキャバレー、スナック、風俗に通う人たちもいる。こういう人たちも、アルコール依存症やセックス依存症かもしれない。カラオケボックスやカラオケ教室、LIVEに行かないといられない人もいるが、これもある意味で依存症とも言える。感染のリスクが高いダンスクラブやスポーツジム、ヨガ教室に行かないと我慢できない人も、問題だろう。これらのギャンブルや接客業、趣味に行けなくてストレスが溜まり、家庭内でDVを働く人がいるらしいが、こういう人間は生きる資格がないと言える。

このコロナ感染症が大流行をしたことで、DV被害やコロナ離婚が起きて、家庭崩壊が起きつつあるという。企業や組織・団体の中では、パワハラやモラハラが横行してしまい、社員どうしの信頼関係が崩壊しつつある処も多いらしい。それぞれの地域内においては、コロナ感染を起こした家族を村八分のように扱う所もあるし、感染症の病院で働く人やその家族を排除する動きも強まっていると聞く。政府や自民党内でも、この未曾有の国難に遭いながら、権力争いに発展しているという。つまり、コミュニティが崩壊しつつあると言えるのだ。

言ってみれば、今まで隠し通してきた、またはないことにしてきた不協和音が一気に爆発を起こしたようなのである。人々のエゴが暴発したというような状況だと言える。このような大変な事態になって、皆が一致団結して協力し合いながら難局を乗り切らなければならないのに、自分の利害や損得を前面に出してしまい、身勝手で自己中心的な行動をするようになったというのは情けない。一方では、ボランティアで高齢者支援活動や献身的に医療活動に携わる人も出ている。全体最適を目指す人と個別最適を優先する人の二極化が起きているのだ。

これは何を意味しているかと言うと、人々の本音や本質が明らかになったということではないだろうか。高潔で素晴らしい価値観を持った人と、低俗で劣悪な価値観を持った人とが、炙り出されてきたとも言えよう。コロナ感染症で重症化する人というのは、持病を持った人だと言われている。高血圧、糖尿病、心肺機能の低下症、喫煙者、アルコール常飲者などが重症化しやすいらしい。すべてが生活習慣病だとは言えないが、自分の悪い生活習慣や生き方が招いたとも言えよう。これも本人の人生哲学が影響していると言えないだろうか。

高齢者や介護施設に入所されている方も重症化して亡くなる方が多い。自分も高齢者であるが、自分が新型コロナ肺炎になったら延命治療は受けたくないと思っている。何故なら、そうなったときは自分の寿命なのだから、無駄な医療費を浪費させたくないからである。今の医療や介護はクォリティオブライフを無視している。ある程度の生活の質を保てなくなったら、または社会に貢献できる体力や気力がなくなったら、延命治療はせずに自然死を望むのが、人間本来の生き方だと心得ている。コロナ肺炎は、まさにノアの箱舟のような気がする。

発症して重症化する人と、感染しても発症せずに抗体ができる人がいる。発症するかどうかは、普段の食生活や生活習慣に関わっていて、LOHASな生き方を普段から心がけている人は発症しにくいのではないだろうか。不健康で自堕落な生き方、つまりはタバコを吸い、ギャンブルに没頭し、アルコールに依存した生活をしている人、またはそんな乱れた生活を過去に続けてきた人が重症化するのではないだろうか。例外はあるとしても、家庭を大切にして、環境に配慮しながら持続可能で健康的な生活をしている人は発症しにくいのではないかと思われる。今回のコロナ感染で、LOHASな生き方を志向する人が増えてほしい。

コロナ離婚を避けるためには

コロナ離婚が急増しているという。コロナ離婚というのは、新型コロナウィルス感染症によって自宅待機やテレワークを強いられた夫のあまりにも酷い言動に、妻が耐え切れなくて決意する離婚のことを言うらしい。普段夫は仕事で昼間は会社に出掛けているから、家庭では土日しか在宅していない。ところが、毎日来る日も来る日も在宅している夫の態度が、うざったくて辟易するのだという。会社に行って仕事が出来ないというストレスも夫にあるのだろうが、妻に対する言動や態度が度を越しているということだと思われる。

新型コロナウィルス感染症は、社会生活に大きな制限や影響を与えている。生命をも危うくさせられるほどの大変なパンデミックを起こしているが、家族の絆にも影響を与えて、家族崩壊さえも起こすほどの事態を引き起こしているとは驚きだ。外出制限は、経済に深刻な影響を与えている。夜間営業の飲食店や居酒屋が営業制限を受けた影響で、家庭内での夕食や飲酒が増えたとみられる。当然、家族内の対話や触れ合いが多くなる。そのお陰で、家族の絆が深まって関係性が良好になると思っていたが、逆に家族の関係性が壊れるとは想定外だ。

それにしても、自宅待機や自宅ワークを強いられて、さらにはギャンブルや飲み会にも行けなくてイライラするのは理解できるが、その捌け口を妻や子に求めるというのは許せない。奥さんだって、学校にも行けず自宅にいる子どもの面倒を見るために外出できずストレスが溜まる。それでも、奥様方は普段は作らなくてもいい昼食やおやつを作って、家族のために苦労しているのだ。少しぐらい家事育児に協力してくれてもいい筈だ。ゲームやTVにうつつを抜かして協力せず横暴な態度をされたら、妻だってキレてしまうのは当然だ。

コロナ離婚と呼ばれているが、この感染症騒ぎがあったから離婚になった訳ではないように思われる。今までも、我慢できないような夫の言動が積み重なっていたに違いない。身勝手で自己中で、妻の気持ちにまったく共感できない夫。妻がどんなに悲しくて苦しい思いをしていても、それを察知してくれない。悩みを打ち明けても、それに共感してくれないばかりか、自分のほうに原因があるのではと責められる。それでも何とか忍耐を続けていたのに、今回のコロナ感染症騒ぎで毎日昼間も一緒にいることで、夫との離別意思が決定的になったのではあるまいか。

イスキアの活動をしていると、こういう夫を持つ妻から相談を受けることが多い。本日もゴルフ練習場である妙齢の女性から、あまりにも酷い夫の言動により、全身のあちこちに原因不明の痛みやしびれが起きているとの相談があった。どうしたらいいのかとの質問に、まずは傾聴して共感してくれる人に、たっぷりと夫に対する愚痴を聞いてもらうことだと助言した。それを何度もすると、夫の言動によっていかに自分が傷つけられているかという事実を、俯瞰するし客観視できるようになる。そうすれば、ストレスが軽減できるようになる。

それだけでは来る日も来る日も痛めつけられる精神は、穏やかにはならないだろう。毎日をどのように過ごしたらいいでしょうかとの問いに、私は「宇宙人と暮らしているんだ」と思うようにしてはどうかとアドバイスをした。同じ人間だから、日本人なんだから話が通じるに違いないと思うことがそもそも間違いなのだと認識すべきだ。夫なのだから自分の気持ちは解ってくれるものだと思うことがそもそも間違っているのである。夫は、人間の姿かたちをしている宇宙人なのだから、所詮自分の言葉を理解できないし、共感なんてしない生き物だと思うのである。

もし、コロナ離婚を言い出された夫がこのブログを読んでいたら、こうすれば離婚を食い止められる。妻の話をまずは黙って聴くことだ。謙虚に素直な気持ちで、心から謝ることだ。そして、妻の話に共感するだけでいい。アドバイスや忠告はしなくていいし、分析したり批判したりすることをしてはいけない。妻の気持ちを自分のことのように聞いて、妻と同じ感情を素直に吐露しなくてはならない。そして、辛くて悲しんでいる妻を何も言わずぎゅっと抱きしめてあげるとよい。痛い場所やしびれがないかどうかを聞いて、その箇所を優しくさすってあげるだけでいい。そうすれば、妻の心も徐々に和らいで許してくれるかもしれない。夫が優しく妻を愛すれば、妻は必ず応えてくれる筈だ。

コロナによる自宅待機でDVが増加?

ヨーロッパでは、新型コロナウィルス感染症が爆発的に増加している。その沈静化のために厳しい外出制限の措置が取られ、自宅待機が長期化しているという。その影響なのか、DVが多発していて、深刻な状況になっているのだという。外出制限のために職場に行けず、自宅での待機を強いられた父親が、ストレスが限度に達してしまい、妻子にDVを働いてしまうという構図らしい。または、ストレスが溜まった母親が子どもに対してDVをしてしまう例もある。弱い立場の者が犠牲者になってしまうのは世の常ではあるが、あまりにも悲惨である。

家庭内暴力というのは、体力や権力の強い者が弱者に対して働くケースが殆どである。たまに、ひきこもりの子どもが親に対して暴力を振るう例もあるが、その際もどちらかというと力の弱い母親が対象になることが多い。DVは、自分に対して反抗しない相手に対して行なう卑怯な行為なのである。今後の日本でも外出制限や外出規制が厳格化し長期化するに伴い、DVや虐待が急増するかもしれない。そんな不幸が起きないようにと願っているが、その可能性は高いと予想される。何故なら日本人は、基本的にストレス解消が不得意だからだ。

日本でもDVが起きる可能性が高くなる理由が他にもある。それは、家族の関係性が良好だと言えない家庭が多いからである。仮面夫婦を演じているケースが多いし、父親と子どもとの信頼関係が危うい家庭が多い。したがって、良好な家族の絆が結ばれていないし、家族の関係性が劣化・希薄化しているケースが少なくない。自宅待機が長引くと、お互いに対する思いやりがなくなるので、言い争いも起きるし、暴言や暴力に発展することも多くなるであろう。家族の関係性が悪いから、DVが起きるのである。

新型コロナウィルス感染症が起きて、学校や幼稚園が休校・休園になってしまった。そのおかげで、子どもたちも家庭に自宅待機となってしまった。当初、子どもたちが外出するのは好ましくないという捉え方をしてしまった。確かに、学校が休みだからと言っても自由に外出するのは良くないと考えるのも当然だ。買い物、映画、旅行、ゲームセンターなどに行くのは好ましくないだろう。ところが、公園に行って遊んでいる子どもがいると、各市町村の教育委員会に苦情を申し立てた人がいたらしい。それで、一時は公園に行けない子どもがいたのだ。

そんな可哀そうな子どもがいると教育委員会に訴えて、改めて文科省から通達があり、公園に子どもたちが行くのは問題ないことになった。公園に多くの子どもたちが喜んで遊ぶ姿が見られるようになった。子どもたちがどこにも出かけられなくなったら、ストレスが溜まるばかりである。我が家の孫たちは、毎日午前と午後の二回公園に連れて行き、十分に遊ばせた。時には、登山にも連れて行った。おかげで、ストレス解消が充分にできて、心身共に健康に過ごせた。大人だって、ストレス解消が必要であろう。

テレワークが可能であれば、外出するのは難しい。自宅でパソコンに向かって、仕事をしなければならない。テレワークが困難で、外出制限をされて自宅待機している大人が、自宅でTVやビデオ鑑賞で過ごすのは、あまり良いストレス解消ではない。スポーツジムや屋内運動施設でスポーツをするのも、感染の危険性が高いので好ましくない。公共交通機関を利用して遠くの公園や里山などに行くのは、感染の危険性がある。しかし、自家用車やレンタカーを利用して自然のフィールドに出て、トレッキングやキャンプをするのは構わないだろう。

普段、家族との触れ合いや対話がなくて、家族の関係性が希薄化したり劣化したりしているのであれば、この自宅待機を積極的に活用してはどうだろうか。郊外の公園や里山、キャンプ場に行って、家族でバーベキューやキャンプ、ハイキングをしてみるのも良い。豊かな自然の中で、夫婦・親子の触れ合いを楽しんで、ストレス解消をしてみてはどうだろうか。その際大人は、普段の嫌なことや辛いことを何もかも忘れて、童心に帰って思いっきりはしゃぎ回ることを勧める。そうすれば、家族の絆も深まってストレスフリーになり、DVや虐待も起きないに違いない。

発達障害の夫とカサンドラ症候群の妻

正式な傷病名ではないが、最近カサンドラ症候群という気分障害で苦しんでいる妻たちが多く存在する。あまりにも共感性の低い発達障害の夫と暮らす妻が陥るメンタル障害を、カサンドラ症候群と呼んでいる。ASD(アスペルガー症候群などの自閉症スペクトラム)の夫との暮らしにおいて、正常な会話が成り立たず、家族愛で包まれることのない不毛な家庭で、身も心も疲れ切ってしまうという。ほとんど役に立たないASDの夫である故に、家庭の切り盛りを一人でせざるを得ない妻が、カサンドラ症候群で苦しむという図式であろう。

現在サポートさせてもらっている、メンタルを病んでいる女性のクライアント、または不登校やひきこもりの子どもを持つお母さまであるクライアントは、殆どがカサンドラ症候群である。勿論、妻が発達障害というその逆のケースもない訳ではないが、ごく少数である。カサンドラ症候群の妻たちは、自分の夫がASDだと気づいていないケースもある。そういう場合には、何故自分がこんなにも家庭生活で生きづらいのかが解らず、長い期間に渡り苦しみ続けている。そして、子どもがその影響をもろに受けてしまうことが少なくない。

ASDの夫は、職場においてはごく普通に職務をこなすことが出来るケースが多い。しかし、家庭においては、まともな会話が成り立たない。まず、妻の話や子どもの話を聞かない。聞いたとしても、相手の気持ちを理解しようとしない。相手の顔を見ようともしない。自分の興味あることに心を奪われていて、上の空で会話をする。育児や教育の大切なことを話しても、まったく聞こうとしない。なにしろ、傾聴しようという気がないし、共感性がない。まるで、ロボットと会話しているようだと妻たちは嘆く。

一口に自閉症スペクトラム(ASD)と言っても、それこそ症状は様々であるし、重症の方からほんの軽い症状の方もいる。特に問題になるのが、ごく軽い症状のASDの夫と結婚してしまった妻たちである。そのASDの夫は、ごく普通に社会生活を送っている。勿論、一般企業や官公庁で立派に働いている。中には、企業家や経営者であるケースもあるし、ドクターや技術者、または法曹界で働いている人もいる。当然、経済的には一家の大黒柱であることも多いから、経済的依存度も高いので、妻たちは我慢することが多い。

社会的地位も高く、職場で高評価を得ている人も少なくない。どうしても職業や地位で判断する人が多いから、周りの人から「いい人と結婚出来て羨ましい」と言われている。そうすると、家庭内でコミュニケーション上のいろいろな問題があったとしても、夫が悪いのではなくて、自分の努力が足りないせいだと自分を責めてしまうのである。何かおかしいと感じながら、自分が悪いと思い込みがちになる。そうすると、毎日の対話や夫の言動によって、ボディーブローのように痛め続けられ、心身の異常を来してしまうことになる。

ASDの夫と結婚生活を営んで、カサンドラ症候群になった妻たちは、不眠や抑うつ症状に陥ることが多い。パニック障害やPTSDになることも少なくない。摂食障害になる人もいるし、双極性障害や統合失調症の症状を起こす人もいる。心の病気だけでなく、身体の疾患になるケースも多い。例えば、原因不明のしびれや痛みに悩まされることもある。肩こり、首の痛み、腰痛で苦しむ妻も多い。線維筋痛症と診断されることもあるし、心因性疼痛として治療を受ける妻もいる。自己免疫疾患に罹患することもあり、子宮や卵巣の疾病を発症する人もいる。つまり、カサンドラ症候群は、命に関わるような病気も引き起こすのである。

カサンドラ症候群の妻は、不安定な精神状態になったり身体の難病を発症したりする。当然、自分の子どもたちに豊かな愛情を注ぐことが難しくなり、子どもが愛着障害を発症してしまうことが多い。そして、子どもたちは不登校やひきこもりを起こしやすくなる。カサンドラ症候群の母親は、さらに心身を病んでしまうことになる。それでは、ASDの夫と離別しない限り、妻のカサンドラ症候群は治らないのだろうか。そんなことはない。ASDの夫に適切な診断と支援をすれば、症状が軽くなる場合もある。また、妻に親身になって傾聴と共感をしてくれる適切な支援者が現われれば、症状を改善できることもある。

※「イスキアの郷しらかわ」は、カサンドラ症候群の妻を支援しています。あまりに違和感を覚える夫のことで悩んでいて、相談してみたいと思われた方は『問い合わせフォーム』からご相談したいとお申込みください。こちらから、返信をいたします。

その生きづらさはHSPかもしれない

今生きているこの社会は生きづらいなあと実感している人は、想像以上に多いかもしれない。そもそも社会自体に生きづらさの原因があるのだから、生きづらさを感じるのは当然だ。しかし、そればかりが原因ではないように感じる。何故なら、まったく生きづらさを感じないでイキイキとした暮らしをしている人がいるからだ。どうして特定の人だけが生きづらさを覚えながら生きるのかというと、その原因はどうやら『HSPと愛着障害』によるものではないかと考えられる。HSPと愛着障害があるから、生きづらさを感じてしまうのではないだろうか。

HSPとは、ハイリーセンシティブパーソンの略語である。HSPは感覚過敏や心理社会的過敏を持ち、対人関係が苦手であるケースが多い。生きづらさを抱えている人というのは、良好な人間関係を築くことが不得意であることが多い。特に、学校や職場において人間関係の問題を抱えることが少なくない。対人関係でトラブルを抱えてしまうことが多いし、対人恐怖症を抱えて生きる人も多い。HSPの人は、親との愛着が傷ついていたり不安定だったりすることが多い。HSPと愛着障害は併発しやすいと考えられている。

HSPの人は、感覚が異常に鋭い。普通の人ならまったく気づかないような微妙な気持ちの変化を、鋭く感じ取ることが出来てしまう。嘘をついていることを簡単に見抜くことができるし、相手の悪意や敵意を見逃さない。その感じ取る力は、必要以上に鋭いから困る。なにしろ、そんなに強い悪意ではなくても感じ取ってしまうから、相手をとことん嫌いになってしまい、何気なく付き合うということが出来ない。鋭敏な感覚を持つが故に、相手の気持ちが解り過ぎるから、深い関係性を持つことが出来なくなる。

HSPを抱えてしまった人は、学校や職場で浮いてしまうことが多い。あまりにも鋭敏な感覚や心理的な過敏性を持つから、他人と打ち解けることが難しいし、他人との良好な距離感を保持することが苦手である。距離を取り過ぎてしまい、仲良くすることが出来なかったり、あまりにも近づき過ぎてしまい鬱陶しく感じたりするのである。当然、対人関係でトラブルを抱えることになる。学校や職場において、パワハラ、セクハラ、モラハラの対象者になりやすい。夫婦関係や恋人関係においても、破綻しやすくなる。

このように人間関係でトラブルやいじめを抱えることが多いHSPで愛着障害の人は、強烈な生きづらさを抱えることになる。何故、HSPや愛着障害を抱えてしまうのかというと、安全基地が保証されずに育ったからである。自分の中に安全と絆が存在しえないとも言える。だから、いつも不安と恐怖感に苛まれている。自分に自信を持てないし、自尊感情が持てない。誰も守ってくれないし、誰にも甘えられない。だから、いつも不安になって周りの人や環境が怖くて仕方がない。いつも誰からか攻撃されるのではないかと、恐怖を抱えている。

HSPや愛着障害で生きづらさを抱えている人は、いつも不安に思っている。将来に対する不安があって、良くないことが起きるのではないかという恐怖があるから、無意識の脳が恐怖に支配される。そうすると、知らず知らずのうちに、良くない結果を招くような言動をしてしまう。つまり、悪い結果を自らが引き寄せてしまうのである。また、HSPや愛着障害の人は、自分が本当に好かれているのか、愛されているのかを試す傾向にある。わざと嫌われるような行動をして、試すのである。この試し行動は、度重なると相手を怒らせてしまう。

このように、益々対人関係を悪化させてしまい、孤独感に陥ってしまうのである。一人になるのが怖いのに、知らず知らずのうちにひとりぼっちになるような言動をしてしまうのだ。だから、生きづらさが強化され続けるのである。このような生きづらさを抱えている人を救うには、安全と絆を提供することでしかなしえない。自分の努力だけで生きづらさを解決できないし、HSPや愛着障害は乗り越えることは不可能だ。安全基地としての場や人物を提供して、適切な愛着アプローチを継続すれば、愛着障害を克服できて、生きづらさを解消できる。

※イスキアの郷しらかわでは、強烈な生きづらさを抱えた方をサポートしています。農家民宿で農業体験や自然体験をしながら、安全基地としての場を提供することで、愛着障害やHSPを癒すことが可能になります。生きづらいと感じる方は、『問い合わせフォーム』から、まずはご相談ください。電話相談やメールでの相談は、ずっと無料で実施しています。