コロナ離婚を避けるためには

コロナ離婚が急増しているという。コロナ離婚というのは、新型コロナウィルス感染症によって自宅待機やテレワークを強いられた夫のあまりにも酷い言動に、妻が耐え切れなくて決意する離婚のことを言うらしい。普段夫は仕事で昼間は会社に出掛けているから、家庭では土日しか在宅していない。ところが、毎日来る日も来る日も在宅している夫の態度が、うざったくて辟易するのだという。会社に行って仕事が出来ないというストレスも夫にあるのだろうが、妻に対する言動や態度が度を越しているということだと思われる。

新型コロナウィルス感染症は、社会生活に大きな制限や影響を与えている。生命をも危うくさせられるほどの大変なパンデミックを起こしているが、家族の絆にも影響を与えて、家族崩壊さえも起こすほどの事態を引き起こしているとは驚きだ。外出制限は、経済に深刻な影響を与えている。夜間営業の飲食店や居酒屋が営業制限を受けた影響で、家庭内での夕食や飲酒が増えたとみられる。当然、家族内の対話や触れ合いが多くなる。そのお陰で、家族の絆が深まって関係性が良好になると思っていたが、逆に家族の関係性が壊れるとは想定外だ。

それにしても、自宅待機や自宅ワークを強いられて、さらにはギャンブルや飲み会にも行けなくてイライラするのは理解できるが、その捌け口を妻や子に求めるというのは許せない。奥さんだって、学校にも行けず自宅にいる子どもの面倒を見るために外出できずストレスが溜まる。それでも、奥様方は普段は作らなくてもいい昼食やおやつを作って、家族のために苦労しているのだ。少しぐらい家事育児に協力してくれてもいい筈だ。ゲームやTVにうつつを抜かして協力せず横暴な態度をされたら、妻だってキレてしまうのは当然だ。

コロナ離婚と呼ばれているが、この感染症騒ぎがあったから離婚になった訳ではないように思われる。今までも、我慢できないような夫の言動が積み重なっていたに違いない。身勝手で自己中で、妻の気持ちにまったく共感できない夫。妻がどんなに悲しくて苦しい思いをしていても、それを察知してくれない。悩みを打ち明けても、それに共感してくれないばかりか、自分のほうに原因があるのではと責められる。それでも何とか忍耐を続けていたのに、今回のコロナ感染症騒ぎで毎日昼間も一緒にいることで、夫との離別意思が決定的になったのではあるまいか。

イスキアの活動をしていると、こういう夫を持つ妻から相談を受けることが多い。本日もゴルフ練習場である妙齢の女性から、あまりにも酷い夫の言動により、全身のあちこちに原因不明の痛みやしびれが起きているとの相談があった。どうしたらいいのかとの質問に、まずは傾聴して共感してくれる人に、たっぷりと夫に対する愚痴を聞いてもらうことだと助言した。それを何度もすると、夫の言動によっていかに自分が傷つけられているかという事実を、俯瞰するし客観視できるようになる。そうすれば、ストレスが軽減できるようになる。

それだけでは来る日も来る日も痛めつけられる精神は、穏やかにはならないだろう。毎日をどのように過ごしたらいいでしょうかとの問いに、私は「宇宙人と暮らしているんだ」と思うようにしてはどうかとアドバイスをした。同じ人間だから、日本人なんだから話が通じるに違いないと思うことがそもそも間違いなのだと認識すべきだ。夫なのだから自分の気持ちは解ってくれるものだと思うことがそもそも間違っているのである。夫は、人間の姿かたちをしている宇宙人なのだから、所詮自分の言葉を理解できないし、共感なんてしない生き物だと思うのである。

もし、コロナ離婚を言い出された夫がこのブログを読んでいたら、こうすれば離婚を食い止められる。妻の話をまずは黙って聴くことだ。謙虚に素直な気持ちで、心から謝ることだ。そして、妻の話に共感するだけでいい。アドバイスや忠告はしなくていいし、分析したり批判したりすることをしてはいけない。妻の気持ちを自分のことのように聞いて、妻と同じ感情を素直に吐露しなくてはならない。そして、辛くて悲しんでいる妻を何も言わずぎゅっと抱きしめてあげるとよい。痛い場所やしびれがないかどうかを聞いて、その箇所を優しくさすってあげるだけでいい。そうすれば、妻の心も徐々に和らいで許してくれるかもしれない。夫が優しく妻を愛すれば、妻は必ず応えてくれる筈だ。

コロナによる自宅待機でDVが増加?

ヨーロッパでは、新型コロナウィルス感染症が爆発的に増加している。その沈静化のために厳しい外出制限の措置が取られ、自宅待機が長期化しているという。その影響なのか、DVが多発していて、深刻な状況になっているのだという。外出制限のために職場に行けず、自宅での待機を強いられた父親が、ストレスが限度に達してしまい、妻子にDVを働いてしまうという構図らしい。または、ストレスが溜まった母親が子どもに対してDVをしてしまう例もある。弱い立場の者が犠牲者になってしまうのは世の常ではあるが、あまりにも悲惨である。

家庭内暴力というのは、体力や権力の強い者が弱者に対して働くケースが殆どである。たまに、ひきこもりの子どもが親に対して暴力を振るう例もあるが、その際もどちらかというと力の弱い母親が対象になることが多い。DVは、自分に対して反抗しない相手に対して行なう卑怯な行為なのである。今後の日本でも外出制限や外出規制が厳格化し長期化するに伴い、DVや虐待が急増するかもしれない。そんな不幸が起きないようにと願っているが、その可能性は高いと予想される。何故なら日本人は、基本的にストレス解消が不得意だからだ。

日本でもDVが起きる可能性が高くなる理由が他にもある。それは、家族の関係性が良好だと言えない家庭が多いからである。仮面夫婦を演じているケースが多いし、父親と子どもとの信頼関係が危うい家庭が多い。したがって、良好な家族の絆が結ばれていないし、家族の関係性が劣化・希薄化しているケースが少なくない。自宅待機が長引くと、お互いに対する思いやりがなくなるので、言い争いも起きるし、暴言や暴力に発展することも多くなるであろう。家族の関係性が悪いから、DVが起きるのである。

新型コロナウィルス感染症が起きて、学校や幼稚園が休校・休園になってしまった。そのおかげで、子どもたちも家庭に自宅待機となってしまった。当初、子どもたちが外出するのは好ましくないという捉え方をしてしまった。確かに、学校が休みだからと言っても自由に外出するのは良くないと考えるのも当然だ。買い物、映画、旅行、ゲームセンターなどに行くのは好ましくないだろう。ところが、公園に行って遊んでいる子どもがいると、各市町村の教育委員会に苦情を申し立てた人がいたらしい。それで、一時は公園に行けない子どもがいたのだ。

そんな可哀そうな子どもがいると教育委員会に訴えて、改めて文科省から通達があり、公園に子どもたちが行くのは問題ないことになった。公園に多くの子どもたちが喜んで遊ぶ姿が見られるようになった。子どもたちがどこにも出かけられなくなったら、ストレスが溜まるばかりである。我が家の孫たちは、毎日午前と午後の二回公園に連れて行き、十分に遊ばせた。時には、登山にも連れて行った。おかげで、ストレス解消が充分にできて、心身共に健康に過ごせた。大人だって、ストレス解消が必要であろう。

テレワークが可能であれば、外出するのは難しい。自宅でパソコンに向かって、仕事をしなければならない。テレワークが困難で、外出制限をされて自宅待機している大人が、自宅でTVやビデオ鑑賞で過ごすのは、あまり良いストレス解消ではない。スポーツジムや屋内運動施設でスポーツをするのも、感染の危険性が高いので好ましくない。公共交通機関を利用して遠くの公園や里山などに行くのは、感染の危険性がある。しかし、自家用車やレンタカーを利用して自然のフィールドに出て、トレッキングやキャンプをするのは構わないだろう。

普段、家族との触れ合いや対話がなくて、家族の関係性が希薄化したり劣化したりしているのであれば、この自宅待機を積極的に活用してはどうだろうか。郊外の公園や里山、キャンプ場に行って、家族でバーベキューやキャンプ、ハイキングをしてみるのも良い。豊かな自然の中で、夫婦・親子の触れ合いを楽しんで、ストレス解消をしてみてはどうだろうか。その際大人は、普段の嫌なことや辛いことを何もかも忘れて、童心に帰って思いっきりはしゃぎ回ることを勧める。そうすれば、家族の絆も深まってストレスフリーになり、DVや虐待も起きないに違いない。

発達障害の夫とカサンドラ症候群の妻

正式な傷病名ではないが、最近カサンドラ症候群という気分障害で苦しんでいる妻たちが多く存在する。あまりにも共感性の低い発達障害の夫と暮らす妻が陥るメンタル障害を、カサンドラ症候群と呼んでいる。ASD(アスペルガー症候群などの自閉症スペクトラム)の夫との暮らしにおいて、正常な会話が成り立たず、家族愛で包まれることのない不毛な家庭で、身も心も疲れ切ってしまうという。ほとんど役に立たないASDの夫である故に、家庭の切り盛りを一人でせざるを得ない妻が、カサンドラ症候群で苦しむという図式であろう。

現在サポートさせてもらっている、メンタルを病んでいる女性のクライアント、または不登校やひきこもりの子どもを持つお母さまであるクライアントは、殆どがカサンドラ症候群である。勿論、妻が発達障害というその逆のケースもない訳ではないが、ごく少数である。カサンドラ症候群の妻たちは、自分の夫がASDだと気づいていないケースもある。そういう場合には、何故自分がこんなにも家庭生活で生きづらいのかが解らず、長い期間に渡り苦しみ続けている。そして、子どもがその影響をもろに受けてしまうことが少なくない。

ASDの夫は、職場においてはごく普通に職務をこなすことが出来るケースが多い。しかし、家庭においては、まともな会話が成り立たない。まず、妻の話や子どもの話を聞かない。聞いたとしても、相手の気持ちを理解しようとしない。相手の顔を見ようともしない。自分の興味あることに心を奪われていて、上の空で会話をする。育児や教育の大切なことを話しても、まったく聞こうとしない。なにしろ、傾聴しようという気がないし、共感性がない。まるで、ロボットと会話しているようだと妻たちは嘆く。

一口に自閉症スペクトラム(ASD)と言っても、それこそ症状は様々であるし、重症の方からほんの軽い症状の方もいる。特に問題になるのが、ごく軽い症状のASDの夫と結婚してしまった妻たちである。そのASDの夫は、ごく普通に社会生活を送っている。勿論、一般企業や官公庁で立派に働いている。中には、企業家や経営者であるケースもあるし、ドクターや技術者、または法曹界で働いている人もいる。当然、経済的には一家の大黒柱であることも多いから、経済的依存度も高いので、妻たちは我慢することが多い。

社会的地位も高く、職場で高評価を得ている人も少なくない。どうしても職業や地位で判断する人が多いから、周りの人から「いい人と結婚出来て羨ましい」と言われている。そうすると、家庭内でコミュニケーション上のいろいろな問題があったとしても、夫が悪いのではなくて、自分の努力が足りないせいだと自分を責めてしまうのである。何かおかしいと感じながら、自分が悪いと思い込みがちになる。そうすると、毎日の対話や夫の言動によって、ボディーブローのように痛め続けられ、心身の異常を来してしまうことになる。

ASDの夫と結婚生活を営んで、カサンドラ症候群になった妻たちは、不眠や抑うつ症状に陥ることが多い。パニック障害やPTSDになることも少なくない。摂食障害になる人もいるし、双極性障害や統合失調症の症状を起こす人もいる。心の病気だけでなく、身体の疾患になるケースも多い。例えば、原因不明のしびれや痛みに悩まされることもある。肩こり、首の痛み、腰痛で苦しむ妻も多い。線維筋痛症と診断されることもあるし、心因性疼痛として治療を受ける妻もいる。自己免疫疾患に罹患することもあり、子宮や卵巣の疾病を発症する人もいる。つまり、カサンドラ症候群は、命に関わるような病気も引き起こすのである。

カサンドラ症候群の妻は、不安定な精神状態になったり身体の難病を発症したりする。当然、自分の子どもたちに豊かな愛情を注ぐことが難しくなり、子どもが愛着障害を発症してしまうことが多い。そして、子どもたちは不登校やひきこもりを起こしやすくなる。カサンドラ症候群の母親は、さらに心身を病んでしまうことになる。それでは、ASDの夫と離別しない限り、妻のカサンドラ症候群は治らないのだろうか。そんなことはない。ASDの夫に適切な診断と支援をすれば、症状が軽くなる場合もある。また、妻に親身になって傾聴と共感をしてくれる適切な支援者が現われれば、症状を改善できることもある。

※「イスキアの郷しらかわ」は、カサンドラ症候群の妻を支援しています。あまりに違和感を覚える夫のことで悩んでいて、相談してみたいと思われた方は『問い合わせフォーム』からご相談したいとお申込みください。こちらから、返信をいたします。

その生きづらさはHSPかもしれない

今生きているこの社会は生きづらいなあと実感している人は、想像以上に多いかもしれない。そもそも社会自体に生きづらさの原因があるのだから、生きづらさを感じるのは当然だ。しかし、そればかりが原因ではないように感じる。何故なら、まったく生きづらさを感じないでイキイキとした暮らしをしている人がいるからだ。どうして特定の人だけが生きづらさを覚えながら生きるのかというと、その原因はどうやら『HSPと愛着障害』によるものではないかと考えられる。HSPと愛着障害があるから、生きづらさを感じてしまうのではないだろうか。

HSPとは、ハイリーセンシティブパーソンの略語である。HSPは感覚過敏や心理社会的過敏を持ち、対人関係が苦手であるケースが多い。生きづらさを抱えている人というのは、良好な人間関係を築くことが不得意であることが多い。特に、学校や職場において人間関係の問題を抱えることが少なくない。対人関係でトラブルを抱えてしまうことが多いし、対人恐怖症を抱えて生きる人も多い。HSPの人は、親との愛着が傷ついていたり不安定だったりすることが多い。HSPと愛着障害は併発しやすいと考えられている。

HSPの人は、感覚が異常に鋭い。普通の人ならまったく気づかないような微妙な気持ちの変化を、鋭く感じ取ることが出来てしまう。嘘をついていることを簡単に見抜くことができるし、相手の悪意や敵意を見逃さない。その感じ取る力は、必要以上に鋭いから困る。なにしろ、そんなに強い悪意ではなくても感じ取ってしまうから、相手をとことん嫌いになってしまい、何気なく付き合うということが出来ない。鋭敏な感覚を持つが故に、相手の気持ちが解り過ぎるから、深い関係性を持つことが出来なくなる。

HSPを抱えてしまった人は、学校や職場で浮いてしまうことが多い。あまりにも鋭敏な感覚や心理的な過敏性を持つから、他人と打ち解けることが難しいし、他人との良好な距離感を保持することが苦手である。距離を取り過ぎてしまい、仲良くすることが出来なかったり、あまりにも近づき過ぎてしまい鬱陶しく感じたりするのである。当然、対人関係でトラブルを抱えることになる。学校や職場において、パワハラ、セクハラ、モラハラの対象者になりやすい。夫婦関係や恋人関係においても、破綻しやすくなる。

このように人間関係でトラブルやいじめを抱えることが多いHSPで愛着障害の人は、強烈な生きづらさを抱えることになる。何故、HSPや愛着障害を抱えてしまうのかというと、安全基地が保証されずに育ったからである。自分の中に安全と絆が存在しえないとも言える。だから、いつも不安と恐怖感に苛まれている。自分に自信を持てないし、自尊感情が持てない。誰も守ってくれないし、誰にも甘えられない。だから、いつも不安になって周りの人や環境が怖くて仕方がない。いつも誰からか攻撃されるのではないかと、恐怖を抱えている。

HSPや愛着障害で生きづらさを抱えている人は、いつも不安に思っている。将来に対する不安があって、良くないことが起きるのではないかという恐怖があるから、無意識の脳が恐怖に支配される。そうすると、知らず知らずのうちに、良くない結果を招くような言動をしてしまう。つまり、悪い結果を自らが引き寄せてしまうのである。また、HSPや愛着障害の人は、自分が本当に好かれているのか、愛されているのかを試す傾向にある。わざと嫌われるような行動をして、試すのである。この試し行動は、度重なると相手を怒らせてしまう。

このように、益々対人関係を悪化させてしまい、孤独感に陥ってしまうのである。一人になるのが怖いのに、知らず知らずのうちにひとりぼっちになるような言動をしてしまうのだ。だから、生きづらさが強化され続けるのである。このような生きづらさを抱えている人を救うには、安全と絆を提供することでしかなしえない。自分の努力だけで生きづらさを解決できないし、HSPや愛着障害は乗り越えることは不可能だ。安全基地としての場や人物を提供して、適切な愛着アプローチを継続すれば、愛着障害を克服できて、生きづらさを解消できる。

※イスキアの郷しらかわでは、強烈な生きづらさを抱えた方をサポートしています。農家民宿で農業体験や自然体験をしながら、安全基地としての場を提供することで、愛着障害やHSPを癒すことが可能になります。生きづらいと感じる方は、『問い合わせフォーム』から、まずはご相談ください。電話相談やメールでの相談は、ずっと無料で実施しています。

新型肺炎に対する危機管理がお粗末な訳

新型コロナウィルス肺炎の政府による感染対策が実にお粗末である。横浜港に停泊していた客船ダイヤモンドプリンセスの感染があんなにも広がったのは、厚労省と内閣府職員のミスだとする感染対策の専門家が多い。検疫官が感染したというのもお粗末だが、厚労省や内閣府の職員も安易な感染予防措置にて感染したというのは、専門家としてあり得ない。感染危険の度合いを明示して、完全な区分けを実施せず感染者を増やしたのは間違いない。感染予防に対する政府の指示も、他人任せで徹底していない。危機管理がなっていない。

このようなパンデミックが起きそうな事態において、我が国の官僚の危機管理が機能しないのは不思議である。世界的にみても優秀過ぎるくらいに能力のある我が国の高級官僚が、新型コロナ肺炎のような緊急的に危機管理が求められる状況では、まったく無力になってしまうのは何故なのであろうか。さらには、各省庁の密な連携が必要な状況で、まったく連携が上手くいかないことが多々あるのは、どうしてなのであろうか。キャリア官僚がセクト主義に陥っているからだという理由だけでは説明がつかないだろう。

我が国のキャリア官僚が、新型コロナ肺炎の感染防止策を適切に計画し実行できないのは、彼らの能力が低いからではない。能力や技術、知識・経験がない訳でもない。キャリア官僚が適切な対応ができないのは、自ら進んでリスクとコストを負担しようとしないからである。つまり、自分から責任を取ろうとしない官僚、自分の非を認めようとしない官僚だから、今回の不始末を招いたのであろう。国民と市民目線で考えることをせず、いつも官邸や内閣の思惑ばかりを気にして感染対策をしていたから、問題の本質が見えなくなったと言えよう。

官僚というのは、本来は常に自らの出処進退を掛けて、国民・市民の幸福と福祉を実現する為に邁進するものである。自分の評価や昇進のことを気にしていたら、大胆で適切な感染対策なんかできっこない。批判されないようにとあまりにも気にして、後手に回る対応をしていて、感染を防ぎきれなかったように見えて仕方ない。最近のキャリア官僚には矜持があるとは思えない。官邸や内閣に批判されないようにすることばかり考えて、国民を感染からどうやれば防げるのかという大切な視点を見失ってしまったように思われる。

キャリア官僚の人事権を官邸が掌握するようになって、日本の官僚は堕落してしまったようだ。官邸や内閣に少しでも逆らったら、官僚の世界では生きていけなくなってしまったのだ。だから、官邸や首相に忖度をするしかなくなったのである。こうなってしまうと、行政は停滞するし、適切さを欠いてしまう。危機管理においても、迅速さを失くしてしまう。今回の新型コロナ肺炎の感染予防対策で後手に回って、感染を蔓延させてしまったのは、官邸がすべての実権を独占したからである。官僚に主体性と自主性を与えなかった官邸が今回の失態を招いたと言える。

組織が本来の機能を十分に果たせなくなるというのは、権限移譲を怠った時だ。現場の責任者にすべての権限を与え、責任はトップが取るというシステムを構築しないと、適切な危機管理なんてできる訳がない。ダイヤモンドプリンセス号の中で、適切な感染予防対策が取れなかったのは、現場の責任者にあらゆる権限を与えなかったからではなかろうか。そして、現場の責任者や官僚が、自らのリスクとコストを進んで負担しようとしなかったからではなかろうか。官僚にリスクとコストを負担させようとしなかった官邸にこそ、その責任があると言える。

新型コロナ肺炎がこれから収束に向かうのか、それとも感染予防策が上手く行かず、パンデミックの様相を迎えるのか、極めて危うい分岐点にあると見られている。新型コロナ肺炎がこれ以上広がらず収束に向かわせるには、感染予防の専門家にあらゆる対応の実権を与えて、官邸が口出しを極力控えることが必要だと考える。そして、どんな結果になろうとも責任は官邸が取るべきである。このような権限移譲をしなければ、国難のような危機に対応することは難しいだろう。官邸と内閣にこそ、リスクとコストを先取りしてもらいたいものである。

熟年離婚は益々増えてくる

熟年離婚が急増している。夫が定年するまで待つという妻、子どもが自立するまで我慢するという妻が多い中、それまでも待てないと、40歳代から50歳代で離婚を決断する妻も少なくない。夫のほうから離婚を切り出すケースもあるが、圧倒的に多いのは妻からの申し出のほうである。そして、妻から離婚を切り出された夫は、離婚の原因について自分ではまったく心当たりがないというのである。一方妻のほうはというと、長年に渡り我慢に我慢を積み重ねてきて、もうこれ以上は無理だと決断しているという。

夫のほうは、身を粉にして働き、家族のために自分を犠牲にして努力してきたと思っている。連日の残業や顧客接待で深夜まで働き、土曜日曜だって接待ゴルフや休日残業で頑張ってきたと自負している。家族サービスだって不十分ながらしてきたし、家族のために持ち家やマンションを購入してあげた。経済的には、不自由な思いをさせたことはないと思っている。こんなにも家族の為に粉骨砕身働いてきたのに、離婚したいなんて、考えられない裏切りではないかと思う。妻を裏切るような行為をした覚えもないのである。

でも、妻は数えきれない不満を抱えている。妻をまるで家政婦やベビーシッターかのように扱う夫には、もう我慢がならないのだ。何時もではないが、時折妻を自分の所有者、支配者のようにふるまう夫。身勝手で、自己中の夫。モラハラやパワハラを平気で繰り返す夫。それを全く意識していないから、反省することもないし、改善することはない。経済的なこともあるから何とか我慢し続けてきたけれど、もはや一緒に生活する必要もないし、これからの人生を一緒に歩むという選択肢はないのだ。

家事や育児を分担してくれる夫がいない訳ではない。しかし、圧倒的に妻の負担が大きい。いくらパートやアルバイトだからと言っても、働いていることに変わりはない。それなのに、自分の仕事を最優先に考えていて、妻の仕事に理解を示さないし、非協力的である。子どもの教育の問題やトラブルが起きると、仕事に逃げてしまい妻任せにしてしまう。自分にとって損か得になるかで行動し、自分の評価や名誉ばかりを考え、妻に対する思いやりやいたわりの気持ちが感じられない。妻の気持ちを解ろうとしない夫に愛想尽かしをするのは当然だ。

とは言いながら、優しくない訳ではない。誕生日やクリスマスイブにはプレゼントをしてくれるし、嫌々ながらも買い物に付き合ってくれる。評判のレストランにも連れて行ってくれるし、旅行に誘ってくれることもある。しかし、自分の都合に無理に合わせようとするし、好きな処に行くけれど、妻の行きたい処は行きたがらない。なにしろ、自分の思い通りにならないと、とたんに機嫌悪くなる。妻から不適切な行動を指摘されると、黙り込んで不機嫌な表情をする。そうすると、妻は自分が不機嫌させてしまったと自分を責めてしまう。

妻は、夫が嫌いになって離婚しようとしている訳ではない。妻の気持ちに共感してくれようとしない夫に我慢がならないのだ。そして、黙って話を聞いてほしいだけなのに、トラブルの原因が妻にもあると指摘したうえに、解決法をくどくどと述べる、その傲慢な態度が気に入らないだけなのだ。何かというと、見下したような態度をとる夫には辟易している。結婚してから築いた財産はすべて折半できるし、婚姻後に積んだ夫の年金は自分が半分受け取れることが解ったから、経済的にも困らないと知った。人手不足で引く手あまたの社会だから、パートなら高齢でも雇ってくれる。離婚しても、経済面での不安がないから、決断するのだろう。

妻が熟年離婚しようしていないのか、気になって仕方ない夫がいるかもしれない。熟年離婚をしたくなかったら、夫は心を入れ替える必要がある。今までのように、妻の話をまるで聞かないような態度は改めなくてはならない。妻の話に耳を傾けて聞き、批判・否定せず妻の気持ちに共感することから始めることだ。妻とのスキンシップも含めた触れ合いを心がけると共に、妻の気持ちを自分のことのように感じることが求められる。そして、何よりも妻の主体性や自主性を重んじ、妻を支配したり制御したりしてはならない。人間としての尊厳を妻に対しても認めてあげることだ。まずは、家事の分担から見直してみてはどうだろうか。

読解力が低下したのは何故か

日本の子どもが世界的にみて、読解力が異常に低いことが解った。OECDが昨年実施した国際学習到達度調査(PISA)で、15位という先進国で最低レベルの結果が出たのである。数学的応用力で6位、科学的応用力が5位だったことを考慮すると、読解力が異常に低いことが解ろう。前々回は4位、前回が8位だったのだから、どんどん下がり続けているという実態も明らかになった。こんなにも読解力が低いというのも驚きだが、年々下がり続けているのだからショッキングなニュースだ。こんなにも読解力が低いのは何故だろうか。

文科省や政府の見解としては、こんなにも読解力が低いのは日本のICT指導教育が遅れているからと見ているらしい。だから、文科省の幹部はPC操作だけでなくタブレット端末の操作を若いうちに習得すべきだと、とんでもない勘違いの主張をしている。読解力低下の本当の理由は、そんなことではない。また、小中学生の読書離れが読解力の低下に結びついていると主張している教育評論家も多い。読み書きの訓練が少ないから、読解力が低くなったという専門家も少なくない。本当に、読解力低下の理由はそれだけであろうか。

読解力が低下しているのは、中学生や高校生だけではない。大学生や若者もまた読解力不足が著しい。そして、まともな文章を書けない若者が多い。大学の教授が学生に対してレポートの提出を求めると、どこかのウェブサイトからコピペして文章を作成したとしか思えないようなレポートばかりだという。自分の言葉で表現することが出来ないのだという。それは、語彙力がないからとも言えるし、表現力が著しく乏しいからである。これからの日本を背負って立つ若者がこのような状況では、日本の将来も相当に暗いと言える。

読解力が低下した本当の原因は、やはり日本の学校教育にあるに違いない。何故ならば、江戸時代から明治初期までの日本人は、卓越した読み書きの能力があった。それが明治の教育制度の改革によって、徐々に日本人の読み書きの能力が低下したのである。その影響が強まり続け、それが極まったのが今回の読解力低下であろう。読解力というのは、書き手の気持ちが解るということである。書き手がどんな気持ちで書いたのか、そして何を伝えたいのかとか何を訴えたいのかが、手に取るように解るということだ。それが読解力なのだ。

何故、明治維新以降にこの読解力が低下し続けたのかというと、明治政府が西欧の近代教育を取り入れたからである。当初、この西欧の近代教育を導入すると、日本人の価値観が駄目になるという理由で、西郷隆盛は猛反対した。ところが、大久保利通は西郷が不在だったのをいいことに、無理やり近代教育を制度化してしまった。この近代教育というのは、客観的合理性の教育である。能力・能率第一主義で、すべてを客観的にみるという考え方である。そして、要素還元主義とも言い、物事を細分化して問題を見つけるというやり方だ。

このような客観的合理性や要素還元主義の考え方を徹底して身に付けると、身勝手で自己中になり、相手の気持ちに共感できなくなる。実に冷たい心の持ち主になってしまうのである。共感的認知が出来なくなるので、相手の悲しさや辛さを感じなくなってしまうのだ。日本人に離婚が増えた理由のひとつも、客観的合理性の考え方をする男性が増えたからである。自分の損得や自分の欲望を優先して、妻の悲しみに共感できない夫は、妻から見捨てられる運命を辿るのである。客観的合理性の考え方も必要だが、同時に共感的関係性や全体最適性も身につけなければならない。

この共感的関係性や全体最適性というのは、人間として最優先で持たなければならない価値観である。これがないと、他人との良好な関係性を持てない。つまり、誰からも相手にされず、孤独になるということである。共感的関係性や全体最適性がないと、人間としての社会適応力を持てないということでもある。だから、読解力がない人間は、企業や組織に入っても適応力が乏しいから、低評価をされて窓際に追い込まれたり排除されたりするということである。不登校になったりひきこもりになったりするひとつの要因にもなりうる。日本の教育制度を見直して、全体最適や共感的関係性の教育に改革すべきなのである。読解力をあげるには、これしか方法がないのだ。

摂食障害の本当の原因と解決策

過食と拒食を交互にしたり、過食をして吐いたりするような行動を繰り返すような辛い症状に苦しんでいる人はとても多い。20~30年前には殆どなかった症状であるが、徐々に増えてきて、近年は特に増えている。昔は過食症とか拒食症と呼んでいたが、現在は摂食障害と呼んでいる。症状が進むにつれて、過食しては嘔吐するという行動を毎日取るという症状が固定化するケースが非常に多い。原因も特定できず、投薬などの医学的アプローチは殆ど効果がないことから、長期化してしまい本人も家族も苦しんでいる。

カウンセリングや心理療法しか解決する方法がないが、効果は限定的でしかなく、摂食障害は難治性の疾患として認識されている。なにしろ、摂食障害になった原因が解らないのだから、根本的な治療が出来ないケースが多い。現代の精神的疾患の中でも、有効な治療法が考えられない疾患のひとつである。精神科医も、摂食障害になったきっかけに目を奪われて、本当の原因をつかめていないことが多い。認知行動療法や対人関係療法しか、有効な治療方法しかないと考えていて、根本的な原因を解決できないのだから治らないのだ。

一部の医師やセラピストたちは、摂食障害の原因は母子関係にあるのではないかと考えている。しかし、家庭についてよく調べてみると、母親にこれといった目立った子育ての問題は見つからず、母親に原因があるとは到底思えない。摂食障害の当事者も、母親に対して不満がある訳でもなく仲が悪い訳でもなく、愛されていると感じていることが多い。母親も、我が子に対して十分に愛情を注いでいたし、虐待やネグレクトをしていないと主張する。このような事情もあることから、母子関係に問題があって摂食障害が起きたとは思えないらしい。

しかし、育った家庭のことや家族関係をもう少し詳しく聞き取り調査をすれば、母子関係や父子関係に問題があることを見抜ける筈である。つまり、親子の愛着が傷ついていたり不安定であったりすることが判明するに違いない。そのことが見抜けないような医師、カウンセラー、セラピストは失格だと言えよう。摂食障害の当事者の母親は、しっかり者であることが多い。家庭をひとりで切り盛りしているケースがとても多い。父親は家庭において存在感が少ないことが多い。育児や家事に協力している父親像がないのである。

さらに摂食障害の当事者の育児歴を詳しく見てみると、母親がしっかりと育児をこなしていることが判明する。母親は知能・教養が高く、コミュニケーション能力も高く、社会適応力も高い。そして、必要以上に育児を頑張っているのである。父親の育児の役割までもこなしていて、母性愛と父性愛の両方を子どもに対して注いでいるのである。乳幼児にとって必要なのは、すべてを許し受け容れてくれる母親の無条件の愛である。条件付きの愛である『しつけ』を母親が最初に子どもに強いてしまうと、自尊感情が育まれないのである。

自尊感情とか自己肯定感というのは、まずは母親が豊かな母性愛を注いであげないと、身につかない。母性愛というのは、無条件でありのままに子どもを愛するということだ。このような無償の愛を母親が注ぎ続けないと、子どもの絶対的な自己肯定感は生まれないし、正常で豊かな愛着が育まれない。つまり、愛着障害になるということである。摂食障害の人は、自尊感情や自己肯定感が異常に低いし、不安定な愛着を抱えていることが多い。摂食障害の本当の原因は、母親との愛着に問題があると言えよう。

だから、摂食障害の当事者への認知行動療法や対人関係療法をしても効果がないのである。母親に対して、摂食障害になった本当の原因を伝え、摂食障害の子どもと母親の傷ついた愛着を修復すれば、見事に摂食障害は完治する。どちらかというと摂食障害の子どもに対するカウンセリングやセラピーよりも、母親へのサポートのほうが、効果が高い。母親が本来の母性愛に目覚めて、子どもに対して寛容と受容を根底にした共感的応対をするようになると、摂食障害は驚くように改善する。母親自身もまた愛着障害を抱えていることが多いので、母親の愛着を癒すサポートをすると、子どもの摂食障害と愛着障害が癒えるのである。

イスキアの郷しらかわは、摂食障害の親子への支援をしています。子どもに対するサポートは勿論のこと、母親に対するケアも実施しています。『問い合わせ』フォームからまずはご相談ください。

慢性疼痛の原因はモヤモヤ血管にある

八木亜希子さんが線維筋痛症でアナウンサー業務を休止すると発表された。線維筋痛症はレディガガも苦しんだ疾病として有名だ。最近、この線維筋痛症が急激に増加しているという。この線維筋痛症の原因は不明らしい。したがって、治療効果も上がらず、難治性の疾患となっている。また、神経性疼痛も年々増加しているという。このように原因不明の慢性疼痛が近年増加する傾向が見受けられる。その原因は今まで解らなかったのだが、最近判明したという。原因不明の慢性疼痛が起きるのは、モヤモヤ血管にあるというのである。

原因不明の疼痛に苦しんでいる中高年者は、実に多くなっている。腰、膝、首、肩、肘などあらゆる身体の各部分に疼痛が起きている。整形外科で診断してもらうと、骨や筋などの器質的な異常によって痛みが起きていると言われて、手術をするが一向に良くならない。一時的に痛みが治まっても、やがて再発するか他の部分に疼痛が移るのである。また、痛み止めを処方されるものの、疼痛は改善しないことが多い。何故かというと、そもそも原因究明が間違っているのである。モヤモヤ血管こそが、慢性疼痛の原因なのだ。

このモヤモヤ血管が原因だという最新の医学理論を展開しているのは、奥野祐次先生である。奥野先生は、江戸川病院運動器カテーテルセンターのセンター長として、原因不明の疼痛をカテーテル治療によって治すという治療実績を上げているらしい。どの病院でも治せなかった原因不明の疼痛を、この治療により完治させているというのだから驚きだ。手術や投薬治療でも治らなかった難治性の疼痛が、モヤモヤ血管を無くすことで、びっくりするほど改善するという。今まで線維筋痛症や心因性疼痛で苦しんでいる人には朗報だ。

それでは、どうしてモヤモヤ血管ができるのであろうか。そして、そのモヤモヤ血管によって、どうして疼痛が起きるのか、そのメカニズムについて、奥野先生は著作「長引く痛みの原因は血管が9割」で、こんなふうに説明されている。動脈血液は心臓から動脈で抹消血管へ送られ、そこで静脈によって返還される。ところが何らかの理由で正常な働きをする血管が不足すると、動静脈短絡という事態が起きる。そうすると、それから先の血管は血液が送られず、血管が足りないという信号が送られモヤモヤ血管が作られてしまう。

このモヤモヤ血管は、細過ぎて曲がりくねっていることから、正常な血液運搬が出来ないので、血管が足りないという信号が出され続け、さらにモヤモヤ血管が増える。その血管は血流が悪いので、酸素不足から痛みの元になる乳酸が増える。モヤモヤ血管が炎症細胞の供給路になっているのである。さらに、そのモヤモヤ血管の周りには神経線維が出来て、痛みを感じやすくなると考えられている。その神経線維は無鞘(ミエリン)なので、痛みが強くなるらしい。このモヤモヤ血管とその周りの神経線維が痛みの原因だったのだ。

それじゃ、どうして長く続く痛みが中高年に多いのだろうか。40肩や50肩と呼ばれているように、若い人に肩痛や腰痛が少ないのは何故か。勿論、骨や筋肉などの老化現象だと思われているが、そんなに単純ではない。新しい血管を作らせる指示を出すのはVEGFという物質で、これがモヤモヤ血管を作らせる。ところが若いうちは、一方で血管を作らせないようにする物質が豊富に分泌されている。だから若い人は、長く続く痛みが少ないのである。線維筋痛症や神経性疼痛が中高年に多いのは頷ける理由がある。

「ズキズキ」「ジンジン」「チクチク」「重苦しい」「ズキンズキン」という長く続く疼痛に、原因も解らず苦しんでいる人は実に多い。モヤモヤ血管とそれに付随する神経線維にその痛みの原因が分かると、痛み対策が解ってくる。モヤモヤ血管をなくすには、まずはストレッチである。そして、有酸素運動も効果がある。さらには、指圧も効果があるらしい。その際には、痛みがある場所を10秒間押し続けると良い。勿論、血液の流れがよくなるように同じ姿勢を取らないようにするのも改善に役立つ。血糖値を上げずに、血液サラサラにする食事も大事だ。長く続く原因不明の疼痛は、モヤモヤ血管をなくせば治るので怖くないのだ。

若者の自己肯定感が低いと批判するけど

元農林事務次官が息子を刺殺して、裁判で6年の懲役刑判決を受けた。この息子は自己肯定感が極めて低くいことが問題だったと報道されている。日本の若者は自己肯定感が極めて低いと批判されることが多い。自己肯定感というのは、自尊感情とも言われることもあるが、確かに日本人は自己肯定感がとても低いと感じる人は少なくない。そして、この自己肯定感が低いから、元農林事務次官の息子のように不登校・ひきこもりになりやすいと主張する教育関係者も少なくない。自己肯定感が低いと批判されるが、それは自己責任なのだろうか。

日本の学校教育に問題があり、自己肯定感を高めることが出来ないと言われている。常に行き過ぎた競争にさらされているし、出来たことを誉められるよりも出来ないことを徹底して否定されるからだと言われている。確かにそういう側面がない訳ではない。学校教育では、批判や否定されることが多いことから、自己肯定感が育ちにくい環境にある。しかし、それは仕方あるまい。受験戦争や就職戦線を勝ち残るためには、ある程度の競争に勝ち抜く精神力だって必要だ。ましてや、企業内の出世競争や社会競争に勝つための予備訓練でもある。

学校教育や社会教育に問題があるから、自己肯定感が育たないという考え方には同調できない。学校の教育にも少しは問題があるのかもしれないが、自己肯定感を育むのはやはり家庭教育ではなかろうか。というのは、自己肯定感や自尊感情というのは、あくまでも乳幼児期にその基礎が作られると考えられるからである。児童心理発達学において、子どもの基本的な認知や行動傾向というものは、3歳頃まで決定されると言われている。勿論、自尊感情や自己肯定感という大切な基本も、3歳から遅くても4歳までに育まれるのである。

『三つ子の魂百までも』という諺は昔からずっと言われ続けてきた。これは、多くの親の子育て経験から生まれてきたものであり、まったくその通りである。3歳までになんとしても作られるべきなのは、絶対的な自尊感情と自己肯定感であろう。そして、その自尊感情や自己肯定感は、母親が無条件の愛情をたっぷりと注げるかどうかにかかっている。あるがままに認め受け容れる豊かな母性愛を受けた子どもは、自己肯定感が育まれる。父性愛的な条件付きの愛を先に注がれてしまうと、自己肯定感が醸成されずに育ってしまう。

自己肯定感は、独りでに身につくものではないし、自分の努力でどうにかなるものではない。巷でよく言われるように、成長してから成功体験をいくら積んでも、高い評価を何度も受けたとしても、絶対的な自己肯定感を持つことはない。やはり、三歳くらいまでにありのままの自分全部を愛される経験がないと、自己肯定感が身に付くことはない。そして、この自己肯定感や自尊感情が豊かに育まれないと、愛着障害を起こすことも多い。愛着障害になると、大人になって突然メンタルを病んでしまうことも多いし、ひきこもりになるケースも少なくない。

自己肯定感を持つことは、自分の努力でどうにか出来るものではない。親が適切な子育てをすることで確立される基礎が作られるのである。父親が仕事とか何かの理由で子育てに参画できず、安定して父性愛を注ぐことが出来なくなると、母親が母性愛と父性愛の両方を子どもに注いでしまうケースが多々ある。この場合、「あなたを愛してるよ」と言う一方で、「こんなことをする子は大嫌いよ」と突き離すことを言ってしまいがちである。これはある意味ダブルバインド(二重拘束のコミュニケーション)であり、子どもは愛着障害になる。

相反する言葉で、子どもをダブルバインドで迷いや不安の状態にしてしまうと、愛着障害にさせてしまうと、自己肯定感が育つことがない。こうなると、主体性・自発性などが育たないばかりか、回避性の人格や依存性の人格を強く持ってしまう。新たなチャレンジをする勇気もなくなる。今の若者は自己肯定感がないと批判する中高年者がいるが、それはあなたたちに原因があるのだ。我が子に対する適切な愛情を注げなかったから、自尊感情や自己肯定感が育たなかったからである。自己肯定感は、自己責任ではないのである。

※自己肯定感や自尊感情が異常に低いと感じる人は、もしかすると『愛着障害』かもしれません。イスキアの郷しらかわでは、自己肯定感が低い理由とその対策についての研修をしています。愛着障害を乗り越える方法についてもレクチャーと支援をしています。問い合わせのフォームからご相談ください。