夫婦喧嘩は子どもの脳を破壊する

夫婦喧嘩は犬も喰わないと言われていて、何となく微笑ましい光景に映るような印象を与えるが、実は子どもの脳に深刻なダメージを与えるという調査結果が出たという。昨夜のNHKクローズアップ現代で放映されていた内容は、実にショッキングだった。夫婦喧嘩を日常的に行っているのを目撃している子どもの心が、とても傷ついているというのだ。しかも、子どもの心のダメージは脳の器質障害までに及んでいて、記憶障害を起こすだけでなく、性格まで変えるという。たかが夫婦喧嘩ではなく、実に由々しき大問題なのである。

夫婦喧嘩というと、いろんなケースがあるだろう。江戸時代におけるドラマなどを見ていると、昔の夫婦喧嘩というのは、微笑ましいようなじゃれ合いというような性格だったように思える。あくまでも虚構の世界なので、実際はどうだったかは判然としないが、おそらくは『犬も喰わない』ような、お互いの信頼関係がある中での触れ合いではなかったかと思われる。ところが、現代の夫婦喧嘩は実に深刻だというのである。お互いをどうやってやり込めるのか、どうすれば自分が優位に立てるか、どのように相手をギャフントさせようか、というパワーゲームに陥っているのである。

日常的に夫婦喧嘩を目撃している子どもの心理状態を調査した結果によると、意外な結果が現れた。暴力を伴う夫婦喧嘩による影響はさほどないが、暴言による影響が非常に大きいという。しかも、夫婦喧嘩においてよく使われる方法が危ないというのだ。大きな声で罵り合うのも勿論駄目であるが、皮肉たっぷりの言葉、無視する態度、不機嫌な態度、無言の圧力、このような言動も影響が大きいと言われている。こういう両親の行動が、子どもの心を傷つけているらしい。毎日毎日このような暗くて陰湿な夫婦喧嘩がある環境に置かれた子どもの心と脳はズタズタにされているのである。

このような環境に長くさらされた子どもの脳は、実に深刻なダメージを受けてしまう。なんと子どもの海馬が委縮したり前頭前野が破壊されたりするというのである。そうすると、記憶障害や学習障害が起こり、学校の成績が急降下してしまうだけでなく、学習意欲もなくなり不登校になるケースもあるらしい。さらに深刻な悪影響もある。夫婦喧嘩のある環境に長く置かれると、子どもは強い暴力性を持つというのである。親と同じように暴言を吐くし、キレやすく、他者に対する反抗的な態度をしてしまうらしい。つまり、学校内でも問題行動を起こすというのだ。

これは大変な事態を起こすという意味である。子どもが家庭内暴力を始める要因のひとつが夫婦喧嘩にあるということだ。さらには、学校内においていじめという行為をしやすい子どもになってしまう危険性を持つという意味でもある。キレやすい子どもの要因のひとつが親の夫婦喧嘩にあるというのは、ショックなことである。DVやいじめが、親の夫婦喧嘩にも原因があるとしたら、重大事である。心当たりがあると思う親も多いに違いない。

陰湿で汚い心理戦のような夫婦喧嘩は、子ども脳をどのように変えてしまうのであろうか。これらの子どもの脳をCTスキャンで確認した訳ではないが、おそらく脳の器質変化があると見られている。陰湿な夫婦喧嘩の環境にさらされると、子どもの脳の偏桃体は肥大すると言われている。そうすると、偏桃体からコルチゾールというステロイドホルモンを大量に放出するようにと腎臓の副腎に指示する。このコルチゾールは海馬に届き、海馬を委縮させる。さらに前頭前野にまで影響し、記憶障害や学習障害を起こし、キレやすい子どもにしてしまうと言われている。

夫婦喧嘩は子どもにとって、絶対にしてはならないものである。夫婦喧嘩をしなければならないような夫婦の関係性に陥ってしまい、関係性の修復が絶対に不可能であるなら、別居や離婚をしたほうが子どもの健康にとっては好ましいと思われる。とは言いながら、経済的な問題があるから難しいのであるなら、夫婦が徹底的に対話をして関係性を改善すべきであろう。偏桃体が肥大化して、海馬や前頭前野が委縮した脳であっても、生活環境が改善すると、脳もまた元通りになるのが確認されている。とすれば、一刻も早く夫婦の仲直りをして、睦まじい夫婦になる努力をすべきであろう。

 

※夫婦喧嘩をしてしまうような環境に置かれている子どもさん、または夫婦仲が悪くていつも言い合いをしてしまうご両親の方々、どのようにすれば夫婦の関係性改善が出来るのかを、イスキアの郷しらかわはサポートします。まずは問い合わせフォームからご相談ください。相談は、メールでも対面であっても無料です。

女が男を捨てる『男捨離』

三行半(みくだりはん)は、今や男性からではなくて女性から突きつける時代らしい。そもそも三行半とは、江戸時代に女性が再婚する為に必要だった離婚証明書という性格を持ち、男性が別れる妻に書くものであったらしい。だから離婚をするという宣言書ではないから、女性から三行半を書くことはあり得ない。とは言いながら、ここ数年では離婚を切り出すのは、圧倒的に女性が多いということだ。現在は男性から離婚を言い出すのは僅か3割弱で、女性から離婚を申し立てるケースは実に7割近くの高率に上るという。つまり、離婚の3分の2は女性から言い出すということだ。

NHKTVの情報番組では、これらの事実を受けて特集を組んでいた。ショッキングな題名が付いていて、男を捨てるという意味で『男捨離』という言葉が最近とみに使われているという。自ら申し出た離婚を経てシングルマザーの生活をしている数人の女性がインタビューに応えていたが、おしなべて離婚して良かったという感想を述べている。ある女性は共働き家庭においての家事育児の負担があまりにも妻だけに偏り過ぎていて、我慢できなかったと主張していた。専業主婦の一人は、専業主婦なのだから家事・育児を妻がするのは当然であり、養われているのだから家事は妻の役割だという態度が許せなかったという。

一方、突然離婚を言い出された男性は、まったく離婚の原因に心当たりがないという。ギャンブルや不倫をしている訳でもないし、真面目に働いて浪費することもないから、どうして離婚を言い出されたか理解できないという。離婚する理由を確認すると、やはり妻側として家事・育児の負担が自分に偏り過ぎていることと、自分の話を聞いてくれないことが我慢できないと主張するらしい。特に、否定せずに黙って聞くという傾聴の態度がないし、妻の話に共感してくれないのが不満だという。妻は、別に助言や解決策を求めている訳ではなく、ただ黙って頷くか相槌を打ってくれるだけでいいというのだ。

男性と女性の感性はまったく違うということが、夫はまったく理解していないらしい。特に高学歴で教養が高い男性ほど、傾聴と共感が出来ないという。さらに驚きなのは、高学歴で高収入の男性が結婚して子どもが生まれた途端に、離婚を言い出される例があるという。まるで、種馬として利用されたのではないかとしか思えないと、愚痴る男性もいる。高収入な故に、高額の養育費を要求されるのだ。まさか、種馬として利用する為に結婚までするなんて考えられないが、結構このようなケースが増えているという。

このように、実に様々な離婚のケースがあり、妻のほうから離婚を申し出る場合が急増しているのは間違いなさそうだ。男性にとってはあまりにも衝撃的な言葉、『男捨離』が、これからも増え続けそうである。ただでさえ結婚できない男性が多いこの社会で、折角苦労して伴侶になるべき人と巡り合い結婚できたのに、簡単に男捨離されてしまうなんて、由々しき大問題である。それも離婚を言い出されるのは、30代が一番多いらしい。離婚した妻の方も、幼い子どもを抱えたシングルマザーのケースが多いということだ。離婚出来たとしても、経済的な課題を抱えることになりそうである。

男性のほうが離婚の原因だとすれば、離婚されないようにするにはどうすれば良いのだろうか。女性の心を、深く理解するしかないであろう。女性は、デリケートな心情を持つ。感性も豊かである。一方男性は鈍感なところがある。特に、相手の気持ちに共感し、その気持ちになり切って、相手を心から思いやることが苦手である。慈愛とか慈悲という心を発揮できないから、子育てや家事を自ら分担する気持ちが起きないのであろう。慈悲というのは、相手の悲しみを我がことのように悲しむという意味である。この慈悲の心を持つことが肝要だということであろう。

高学歴で教養が高い男性が離婚を切り出されやすいというのは、近代教育の悪い影響だと思われる。客観的合理性の教育を受けているが故に、人の悲しみや苦しみに共感しにくくなってしまうのであろう。相手の悲しみに対して客観的なり過ぎて、自分の悲しみとしてとらえることが出来ないのではないかと思われる。家事育児で苦労している妻に、感謝と慰労の言葉をかけてあげられる夫になりたいし、出来得る限り家事育児の分担を自ら進んで果たせる夫になりたいものである。慈しみの心を惜しげもなく発揮できる、大人の男性になるということである。そうすれば、男捨離なんて言葉は死語になってしまうと確信している。

不登校の責任は親にはない

不登校と引きこもりの原因は何かというと、育てた親にあると思っている人が多い。何故かというと、学校、教師、学友に原因あるとすれば、他の子どもたちも皆不登校になるのにそうなっていないからである。とすれば、不登校になるのは特定の子どもであり、それは親の子育てに何か問題があったに違いないと類推するのであろう。ほとんどの教師と学校関係者はそう思っているし、スクールカウンセラーが親のカウンセリングをするのも、そう確信しているからだと思われる。そして、親たちも自分たちに不登校の責任があるのではないかと思い、自分を責めるのである。

学友によるいじめ、学業不振、部活における不振や挫折、教師による誤った指導、発達障害、メンタルの障害等が不登校になった直接原因だと思いがちである。そして、不登校になってしまった本人の心に問題があるし、そのように育ててしまった親に根本的な原因があるとみている学校関係者が多い。スクールカウンセラーだけでなく、民間のカウンセラーや専門の児童精神科医も、親に対するカウンセリングを重視して実施しているのも、同じ理由からであろう。他の子どもたちの親や社会一般も、不登校になった責任は親にあると思っているみたいである。

果たして、本当に不登校の責任の大半は親にあるのだろうか。この世において、一番難しいのが子育てである。子育ての教科書やマニュアルがあったとしても、個別の問題に関してはまったく役に立たない。ましてや、日々刻々と様々な問題・課題が子育ての最中に置き続ける。子どもだって画一的でないし、いろんな子どもがいる。兄弟であってもまったく違う性格にもなる。環境も違うし、社会的背景もその時代で違っている。核家族の社会であるから祖父母と同居していないから、子育ての経験者が傍に居ない。子育ての指導者もない状況で、手探りの子育てをせざるを得ないのである。

子育てをしている親たちにインタビューをすると、子育てに悩んでいる人が殆どである。子育ての悩みや問題に対して誰も適切な解決策を示してくれない。自分達で考えて対応するしかない。当然、失敗を繰り返しながら学んでいくしかないのである。それなのに、子育ての失敗は親にあるなどと軽々しく言うのは、実に残酷だと言わざるを得ない。無難に子育てできたのは、たまたま好運だったに過ぎないと思うべきだろう。だから、不登校になった責任を親に押し付けるべきではないのである。

家庭における子育てにおいては、兼業主婦であっても、子育ての大半を母親が担っている。ましてや専業主婦の家庭であれば、母親が子育ての役割をすべて果すケースが多いだろう。だからこそ、母親に対する責任を問う声が大きくなるという悲惨なことが起きてしまうのである。父親は仕事が忙しいからと家庭の役割を果していなくて、何か問題が起きると妻を責めるというケースが多くなる。それでは、父親が悪いのかと言うとそうではない。不登校の根本的な責任は、両親にはないと断言してもよい。

それでは不登校になってしまうのは何故かというと、教育の制度やシステムそのものに問題があるからだ。さらには、社会全般における人々の価値観の間違いが教育の諸問題を起こしていると言えよう。江戸時代まで延々と続いてきた、システム思考の哲学を基本とした教育制度を明治維新政府が完全否定をしてしまったのだ。欧米から仕入れた近代教育を導入したのである。この近代教育は、客観的合理性の教育であり、しかも要素還元主義の教育である。この教育は、全体最適を目指すことを忘れ、あくまでも個別最適を優先する教育であり、行き過ぎた競争主義を生んでしまった。自分さえ良ければよいという個人主義に走らせたのである。さらに、関係性をないがしろにして、お互いに支え合うという大切な価値観を人々から忘却させたのである。だから、コミュニティが崩壊したのである。

お互いが支え合うという関係性豊かな共同体をなくして、家庭、学校、地域、国家というコミュニティを崩壊させしまったのである。自分さえ安全で豊かであれば他はどうなっても良いという学校の劣悪な環境にいたたまれず、不登校という選択肢を選ぶしかなかったのが、心優しく思いやりのある児童生徒なのである。家庭でも近代教育の間違った価値観を強いてしまう親もまた、その両親、祖父母から個別最適、関係性を無視する教えを受けたのであるから、間違った価値観を持つに至ったのである。だから、学校でも家庭でも自分中心の価値観がはびこる環境に耐えられないのである。ひきこもりもこうして起きているのである。最後にもう一度言うが、不登校の原因は親にはないのである。

 

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よいお母さんをやめる日

不登校や引きこもり、またはDVなどの問題行動を起こすお子さんを持つお母さんは、極めて真面目で素晴らしいお母さんが多い。つまり、日本の典型的な『よいおかあさん』なのだ。こんなにもお子さん思いで、誰もが認める良いお母さんなのに、どうしてお子さんが不登校になるんだと不思議に思う関係者が多い。例外もあるが、おしなべて良いお母さんで、しかも教養が高くて見識も高い。お母さんの学歴が高いケースが多い。そして、子どもの教育に懸命であり、息抜きや手抜きが出来ないし、いい加減な処がないのである。

さらに、不登校や引きこもり、またはDVなどの問題行動を起こしていることに対しての捉え方、考え方がまた良いお母さんなのである。たいていのお母さんは、こういう状況になってしまったのは自分のせいだと思い、自分を責めるのである。誰かの責任にしたり、子どもが悪いなどとは露ほど思ったりせず、自分の責任だと自らを責めるのである。さらに、父親はというと、やはりこうなったのはお前の子育てが悪かったのだと妻を責めるケースが多いのである。言葉に出して言わなくても、不機嫌な態度や表情をして妻を暗に責めることが多い。こうして、やはり自分が悪いんだと母親は落ち込むことになる。

よいお母さんは、子どもが不登校や引きこもりになってしまった原因をあれこれと考える。自分が甘やかしすぎたせいであろうか、過保護し過ぎたのが悪かったのだろうか、そんなことを考えるケースが多いという。夫からも同じことを言われることが多いし、真面目なものだから、自分を責めるのである。しかし、甘やかし過ぎて不登校になることはけっしてないし、過保護が原因で引きこもりになるケースは殆どない。不登校になるのは、親子、夫婦、家族の関係性が希薄化、もしくは低劣化しているからである。

結論的に言えば、不登校、引きこもりになる原因は、お母さんにはないと言ってもよい。世間では、不登校はお母さんが甘やかし過ぎたせいどこうなったとか、過保護が原因だと思っている。お母さんも、それが原因だと思い込んでいて、悔やむ。しかし、過保護が原因で不登校になるケースは殆どない。過保護というと悪というイメージがあるが、幼少期には必要なことである。子どもというのは、無防備で危険な事も解らないし、ちょっと目を離すととんでもないことをやらかしてしまう。だから、母親は常に子どもを守らなければならない。沢山の愛情をかけ続けなければならない。

ただし、よく勘違いされるのは過保護と過干渉を同じものと捉えていることである。これは、まったく違う概念である。過干渉というのは、子どもの言動に対して何でもかんでも干渉したり、先回りしてすべて子どもの言動を先取りしたりすることである。根底には、無意識で子どもを自分の所有物と勘違いして、支配し制御を繰り返してしまう心が存在しているのかもしれない。そうなってしまう原因は、父親が子育てに非協力というか、子育てに必要で大事な父性愛を発揮できていないからであろう。したがって、母親が母性愛だけでなく父性愛まで発揮せざるを得なくなり、過干渉になっているのではないかだろうか。

過干渉にならないようにする為には、父親に本来の役割を果してもらうことである。そのうえで、母親は子どもが自分で判断し行動するのをそっと見守り続けるだけでよいのではないだろうか。さらに、母親があまりにもよいお母さんを演じるのを、少し控えてみてはどうかと思う。子どもと母親というのは、非常に強い関わりと絆が存在する。無意識で深く繋がっている。母親が不安になったり元気がなくなったりすると、子どもにもその気持ちが伝わり同じような状態になりやすい。母親が怒りや憎しみを持ち、それを我慢していると、不思議と子どもがそれをまったく同じように感じて、不機嫌になってしまうのである。だから、母親は平穏で安らかな気持になったほうが良いのである。

母親は、今まで良いお母さんとしてずっと頑張ってきたのだから、少し息抜きをしてもいい。子どもと夫とも一時的にでも完全に離れて、休暇を取ってもいいだろう。あまりにもよいお母さんを続けてきたものだから、心が一杯一杯になってしまい、かえって不安になったり恐怖感を持ったりしまったのではないかと思われる。その不安が子どもにも伝播したのかもしれない。たまには、よいお母さんを止めて、子どもの人生は子どもにすべてを任せてもいいんじゃないかと思う。よいお母さんを一切やめてもいいし、ちょっといい加減なお母さんでもいい。子どもが自分でしっかりしなくちゃと思うようなお母さんでもいいではないかと思う。思い切ってよいお母さんをやめてみたらどうだろうか。

 

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暴力による指導をなくせ!

元横綱日馬富士の傷害事件が世間を賑わせている。生意気な態度を改める為に指導の一環として、やむを得ずしてしまったと弁解しているようだが、それは完全な間違いである。また、その暴行事件の場に居て止めなかった他の横綱たちにも責任があるのは明らかである。そもそも、人を教育指導する際には、どんな理由があったとしても暴力はいけない。あるミュージャンが、指導している中学生に暴力を奮った事件もあったが、やはりどれだけ止むを得ない事情があったとしても、暴力で人を指導するのは間違いである。

中高生を暴言や暴力によって指導教育したという事件が後を絶たない。悲惨な指導死も起きている。これだけ騒がれていても、相変わらず中学校や高校の部活においては、体罰による指導が横行している。それも名門と呼ばれるような中高校で、体罰的な指導が行われているケースが少なくない。体罰というのは、完全なる暴力である。どんな事情があったとしても、言葉の暴力や身体的な暴力はしてはならない。理由を問わず、これは法律違反の行為なのである。人を指導する立場にある教師が法律違反行為を生徒たちの目の前で実行するのは、異常な行為であるということを先ず持って認識するべきである。

さらに言えるのは、暴力で指導された生徒たちは目立った成長はしないということである。暴力で支配されコントロールされた人間は、指示されたことは出来るが、自分で創意工夫したり自発的に動いたりすることが出来なくなるのである。だから、ここぞという時に力が発揮できない。人は、暴力によって身体は支配されても『心』は支配されることを拒む。従っているように見せて、暴力で指導する人間を嫌い尊敬せず、しかも内心では軽蔑している。だから、大切な試合でしかもいざという刹那にミスをしてしまうし、身体が無意識で動かなくなってしまうのである。

人間は本来、全き自由に生きるものである。誰からも支配されず制御されず、自らの意思で行動する。それも自発的に、自主的に主体性を持って生きるのだ。それこそ、これが人間の自己組織性という、人間に賦与された機能なのである。それを暴力が伴う指導によって、人間から自主性や主体性を失わせるという行為は、創造主である神を冒涜しているようなものと言えよう。人を指導したり教育したりする際に、恐怖によって従属させるのは百害あって一利なしなのである。人間の主体性や自発性を伸ばす指導をすべきであり、暴力による指導は逆効果だと言えよう。

それじゃ、暴言や暴力を使わないで人を指導教育するにはどうしたらいいかというと、カウンセリングマインドを発揮する方法が有効あろう。最近は、コーチングと呼んでいる専門家もいる。つまり、指導される側の気持ちをまず理解することである。それも、表層の意識ではなく、深層の意識を理解しなくてはならない。その為には、指導される側の心に寄り添い、その人間の気持ちになり切ることが必要である。さらには、深層無意識のレベルでつながることも必要であろう。つまり、集合無意識でお互いの意識が統合されることが大切である。端的に言えば、傾聴と共感による無意識の統合ということであろう。

しかも、大切なのはお互いの絶対的な信頼関係がなければならないということであるし、関係性があって初めて指導が成り立ち効果を上げられる。そのうえで、指導者が適切な質問をすることで指導される人が自分の間違いに気付いて、自ら変化し進化しようと思うのである。それは、単なる教育ではなくて、共育ちという関係になるのである。教育ではなくて、まさに共育と言うべきであろう。暴力や暴言によって身に付いた技術・能力なんて、薄っぺらですぐに剥がれ落ちてしまうものでしかない。暴力による指導は絶対にしてはならないのである。この世の中から、暴力と暴言による指導が一掃されることを強く望んでいる。

コーチングの効果がない理由

コーチングというと、もっとも効果が上がる指導教育法として定着しているが、実際に導入した企業では、思ったほどの効果がないという課題に遭遇している。コーチングという手法が開発されて提唱されたのは、そんなに古くない。米国で1992年から始まり、日本に紹介されたのは1997年頃だと言われている。当初、それまでのティーチング型の指導教育の効果が芳しくなかったことから、急速に普及した。そして、ある程度の教育効果が認められたことから、多くの企業において採用すると共に、コーチングのセミナーが各地で開催されるに至っている。

コーチングとは、受講者への傾聴と共感を基本にして、さらには適切な質問をすることで受講者の自らの気付きや学びを啓発する指導手法である。なんのことはない、カウンセリングの方法を指導教育に転用しただけである。このコーチングをする際に大事な事は、受講者をけっして否定しないという点である。寛容と受容を基本として、受講者の欠点やマイナス面を指摘して、それを否定することを避けるのを原則とする。こうして、これは効果があるに違いないと認知され、コーチングはもてはやされたのである。ところが、特定の社員や職員には効果がある程度あるものの、大半の者にはまったく効果が上がらないという現実に突き当ったのである。

何故コーチングが大半の者に対して効果が上がらないのかというと、コーチングをする側の問題と受講者側の問題の両方が存在する。まずコーチングを受ける側の問題としてあげられるのは、メンタルモデルが固定化してしまっているということである。別の言葉で言い換えると、指導される人に低劣なドミナントストーリーが存在していて、他の考え方を受け容れることが出来なくなっているのである。養老猛さんが主張した『バカの壁』である。この低劣なメンタルモデルが脳に固着してしまうと、正しい考え方を聞いてもすべて素通りさせてしまうから、指導教育の効果がまったくないのである。

コーチングする側にも問題がある。コーチングの指導技能のレベルが低いということもあるが、それ以上にコーチングする人の自己マスタリーが確立されていないという問題がある。効果を発揮するコーチングをする人は、真の自己確立、つまりはアイデンテティーの確立がされていないと、コーチングの受講者の心を開くことが出来ない。そうでないと相手を否定しまうからである。コーチングをしながら、相手を自分の思うままに支配し制御したがるのである。そうなると相手は、心を閉ざし自分の低劣なメンタルモデルに固執して、一切耳を貸さなくなるのである。

コーチングをする際に留意しなければならないのは、傾聴と共感である。さらに、まずは受講者の悪い点や至らない点をまるごと受容し寛容の態度で接することである。つまり、一切否定しないで、まずは相手のマイナスの自己に寄り添うのである。言い換えると、相手の低劣なドミナントストーリーに共感する必要があるのだ。一般的なコーチはこれが出来ないのである。さらに、コーチがする質問の仕方が稚拙なのである。あくまでも指導するのではなく、本人が自ら気付けるように適切な質問をするだけである。あくまでも、本人が自分の悪い点を発見して、自ら変化したいと思うような質問をするだけなのである。この技術が不足しているのだ。

このようにコーチングする人のレベルが何故低いのかというと、根本的に言えば自分自身もまた低劣なメンタルモデルしか持っていないからである。自分中心で、自己利益だけを求めがちで、損得での判断で行動し、自分の名誉や地位に固執し、相手を尊厳する気持ちがないのだ。そんな人間を誰が信頼し、自分を解放するのか、あり得ないことである。こんなコーチングをする人だけだから、効果が上がらないのであろう。コーチングをする人は、全体最適と関係性を重視するような高潔な価値観を持つ必要があると思われる。つまり、システム思考を身に付けなければ、コーチングの効果が上がらないと言えよう。

 

※『イスキアの郷しらかわ』では、効果の高いコーチングの研修を開催しています。古くて低劣なドミナントストーリーやメンタルモデルを手放させるやり方、新たな高邁なメンタルモデルやオルタナティブストーリーを確立する仕方、自己マスタリーの研修、システム思考の学び、こういう内容で自己変革を起こす研修を行っています。先ずは問い合わせからお願いします。

一緒にいると癒される人

この人と一緒にいると何故かほっとする、というような人と出会ったことがあるだろうか。たぶん、そんな人と何度か出会ったことがある筈である。しかし、こういう人は世の中において圧倒的に少数である。出会う殆どの人は、一緒にいると疲れる人だからだ。一緒にいるとほっとして、何となく癒されるという人に出会ってみたいし、こんな人と一緒に暮らせたら、どれほど幸福なんだろうと思ったことだろう。または、癒しを与えてくれるような人と少しの時間だけでも共有したいし、こんな人にカウンセリングを受けたいと思うであろう。

今一緒に暮らしている伴侶も、結婚する前の時代には一緒にいると癒されると思った時期もあったと思われる。それなのに、結婚して何か月か経つと、一緒にいると疲れるようになるのである。実に不思議な事であるが、結婚する前後の蜜月の時期には、あれほど幸福な気分だったのに、いつの間にか一緒にいると疲れる相手になってしまうのである。恋人でも同じケースがありうる。最初は寛容で癒しを提供してくれたのに、何年も付き合うと徐々に疲れを感じるのである。あの一緒にいると癒される人は、どこに行ってしまったのであろうか。

どうして、伴侶も含めて一緒にいると疲れる人になってしまうのか、逆に何十年経っても疲れる人にならないのは、その原因について考えてみたい。そして、一緒にいると癒される人とはどういう人なのかを明らかにしたい。まず、パートナーが一緒にいると疲れる人になってしまう訳というのは、結婚すると相手を支配しコントロールしようとするからである。自分にとって都合のよい理想の相手になってもらいたいと、あたかも自分の所有者のように相手を支配し始める。そして、あらゆるコミュニケーションの手法を駆使して、相手を自分の思い通りに制御し始めるのだ。

人間は、本来自由でありたいし、自分の思い通りに生きたいものである。それが、いくらパートナーであっても、相手の思い通りにコントロールされるのは嫌なのである。そうすると、いつも支配され制御される言動に振り回されると、精神が疲れてしまうのである。たいていの人間は、利害関係がある相手に対しては、自分の価値観や人生観を知らず知らずのうちに押し付けてしまうものである。まったく利害関係がなくても、無意識のうちに相手を自分の話のペースに巻き込んで、自分の気持ちを解ってほしいと思うものである。こういう人と一緒にいると、疲れてしまうのであろう。

ところが、長い時間に渡り話をしても疲れるどころか、逆に元気になり癒してくれる人がいる。こういう人は、自分に共感してくれるし、自分を認めてくれる。しかも、自分を否定せずまるごと受け入れてくれるのである。自分の悪い点や嫌な部分も含めて、許してくれるのである。つまり、寛容性と受容性がひと際高い人なのである。このように一緒にいると、癒してくれる人というのは、言ってみれば許容力と包容力の高い人であり、真の自己確立をしている人でもある。だから、出会う相手の尊厳を認めてくれる人なのである。

このように出会う相手を癒してくれるという人は、自己マスタリーを確立した人である。自分の心の中に存在する嫌な部分やみっともない部分があることを、目を背けずにまるごと受け入れて、そういうマイナスの自己も含めてすべての自分を認め受け容れている人である。マイナスの自己も含めた自分をまるごとありのまま愛せる人でもあるのだ。だからこそ、相手のマイナスの自己も含めてすべてを受け容れて愛せるのである。したがって、寛容性と受容性をどんな人に対しても発揮できるのである。こういう人と出会うと、何故かほっとするし癒されるのである。

残念ながら、このように自己マスタリーを完了した人間は極めて少ない。今でも敬愛して止まない森のイスキアを主催していた佐藤初女さんは、自己マスタリーをしていたからこそ多くの人々を癒していらした。児童精神科医の崎尾英子先生も、同じようにカウンセリングで多くの相談者を癒していらした。残念ながら、このお二人は既に鬼籍に入られてしまった。このお二人をわが師としてリスペクトし、イスキアの郷しらかわの利用者に接して行きたいと思う。相手をけっして否定せず、支配せず、制御せず、あるがままにまるごと受け止めたい。これ以上ないという癒しを『イスキアの郷しらかわ』で提供し続けることを誓う。

味覚異常の危険性

味覚異常の人が増加しているという。それも、自分が味覚異常だと気付かずに普段通りの生活をしているから、益々悪化しているだけでなく、生活習慣病やガンなどの疾病になる危険性が高まっているらしい。確かに、どうしたって美味しくないファストフードやジャンクフードに依存性を持っているし、便利性の高い全国展開チェーン食堂の料理を美味しいというのだから味覚異常は重症である。このままでは、塩分の強いものを美味しいと感じる人は高血圧症になり、糖分や脂肪分の多い食事しか美味しいと感じない人がメタボや糖尿病になるのは当然である。

味覚異常はさらに深刻な疾病になるリスクを持つ。化学調味料や危険な食品添加物の入った加工食品や惣菜を好むし、そんな食べ物でないと美味しいと感じなくなっている。危険な化学薬品の食品添加物や殺菌剤を毎日摂り続けると、肝臓疾患だけでなく腎臓障害などを起こしやすくなるし、悪性腫瘍も発症するという。さらには、危険な重金属の体内蓄積を起こすので、アレルギー疾患を発症しやすくなるし、腸内環境を悪化して各種身体疾病だけでなく気分障害をも発症させる危険性を持つ。このように味覚異常は心身の健康被害を起こすのである。味覚異常は大きな危険を孕んでいるのである。

味覚異常の人は、家庭で作った薄味で丁寧に出汁を取り出して作った健康的な料理を、物足りなくて好まなくなってしまう。味覚異常の人間がこれ以上増えてしまうと、日本の伝統的食文化は崩壊してしまうであろう。折角、世界遺産として和食の文化が認められたのに、それが廃れてしまうというのは実に皮肉なものである。そして、和食の食文化の退廃は、味覚異常を益々増加させるだけでなく、子孫にも味覚異常を伝えて行ってしまうのである。世代間連鎖の味覚異常は、由々しき大問題である。

どうして味覚異常になるかというと、亜鉛の不足、薬品摂取による障害、無理なダイエット、食品添加物の多い食事、ストレスなどに原因があると言われている。亜鉛不足の最大の原因は、偏った食生活であろう。さらに農産物、特に野菜に含まれている亜鉛が極端に減少しているからに違いない。土壌が極端に痩せてしまっているからだと言われている。有機農業が衰退し、化学肥料に頼り過ぎた為であろう。亜鉛が豊富な緑茶を飲まなくなった影響と、緑茶に含有される亜鉛が少なくなったせいもあろう。味覚異常が偏った食生活をさらに助長しているから、益々味覚異常が重症化していると思われる。

偏った食事、ストレスフルな生活、無理なダイエットを改善して行かないと、味覚異常は治らない。亜鉛の豊富な食材を多用した食事を摂れば、味覚異常は改善されるかもしれない。しかし、野菜には亜鉛が不足している。亜鉛を野菜で摂るのは難しい。亜鉛が豊富なものがある。天然の山菜である。畑で栽培している山菜は亜鉛不足であるが、山から採れる天然の山菜には亜鉛が豊富に含有されている。亜鉛が特に多いのが、通称コゴミと呼ばれるクサソテツである。このコゴミという山菜はクセもなく美味である。食物繊維も豊富であり、ダイエット効果もあるし、腸内環境を改善する。

このコゴミという山菜は、山深くて残雪が多い所で立派なものが育つ。奥会津は特に立派なコゴミが出る。毎年、コゴミを採取しに奥会津に行っている。採れたコゴミをアレルギーの人に食べさせているが、アレルギー症状が治まるという。腸内環境が良くなる影響ではないかと思われる。更年期の人にコゴミを食べさせると症状が弱まる。亜鉛は性ホルモンを正常にするからであろう。他の山菜も沢山摂れるので、乾燥させて保存したり塩蔵したりする。これは、会津の知恵であり、素晴らしい食文化である。このように、山菜を豊富に摂れば味覚異常は改善するかもしれない。

偏った食生活を改善するには、長年の食習慣で溜まった毒素を排出するしかないと思われる。味覚異常は自然栽培の微量元素が豊富な野菜と玄米を、数週間に渡り摂取すると非常に良くなることが実証されている。数週間が無理ならば3日~4日でも効果がある。それまで、イライラしていた感情が治まると共に深い睡眠が取れるようになる。それに農業体験や自然体験で運動すると、デトックス効果はさらに高まる。味覚異常を治すには、グリーンツーリズムが最適である。味覚異常を感じている人、またはもしかして味覚異常ではないかと思っている方は,自然農業の農家民宿に宿泊滞在をしてはどうだろうか。

 

※イスキアの郷しらかわは、自然栽培のお米と野菜を沢山使った料理を提供しますから、微量元素が豊富に摂取できて味覚異常が改善します。また春から夏にかけては、亜鉛が豊富なコゴミを含めて山菜をたくさん提供します。味覚異常は勿論のこと、体調不良も驚くほど改善します。気分障害も改善することでしょう。是非、ご利用ください。申し込みと問い合わせは、下記の問い合わせフォームからお願いします。ご相談も承ります。

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SNSで個人攻撃する人

実名こそ出さないが、記事を読めば誰だか特定できる個人をSNS上で攻撃する人がいるらしい。何が気に入らないのか解らないが、個人攻撃を執拗に何度も繰り返すという。または、特定の団体や組織名を上げて攻撃しているケースもある。SNSという世界は、あくまでも個人の私的情報発信である。言ってみれば個人の日記でもあり、私的な意見を述べているに過ぎない。それが気に入らないと言って、個人が特定できるようにわざと個人情報を晒して、その意見は間違っているとこれみよがしにSNS上で反論するのは、ネットのマナー違反である。

確かに、論理的な破たんが見え隠れするような意見もあるし、科学的な根拠に乏しいものや観念論に終始するような幼稚な意見・情報も見受けられる。しかし、それでも一所懸命に苦労してブログを書いたり情報発信したりしているのである。それなのに、あなたは論理的に、そして科学的に間違っているんだと、特定の個人・団体だと分かるようにして批判するのは頂けない。万が一間違った意見や情報を鵜呑みにして、本人が不幸になったとしても、それは自己責任であろう。人命が損なわれるようなことがなければ、例え間違った情報だとしてもスルーするのが礼儀というものだ。

もし、この情報を読んで多くの人が大変な事態に陥るということが明確ならば、他の人には解らないように、本人にそっと教えてあげればいい。実際にそんなことは、万が一にもない筈である。SNSはネット上における、関係性を豊かにする為のツールである。関係性を損なうようなことをSNSでやってはならないのは当然なことである。勿論、SNSでの意見や情報の発信は、慎重でなければならない。誤った情報を信じた第三者が、間違った生き方や食生活に変えたり、やみくもに近代医療を拒否したりして疾病が重症化することもない訳ではない。そういう意味では、人の生命に影響を与えるような不確かな情報を発信してはならないのは当然だ。

SNS上で個人が特定されるように攻撃してくる人は、意外と論理的な思考傾向にある人が多い。教養もあって学歴も高い。だから始末に負えないのである。自分が正しいのだから、誤った情報は正さなければならないと、正義漢ぶって攻撃して来るのである。しかし、科学的根拠を示して間違いを正しているが、あくまでも現在の科学的な根拠であり、学会で報告されたものである。何年か後には、その科学的な根拠が間違いだったということもあり得るのである。天動説が間違いだと証明されたし、ニュートン力学だって現在は支持されていない。あらゆる物質は実体がないなどと言っても、以前は誰も信じなかったのであるが、今は通説となっている。

世の中にはまだまだ不思議なことが沢山あるし、解明されていないことだって山積みである。だから、現在の科学で検証されていることだけを信じるのも愚かだし、科学的に証明されないものはすべて間違いだと嘯くのも危うい。もっと大きな包容力を持って、SNSを楽しんでもらいたいと思う。スピリチュアリティに対して非科学的だとか、代替医療は科学的合理性がないなどと断言するのは、如何なものであろうか。近代医学だって、あと50年後には否定されるかもしれないエビデンスがあるかもしれない。有名な科学雑誌に載った論文だから正しいとは言い切れないのである。

SNSで個人に対する批判的な記事を書いたり、批判コメントを執拗に載せたりする人は、おそらくパーソナリティに大きな歪みがあると推測される。大きな自己否定感情を無意識下で抱えているが故に、執拗に他人を攻撃し貶めて、自分を正当化して自己肯定感を高めているのであろう。真の自己確立をしていないから、寛容性と受容性が極端に低くて、他人を批判・非難したがるのである。自分でもその異常性に気付いていないから困ってしまう。攻撃された人が気の毒である。こういうSNS上で攻撃性を持つ人は、即ブロックすればよい。リアルの世界でもなるべく付き合わないようにして、遮断するに限る。間違いなく自己愛性のパーソナリティ障害であるから、関わらないのが無難なのである。勇気を奮って皆で一斉にブロックするのも、本人に気付かせる有効な手段であろう。

食文化の破壊と健康被害

レストランやファストフード店のチェーン化は、留まるところを知らないようだ。そして、店舗間競争の激化も甚だしく、そのスクラップビルドも激しい。開店したと思ったら、すぐにも別のお店に変わっていたというケースも少なくない。一時のような収益性は望めないようだが、相変わらず牛丼チェーン店や回転ずしチェーン店の出店と閉店は繰り返されている。これだけ食のコンビニ化が進んでいるというのは、外食産業のニーズが相当に高いという証左であろう。自宅で調理をして食べるという食文化が廃れている証拠でもある。

こと食に関しては、とても便利な世の中になったものだと思う。スーパーに行けば、いろんな食材は勿論のこと、総菜・弁当や加工品がいつでも手に入る。ましてや、総菜や弁当は365日24時間コンビニでも売っている。解凍すればすぐにでも食べられる冷凍食品は豊富に陳列してあるし、そこそこの価格なのだから便利このうえない。ワーキングマザーにとっては、食のコンビニ化があるからこそ仕事を続けられるということかもしれない。レストランやファストフード店があるから、疲れて帰ってきたときや遅くまで残業した夜は外食で済まそうというのは、誰しも思う事である。

このように便利になった世の中ではあるが、時々外食産業においては食中毒事件が起きる。または、衛生面では徹底した管理がされている筈の学校給食でも食中毒が起きてしまう。さらには、食品偽装事件や異物混入事件も後を絶たない。こういう事件の報道を見る度に、やはり外食というのはリスクを伴うものなんだと納得してしまう。勿論、自宅で調理したものだって食中毒は起きることがある。しかし、自分の不断の努力によって食の事故は防げるが、外食や購入した総菜・加工食品での事故は防ぎようがないのである。自分で危機管理が出来ないというのは情けないことでもある。

食のコンビニ化で危険なのは、食中毒だけではない。食品添加物という危険極まりない毒性の強いものが含まれている食事を摂取する怖れが強いのである。ましてや、栄養だって偏る危険性も高い。ストレスフルな生活にさらされていると、味の濃い食事をどうしたって好むから、塩分や糖分の多い料理を提供する。大衆が好む味付けの食事・料理を提供するのは、外食産業の宿命でもある。ましてや、どんな食材を使ったかという表示義務もないのである。化学調味料などの人工的な添加物をどれだけ使ったとしても、問われることはない。どんなものが入っているのか、一般市民は知る由もない。

日本の食文化である和食は、世界遺産にも登録されるほどの価値があるものである。伝統的な和食は、その美味しさにおいても群を抜いている。料理というものは、手抜きをすればそれだけの味になるし、心を込めて手間暇を惜しまず作れば、食べる人を感動させるほどの味になる。伝統的な和食というのは、常に食べる人の笑顔を思い浮かべながら、魂を注ぎながら作る。自分本位の料理ではなく食べる人の気持ちに寄り添っているからこそ、感動を生むのである。勿論、おもてなしの心に基づくから、食べる人の心身の健康さえも考えながら作る。このような食文化は大切に守り育てたいものである。

このような伝統的な食文化と真っ向から相反するものが、外食チェーン店化であり食のコンビニ化である。このような間違った食文化が、健康被害を増大させる一大要因になっていると言っても過言ではない。生活習慣病になる成人が多いのも、こうした食のコンビニ化が招いていると言えよう。そもそも食事や料理というものは、食べる人の健康や元気の源になるものである。健康を損なう食事・料理を提供するというのは、緩やかな殺人とも言えないだろうか。このような食のコンビニ化は、うつ病などの気分障害の原因だとも言われている。実に怖ろしいことなのである。

食事や料理というものは、本来作り提供する側が、食べる人の状態を見ながら、その人が元気になるものや食べたいと望むものを作るのを基本としている。つまり、料理というものは、食べる人の幸福を実現するものであろう。それなのに、食べる人も解らない、どんな食べ方をされるのかも解らないような食事や料理を提供するというのは、如何なものであろうか。作る人と食べる人の信頼関係が基本にあり、お互いの顔が見える状況の中で、作るのが料理であるべきである。日本の食文化がコンビニ化によって破壊されていくのは、残念でならないし、益々健康被害の危険性が高まるので看過できない問題である。