ひきこもりと家庭内暴力を解決する

ひきこもり関連の事件が続いていて、社会に衝撃を与えている。川崎の小学生殺傷事件や元農林事務次官が我が子を殺めてしまった事件が、その加害者と被害者がひきこもりだったという関連性もあり、情報番組でも話題を集めている。様々な専門性のあるコメンテーターが助言しているが、ひきこもりの子どもを抱えている保護者の方たちの心痛は想像以上のものではないかと思われる。特に家庭内暴力をするような攻撃性のあるひきこもりを持つ保護者の心配や不安は極限まで高まっているに違いない。

川崎の小学生殺傷事件の加害者の保護者は、行政の担当者に14度も相談していたらしいが、ひきこもりの若者や中高年者を社会復帰させることを行政で支援する法的根拠はないこともあり、ひきこもりの解決には至らなかった。元農林事務次官も行政の専門家であるから、行政としても無力であることを知っていたに違いない。ひきこもりや家庭内暴力の状況を解決する行政の支援はないし、医療機関や民間の支援も得られにくい。ましてや、ひきこもりの状況をひた隠しにする保護者も多いことから、孤立するケースが多い。

ひきこもりの高齢化が進んでいると言われている。今回の川崎の事件の当事者は51歳であったし、元農林事務次官の長男は44歳であった。ひきこもりは若者に特有のものと思われていたが、中高年のひきこもりが急増しているということだろう。若い時にひきこもってしまい、それが解決されずに高年齢化してしまったというケースが多いと思われる。ひきこもりという状況に一度なってしまうと、社会復帰が極めて難しいということが解る。誰にも相談できず、家族だけで苦悩しながら生活しているという実態が浮き彫りになる。

このようなひきこもりや家庭内暴力を解決するための支援する民間施設がまったくない訳ではない。ネットで検索すれば見つからない訳ではない。民間の営利企業が入所しての社会復帰支援施設を経営しているところもあるし、NPO法人や市民活動団体が活動しているケースも増えてきている。しかし、ひきこもりや家庭内暴力をしている保護者がそういう施設やセンターに連れて行こうとしても、当事者は頑として受け付けないであろう。自分が悪い訳ではないと思っているし、厄介者として扱われるのを嫌うからである。

テレ朝の情報番組に出演していた家族再生センターの所長と名乗る人物が、家庭内暴力のケースにおいては、警察に通報して傷害罪として立件してはどうかとアドバイスしていたが、愕然としてしまった。確かに、緊急避難的に家庭内暴力を振るう当事者と振るわれる人を一時的に引き離す行動は必要かと思うが、それで問題は解決しないばかりか、益々こじれてしまうに違いない。何故なら、ひきこもりや家庭内暴力が起きる原因は、そもそも家族関係にこそ問題の根源があるのに、当事者を見捨てるような行為は、関係性を益々損なうであろうに違いない。

ひきこもりや家庭内暴力が起きるすべての原因は、愛着障害にあると言っても過言ではない。特に親と子の絆が希薄化もしくは劣悪化しているケースが殆どである。しかも、子どもの両親の夫婦関係も希薄化していることが多いし、家族の関係性が非常に悪いのである。子どもの愛着が傷ついているし不安定化しているから、ひきこもったり家庭内暴力を振るったりするのである。言わば、家族崩壊の危機的状況に陥っていると思われる。そして特徴的なのは、愛着障害の子どもを持つ母親もまた傷つけられて不安定な愛着であることが多いのである。

愛着障害は世代間連鎖をしやすい。祖父母が愛着障害を抱えているケースでは、父母もその子も愛着障害であることが多い。そして、どういう訳か愛着障害どうしが結婚する場合が多いのである。こういう場合、その夫婦関係が最悪であり夫婦喧嘩が子どもの前で繰り広げられ、最悪の場合は離婚をしてしまう。川崎殺傷事件の加害者の両親は離婚していた。元農林事務次官の長男は、母親との関係性が非常に悪く、暴力を振るう対象者は母親だったらしい。母親に対して適切な愛着アプローチがあれば、こんな不幸な事件にはならなかったに違いない。ひきこもりや家庭内暴力は、当事者と親に対して適切な愛着アプローチさえすれば、愛着障害を克服できるし社会復帰が可能になるのである。

※イスキアの郷しらかわでは、ひきこもりや家庭内暴力を解決するための支援をさせてもらっています。根本的な原因としての愛着障害を癒す「愛着アプローチ」を実施しています。特に母親への愛着アプローチこそが、劇的な効果を生み出すケースが多いようです。ひきこもりや家庭内暴力で悩んでいる方は、まずは問い合わせフォームからご相談ください。

不登校を見守るだけでいいのか

学校にどうしても行けなくなったら、無理して登校しなくても良いのだという考え方は一般に認識されてきたようだ。文科省も何がなんでも学校に登校させることがゴールだという考え方を、転換することにもなった。そのお陰で、これ以上の苦しみを子どもに与えなくて済むことになったし、いじめや不適切指導による自殺を防ぐという効果もあった。しかし、学校に行かなくてもいいのだという認識が広がることで、逆に不登校を乗り越える例が減ってしまい、やがて深刻なひきこもりに移行してしまうケースが急増している。

不登校に対する世間の認識が、まったく変化してしまったと言える。一昔前なら、どうしたら登校できるようになるのか、その原因を追究すると共に対策をあれこれと練っていた。ところが、不登校の状態が異常ではなくて、学校に行かないという状態になり続けてもいいのだと当事者と保護者も誤認してしまったのである。ましてや文科省や学校関係者も、不登校という現状を認めなくてはならないというような間違った認識を持ったが故に、解決策に本気で取り組むことをやめてしまったのである。

不登校という選択肢を選ぶのも大事だし、その状況にある子どもを批判したり否定したりしないことも必要である。無理して登校を強いるのは避けたいものである。しかし、不登校の状態を保護者が放置することは絶対にしてはならない。何故なら、そのような状況に追い込まれてしまった子どもは、不登校というSOSのサインを発して、助けを求めているからである。緊急避難的に不登校という選択を認めるのは正しいが、その状況を続けても是とする考え方は危険である。子どもとの絆を結び直す絶好のチャンスと捉えるべきである。

不登校になってしまう原因は、学校におけるいじめや不適切指導、または不登校当事者の資質や性格、成績不良、自己肯定感のなさ、発達障害などのメンタル障害などにあると思っている人が殆どであろう。当事者も家族も、そして学校関係者もそのように認識している。しかし、不登校になる真の原因はそんなものではない。不登校になる本当の原因は、家族どうしの不安定な愛着にある。家族の絆が希薄化、または劣悪化していて、機能不全家族の状態になっているのである。そのために、親子や夫婦どうしの愛着が不安定化、もしくは傷ついた愛着になっているのである。つまり、愛着障害を起こしているのだ。

このように不登校の原因は、不登校をしている当事者にあるのではなく、家族との関係性にあると認識すべきである。そして、家族の関係性が薄れていたり乱れていたりして、当事者と家族が愛着障害を起こしているが故に、不登校という状況に追い込まれているのである。その証拠に、不登校の原因であるいじめや不適切指導を止めさせても、すぐに登校できる訳ではない。不登校の子どもは家庭の中に安全で安心な居場所が提供されず、いつも不安や恐怖感を抱えている。母親も不安定な愛着を持つと、子どもにとっての安全基地となりえない。絶対的な安全基地を持たない子どもは、苦難困難から逃げてしまうのだ。

絶対的な安全基地は誰にでも必要である。子どもだけでなく、大人にとっても必要不可欠のものと言えよう。安全基地がないと、不安や恐怖感が先立ってしまい、苦難困難を乗り越える勇気が持てない。特に子どもは安全基地がないまま育つと、愛着障害を抱えてしまい、やがて苦難困難に向かい合うと回避してしまうのである。学校で嫌なことや恐怖に思うことに出会うと、不登校にならざるを得ない。特に母親との愛着が大切で、母親が子どもにとって安全基地となりえていない場合、不登校に逃げ込んでしまうしかないのだ。

不登校の状態をそっと見守るしかないと思い込むのは、まったく見当違いである。不登校というのは、機能不全家族を解決するチャンスでもあるのだ。崩壊家庭になっている状況を何とか解決すれば、不登校も乗り越えることができる。不登校という選択をしてもいいが、不登校をそのまま放置してはならないのである。母親が抱えている不安定な愛着を癒してあげれば、母親が子どもの安全基地となりえる。そうすると愛着障害を抱えている子どもは、愛着障害を癒すことが出来て、母親との愛着を再構築できる。不登校だって乗り越えられるし、機能不全家族も見事に解決するのである。

※不登校になっている子どもの家庭がすべて機能不全家族ではありませんが、殆どが家族関係に何らかの問題を抱えています。そして、そのことに自分たちも気づいていないケースが殆どです。だから、不登校が長い期間解決しないのです。愛着障害(傷ついた愛着・不安定な愛着)を親子共に癒すことができて、安定した愛着を再構築することが出来たら、劇的に問題は解決します。適切な愛着アプローチによって、愛着障害を乗り越えることが可能なのです。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

我が子を心から愛せない親

千葉県の心愛(みあ)ちゃんが親から虐待を継続的に受けていて、虐待死を迎えてしまうという不幸な事件が起きてしまった。父親の心愛ちゃんに対する異常なまでの虐待や妻へのDVの内容が報道されているが、こんな親がいるのかと慄然としてしまう状況が明らかになっている。母親が虐待に加担せざるを得ない状況まで追い込まれてしまった原因が、夫からの暴力を伴う支配や制御にあったとされる。こんな両親の元に生まれた心愛ちゃんがあまりにも不憫である。この親のように、子どもを心から愛せない親が増えている。

子どもを心から愛せない親が、この心愛ちゃんの親だけでなく、他にも多く存在していることは、虐待事件が無くならないことからも推測できる。虐待事件まで発展していないものの、何となく子どもを心から愛せない親は多いはずである。我が子に愛情を感じなくても、周りの目を気にするとか常識から外れないようにと気を付けて、何となく『良い親』を演じている親は想像以上に多い。こういう親は、子どもを『しつけ』だと勘違いして、自分の価値観を押し付けたり、必要以上に子どもをコントロールしたりする。

こういう親は、子供どもを自分の所有物だと勘違いしているし、支配するために暴力を奮ってしまう。そして、自分の思い通りにならない子どもに虐待と言えるような『しつけ』を繰り返す。自分の意に添わない行動をする子どもに対して、平気で暴言・暴力やペナルティーを与えて、支配・制御を強めていく。本来、子どもは自由であるべきだ。そもそも大人だって人間は自由であることで、人間本来の自己組織性やオートポイエーシス(自己産生性)を獲得していく。支配・制御を繰り返された子どもは、自己成長しなくなる。

子どもをまるごと、そしてあるがままに受け容れて許す愛情は、母性愛と呼ばれる。母性愛は、無条件の愛とも言われる。子どもが生まれたら、自動的に母親に母性愛が育まれると思っている人が多いが、そんなことはない。どうしても生まれてきた我が子を愛せない母親だって存在する。そして、そんな我が子を心から愛せない母親が増えているのである。我が子のことが愛しくて仕方がないと思わなくてはならないと、義務感のように感じてしまう母親がいるのだ。そして、自分が母親失格であることに悩み苦しむのである。

どうして、我が子を心から愛せない母親や父親がいるのだろうか。それは、自分の親からまるごと愛されるという経験をしていないからであろう。いつも親から条件付きの愛だけを注がれてしまい、無条件の愛である母性愛を享受できなかったからに違いない。人間は模倣の生き物であるから、自分が経験しなかったことを出来る筈がないのである。人間が健全に育つためには、まずは母性愛をたっぷりと注がれて、それから父性愛である『しつけ』がされなければならない。母性愛が中途半端で終わってしまい、父性愛中心の子育てをされると、愛着障害を起こしてしまうのである。

愛着障害の親から子育てをされた子どもは、同じように愛着障害を起こしてしまう。つまり、愛着障害の連鎖が起きてしまうのである。虐待をされて育った子どもが親になり虐待をすることが多いし、DVも世代間連鎖することが少なくない。虐待やDVをする大人は、愛着障害を抱えているし、学校で日常的にいじめをするような子は、愛着障害を起こしている。子どもの時に学友や弟妹にいじめをしていた人間は、大人になってから我が子を素直に愛せないばかりか虐待やDVを起こしてしまう。心愛ちゃんの父親もそうだった。

それでは、心から我が子を愛せない親は、ずっと我が子を愛せずに過ごしてしまうのかというと、けっしてそうではない。適切な『愛着アプローチ』を受ければ、愛着障害は癒えて我が子を愛せるようになるのである。愛着アプローチをしてくれるような医師・カウンセラー・セラピスト、またはメンターの資質を持った第三者によるサポートが必要である。共感的メンタライジングと認知的メンタライジングの知識と技能、そして豊富な経験を持ったメンターが支援する必要がある。子どもが愛着障害を起こしてメンタルで苦しまないように、母親が我が子を心から愛せるように支援する制度が求められている。

※「イスキアの郷しらかわ」では、我が子を心から愛せない親に対して、愛着アプローチを実施しています。まずは、何故我が子を愛することが出来ないのか、その原因や成り立ちと背景を学び、その克服のために必要なことを学習します。また、適切な愛着アプローチを受けることで、愛着障害を癒すことができます。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

休職者の職場復帰が実現するには

メンタルで休職している社員・職員が非常に多い。うつ病や双極性障害などの気分障害を起こして、職場に行けなくなってしまうケースが殆どである。もし自営業であるならば、休業せざるをえなくなってしまう。その原因は、職場における人間関係にあると言われている。さらに、本人の気質や言動にも原因があると見ている関係者が多い。中には明らかなパワハラやセクハラ、またはモラハラなどの被害が深刻な故に、メンタルを病んで休職や退職に追い込まれてしまっている社員・職員が多いのも実情だ。

休職している人の中には、あまりにも酷い仕打ちを受けて、パニック障害やPTSDになってしまい、ひきこもりの状態になってしまっている社員・職員も多いらしい。こうなると、職場復帰が難しいばかりか、社会復帰さえ困難になってしまう状況になることが多い。このような状況になってしまった社員・職員をどのようにして職場復帰させるか、管理者にとって悩ましいことである。大企業であれば専門のセラピストを雇用して対応したり、復帰に向けた専門施設を利用して復職プログラムを実行したりして、復帰支援をしている。

しかし、残念ながら中小企業や行政機関は、そのような至れり尽くせりの手厚い復職支援策をしてはくれない。中でも休職者が多い教職者に対する復職のための支援は、学校においても教育委員会においてもまったくない。教職員が休職したり離職したりするのは、まったく自己責任と捉える傾向がある。ベテランの教職者を育てるのに、どれほどの時間と費用がかかっているのか知らない訳でもないだろう。復職できないままの休職者を放置するということは、国として、また教育界として多大なる損失ではないだろうか。

メンタルによる休職から完全に職場復帰するのは、かなり難しいことだと認識されている。ましてや、数か月に及んだ長期休職者が以前のように元気で働くことはまず皆無と言ってよい。まず、メンタル疾患や各種障害が医学的治療によってその症状が和らぐことが極めて少ないという事情がある。また、休職してしまう背景が職場環境にあるとすれば、休職前の職場に復帰するのは難しいと言える。そして、職場復帰ばかりか社会復帰さえできなくて、ひきこもりの状況に追い込まれてしまうケースも少なくない。

そんな休職者への職場復帰支援策が、例外的に見事に成功するケースがある。それは、愛着アプローチという手法を選択して実施した場合である。この愛着アプローチというのは、傷ついてしまった愛着を癒すことである。または不安定な愛着を安定した愛着に戻す作業でもある。傷ついた愛着や不安定な愛着を抱えてしまうことを愛着障害と呼んでいる。メンタルによる休職者のほとんどが愛着障害を抱えている。そして、この愛着障害が愛着アプローチによって癒されることで、メンタルも改善されて職場復帰が可能になるのである。

職場復帰支援は、休職している当事者だけに施されるのが通常であるが、愛着アプローチは当事者だけでなく、その家族にも実施されるケースが多い。愛着アプローチが劇的に効果を上げるのは、当事者の母親に実施した場合である。愛着障害になる原因が、親と子の関係性にあるのだから、当事者である子だけでなく親にもアプローチするのは当然であろう。とりわけ親子の絆の深さや豊かさが大切なのは、母子のそれである。母親と子どもとの関係性が非常に良ければ愛着障害になりにくいし、メンタル障害になることはまずない。母親が子どもの安全基地(安全で心から安心できる守り本尊)となっていれば、メンタルが安定しているし、どんな苦難困難も乗り越える勇気を持てるのである。

愛着アプローチにより、母親の安全基地としての機能を取り戻すことができる。愛着アプローチを支援者(カウンセラーorセラピスト)が適切に母親に実施すれば、劇的な効果が現れる。この適切な愛着アプローチを実施できる支援者は、優秀なメンターでなければ効果をあげることができない。適切な共感的メンタライジングや認知的メンタライジングを駆使して、母子の関係性を良好で豊かな愛が溢れるものに修復することが出来たら、愛着障害は克服できる。愛着障害を乗り越えることが出来たら、メンタル障害は改善されるし、職場復帰も可能になる。ところが、職場復帰支援が母親に対してまで実施されるケースはないし、メンタル障害を起こした当事者の母親への積極的アプローチがされることは少ない。医学的アプローチだけでなく愛着アプローチも検討してみてはどうだろうか。

※「イスキアの郷しらかわ」では、愛着障害についての研修を実施しています。そして、愛着障害を乗り越える愛着アプローチのやり方についてもお伝えしています。どうして愛着障害が起きてしまうのか、その愛着障害をどのようにすれば乗り越えることが出来るのかを丁寧に説明します。まずは、問い合わせフォームからご相談ください。

不登校・ひきこもりは愛着障害から起きる

不登校やひきこもり、休職などの社会への不適合が起きるのは、根底の問題として愛着障害が存在することが判明した。勿論、愛着障害と言えるようなレベルではなくて、不安定な愛着というような軽いものでも不登校やひきこもりが起きてしまう。発達障害や自閉症スペクトラム、または適応障害、強迫性障害、摂食障害、妄想性障害、パーソナリティ障害などのメンタル障害を当事者が抱えていることも多いが、それらの障害も愛着障害から起きているというから驚きである。

不登校やひきこもり、休職の原因は、いじめや不適切指導、さらには、社会全般にはびこるハラスメントによるものだとされているが、本当の原因はそうではない。何故ならば、同じようないじめや不適切指導、各種のハラスメントを受けたとしても、不登校やひきこもり、休職まで追い込まれない人もいるのだ。同じような意地悪な行為を受けても、はねのけたり乗り越えたりする人もいる。何らかの問題や課題を抱えている人だけが、不登校やひきこもりに追いこまれると考えたほうが論理的である。

その抱えている問題とは、愛着障害、または不安定な愛着という問題だと言える。愛着障害というのは、親との深く強い関係性、愛が溢れるような良好な絆が結ばれていない状態である。子どもというのは、本来は親から無条件の愛を注がれ、どんな場合でも親が自分を守ってくれるという安心感を持って育つものである。子どもは、親から絶対に見捨てられることもないし、ずっと支えられ続けるという安全で安心できる環境で育てられることが必要だ。そうでないと、何か苦難や困難が起きた時に、乗り越える勇気が持てないのだ。

この安全で安心するような環境で育てられないと、愛着障害、または愛着が傷つけられた状態を抱えてしまうのである。そうすると、苦難困難に出会うと回避したり逃避したりするし、誰かのせいにしたり他人を恨んだりして、自己成長が停止してしまうのである。こういう愛着障害の人間は、社会に適応できなくて、ひきこもってしまうのである。言い換えると、人間はいかなる時も自分を守ってくれる安全基地を必要とするのに、その安全基地を持てないから、いつも不安や恐怖感を持ってしまい、社会に出れなくなるのだ。

この安全基地というのは、誰にでも必要なものである。その安全基地というのは、通常は家族がその役割を担う。家族の絆が健全でしっかりしていれば、母親か父親がその役割を果たす。無条件の愛である母性愛を注ぐ母親が安全基地となる傾向が強い。しかしながら、何らかの原因があり、母親がその安全基地になりきれないケースがある。そういう時に、子どもは愛着障害や不安定な愛着を持ってしまうのだ。そうすると、子どもは不登校やひきこもりになることが多い。

愛着障害や不安定な愛着を抱えている子どもは、脳内神経伝達物質のひとつであるオキシトシンが不足している。このオキシトシンは、安心ホルモンと呼ばれる。オキシトシンが不足すると、大きな不安や恐怖感が心を支配してしまい、怖くて社会に適応できなくなり、良好な人間関係を築けなくなってしまう。強迫性障害、摂食障害、不安神経障害、対面恐怖症、パニック障害、妄想性障害、適応障害などを起こす。発達障害もオキシトシンが不足していると言われている。

オキシトシン不足は、母親との濃厚なスキンシップが不足し育てられると起きるとも言われている。驚くことに、このようにオキシトシン不足で愛着障害を抱えている子どもの母親も同様に、不安定な愛着を抱えているケースが多いのだ。だから、不登校の子どもの母親もまた不安が大きく、親子で不安をお互いに増幅し合っていることが多いのである。ちなみに、母親に適切な支援をして不安を取り除いてあげると、子どもの不安も払しょくされて、登校できるようになることが多い。母親のオキシトシンが増えると共に子のそれも増えるからだ。

安全基地としての機能を果たせない母親に、寄り添い味方になってくれる存在が必要である。傷ついて不安定になった愛着を癒す行為を「愛着アプローチ」と言うが、この愛着アプローチを母親は必要としている。母親と当事者の両方にこの愛着アプローチが適切に行われて、愛着障害や傷ついた愛着が癒されると、不登校やひきこもり、そして社会への不適応が見事に解決される。勿論、抱えている愛着障害や傷ついた愛着が改善されることで、メンタル障害も緩解する。

※不登校やひきこもり、社会への不適応をしているわが子のことで悩んでいるお母さん方へのサポートを、「イスキアの郷しらかわ」では実施させてもらっています。愛着障害とその解決策である愛着アプローチについて詳しく解説すると同時に、愛着アプローチを実施します。まずは「問い合わせフォーム」からご相談の申し込みをしてください。相談の対価は一切求めませんので、安心してご相談ください

メンタル不調の原因は愛着障害にある

複雑なメンタルの不調を抱えている人が多いが、それらのメンタル障害が愛着障害によって発症していることが判明したという。メンタル障害の医学的治療は難しいし、効果は限定的である。さらに、それが愛着障害から発症したものであれば、薬物治療などの医学的治療で根治するのはなおさら困難である。現代医療では治療が困難だとされる、双極性障害、慢性うつ病、気分障害、境界性パーソナリティ障害、PTSD、摂食障害、妄想性障害、各種依存症、ADHDなどは愛着障害による影響が大きいとされる。それらのメンタル障害が、適切な愛着アプローチによって見事に改善するという。

不登校やひきこもり・ニート、休職者の当事者は複雑なメンタル障害を抱えているケースが少なくない。そして、その根底になっているのが愛着障害だと推測されるケースが殆どである。愛着障害というのは、英国の児童精神科医ジョン・ボウルビーが1950年頃に提唱した、児童精神発達障害理論のひとつである。愛着障害は日本の精神医学会ではあまり注目されてこなかったが、近年大きな話題を集めている。著名な児童精神科医である岡田尊司氏がその豊富な臨床経験によって編み出した愛着アプローチが多大な実績を上げているからだ。

岡田尊司先生は、長い期間に渡って少年院に送致された子どもたちの精神的ケアーに携わっていらした。その中で、それらの生きづらい少年たちが複雑なパーソナリティ障害を抱えていることに驚き、その克服に尽力されてきた。現在は、大阪で岡田クリニックを開所されて、メンタル障害で苦しむ青少年たちの治療をされているという。そして、岡田先生はパーソナリティ障害などのメンタル障害の根底に、愛着障害が潜んでいること気づき、愛着アプローチを実践して、多大な効果を上げているのである。

不登校やひきこもりの青少年たちだけでなく、生きづらい大人にも愛着障害が潜んでいるし、各種のパーソナリティ障害に苦しんでいる人々にも根底に愛着障害があるというケースが多い。愛着障害というと、乳幼児期に養育者からひどい虐待やネグレクトを受けた子どもたちが持つ障害だと思われている。または、乳幼児期に養育者から見捨てられる経験で愛着障害になると思われてきた。ところが、ごく普通の家庭で育てられた子どもでも愛着障害を抱えているケースが少なくないという。そして愛着障害から発症したパーソナリティ障害などのメンタル障害で苦しむ大人に成長してしまうケースが多いのである。

すべてのメンタル障害が愛着障害から発症しているとは言えないが、想像以上に愛着障害が根底にあるケースが多い。薬物治療などの医学的な治療ではまったく効果がなかった症例が、愛着障害と診断され、適切な愛着アプローチを受けると見事に改善されるのである。それも驚くことに、愛着障害を抱えた当事者への愛着アプローチだけでなく、母親に対する愛着アプローチのほうが大きな効果を上げることが多いというのである。今までの医学理論ではそんなことはあり得ない。しかし、実際に母親への愛着アプローチによる支援によって、当事者の症状が劇的に改善するのである。

愛着障害が発症するのは、虐待やネグレクトなどの特殊なケースだけではない。ごく普通の家庭教育を受けて、家庭の外から拝見すると親から愛情一杯に育てられて、何も問題がないと思われているケースでも愛着障害が発症してしまう。特に、両親が高学歴で知能レベルが高く、あまりにも教育熱心な親である場合が多い。子どもに対して必要以上に親が介入して、子どもの主体性の発達を阻害してしまうのである。こういう場合は思春期に、いじめなどをきっかけにして、強迫性障害、摂食障害、不安障害などを発症して、不登校やひきこもりを起こしやすい。酷くなると、家庭内暴力までも起こす。これも愛着障害である。

不登校、ひきこもり、メンタル不調による休職などは、殆どのケースで愛着障害が基になっていると言っても過言でない。したがって、医学的な治療ではまったく効果がないが、適切な愛着アプローチによる支援を受けると見事に回復して社会復帰する。この愛着アプローチとは簡単に言うと、不安定になった親子の関係性(愛着)を、親密で安定した関係性に戻すことである。それも、当事者よりも母親への適切なアプローチ(支援)のほうが、効果が大きいという。母親からの子どもに対する愛情が、寛容性と受容性の極めて高い母性愛に変容すると、子どもは変わる。まさに親が変わると子は変わるのである。

※愛着障害が根底にある不登校、ひきこもり、メンタル不調による休職者への愛着アプローチによるサポートを「イスキアの郷しらかわ」では実践しています。特に、子どもが不登校、ひきこもり、休職などの問題を抱えて悩んでいる母親に対する支援をさせてもらっています。愛着障害が起きる原因とその対策に関する研修、そして実際に愛着アプローチのやり方を学ぶことが可能です。まずは「問い合わせフォーム」からご相談ください。

ネットの情報を盲信する危険

ネットの情報を盲目的に信じる人々がいる。そういう人々は驚くことに、まったく疑うことを知らないのである。明らかに科学的根拠がないのにも関わらず、100%信じてしまう人々がいる。まるで、新興宗教に洗脳された信者のように、盲信してしまうというのは驚きである。ケム・トレイルとかHAARPというようなもっともらしい名称に騙されるのかもしれないが、ほんの少しだけ科学的知識がありさえすれば、あんな馬鹿気た理論に翻弄されることはない筈である。

世の中に世界規模の陰謀がまったくないとは断定できないが、騙される人は陰謀という言葉に弱いようだ。そんな大規模で大胆な陰謀が、誰にもばれないで実行される筈がない。しかも、一度ならず何度も続けて成功するなんて、少しでも知恵が働く人間なら、誰でも嘘だと見破れる。インターネットの発達でフェイクニュースがあたかも真実のように流れて、それが拡散していく。そして、陰謀論も同じように垂れ流しされている。発信者はほくそ笑んでいるに違いない。

ケム・トレイルやHAARPを利用した陰謀を、最初にネット上に流したのは確信犯である。いかにも本当らしく写真を加工したりそれらしく偽造したりして、信じ込ませたに違いない。それを盲信して拡散してしまうような人々は、妄想性か統合失調症性のパーソナリティ障害ではないかと見られている。ある偏った情報を信じたいという隠された願望が根底にあり、一方だけの情報だけで盲信するのである。それらの陰謀が嘘だという明らかな証拠が他のネット情報で示されているのに、調べようとさえもしないのである。

とんでもないフェイクの情報を盲信するのは、その人の勝手である。他人がとやかく言うべきでないと思っている。しかし、その嘘の情報を拡散するのは、百害あったとしても一利さえない。多くの人々を惑わせるだけでなく、善良なる第三者を恐怖に陥れる。信じてもいいが、それを拡散することだけはしてはならない。ところが、これを盲信するのはパーソナリティ障害だから、人々を不幸にさせることさえ平気なのである。だから、まるで鬼の首を取ったように得意げに拡散してしまうのである。

ケム・トレイルやHAARPなどによる陰謀を信じている人は、反論検証をしているネット情報を見てみるといい。どちらが真実なのか、一目瞭然である。陰謀論がいかに非科学的であるのか、誰でも理解できるように説明されている。大切な情報ほど、反対の検証をすべきである。一方の情報だけを鵜呑みにして、盲信するのはとても危険なことである。もう一度言おう。信じたい気持ちも理解できるが、反論する情報も検証して、冷静に判断することを勧めたい。

こんな嘘の情報を巧妙に手間暇惜しまず作成して、人々を惑わせて何が面白いのであろうか。愉快犯と言えばそれまでだが、何も得るものはない筈だ。盲信する人々がいることを知っているのであろう。だから、こんな嘘まみれの情報でも拡散してくれると信じて、ネットに情報を流したのであろう。フェイクニュースというのは、情報がどこの誰が最初に発信したのか明らかにすることはけっしてない。後から調査されて何らかのペナルティを受けるのを避けたいからだ。

どちらの情報が真実なのか、簡単に判断できる方法がある。それは、情報発信者を明確に発表しているかどうかである。フェイク情報の最初の発信者は、絶対に特定されることはない。その反論検証者は、たとえハンドルネームやニックネームを使っていたとしても、自分の考えだと堂々と述べている。ところが、嘘の情報を最初に提供した人物が誰だかはまったく判らない。この事実だけ見ても、どちらがフェイクなのか解ろうというものである。発信者の判らないネット情報ほど信じてはならないのである。

SNS上で批判コメントをする人

世の中にはいろんな人がいるものだと、つくづく思う。周りの人々にいつも共感的態度で寄り添うような優しさを見せる人もいれば、何かと批判的な態度で実に冷たく接する傾向の人がいる。その態度は実際の生活だけでなく、SNSなどのネット上においても同様の対応をすることが多い。SNS上でブログや日常生活の機微などをアップすることをしている人は増えてきた。友人どうしの情報交換の場所として有効活用している女性も増えている。そのようなSNSの場で、批判的なコメントを載せる馬鹿者がいるのは情けない。

ブログというのは、あくまでも私見を述べたものであり、学会や研究機関における論文とは違う性格を持つ。一見すると、論文のような形で自分の意見を書き綴る人もいるが、それもまた単なる『日記』に過ぎないと見るべきであろう。ブログとはウェブログの略で、あくまでもウェブ上にアップしたログ(日記)である。とすれば、科学的根拠や社会通念で認められた真実であることは必要ない。あくまでも、自分なりに感じたことや考えたことを述べているに過ぎない。当然、エビデンスのないものだって構わないと思われる。

ブログを読むかどうかは、本人の選択肢の範囲内である。自分とは違う意見だし、読むのも嫌だと思えばスルーしてもいいのだ。中には支離滅裂な論理で、まったく的外れの意見を述べる人もいるが、それもその人の考え方だから他人はどうのこうの言うべきでない。中には、それは許せないとエキサイトして、変な正義感を振りかざして批判コメントを書き込む人もいるが、それも大人げないものである。そんなブログは素通りするのが良いだろう。批判をする時間がもったいない。日記なのだから、どんなことを書いても自由だ。

ただし、反社会的な行為を肯定したり助長したりする日記は許せない。または、特定の人、または明らかにこの人だと類推可能な人の個人批判をするようなブログもいけない。勿論、公的な立場にある政治家や経済人を批判することは、常識的な範囲では許される。だとしても、その政策や経営戦略を批判することは良いだろうが、人格や出自などの批判はすべきでない。いくら公的な人だとしても、個人生活の乱れや精神障害などを暴露して批判することも好ましくない。ウェブ上のマナーやエチケットを守るのは最低限のルールだ。

どうして、SNS上で批判コメントを繰り返すのであろうか。そういう人は正義感が強く見識が高くて、世の中を少しでも良くしようと実際に活動して努力している人なのだと思うだろうが、実は真逆の人であることが多い。自分では何もせず、ただ批判を繰り返すだけであることが多い。自分ではブログやツィッターを載せず、ネットサーフィンをして批判コメントを掲載することを生きがいのようにしているのである。さらに卑劣なのは、本名で批判することないし、匿名でのコメントだから保身意識が高いのである。

SNS上で批判コメントをする人は、実は可哀想な人である。誰にも好かれず愛されず、まったく相手にされない孤独な人が多い。中には家族がある人もいるが、家族から愛されていないのである。家族からも組織や会社の人からも認められていないし評価されていないのである。そういう満たされない思いから、他人を批判して自分を肯定したがっているだけなのである。つまり、自己尊厳意識や自己肯定感が極めて低いのだ。それでいて、自分は賢いし誰よりも優れているのだという万能感が強いのである。だから、自分の意見と違う他人の意見をスルー出来ずに、噛みつきたくなるのであろう。

言論の自由は、憲法の基本的人権で認められている。だとしても、公序良俗に反しない限りという制限条件があるのは、周知のことだろう。批判的コメントは、ブログやツィッターをしている人の心を傷つける。中には、怖くなってSNSから撤退せざるを得なくなるばかりか、トラウマになってしまう方もいることを認識すべきだ。つまり、批判コメントは心身を傷つける傷害罪にもなりうるのである。いろんな意見や言論があっていいのだと思う。自分と違う意見があるブログを見て、なるほどこういう意見もあるんだなと思えば、自己成長にもつながる。多様性を認め受け容れることで、自己実現に近づくことにもなる。批判コメントをしないでスルーをする『ネット大人』になりたいものである。

引きこもりを乗り越える

引きこもりは若者だけかと思っていた人も多いが、実は中高年の引きこもりのほうが多いことが判明したという。内閣府が引きこもりの調査をしていたが、それは15歳~39歳の若者が対象者だった。しかし、中高年者の引きこもりも多いのではないかという指摘があり、40歳~64歳の中高年者の引きこもりを調査したところ、なんと61万人もいると推計されたという。15歳~39歳の引きこもり推計数が54万人だから、それよりも多いということになる。若い引きこもりが高年齢化したとも言えるが、困った事態になっている。

引きこもりになるのは、圧倒的に男性が多いらしい。7割以上が男性だというから、驚きである。中高年の引きこもり男性は、老齢の母親と二人暮らしをしているケースが多いと言われる。中高年の引きこもりは、親と同居して養ってもらっている場合が多いが、親が他界したらどうするのであろうか。年金の受給権を持たない引きこもりは、やがて生活保護の受給者になることだろう。引きこもりの多くが5年以上に渡り長期化していることが多いことから、一旦引きこもりになると社会復帰は極めて難しいと思われる。

どうして社会復帰が難しいかというと、引きこもりを自分の力だけで乗り越えるのが難しいからである。かと言って、親などの家族がどんなに支援したり働きかけたりしても引きこもりを乗り越えることが困難である。行政も引きこもりを解決する働きかけを積極的にすることが出来ないし、メンタルを病んでいなければ医療の対象になることはない。つまり、引きこもりを解決する手立てがないのだ。だから、引きこもりが長期化するのである。社会復帰の支援をしている民間業者があるが、利用料が高額になるので、高額所得者しか利用することが出来ない。

引きこもりやニートを乗り越えるには、そもそも引きこもりやニートになった根本的な原因を探り出し、その原因を解決しなければならない。引きこもりになる原因は、彼らにとってあまりにも生きづらい社会だからであるのは間違いない。彼らにとっては学校や職場があまりにも冷たくて厳し過ぎるので、適応しにくいのであろう。しかしながら、生きづらさを抱えているのは引きこもりになっている人だけではない。生きづらさを抱えて居ながらも、社会に適応できている人もいる。とすれば、引きこもりになる人とならない人の違いはどこにあるのだろうか。

引きこもりになる人は、学校や職場で嫌なことが続いたり、失敗や挫折を繰り返したりした経験を持つ。そして、そうした体験から不安や恐怖感が極限まで高まり、また同じことが起きるのではないかと思い込み、外で活動することに臆病になり、引きこもりになるのではないかと想像されている。一方、引きこもりにならない人は、たとえ嫌なことに遭ったり失敗や挫折をしたりしても、不安や恐怖感でいっぱいになることはない。どこが違うのかと言うと、オキシトシンやセロトニンなどの脳内ホルモンの分泌異常が起きているのではないかとみられている。

そのような脳内ホルモンの分泌異常が起きるのかというと、乳幼児期から思春期にかけての養育環境、または育てられ方の影響が大きいとみられる。親の育て方が悪かったという訳ではない。あくまでも、親としては子どもの為にと精一杯努力したし、健全に育つようにと懸命に尽くしたのは間違いない。手抜きや育て方のミスがあったという訳ではなくて、あまりにも一生懸命過ぎたせいかもしれない。良い子に育てようという親の思いが強過ぎてしまい、介入し過ぎたというか干渉し過ぎた為に、人体システムの異常が起きて、子どもの自己組織化が阻害されたと推測される。

したがって、引きこもりを解決するには、子どもだけのカウンセリングやセラピーだけでは難しいと思われる。子とその親の両方との家族カウンセリングが、引きこもりを乗り越えるには必要だと考える。それもミラノ型の家族カウンセリングを利用したオープンダイアローグ療法が望ましい。親に対しても、当事者の子どもに対しても、けっして批判することなく否定もせずに、ただ優しく質問を繰り返すセラピーである。そして子どもが自分の幼児期や思春期に言えなかった親への思いを吐露し、その辛くて苦しかった気持ちを親が受け止めて共感する作業を通して、傷付いた心を癒していく。誰も傷つけないで、家族の関係性を再構築していくオープンダイアローグこそ、引きこもりを乗り越える為に必要なプロセスであると言えよう。

※「イスキアの郷しらかわ」では、オープンダイアローグ療法を駆使した引きこもり解決プログラムを実施しています。老齢の親だからといって、このオープンダイアローグが機能しない訳ではありません。いくつになっても親は親です。親子が共に変わることで、引きこもりやニートが解決します。不登校もまったく同じです。まずは、イスキアの郷しらかわに問い合わせフォームからご相談ください。

    場当たり的不登校対策は効果がない

    文科省や学校関係者の努力によって、不登校は減っていると言うが本当にそうであろうか。そもそも不登校という定義にこそ疑問がある。文科省の不登校の定義は、年間30日以上欠席した者で、経済的理由や病気が原因の児童生徒を除くとなっている。つまり、精神的な障害があって医師の診断書があれば不登校にはならない。しかも、保健室登校は何日に渡っても不登校とはならない。そして、少しでも学校に行けば、遅刻でも早退であっても不登校の欠席日数には含まれない。敢えて不登校を少なくする意思が働いているようだ。

    不登校という問題が放置されていると、学校関係者だけでなく教育委員会や文科省の責任が問われる。したがって、不登校を少なくする努力が実っていると社会に対して発信したいから、不登校の数字を少なくカウントしたいのであろう。これは、自殺者の数を出来るだけ少なくカウントしたいとの思惑が働く厚労省と同じ構図である。官僚というのは、無能だと批判されるのを極端に嫌う。したがって、統計数字のマジックを使いたがる。これだけ努力していますよと、と示したいだけなのである。

    文科省から各県の教育庁に対して、不登校対策をしっかりしなさいと激が飛ぶ。そして、県の教育庁から市町村の教育委員会へ、さらには各学校の管理者に伝達される。当然、校長や副校長は不登校の数を少なくする為の知恵を働かせる。何故ならば、不登校の多い学校管理者の評価が下がり出世できないからである。場当たり的な不登校対策が施される。保健室登校でも何でもいいから、1度だけでも学校に来させればよいと無理やり登校をさせる。不登校の原因なんてどうでもいいから、数字だけ減らせという厳命が飛ぶ。

    不登校になる本当の原因を学校関係者は知らない。文科省も教委だって、不登校の本当の原因を掴めていない。不登校になる原因は、当事者の精神的な弱さ、強過ぎる感受性、発達障害、成績不振、いじめ、不適切指導、同級生の確執などにあると学校関係者は思いたがる。しかし、不登校の本当の原因はそんなことではない。これらは、あくまでも不登校の単なるきっかけでしかない。不登校の本当の原因は、『関係性』にある。つまり、本来良好にあるべき関係性が劣悪化、もしくは希薄化しているから不登校が起きるのである。

    児童生徒と先生との関係性、同級生や先輩との関係性、教師どうしの関係性、保護者と教師の関係性、親と子の関係性、親どうしの関係性、その他の人間関係に問題があるから、不登校という事象が起きてしまうのである。ひきこもりも同じ原因でおきる。関係者がそれらの関係性に原因があると気付いて、良好な関係性を再構築できたとしたら、不登校やひきこもりは見事に解決するのである。その本当の原因である劣悪な関係性を放置したままで、場当たり的な不登校対策に終始しているから、いつまで経っても不登校は解決できないのである。実に情けない話である。

    それでは、何故お互いの関係性が悪くなっているかというと、日本の教育制度にその根源がある。明治維新以降に、列強の欧米に追い付き追い越す為に富国強兵を推し進めた。その一環として、欧米の近代教育を取り入れた。この近代教育の理念は、徹底した個人主義と競争主義、実学主義、客観的合理性の教育だった。この近代教育の考え方が浸透して、あまりにも個人最適や個別最適が進み、自分さえ良ければいいという考え方が支配的になった。当然、このお陰でお互いの関係性が悪化したのである。行き過ぎた競争主義は、お互いの関係性を希薄化してしまったし、お互いが支え合うコミュニティも崩壊させた。

    関係性が悪化してしまった学校では、平気でいじめはするし誰も助けようとしない。先生も子どもとの信頼関係を構築できないから、子どもはいじめを告白しないし、先生はいじめがあっても真剣に対応しようとしない。親子の信頼関係がないから、学校でのいじめを訴えられない。親どうしの夫婦関係が最悪でいつも言い争いしている家庭の子どもは、無意識のうちに不登校やいじめ等の問題行動を起こす。問題行動を起こせば、危機意識を持って夫婦の関係性が再構築できると、自分を犠牲にしていじらしい行動を取る。すべては、関係性が劣悪化・希薄化していることに原因があるのである。対症療法的で場当たり的な不登校対策なんて止めて、関係性の再構築に力を注ぐべきである。