お酒で身を持ち崩す訳

TOKIOの山口メンバーが女子高生に対して、強制わいせつ行為を働いて書類送検されたニュースには驚いた。あの鉄腕ダッシュや24時間マラソンをTVで観ていたファンは、あんな卑怯な行為をする筈がないと、裏切られた思いが強いと思われる。そして、事件の全貌が明らかになってきて、彼がお酒のために1ケ月も入院していたことも判明した。アルコール依存症だったものと推察できる。お酒のせいだと思われるが、それで許されることではない。

芸能人がお酒におぼれて身を持ち崩すケースが多い。薬物依存にもなりやすいし、ギャンブル依存と確信できる芸能人も多い。それだけストレスやプレッシャーの多い職業なんだと思うが、それにしても依存症になって人生を棒に振ってしまう芸能人があまりにも多いのに愕然とする。お酒で身を持ち崩すのは、芸能人ばかりではない。一般人でも、アルコール依存症は少なくない。先進国に多い傾向があるが、米国ではアルコール依存症が社会問題化している。

それにしても、あの山口メンバーのように恵まれた環境にありながら、何故アルコール依存症になってしまったのかが不思議である。人気もあって、他とのメンバーとも良好な関係にあったと聞き及んでいる。確か、離婚をしたとは聞いている。子どもがなかったらしいが、幸福な結婚生活を送っていたものだと思っていた。離婚したことがアルコール依存症になったきっかけか、それとも依存症が結婚を破綻させたのかは定かでない。結婚生活が、思ったほどの幸福感に包まれたものではなかったのかもしれない。

どうしてアルコール依存症になるのかというと、いろいろと原因が上げられている。意思が弱いとか、欲望に引き込まれやすいとか、孤独感があるとか、愛情不足が根底にあるとか、養育に問題があったとか、本人とその生き方に問題があるのは事実であろう。その他に、社会的要因としては、お酒が手に入りやすい環境にあるとか、お酒のコマーシャルが流され過ぎるとか、ストレス社会であるとか、生きづらい世の中であるとか、関係性が欠如しているとか、様々な要因もあろう。

これらのアルコール依存症になる原因はいろいろとあるものの、これらはすべて依存症になる背景やきっかけに過ぎない。アルコール依存症になる本当の原因は、これらではないのである。その本当の原因はというと、生きる目的がないからだと断言できる。そんなことはない、みんな生きる目的や人生の目的は持っていると思っている人も多いであろう。山口メンバーも生きる目的を持っていた筈だと思うことであろう。しかし、それはあくまでも生きる目標であって、目的ではけっしてない。

目的と目標を混同している人は多い。例えば、あなたの生きる目的は何ですか?と問うと、私は家族が豊かで幸福に生きられるようにすることが目的だと答える。または、人生で成功することが目的だと答える人もいる。会社で出世するのが目的だと答える愚か者もいる。実に情けないことである。目的というのは、このように具体的に現わせるものではない。これらはひとつの目標に過ぎないのである。生きる目的とは、正しい価値観や哲学に基づいたものであり、社会全体の幸福を実現させるような、崇高な目的でなければならない。このような正しくて高い人生の目的がないから、人生が破綻するのである。

山口メンバーがお酒で身を崩したのは、生きる目的がなかったからである。正しくて高邁な価値観や哲学を持ち、全体最適を目指すような素晴らしい目的があったとしたら、絶対にアルコール依存症にはならないのである。だから、彼が社会復帰することが出来るとすれば、正しくて高い価値観や哲学を学んで、真の生きる目的を持った時であろう。アルコール依存症の医療的ケアーを受けても、完全に治癒することは稀である。薬物治療や認知行動療法などの心理療法をいくら受けたとしても、完全治癒は難しく再発することも少なくない。正しくて高潔な生きる目的を持つことでしか、アルコール依存症を克服することができないのである。

 

※アルコール依存症や各種の依存症で苦しんでいらっしゃる方に、イスキアの郷しらかわでは、正しい価値観や哲学の学習と正しい目的を持つための研修を実施提供しています。依存症から完全に脱出したいと思っている方は、是非ご相談なさってください。問い合わせフォームからお願いします。

無条件の愛を注げない親

子育てにおいて、母性愛と父性愛の両方が必要なのは言うまでもない。母性愛とは無条件の愛、または無償の愛と言い替えることができる。一方、父性愛とは条件付きの愛、しつけ愛や承認の愛とも言われている。父性愛も大事であり、子育てにおいて必要な愛であるが、母性愛である無条件の愛こそが子育てで最も重要で必要不可欠な愛と言えよう。これがないと、子どもは健全な成長が妨げられてしまうだけでなく、大人になって大きな生きづらさを抱えてしまうからである。

この無条件の愛は、母親からの愛でしか受け取ることが出来ないかというと、そうではない。母親だけでなく、祖母や祖父から受容することもあるし、父親が無条件の愛を注ぐことも稀ではない。大切なのは、父性愛と母性愛を注ぐ順序であると、児童精神科の専門家は説いている。まずは、母性愛をこれでもかとたっぷりと注いで、それから父性愛を注ぐべきだと主張している。乳幼児期には、まず無条件の愛で満たされることで、しっかりとした自己肯定感を確立したうえで、父性愛を注ぐことが大切なのである。

何故、無条件の愛が最初に必要かというと、子どもの発達段階においては、まずは自分の存在価値がしっかりと感じられ、いかなる時も愛されて見捨てられることがないんだと確信する必要があるからだ。この見捨てられるかもしれないという不安や恐怖感があると、その後の生き方に大きく影響してしまうのである。この見捨てられ感というのは、大人になっても深刻な影響を及ぼすし、父性愛を注がれた時に、いう事を聞かなければ自分は見捨てられてしまうのではないかという恐怖心に追いやられるのである。

母性愛である無条件の愛をたっぷりと充分に与えられず大人になってしまった人間は、健全な子育ても出来なくなってしまう。どちらかというと条件付きの愛しか我が子に注げなくなってしまうのである。また、パートナーに対していつも無条件の愛しか与えられなくなり、健全な夫婦愛や恋愛を育めなくなってしまうのである。夫婦関係や恋愛関係が破綻しやすいし、子どもが何らかの問題行動を起こしやすくなる。こういう無条件の愛の枯渇状態は、世代間連鎖を起こしてしまうことが多い。負の連鎖が続くのである。

この無条件の愛を注げない親というのは、想像以上に多いのが実態であろう。おそらくは、少なくても半数以上の親が無条件の愛を注げないのではなかろうか。大人になって問題行動を起こす人々、例えば犯罪者、セクハラ、パワハラ、モラハラをする人々、覚醒剤などの薬物依存、アルコールやニコチン依存、ギャンブル依存、過食や拒食、各種依存症、生活習慣病、メンタル障害などを起こす確率が限りなく高くなる。恋愛恐怖症の人も無条件の愛が不足したからであろう。

無条件の愛が不足して、条件付きの愛しか与えられないで育ってしまった大人は、揺るぎない自己肯定感が確立されていない。いつも不安感や恐怖感を持っている。愛する人から見捨てられるのではないかという不安を持つ。配偶者から見捨てられてしまうのではないかという不安もあるし、子どもから見捨てられてしまい愛されないのではないかという不安もある。激情的に怒り出したかと思ったら、いやに子どもにおべっかを使い始めたりする。子どもにおもねるような態度をしたかと思うと、急に怒り出すような不安定な子育てをするのである。

無条件の愛を注げない親というのは、すべてではないものの『愛着障害』的なパーソナリティを持つことが多い。無条件の愛が枯渇しているが故に、いつも無条件の愛を渇望している。パートナーや周りの人から愛されたいと熱望するが、その人格の歪み故に、無条件に愛されることがない。益々、孤独感が増してきて、我が子を無条件で愛することが出来なくなってしまう。愛というのは循環するものだ。豊かに無条件の愛で包まれた人間は、周りの人々を愛で満たすことができる。無条件の愛を注げない親は、まずは自分の本当の心を知ることから始めることが必要であろう。

 

※イスキアの郷しらかわでは、無条件の愛を注げない親のサポートをしています。または親から無条件の愛を注げられなかった子どもの支援もしています。自分がもしかするとそうではないかと気付かれた方は、ご相談ください。問い合わせフォームからお願いします。

依存症や中毒から抜け出すには

統合型リゾート(IR)整備推進法(カジノ法)が衆議院を通過した。参議院でも承認されるのは間違いないであろう。現在、ギャンブル依存症が益々増加しているのに、合法カジノが出来たら、さらにギャンブル依存症は増加してしまうだろう。日本の公営ギャンブルは、依存症を起こさせて人生の破綻を生みやすい。さらに、パチンコはもはやギャンブルの領域を遥かに超えて、賭博と化してしまっている。合法カジノはギャンブル依存症で苦しむ本人と、それらを支える家族を益々悲惨な状況に追い込むことであろう。

依存症はギャンブルだけではない。薬物依存や麻薬・覚醒剤依存もあるし、アルコール依存やニコチン依存も深刻である。買い物依存や過食・拒食への依存に苦しんでいる人がいる。シンナー中毒やカフェイン中毒もあるし、砂糖と炭酸飲料(ジャンクフード)依存やカップ麺の依存症は本人が気付いていないから離脱が難しい。ネット依存、PC依存、スマホ依存、ゲーム依存に若者が取り込まれている。暴力依存(ドメスティックバイオレンス)もあるし、セックス依存症などに苦しむ人が少なくない。宗教依存やスピリチュアル依存になっている女性も以外と多い。

一旦依存症になってしまうと、本人の生活だけでなく家族の生活も波乱を招くことが少なくない。睡眠障害や食の乱れも起きるし、生活リズムが崩れるだけでなく、ウソをつく傾向により家族との関係性も破綻する場合が多い。仕事や学校を休みがちになるし、借金を繰り返すことにもなり、人生が滅茶苦茶になってしまうこともある。依存症の人がどれくらいいるかというと、ニコチン依存症だけでも1,800万人もいると言われている。アルコール依存症だって相当いる筈だし、砂糖・炭酸飲料とカップ麺依存症はおそらく2,000万人は下らないと推測される。国民の殆どが何らかの依存症になっているのではなかろうか。

これらの依存症から離脱しようと努力している人は相当いるものの、依存症から抜け出すのは非常に難しい。依存症を軽く考えている人もいる。自分が依存症だと自覚している人さえ少なくない。依存症は精神的な障害だと捉えたほうが良いし、医学的心理学的ケアーを受けたほうが良いと主張する専門家が多い。依存症になるのは性格や人間性の影響もあるが、脳の神経伝達物質と神経伝達回路の異常によるものだというのが一般化している。だとすれば、どうしたって医療によるケアーも必要だということになる。しかし、薬物治療や心理療法を受けたとしても、依存症から離脱するケースが少ないのが実情である。

何故、医学的心理学的ケアーによる効果が少ないかというと、本人が心から治そうと決断していないことと、依存症から離脱する『目的』を持っていないからではなかろうか。依存症から完全に抜け出した人の話を聞いていると、実に興味深いことを言う。自分がまずは依存症であることを深く自覚し、家族や周りの人々に迷惑をかけていると認識したと述べる。そして、絶対に依存症から抜け出すことを決断し、周りの人々にも宣言(コミットメント)したという。そして、出来得る限りの努力を毎日続けたと言うのである。

これだけでは足りないとも言える。さらに、何の為に依存症を離脱するのかの目的を持つことが必要だし、その目的に適った到達目標を設定することが肝要だと言える。さらに言えば、目的を持つには正しくて高潔な価値観が必要でもある。言い換えると、生きるためのしっかりした哲学である。正しくて高い価値観や哲学を持たないと、目的を持つことは出来ないのである。依存症によって、自分の人生を駄目にしてきただけでなく、家族を含めた周りの人々に迷惑をかけてきたのは、自分にしっかりした正しい価値観がなかったからだと認識するべきだろう。

依存症になる人は、おしなべて生きる目的を見失っている。実に低劣な目標は持っているが、人生の高邁な目的がないのである。人間という生きものは、高潔で正しい価値観や哲学を持たないと、挫折を繰り返してしまう。人間は、自分だけの損得や利益で生きると周りから信頼されない尊敬されない。家族を含めた周りの人々との関係性も希薄化しやすい。つまり、個別最適は関係性も悪化させるのである。人間は全体最適を目的にして生きなければならないし、関係性を重視した生き方が求められる。このような生き方をすれば、幸福な生き方が出来るし、依存症にはならないのである。とすれば、依存症から完全に抜け出すには、この全体最適と関係性の哲学と価値観を学び習得すればよいと言える。

 

※イスキアの郷しらかわは、各種依存症に苦しんでいらっしゃる方とその家族の支援をしています。何故、依存症になるのか?依存症になる背景、依存症になるシステムとプロセス、そして依存症からの離脱をする助言をしています。依存症から抜け出すには自然体験や農業体験も必要ですし、食事や生活習慣の改善も求められます。そして、価値観や哲学の学習が肝要です。まずは「問い合わせフォーム」から質問してみてください。

波長や波動の合わない人

職場においては、不思議と波長や波動の合わない同僚や上司と巡り合ってしまうものである。仕事のパートナーは自分では選べない。会社や組織の命じられるままに、部門や部署に所属させられて、そこでいろんな上司や同僚、または部下と出会うことになる。うまが合う相手ならいいが、どういう訳か不調和をもたらすような仕事のパートナーに巡り合ってしまうのである。波長が合わないというのか、不調和の波動を感じてしまい、何となく職場が気まずくなってしまうことが多い。

このように、波長や波動が合わないのは何故かと言うと、やはり自分の持っているメンタルモデルと相手の持つそれが違っているからではないかと思われる。メンタルモデルの違いが波動にも影響するのだと思われる。波長や波動の違いを感じてしまう人は、非常に清らかで豊かな感受性を持っている。だからこそ、相手の持っている波動が乱れていることを感じてしまうのかもしれない。波動や波長が、どちらかというと穢れていると言っても過言ではない。そのように乱れ穢れた波長や波動を感じてしまうが故に、その波動に対して違和感を持つのではないかと見られる。

勿論、メンタルモデルが違うのであるのだから、言動も噛み合わないことが多い。毎日の業務遂行における嫌な言動の積み重ねが、相手との関係性を希薄化することも少なくない。どうしても許せないというか、到底受け容れられない言動が目立ち、相手が傍に来ただけで嫌悪感を持つことが多い。一度そうなってしまうと、何も言わなくても、何も行動しなくても同じ空間に居るというだけで、自分の気分が低下して元気さえもなくなってしまうことになる。同じ部屋の空気を吸うだけでも、何となく気持ちが落ち込む。

職場内にそんな同僚・上司・部下がいると、仕事がまったく楽しくないし、ましてや殆どの時間が内勤であれば、いつも一緒なので最悪である。こういう波長・波動の合わない人と仕事をする時には、どうすればいいのだろうか。まず考えられるのは、なるべくこのような人と関わり合うのを避けることである。しかし、それも限界があろう。直属の上司であれば、報告・連絡・相談は必要だし、決裁を仰がなければならない。同僚・部下でも同じチームならば、会議・打ち合わせは必要なので、避けられない。

こういう時に、相談に乗って親身になり気遣ってくれる友達や家族がいるならば、救われるかもしれない。配偶者や親しい友達だから、一応心配をしてくれるし、励ましてはくれる。しかし、その励まし方こそが問題なのである。そんなことはないよ、思い過ごしだし、心配ないよと言う人が多い。有難い言葉なのだが、勘違いじゃないのかとか、神経質になり過ぎると言われるのは、結局は自分の感覚や性格を否定されたことになり、余計に落ち込んでしまうのである。まずは、否定せずにまるごと受け止めてほしいのである。それは辛いよね、苦しいよね、居たたまれないでしょうと言ってほしいのである。解決策や解消する方法を求めているのではなくて、共感してほしいのである。

聞いた友達が自分の心と同じように感じてくれて悲しんでくれるならば、安心するし心強い味方になってくれる。そうすれば、自分で解決策も見つけることが出来よう。それを、思い過ごしだから大丈夫だよと片付けられたら、悩みは消えない。自分のことのように共感して、同じように悩んでくれる友達か支援者に支えられることで、自分自身で解決に向かうことが出来るのである。そして、何度も相談をしてその都度に受け容れてもらえれば、自分の嫌な感情の記憶を、少しずつ客観的に、そして俯瞰的に観察できるようになり、折り合いをつけて乗り越えることが出来るのである。

もうひとつ乗り越える方法としては、マインドフルネスという方法がある。職場での嫌な記憶は、自宅に居ても時々思い出してしまうし、忘れようとか仕舞い込もうとしても、時々心を支配してしまう。別の何か楽しいことや集中することをして、心を他のことでいっぱいにして、嫌なことを追い出してしまうことをマインドフルネスと呼ぶ。瞑想、座禅、写経、読経、ヨガ、フィットネス、ズンバ、難しいスポーツ、厳しい登山、ボルダリングなどはマインドフルネスに最適である。どちらかというと、若い人は静的マインドフルネスよりも動的なマインドフルネスが合っていよう。マインドフルネスにより、嫌な記憶による思考を停止させれば、自分で解決策をふと思いつくものである。なにしろ、間違っているのは自分ではなくて、仕事のパートナーのメンタルモデルとその波動が乱れ穢れているのだから、自分はそれを静観しているだけでいいと悟ることになるに違いない。

 

※イスキアの郷しらかわでは、波長や波動の合わない人と仕事をする時の乗り越え方や解決の仕方について、研修を行っています。乱れている波長や波動に振り回さられたり影響を受けたりして困っている人がいましたら、相談に応じます。自分が悪い波長や波動に惑わされず、確固たる信念を持って生きるにはどうしたら良いかの支援をさせてもらいます。問い合わせのフォームから相談を申し込んでください。

心を真に癒せるのは自分だけ

ヒーリングセミナーとか癒しのセッションなどが盛んに行われている。または、スピ系ヒーリングとか、自分を神と名乗って人々を癒すセッションなどが各地で開催されている。一時的な心の平穏や安心を得られるという効果があるのは承知しているし、それをきっかけにして自分自身を深く見つめて、自分の精神的な成長に繋がるような努力をするというならば、受講する意味があろう。しかし、これらのセミナーや勉強会を受けるだけで、心が癒せると思い込ませるだけならば、こんなセミナーを受講するのは百害あって一利なしである。

オオミスミソウ(雪割草)新潟県角田山

スピ系や神系の考え方をすべて否定する訳ではない。なるほどと思えるようなことは少なくない。心の癒しのきっかけや自分との対話への導入部として活用するというならば、否定するものではない。しかし、自分の深い学びや心の成長に向かわずに、神や霊などを信じるだけで、自分が救われるという安易な方向に向かわされてしまうケースが多いのが気になる。ましてや、自分の心を誰かとか何かによって救ってもらえるというように、勘違いさせてしまうのであれば、これらのヒーリングセミナーは絶対に受講すべきでない。

それにしても、こんなにも世間ではヒーリングセミナーが流行しているということは、それだけ心の癒しを多くの人が求めているという証左でもあろう。誰かによって癒されたい、何かを信じることで自分が救われると思い込んでいるのかもしれない。または、このグッズを自分の周りに配置すれば癒される、このパワースポットをお参りするだけで救われると信じているのである。誰も支援してくれないし助けてくれないと思っているからこそ、何かにすがりたいというのも頷ける。

ヒーリングセミナー、占いとかスピ系の癒しセッションなどを受講するだけで、傷ついてしまった心が真に癒されることはない。ましてや、PTSDやパニック障害、メンタル障害に陥り苦しんでいる方々を、完全に治せる筈がない。百歩譲って、自分を傷つけたいと思うような事態に追い込まれている人を救う、緊急避難的な効果は認められかもしれないが、完全に癒されることはないと認識すべきであろう。冷たい言い方かもしれないが、自分の心を真に癒せるのは、自分しかないのである。

一部の医療機関では、薬物治療をなるべく用いないで精神療法や心理療法を駆使して、完全治癒を目指している。しかし、殆どの医療機関では漫然と薬物治療だけをして、根本治療を怠っている。真に心を癒して完全治癒の効果を上げているカウンセラーもあまり見当たらない。自分の心は自分自身でしか癒せないし、何故自分がメンタル障害になったのかを完全に認識させてくれる医療機関や福祉機関は殆どない。だから、メンタル障害の完全治癒のケースが極めて少ないのであろう。

自分で自分の闇の心を深く見つめ、自分の間違った認知傾向とその基になっている低劣な価値観に気付いて、自分の考え方と生き方を自ら変えた人しか、自分を治せないのである。何度も繰り返すが、傷ついて折れてしまった自分の心を『魔法の杖』で治してくれることなんて存在しない。残念ながら、ヒーリングセミナーや神系セッションに何度も参加しても、無駄である。高い参加料や受講料は、ドブに捨てるようなものだと言ってよい。スピ系グッズだけで問題が解決するなんて、あり得ないのである。スピ系の皆さんにお叱りを受けるだろうが、自分を肯定させるセミナーだけで、人は癒せないと心得てほしいのである。

自分を真に癒せるのは自分しかいないというと、突き放しているように誤解されてしまうかもしれない。けっして、見捨てている訳ではない。自分を真に癒すのは自分だとしても、それを見守り個別支援する人は必要であろう。完全に自分だけで自分の心を癒してきた人も居ない訳ではない。しかし、それは実に稀なことであり、やはり何らかのサポートは必要であろう。心が傷ついた方にそっと寄り添い、本心から共感し、苦しくて悲しい感情を自分のことのように感じ、まるごと受け止めて寛容し受容し、例え間違っていたとしてもその物語に寄り添うことが必要である。その間違った物語に本人が気付き自ら捨て去るように、否定することなく対応する人が求められる。そして、新たな正しい物語を再構築できるように支援してくれる者がいてくれたなら、自分で真に心を癒せるのに違いない。

 

※イスキアの郷しらかわでは、心を癒すための治療はしていません。しかし、農業体験や自然体験をしながら自分の傷ついて閉ざしてしまった心を開くことが可能になり、自分の心を見つめ直すきっかけ作ります。さらに、クライアントの相談相手になります。森のイスキアの佐藤初女さんのようにただお話を伺うだけです。ナラティブアプローチのように、自ら古くて間違った物語(ドミナントストーリー)を破壊して、新たな正しい物語(オルタナティブストーリー)を創るお手伝いをさせてもらいます。自己マスタリーやシステム思考の学びがその新しい物語を創る支援になりますので、その研修も受講してもらいます。

視線恐怖症を克服する

他人の視線に対して異常に反応してしまい、恐怖に感じるメンタルの障害がある。対人恐怖症の一種であると定義されていて、それは視線恐怖症と便宜的に呼んでいる。正式な病名ではないらしい。日本人に特に多いという。『恥』の文化が浸透している日本人は、他人の目を気にする傾向にある。自分を見る目が、とても気になるのが日本人である。恥ずかしい装いや言動を避けたいという思いが強い。恥をかくという行為が万死にも値するという武士道の考え方が一般人にも浸透したのではないかと見られている。

さて、最近の青少年の間にこの視線恐怖症が広がっているという。10数年前にも視線恐怖症の若者がたまに見られたが、ここ数年にはとても多くの若者がこの症状に苦しんでいると言われている。他人が自分を見て笑っているとか、自分を侮蔑しているとか、自分の顔や姿がおかしいと噂し合っているということを主張するケースが増えている。したがって、多人数が出入りするコンビニやレストラン、スーパーマーケットに行くことを極端に嫌う。さらには、職場や学校でもそのような視線を感じ始めると、辞職や退学をせざるを得なくなるのである。不登校やひきこもりになるきっかけにもなっている。

この視線恐怖症という症状が何故起きてしまうのかというと、やはり成長期における様々な経験が影響しているのではないかと考えられている。養育者から育てられる際に、こんなことをすると周りの人から、恥ずかしいとか、批判されてしまうとか、何度も言われて他人の目を気にすることを強化され過ぎたせいかもしれない。または、何度も人前で恥をかく体験や、常に馬鹿にされて軽蔑されるような体験をしたということによる影響があるかもしれない。いずれにしても、あまりにも自己否定感情が強化されてしまったことによる影響が大きいと思われる。

この視線恐怖症を始めとした対人恐怖症に対する医療的治療は、困難を極める。投薬治療によって症状がある程度軽減されるケースもあるが、完全に恐怖感を払拭するのは難しい。カウンセリングや心理療法も、大きな効果を上げる例は極めて少ない。認知行動療法がある程度の効果があると言われているものの、効果は限定的であり、やはり完治は難しいと言われている。何故こんなにも治療が難しいのかというと、対人恐怖症を患う人は、自分の心の中に特定の『物語』を創り上げてしまい、この物語から脱却できないからである。脳科学的にいうと、頑固なメンタルモデルを創り上げているから、聞く耳をもたないのである。

この強固な『物語』は、心理学用語でドミナントストーリーとも呼ぶ。こういうことをした時には、必ずこんな結果になってしまい、極めて辛い悲しい思いをしてしまうというストーリーを自身の無意識下に創り上げ、そのストーリーに支配されてしまうのだ。だから、身内や他人からその考え方はどんなに間違いだと説得されても、頑固な物語に支配されてしまうのである。一度、そのドミナントストーリーを破壊して、完全に捨て去らなければならないが、聞く耳を持たないから、どんなに説得されても効果がないのである。

ただ一つ効果を上げられる治療方法がある。それはナラティブアプローチという方法である。他の治療は、視線恐怖症の症状が勘違いだとかあり得ないことだと納得させようとするのだが、ナラティブアプローチはまずその困った症状を、逆にまるごと肯定するのである。クライアントが感じる視線に対する恐怖の思いを一切否定せずに、まずはその感情に共感するのである。そうすると、自分の辛くて苦しい思いを共有してもらったという安心感から治療者に信頼を寄せるのである。そして、何度もその恐怖感にいたる思いを話してもらい共感してもらうことで、その考え方に対して自らが冷静な判断や分析が出来るようになるのである。

視線恐怖症の症状を解ってもらうことで、これらの症状に至った経過や原因を自分で振り返ることが出来る。そうすると、辛い症状が脳の誤作動であるのかもしれないと思い当たることが出来るのである。そして、間違った物語であるドミナントストーリーを捨て去ることが可能になり、新たな正しい物語であるオルタナティブストーリーが作られることになる。これがナラティブアプローチと呼ばれる心理学的治療法である。この治療方法は、コミュニケーション能力が卓越していて、人間性が高くて粘り強く我慢強く、人間的魅力がある治療者でないと成功しない。しかも、温かい物語を紡ぐ優秀なストーリーテラーでなければならない。だから、この治療方法は誰でも出来る訳ではない。この治療方法は、他のメンタル障害にも効果がある。しかし、残念ながらこの治療法を巧みに扱える治療者が極めて少ないのが現状である。

※イスキアの郷しらかわでは、このナラティブアプローチを駆使できる精神保健福祉士の専門家を紹介することができます。なお、このナラティブアプローチという心理療法について詳しく知りたいという方には、解りやすいように説明いたします。ご子息がこの視線恐怖症で悩んでいらっしゃる保護者へのご説明をさせて頂く用意があります。まずは問い合わせフォームから相談してみてください。

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休職を選択せざるを得ない訳

職場を休職している社員・職員は少なくない。正確な数字はなかなか掴めないので、その実態は明らかになっていない。何故なら、完全に1ケ月以上休んでいるケースもあれば、時々は出勤して休む例もある。または、医師から半日勤務などを指示される場合もあるので、どの休み方をすれば休職とカウントされるのかの基準があいまいである。さらには、企業、団体、行政側でも内外に対して積極的に情報公開をしたがらないという事情もある。ましてや、給料が支給されていて、健康保険料や年金保険料が納付されていると、厚労省としても把握することが出来ないのである。

休職をしている理由は、メンタル面での就業困難によるものが非常に多くなっているらしい。うつ病、抑うつ状態、双極性障害、適応障害、社会不安障害、パニック障害などのメンタル障害による休職が増加しているという。このメンタル障害になる原因は、職場環境、または仕事における過度のストレスやプレッシャーを感じたことによると見られる。特に多いのは、対人関係のストレスだと言われている。この社会は非常に生きづらい世の中だと言われているが、職場もまた同じように生きづらさを抱えてしまう場所らしい。どうしても、職場に出勤できなくなってしまい、休職を選択せざるを得なくなると思われる。

いくら対人関係のストレスが原因だと言っても、休職せざるを得ない人がいる一方で、普通に勤務している人もいる。どうしたって休職している人に対する風当たりは強い。同じ条件で働いているのに、どうして特定の人だけが出勤できないんだと、声には出さないけれど批判的な態度をする人は少なくない。メンタル障害に対する社会的な理解は進んでいると言っても、実際に自分が所属している職場における、限られたマンパワーが少なくなり、他のメンバーに負担がかかる状況がれば、不満は大きいであろう。休職者がなかなか復帰出来ない理由のひとつが、実はそのような圧力を感じるせいかもしれない。

さて、休職をせざるを得ない理由は、本人のメンタル障害だとしても、そうならざるを得ない事情が職場に存在すると思われる。それでは、同じような環境におかれているのに、メンタルを病んでしまう人とそうでない人がいるのはどういう訳だろうか。まずは、人それぞれの置かれた状況は同じようでも違う条件にあるということが言える。新人で仕事をまだ覚えていないのに、あまりにも過酷な仕打ちを受けてしまうケースもある。管理職になったばかりに、上にも気を遣うし、指示に従わず勝手な行動をする部下に振り回される例もある。部長になったお陰で、過酷な達成目標を設定され、役員から無理難題を突き付けられて滅入ってしまうケースもある。

それでも、そんな苦難困難を何とか乗り越えられる人もいたのにと息巻く人もいるだろう。では何故、そんな違いが出てくるのかというと、それはやはり本人の気質や認知傾向、そして自身の価値観に大きな違いがあるように思われる。酷い仕打ちや過酷ないじめを受けても平気な人もいる。しかし、心が優しくて思いやりがあり、他人の気持ちを敏感に感じる感性が鋭い人ほど、他人の悪意をまともに引き受けてしまう傾向にある。つまり、世の中には鈍感な人と他人の気持ちに対して敏感過ぎる人がいるということである。メンタルを病む人は、後者のケースが圧倒的に多いみたいである。だから、他人の悪意や身勝手で自己中心的な態度を取り続ける上司や同僚に我慢がならないのである。かくして、そんな職場環境に居場所がなくなり、メンタルを病んで休職するという選択肢しかなくなるのであろう。

不登校、ひきこもりをする子どもや若者も同じような傾向にあると言われている。つまり、感受性が強いばかりに周りの悪意に満ちた雰囲気に耐えられないのである。自分を権力や権威で無理やりに支配し制御しようと企む、周りの悪意を感じるのであろう。学校にも職場にも、そして家庭の居間にも、安心する居場所がないのだ。それじゃ、職場環境や学校の環境が変わらない限り、学校や職場に復帰できないのかというと、そうではない。先ずは、職場における他の社員や職員が間違った価値観に支配されているということを認識することが必要である。本来組織というのは、全体最適や関係性重視の価値観で管理運営されるべきなのに、実際はそうなっていないし、自分はその間違いを認識している数少ないエリートだと深く認識すべきである。

そのうえで、間違っている他の社員と職員を許し受け容れる、深い寛容性と受容性を身に付けることである。他の社員や職員は、全体最適と関係性重視の高い価値観を教えられて育っていない。学校でも家庭でも職場においても、そんな教育を受けていないのだから当然だ。自分さえ良ければいい、自分の幸福や物質的な豊かさが確保されれば、他の人がどうなっても関係ないと思い込まされてきたのである。個別最適の教育である。行き過ぎた個人主義と競争主義が生んだ弊害でもある。客観的合理性の近代教育を受け続けると、誰でもそうなるのだ。その間違いを何となく気付いているから生きづらさを抱えて、メンタルを病んだのである。その間違った低い価値観を、高い価値観を持った人は許せるし、慈悲の心で受け容れることが可能になる。そうすれば、必ず休職から脱却できる。これが休職から完全に社会復帰できる唯一の道だと言えよう。

 

※イスキアの郷しらかわでは、何故メンタルを病んでしまい休職を選択せざるを得なくなったのかを、詳しく解説しています。そのうえで、正しくて高いシステム思考の哲学という価値観を学び、自分は間違っていなくて周りが間違っているんだという確信を得る研修をします。そうすれば、間違った価値観に支配されて酷い仕打ちをする人たちを許し受け容れる心が芽生えます。そうすれば社会復帰が可能になるのです。これが社会復帰へと進む道です。休職者が大勢いて困っている職場の研修にもご活用ください。問い合わせフォームからまずはご相談ください。

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心の病を治す

心の病を現代の近代西洋医学では完治するのは難しいということを前回のブログで記した。投薬によって一時的に症状を抑えることは出来たとしても、完全に投薬と通院から解放されることは殆どないのが日本の精神医療である。なにしろ、日本の保険診療制度が改正されまでは、精神科の入院患者は固定資産として認識され、余程の事情がない限り医師たちは退院を認めたがらなかったのである。入院の必要のない入院患者が、人権を認められない状態で留め置かれていた。イタリアの精神科長期入院患者はゼロだと言われている。日本の精神医療が遅れているのは、この事実だけをみれば明らかであろう。

心の病になる原因は、脳の器質異常や脳内ホルモンの分泌異常だけではなくて、人体全体の完全なるシステムが何故か誤作動や暴走をするからだということを前回のブログで記した。そして、そうなる根本原因は、この宇宙や社会に存在する万物が自己組織化されていて、全体最適と関係性によって成り立っているにも関わらず、その価値観に反する考え方と生き方をしているせいである。人体そのものが、全体最適と関係性のシステムで成り立っていることは、NHKスペシャルの人体シリーズでも明らかにしている。人間がその正しい摂理に逆らって生きているから病気になるのである。

人体は、常に人間全体の最適化を目指しているし、60兆個に及ぶ細胞どうしや人体組織どうしの良好な関係性によって完全なるシステムとして機能している。それなのに、人間どうしが関係性を無視して反発し合ったり、自分さえ良ければいいと身勝手な行為を続けたりすれば、社会全体が病んでしまう。地球という環境も、人間さえ良ければいいと環境破壊が進めば、そこに住む人間が健康破壊にさらされるのは当然である。心の病は、こうした本来のあるべき生き方に反した社会に対して、違和感を覚えた人々の心が痛み、人体のネットワークシステムが誤作動と暴走をしてしまったとみるべきであろう。

だから、自分だけでなく人類全体の豊かさや幸福を願う全体最適の価値観と、お互いの関係性を大切にする価値観がこの社会にしっかりと根付いていたら、心の病気にはならないのである。ところが周りを見渡すと、自分さえ良ければいいという身勝手で自己中心的な人間ばかりである。会社や学校は、関係性を損なうような行為を平気でするような人間ばかりである。心を病むような環境にあるのだから、純粋で感じやすく心根の優しい人間ほど、心の病になりやすいのである。それでは、こういうように心を病むような人は、社会が正しい姿に変革されない限り、心の病を完治させることは出来ないのであろうか。

ところが、人間というのはそんなに柔軟性のない生き物ではない。そんな社会でも健康で生きることが可能なのである。それじゃ、社会の悪を見逃して感じないように鈍感になって生きればいいのかというと、そうではないのである。そのような社会的な間違いや悪を、受け容れて許すことが必要なのである。これは、相当に難しいことではある。でもよく考えてみてほしい。全体最適と関係性重視という大切な価値観を、現代の人々が忘れてしまい、それに反する生き方をしてまったのは、近代教育制度を西欧から導入した時からである。そして、現代人がこの正しい価値観を失くしてしまったのは、本人たちに責任はないのである。それを責めることはできないし、糾弾することも適切でない。

回り人々は全体最適と関係性の哲学を忘却しているのだから、自分に対して酷い扱いや冷たい対応をするのは当然である。それを怒り憎むのではなくて、こんなことも知らないとは『可哀想だな』と、一段も二段も高い位置から観察することである。自分はそんなレベルは通り越して、もっと高いレベルの宇宙意思(偉大なる創造主)に添った生き方をしているのだから、そんな詰まらない生き方に対していちいち反応などしていられないという考え方をすべきであろう。とすれば、自分に対してとんでもないことを強いて、自分を支配し制御しようとする人間にも、腹が立たなくなるし許せるようになるのである。

このような高い意識を持つには、正しい価値観であるシステム思考の哲学を学ぶ必要がある。そして、どんなことがあっても揺るがない自己をマスターすることも求められる。全体最適と関係性というシステム思考の哲学は、一朝一夕で身に付くものではない。それこそ、量子力学などの最先端の複雑系科学と人体のネットワークシステムも含めた、最先端の脳科学や分子細胞学、そして免疫システムを学ぶことが必要である。すべての学問を統合させなければ、正しい価値観を学ぶことは出来ない。さらには、自我と自己を統合させて、自己マスタリーを実現させないと、心の病は克服できない。このシステム思考の哲学と自己マスタリーを獲得できたら、心の病を完治させることが出来るのである。

 

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心の病が治らない訳

現代はうつの時代だと言われている。抑うつの症状を訴えて会社を長期に休んだり学校を休学したり人が増えている。30年前には考えられなかったことである。うつ病だなんてことを会社の人に知られたら、会社に在籍することさえ難しかった時代もあった。そもそも、うつ病という病気が世間に知られるようになったのも、ここ20年くらいのものであろう。うつ病の診断が普通の内科医でも出来る診断マニュアルが整備され、さらには抗うつ剤が安全でしかも副作用が少ないという売り込みが功を奏したこともあり、うつ病と診断されて治療を受けている患者さんは、爆発的に増えた。

しかしながら、いつも不思議に思うのは、これだけ精神科医療の診断技術が向上して誤診も少なくなり、画期的な治療薬も開発されているにも関わらず、完全に治癒して断薬にまで漕ぎつけた患者さんは、非常に少ないのである。いつまでも治療が続いていて、投薬量も少なくなっているケースはあるものの、完全に心の病気を克服したという例は極めて少ない。たまにうつ病から完全に抜け出せた人のケースも耳にするが、そういう人は例外なく自分の力で治癒させた人である。

多くの精神科の医師の中には、減薬というレベルまでは患者さんを導いてくれている優秀なドクターも存在する。しかし、多くの精神科医は減薬や断薬ということにさえ無頓着で、徐々に投薬の種類も増やし投薬量を増やし続けて行くというドクターさえ少なくない。「はい、あなたはこの病気は完治したので、明日からは通院しなくていいよ」と言われた患者さんがどれだけいるだろうか。昔の精神科の病院はそれこそ笑い話ではないが、患者さんは『固定資産』だと呼んでいた経営者もいたくらいである。通院している患者さんは、大切な経営資産だと言えなくもないのである。

勿論、精神科の医師が意識的に患者さんを完治させないで、ずっと通院させているという乱暴なことは言わないが、精神科の疾患が非常に完治しにくいのは事実である。どうして、こんな残念なことが起きるのかというと、近代西洋医学の矛盾点を一番反映しているのが、精神科医療だからではあるまいか。近代西洋医学はどちらかというと対症療法が中心である。現れた症状を抑えることが主眼になる。勿論、緊急避難的な対応として主症状を抑えることが大切で、その後落ち着いてから原因を究明し、その原因を取り除くことで完治する。ところが、精神科医療の分野では、この原因の特定とその原因を根本から取り除くという治療行為があまり実施されていない現状がある。

そんなことはないし、カウンセリングや心理療法を駆使して、原因を究明して解決する努力をしていると主張する精神科医もいることであろう。だとしても、現実的に治療効果が上がっていないのだから、何をかいわんかやである。とすれば、原因の究明にそもそも誤謬があるのか、それとも原因を取り除くという治療行為が不適切であるかのどちらかである。精神医療の心理療法のレベルアップや技法の進化は相当にしている。しかし、それはあくまでも技能の向上であって、そもそも精神疾患が起きる原因を特定できていないのではなかろうか。

精神疾患になるメカニズムは、例外はあるにしても、脳の器質異常と脳内神経伝達物質の異常な分泌によるものと見られている。そして、この脳内ホルモンの異常や器質的変化は、人体システムの誤作動と暴走によるものであろう。最先端の医学では、精神科疾患の原因は脳の誤作動だけでなく、人体という全体におけるシステムエラーだということを突き止めている。つまり、脳内神経伝達物質を正常にしたり補填したりしただけでは、精神疾患は治らないということが判明したのである。しかるに、殆どの精神科医は脳内ホルモンを正常に分泌させたり、または補ったりする投薬治療を繰り返しているに過ぎない。

さらに言えば、この人体という完全なシステムが、何ゆえに誤作動や暴走をしてしまうのかという視点・観点が欠落しているのである。これは精神科医だけでなく他のドクターも似たり寄ったりである。だから、疾病を完治させられないのであろう。人体の完全なるシステムが誤作動や暴走を起こすのは、本来の人体システムの在り方に反する生き方や考え方を当の本人がしているからなのである。人体には、本来自己組織化というシステムがあり、人間そのものは全体最適と関係性によって成り立っている。この全体最適と関係性重視の価値観に則った考え方や生き方が出来ていないから、病気が発症するのである。いくら治療を受けても治らないのは、こういう理由だからである。

※明日のブログに続きを掲載します。

PTSDは自分で癒せる

PTSD(心的外傷後ストレス症候群)は、一度なってしまうとなかなか離脱することが出来ず、長い期間に渡り苦しめられると言われている。愛する家族を震災や大事故で失った際に起きやすく、ましてや自分が助けることが出来たのにも関わらず、助けられなかったというようなケースは重症化しやすいという。兵庫淡路島の大震災や東北大震災で家族や愛する人を亡くされた方で、PTSDになられた方が多かったのではないかと思われる。また、予想以上のあまりにも悲惨な出来事に遭遇してしまい、自分の生命が脅かされるような体験をしても、重症のPTSDになりやすいとも言われている。

また、PTSDになりやすいのは、犯罪被害者やその家族である。さらに、公共交通機関を利用している時に事故に遭ってケガをしたような場合もPTSDになりやすい。交通事故のもらい事故も同様である。何故かというと、自分にはまったく非がなくて、理不尽な原因で被害を受けたからであろう。自分にある程度責任や原因がある場合は、この失敗を二度と起こさないように注意すれば、事故再発は予防できる。しかし、不合理な原因や理不尽なことで被害者になるような事件事故は、自分の力では予防できない。したがって、また被害者になるのではないかという不安感や恐怖感はなかなか消し去ることができないのであろう。

ところで、PTSDになりやすい人となりにくい人がいる。同じような辛い体験をしたとしても、立ち直りが早い人といつまでもショックを引きずる人がいる。または同じように理不尽な目に遭って被害者になっても、まったく気にしない人もいれば、不安感と恐怖感がいつまでも消え去らず、PTSDになってしまう人もいる。これは何故かと言うと、おそらくは脳内ホルモン、つまり脳内神経伝達物質が分泌されている量の差ではないかと思われる。PTSDになりやすい人は、オキシトシンやセロトニンの分泌量が少なく、ノルアドレナリンの分泌がそもそも多い人ではないかと思われる。

この辺に、PTSDを和らげるヒントがありそうだ。つまり、オキシトシンとセロトニンの分泌量を増やし、ノルアドレナリンの分泌量を抑制すれば、不安感や恐怖感を払拭することが可能になり、PTSDを癒せるのではないかと思われる。セロトニンやオキシトシン、ノルアドレナリンなどの脳内ホルモンを正常に分泌するには、腸内環境整えるのが良いと言われている。腸内細菌の善玉菌が増えるような食生活が良いだろう。食物繊維の多い野菜や海藻を食べ、発酵食品を摂るのがよい。食品添加物の入った食品は避け、伝統的な和食を勧めたい。そうすれば、交感神経のバランスが取れるし、脳内ホルモンは正常になり、PTSDを和らげることに繋がる。

PTSDを自分で癒せる心理療法もある。それはマインドフルネスというコーピングである。抱え込んでいる心的外傷に心が支配されているから、いつも苦しんでいる。考えないようにすればするほど、そのトラウマが自分の心に重くのしかかる。だから、少しの時間でもいいから、この心的外傷を忘れることが出来たら、人間の脳は活性化する。しばしの時間であっても、トラウマの思考を停止させることで、自分でその解決に向かって進めるのである。言い換えると、自分の心をトラウマの記憶が支配する限り、他の有効な解決策を考えられないが、トラウマを一時的に手放すことが出来たら、冷静に判断できるようになるということである。その方法がマインドフルネス、つまりは他の思考で心をいっぱいに満たすことで、トラウマの記憶を停止させる方法なのである。

勿論、マインドフルネスでトラウマの記憶を完全に消し去ることは不可能だ。しかし、トラウマの記憶を右脳から左脳に移し替えることは可能である。マインドフルネスを実践して、冷静に自分を見つめることが出来て、トラウマの記憶を客観的に観察すると可能になる。トラウマの記憶が右脳にある時は、悲しい、苦しい、辛い、憎い、怒る、そういうマイナスの感情と共にある。だから冷静にしかも客観的に観察できないので苦しむ。ところが、何度もマインドフルネスをすることで、自分の記憶を右脳から左脳に移し替えられる。そうすると、トラウマの記憶に対する不安感や恐怖感も和らげられるのである。マインドフルネスだけでなく、適切なカウンセリングも同じように右脳から左脳に記憶の移し替えができる。ブログや日記を書くことでも可能だ。PTSDは自分でも癒すことが出来るということである。

 

※イスキアの郷しらかわでは、PTSDを自分で癒す方法をレクチャーしています。食生活もそうですが、マインドフルネスの実践法、右脳から左脳へのトラウマ記憶の移し替え方法、不安感や恐怖感を捨て去る認知行動療法、様々な実践編をお伝えします。これは、ストレス解消法にも通じます。なお、PTSDに苦しんでいらっしゃる方を、メッセージのやり取りでもある程度癒すことが可能です。是非、お問い合わせをしてください。

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