スランプはこうして乗り越える

アスリートなら誰でも一度は経験するスランプ。生涯に何度もスランプを経験する選手もいる。スランプ経験なんかしたことがないというアスリートもたまに存在するが、滅多にいない。ましてや、トップアスリートなら必ず一度や二度のスランプを経験している筈だ。スランプを乗り越えることは難しい。これといった原因が見つからないことが多い。また、芸術家や文芸家にもスランプがあるし、タレントや芸能人もスランプに陥るケースがある。そして、その原因が解らずスランプに苦しみ続けることが多いし、そのスランプを乗り越えることが出来ずに、廃業にまで追い込まれる人も少なくない。

スランプになる『きっかけ』は、実に様々である。そして、スランプに陥った人はよくよく深く考えて、そのきっかけに気付いて、それを除外する為に努力する。しかし、そのきっかけを取り除いたとしても、不思議なことにまた違う『きっかけ』が起きてしまうのである。ひとつ解決しても次から次へと『きっかけ』が起こり続けて、スランプから立ち直れないのである。つまり、スランプの本当の原因を把握できず、場当たり的な対応をしている限り、スランプを克服できないのである。

アスリートがスランプに陥るきっかけは、技術的な側面もあるが、それ以上に重要なのがメンタル面である。身体というのは、実に不思議なものである。一度精神的な不安や恐怖感を感じてしまうと、筋肉が固まってしまい、いつもと違う動きになってしまう。ゴルフのトッププロが、4パットや5パットをする場面が放映されることがある。あんなこと、普段ではありえないのである。優勝が決まるかというような最終ホールのティーショットで、身体の回転が止まってしまいひっかけOBなんていうケースが実に多い。アスリートがスランプになるきっかけはメンタル面にあると言われているのも頷ける。

大スランプに陥っているのが、あのタイガー・ウッズである。彼は、酷い腰痛を起こしてから思うようなスィングが出来なくなり、スィングのバランスを崩してしまい、復帰の目途さえ立たない。全盛期には、どれだけプレッシャーがかかったとしても、またはどんなに難しいショットが要求される場面でも、いとも簡単にスィングしていたのに、見る影もないようなアンバランスなショットをしている。人間という生き物は、どこか1か所に不安の要素を抱えてしまうと、すべてが駄目になるものらしい。このようにして、大スランプから抜け出せないで苦しんでいるアスリートは少なくない。

大スランプに陥る原因を脳科学的に分析してみたい。長い期間のスランプに苦しんでいるアスリートの殆どは、不安と恐怖心からリズムとフォームを崩している。脳科学的には、脳内ホルモンであるオキシトシンの分泌が極端に減少しているか枯渇しているケースが多い。それだけではないが、今まで十分な量を分泌していたのに出ていないのだから、不安感や恐怖感を払拭できなくなっている。それじゃ、何故そんな状況に陥っているかというと、人間関係を損なっている場合が多いと推測される。夫婦、恋人、親子、兄弟、友人の関係性が、劣悪化もしくは希薄化してしまっているのである。それがオキシトシンの分泌不足を招いているのである。

このオキシトシンの分泌不足はアスリートだけでない。日常生活においても、得も知れないような不安と恐怖感から、メンタルが落ち込んでしまったりパニック障害になったりするケースも、このオキシトシンの分泌不足から起きることがある。つまり、日常生活におけるスランプもまた、このオキシトシンの影響がある。親しいパートナーとのある事件や事故などをきっかけに劣悪化してしまい、修復不可能な関係になってしまったケースを思い浮かべれば、解ってもらえると思われる。タイガー・ウッズはまさにそんなケースから、腰痛になり最悪のスランプになった。イチローが一時期スランプになったのも同じケースであろう。

オキシトシンは、深いスキンシップや愛情豊かな触れ合いにより大量に分泌される。このオキシトシンが十分に分泌されていると、どんなにプレッシャーがあっても不安にならない。またはストレスが大きくても、けっしてメンタルが落ち込まない。だから、スランプを乗り越えるにはオキシトシンを分泌させるような暮らしをすれば良いのである。性的な触れ合いが一番確実なのであるが、相手がなければ難しい。ペットとのスキンシップも効果あるし、社会貢献活動も有効である。ボランティアや公益活動をして、相手から大きな感謝と愛を与えられると、オキシトシンが多量に分泌される。不安感と恐怖感にさいなまれている人は是非試してほしい。

 

※スランプを乗り越えるための相談・カウンセリングを、イスキアの郷しらかわでは承っています。どんなご相談でも受けたいと思いますので、『問い合わせ』のフォームからメッセージを送ってください。秘密保持をお約束します。スランプに陥った本当の理由を明らかにして、その乗り越える方法を一緒に考えます。ご遠慮なくご相談ください。相談料はいただきません。

自殺願望の人を救えるか

自殺願望者を自殺サイトで巧妙に誘って、金を奪い乱暴までして9人の命を奪うという凶悪事件が起きた。自殺を志望しているとは言っても、人の命を奪うという卑劣な行為は絶対に許せない行為である。自殺サイトというのは、インターネット上のSNSを利用したものであり、登録してお互いに対話をしている人はかなり多いという。どうせ自殺しようとしているのだから、それを助けて上げただけだという認識を彼が持っているとしたら、それはおおいなる勘違いである。

自殺願望者の方たちがSNSで発信しているツィートを見ると、既に自殺する気持ちを確定している人は極めて少ないことが伺える。まだまだ迷いがあって、心の奥底では誰かに救ってほしいという気持ちがどこかにあって、そんな気持ちが見え隠れしているのである。だから、中には自殺を手伝うという人がいたとしても、または自殺を早くしろと促すようなツィートをしても、反発する自殺願望者が多いように見受けられる。自殺願望者たちは、自殺をする前に自分の心の悲しさ苦しさ辛さを解って、共感してほしいと思っているのである。

自殺を救うNPOやそのサイトを見ていると、自殺そのものを否定するのでなくて、自殺願望者の気持ちに寄り添うことがまずは必要だとしている。自殺願望者のサイトを見ていると、自分の気持ちに寄り添って共感してくれる人がいないという嘆きが漏れ聞こえる。厚労省の自殺を救うサイトも開設されていて、まずは相談を受けて共感することに重きを置いている。しかし残念なことに、いろんな支援施設に実際に駆け込んで、救いを求める自殺願望者はけっして多くないのである。自殺を思い止まらせることが難しい所以である。

自殺願望の人を救う、現代の駆け込み寺的な宿泊施設がある。『森のイスキア』という施設である。青森県の弘前市、岩木山の麓にあるこの施設は、佐藤初女さんという女性が運営していた。佐藤初女さんは、日本のマザーテレサとも呼ばれていた人で、彼女の握ったおむすびを食べただけで自殺を思い止まったという有名なエピソードがある。心が疲れ切って完全に心が折れてしまい、生きる気力を失ってしまった人がこの森のイスキアを訪れて、また生きようと思い直す施設である。残念ながら、昨年の2月に佐藤初女さんが94歳の生涯を閉じられて、森のイスキアは現在活動を休止している。

佐藤初女さんは、特別な心理療法や助言をする訳ではなかった。心の籠った料理を食べさせて、ただ寄り添い共感するだけで、利用者自ら話し出すのをじっと待っていたという。利用者は佐藤初女さんの料理で癒されて、彼女の優しさと包容力を実感し、自分の苦しさ悲しみを訥々と話し出す。一切否定されることなく傾聴と共感をしてもらうことで、本人は安心する。そして、自分自身の力で解決策を見出すという。こうして、多くの心を痛めた方々が救われてきたのである。このような癒しと救いの施設がなくなってしまったのは、こういう悲惨な事件が起きるとつくづく残念なことである。

自殺願望者をSNSなどの自殺サイトや相談支援のサイトで救えるかと言うと、成果は限定的であろう。やはり、人の心を癒すには傾聴と共感だけでは難しいというのは、専門家の共通認識であろう。バーチャルの世界や電話応対でヒーリングを受けたとしても、絶対的なお互いの信頼関係を築くのは難しいからである。実際に出会って、相手の表情やそぶりを見ないと親近感は湧かない。ましてや、人生に絶望した人を救うのは、特別な食事などの提供も必要であるし、農業体験や自然体験などの仕組みなども求められる。マインドフルネスの時間も共有しなければならない。

ところで、座間市で起きた残虐事件の犯人は、父親に対してこんなことを言っていたという。「人生を生きる意味が見つからない。死んだほうがましだ」と。彼にも自殺願望が実際にあり、だから自殺サイトにアクセスしたのかもしれない。自殺願望の方々はおしなべて、自分の生きる意味を見つけられず苦しんでいるように思える。生きる意味とは生きる目的と言い換えていいかもしれない。正しい生きる目的を見つけるには、崇高で真理に基づいた価値観を持つ必要がある。間違っている低劣で劣悪な価値観では、正しい生きる目的は設定できない。自殺願望者の方々に、正しい価値観(哲学)を気付いてもらう支援施設が必要ではあるまいか。

※『イスキアの郷しらかわ』では、心の籠った自然食の料理、農業体験&自然体験、そしてマインドフルネスの実践を提供しています。さらには、正しい人生の目的を見つけるための価値観学習をしています。

医療は総合・統合の時代へ

診断及び治療における医療技術の進歩は著しいものがある。それは、近代医療がもたらしたものと言って差し支えないであろう。最先端の診断用機器の開発や診断技術の進化は、驚くほどの正確さで確定診断が出来るようになった。医療技術の進歩は目を見張るものがある。それはある意味では、専門性が増したことによる恩恵であろう。内科系・外科系というようなあいまいな診療科目ではなく、こと細かく細分化されて、臓器や組織、疾病ごとの専門医が養成されてきた。つまりスペシャリストが生まれ、診断や治療の成果をあげてきたのである。

それぞれ医療界のスペシャリストとして、優秀な頭脳と技能、そして経験を身に付けたドクターは、どんな患者さんの診断・治療も可能になったかというと、実はそうではないことを医療界は認識することになったのである。専門医がそれぞれの分野において診断できない場合は、違う分野の医療スペシャリストと連携して確定診断を行うことになる。しかし残念なことに、専門医どうしの連携だけでは、確定診断が難しい症例が極端に増加してしまったらしいのである。それぞれの専門医が診断しても、なんの疾病なのか、そしてその原因が一向に解らないという症例が激増しているというのである。

その為に最近の医療界では、総合診療科が出来たり統合医療という分野が発生したりして、診断と治療を行うようになったのである。言わば医療のゼネラリストである。優秀な専門医がどうしても解明できなかった疾病名や原因が、総合診療科の医師たちが明らかに出来たのである。または、専門医とは別に統合医と呼ばれるドクターが、診断と治療に多大な成果を上げているのである。勿論、専門医たちも治療においては大きな成果を上げているのは間違いない。しかし、確定診断と疾病原因が解明出来なければ、治療計画も組めないし、再発の恐怖から逃れられない。

どうして医療界において、スペシャリストだけでなくゼネラリストが必要になったかというと、それは人間の身体、つまり人体が『システム』だと気付いてきたからである。人間そのものは、システムである。60兆個もある細胞がそれぞれ自己組織性を持っていることが判明した。つまり、細胞ひとつひとつがあたかも意思を持っているかのように、人間全体の最適化を目指して活動しているのである。そして、細胞たちはネットワークを組んでいて、それぞれが協力しあいながら、しかも自己犠牲を顧みず全体(人体)に貢献しているのである。

これは、細胞だけでなく人体の各臓器や各組織が同じようにネットワーク(関係性)を持っていて、全体最適の為に協力し合っていることが、最先端の医学で判明したのである。つまり、人体は脳が各臓器や各細胞に指令を送っているのではなく、それぞれが主体性と自発性を持って活動していることが解明されたのである。完全なシステムである人体が、どこかの各細胞や各臓器が誤作動を起こせば、それが人間全体に及び疾病が起きるということである。ということは、人間そのものの生き方が全体最適と関係性を忘れたものになると、細胞や各臓器などが誤作動を起こしやすくなるという意味でもある。

医療が専門性を発揮し、疾病だけを診て人間全体を観ていないというのは、まさに樹を見て森を見ずというようなことと同じであろう。人体そのものだけでなく、その人間の置かれた環境や育ち、特に家族との関係性などを詳しく知らないと、疾病の原因が解明できないと思われる。人間全体を観ないとそのエラーと原因を特定できないということなのである。特に大切なのは、その人間の生き方の根底となる価値観が低劣で劣悪化すると、人間という『システム』に反する言動をしてしまうという点である。人体システムの在り方と生き方そのものが矛盾を起こすと、人体の誤作動が起きると言えないだろうか。

メンタルの障害における原因究明は、非常に難しい。だからこそ、他の身体的疾病と比較して完治や寛解が著しく少ないという結果にも表れているのであろう。脳科学的や神経学的に、神経伝達物質の誤作動や極端な分泌異常がメンタル障害を誘発することは解っていても、その誤作動が起きる真の原因は残念ながら掴めていないのである。人間は『システム』だということを認識することで、原因が解明できるのではないだろうか。全体最適、つまり社会全体に貢献するという目的をしっかり持つための価値観を持てないと、人間の精神は誤作動を起こすのである。しかも、関係性を大切にしなければならないという生き方を実践しないと精神は破綻を起こすのである。幾何学的に精神疾患が増加しているのは、システム思考の哲学である、全体最適と関係性の哲学が希薄化し低劣化したせいだと言える。精神科医のゼネラリストであれば、そのことに気付いてもらえるのに、実に残念なことである。

森のイスキアと佐藤初女さん

森のイスキアの佐藤初女さんが2016年の2月に永眠された。日本のマザーテレサとも呼ばれる伝説的な福祉活動をされて、多くの人々から慕われ続けた94歳の生涯を閉じられた。彼女の握った奇跡のおむすびは、死を覚悟した人の心を動かし、自殺を思い止まらせた。心を痛め折れてしまった人々を、佐藤初女さんは温かい心と食事で救い続けてきた。森のイスキアという施設は、傷ついた心と疲れ切った身体を抱えた人々を優しく迎え入れて、自らの元気さを取り戻すことを可能にして、再び社会に送り出してきたのである。

その森のイスキアは、佐藤初女さんが天国に召されてから、活動を休止している。既に1年半が過ぎたというのに、残念ながら彼女の活動を引き継ぐ方がいらっしゃらないようである。森のイスキアは多くの方が寄付をなさって建てられた、善意の施設である。彼女の遺志を継いで行く人がいないというのは非常に残念なことである。イスキアという名前を引き継いで、各種の活動をされていらっしゃる方は存在する。助産所をしたりカウンセリングやヒーリングをしたりしている方もおられる。相談業務をして人々を救う活動をしている施設もあるらしい。しかし、森のイスキアのような癒しの宿泊施設として運営している処はないみたいだ。

佐藤初女さんと同じような活動をするのは、非常に難しいと思う。佐藤初女さんと同じ空間にいるだけで、彼女に話を聞いてもらえるだけで、心を込めて作ったおむすびや食事を食べただけで、心を癒すことが出来た。佐藤初女さんのような方は二度と出てこないに違いない。彼女の存在は、それだけ大きかった。だとしても、第二、第三の佐藤初女さんが現れて来なければ、彼女は浮かばれないように思うのである。彼女の遺志を継いで、同じような癒しの宿泊施設が全国の各地に開設してほしいと願うのは、私だけではあるまい。

今から20年くらい前に佐藤初女さんを初めて知った。彼女を紹介していた地球交響曲第2番を鑑賞して、大きな衝撃を受けた。その時に、自分もいつかこのような施設を作りたいと強く思った。そして、12年くらい前に弘前にある森のイスキアを訪ねた。佐藤初女さんとお会いして、その滲み出ている優しさと凛とした強さを感じた。彼女の存在そのものが偉大であり、大きく包み込むような愛そのものだった。その時に、訪問者が記すノートが置いてあり、『イスキアと同じような施設を白河に必ず作ります』と記してきた。自分のライフワークとして取り組む宣言でもあったように思う。

あれから、10数年が経過した。森のイスキアと同じような施設を福島県の白河地方に作りたい思い、準備を重ねてきた。森のイスキアの佐藤初女さんのような食事を作りたいと思い、毎日せっせと料理をしては多くの方々に食べて頂き、率直な感想を伺った。心理学、精神医学、カウンセリング、ヒーリング等の学習を進めた。また、哲学、思想、仏教哲学、神学、キリスト教などの価値観を学んだ。さらには、医学、分子生物学、分子細胞学、量子力学、宇宙物理学、脳神経科学、大脳生理学なども詳しく勉強した。空き農家も物色して、農家民宿への改築する準備をしてきた。

しかし、残念ながら開設資金の問題がなかなかクリアーできずにいたのだ。開設してから運営が順調に行くまでのランニングコストを負担する目途も立たなかった。改築資金が約500万円、そして当座の運営資金が約500万円、合わせて1,000万円の準備は難しかった。寄付を募ったりするという方法もあったが、なるべく寄付には頼らないというのが自分のポリシーである。さらに、国や県の委託事業(助成金)として運営する方法も考えて企画書を作成して、各行政機関に提案したものの、実績もない事業計画を認められるのは困難だった。

ある日、吉田さん夫妻が経営している農家民宿「四季彩菜工房」とタイアップするのはどうか?とアドバイスしてくれる友人がいた。早速訪問して、森のイスキアへの思いを伝えてみた。幸運にも『イスキアの郷しらかわ』への全面的協力を約束してくれたのである。四季彩菜工房は、7年前までは毎年400人から500人ほどの利用者があった。マクロビや自然食愛好者から絶大な支持を受けて、食事も美味しいとリピーター訪問者が多かったのである。その後の震災による風評被害で、利用者はゼロになってしまったのである。物事が順調に進んでいくには、『間』が必要不可欠である。絶妙のタイミングであり出会いであった。吉田さんの協力がなければ、このイスキアの郷しらかわの開設は出来なかった。こうして、平成29年9月1日にイスキアの郷しらかわは産声を上げることが出来たのである。森のイスキア佐藤初女さんのご遺志を継いでいけるよう、精進したいと誓っている。

パニック障害を克服する

パニック障害で苦しんでいらっしゃる方は少なくいと思われる。この障害の苦しみと辛さは、当の本人しか解らない。誰にも解らない不安や恐怖感を、何故かは知らないけれど感じてしまう。そして、動悸や絞めつけられ感などのパニック発作が起きる。そのパニック発作が起きるきっかけは、狭所で起きる人もいれば、広い環境で起きる人もいる。ほんのちょっとだけ高い処から下を見下ろすだけで起きることもあれば、人込みが苦手だという人もいる。自分が安心する環境ではない処に入り込んだだけで起きるのだから、厄介である。したがって、パニック障害はいつ起きるか解らず、さらに不安と恐怖が強化されてしまうのである。

 

パニック障害が重症化すると、家庭に引きこもるしかなくなる。なにしろパニック発作が何時起こるか解らないのだから、外に出るのが怖いのだ。したがって、日光を浴びることもなくなるし、運動からも遠ざかるので、益々パニック障害の固定化が起きるのである。薬物治療や心理療法などの医療を受けると、ある程度症状が緩和されることもある。特に、認知行動療法は効果があると言われている。しかし、薬物療法は副作用が起きるケースもあるし、認知行動療法の効果はあるものの、完全治癒までの道のりは遠い。

 

さてパニック障害になる原因は何かというと、様々である。以前は心の病気だと思われていたが、医学的研究が進み、脳の神経学的な誤作動によるものだと言われている。パニック障害を起こす人は、過剰なプレッシャーやストレスを抱えていることが多い。それも中途半端なプレッシャーではなくて、自分にとって乗り越えるのが困難なレベルである。ストレスもかなり大きいだけでなく、多重ストレスのケースが多い。そして、それらのプレッシャーやストレスがかかる課題に対して、頑張り過ぎてしまっている場合に起きやすい。

 

人間は過大過ぎるプレッシャーや加重なストレスに長い期間さらされると、自律神経のバランスを崩して、交感神経が過大に緊張してしまう。そうすると体内のネットワークが誤作動を起こしてしまい、大脳辺縁系の異常や前頭前野の機能低下も起きるらしい。それ故に、不幸感が大きくなると共に、不安や恐怖感が増大してしまうと言われている。さらには、脳の機能が低下してしまい、正常な認知が出来なくなりさらなる誤作動を起こすのであろう。これらの度重なる誤作動が、パニック発作を起こしてしまい、正常な判断ができなくなるのではないかと見られている。これがパニック障害の起きるシステムだというのが定説になりつつあるらしい。

 

したがって、これらの誤作動を正常に戻すことは、大きな困難を伴うことになり、薬物治療の効果も限定的であり、長期間の治療が必要になるのであろう。今までは、セロトニンの分泌が少なくなってこのようなパニック発作が起きると考えられ、セロトニンを増加させる薬物治療をしてきた。しかし、最近はセロトニン不足だけが原因ではなく、オキシトシンという脳内神経伝達物質の不足がパニック障害の発症に関わっているということが判明してきた。したがって、このオキシトシンというホルモンを正常に分泌させるようにすれば、パニック発作が抑えられることが証明されつつあるらしい。

 

このオキシトシンの分泌を増やして、パニック障害を乗り越えた人も実際にいる。諏訪中央病院の名誉院長で、『がんばらない』等多数の著書で有名な鎌田實医師である。先生は、若くして諏訪中央病院の院長に大抜擢された。過度の期待に応えようとして、多大なプレッシャーを感じてしまい、必要以上に頑張り過ぎてしまったという。そうすると、結果を出せないのではないかとの不安と恐怖から、パニック発作を起こしてしまい、かなり苦しんだという。それでも、彼は自分で工夫して何とかこのパニック障害を乗り越えた。その方法が、オキシトシンを増やす生活であり生き方であったという。

 

どんな方法かというと、自分の幸福や豊かさを求める生き方ではなくて、患者さんを含めた周りの人々の幸せや心の豊かさを追求する生き方を徹底したという。どうしたら、自分の全精力を地域の人々の幸福実現のために注げるかを考え、病院の大改革と職員の意識改革に臨んだのである。さらには、患者さんや地域とのふれあいを大事にして、関係性を豊かにすることを求めたのである。最初から結果を過度に求めず、自分を信頼し「がんばらない」生き方を実践したのである。オキシトシンを増やすヒントがここに隠れている。生きる上でのその人の価値観が大切だということである。

 

イスキアの郷しらかわは、この大切な価値観である、『システム思考』を学ぶ場である。パニック障害を克服することは可能である。イスキアでは、パニック障害が起きる仕組みとそもそもの原因、それを乗り越える方法を詳しく解説している。オキシトシンを増やす価値観とその方法を研修することが出来る。パニック障害に苦しんでいる方は、まずは問い合わせしてみてほしい。

依存症からの完全離脱

政府調査によると、ギャンブル依存症が推計で320万人するという驚きの結果が出た。これは対面調査によるもので、現在の依存症の数ではなくて、過去も含めて一度でもギャンブル依存症になった経験を問う調査である。したがって、現在の依存症の実数ではないものの、かなりの数のギャンブル依存症が存在していることが明らかになった。しかも、フランス、イタリア、ドイツなどの先進諸国と比較するとかなりの高率になることも解った。厚労省としても、何らかの依存症対策が必要だとしている。

 

世の中の人間がはまってしまう依存症は、他にもたくさん存在する。アルコール依存症、薬物依存症、ニコチン依存症、糖質依存症、買い物依存症、スマホ依存症、ネット依存症、SNS依存症、ゲーム依存症、浮気依存症など、生活を劣化させたり人生を破綻させたりしてしまう依存症が沢山ある。DVやいじめなども、一種の依存症だとする研究者もいる。これらの依存症は、本人の自覚がないケースも少なくないし、依存症から抜け出すことが非常に困難な例が多い。したがって、大きな社会問題として注目されている。

 

依存症から抜け出すためには、依存症になる原因を特定して、その原因を排除しなくてはならない。依存症になる原因は、いろいろあると言われている。脳神経学的に言うと、ドーパミンやβ-エンドルフィンの脳内神経伝達物質に依存してしまうことで起きると言われている。または、遺伝子に問題があり、先天的なものだと主張する人もいる。さらには、家族に問題があって、乳幼児期からの子育てに原因があると説く人もいる。いやいや、やはり根本原因は本人の性格や人格にあり、物事に対する考え方や認知傾向に問題があるから依存症になると言う人もいる。残念ながら、これだという原因を特定できないでいるのだ。

 

このように、依存症になる原因を特定できなければ、この原因を取り除くことが不可能である。いずれにしても、依存症は単なるその人の癖や嗜好ではなく、心の病気であると認識すべきだと言われている。したがって、治療をしなければ治癒しないということである。だが、医療機関を受診したとしても治療をしてくれる医療機関も少ないし、その治療効果も限定的だとも言われている。ところが、自分の努力によってこの依存症から離脱している人もいる。これらの改善例を詳しく分析すれば、依存症から離脱できそうな気がする。

 

依存症から離脱したケースにおいて、どうして離脱したのかを聞き取ると、家族や友人、またはパートナーによる励ましや支援があったと殆どの人が答える。それも、押し付けの態度による支援ではなくて、傾聴と共感、そして自己否定感を起こさないような、心温まるサポートだったという。つまり、支援者自身の損得や利益のための支援ではなくて、あくまでも依存症自身の幸福のためを願い、何を求めずただ与えるだけの支援だったという。それも、上から目線の支配や制御のサポートではなくて、博愛・慈愛・慈悲の支援だけが離脱の効果を現したというのである。

 

これらのケースから言えるのは、依存症の根本的な原因とは、もしかすると愛情不足にあるのではないかということである。いや、私は家族やパートナーから愛されていると主張する依存症の人がいるかもしれない。しかし、よく考えてみてほしい。それは、支配や制御のための見返りを求める愛ではないだろうか。何も求めず与えるだけの純愛に飢えていたのではないか。依存症に陥るのは、心の中に何かぽっかりと空いた「飢え」がある場合である。何か満たされない何かがある場合、その満たされない何かを埋めるために、代替の何かに心が惹かれるに違いない。

 

愛情不足に陥ってしまっているのは、周りの人々のせいではない。突き詰めていけば心から愛されない自分の性格や人格に行きつくように思う。人々から信頼されず、心から敬愛されないのは、自分の価値観、または哲学や思想が低劣で低俗であるからだ。回りの人々から博愛・慈愛・慈悲によって満たされないのは、自分がそのような愛で人々を幸福にしていないからに違いない。このことに気付かない限り、依存症からの完全離脱はあり得ないのである。イスキアの郷しらかわでは、依存症の完全離脱のためのプロセスを支援している。何故依存症になるのかを詳しくレクチャーする共に、完全離脱の研修プログラムを実施させていただこうと思っている。依存症で苦しんでいる人は、まずは問い合わせフォームから相談してみてほしい。

農家民宿は心を癒す

都会のIT企業でSEをしていた若者が心を病んだ。その若者が、1年間に渡り田舎で農業を体験していたら、メンタル障害が癒されて復帰できたという。それも、単なる復帰だけではなく、感性やイマジネーションの能力が高まり、新たな発想力が増して企画力さえも格段に向上し、有能な社員にレベルアップして戻ってきたという。以前から、メンタルを病んだ人々が、田舎の農家に滞在していると元気になるという話は少しずつ聞こえてきていたが、実際にこんな実例があったことをSNSで発信していることが解り、とても嬉しい限りである。

 

農業体験や自然体験をしながら農家に寝泊まりする滞在型の旅行をグリーンツーリズム(以下GT)と呼ぶ。ヨーロッパが発祥のゆとり型の旅行であり、長い休みが取れるバカンスに利用する人々が多いらしい。そもそも、ヨーロッパのGTは長期に渡る滞在型が多い。中には、仕事を退職または休職して1年間のGTをする若者たちが少なくない。それは、やはり都会のストレスフルな生活に心が疲れて折れてしまい、心の癒しを求めて田舎にやってくる若者が多いからだという。日本のような1泊か2泊のような短期滞在のGTとは基本的に違っているのである。

 

ヨーロッパのGTの歴史はそんなに古くはない。西欧で一番GTが盛んなのは、やはり農業国であるフランスであろう。フランスのGTも第二次大戦後に一般的にも本格的になったという。実は18世紀末から、GTらしいものが貴族の間で流行していたらしい。貴族という裕福な人々でさえ、農村に長期滞在するというのは贅沢であり、しかも貴族なので自分の土地を長く離れる訳に行かなかったらしい。それで、人工的な農園を城の敷地内に作ってしまったのである。これがアモーと呼ばれる農家付きの人工農園でもある。貴族たちはここにしばらく寝泊まりして、自ら農機具を使って農村生活をしたと言われている。

 

勿論、完全な農村生活ではなく疑似的なものであり、城に時折戻ったりもしたから、GTとは定義しにくいが、その走りではなかったろうか。実際に、マリーアントワネットも心が折れてしまったときは、農婦のような質素な恰好をして農村生活を楽しんでいたらしい。貴族たちもパリ郊外に住んでいて、いくら庶民とは違った生活をしていたとはいえ、都会に近い生活でストレスを抱えていたと思われる。だから、疑似農園であるアモーでの生活でストレス解消をしていたのではないかと推測される。ほぼGTと呼んでも差し支えないし、これがGTの発祥と言ってもかまわないように思う。

 

日本のGTも、最近なって心の癒しを求めてやって来る人々も増えてきたようである。心の癒しをテーマにしている農家民宿も増えてきた。しかしながら、西欧のように1ケ月や2ケ月までも受け入れてくれる農家民宿はごく少数である。日本の農家民宿は、ほとんどが農業の片手間に老夫婦が経営している状態を考えれば致し方ないと思われる。だから、農家民宿の宿泊をして、一時的に心が癒されたとしても、完全に元気が回復するとまでは行かないのであろう。ヨーロッパでは、GTの体験後に農村に移住する若者が少なくないという。完全移住をして、農業をしたり、農家レストランやカフェを営んだりする若者が少なくないという。

 

農業・自然体験によって心を癒し元気にするということは、科学的に考察しても間違いないようである。脳科学的や脳神経学的にみても、分子生物学に洞察しても、心身共に癒され元気になるのは、科学的根拠により説明できる。さらに、栄養学的にみると、農村の自然で新鮮な野菜、または伝統的な和食(乳酸菌の豊富な料理)によって、体内に溜まってしまった毒素がデトックスされる効果も大きいという。最近の研究では、腸内細菌が元気になると精神的な元気も取り戻せることが解っている。心が折れてメンタルを病んでしまって、不規則な生活になり睡眠障害を起こしてしまった方々が、農家民宿に長期間滞在すると、驚くように不眠が解消されるらしい。また、過食や拒食に悩む若者が、農家民宿で生活すると正常な食欲に戻ることも判明している。イスキアの郷しらかわは、そんな農のある生活を提供している。

命の大切さと「心のノート」

子どもたちの間で、たいした理由もないのに殺人事件や傷害事件が起きている。怒りや憎しみが高まっての犯行なら理解できる。または自分が攻撃されたから、その対応策として仕方なくということなら納得もする。しかし、最近の子どもたちの凶悪事件の理由を見ると、実に不思議な理由で凶行に及んでいるのである。例えば、ただ単に人を殺してみたかったとか、うざったい存在だったからとかの理由で犯行に及んでいるのである。子どもたちが集団でリンチ殺人を起こしているケースでも、生意気だったとか自分達を無視したからという些細な理由で殺人を起こしている。人の命をどのように考えているのだろうか。命の大切さを知らない訳ではあるまいに、どうしてこんな無残なことをするのであろうか。

 

それにしても不思議なのは、学校では命の大切さの教育をしているのかという点である。そういえば、自らの命を絶ってしまう可哀想な中学生・高校生も毎年かなりの数に上る。こういう事件が起きる度に、学校や教委は命の大切さの教育はしていると主張し、これからも命を大切にする教育を充実したいと述べている。本当にそうなのであろうか。数年前に佐世保市の高校生によるバラバラ殺人事件が起きた際に、同市の教育関係者はインタビューに応えて、10年前に起きた小学生の殺人事件以来、命の大切さを子どもたちに教えてきたと語った。しかし、佐世保市の教育関係者が命の大切さを訴える教育を続けてきた努力が、結果として報われなかったのである。もしかすると、命の大切さの教育に重大な欠陥があったのではないかとも思えるのである。

 

さて学校現場で、命の大切さを教育する際に、どんな教育をしているのかというと、文科省が発行した「心のノート」という道徳教育の副読本が基本になっているのではないかと見られる。この「心のノート」を見れば、どんな教育をしてきたのかが、およそ見当が付くと思われる。この「心のノート」については、いろいろな批判が寄せられてきたのも事実である。日教組は心のノートに批判的であるし、リベラル派と呼ばれる人たちは、その導入に反対してきた歴史がある。確かに部分的には、時の権力者に有利な内容が記載されていると見ることも出来なくない。しかし、それはたいした問題ではない。「心のノート」に記載されている命の大切さを伝える部分は、かなり充実しているし内容的にも素晴らしい。

 

実際に「心のノート」小学生5・6年生版を見てみよう。この心のノートでは、多くのページを割いて、命の大切さについて語っている。代表的なものに『生命を愛おしむ』という記述や『かけがえのないいのち』という記載がある。内容は、本当に素晴らしいと言えよう。マザーテレサの言葉「この世に必要のない命などひとつもないのです」なども引用して、命の大切さを切々と訴えている。この命の大切さを説くだけでなく、友達との関わり合いや社会での支えあい、そして自然からの恵みによって生かされている自分、人間の力を超えたものがある、というような生きるうえで大切なメッセージが、宝石箱のように散りばめられている。こういった内容が子どもたちにきちんと伝わっていれば、悲惨な事件が起きる筈もないのである。

ところが現実に事件は起きているのである。それじゃ、何が足りなかったのか、何が間違っていたのか、ということが問われる。おそらくは、この「心のノート」を正しく、しかも子どもたちの心に響くように伝えられる教師が居なかったのだと思う。この心のノートの真の意味を知り、高い価値観を持って深く認識し、子どもたちに自分の言葉で語りかけられる哲学を持たなかったのであろう。何故なら、先生たちもまた心の教育がなおざりにされてきたからである。自分が正しい心の教育を受けていなければ、子どもたちに対して、間違いのない心の教育が出来る筈もないであろう。文科省が義務教育と高等教育において、価値観の教育をなおざりにしてきた弊害が出たのである。

この「心のノート」は、あの神戸の連続殺傷事件が起きたことを受けて、当時の政治家たちが危機感を持ち、官僚主導ではなくて政治主導で作り上げたものである。文科省の官僚だけでは作りえなかった、貴重な教材なのである。バカな民主党は、この心のノートを仕分けで廃止してしまったが、自民党は復活させた。悲惨で凶悪な少年事件を二度と起こさない為にも、そして自殺しようとする青少年を救う為にも、心のノートの内容を正しく子どもたちに伝えられる教師を育ててほしいものである。もし、それだけの力量を持ちえない教師しか居ないのであれば、外部から積極的に学校に講師を招聘してほしいものだ。命の大切さを一刻も早く子どもたちに伝えないと、このような命をないがしろにする事件が後を絶たないと警告したい。

若者の労働観と価値観

若者を対象にした勤労意識や労働観について、電通がアンケート調査を実施した結果を見て、とても驚いた。多くの若者が低レベルの価値観に基づいて、嫌々ながら仕事をしているというし、仕事をする目的が単なる収入を得るため、または趣味や遊びに使うお金を稼ぐためという、非常に情けない答えをしているからである。まさか、こんな酷い価値観に基づいて仕事をしている若者がかくも多数存在しているとは思ってもいなかったが、実際には若者だけでなく、中高年も同じような価値観で仕事をしているのかもしれない。実に情けないものである。だから、日本を代表する企業が、次から次と赤字経営に転落するのかもしれない。

アンケート結果は次の通りである。18~29歳の働く上での不満は「給料やボーナスが低い」(50.4%)、「有給休暇が取りづらい」(23.8%)、「仕事がマンネリ化している」 (17.6%)が上位に来ているという。働く目的は「安定した収入のため」(69.3%)、「趣味や遊びに使うお金を稼ぐため」(36.5%)、「将来(就労期間中)の生活資金のため」(30.5%)といった項目が上位に並んだらしい。働くことへの意識については、18~29歳の約4割が「働くのは当たり前だと思う」(39.1%)と答えた一方、「できれば働きたくない」(28.7%)も約3割に上った。仕事に対する価値観でも「仕事はお金のためと割り切りたい」(40.4%)と答えている。唖然としてしまい、声も出ない。

若い勤労者の約3割近くが、できれば働きたくないと答えている。じゃ、働かないでどうやって暮らしていくのか。ずっと親に寄生して生活するというのだろうか。ましてや、収入のためだけに仕事をするというのは、如何なものか。仕事はお金のためと割り切りたいと思う若者が4割以上いるというのは、情けなくて仕方ない。これでは、仕事が楽しくないばかりか、苦痛だろうと思われる。こんな低いクォリティの価値観だから、ちょっと嫌な上司・同僚と一緒になったり大変な仕事を押し付けられたりすると、メンタル疾病になって休職に追い込まれるのかもしれない。こんな低劣な価値観なら、仕事がまともに出来ないのは当たり前であろう。

ましてや、アンケートでも3割以上の若者が、価値観を共有できる人と一緒に仕事がしたいと答えている。一旦会社に入社したら、上司や同僚を自分で選べないのは当然だろうに。人間として大きな成長をする為には、価値観の違う人たちと仕事を一緒にするのが一番確かだと思うが、それを拒否したいというのだから、驚きである。仕事というのは、一人前の人間として自己成長をするために避けて通れないものであり、ましてや辛い仕事や苦難困難を強いられる仕事をやり遂げるからこそ、働き甲斐や生きがいを見出せるのである。難しい上司や部下と出会うとか、難癖をつけるような顧客を担当して、自分が磨かれてその人間性が耀くのである。

若者だけでなく、今の日本人はどうしてこんなにも酷い勤労意識や労働観を持つようになったのであろうか。その根本的な原因は、すべて近代教育の欠陥にあると確信する。近代教育は、個人の権利を何よりも大事にすることを教える。個人の自由・平等を保障し、基本的人権を認める日本国憲法だから、それは認められて当然である。しかし、この個人の権利をあまりにも強く意識させる教育をすると、全体を見失うし、人間相互の関係性を損なう。つまり、人間は本来全体最適を目指すべきなのに、個人最適を第一義的に目指してしまい、全体がどうなろうと構わないという、間違った価値観を植えつけたのだ。こうなると、社会全体や企業に貢献しようとする人間を育てることが出来ないのだ。

人間は、本来は家庭、企業、地域社会、国、国際社会といったコミュニティに貢献するように生まれてくる。このようなコミュニティはそもそもひとつの有機体であり、自己組織性があると言われている。ということは、人間はこのコミュニティの中で全体性と関係性を発揮して、そのコミュニティの繁栄のために力を尽くすように生きているのである。ところが、このコミュニティに貢献するという気持ちが薄らいでしまうと、そのコミュニティは内部崩壊を起こすのである。夫婦関係や親子関係が破綻して家庭崩壊するのは、これが同じ原因であり、地域共同体が崩壊したのは、これが要因となっている。企業が倒産するのも、同じ原因である。このアンケート結果を真摯に捉えて、若者も含めた人々の勤労意識や労働観を正しく導くための価値観教育を、文科省は目指すべきであろう。

パーソナリティ障害という生きずらさ

パーソナリティ障害が激増しているという。現在、類推するに150万人の人々が医療もしくは何らかの形で支援を受けているらしい。これは、あくまでも何らかのサポートを受けているという数字であり、本人も周りの人々も気付かずにいるパーソナリティ障害は、おそらく300万人から500万人を越えると思われる。私も、自己診断表を使用して自分自身を診断するとパーソナリティ障害になってしまうし、wifeも同じくパーソナリティ障害の範疇に入っている。ご存知のように、DSMⅣという判定基準における診断表が存在する。その診断表によって自己診断すれば、半数以上の人々がパーソナリティ障害に該当するだろう。以前、ある研修会でこの診断表によって参加者に自己診断させたところ、なんと30人中29人がパーソナリティ障害に該当していた。

このパーソナリティ障害に該当している人々の大半は、生きづらさを抱えている。つまり、現代社会に適応するのが難しくて、いろんな悩みや苦しみを抱えているということである。それは、本人のパーソナリティ障害によるものが殆どである。しかし、中には現代社会に問題がある故に、そのパーソナリティ障害が際だってしまい、結果として生きづらさを抱えているというケースも少なくない。例えば強迫性のパーソナリティ障害である。この強迫性のパーソナリティ障害というのは、いわゆるこだわりが強い人格を持つ人である。あまりにもいい加減で出鱈目な人とは馬が合わない。当然軋轢を起こす。あまりにもいい加減な人が多い組織や社会では生きづらさを抱えることになる。

とんでもない問題行動を起こすパーソナリティ障害もある。例えば反社会性や境界性のパーソナリティ障害である。犯罪を起こしたり自傷行為を繰り返し起こしたりするケースが多い。周りの人々が対応に手こずることになる。また、会社の中で目に余る問題行動を起こす人々がいる。攻撃性の強い自己愛性のパーソナリティ障害があると、部下をパワハラやセクハラで苛め抜く。上司には媚びへつらい、部下は奴隷のように扱うし、自分の地位や名誉を守る為には、とんでもないことをしでかす。依存性や回避性のパーソナリティ障害もまた、問題行動を起こしてしまう。不登校やひきこもりなどになりやすいし、結婚生活の破綻を引き起こしやすい。

何故もこんなにパーソナリティ障害が増えてしまったのかと言うと、専門家は脳の器質的な異常によるのではないかと主張する。しかし、それだけではないような気がする。やはり、何かのきっかけがあって子育てが上手く行かなかったケースが多いように感じる。生まれた子どもが病弱であったり、先天的な脳の異常があったりで、あまりにも母親が子どもへの過干渉をした例に多いのではなかろうか。または、保護者があまりにも厳し過ぎる教育をしたり、虐待を繰り返したり、逆に育児放棄をしたりしたケースでも、パーソナリティ障害が起きているみたいである。正常で豊かな母性愛と父性愛を受けた子どもには、このパーソナリティ障害はあまり見られないようだ。

また、このパーソナリティ障害は学校教育の欠陥によっても、発生したり強化されたりするように思う。現在の学校教育においては、思想哲学の教育が排除されている。明治以降の近代教育から思想や哲学の基本となる価値観の教育が消えてしまった。さらに、戦後の教育では思想哲学を教えることが、軍国主義につながると誤解されてしまい、一切排除されてまったのである。また、国家主義を助長するからというとんでもない理由で、日教組により倫理教育がないがしろにされた影響もある。このような学校教育の混乱が、正しい価値観を持たない若者を大量に生み出して、パーソナリティ障害の予備軍にしてしまったきらいがあろう。実に困った教育制度である。

さて、このように一旦パーソナリティ障害になってしまった人間は、通常の精神障害とは違い、完全治癒は難しいとされている。確かにパーソナリティ障害は人格の障害だから、医療による治療は困難を極める。想像するに、パーソナリティ障害というのは一種の人格的な偏りであり、それは脳内ホルモン(神経伝達物質)の偏った放出や欠如によって起きているのではないかと思うのである。その脳内ホルモンというのは、ドーパミン、オキシトシン、セロトニン、ノルアドレナリンなどであろう。そして、それらの脳内ホルモンが異常を来たすのは、腸内環境(腸内細菌)による影響が大きいということが判明してきた。つまり、食生活を改善して腸内環境を整えることで、パーソナリティ障害も和らぐのではないかという仮説を提起したい。試してみる価値はおおいにあろう。