発達障害は緩和できる

発達障害が急増していると言われている。診断を受ける子どもや大人が増えたせいだとする専門家もいるが、その原因はまだはっきりしていない。どうやら、脳の誤作動、もしくは脳内ホルモンの分泌が不適切な状況になっているのではないかということが言われている。ドーパミン、セロトニン、オキシトシン、ノルアドレナリンなどの脳の神経伝達物質、通称脳内ホルモンと呼ばれているものが不適切に分泌している状態のために、異常行動をしているのではないかという仮説が有力になっている。脳内ホルモンが異常分泌する理由は、確定している訳ではない。

脳内ホルモン分泌のアンバランスは、発達障害だけでなくパーソナリティー障害、うつ病、双極性障害などの精神障害をも引き起こすと言われている。これらの脳内ホルモン分泌の異常は、脳の働きが誤作動しているせいだと思われていたが、どうやらそれだけではないということが判明しつつある。人体というシステムは、脳がすべて脳内ホルモンの制御をしているのではなくて、人体の各臓器、または筋肉組織など身体全体がそれぞれのネットワークを組んでいて、全体最適の為に絶妙に協力し合ってコントロールしているということが解ってきたのである。つまり、脳がすべてを制御しているのではなくて、各臓器や各組織、または各細胞が自己組織性を発揮して、全体最適化を目指しているのである。

脳内ホルモンも本来は、人間全体が正常に、そして健康になるようにと、絶妙にバランスを取って分泌するというシステムなのである。それなのに、脳内ホルモンが異常な分泌をしてしまい、バランスが崩れている状況が、発達障害やパーソナリティー障害などの精神障害だと言えよう。ということは、脳内ホルモンの分泌を正常化することが出来たら、発達障害も緩和されるのではないだろうか。発達障害は、幼児期ならば投薬が可能で若干症状が緩和されることもあるが、大人の発達障害は医療による支援が難しい。脳内ホルモンをどのようにして正常に分泌させられたら、発達障害が緩和されるだろうか。

脳内ホルモンは、脳に直接働きかけても、正常にしかも豊かに分泌される訳ではない。脳内ホルモンが正常に分泌されるには、腸内環境が重要な働きをしているということが解ってきたのである。腸内フローラとも呼ばれるように、腸内細菌叢が花畑のように美しく広がる状況になれば、脳内ホルモンが活発に分泌されるということが判明してきた。腸内細菌には、善玉菌と悪玉菌、そして日和見菌がある。これらの細菌の割合における絶妙のバランスが取れた時に脳内ホルモンが正常に分泌し、善玉菌が減って悪玉菌が増えた際に、脳内ホルモンの分泌が崩れてしまうと言われている。

腸内環境を正常にするには、やはり食べ物が重要な役割を果たす。腸内細菌が喜ぶ食べ物は、新鮮な野菜である。しかも、出来れば無農薬でオーガニックな野菜がベストである。減農薬で化学肥料を少なくして栽培した野菜でも効果が高い。少しの量でも構わないが、熱をかけていない野菜や果物を食事の最初に取るというのも効果がある。なるべく多種類の野菜と発酵食品を摂取すると、腸内環境は改善する。さらに、下腹部を冷やさない工夫も必要である。身体全体を温めるほうが良いが、せめて下腹部や下半身を冷やさないことが大切である。特に寒い時期は、腹巻やレッサグウォーマーが良い。殺菌剤や抗菌剤を用いたグッズに触れないことも良いし、食品添加物の入った食品を避けることも有効だ。ファストフードやジャンクフード、甘味料の多い飲料や食品は絶対に避けたい。

さらに、普段の生活も大事である。ストレスを減らし、不必要なプレッシャーをかけないことが脳内ホルモンを正常にしてくれる。一番悪いのが、本人の自主性や主体性を欠いてしまうような言動である。保護者が、これも駄目あれも駄目と過干渉の言動をしてしまい、子どもを支配し制御するのも、脳内ホルモンの分泌を阻害する。逆に、子どもの言動をなるべく支配せず、自主性や主体性を伸ばすようにそっと寄り添うのが良い。さらには、豊かな無条件の愛を注ぐことと、なるべくスキンシップを心掛けることも効果がある。家庭の中に心地よい居場所を作ってあげるのが肝心である。さらに、心地よい運動も効果がある。

このように、食生活と普段のライフスタイルを改善するだけでも、発達障害はかなり改善すると見られている。実際に、ある幼児の生活を改善したら、見事に症状が改善した例を見ている。それまでは、親が叱ったり怒ったりして、子どもの行動を制限していたが、なるべく本人の行動に対して危険な行動以外は干渉しなくなったのである。そして、なるべく自分で考えて自ら行動することを支援するようにしたのである。さらに、良く出来た時は抱きしめて「良く出来たね」と精一杯の笑顔でほめてあげたのである。これだけでも、見違えるように変化したのである。食生活の改善も含めて、豊かな愛で満たされた時に、発達障害は見違えるように緩和されるに違いない。

 

※発達障害を含めた様々な脳内ホルモン分泌異常の症状を緩和する方法についての研修を、イスキアの郷しらかわで常時開催しています。希望者があれば、一人でも実施します。食生活についても、イスキアで提供している食事を実際に食べてもらい実感できます。問い合わせファームから相談も承ります。

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パーソナリティ障害は治らないのか

パーソナリティー障害というのは、あくまでも単なる精神疾患ではないと言われている。確かに、性格や人格の偏りという捉え方もされているので、世間一般で言われているような精神疾患とは違う括りとして扱われているようである。そして、精神科医からみたら一番扱いにくく手強い精神障害であろう。治療が非常に難しく時間がかかることもあり、治療をしたがらない傾向が強い。現在の精神科医療は、爆発的に増加した患者に懇切丁寧に対応するのが物理的に難しくなり、投薬治療に頼らざるを得なくなっているという不幸な状態にあるので仕方ないかもしれない。

パーソナリティー障害の治療を困難にしている訳は、このパーソナリティー障害によって様々な併発する精神疾患が存在するからでもある。パーソナリティー障害を以下、便宜上PDと略することをお許し願いたい。例えば、境界型や反社会性のPDは、薬物依存やアルコール依存症を併発しやすいと言われている。回避性や依存性のPDは、うつ病を発症しやすいらしい。回避性のPDは社会不安障害を併発することが多いという。このように、いろんな精神疾患を起こして精神科医を受診して診察した結果、根底にこのようなPDが存在しているということが判明するのであろう。

このような合併症である精神疾患を最優先にして精神科医は治療行為をするのであるが、主に投薬や心理療法で寛解に向けて努力しても、残念ながらPDの改善は困難であることから、治療効果が上がりにくい。さらには、一度寛解したとしても再発することが多いという。治療が難しいのは特に境界型のPDである。何故ならば、境界型のPDは他のPDと複合のPDであるケースが多いからでもある。そして、自殺念慮を持つ境界型のPDがすごく多いとも言われている。うつ病単独の患者の自殺念慮は約3割なのに、境界型のPDの自殺念慮は6割以上あると言われている。

このように境界型のPDを初めとして、様々なPDの治療が困難なうえに、他との複合のPDが存在するし、自殺念慮もあることから、精神科医や各種福祉施設や支援施設も、本音では関わりたくないと思っている関係者が少なくない。特に医療機関では、境界型のPDの患者が自殺するケースもあったりして、入院患者として受け入れることに及び腰になりやすい。相談で関わったある父親の境界型PDの息子さんは、過去に何度も入院している精神科のある病院に緊急入院をしたいと行ったら、門前払いを受けたという。仕方なく帰宅した後に、不幸にも自宅の納屋で自殺してしまった。訴訟問題にも発展している。

このように、境界型のPDや複合型のPDはとても治療が難しいし、あまり治療効果が上がらないこともあり、さらには訴訟問題にも発展しやすいことから、医療機関は診療拒否ぎりぎりの対応をするケースが少なくない。だから不幸にも最悪の結果を迎えてしまうケースもあるのだ。さらに難しいのが、境界型のPDは信頼できる治療者に対して、転移や依存が起きやすい点である。境界型のPDは若い女性が多いが、理想とする父親像と治療者とを重ね合わせてしまう傾向がある。すべて依存してしまうこともあるし、恋愛感情に発展してしまうことも少なくない。だから、傾聴と共感のカウンセリングが非常に難しいのであろう。

しかし、だからといって境界型のPDを含めてすべてのPDの改善が出来ない訳ではない。一番効果のあるのが、生活習慣や生活環境を一変させて改善することである。出来たら、まったく自宅と違う環境にしばらく滞在して、食生活や普段のライフスタイルを一変させることが有効であろう。食事は、オーガニックの食材を用いて伝統的な和食の調理法で、野菜中心の食事をすることがよい。それまで溜め込んだ人工的な添加物や農薬と化学肥料をデトックスことが必要である。さらには、腸内細菌を活性化させる食事とおやつを食べることがよい。出来たら着用る洋服、特に下着はオーガニックの綿製を着て、回りの環境も出来る限り自然素材にするとよい。

さらには、運動療法がとても効果がある。のんびりとした農作業や自然体験、または少しハードな登山などもよい。対人関係で苦労しない、個人で楽しめるスポーツもよい。ヨガもよいしフィットネスもいいだろう。音楽鑑賞や楽器演奏もよいと思われる。周りの人々が愛情豊かに支援する場所で、安心できるに身を置くことが有効であろう。そして、何よりも大事なのは家庭に安心できる平穏な場所を確保することである。家族の関係性を見直して、豊かで平和な関係性を再構築されることを勧めたい。PDは『愛』が不足して起きると言われている。それも、慈悲や博愛のように見返りを求めない愛を求めている。PDはそのような豊かな愛によって心が満たされて、安心する居場所を確保された時に寛解するに違いない。

 

※イスキアの郷しらかわは、治療施設ではありません。あくまでも支援施設ですから、パーソナリティ障害を治癒させることは出来ないということをご承知ください。保護者の方の相談にいらっしゃる場所として、または患者さんご本人の保養施設としてご利用されることは歓迎いたします。さらには、目いっぱいに頑張っていらっしゃる保護者の一時休憩所としても最適です。主治医のご意見やご指導に添った対応をさせていただきます。下記の問い合わせフォームからご相談ください。

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引きこもりに対する父親の役割

引きこもりの子どもをどう扱ってよいか解らず迷っている両親は、相当に多いに違いない。叱って無理やり外に連れ出すのか、医療機関や専門家に任せるのが良いのか、それとも優しく諭すのがいいのか、そっと見守るしか術がないのか、悩んでいることであろう。勿論、同じ引きこもりの状態にあっても、子どもの性格から成育環境も含めて、みんな違っている。それゆえ、画一的な対応というか、正解だと言えるような対応の仕方なんてないと思っている人も少なくないと思われる。

引きこもりの子どもは、親にしてみれば実に扱いにくいことだろう。何を考えているか解らないし、予想がつかない行動をしがちである。また、気分もその日その時によって変化するし、突然キレたり怒り出したりするものだから、腫れ物に触るような対応をせざるを得ない。とは言いながら、親としてみればどうにかして社会復帰してもらいたい思いが強いことであろう。何故なら、どうみたって自分達のほうが先にお墓に行くことになる。自分たちが居なくなったらと思うと、その後の子どもの生活が不安でならないのは当然である。

引きこもりの子どもは、自分の人生や将来をどのように考えているのであろうか。本人に確認した経験はないものの、おそらくは今のままで良いとは考えていないのは確かであろう。そして、将来の不安も親と同等かそれ以上の不安を持っているに違いない。何とか現状を打破したいと思いながら、どうあがいても身体が動かないのである。社会復帰してほしいという親の願いは、痛いほど認識しているし、親が多大な不安を持っていることも先刻承知している。ところが、親が不安なればなるほど、不思議と子どもの不安も増幅してしまい、お互いにその不安を強化しあってしまうのだと思われる。

引きこもりが起きてしまっているのは、親に原因や責任がある訳ではない。勿論、本人にも責任はない。生きづらい世の中にしてしまっている我々の社会全体に責任があるのだと思っている。学校、地域、企業、職場に安心な居場所がないのである。家庭にも居場所がないけれど、自分の部屋だけがかろうじて認められるべき居場所なのだろう。引きこもりになってしまったのは、今の社会における人々の価値観が劣悪だからである。客観的合理性をとことん追求していて、行き過ぎた競争原理により関係性が破綻し、コミュニティが崩壊してしまっているこの社会には、安心する居場所がないに違いない。

勿論、家庭における父親もまた、そんな価値観に支配されてしまっている。それ故に、家族の関係性が希薄化してしまっている。家族の関係性が悪いのは、父親に正しい哲学や価値観がないからであると考えられる。しかし、そうなってしまったのも父親が誰からも正しい哲学や価値観を教えられていないのだから当然であるし、責められない。明治維新以降の近代教育導入から、正しい思想哲学の教育を排除し、それが戦後にさらに強化されてしまったのだ。親からもそして学校でも価値観教育がなくなってしまったことにより、人々は生きづらさを抱えてしまったのだと確信している。

それじゃ、引きこもりの父親はどうしたらいいのかというと、今からでも遅くはないから正しい価値観を学ぶことを勧めたい。それもこの世の真理に基づく正しくて普遍的な価値観を学ぶべきと考える。この世の中で、「父親学」というものが今必要なのではないか思うのである。イスキアの郷しらかわでは、この「父親学」をレクチャーしたいと考えている。単なる観念論ではなく、最先端の複雑系科学に基づいた真理である、システム思考の哲学という価値観の学びもするし、ノーベル賞を受賞したイリヤ・プリゴジンの提唱した自己組織化の理論学習をサポートしたい。そうすれば、子どもが尊敬して止まない父親の後ろ姿を見せられることであろう。

この関係性が劣悪化してしまった社会、つまり生きづらいこの世の中を変えない限り、引きこもりや不登校はなくならないかというと、けっしてそうではない。学校教育における価値観教育をしっかりするように、教育のイノベーションが必要だと思っている。しかし、この教育のイノベーションをするには、まだまだ世論が成熟していないこともあり、今すぐには難しい。家庭教育において価値観教育を始めるのは、父親が目覚めれば可能である。引きこもりの子どもは、父親に価値観教育に目覚めなさいと教えてくれているのかもしれない。父親が正しい価値観を確立して、引きこもりの子どもに対する価値観教育が出来れば、社会復帰が可能となるに違いない。社会が間違っていても、自分が正しいと確信する価値観を持っていれば、自信がついて社会に踏み出す不安がなくなるからである。

 

※イスキアの郷しらかわでは、「父親学」の講座を実施しています。ご依頼があれば、出張講座も承ります。父親が不在で一人親の場合は、母親学としてのレクチャーもします。

空の巣症候群かもしれない

空の巣症候群と呼ばれる不定愁訴の疾病があるらしい。メンタル疾患というか気分障害のひとつである。子育てを終わった40代後半から50代の母親が陥る、つらい精神状態と身体症状のことを言う。子どもたちが学校を卒業して、社会人として独立して家を出て巣立ちをしてしまうことが原因で起きると言われている。鳥の雛たちが大きく育ち巣立ちして、空になった巣のような状態と似ているので、空の巣症候群と呼ばれる。母親がずっと面倒みて育てた子どもたちが巣立って、母親の心の中にぽっかりと空いた隙間が起こしている症状であろう。

子供に対する、ありあまる愛情を注ぎ育てた親としての役割が終わり、子どもをまるで失ってしまったような虚無感を感じ、孤独感までも心を支配してしまうという。本来であれば、子どもに代わり新たな生きがいを見つけることが必要なのだが、すぐには見つけられないものである。したがって、その寂しさや喪失感によるストレスから、心身の不調を起こしやすい。とくに子育てに熱心な親ほど、喪失感が大きいという。子どもに関わる時間と機会が多いゆえに、母親のほうが空の巣症候群になりやすいと言われている。

両親は通常、子供の自立を肯定し、積極的に勧めるものである。しかし、実際に手放してしまう段階になると、何とも言われぬ心痛を伴うことになる。子供が巣立ち、父親は仕事に打ち込んで不在がちとなり、家庭に取り残され一人になった母親は、生活にも張り合いがなくなり、孤独感に襲われるという。また、子どもの巣立ちの時期と、閉経や更年期の時期とが重なり、ホルモンのバランスが崩れて、体調不良が重症化しやすい。さらに、夫や自分の退職・異動などが重なる事態も起き、さまざまな原因がストレスや症状を増幅させ、総合的な影響を心身にもたらす。

世間的には子供の独立は当たり前であり、健全なことと受けとめられている。子を持つ親なら誰でも経験することであり、それを乗り越えて行くのが当然だという風潮があるため、悲しんだり寂しい気持ちを持ったりすることに罪悪感を持ち、我慢してしまう。その寂しさや苦しさを誰にも訴えられず、心に仕舞い込んでしまうことも重症化させやすい理由であろう。たとえば愛する人との死別のように、悲しみの感情が当たり前という認識がない。そのため、周囲をはじめ、ときには本人さえも気づかないことがある。

空の巣症候群は、身体症状が多岐にわたるため誤診されやすい。症状が進んでいくと、不眠や手の震えなどさまざまな症状が表れる自律神経失調症や、うつ病に発展してしまうケースも少なくない。身体症状としては、腰痛、肩こり、頭痛、吐き気、食欲低下、不眠などが現れる。このようなつらい状態から逃避するために、アルコール依存症に陥ってしまうこともよくあることだ。空の巣症候群は、本人も原因が思い当たらず、病院でも誤診されることがよくある。実際に、うつ病や自律神経失調症によく似た症状といえる。

この空の巣症候群にならない為に、どうしたら良いのであろうか。ならない秘訣のひとつは、子育て以外の生きがいを持つということである。子どもが巣立ちを迎える前から、子育てだけに心血を注ぐのでなく、趣味や地域活動、またはボランティアや市民活動にも生きがいを見つけておくことが肝要であろう。そして、子どもにだけ依存せず、または依存されず、徐々に自立を進めておくという配慮も必要である。さらには、子どもを所有物とせず、支配することなくコントロールするのを避けて、あくまでも子どもの尊厳を認めてあげることも、空の巣症候群にならない秘訣である。

もし、万が一空の巣症候群なったとしたら、一刻も早くその症状から抜け出さなくてはならない。その為に有効な方法は、自分の感じている寂しさ悲しさをけっして我慢しないことである。その苦しさをまるごと受け止めて、否定することなく寄り添い共感してくれる人に話すことだ。それも、何度も何度も同じことを言っても受け容れてくれる相手がいい。出来たら、それは自分に関係のない第三者がよい。しかも、家庭から離れた場所で、しかも自然が豊かな場所で何日か過ごすのもよい。そうすれば、少しずつ悲しみや寂しさが癒され、空の巣症候群から抜け出せるに違いない。

※空の巣症候群の症状に心当たりのある方は、イスキアの郷しらかわをご利用ください。まずは、問い合わせフォームからご相談ください。

    夫婦喧嘩は子どもの脳を破壊する

    夫婦喧嘩は犬も喰わないと言われていて、何となく微笑ましい光景に映るような印象を与えるが、実は子どもの脳に深刻なダメージを与えるという調査結果が出たという。昨夜のNHKクローズアップ現代で放映されていた内容は、実にショッキングだった。夫婦喧嘩を日常的に行っているのを目撃している子どもの心が、とても傷ついているというのだ。しかも、子どもの心のダメージは脳の器質障害までに及んでいて、記憶障害を起こすだけでなく、性格まで変えるという。たかが夫婦喧嘩ではなく、実に由々しき大問題なのである。

    夫婦喧嘩というと、いろんなケースがあるだろう。江戸時代におけるドラマなどを見ていると、昔の夫婦喧嘩というのは、微笑ましいようなじゃれ合いというような性格だったように思える。あくまでも虚構の世界なので、実際はどうだったかは判然としないが、おそらくは『犬も喰わない』ような、お互いの信頼関係がある中での触れ合いではなかったかと思われる。ところが、現代の夫婦喧嘩は実に深刻だというのである。お互いをどうやってやり込めるのか、どうすれば自分が優位に立てるか、どのように相手をギャフントさせようか、というパワーゲームに陥っているのである。

    日常的に夫婦喧嘩を目撃している子どもの心理状態を調査した結果によると、意外な結果が現れた。暴力を伴う夫婦喧嘩による影響はさほどないが、暴言による影響が非常に大きいという。しかも、夫婦喧嘩においてよく使われる方法が危ないというのだ。大きな声で罵り合うのも勿論駄目であるが、皮肉たっぷりの言葉、無視する態度、不機嫌な態度、無言の圧力、このような言動も影響が大きいと言われている。こういう両親の行動が、子どもの心を傷つけているらしい。毎日毎日このような暗くて陰湿な夫婦喧嘩がある環境に置かれた子どもの心と脳はズタズタにされているのである。

    このような環境に長くさらされた子どもの脳は、実に深刻なダメージを受けてしまう。なんと子どもの海馬が委縮したり前頭前野が破壊されたりするというのである。そうすると、記憶障害や学習障害が起こり、学校の成績が急降下してしまうだけでなく、学習意欲もなくなり不登校になるケースもあるらしい。さらに深刻な悪影響もある。夫婦喧嘩のある環境に長く置かれると、子どもは強い暴力性を持つというのである。親と同じように暴言を吐くし、キレやすく、他者に対する反抗的な態度をしてしまうらしい。つまり、学校内でも問題行動を起こすというのだ。

    これは大変な事態を起こすという意味である。子どもが家庭内暴力を始める要因のひとつが夫婦喧嘩にあるということだ。さらには、学校内においていじめという行為をしやすい子どもになってしまう危険性を持つという意味でもある。キレやすい子どもの要因のひとつが親の夫婦喧嘩にあるというのは、ショックなことである。DVやいじめが、親の夫婦喧嘩にも原因があるとしたら、重大事である。心当たりがあると思う親も多いに違いない。

    陰湿で汚い心理戦のような夫婦喧嘩は、子ども脳をどのように変えてしまうのであろうか。これらの子どもの脳をCTスキャンで確認した訳ではないが、おそらく脳の器質変化があると見られている。陰湿な夫婦喧嘩の環境にさらされると、子どもの脳の偏桃体は肥大すると言われている。そうすると、偏桃体からコルチゾールというステロイドホルモンを大量に放出するようにと腎臓の副腎に指示する。このコルチゾールは海馬に届き、海馬を委縮させる。さらに前頭前野にまで影響し、記憶障害や学習障害を起こし、キレやすい子どもにしてしまうと言われている。

    夫婦喧嘩は子どもにとって、絶対にしてはならないものである。夫婦喧嘩をしなければならないような夫婦の関係性に陥ってしまい、関係性の修復が絶対に不可能であるなら、別居や離婚をしたほうが子どもの健康にとっては好ましいと思われる。とは言いながら、経済的な問題があるから難しいのであるなら、夫婦が徹底的に対話をして関係性を改善すべきであろう。偏桃体が肥大化して、海馬や前頭前野が委縮した脳であっても、生活環境が改善すると、脳もまた元通りになるのが確認されている。とすれば、一刻も早く夫婦の仲直りをして、睦まじい夫婦になる努力をすべきであろう。

     

    ※夫婦喧嘩をしてしまうような環境に置かれている子どもさん、または夫婦仲が悪くていつも言い合いをしてしまうご両親の方々、どのようにすれば夫婦の関係性改善が出来るのかを、イスキアの郷しらかわはサポートします。まずは問い合わせフォームからご相談ください。相談は、メールでも対面であっても無料です。

    よいお母さんをやめる日

    不登校や引きこもり、またはDVなどの問題行動を起こすお子さんを持つお母さんは、極めて真面目で素晴らしいお母さんが多い。つまり、日本の典型的な『よいおかあさん』なのだ。こんなにもお子さん思いで、誰もが認める良いお母さんなのに、どうしてお子さんが不登校になるんだと不思議に思う関係者が多い。例外もあるが、おしなべて良いお母さんで、しかも教養が高くて見識も高い。お母さんの学歴が高いケースが多い。そして、子どもの教育に懸命であり、息抜きや手抜きが出来ないし、いい加減な処がないのである。

    さらに、不登校や引きこもり、またはDVなどの問題行動を起こしていることに対しての捉え方、考え方がまた良いお母さんなのである。たいていのお母さんは、こういう状況になってしまったのは自分のせいだと思い、自分を責めるのである。誰かの責任にしたり、子どもが悪いなどとは露ほど思ったりせず、自分の責任だと自らを責めるのである。さらに、父親はというと、やはりこうなったのはお前の子育てが悪かったのだと妻を責めるケースが多いのである。言葉に出して言わなくても、不機嫌な態度や表情をして妻を暗に責めることが多い。こうして、やはり自分が悪いんだと母親は落ち込むことになる。

    よいお母さんは、子どもが不登校や引きこもりになってしまった原因をあれこれと考える。自分が甘やかしすぎたせいであろうか、過保護し過ぎたのが悪かったのだろうか、そんなことを考えるケースが多いという。夫からも同じことを言われることが多いし、真面目なものだから、自分を責めるのである。しかし、甘やかし過ぎて不登校になることはけっしてないし、過保護が原因で引きこもりになるケースは殆どない。不登校になるのは、親子、夫婦、家族の関係性が希薄化、もしくは低劣化しているからである。

    結論的に言えば、不登校、引きこもりになる原因は、お母さんにはないと言ってもよい。世間では、不登校はお母さんが甘やかし過ぎたせいどこうなったとか、過保護が原因だと思っている。お母さんも、それが原因だと思い込んでいて、悔やむ。しかし、過保護が原因で不登校になるケースは殆どない。過保護というと悪というイメージがあるが、幼少期には必要なことである。子どもというのは、無防備で危険な事も解らないし、ちょっと目を離すととんでもないことをやらかしてしまう。だから、母親は常に子どもを守らなければならない。沢山の愛情をかけ続けなければならない。

    ただし、よく勘違いされるのは過保護と過干渉を同じものと捉えていることである。これは、まったく違う概念である。過干渉というのは、子どもの言動に対して何でもかんでも干渉したり、先回りしてすべて子どもの言動を先取りしたりすることである。根底には、無意識で子どもを自分の所有物と勘違いして、支配し制御を繰り返してしまう心が存在しているのかもしれない。そうなってしまう原因は、父親が子育てに非協力というか、子育てに必要で大事な父性愛を発揮できていないからであろう。したがって、母親が母性愛だけでなく父性愛まで発揮せざるを得なくなり、過干渉になっているのではないかだろうか。

    過干渉にならないようにする為には、父親に本来の役割を果してもらうことである。そのうえで、母親は子どもが自分で判断し行動するのをそっと見守り続けるだけでよいのではないだろうか。さらに、母親があまりにもよいお母さんを演じるのを、少し控えてみてはどうかと思う。子どもと母親というのは、非常に強い関わりと絆が存在する。無意識で深く繋がっている。母親が不安になったり元気がなくなったりすると、子どもにもその気持ちが伝わり同じような状態になりやすい。母親が怒りや憎しみを持ち、それを我慢していると、不思議と子どもがそれをまったく同じように感じて、不機嫌になってしまうのである。だから、母親は平穏で安らかな気持になったほうが良いのである。

    母親は、今まで良いお母さんとしてずっと頑張ってきたのだから、少し息抜きをしてもいい。子どもと夫とも一時的にでも完全に離れて、休暇を取ってもいいだろう。あまりにもよいお母さんを続けてきたものだから、心が一杯一杯になってしまい、かえって不安になったり恐怖感を持ったりしまったのではないかと思われる。その不安が子どもにも伝播したのかもしれない。たまには、よいお母さんを止めて、子どもの人生は子どもにすべてを任せてもいいんじゃないかと思う。よいお母さんを一切やめてもいいし、ちょっといい加減なお母さんでもいい。子どもが自分でしっかりしなくちゃと思うようなお母さんでもいいではないかと思う。思い切ってよいお母さんをやめてみたらどうだろうか。

     

    ※子育てに疲れ切ったお母さん、家族との関係で悩み目いっぱいになってしまったお母さん、子育ての悩みでどうしようもなくなったお母さん、一時的に家庭のすべての問題から離れて自分を見つめ直してみてはどうでしょうか。イスキアの郷しらかわでは、そんなお母さんに1泊してもらい、マインドフルネスを実践してもらったり、悩み苦しみをまるごと受け止めてもらったりして、元気さを取り戻し、不安から解放されるサポートをしています。まずは下記からご相談ください。

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    一緒にいると癒される人

    この人と一緒にいると何故かほっとする、というような人と出会ったことがあるだろうか。たぶん、そんな人と何度か出会ったことがある筈である。しかし、こういう人は世の中において圧倒的に少数である。出会う殆どの人は、一緒にいると疲れる人だからだ。一緒にいるとほっとして、何となく癒されるという人に出会ってみたいし、こんな人と一緒に暮らせたら、どれほど幸福なんだろうと思ったことだろう。または、癒しを与えてくれるような人と少しの時間だけでも共有したいし、こんな人にカウンセリングを受けたいと思うであろう。

    今一緒に暮らしている伴侶も、結婚する前の時代には一緒にいると癒されると思った時期もあったと思われる。それなのに、結婚して何か月か経つと、一緒にいると疲れるようになるのである。実に不思議な事であるが、結婚する前後の蜜月の時期には、あれほど幸福な気分だったのに、いつの間にか一緒にいると疲れる相手になってしまうのである。恋人でも同じケースがありうる。最初は寛容で癒しを提供してくれたのに、何年も付き合うと徐々に疲れを感じるのである。あの一緒にいると癒される人は、どこに行ってしまったのであろうか。

    どうして、伴侶も含めて一緒にいると疲れる人になってしまうのか、逆に何十年経っても疲れる人にならないのは、その原因について考えてみたい。そして、一緒にいると癒される人とはどういう人なのかを明らかにしたい。まず、パートナーが一緒にいると疲れる人になってしまう訳というのは、結婚すると相手を支配しコントロールしようとするからである。自分にとって都合のよい理想の相手になってもらいたいと、あたかも自分の所有者のように相手を支配し始める。そして、あらゆるコミュニケーションの手法を駆使して、相手を自分の思い通りに制御し始めるのだ。

    人間は、本来自由でありたいし、自分の思い通りに生きたいものである。それが、いくらパートナーであっても、相手の思い通りにコントロールされるのは嫌なのである。そうすると、いつも支配され制御される言動に振り回されると、精神が疲れてしまうのである。たいていの人間は、利害関係がある相手に対しては、自分の価値観や人生観を知らず知らずのうちに押し付けてしまうものである。まったく利害関係がなくても、無意識のうちに相手を自分の話のペースに巻き込んで、自分の気持ちを解ってほしいと思うものである。こういう人と一緒にいると、疲れてしまうのであろう。

    とこが、長い時間に渡り話をしても疲れるどころか、逆に元気になり癒してくれる人がいる。こういう人は、自分に共感してくれるし、自分を認めてくれる。しかも、自分を否定せずまるごと受け入れてくれるのである。自分の悪い点や嫌な部分も含めて、許してくれるのである。つまり、寛容性と受容性がひと際高い人なのである。このように一緒にいると、癒してくれる人というのは、言ってみれば許容力と包容力の高い人であり、真の自己確立をしている人でもある。だから、出会う相手の尊厳を認めてくれる人なのである。

    このように出会う相手を癒してくれるという人は、自己マスタリーを確立した人である。自分の心の中に存在する嫌な部分やみっともない部分があることを、目を背けずにまるごと受け入れて、そういうマイナスの自己も含めてすべての自分を認め受け容れている人である。マイナスの自己も含めた自分をまるごとありのまま愛せる人でもあるのだ。だからこそ、相手のマイナスの自己も含めてすべてを受け容れて愛せるのである。したがって、寛容性と受容性をどんな人に対しても発揮できるのである。こういう人と出会うと、何故かほっとするし癒されるのである。

    残念ながら、このように自己マスタリーを完了した人間は極めて少ない。今でも敬愛して止まない森のイスキアを主催していた佐藤初女さんは、自己マスタリーをしていたからこそ多くの人々を癒していらした。児童精神科医の崎尾英子先生も、同じようにカウンセリングで多くの相談者を癒していらした。残念ながら、このお二人は既に鬼籍に入られてしまった。このお二人をわが師としてリスペクトし、イスキアの郷しらかわの利用者に接して行きたいと思う。相手をけっして否定せず、支配せず、制御せず、あるがままにまるごと受け止めたい。これ以上ないという癒しを『イスキアの郷しらかわ』で提供し続けることを誓う。

    今でも尊敬して止まない崎尾英子先生

    今から20年くらい前に、児童精神科医として臨床においても、または学術研究の分野においても、先駆的な活躍をされた人物がいらした。それは、当時国立小児病院の精神科の医長をされていた、崎尾英子さんという優秀なドクターである。彼女は、児童精神科医のスペシャリストでもあったが、カウンセラーとしても多大な実績を残されていらした。カウンセラーとして実際に対面して、かなりの時間を要しての相談でさえなかなか効果あげるのは難しいのに、彼女は電話で僅か10分程度の相談で、保護者のあらゆる疑問に答えるだけでなく、的確な助言と深い安心感を与えていたのである。

    崎尾英子先生は、NHKラジオで不登校の子どもたちの保護者への電話相談をしていらした。レギュラー回答者として、週一回の出演をされていたのである。当時、劇的に増加していた不登校児に対する質問が多く、非常に難しい質問をされる保護者が多かったと記憶している。質問をする人は、女性が圧倒的に多くて、母親か祖母であるケースが殆どだった。そして、そのプチカウンセリングであるが、崎尾先生はあたかも保護者がどう答えるのかを予想しているかのように、的確でしかも温かみ溢れる質問を保護者にしていた。勿論、けっして威圧的な態度ではなく、限りなく優しくである。そして、けっして答は与えるのでなく、その質問に答える形で保護者が気づいたり学んでいたりしたのである。

    カウンセリングの基本とは、傾聴と共感だと言われている。そして、本人が気付いたり学びをしたりするように、質問をするだけで指示や指導をするべきではないというのが定説である。とは言いながら、限られた時間の中でカウンセリングをすると、明確な答を出すようにとついつい誘導してしまう傾向になる。ところが崎尾先生は、一度もそういう場面がなかったのである。たかだか平均すると10分程度の時間に、不思議なように保護者が自ら進んで変化するのである。自分が進化すべきだということを気付き、自主的に変わっていくのである。

    崎尾先生も自著の中で記されているが、電話相談の保護者も含めて相談者を自己否定に導いてはならないとおっしゃっている。それは、不登校児も保護者もすべてそうである。そして、不登校児の教育に携わる人間に対しても同じだと主張されている。人間的にも未熟で、しかも自己確立のしていない人間は、他人に対して寛容になれない。だから、自我人格と自己人格の統合を経ていない人間は、いくらカウンセリングの技術が優れていたとしても、カウンセラーとしての実務をしてはならないと思う。ところが、専門の大学を出て大学院で臨床心理士の資格を得たとしても、残念ながら自己確立をしている人は多くない。

    崎尾英子先生のような素晴らしいカウンセラーとは、滅多に出会えないだろう。先生の電話相談を聞くのが楽しみだった。それこそ、先生に心酔し切ってしまい、著作はすべて購入して愛読書にした。スティーブン・ギリガンの著した「愛という勇気」という専門学術書(崎尾先生訳)まで購入して読んだ。先生の著書には、珠玉のような素晴らしい教えの数々が書かれていた。それらの教示は、多くの気付きと学びを与えてくれた。今の自分があるのは、崎尾先生のお陰だと言っても過言ではない。先生は国立小児病院を退職された後、クリニックを開院して院長として活躍され、2002年にご逝去されてしまったとのこと。惜しい方を亡くしてしまったものである。

    崎尾先生のようなカウンセリングを、世の中の精神科医と臨床心理士たちが実施したとしたら、多くの不登校児とその保護者を救ったことであろう。崎尾先生のような臨床医や臨床心理士、そして精神保健福祉士がこれから多数輩出することを願っている。残念ながら崎尾先生の指導を直接受けることは叶わない。一度会いたかったと思っているが、残念なことである。これから崎尾先生のご遺志を継いで、不登校や引きこもりの若者を支援していきたい。勝手ながら、崎尾先生を心の師匠だと思っている。崎尾先生の貴重な教えを守って、少しでも師匠に近づきたいと願っている。

    あおり運転の心理分析と危険性

    あおり運転での事故が多発している。それも悪質なあおり運転が、急増しているという報道がなされている。これは多発するようになったのではなくて、今までは見過ごされていたものが、例の高速道路での死亡事故が起きたことで、社会的な悪として注目されたからであろう。さらには、ドライブレコーダーの普及によって証拠として採用され、メディアも報道しやすくなったという効果があると思われる。それにしても、こんなにも悪質なあおり運転が横行しているという事実を驚くと共に、実に情けないと思う。

    あおり運転をするのはどんな人かというと、普段はそんな過激なことをする人ではないと、周辺の人々が口にする。とすれば、いざ運転席に身を沈めると性格が一変してしまうということであろう。普段はおとなしい人が、ハンドルを握った瞬間から人格が変わるなんてことがあるだろうか。そういえば、酒に酔うと性格が一変する人がいる。同じだとすれば、困ったものである。脳神経医学者は、酒に酔うと性格が変わる人をこう分析している。酒に酔うと性格が変わる訳ではなく、アルコールによって大脳辺縁系を抑制する前頭前野が麻痺して、本来持っている性格が出るだけなので、それがその人の本来の性格なんだと主張する。

    あおり運転も同じことが言えるかもしれない。運転席に座ると性格が変わるのではなく、元々の性格が現れるだけなのであろう。脳神経学的に言えば、大脳辺縁系の偏桃体などの情動を司る部分を前頭前野がある程度抑制しているのに、ハンドルを握った途端に前頭前野によるコントロールが効かなくなり、偏桃体が暴走してしまうと推測される。危険なあおり運転をする人間は、元々情動に流されやすい人間であろう。ほんの些細なことでも激高してしまい、これらの脳の抑制が効かなくなり、あおり運転をすると思われる。

    どうしてそんなに危険な大脳辺縁系と前頭前野になってしまったのかというと、おそらく怒りや憎しみの感情を処理するのが不得意だったのかもしれない。自我(エゴ)が肥大化していると同時に、自我と自己の統合(自己の確立=自己マスタリー)が出来ていないと思われる。だから、些細なことでもキレるのである。こういう人は、怒りや憎しみを起こしやすいし貯めやすい。怒りの感情を頻繁に起こしていると、偏桃体が肥大化すると言われている。すると、コルチゾールというステロイドホルモンを多量に放出し、それが海馬と前頭前野に影響を与えて委縮させる。つまり、益々偏桃体が暴走することになるし、将来認知症になる確率も増大する。

    あおり運転をする人の心理や脳神経学的な分析をすると、とても危険な人間だと言わざるを得ない。おそらく、欲望にも流されやすい傾向にあるから、タバコやアルコールに溺れる人も多いと思われる。酔って問題行動を起こすケースも多いと考えられる。たとえ、職場では普通に振る舞っていても、家庭でDVをしたりモラハラをしたりすることも少なくないであろう。だから、もしこのような危険な人間と遭遇したら、当たらず触らずの対応をしたほうがよい。

    あおり運転をするような人間は、例外もあるが必要以上に大きい車に乗りたがるらしい。大型のRV車やワゴン車を運転する人が多い傾向にあると見られる。何故かというと、自尊感情が低い為に自分を過大に見せたいという意識が存在し、大きな車で他人を威圧したいと思うのであろう。自分を強く見せたいというのは、黒い車や黒い洋服をまとう無意識にも通じる。だから、大きな車で乱暴気味の運転をするのを見かけたら、近づかないことである。もし万が一あおり運転をされたら、安全な処に停車して絶対に車から出ないことだ。すぐに警察に電話するとよい。少しぐらい叩かれても、窓は割れないから心配ない。

    あおり運転をする人間は、人間的に未熟なのである。自分が、運転席に座ると性格が変わり、カッとなりやすいと自覚しているのであれば、気を付けたいものである。将来、あおり運転をする危険性があると思ってよいだろう。運転をする時だけ性格が変わるのではなく、元々そのような脳の働きをする傾向にあると認識すべきである。偏桃体が肥大化していて前頭前野や海馬が委縮傾向にあると思ってよい。ストレスが多いために、コルチゾールという副腎皮質ホルモンが大量に出ているのかもしれない。ストレス解消をしなければ、益々ひどくなってしまい、心臓血管疾患や脳血管疾患、またガンなどの重病になりやすい。ストレス解消と自己マスタリーに努めることを勧めたい。

     

    ※ストレスをためてしまい、いつもイライラしてしまう人は「イスキアの郷しらかわ」をご利用ください。ストレス解消の方法と、怒りや憎しみの感情を起こさない方法を研修します。自己マスタリー(自我と自己の統合)を学び、寛容で受容の心を発揮出来るようになります。また、いつも怒りの感情を我慢してしまい、吐き出さずに溜め込んでいる人も危険です。怒りの感情を上手に昇華する方法を身に付けるサポートもしています。まずは問い合わせでご相談ください。メールや電話での相談は無料で行っています。

    自殺念慮の人を救うには

    座間市で起きた悲惨で卑劣な殺人事件は、ご遺族に深い悲しみと苦しみを与えたことであろう。さらには、こんな事件が起こり得る社会であるという驚きを多くの人にもたらしたと言える。被疑者の動機、どうしてこんな犯罪を起こすことになったかというプロセスがいずれ明らかにされるだろうが、他人事ではないということを我々は認識すべきであろう。このような加害者の親族になることもあり得るし、被害者の親族になることもあり得ないことではない。被疑者や被害者のご家族・ご親族の気持ちになり切るならば、このような犯罪が起きた要因について軽々しく述べるべきではないことは承知しているが、今後このような事件が起きない為に、敢えて自殺念慮者の心の裡を洞察してみたい。

    座間市の殺人事件の被疑者は、自殺願望者であることに付け込んで犯行を行ったと言われている。さらに、被害者を念入りに選別していたらしいという報道もなされている。被害者とご家族が、連絡が取れなくなっても騒ぎ立てないという確信が持てる被害者を選んでいたらしい。さらには、深い孤独感を持っているという人を選び、その寂しさに付け込んだともいう情報が流れている。さらに、あの被疑者自身もまた、深い孤独感を秘めていたようにも感じる。被害者も被疑者も、家族関係も含めて絆とか関わりあいが希薄化していて、孤独感を持っていたということが判明している。

    自殺念慮の人たちを、何故この日本という社会は救う手立てがないのであろうか。年間8万人もの捜索願いが出されていて、その大半が見つからないばかりか、本人や家族のDNA登録さえ満足にされていないという。今回の事件の被害者のDNA登録もされていなかったし、警察に自分の家族ではないかという問い合わせも少なかったと言われている。現代日本は、コミュニティが崩壊していると言われているが、まさに家族という最小単位で大切なコミュニティが崩壊の危機に面しているということが、この座間市に起きた殺人事件を通して浮き彫りにされているような気がする。

    自殺念慮の人を救うには、限りない無償の愛を注ぐことこそが必要だと思っていた。愛情に飢えた人が、自殺念慮に駆り立てられているものだと思い込んでいたのである。ところが、ある銃乱射事件の犯人の母親が講演で語った話が、その認識を覆した。今から18年前にコロンバイン高校での高校生2名の銃乱射により、13人の尊い命が奪われた事件である。その犯人の一人の母親が、現在講演を行っている。陰惨で酷いいじめが高校の同級生から受けていて、犯人のひとりは強い自殺念慮を持っていたという。銃を乱射した後に犯人は自殺した。

    母親は、講演ではいじめがあったという事実と、そのおかげで自殺念慮が生まれたなんてことは一言も触れていない。何故息子の気持ちを解ってあげられなかったかということを、責め続けている。息子に対してこのうえもなく愛情をたっぷりと注いでいたと語っている。愛情があれば自殺念慮なんて起きないと思っていたのに、そうではなかったと反省しているのである。息子が何故自分の苦しみや悲しみを、母親である自分に打ち明けなかったかを悔いている。それだけの深い絆や関係性が息子との間に存在しなくて、その関係性を築き上げられなかった自分を責めているのである。

    自殺念慮の人たちを救うには、自分たちが孤独ではないという思いを再構築してもらうことが必要だと思う。家族や周りの人々との絆や関わりあいを感じられず、絶対的な孤独感にさいなまれている人が、自殺念慮を生じるように感じられる。勿論、愛情不足も根底にあるだろう。その愛も、条件付きの愛である父性愛よりも、無条件の愛である母性愛がとみに不足しているようにも考えられる。あなたは1人ではないんだよというメッセージを自殺念慮の人々に届けたいと願っている。

    インドカルカッタの下町で、マザーテレサは死にゆく人々に救いの手を差し伸べて、あなたは1人ではないということを認識してもらってから、死出の旅立ちにいざなった。森のイスキアの佐藤初女さんは、自殺念慮の方々にあなたは1人ではないし、初女さんも含めて多くの人々が見守っているというメッセージを送り続けてきた。そして、自分にも深い絆や関わりあいが存在していて、自分をこれだけ愛してくれている人がいることを知って、自殺念慮から救われたのである。このような活動を自分もこれからさせてもらい、自殺念慮の方々を救うお手伝いをしていきたいと強く願っている。