ひきこもりの原因は迷走神経による遮断

ひきこもりが増えている。完全にひきこもっているのは若者だけでなく、中高年のひきこもりも多い。さらには、完全なひきこもりではなくても、買い物などの外出はできるのに、仕事や市民生活ができない社会的ひきこもりも増加している。そして、ひきこもりになっている原因は、メンタル疾患、適応しにくい社会、当事者の性格や人格、失敗体験、孤独感や絶望感などと言われている。確かに、それも一因にはなっているが真の原因ではない。ひきこもりという状況によってしか自分を救えないから、敢えて迷走神経が『遮断』をさせただけである。

草食の哺乳小動物は、強大な肉食動物の前では、闘うことはもちろん逃げることも出来ずに失神して固まってしまう。肉食動物が動いている動物しか食べないことを本能的に知っているのか、死んだように固まり肉食動物に捕食されることを防ぐ。これは、持って生まれた自己防衛反応である。この働きは、副交感神経を支えている迷走神経の一部が起こしている。生死に関わる緊急事態が起きた際に、その危険を回避するため、または食べられる時に痛みを感じなくするために、迷走神経が勝手に失神させてしまうと考えられている。これがポリヴェーガル理論だ。

実は、人間も生死に関わるような危険状態に陥った時に、失神したり不動化してしまったりすることはよくある。迷走神経が自分自身を守るために起こしている自己防衛反応である。人間は痛みによってショック死することがある。それを防ぐために一時的に気を失わせると考えられている。それをシャットダウンと便宜上呼ぶことにする。草食系の小動物は、この一時的シャットダウンから自力で蘇ることが出来る。人間は逃げられない過大な苦難困難やショックな出来事に遭うと、シャットダウン化が起きてしまい、元に戻れなくなる。

今までの医学的常識では、人間の自律神経は交感神経と副交感神経の二つの調整とバランスによって成り立っていると考えられてきた。ところが、この副交感神経を支えている迷走神経には、二つの迷走神経が存在すると判明した。ひとつは腹側迷走神経で、健康・調和・交流などを支援している。もうひとつは背側迷走神経で、これが命の危険に巡り合った時にシャットダウンをさせてしまうのである。このシャットダウンは、心を遮断させると同時に、身体的にも血流やリンパの流れを遮断したり筋肉を収縮させたり、神経を過敏にすることもある。

これはとても深刻な心身状況を起こしてしまうということである。神経過敏に陥ると、大きな音や強い光、匂いにも過敏になり、外出さえできなくなる。人の声、特に低周波の男性の声に恐怖感を覚えるし、低い機械音にも不安になる。LEDなどの強い光を見ると精神が疲弊する。特定の匂いに敏感にもなり、外出できなくなる。がやがやする人声がすると、逃げ出したくなる。トラウマやPTSDにもなるし、パニック障害を起こすこともある。メンタル疾患にもなりやすいし、対人恐怖症、妄想性障害、摂食性障害、強迫性障害にもなりやすい。こうなると、あまりの恐怖感で社会に出ることが出来なくなるのである。

迷走神経によってシャットダウン(不動化)が誰にでも起きるのかというと、けっしてそうではない。どんなに危険な状況に追い込まれても、シャットダウンが起きない人もいる。どうしてそんな違いが起きるのかというと、根底に愛着障害を抱えているかどうかによる。愛着障害を抱えている人は、安全な場所や境遇を提供してくれる存在がないし、良好な絆が結ばれていない。そういう人は、オキシトシンホルモンが不足しているから、いつも大きな不安や恐怖感を抱えている。故に生命が脅かされる状況に追い込まれると遮断が起きるのだ。

人間の場合は、背側迷走神経が働いて一度シャットダウンが起きると、そこから自力で脱出することが不可能になる。投薬やカウンセリング、心理療法などの医学的アプローチをしても、シャットダウンが解決できない。認知行動療法や様々なセラピーを駆使したとしても、シャットダウンから回復することは難しい。臨時的であっても安全な場所と境遇を提供され、良好な絆が結ばれて、音楽療法、適切な運動とボディーワークを続ければ、やがて迷走神経によるシャットダウンが和らいでくる。もちろん、同時に適切な愛着アプローチを受けることが出来たとしたら、遮断から完全に解き放たれてひきこもりから抜け出せるに違いない。

性的暴行に無抵抗になる訳

男性から暴力を伴う性行為を、女性が無理やりに強いられるケースがある。または男性の養育者から、女の子が性的虐待を受けるケースがある。強い立場の者が弱い立場にある者に、こんな人間としてあるまじき卑劣な行為をするというのは、絶対に許されないことである。しかし、裁判とか家裁の聞き取り調査で、実に不思議な証言が加害者と被害者から述べられることが多い。それは、被害者が抵抗しなかったという点である。だから加害者側から、合意のうえだったとか、暗黙の了解だったと主張する根拠にされてしまうのである。

この抵抗できなかったという点で、被害者の女性は法廷の場でセカンドレイプのような気分を味わうし、自分自身を責めてしまうことになる。ましてや、抵抗しなかったことで多大な負い目を持ってしまうし、多くの人々から非難めいた言葉が寄せられて、メンタルを病んでしまうことが多い。そして、深刻なトラウマやPTSDを持つことも多い。また、養育者から性的虐待を受けた子どももまた、深刻なメンタルの傷を負ってしまう。どうして抵抗しなかったのかという後悔の念を、大人になってからも持ち続けることだろう。

実は、これは抵抗しなかったのではなくて、身体が勝手に反応してしまい、抵抗できなかったというべきなのである。しかも、自分の生命を守るために、迷走神経系統が勝手に反応して、止むを得ずに起きた正しい反応なのである。どうしてかというと、それはポリヴェーガル理論で説明できる。ポリヴェーガルというのは、日本語では多重迷走神経と訳される。自律神経というのは、現代医学においては今まで交感神経と副交感神経の二つで、身体のバランスを取っていたと見られていた。しかし、副交感神経には二つの迷走神経があることが判明したのである。

副交感神経を支える迷走神経に、実は二つの迷走神経回路が存在することを、ステファン・W・ポージェス博士が世界で初めて明らかにした。そして、この二つの迷走神経のうち、背側迷走神経が進化上初めに出来た神経経路で、その後に新しく腹側迷走神経が出来たとみられる。したがって、交感神経と副交感神経だけで身体の健康や体調を調整している訳ではないということである。つまり、交感神経と二つの迷走神経の合計三つの神経経路が、身体と心のバランスを制御しているのである。これは画期的な発見であり、今までの医学界の定説を覆したと言える。

今までは、哺乳動物が命を脅かされるような事態が起きた時には、交感神経が闘争/逃走の二者選択をして生命を守る行動をすると思われていた。ところが、逃げるのも出来ず闘うことも出来ない状況に追い込まれた小動物は、背側迷走神経が働いて、不動化・固まるというような防衛行動を取ることが知られている。この背側迷走神経がやっかいな存在で、人間の場合は不動化・シャットダウンだけでなく、精神的な解離や失神状態にさせるのである。本来は、新しく発達した腹側迷走神経を働かせて、安全だと認識できたら古い背側迷走神経が働くまでは行かないのだが、レイプされるという恐怖感がシャットダウンをさせるのだ。

被害を受けた女性は性的暴行や虐待をされるという恐怖感があり、そして自分よりも強大な敵で、逃走も闘争もかなわないというので、背側迷走神経を動かすスイッチが入ってしまい、身体が動かなくなったり心が固まったりして、反抗することが出来なくなったとみるべきだろう。もし対抗したら相手を怒らせて、命までなくす危険もあったのだから、正しい防衛反応をしたと言える。性的暴行を受けた時に、抵抗しなかったのではなく、迷走神経が働いて防衛反応を無意識に起こしたのであり、被害者は自分を責めたり否定したりする必要はない。抵抗の出来ないか弱き女性を、思うままに凌辱した男性が卑怯なのである。

性的暴行を受けた被害者で、シャットダウンを起こしてしまった女性はその後、新しく進化した腹側迷走神経を働かせることが出来なくなる。そうなると、トラウマやPTSDを克服できないばかりか、正常な社会生活や社会的交流が出来なくなり、メンタル障害を背負うことが多い。ましてや、その後に異性と付き合えなくなるとか、セックスが出来なくなったり性的快感を得なくなったりする。だから、性的暴力は被害者の人生そのものを狂わせてしまうものなので、死刑に値する重罪なのである。ただ、ポリヴェーガル理論を用いた適切なアプローチをすれば、シャットダウン状態から救い出せるということを最後に付け加えたい。

※イスキアの郷しらかわでは、過去に性的暴行を受けて現在もメンタルを病んでいるとか、トラウマを抱えて生きづらいという方に、何故克服できないのかをポリヴェーガル理論を駆使して説明します。と共に、迷走神経によるシャットダウン状態から抜け出すための音楽療法やボディーワークを詳しく丁寧に説明します。

貧困は自己責任か

貧困家庭が急増していると言われている。そして、その貧困家庭は世代間を超えて連鎖している。つまり、一度貧困家庭に陥ってしまうと、その子孫は貧困のまま生きていくことになるというのである。その一方で、貧困になるのは自己責任であるから、政治や行政の責任ではないという立場を取る政治家や行政マンが多い。富裕層の人たちもまた、貧困は自己責任だと思っている人が少なくない。本当に貧困という状況を作り出しているのは、自己責任だけなのか。政治や行政の努力では、貧困はなくならないのであろうか。

自民党政権の中枢にいる政治家、そしてキャリア官僚を中心にした官公庁の幹部は、口に出してこそ言わないが、貧困は自己責任だと思っている人が多いのも事実だ。公の場所でそんなことを言おうものならバッシングを受けてしまうから口を閉ざしているが、身内の集まりや組織内においては、貧困は自己責任だと断言している。だから、時折そんなニュアンスの発言がポロリと漏れ聞こえてくるのである。貧困家庭をなくそうとしていると言いながら、本音は違うのであるから貧困家庭をなくす政策に本腰を入れないのは当然だ。

マスメディアの大多数もまた貧困は自己責任だと思っている節がある。マスメディアに働く人々もまた、ある意味で恵まれて育った人々である。政治家や高級官僚も、恵まれた環境で育てられた人々である。小さいころから何不自由なく育ち、著名な塾や予備校、または名門私中学にも行かせてもらい、高等教育を受けさせてもらって、今の立場や地位を得た人々である。ずっと貧困に喘いで、どうあがいても高等教育を受けさせてもらえない家庭のことなど、解ろうとしないのは当然だ。貧困の苦しさなんて理解できようか。

とは言いながら、自己責任がまったくないと言い切れないのも事実である。何故貧困が連鎖してしまうのかというと、その背後には教育の貧困があるし、当事者の勤勉さや我慢強さにも問題があるし、努力が足りないのも事実であろう。だとしても、スタート地点があまりにも差がついていたら、頑張りたいと思う気持ちも失せてしまうに違いない。ましてや、貧困から抜け出すための支援をする政策が乏しいとしたら、努力が無駄になってしまうのではないかと思うだろう。貧困から抜け出すチャンスを与えられていないのである。

政治と行政の重要な役割は、貧困層を作らないことであるし、それが世代間連鎖を起こさないようにすることである。貧困はある意味、教育格差から起きていると思われる。ところが、今の政治や行政は教育格差を放置しているとしか思えない。逆に、教育格差をさらに広げているように感じる。これでは、貧困層は増加の一途を辿るのは仕方ない。教育格差だけでない。所得格差もひどい状況にある。非正規雇用を多量に生み出した小泉構造改革から国民の格差が広がったのは間違いないし、貧困層が増えたこともこれが原因である。

かなりの金融資産を持つ世界の富裕層のうち、かなりの日本人がその割合を占めていると言われている。日本の全人口の1%にも満たないような富裕層が、99%の日本人から仕事もせずに搾取をしているという実態がある。そして、この格差は益々広がっているし、貧困層は世代間連鎖をしていて、政治もそれを放置していると言わざるを得ない。貧困が何故起きているかというと、自己責任も多少はあるものの、国の労働政策、経済政策、福祉政策、教育政策などの失政によるものであると断言できる。貧困層を救いあげ、国内の一般消費を増やすことが、日本経済を好況に導く最善の方法なのに、しないのは怠慢だ。

欧米などでも貧困層が増えている。それは、やはり富裕層や大企業を優遇する税制改悪や労働政策による影響である。その流れを受けて日本でも、大企業優遇税制、高所得者の所得税減税、金融商品の規制緩和、相続税の減税、金融商品による所得税の優遇化などを一般庶民には解らないようにこそっと実施している。これでは貧困層が減らないばかりか、益々絶対的貧困層が増え続けていくに違いない。『貧困は自己責任だ』という為政者や富裕層たちには耳障りのない言葉だけが、独り歩きをしてしまっている。こんな根拠のない言葉で騙されてはならない。貧困層をなくすのは我々の使命であるし、喫緊の課題だと心得たい。

月経前不快気分障害PMDDの原因

女性なら誰でも月経前の時期は、不快で憂鬱な気分になりがちである。月経前症候群(PMS)という、辛い心身の症状がある人がいる。そして、そういう月経前の困った精神症状が強く出る障害を月経前不快気分障害(PMDD)と呼んで、ひとつの疾病として取り扱い、治療を受けている人もいる。このような月経前の辛さは、我々男性には想像もつかないが、各種メンタル障害を起こすケースもあるし、強いうつ症状を呈する人も少なくないという。そして、医学的なアプローチをしても、症状が改善することは期待できないという。

PMDDは、複雑で実に不快な気分にさせてしまう。その中で一番困る症状は、怒りが爆発することである。家族の何気ない言動に我慢ならず、いきなりキレてしまい、怒りを相手にぶつける。当然、けんか腰で言い合いになるし、関係性を損なってしまいかねない。家庭だけではなく、職場でも同様のことが起きてしまう。さすがに上司には盾突くことはないものの、上司や同僚の言動に怒りを感じてしまう。それをじっと我慢しなければならないとストレスが溜まってしまい、しまいには職場で孤立してしまうこともある。

このPMDDの症状で困るのは、イライラが募ってしまうことである。必要以上にイライラして攻撃性が出るというのは、本当に困ったものである。怒りや憎しみの感情が沸騰してしまい、ついつい相手を攻撃しがちである。爆発しそうになる怒りをないことにしてしまわないと大変なことになるからと、ついつい感情を押し込んでしまう。そうすると、腰痛や肩こりなどの症状が出やすい。かと言って、怒りを相手にぶつけてしまうと、夫婦喧嘩や親子喧嘩になりやすい。職場で怒りを爆発させてしまうと、仕事が長続きしなくなる。

PMDDという辛い精神症状を、周りの人に理解してもらえないというのも苦しい。特に、男性はその不快な気持ちを理解できないから、家庭でも職場でも寛容に扱ってくれない。自分の努力次第で乗り越えられる筈なのに、そんなに怒りを爆発させるのは、人間が出来ていないからだと思われてしまうことが多い。男性はその深刻さを知らない故に、月経前の不快な気分なんて、気持ちの持ちようでいくらでも吹き飛ばせると考えがちである。ところが、これは自分の努力ではどうにもならない難治性の精神症状なのである。

PMDDの原因が、女性ホルモンの異常から起きると考えられることから、婦人科で治療を受けるケースが多い。あまりにも酷い症状には、経口避妊薬(ピル)を処方することもある。うつ病の症状が出る場合は、抗うつ剤の投与も考慮される。女性ホルモンの異常、またはセロトニンの不足によってPMDDが発症すると思い込んでいる医師が多い。しかし、ホルモン量の検査をしてみると、異常が発見されることは極めて少ない。ましてや、幼児期からの育成歴や親との関係性やパートナーとの関係性などを詳しく問診する医師がいないので、本当の原因を探り当てることはまずないであろう。

PMDDの患者さんに、HSP(神経学的過敏症)であるかどうかを問診すれば、おそらく多くの項目で当てはまるに違いない。そして、親との愛着について詳しく聞いてみれば、愛着障害であることに気づく筈である。つまり、PMDDの患者さんの多くは、愛着障害によって症状が現れていると推察される。したがって、PMDDはホルモン治療などの医学的なアプローチでは改善されないということである。適切な愛着アプローチをすれば、症状が軽減する可能性があるということでもある。

愛着障害の人は、オキシトシン・ホルモンの分泌量が極めて低いことが判明している。オキシトシン・ホルモンの分泌量が低いために、不安・恐怖感が強くて、いつも最悪の未来を予想してしまうと共に、パートナーを心から信頼することが出来ない。職場では上司や同僚の善意を感じることが出来なくて、悪意を感じてしまいがちになる。月経前には、何らかの理由によりホルモンバランスが崩れて、オキシトシン・ホルモンやセロトニンホルモンが欠乏すると思われる。その為に、PMDDの症状が強く出てしまうのだと推察するのが妥当であろう。PMDDの患者さんは症状改善を諦めているが、愛着アプローチによって症状が収まる可能性があるので、試してみてはどうだろうか。

発達障害ではないかもしれない

少し他の子どもと違う言動を繰り返したりして、どうしても扱いにくいと感じる子どもを、学校現場や保育施設では、「あの子発達障害じゃない」と言って色眼鏡で見る傾向がある。そして、幼稚園や学校の教諭たちはこの子たちを厄介者扱いにして、親に専門医の受診を勧めたがる。発達障害という概念が社会に普及していないに時期は、そんなことを保護者に言えば反発されていたが、今は素直に専門医を受診することが多い。そうすると、精神科の専門医は、問診検査等で発達障害だと診断し、投薬治療を始めることになる。

ところが、投薬治療で多動や注意欠陥などの症状が和らぐことが一部で見られることもあるが、まったく効果がない子どもが多い。ましてや、投薬によって効果が見られた子どもでも、徐々に効果がなくなることが多い。ましてや、子どもだから嫌がって飲まない日が続くことがあるが、不思議と一向に症状は悪化せず変わらないことが多いのである。果たしてこの薬は効いているのか効いていないのか半信半疑になっている親たちは、想像以上に多いのではないだろうか。私が関わっている子どもや親たちは、薬に期待していないケースが多い。

何故、薬が効かないということが多いのかというと、ドーパミンやノルアドレナリンの不足によって起きている発達障害ではないのかもしれない。オキシトシンホルモンの分泌不足による愛着障害によって、発達障害のような症状を呈していると考えると、すべての疑問が解ける。それに、この発達障害治療薬の副作用欄を見れば驚くだろうが、とんでもない副作用がこれでもかと羅列されている。こんな危険な薬を認可する厚労省も酷いが、安易に処方をする医師もどうかと思う。ましてや、発達障害だと診断された子どもが実はそうではないのだから、薬が効かないのも当然である。

一時的に発達障害の薬が効いたように医師と親は思ってしまうが、実はそうではなくて発達障害という診断が下されて、親がある意味安心すると共に、子どもへの親や教師の対応が変化したから症状が一時的に和らいだだけだと思われる。本当は愛着障害なのであるから、傷ついた愛着や不安定な愛着が修復されなければ、その一見すると発達障害のような症状がなくなることはないと思われる。愛着障害は医学的アプローチで寛解することはない。あくまでも適切な愛着アプローチでしか、症状が和らぐことはないと言われている。

発達障害という診断が出て、先生からの指示があり、これは病気なのだから、親は子どもに傾聴と共感的対応をするのですよと諭される。ところが、困ったことに子どもが愛着障害の場合は親にも問題が存在するのである。つまり、親の愛着もまた傷つき不安定になっているのである。それ故に、保護者特に母親の精神が安定しないし、いつも不安や恐怖感を抱えていることが多い。したがって、子どもにいつも優しく接しなさい、子どもの気持ちに寄り添いなさい、子どもを見守ってあげるような態度をとりなさいと言われても、意識した時はできるが、そういう態度は持続しないのである。

発達障害という診断が果たして正しいのかどうかを一度疑ってみることも必要なのではないかと考えられる。もしかすると愛着障害によって発達障害のような症状を呈しているかもしれないのである。発達障害の薬を投与し続けても、あまり効果が見られない場合は、愛着障害を疑ってもよいだろう。もし、愛着障害ならば適切な愛着アプローチという手法で治療すれば、発達障害のような症状も和らいでくる。ただし、愛着アプローチ効果を発揮するには、子どもにとって安全基地という存在が必要になる。通常は親が安全基地となる。

人間には「安全基地」という存在が必要である。愛着障害の子どもには安全基地が機能していない。自分が愛着障害を抱えている母親は、子どもの安全基地になれないのである。そして、母親にも絶対的な安全基地が存在しないである。祖母もまた安全基地を持たず愛着障害になっている。さらに、夫である父親が仕事に逃げ込んでいて育児を母親任せにしていれば、妻の安全基地になれていない。愛着障害の子どもを癒して愛着を修復できるのは、精神が常に安定して健全な愛着を持つ親だけである。それ故に、まずは母親が安全基地となれるように、第三者による愛着アプローチの支援が必要となる。

※我が子が発達障害的な症状があったとしても、もしかすると愛着障害によるものかもしれないと思われた方は、一度イスキアの郷しらかわにご相談ください。愛着障害を乗り越える愛着アプローチの学びを提供しています。問い合わせのフォームにはLINEのQRコードが張り付けてあります。問い合わせフォームから送信すれば、こちらの連絡先もお伝えするメールを返信します。

引き出し屋(ひきこもり支援業者)は危険

ひきこもりを無理やり社会復帰させるビジネスが横行している。昔、〇〇ヨットスクールとかいうスパルタ式の矯正施設が話題になったことがあるが、これに近いような社会復帰施設があるらしい。ひきこもりの人たちを社会復帰させるので、引き出し屋とか引き出し業者と呼ばれているという。なんともすごい名称である。しかし、実際のインターネット上では、〇〇自立支援センターとかいかにも公的な名称を名乗り、ソフトな印象を与えている。ウェブサイトを見た保護者が藁にもすがる思いで、社会復帰支援の契約をしているらしい。

引き出し屋のウェブサイトを見てみると、実にうまくできている。ひきこもり当事者だけでなく、親たち保護者が見たら期待を抱かせる内容になっている。心理的ケアも充実しているし、職能訓練もしてくれる。さらには、就労支援のための職場訓練もさせてくれる。そして、社会復帰成功率が8割とか9割と謳っている。誰でも飛びつきたくなる。特に、ひきこもりの当事者よりも、保護者が期待してしまうのは当然である。当事者がたとえ施設利用を希望しなくても、親が無理にでも子どもに引き出し屋を利用させたくなる内容だ。

この引き出し屋と呼ばれる一部の業者が、ひきこもりの当事者や保護者から訴えを起こされているという。本人の同意もなくて、あまりにも強引な方法で無理やり施設に入所させて、人権を無視したような拘束までしていると訴訟を起こされている。保護者からは、暴利をむさぼるような利用料を取っていながら効果がまったくないと、料金返還の訴えをされている。なにしろ、6ケ月間の利用で500万円を超す料金設定になっているというからものすごい。一時的とはいえ社会復帰を果たしているという実績があるから、相当に強気なのだろう。

8割から9割もの利用者が社会復帰を実現しているというから、すごい実績だと感心する人も多いだろうが、果たして本当にそんなことが起きるのだろうか。社会復帰した人たちが、その後にどうなったかという記述はウェブサイトでは見られない。あくまでも想像でしかないが、完全復帰してその後何も問題なく社会生活を送れた人は極めて少ないような気がする。職場での人間関係のトラブルが起きたり、心身の不調を来したりして、再度ひきこもるような事態になっていると思われる。さらに深刻な心身の不調で苦しむ人も少なくないだろう。

どうしてそんな事態になってしまうかというと、ひきこもりになる根本的な原因が解決されていないからである。引き出し屋で実施するのは、本人へのカウンセリングやセラピー、認知行動療法などの心理療法などと職能訓練である。または、生きがい療法なども取り入れているらしい。しかし、ひきこもりになってしまったそもそもの原因を特定していないし、その原因を何ら解決していないのである。逆に、原因となった親との愛着における不安定さや傷つきを、さらに悪化させるという誤謬を犯しているように感じる。これでは、ひきこもりの完全解決を実現するのは難しいに違いない。

子どもがひきこもりになっている根本的な原因は、親との健全な愛着が構築されていないからである。つまり、子どもが全幅の信頼を親に寄せていて、両親からの豊かな母性愛と父性愛を注がれていれば、深くて安定した愛着が結ばれるので、子どもはひきこもりや不登校にはならない。両親夫婦の関係性が良くなかったり、母親の愛着が不安定とか傷ついていたりすると、親子の正常な愛着が上手く結べないことがある。そうすると、子どもの愛着も不安定化したり傷ついたものになったりする。したがって愛着障害を癒すには、当事者だけでなくて親への愛着アプローチが必要なのである。そういう親への支援をする業者は少ないみたいである。

子どもの意思を無視して、無理やり施設に入所させるというような乱暴なことをすれば、親子の愛着はさらに傷つく。親が自分の責任を放棄して他人に子どもを預けて、自分はまったく変わろうとしないというのは、育児放棄に等しいと思う。ひきこもりは親子の愛着の不安定に原因があるだから、変わらなければならないのは本人だけでない。親も一緒に変わる必要がある。だからこそ、親子への愛着アプローチが必要なのであるし、引き出し屋にすべてを委ねてしまうのは危険だと言わざるを得ない。引き出し屋に子どもを預ける前に、もう一度よく調査してからにしてほしい。親への支援もする引き出し屋なのかどうかを。

※イスキアの郷しらかわでは、ひきこもりの社会復帰支援をしていますが、当事者だけでなく保護者に対するサポートも同時に実施しています。そのほうが、ひきこもりを乗り越えることが確実に可能になるからです。問い合わせから一度ご相談なさってみてください。電話相談やメール相談も無料で実施しています。

 

    家族葬には大きな落とし穴がある

    都会だけでなく、地方でも家族葬をするケースが多くなっている。全体でも8割以上の遺族が家族葬を執り行うらしいし、都会だと9割を超える方々が家族葬だと思われる。高齢者である故人の友だちは既に鬼籍に入っている人も多く、故人も残された家族に負担をかけたくないと家族葬で良いと言い残すことが、その理由であろう。確かに、家族葬のほうが負担も少なく、義理で弔問する人たちにとってもありがたい。余計なコストをかけて葬儀を行うより、家族だけでじっくり故人を見送りたいという気持ちも理解できる。

    しかし、この家族葬には大きな落とし穴や危険性が内在しているということを、認識している人は極めて少ない。その落とし穴とは、故人ロスが起きる危険性が高まるということである。夫をなくした方がまさしく『夫ロス』で長く苦しまれているので、支援したケースがいくつかある。そういう夫ロスを起こすケースでは、例外なく家族葬をしていたのである。そして、単なる家族葬だけでなく、親しくしていた故人の友達にさえも訃報を知らせることなく、密かに葬儀を執り行っていた。焼香のための弔問も遠慮してもらっていたのである。

    愛する人をあの世に送りだすというのは、非常に辛いことである。特に、長年に渡りずっと寄り添っていた配偶者を突然失うというのは、大きな悲しみが襲う。そして、その悲しみと孤独感は長く心を支配しがちである。だとしても、徐々に悲しみが癒えてくるものであるが、たまに悲しみがなくならないケースがある。それがどういう訳か、家族葬の場合であり、しかも通知を出さないで弔問をお断りしているケースなのである。遺族の負担は少なくて済むし、義理で弔問しなければならない人は有難いが、悲しみが癒えないのは困る。

    どうして家族葬だと悲しみが癒えないのか、脳科学的に洞察を試みた。悲しみが癒えない理由は様々であるが、一番は最愛の人の死を受け入れられないことである。死んでしまってこの世にもう存在しないのだと頭では解っていても、実感できないのである。この実感できないという意味は、亡くなって悲しくて辛い記憶を右脳に閉じ込めてしまっているということだ。辛くて悲しくてどうしようもない感情と共にある記憶は右脳に存在しがちだ。それを徐々に左脳の記憶に移し替えていく。これは意識してするものではなくて、時間が経過する中で自然と最愛の人を喪失した記憶を左脳に移動させる。そうすると悲しみが癒えるのだ。

    辛い記憶を右脳から左脳に移し替えると、何故悲しみやトラウマが和らぐのかというと、右脳の記憶は自分のマイナスの感情とごちゃまぜにあるからだ。そうすると、記憶を思い出す度に、辛くてどうしようもない感情に押し流されてしまい、冷静な判断や認知が出来なくなるのである。ところが、左脳に移し替えた記憶は、自分の辛い記憶を客観的に俯瞰して眺められる。あの時、私はとても辛かったんだよと、第三者的にコメントできて、冷静に記憶を振り返ることが可能になり、悲しみが癒えるのである。

    この辛い記憶を右脳から左脳に移し替えるのを支援するのが、カウンセリングである。カウンセラーやセラピストは、クライアントの辛い記憶を否定することなく共感してくれる。何度も辛い記憶を話して共感してもらうと、右脳の記憶がいつの間にか左脳に移し替えられて、悲しみやトラウマが癒されるのである。葬儀にいらした弔問客と故人の思い出話や亡くなった時の話をすることで、カウンセリングと同じ効果が得られる。それも次から次へと訪れる故人と親しかった人との対話が、悲しみを癒すのに必要なのである。家族葬にして通知もせず、弔問客がなくて故人の話ができないと悲しみやトラウマがずっと残るだろう。

    生前に故人と関わった人々に訃報の知らせをして、通夜や葬儀に弔問にきてもらい、さらには精進落としにも参加してもらい、故人の思い出話や亡くなった経過などを話すのは、遺族としては辛いものである。しかし、長年に渡りこのような慣習が作られてきたのには、深い意味がある。遺族の深い悲しみを癒すのに、こういうしきたりが必要だったのである。元々、通夜と葬儀をすることに長い時間をかけるのは、遺族の悲しみを癒す効果があるからと言われている。葬儀や弔問を簡素化してしまうのは、遺族の悲しみがいつまでも続き、ずっと癒せなくなる危険性が高い。したがって、故人ロス症候群を防ぐ為にも、従来のような葬儀・告別式をすることを勧めたいと考える。

    悲劇のヒロインから抜け出す為に

    幸福な人生を歩もうと思いながら、どうしても不幸な生き方になってしまう人がいる。自分で不幸を望んでいる訳ではない。それなのに、何故か不幸を招いてしまう人がいるのだ。そういう人は圧倒的に女性が多い。つまり、悲劇のヒロイン役を演じてしまう女性が多いのである。しかも、高学歴で教養も高く聡明な女性ほど、自分の人生は不幸だと思っているケースが多い。人生における最良のパートナーにも恵まれず、持っている才能を発揮することも出来ずに、職場でも不遇なことが多いというのは実に不思議である。

    悲劇のヒロイン役を自ら望んで演じたいと思う女性なんている訳がない。誰だって、幸福な人生を歩みたい。それなのに、大切な人生の岐路で選択を間違ってしまい、悲劇の主人公のような人生を引き寄せてしまうのである。一方、いつも幸福なヒロイン役を演じ続けている女性がいる。人生の岐路に立った時に、迷わずに自信を持って選んだ道を進み、幸福な人生を歩み続ける。例え一時的には不幸な目に遭っても、それを自分の試練だと思い、けっしてひるまず逃げずに乗り越えて、結果として幸福な人生を引き寄せてしまうのである。

    悲劇のヒロインになるのか、それとも幸福なヒロイン役を演じるかのその違いはなんであろうか。運が良い悪いかの単純なものではない筈である。悲劇のヒロインになることを、生まれついた時から決められているなんてことはけっしてない。幸運な人生を歩むのか、それとも不運な人生を歩むのかは、その人の生き方によって決まると言ってよいだろう。幸福になるかどうかは、すべて運命で定められているとすれば、努力しても無駄だということだ。しかし、幸福な人生を歩んでいる人は、自ら幸福を引き寄せる生き方をしているとしか思えないのである。

    松下幸之助氏は、入社試験の面接時に必ずこんな質問を受験者にしたという。「あなたは自分の人生を恵まれていると思うか」と問うた。「恵まれた人生です」と答えた人は採用し、「恵まれていません」と答えた人は、けっして採用しなかったと言う。何故、松下幸之助はそんな質問をしたかというと、幸運だと思う人というのはそうなるように努力しているし、不幸だと思う人はその状態に甘んじていると見たらしい。また、恵まれているという人は、自分が周りの人々に尽くしているから、多くの人に好かれて支えられ、いざという時に周りから助けられるのだと説いていた。

    悲劇のヒロイン役を演じている人を見ていると、まさしくそんな人生を引き寄せているとしか思えない。悲劇のヒロイン役を自ら演じていることで、安心しているように見えるのである。そんな馬鹿なことはない、自ら進んで悲劇のヒロイン役を演じる訳がないと反論するかもしれないが、自分が不幸であることに満足しているのである。いつも自分が不幸になるかもしれないという不安や恐怖感に支配されていて、幸福である状態にいると逆に不安になる。だから、いつも不幸になることを予想してしまう。それが不幸を現実化させてしまうのだ。

    人間の脳というのは、不思議な働きをしてしまう。オキシトシンホルモンという安心ホルモンの分泌が少ない人は、いつも不安感に支配されている。そうすると、自分は皆から嫌われてしまうのではないか、攻撃を受けてしまうのではないか、不幸になってしまうのではないかという恐怖感で心がいっぱいになる。こういう不安や恐怖感が強いと、無意識下の脳は思わず不幸な人生になる言動をさせてしまうのである。または、不幸になってしまうという不安から、あまりにも自分の幸福を願う為に、他人の幸福に寄与することを忘れてしまうのだ。そうすると、周りの人々から嫌われてしまい、支えられず応援されず孤立するのである。

    このオキシトシンホルモンの分泌が少ない人というのは、親やパートナーとの正常な愛着が結ばれていない人である。愛着障害を抱える人は、どうしてもオキシトシンホルモンが不足しがちになる。不安定で傷ついた愛着を抱えている人は、悲劇のヒロイン役を演じる傾向が強い。いつも悲劇のヒロイン役を演じてしまう人は、愛着障害を疑ってみるほうがよい。悲劇のヒロイン役を演じないようにするには、愛着障害を癒すしかない。適切な愛着アプローチを受けることで、見事に悲劇のヒロインから脱却することが可能になるに違いない。

    家族愛と絆が問題の根源である

    あなたの家庭は深い愛と強い絆で結ばれていますか?と問われて、充分に家族愛で満たされて絆が強いですと、胸を張って答えることができる家庭はどれほどあるだろうか。家族の中で、父親だけは絆があると答えるケースがあるかもしれない。しかし、母親と子どもは我が家に強い家族の絆がないと答えるのではなかろうか。現代の家庭環境においては、溢れるほどの家族愛で満たされて強い絆で結ばれた家庭は、殆どなくなってしまったのではないだろうか。それほど、家族の絆は希薄化し劣悪化してしまったと思われる。

    家族の絆が薄くなってしまうと、いろんな問題が起きる。家族の関係性が薄くなくなると、お互いに支えあう関係もなくなり、家族はバラバラの状態になってしまう。そうなると、夫婦はもちろん親子の信頼関係もなくなり、家庭崩壊または機能不全家族になるケースもある。家族の絆が希薄化してしまった家族は、やがて大きな問題を抱えることになる。不登校、ニート、ひきこもり、家庭内暴力、様々な依存症(アルコール、薬物、ギャンブル、買い物、ゲーム)メンタル疾患、メンタル障害、離婚などが起きてしまうことになる。

    家族愛が豊かにあれば、家族相互間に豊かな愛着が育つ。家族愛がなくなってしまうと、愛着が不安定になり傷つき、やがて愛着障害を起こす。この愛着障害は世代間連鎖を起こすから、祖父母から父母に、そして父母から子へと引き継がれていく。愛着障害の子はやがて、うつ病や双極性障害などの気分障害、発達障害、パーソナリティ障害、強迫性障害、摂食障害、妄想性障害、依存症などを発症する。強烈な生きづらさを抱えるが故に、社会への不適応も起こしてしまう。だからこそ、家族愛がなによりも大切だということである。

    どうして家族愛が不足しているのだろうか。豊かで正常な家族愛がなくなってしまった原因は何かというと、家族間において互恵的共存関係が薄らいでしまったからだと思われる。家族の間で愛を分かち与え合うのでなくて、愛を求め合う関係になっていると思われる。本来は、家族どうしがお互いの考え方や生き方を尊重し合い、家族お互いの心の豊かさや幸福の実現を願い、そのために自分が犠牲になっても良いという覚悟で向き合う必要がある。ところが、反対に自分が愛されたい、幸せになりたいと思ってしまう傾向が強い。これでは正常な家族愛が育つ筈がない。

    とかく人間というのは、相手の考え方や生き方を自分の価値観に合わせたいと思うものである。周りの人が自分と同じような考え方や言動であれば、ストレスなく生きられるからである。家族であるからこそ、余計にそう思ってしまうものらしい。そして、親というのはついつい子どもを見下してしまい、自分の支配下に置きたがるものである。または、夫は妻を自分の所有物のように勘違いしてしまう傾向がある。妻や子の尊厳を認め、その考え方や生き方に対して介入することや余計な干渉をすることなく、そっと見守るような態度を父親はとるべきである。ところが、実際には妻や子を支配し制御したがる父親が多いのである。

    本来のあるべき家族愛を高めるには、相手が主体性、自主性、自発性、能動性、責任性などを育めるように、共感的メンタライジング能力を発揮して寄り添う必要がある。それなのに、まるっきり正反対の対応を家族にすれば、家族愛は育つ筈がない。ましてや、父親とは家族全体の幸福や豊かさを実現するために、自分の犠牲を厭わない態度が求められる。さらに家族全体の安全基地としての機能を発揮するべきである。そうじゃないと、家族は精神的な拠り所を失い、不安になって生きる勇気を持ちえない。妻は、安心して母性愛を子どもに注げなくなるのである。

    現代日本の父親の多くは、家庭を顧みず仕事に没頭し過ぎてしまい、家族の拠り所(安全基地)になりえていない。妻や子どもが主体性や自発性などを発揮できるように、共感的互恵関係を確立して豊かな家族愛を注ぐべきなのに、逆に介入や干渉をし過ぎて妻や子の自己組織化を阻害してしまっている。これでは、豊かな家族愛が育まれる筈がない。家族間の互恵的関係性が希薄化して、家族愛が失われてしまったから、家庭内の様々な問題が顕在化してしまったのである。家族を大切に思い、お互いの尊厳を認め合い、家族愛を高め合うようなライフスタイルを確立したいものである。

    ゲーム障害(依存症)を克服する

    ゲーム依存症という精神疾患の医学的診断名は、正式には存在しなかった。つまり、病気としては認めていなかったのである。ところが、WHOは『ゲーム障害』という名前の精神疾患として認定することにしたという。今後、ゲームに依存し過ぎて、長期間に渡り通常の生活に影響を及ぼすような状況にあると、ゲーム障害と診断されることになる。今までは単なる依存の一形態だというとらえ方で、医学的治療の対象とはならなかったが、今後はゲーム障害という正式な診断名が付いて、医学的なケアを受けられるということになる。

    今まで、ゲームに依存し過ぎてしまい、ひきこもりになったり学校や職場に行けなくなったりする若者や中年は多かった。我が子がそういう状況に追い込まれても、親はどうすることもできなかった。なにしろ、病気でもないから病院にも連れて行けないし、誰にも相談することができないから、悩み続けるしかなかった。今後は、病気なのだから精神科クリニックか心療内科で診察やカウンセリングを受けることが出来るようになった。しかしながら、ゲーム障害を本人は病気だと認めないし、医療レベルで治すのは非常に難しいと言えよう。

    ゲーム障害を医療レベルで治すのが何故難しいかというと、現代の精神科領域における投薬中心の医療では、ゲーム障害を乗り越える治療をすることは不可能に近いと言える。他の薬物依存やギャンブル依存などの依存症においても、精神医療の対象としてやっかいなものはないのである。依存症の治療に対して、ほとんどの精神科医は及び腰になってしまう傾向がある。何故なら、依存症を完全に治癒させる方法が見当たらないのである。ましてや、ゲーム障害が深刻な病気だという認識がないから、治療に真剣にならないことが多い。

    ゲーム障害になるそもそもの原因を、精神科医、またはカウンセラーやセラピストが正確に把握しているとは思えない。新しい依存症であるから、研究の成果も上がっていないことから当然なのかもしれない。これから、ゲーム障害について研究が進めば、原因も解明されてくるかもしれないし、治療法も確立されてくるであろう。しかし、現在ゲーム障害に陥っている我が子を何とか救い出そうと悩み苦しんでいる保護者にとっては、一刻も待てない状況に違いない。ゲーム障害は、当事者が病気だという認識がないから深刻なのである。

    ゲーム障害は疾病であるが、その原因は脳の異常によるものではないかとみられている。前頭前野という理性を司る脳分野があるが、ゲーム障害の人はその前頭前野の機能が著しく低下しているらしい。やってはならないと思いながら、ついついゲームにのめり込んでしまうという。依存症の人たちは、感情のコントロールが苦手であることが多い。不安感や恐怖感も強く、五感の強い刺激に敏感で傷つきやすい傾向がある。安全な居場所がないと思う人が多く、満たされない思いに支配されていることが多い。だから、ゲームにしか喜びを見いだせないし、ゲームをしている時だけ不安を忘れられるから、のめり込むのであろう。

    どうして脳の異常が起きるのかというと、オキシトシンホルモンの分泌低下とセロトニンの分泌低下が起きていると思われる。特にオキシトシン不足からいつも不安感や恐怖感にさいなまれていて、自分にとって安全な居場所がないと感じている。苦難困難にぶつかると乗り越える勇気が持てないから、ゲームに逃げ込んでしまうのだと思われる。ゲームにのめり込んでいる時間だけが、不安や恐怖から解放される。または、満たされない思いや誰からも愛されていないという思いから、ゲームをしている時だけ心が満たされると勘違いするのかもしれない。強烈な孤独感に陥っていることも多い。ゲームをしている時間だけが、自分の幸福だと思い込むのだろう。

    このようなオキシトシンホルモンの分泌低下が起きるのは、愛着に問題があるからだと思われる。親との愛着が傷ついていたり不安定になっていたりすると、オキシトシンホルモンの分泌が低下してしまう。すると、いつも不安感や恐怖感が高まっている状況になり、自分にとって乗り越えることが難しい課題が起きると、ゲームに逃げ込んで依存することになる。つまり、ゲーム障害になるそもそもの原因は、愛着障害なのではないかと思われる。そうだとすると、ゲーム障害を乗り越えるには適切な愛着アプローチが有効だということになる。ゲーム障害に陥っている当事者とその母親などの家族に対して、適切な愛着アプローチをすることで、ゲーム障害を克服できるのではないだろうか。

    ※我が子がひどいゲーム障害のために、生活に支障を来していて、とても困っている保護者がいましたら、是非「イスキアの郷しらかわ」にご相談ください。問い合わせフォームからまずは相談の申し込みをしてください。