3.11から今日で早7年。未曾有の災害による爪痕はまだ深く残っている。原発事故の被害は想像以上であることから、福島県内各地の復旧さえままならない実情がある。したがって、復旧さえできていない現状で、復興なんてまだまだと思っている県民も多い。ましてや、原発事故による汚染除去もまだ完了せず、風評被害は根強く残っていることもあり、復興なんて無理だと諦めている県民も少なくない。
震災避難者は全体で7万人を超えて、県外避難者も5万人もいるというから、原発事故による心的な被害は想像以上に大きいのであろう。そういう状況で復興しようという掛け声ばかりで、遅々として復興が進まないのは、強烈な被害者意識が強いからではあるまいか。こんなことを記してしまうと、避難者の方々からお叱りを受けることになるかもしれないが、被害者意識を持ち続ける限り、復興は進まないように思うのである。
災害復興とは、災害による被害をすべて復旧してうえで成り立つものであるという主張は間違っていない。しかし、これから20年くらい風評被害は完全になくならないし、原発の事故処理は、あと30年以上はかかるであろう。だから、あと30年以上も復興が実現しないという結論になりはしまいか。つまり、早く復興をしようとすれば、完全復旧を待ってはいられないのである。ましてや、被害者意識から解放されないと、いつまでも前には進めないような気がするのである。
原発事故が起きた責任は、原発立地の住民には一切ない。東電と原発政策を推進してきた政府に、原発事故発生の責任がある。しかし、原発の恩恵を受けていたのは関東地区の住民だけではない筈である。原発立地の住民も、いろんな原発立地の課税収入による公共インフラの充実をさせてもらったし、関連産業の就職などで経済的な恩恵も受けていた。原発推進をしていた政府自民党を政権与党として選んだのは自分自身である。ましてや、原発を推進してきた首長を選んだのも自分達なのである。
だとすれば、原発による災害や風評被害をすべてマイナスの要素として捉え、だから復興は無理だと諦めてしまうことは、自分自身を否定することに繋がりはしないだろうか。それよりも、この原発事故と風評被害から目を背けずに、まずは認め受け容れて、このマイナスをプラスに転換することを真剣に考えるべき時期に来ていると考えようではないか。悩み苦しんだ7年という月日を無駄にしないように、そのことを糧にして真の復興に突き進むことを、今日この日に共に決意したいものである。
風評被害は、まだまだ根強い。イスキアの郷しらかわで宿泊する農家民宿「四季彩菜工房」には、原発事故以前は年間400人から500人のお客様がお泊りにいらしていた。それが、風評被害によって年間20人から30人に激減してしまった。経営的には大打撃である。この状況を嘆くだけでなく、イスキアの郷しらかわとして活用させるという、マイナスをプラスに大転換させる意識改革を、農家民宿経営者と共に実施したのである。まだ利用者はそんなに増えてはいないが、おかげで少しずつ問い合わせや見学者が増加しつつある。被害者意識に縛られていては、出来なかった意識改革と価値観の大転換である。
福島県内で復興を見事に成し遂げている企業をみてみると、実に興味深い共通点がある。それは、原発事故による風評被害による損失補填を申請し続けている企業は遅々として復興が進まず、いち早く損失補填申請をすることを止めて、自力再建を決断した企業は復興を成し遂げているということだ。社員が一丸となり、被害者意識を捨てて努力した企業は、震災よりも多くの収入を上げているのである。個人でも、被害者意識を捨てて新たな道を切り拓いた人は、見事に復興しているのである。そして実に生き生きとして人生を送っていらっしゃる。もう原発事故から7年である。誰かを恨んだり憎んだりすることはもう止めて、自分の本当の自立を共に目指そうではないか。