被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル賞を受賞したというニュースで湧いた2024年であった。そして、その被団協代表者がノルウェーに赴いて授賞式に臨み、その帰路での飛行機内で起きた出来事にも驚かされた。80~90代の被団協代表者にとって、飛行機での長旅は堪えたに違いない。帰路の飛行機では、エコノミークラスでの長時間の飛行が高齢の代表者にはどれほど過酷であったことだろう。それを見かねた航空会社のCAが、会社の上司と直接交渉して、エコノミークラスからビジネスクラスに変更してあげたのだ。
この素晴らしい神対応に驚いたのは日本人だけではない。世界の人々がとても素敵なプレゼントだとして称賛したのは言うまでもない。そのCAとは、渡辺さんという日本人で、スカンジナビア航空(SAS)の社員であった。直接交渉で許可を出したのは、なんとSASのCEOだったというから再度驚いた人も多かったに違いない、一介の社員が、社長に直接メールを送って許可を得るなんて考えられないことである。そんなことが他の会社で認められる訳がない。でも、実際にSASはそういう航空会社なのである。他の企業では絶対に不可能だ。
どうしてSASだけが、そんな神対応が可能だったかと言うと、その企業の過去に遡らなければ説明できない。1981年というから、今から44年前のことである。当時、二年間に渡り巨大赤字経営に陥っていたSASの経営立て直しをするために、若干39歳の若き経営者が大抜擢をされた。当時、スウェーデンの国内航空会社リンネフリュ社の経営をV字回復させたのが、ヤン・カールソンという経営者だった。それで彼の経営手腕が買われて、スカンジナビア航空という、大きな航空会社の経営改革を託されて、見事に経営を立て直すのだ。
何故に、そのヤン・カールソンの経営改革が、今回のCAによる神対応に繋がったのかというと、徹底的な現場主義によるものだからだ。ヤン・カールソンが著した有名なビジネス書がある。『真実の瞬間』(MOMENT OF TRUTH)という著作は全世界で翻訳されて、大ベストセラーとなった。その真実の瞬間という本は、顧客満足度の優秀な教科書として名を馳せた。何故、真実の瞬間という題名なのかというと、顧客と直接に対応する窓口係や客室乗務員が、わずか15秒間という短い時間に顧客満足度が決定づけられるというのである。
ヤン・カールソンがSASのCEOに着任して、いろいろな経営戦略を立ててそれを実施した。ひとつは、ビジネス客の優先対応で、当時ビジネスクラスという概念はなかったが、ユーロクラスというビジネス客専門のサービスを開始した。徹底して、発着の時刻厳守とビジネス客の便宜を図った。その差別戦略のお陰で、SASの顧客は爆発的に増えると共に経営改善にも寄与した。ビジネスクラスの始まりであった。また、現場主義も徹底して、顧客と直接対応する社員に裁量権を与えるという、権限移譲を出来得る限り実行したのである。
通常の顧客サービス対応社員に権限移譲をすると言っても、ある程度の限度がある。限られている裁量権と僅かなコスト支出しか認められていない。ところが、ヤン・カールソンは徹底した権限移譲を実行して、出来得る限りの支出を現場判断で出来るようにしたのである。しかも、中間管理職がそのサービスに反対したら、その上司に直接判断を仰いでも良いとするルールを定めたらしい。天候悪化で遅延した飛行機を待つ客に、自分の裁量でパンと飲み物を無償提供した窓口社員。ホテルにチケットを忘れた客の為に、ホテルに連絡してタクシーで届けさせた受付社員。そんな事例が激増したのだ。
現場で、顧客満足度を高める対応を自ら進んで出来る社員が、社内に育たない訳がない。また、顧客サービスを実行する為に、自ら決定するにはあまりにも大きな支出を伴う場合は、中間管理職を飛び越してCEOと直接交渉するシステムを作るという社内風土が創られるのは当然である。今回の渡辺CAの判断は、スカンジナビア航空だから可能だったのであり、他の航空会社にはけっして真似のできないサービスだったのだ。そして、そんな社内風土を創り上げたのは、ヤン・カールソンという稀代の素晴らしい名経営者だったのである。