前回のブログでは、メンタルを病む原因は心ではなくて脳の器質的障害によるものだと解説した。まだ一般社会の中で、特に職場や学校においては心の病気だという認識が強くて、本人の気質や性格、または認知傾向や価値観に問題があるから、メンタル疾患になるのだという捉え方をする人が多いようである。心配しているようなそぶりを周りがするが、自分で病気を引き寄せている、そんな見方をされるから余計に当事者は辛いし、益々症状が悪化しやすい。しかし、メンタル疾患を発症する人に、その責任はないと断言できる。
メンタル疾患を抱えている人はの殆どは、保護者や本人に関係する周りの人々のせいでメンタル疾患に陥ったのである。精神の病気になった責任は、当事者には殆どないと言い切れる。何故なら、メンタル疾患にならざるを得ないような育てられ方と周りの環境によって、発症したと言えるからである。まずは、精神疾患になってしまうような育成環境についてだが、親があまりにも熱心過ぎる育児をするケース、その反対に育児放棄したり虐待したりする正反対のケースとがある。どちらも精神的な障害を抱えやすいということは間違いない。
まずは、虐待やネグレクトを受けた場合である。このケースでは、ほぼ100%精神的な障害を抱えてしまう。よしんば、その後児童相談所や児童福祉施設で温かく育てられたとしても、その時に抱えたトラウマは生涯に渡り当事者を苦しめる。脳の器質的障害はある程度改善されたとしても不安は完全に払拭されず、HSCを抱えるが故に傷付きやすい人格を持ち続け、乗り越えることが難しい。優しい保育士さんたちや親切な里親に育てられたとしても、トラウマを乗り越えるレベルまで回復するのは極めて困難だと言える。
親があまりにも熱心過ぎる養育をしたケースであるが、これは過干渉や過介入の養育とも言える。立派に育てたいとか、将来に渡りエリートの人生を歩ませたいと親が強く意識して、過度の期待を掛け続けて、子どもをコントロールし過ぎた育て方をした場合である。このケースにおいては、子どもは親からの無条件の愛情ではなくて条件付きの愛情を受けてしまうので、自己肯定感が育たないばかりか、虐待児と同じようにHSCを抱えてしまう。完璧さを求められるし、学業成績が悪いと否定されがちになり、見捨てられる不安を抱えてしまう。
どちらのケースにおいても、HSCからHSPに移行して、得体の知れない不安を抱えてしまう。そうすると、周りの子どもたちからからかいを受けたり、虐めの対象になったりするから、何度もトラウマを抱えてしまうことになる。教師からの不適切指導も受けやすい。それが例え小さなトラウマだったとしても、次第に積み重なっていき複雑性のPTSDになっていき、二次的な症状として発達障害や気分障害を起こしてしまうのである。勿論、生まれつきの発達障害もあるが、それが益々強化されてしまうのである。
また多いのが、両親の不仲による悪影響である。特に子ども脳に深刻な影響を与えるのが、両親の喧嘩である。子どもの前で怒鳴り合う事を続けると、100%子どもの脳は致命的な器質的な障害を受ける。偏桃体が肥大化してコルチゾールが過大分泌することで、DLPFC(背外側前頭前野脳)と海馬が破壊される。例え怒鳴り合いまで発展しなくても、お互いの愚痴や悪口を子どもに聞かせ続けると、同様の障害が起きる。離婚の危機を迎えると、子どもは自分が犠牲になり、離婚を防ぐために無意識で問題行動を起こしてしまうのだ。
前述したような家庭に育った子どもは、不安型のアタッチメントを抱えてしまい、オキシトシンホルモンレセプターが異常に少ない脳になる。得体の知れない不安を常時抱えていて、睡眠障害を起こして脳の破壊を招き、メンタル疾患を発症してしまうのである。不登校やひきこもりに追い込まれてしまう子どもも少なくない。何度も心的外傷を受けて、複雑性PTSDになり、発達障害や重篤な気分障害、または妄想性障害や各種依存症までも発症する恐れもある。こうなってしまうと、医学的アプローチも効果なく、長期間に渡る社会からの離脱が起きる。こうなってしまう責任は、当事者にはないのである。
※メンタル疾患の当事者が、低劣な価値観しか持ち得ず、正しい生きる目的を設定できないこともメンタルを病むひとつの要因ではありますが、これも本人の責任ではありません。父親が高い価値観や哲学・思想を子どもに伝えなかったからです。特に「神の哲学」である形而上学を子どもに語っていないから、高い価値観を持ち得ず正しい目的を設定できなかったのです。これも当事者の責任ではありません。
