教養が高い親ほど子育てに苦労する

 高学歴で教養があり知能が高い親は、子育てにもその能力を発揮して、優秀な子どもを育てることが出来ると思われている。ところが、逆にそういう優秀な親ほど子育てに苦労する例が多いのである。勿論、例外もあるし、立派な子育てをしている教養の高い親もいる。しかし、教養が高いと思われる医師・学者・教師である親が、子育てを苦手だと感じるケースが多いのも事実である。特に、コミュニケーション能力が非常に高い親ほど、子育てに苦難と困難を味わうことになりやすい。そして心が折れてしまうことも多いのである。

 一般的に、知能が高くてコミュニケーション能力にも秀でている親は、子育てが得意だと思われている。子どもを納得させることが出来るし、モチベーションを上げさせることが可能だと想像する人々が多い。ところが、子どもはコミュニケーション能力が高い親に対して、表面的には従順な姿勢を示しながら、本心では反発し反抗していることが多い。だから、親の言うことにハイハイと返答しながら、その場だけは取り繕うが、親が嫌がることを続けるし、親の期待に背く行動をとり続けることが少なくない。

 高学歴で教養があり知能の高い親は、自分が歩んできた道が唯一正しいのだと思い込み、同じような道を子どもにも歩ませようとする。勉学に励むことが大事であり、優秀な成績を残して、著名な大学を卒業して立派な職業に就くことが、子どもの幸福だと信じて疑わないのである。自分もそうやって努力して現在の地位や評価を得たのだから、子どもがそうするのは当たり前だと信じ、子どもに過干渉と過介入を繰り返す。中には、親の言うことに疑問を持つことなく、親の期待通りに歩む子どももいるが、少数である。

 何故、高学歴で教養がありコミュニケーション能力の高い親に、子どもは反発するのであろうか。または、一応従順な姿勢を見せていながら、期待に背く行動をするのであろうか。中には、発達障害グレーゾーンになってしまったり、不安定愛着スタイルを抱えてしまったりする子どもがいる。そして、不登校になったりひきこもりになったりする子どもも少なくないのである。多くの不登校やひきこもりに接してきた自分の経験からすると、そんな親子が非常に多いのも事実である。優秀な親であるが故に、子どもは苦しむのである。

 教養の高い親が言うとおりに信じて、けっして親の指導に疑問を持たずに、立派な職業についたとしても、社会人になってから本人が苦労するケースも多い。アカデミックの世界や医療関係で職に就くとか、または行政職であれば、ちょっと変わった人で使いにくいなと、思われるくらいで済む。ところが、民間企業だとそんな訳には行かない。主体性、自主性、自発性、責任性が持てないし、指示待ちの社員になってしまい、まったく使い物にならない。当然、企業内ではお荷物社員になってしまい、休職から離職するケースが多くなる。

 社会に出れば、事細かく指示したり指導したりしてくれる親は居なくなる。当然、自分で考えて決断して行動しなくてはならない。今まで干渉して介入してくれた親がいない。人間とは本来、自己組織化して自立していかなければ、社会ではひとりでは生きていけない。コミュニケーション能力の極めて高い親の元で、次はこうするのだよ、こうしては駄目なのよと、行動の先取りをして育てられた子どもは、親に依存しているので自立できていない。絶対的な自己肯定感も確立されていないので、苦難困難があるとすぐに挫折してしまう。

 教養があって学歴が高く、知能が高い親は、完璧な親を演じやすい。それに、子どもの前では感情を表出することも少ない。喜びや嬉しさ、悲しさや寂しさも、子どもの前ではあまり見せない。さらには、純粋なインナーチャイルドを子どもの前では、絶対に見せない。非の打ちどころのない親を持った子どもは日々息苦しさを感じる。強烈なエディプスコンプレックスやエレクトラコンプレックスを持ってしまうと、親を超越できないから、精神的な自立が拒まれる。子どもの前で完璧な親を演じ切ってはならず、マイナスの自己をさらけ出すことも必要なのである。

※まずは子どもをあるがままにまるごと愛することが肝要で、無条件の愛である母性愛をたっぷりと注ぐことが必要です。そして、4歳ないし5歳頃から少しずつ父性愛である条件付きの愛である『躾』を始めることが大切です。この順番を間違って、2~3歳ころから過干渉や過介入を繰り返して、子どもを支配してコントロールしようとしてしまうと、子どもは自己組織化せずに、親のロボットみたいな生き方になってしまいます。子どもに良い子を演じさせてしまうような子育てをしてはならないのです。教養があり学歴の高く、知能が高い親は注意が必要です。

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