誉めて育てると言うけれど

 子どもは誉めて育てろと良く言われる。また、社員も誉めて伸ばせというのは社員教育の極意として広く伝わっている。確かに適確に誉めれば、社員と子どもは伸びる。しかし、誉めることが出来ない親や上司がいるし、誉め方が実に稚拙な親や上司がいる。誉めればいいというものではない。誉め方は難しいし、間違った誉め方をすることにより、成長させないばかりか、やる気を削いでしまうことも少なくない。ましてや、自分が誉められた経験がない人間は、誉めることが出来ないのが常である。誉められないのは当然だ。

 ある有名なビジネス雑誌で、誉めることに対するアンケートを実施したことがある。誉められる人というのは、自分でもよく誉める人だということが解ったのである。ということは、誉めることが出来ない人は、誰からも誉められないということになる。親子関係で言うのなら、自分が親に誉められなかった人は、我が子を誉めないということだ。ビジネスの場面でも、誉めない人は誉められる経験をしていないということになる。確かに、いつもガミガミと怒っている上司は、滅多に誉めることをしないし、誉め方も稚拙である。誉められてもちっとも嬉しくない。

 誉めることが出来ない人は、周りの人々を観察していない。よく観察していないと、上手く誉めることが出来ないからだ。自分のことしか考えていないし、周りの人々にあまり興味がないのかもしれない。誉める為には、コミュニケーション能力が高くなければならないし、自己肯定感を持たなければならない。自分のことを心から愛することができなければ、人を認めて正しく評価して誉めることが出来ないのである。自己否定感が強い人というのは、自分のことが嫌いなのだから、他人のことも認めることが出来ないのである。

 大人になって社会に出てから、仕事で評価されて認められていくら誉められても、自己肯定感が生まれることがない。三つ子の魂百までもというが、1歳から3歳までに自己肯定感が生まれるかどうかが決まるのだ。三歳頃までに、母親からありのままの自分をたっぷりと愛される経験をしないと、自己肯定感は生まれないと言われている。母親でなくても良いのだが、豊かな母性愛を注いでくれる存在が必要なのである。三歳までに、たっぷりと愛されて誉められ続けられれば、自己肯定感が生まれて他人を誉められるのである。

しかし、誉めればよいという訳ではない。誉める際に気を付けたいのは、けっして結果や成果だけを誉めてはならないと言うことだ。出来れば、行動や姿勢、結果に至るプロセスを誉めることが求められる。何故なら、結果や成果だけを誉めると、子どもや部下は楽をして結果を追求してしまうし、周りの人々との協力をせず、周りの人々を蹴落としてでも自分の成果を上げようとするからだ。努力をせずに、結果を求めてしまうような大人や職業人になってしまうリスクがある。努力をしたプロセスを誉めてあげたいのである。

 子育てにおいて、親は立派な子どもに育てたいと思ってしまうものである。そして、親が望むような子どもに育てようとしてしまうのである。そうなると、子どもを育てる際に、他の子どもと比較してしまうし、結果や成果を求めてしまう傾向になってしまう。他の子どもよりも優秀な成績を収めたことを誉めてしまうのだ。知らず知らずのうちに、親は子どもをコントロールしてしまうし、支配してしまうことになる。子どもは、親の期待に応えようと必死になり、親の目を気にして生きるようになる。親が気に入るようなことだけをしてしまうことになる。親の操り人形のような生き方をしてしまうのである。

 親の誉め方が間違うと、とんでもない子どもに育ってしまうことはよくある。アスペルガー症候群のように、特定の部分だけに興味を持ってしまうことになる。だからこそ、結果や成果だけを誉めることは避けなければならない。日頃の行動の中で、懸命に努力をし続けたり、挑戦を諦めなかったりする態度を誉めなければならない。また、誰かのために優しさを発揮したり思いやりの行動をしたりした時こそ誉めるべきなのだ。例えば、玄関に脱ぎ散らかした他の人の靴を、そっと揃えてあげるようなことをした時にこそ、誉めてあげたいものである。そうすれば、人の為世の為に貢献できる立派な人材に育つことであろう。

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