日本の学校でいじめ問題が起きると、いじめられている子どもを守るにはどうしたら良いかという点が重要視される。まずは、教師たちはいじめられている子どもを助けることに努力する。いじめている子どもを教師たちは注意するが、二度といじめ事件が起きないように徹底的に予防対策を取るようなことはしないものだ。酷い教師になると、いじめている子どもといじめられている子どもを対面させて、仲直りの握手をさせるというような青春ドラマの再現のような愚策を取るケースもある。まったく見当はずれの対応だ。
いじめられている子どもは、けっしてそのことを親にも言えないし教師たちにも言えない。何故なら、いじめを告白してもいじめを解決してくれないことを知っているからである。いじめを告発したら、いじめは益々酷くなることが解っているのだ。それだけ、子どもは親を信頼していないし、教師たちのこともまったく信じていないのである。学校と言うのは、いじめを隠したがるし、いじめを解決する能力を持った教師がいない不幸な場所なのである。だから、いじめを積極的に探索しようともしないし、解決しようともしないのだ。
日本の学校でいじめ事件が起きると、いじめを受けている子どもにカウンセラーを対応させる。しかし、いじめている子どもをカウンセリングするケースは殆どない。ところが欧米においては、いじめている子どもにもカウンセラーを充てることが少なくない。何故なら、いじめをしている子どもの心は、とてもひねくれているし傷ついていることが多いからである。日本の学校においては、いじめをする子どものメンタルに問題があるという観点を持つ関係者は皆無なのである。だから、日本の学校ではいじめがなくならないのである。
日本の教師たちは、いじめを受けている子どもにも問題があると考えている。しかし、いじめをしている子どものメンタルに問題があると考えている教師は殆どいない。いじめをしている子どものメンタルは正常だと考えている。しかし、いじめられる子どもの心よりも、いじめている子どもの心は大きな問題を抱えていることが多い。いじめをしている子どもは、傷ついた愛着や不安定な愛着を抱えていることが多い。愛着障害と言っても過言ではない。深刻な自己否定感を抱えているし、愛情不足で苦しんでいることが多い。
いじめをしている子どもの両親は、共に高学歴で裕福な暮らしをしているケースが多い。いじめをされて、不登校に追い込まれてしまっている家庭の両親も同じようなケースが目立つ。いじめられる子どもの愛着も傷ついているので、エネルギーが低下しているから、どうしてもいじめの対象者になることが多い。いじめをする子どもは、愛着が不安定であり自己否定感が強いから、自分の方が優れているという主張をするために、いじめをしてしまうのである。親から支配され制御されているばかりか、ダブルバインドの子育てをされている。
いじめをする子どもの心は深刻な闇を抱えている。小さい頃からの育てられ方に問題があり、愛に飢えている。一見すると、ごく普通の親に育てられて、愛情もたっぷりと受けながら育てられているように見える。しかし、その愛情というのは、無条件の愛ではなくて、条件付きの愛である。つまり、親の思った通りに行動する子どもじゃないと、愛さないよという親のサインを受け続けて育ったために、本物の自己肯定感が育っていないのである。こういう子どもは、周りの子どもを否定することで、セルフイメージを高めようとしがちである。
傷ついた愛着、または不安定な愛着を持った子どもは、いじめる側になるケースと、いじめられるケースになることがある。このような愛着障害の子どもは絶対的な自己肯定感を持たない為に、不安があり自分に自信がない。不安な為におどおどした態度を見せることが多く、いじめられる対象になることもある。一方では、自分の不安さを隠す為に、激しい攻撃性を見せて、自分と同じ不安を抱えている子どもを否定したくなりいじめるのである。自分と同じ不安定さを相手の子どもに発見した時に、自分にあるマイナスの自己を持つ相手を否定したくなり攻撃するのである。いじめることは悪いことで絶対に許せないが、こういう攻撃性を見せる子どもこそ、救ってあげないといじめはなくならない。