職場でも家庭でも、そしていろんな場面で言い争いになってしまうことがある。そういうケースでは、ついついエキサイトしてしまい、相手を言い負かしてしまいそうになることが多い。人間という生き物は、感情が理性を凌駕してしまうことが良くあり得るし、言い争いでは特にその傾向が強くなる。明らかに圧倒的な権力を有する相手には、不本意ながら屈するが、自分と同等か下位にある者には言い負けたくない気持ちが強くなるらしい。
家庭においては、親子が言い争いになれば、親が子を言い負かそうと必死になる。夫婦が言い争いになれば、夫は妻を言い負かさないと気が済まない。しかし、言葉を操るのが上手な妻から逆に返り討ちになりやすい。そういうケースでは、言い負かされた夫は不機嫌な態度をするか沈黙するし、最後には妻を恫喝する場合が多い。そして、何らかの形で夫は妻に対して優位に立とうとする傾向が強い。夫婦間での言い争いは、負けた方も勝った方も後味が悪く、後悔の念が残る。
職場における言い争いは、大きいものから小さいものまで様々である。会議や打ち合わせにおいても、しばしば起きてしまう。討論ではなくてディベートのような雰囲気になることも少なくない。感情的になってしまうこともあるし、しこりを残すことも多い。言い争いになってまった際に、とことん討議をすることなく結論を出さないで終了するケースもあり、その後の業務に影響する場合もあり得る。言い争いは感情的な負のしこりを残す。
恋愛している相手と言い争いになることもある。友達どうしでも、お互いの主張がぶつかり合い、言い争いになることもあり得る。そんな場合、どちらかが降りればいいのだが、なかなか譲れない気持ちが強い。特に仲がよい相手であり、利害関係が強くなると、相手に合わせることが出来にくくなる。後に引かないような仲直りが出来れば、お互いの関係性はさらに深まるので、言い争いも時には必要なことである。しかし、言い争いが原因で二人の仲が壊れることも少なくない。後から後悔しても、既に遅いということもある。
人間というのは、言い争いをして勝つことが出来れば満足して元気も出るが、負けた方はエネルギーを削がれる気がするものだ。そして、負けた方は後々までその気分の落ち込みを引きずってしまうのである。また、言い争いで負けたとしても完全に屈服した訳ではなく、自説を諦めて手離したのではない。勝ち誇った方は一時的には自己満足するのだが、言い負かされた相手に何となく気まずい思いを抱き続ける。そして、お互いにぎこちない関係になってしまうことが多いのである。
言い争いというのは、よくよく考えてみると何とか共通の課題や問題を解決しようとか、今よりもさらに改善しようとして、お互いに真剣に議論をするから起きるのである。だから、全体最適を目指しているのである。そして、それが実現すれば共にその恩恵を受けるのである。したがって、その全体最適化によってお互いの関係性が深まるし豊かなものになる筈なのである。とすれば、自説を曲げずに相手を言い負かすことにだけ集中して努力するというのは、本来目指すものとは違ってしまうことになる。言い争いで勝利を得ることだけを目指せば、相手との関係性も低劣なものになってしまう。
言い争いになりそうな時、または不幸にも言い争いになってしまった時に、勝つことに対するこだわりを捨ててみるのも必要ではないだろうか。自説の正しいことだけを主張しないで、ひとまずは自説を保留するのである。自説が絶対に正しいと思っても、相手の認識や考え方に傾聴し共感してみるとよい。そうすると、相手の気持ちがよく解るし、そういう主張になってしまったプロセスが良く理解できるのである。そうすれば、相手の主張における根底的な間違いにも気付くのである。
その上で、相手の間違いを指摘して糾弾するのでなくて、相手が自ら気付くように優しく丁寧に質問するとよい。回りくどいやり方ではあるが、相手の論理的欠陥を直接的に指摘することだけは絶対に避けたい。というのは、相手の尊厳を傷つけてしまうからである。言い争いは感情的になりやすいが、その怒りに及ぶ感情を相手にぶつけてはならないのである。相手との関係性を損なうと、全体最適が遠のいてしまい、問題解決や改善が出来なくなるからである。家族、職場、地域などのコミュニティが壊れてしまうのである。言い争いになったら、勝ちたいという気持ちを一時的にも保留することを薦めたい。