べてるの家とオープンダイアローグ

べてるの家という精神障害者の自立支援施設がある。北海道の浦河町という片田舎にあるこの施設には、世界中の精神保健に携わる多くの人たちが見学にやってくる。先進的な精神障害者の支援をしているからである。支援というと健常者が障害者をサポートしているように思われるが、このべてるの家はまったく違う。障害を持つ当事者どうしが支援しあうのである。さらに障害を持つ人々は、障害を克服することを目標としない。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、彼らはあるがままの自分を認め受け入れ、そしてその障害さえも楽しんでいるという。そういう意味では、オープンダイアローグを実践している施設だと言える。

べてるの家では、毎年べてるまつりというイベントを開催している。その中で、幻覚妄想大会が行われ、当事者たちが自分の幻覚妄想を発表しあっている。自分たちが持っている障害を恥じることなく隠すことなく、当たり前のようにカミングアウトしている。障害があることを特別視していない。そして特筆すべきなのは、べてるの家においては三度の飯よりミーティングが好きだということである。毎日のように当事者どうしが集まってミーティングをしている。そしてそのミーティングでは、オープンダイアローグのように参加者すべてが、心を開いた対話を実践しているというのである。

オープンダイアローグでは、セラピストがクライアントに対して、否定しない、介入しない、指示しないことを徹底している。そして、診断しないし、治療の見通しも述べないし、治療方針も明らかにしない。あくまでも、クライアントの症状だけに注目して、その話に傾聴して辛さや悲しさに共感するだけである。べてるの家でのミーティングでも同じように、傾聴と共感を基本としている。そして、参加どうしが、けっして否定しないし指示しないし介入しないのである。そして、自分の症状をありのまま話して、それを認め受け入れてもらうことで、不思議と症状が緩和される。べてるの家の利用者の薬物摂取量は、極めて少ないという。

べてるの家は、そもそも赤十字浦河病院という精神科病院から退院した患者の受け皿として設置された支援施設である。べてるの家での支援によって、再入院する患者がいなくなり、入院施設が不要となり閉鎖されたのである。オープンダイアローグを実践し続けたケロプダス病院があるフィンランドの西ラップランド地方では、統合失調症を新規に発症する人がいなくなったことと、非常に似通っている。適切な医療と支援があると、地域全体が変革するのである。オープンダイアローグとべてるの家の支援は、実に効果的なコミュニティケアだと言えよう。

日本の精神科医療は薬物投与に依存している。フィンランド発祥のオープンダイアローグ療法では、原則として薬物療法をしない。ごく稀に、精神安定剤を投与することもあるが向精神薬は処方しない。統合失調症でさえも薬物療法をしないのである。日本では、統合失調症ならば、100%向精神薬を処方する。そして、日本の精神科医療において、減薬・断薬に取り組む医師は殆どいない。一度向精神薬を投与された患者は、本人が通院を止めない限り、ずっと投薬が続けられる。べてるの家の利用者は、ごく普通に減薬・断薬をしているという。それも、利用者自らがそれを決断して、医師と相談して進めているというから驚きである。

べてるの家とオープンダイアローグの類似点がもうひとつある。それは、この療法や支援が行われている地域が大都会のような都市部でなくて、どちらかというと片田舎と呼べる地方で発祥し進化しているという点である。実は、これが重要な点ではないかと思っている。べてるの家やオープンダイアローグのような療法や支援というのは、大都会のようにコミュニティがまったく機能していない場所では、実践が難しいと思われるからである。大都会のように、コミュニティが崩壊していて、人々の関係性が希薄になっていて、お互いを支えあう関係がまったくないような地域では、成功しなかったのではないかとみられる。

実際に、べてるの家のような活動は、都市部においてはまったく取り上げられていないし、広がりを見せていない。オープンダイアローグも同様である。ということは、日本でもしオープンダイアローグが定着するとすれば、都市部ではなくて、コミュニティの機能がまだ存続している、東北地方の片田舎ではないだろうか。地域の方々の温かい協力や支援が必要だと考えるからである。是非、イスキアの郷しらかわ周辺でこのオープンダイアローグ療法を広めて行きたいと密かに思っている。共感してくれて、協働を申し出てくれる精神科の先生が手をあげてくれるのを期待している。

 

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