自然体験は心を癒してくれると言われている。だから、心の癒しを求めてグリーンツーリズムを楽しむ人が増えている。グリーンツーリズムにおける自然体験というと、ハイキングやトレッキングが主となる。または簡単な自然観察もあるし、本格的な重登山もある。グリーンツーリズムにおける自然体験はハイキング程度が多いと思われる。近くの野や山をハイキングすることで、疲れて折れてしまった心が癒されるのであろう。
自然体験がどうして心を癒すことに繋がるのであろうか。まずは、都会の喧騒、または職場のストレス、さらには家庭も含めた人間関係に疲れ切った心が、まったく別の環境に置かれることによる効果ではなかろうか。自然が豊かな環境は、普段は体験できないものである。いつもと違う環境で、何もかも忘れさせてくれる雄大な自然によって、人間の心は癒されるに違いない。人工物に囲まれた空間ではありえない、普段と違う景色、匂い、風、音、ゆらぎによって癒されるのではないだろうか。
自然の中にある樹々がフィトンチッドという物質を出していて、そのフィトンチッドによって自律神経が正常になるとも言われている。都会のストレスフルな生活は、自律神経の交感神経をあまりにも優位にしてしまう。そうすると、コルチゾールというステロイドホルモンが分泌されて、緊張状態に置かれてしまい高血圧や心拍数過多の状態になる。フィトンチッドは自律神経の副交感神経を活性化させて、調整してくれる働きを持つと言われている。森林浴をすることにより、このフィトンチッドを浴びて、心を癒す効果が出てくる。
現代の仕事は、デスクワークやパソコン業務が主となる。営業の紹介資料や報告資料作りが主となるし、企画書や提案書の作成は勿論PC作業となる。工場における品質管理や製造・出荷管理もすべてPCで管理している。仕事中は殆ど歩かないし、ましてや力作業なんて殆どない。グリーンツーリズムにおける自然体験のハイキングは、運動不足の身体にぴったりである。豊かな自然の中を歩くという運動が、血流などの体内循環を促進し、停滞している心を動かすことで、癒しの効果が出ると思われる。
自然をよく観察していると見えてくるものがある。美しい花々や樹々を観察し、可愛らしい小鳥や小動物を見ることが多い。花々を見ていると、野の花は清楚で可憐な姿に感動する。樹々の葉、枝、幹の美しさと不思議さに目を奪われる。そして、丁寧に観察すればするほど気付くことがある。同じ花や葉っぱがひとつとしてないのだ。みんな違っているのである。これが、生物の多様性なのである。どれも同じ花に見えるが、よくよく観察するとどこか少し違うのである。
生物の多様性というのは、何故あるのだろうか。例えば、同じ時期に芽生え花が咲いて散るのであれば、突然の天候変動があれば、種の全体が死滅する。突然の天候変動にも、その環境に強い植物があれば生き残ることが出来る。種の保存のために、違いがあるのではなかろうか。人間も、みんな違っているというのは、ひとつは種の保存のためにあるのは間違いない。人間の姿がそれぞれ違っていることで、相手と自分を特定できる。皆が同じだったら、判別できないのである。違っているからこそ相手と自分の相違点を発見し、自分の自己成長が可能になるのだ。相手に嫌な部分を発見すれば、そうならないようにしようと努力するし、良い点を見つけたら自分もそうなりたいと思う。こうして、違いがあるからこそ人間が進化してきたのである。自分が周りの人々と違っていても怖れることがないのだと悟り、安心して心が癒される。
自然体験は、さらなる学びや気付きを与えてくれる。自然とは、我々人間の力ではどうにもならないものである。人間なんて自然の猛威の中では無力なのである。自然を支配し制御することなんて、所詮無理なんだということを自然の中にいると気付く。世の中には、このように人間の努力や悪あがきが通じないものがあり、流れに身を任せるしかないことがあることを認識するのである。雄大な自然の中にいると、自分の存在なんて実にちっほけなものだということも実感する。だから、自分の悩みなんてこの地球全体から見たら、ほんの米粒みたいなものだということを体感するのである。誰かを支配しよう、誰かを制御しようとする愚かさを知り、自分の悩み・苦しみがちっぽけだということを知る。だから、自然体験は私たちに多くの学び・気付きを与え、不安から遠ざけて心を癒してくれるのである。
※イスキアの郷しらかわでは、いろんな自然体験メニューを用意しています。そして、自然体験をしながら、いろんな話をさせてもらっています。生物の多様性、自然の前での無力さ、自然の雄大さと自分の悩み、自然観察で気付くセンス・オブ・ワンダーなど、自然の中を歩きながらのレクチャーは机上とは違った深い学びがあります。問い合わせフォームからご相談ください。