政府主導で働き方改革を進め始めている。この働き方改革というのは、労働者視点からのものならば大歓迎である。しかし、産業界における労働力不足を解消するための方策としての働き改革であるとしたら、絶対に認められないものだと言えよう。労働力不足を何とかしたいし、安価な労働単価で働かせるには、子育て世代の女性をパート就労させるのが手っ取り早いと考えるのはあまりにも安直である。そのための働き改革ではないかと思えて仕方ない。こんなものが働き方改革だとしたら、絶対に賛成できない。
政府自民党は常に産業界・経営者団体にとって都合の良い政策を推し進める傾向にある。表面的には国民の利益を代弁しているように見せかけながら、実際は経営者側の観点から労働政策を進めているとしか思えない。みなし労働制の導入や派遣労働法の改正など、労働法制の改正はすべて労働者の不利益にしか思えない。配偶者控除の見直し政策も、安い労働力を得るための安易な方策であろう。厚労省のキャリア官僚は、おしなべて政府自民党の言いなりになっている。国民目線での法改正は、まったくないのが現状である。
本来、高級官僚を始めとした行政職というのは、国民の利益を守るべき立場にあるのが正しい。ところが安倍一極体制があまりにも強固であるが故に、官邸に対して何も言えなくなっている。何故かと言うと、官邸がキャリア官僚の人事権を掌握しているからである。しかも、退官後の再就職さえも官邸が主導しているのである。こんな国は、独裁国家以外には世界中のどの国にもない。これでは、官僚が国民の忠実な僕(しもべ)ではなく、政府官邸に従順な僕になるのは当然である。官僚としての矜持を持てと言っても、がっちり鎖でつながれて支配されているのだから、所詮無理であろう。
このような政治と行政なのだから、働き改革がどんなものになるか想像できよう。産業界・経営者団体から多大な政治献金を受けている自民党が、労働者と経営者のどちらに有利になる政策を推し進めるのか、自明の理である。働き方改革は、大賛成である。それが労働者の意欲や勤労意識を高めることに寄与し、働くことの喜びを享受することが可能になるならばである。ところが、政府自民党の推し進める働き方改革は、どうやらその反対の方向に向かっているとしか思えないのである。
本来の働き方改革というのは、現状の問題点を解決する方向に向かわなければならない。現在の日本における働き方で問題になっているのは、まずは労働分配率のあまりにも低さである。欧米の比率から見ると、明らかに低いのである。大企業の内部留保があまりにも多いし、役員報酬にばかり利益が分配され過ぎである。これをまずはどうにかしなければならない。労働者の基準賃金があまりにも低いから、長時間労働を余儀なくさらされ、残業手当で補わなければ生活が出来ない状況に陥っている。日本の第三次産業や事務一般職における労働生産性は、先進諸国の中で最悪である。これらの問題を優先的に解決するのが、本来の働き方改革であろう。
これらの諸問題を抜本的に解決する働き方改革をするには、どうしたらよいであろうか。それは、経営者と労働者双方の抜本的な意識改革がまず必要であろう。生産性を向上するには、労働者と管理者の意識を大改革しなければならない。残業は必要悪なんだという考え方をまずは払拭しなければならないし、休日残業はしなくても必要な業務は遂行できるという意識を持つことが必要である。初めから残業ありきで仕事をすることが脳に刷り込まれている日本人が殆どである。それを、残業しなくても仕事を遂行するにはどうしたら良いかと考えるのである。欧米のビジネスマンは、夕食は家族そろって団らんする時間をどのように確保するのかが絶対的命題である。それを成し遂げるために労働スケジュールの配分をする。日本人だけが出来ないということはあり得ない。
日本人労働者は、残業労働するのを美徳と考える向きがあり、サービス残業を喜んでする社員を重用したがる。朝から、終業時刻を目安として働くのではなく、午後11時から12時を退社時刻設定にしてスケジュールを組むのが常である。この間違った意識を破壊することが必要であろう。喜びを感じながらイクメンに勤しんでいるビジネスマンは、実際に残業をせずとも他の労働者と対等の労働成果を上げている。そういう管理職も増えてきている。それが出来ないビジネスマンは、これからは落ちこぼれになっていくだろう。労働生産性を上げる為には、抜本的なイノベーションが必要である。それで労働生産性が上がれば、基準内賃金を高めることに経営者も着手しなければならなくなる。残業手当がない労働報酬を基準にする働き方をすべきである。経営者自ら意識改革に取り組み、労働生産性を上げる努力をすることこそが、真の働き方改革につながることだろう。