駄目な親が子どもの健全育成を阻害するというのは、誰でも理解しているが、完璧な親もまた子どもの育成に悪影響を与えるということは、あまり知られていない事実である。特に男の子というのは、父親に対する憧れと尊敬が存在するものだが、あまりにも完璧で偉大な父親だと、子どもの自尊心が育ちにくくなり挫折してしまうことが往々にしてあるのである。自分の身の回りで、こういう親子が多いことに気付くことであろう。教養も高くて社会的な地位と名誉もあり、非の打ちどころもないような父親の息子が、問題行動をするケースが少なくないのである。
芸能人の世界でもよくあるケースであるが、一流の芸能人の子どもが薬物中毒事件を起こすことがある。スポーツ界では、超一流のアスリートの子どもは同じスポーツで大成することが殆どなくて、どちらかというと二流で終わることが多い。例えば、プロ野球の野村監督の息子や長嶋監督の子どもが二流のままで終わったのは以外に思った人も多いことであろう。ただし、親と違う種類のスポーツ界では大成することがある。中小企業のオーナー社長で、一代で大成功を収めた二代目または三代目は失敗することが多いし、跡を継ぐのを嫌がって違う仕事を選ぶケースが少なくない。
ある日の我が家の食卓で、17歳になる三男と父親(私)の会話である。
三男「今日学校で先生がエディプスコンプレックスという話をしてくれたよ。お父さん知っている?」
私「勿論、知っているよ。父親に対する息子の劣等感だろう」
三男「そうだよ、オイディプスというエジプトの王子が父親の王様を殺して、母親と結婚する話だよ。それから転じて、父親を精神的に乗り越えることが出来ないと、一生エディプスコンプレックスを持つことになり、自己肯定感を持つことが難しくなるらしいよ」
私「へえー、そんなことを教えてくれる先生がいるんだ。それはいい先生だ。だから、非の打ちどころがない完璧な人格を持ち、誰からも尊敬され名声も地位もある父親だと、子どもは父親を乗り越えることが出来ずに、一生苦しむことになるんだよ」
三男「そうそう、そんなことを先生も言っていた。だから、立派過ぎる父親だと乗り越えるのに苦労するらしいよ」
私「そうなんだよ、お前がお父さんを乗り越えるのに苦労すると思い、完璧な親ではなくて、わざといい加減で駄目な父親を時々演じてあげているんだよ。時々、酔っ払ったふりして、どうしようもないなと思えるような親を見せているんだからね」
三男「そんな無駄なこと必要ないよ。僕はとっくにお父さんを乗り越えているよ。僕はお父さんの遥かに上を行ってるからね。もう駄目な親を見せなくてもいいんだよ」
私「えっ、・・・・・」
妻「そりゃ、息子のほうが一枚も二枚も上だね、確かにあんたのほうが負けてるよ」そう言って、他の息子たちと大笑い。私はショックで何も言えず苦笑い。
偉大で完璧な親を乗り越えられないことにより、すべての自己否定感が生まれる訳ではない。他にも自己否定感が生じる様々な原因がある。しかし、このエディプスコンプレックスはやっかいなものであり、実際にこのコンプレックスをずっと持ち続けるが故に、自分に自信がなくなり、苦難困難に立ち向かうチャレンジ精神を持てなくなり、逃避性の性格を持ち続けるケースがある。また、依存性のパーソナリティが強く残ってしまい、自立が阻害される例も多い。つまり、不登校や引きこもりに陥るケースが少なくないのである。社会的地位や名声を持ち、立派な学歴や教養を持つ親は注意が必要であろう。
非の打ちどころがなく完璧で立派な親の後ろ姿を見せるのは構わないが、時々は弱くてどうしようもない人間臭い親の姿を、子どもに見せることも必要ではないかと思う。そうすれば、子どもは安心して親から自立して羽ばたいていくに違いない。そのためには、深い親子の触れ合いが大切である。子どもが寝てしまった後に深夜帰宅して、休日にも出勤してしまうような親は留意しなければならない。または、単身赴任の親も要注意だ。時には、親子でじっくりと時間を共有して、弱くて駄目な人間や子どもじみた親を演じるのも必要なのではないだろうか。完璧な親を演じるのだけは止めようではないか。