我が子を素直に愛せない母親

自分の子どもを素直に愛せない母親が多いらしい。虐待やネグレクトをするような母親は論外であるが、我が子に対して何となく違和感を持ってしまうというのである。本来、母親は我が子を目に入れても痛くないというように、無条件の愛を持つと考えられる。自分の子がどんなことをしても何を言っても、そのことを許せるし、我が子のすべてを受け入れる筈なのだが、今の母親たちは我が子を冷めたい目で見てしまうらしい。何となく我が子に対して、よそよそしく感じたり、逆に遠慮したりするような感覚を持つという。

だから、我が子をただ思いっきり抱きしめたり、一緒にお風呂に入りふざけ合ったりなどのスキンシップが苦手だという母親が多いという。そんなふうだから、子どものほうも何となく母親に対して遠慮がちになっていて、ついつい良い子を演じてしまいがちになる。または、母親に気に入られようと、無理してしまうことにもなる。そんなぎくしゃくしている親子関係が少なくないという。つまり、本来あるべき母性を、持てないでいる母親が多いみたいである。母性とは、本来無条件の愛である。言わば、絶対的な寛容と受容の愛である。すべてを許し、すべてを受け容れる愛なのだ。これが、母親として本来持つ愛情なのだが、それが出来ないらしいのである。

こういう親子関係であると、自分は愛されていないということを子どもは敏感に感じてしまう。子どもたちに個人アンケートを取ってみると、自分が愛されていないと感じる子どもはいじめに走ったり、いじめに加担したりしているケースが非常に多いという結果を示す。または、愛されていないと感じていると、自己肯定感が育たなくて不登校やひきこもりに陥りやすいとも言われている。自分が愛されないのは、自分が悪い子だからと勘違いするからであろう。つまり、親から愛されていないと感じる子どもは、問題行動を起こしやすいということである。

そんな親子関係に陥ったそもそもの原因は、父親にあるのではないかと想像している。つまり、夫が妻を深く愛してないから、妻である母親は我が子を深く愛せないのではないだろうか。愛は一種のエネルギーだと考えている。愛と言うエネルギーをたくさん注ぐ為には、そのエネルギーをたくさん受け取り続けなければならないし、枯渇してもすぐに補充できるという安心感が必要だ。人は無条件の愛というか、見返りのない愛を注がれたときに、我が子に対して至上の愛を与えることができる。でも、夫婦間にある愛は、条件付きの愛というか見返りを求める愛に陥ってしまっていることが多い。だから、我が子を素直に愛せなくなっているのではないかと思うのである。

今、離婚を決意する母親が多い。どうしようもなくて、シングルマザーを選択せざるを得ない母親が急増している。こういう社会になっている背景には、上記のような状況が要因としてあるのではないかと思う。本当の愛を受けられなくて、いつも惨めな思いをするなら、1人になって我が子を育てたほうがいいと思うのだろう。その決断はある意味正しいと思う。そして、新たな出会いを通して真実の愛を見出す人も中にはいる。しかし、なかなかそういう新しい伴侶に巡り会えない人が大多数だし、また同じような伴侶を選んでしまう女性も多い。何故なら、この世の中には圧倒的に、妻を支配して制御したがる男性が多いからである。

伴侶を自分の思い通りになるように、コントロールしたり支配したりする愛は、本当の愛ではない。これは相手からエネルギーを奪い取る、不当な愛である。本来は相手に与えるだけの愛を注ぎたいし、見返りのない愛を感じてもらいたいものである。そういう無償の愛というエネルギーは連鎖していく。豊かな愛は妻から子へと循環していく。こういう愛を豊かに注げるような男性を育ててこなかったのは、私たちの世代が子育てを間違ったせいかもしれない。今からでも遅くはない。家庭の中で豊かな関係性を築くことができる人間を育てる努力をするべきであろう。家庭教育だけでなく、学校教育においても人間教育を充実させたいものである。

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