10年後には認知症になる人が、なんと750万人になると厚生労働省の研究班が発表した。65歳以上の高齢者における割合からすると、20%の高率になる。つまり、5人に1人が認知症になるということになる。由々しき大問題である。何故なら、これでは老老介護の家族が益々増加するし、福祉施設はいくつ新設しても足りなくなると予想されるからである。さらに、その医療費負担によって健康保険料は高騰するし、介護保険料の負担金も多大なものになるのだ。それだけではない。国の財政負担も相当な高額になり、消費税10%では賄いきれなくなり、20%から30%の消費税を徴収しないと福祉財源を確保できなくなる。年金財政の破綻や国の財政破綻も、かなりの確率で起きるだろう。
認知症に対する効果がある治療は、現在のところ見出されていない。多少の進行は遅らせる効果がある薬は開発されているが、それも限定的な効果しかないのが現状である。予防効果のある薬もないし、一度なってしまった認知症を劇的に改善する薬は皆無と言っていい。だからこそ、認知症にならないための予防策が大切なのである。とは言っても、認知症になる原因は完全に解明されている訳ではない。だから、認知症を完全に予防する対応策も取れないのである。これだけ科学や医学が発達しているのに、脳科学の進歩は非常に遅れている。特に脳の細胞学は、まだまだ未解明の部分が多く、認知症を含めた精神障害を脳科学的に解明して予防する方法は未だ確立されていないのだ。
ただし、ある程度予防疫学的な対応策は提起されているし、認知症を予防する生活習慣があるらしい。例えば、運動をすること、偏った食生活を避けること、アルコールを多量摂取しないこと、ストレスを溜めないこと、良質な睡眠をとること、くよくよしないこと、社交的に生きること、というようなことである。また、身勝手で自己中心的な人、怒りやすい人、他人と軋轢を生みやすい頑固な人、内向的な人などは認知症になりやすいことが解っている。つまり、人間としての生き方や人間性そのものが、認知症になりやすいかなりにくいかの分岐点になっているというのである。ということであれば、生き方に気をつければ、認知症はある程度予防できるということになる。逆説的に言うならば、認知症というのは、生き方に間違いがあるとなりやすいということになる。
勿論、認知症にはいろんな種類があり、それだけで認知症を完全に予防することにはならないが、生き方によって認知症になりにくいというならば、生き方を変える努力をしたいものである。しかしながら、生き方を変えるというのは、一筋縄ではいかないものである。何故なら、人間というものは一旦作り上げたメンタルモデルを変えるというのは、殆ど不可能に近いからである。特に、中高年になった人間というのは、余程のことがない限り、メンタルモデルを自ら変えようとはしないからである。特に認知症になりやすい人というのは、頑固者が多いという。認知症になりやすい人は、柔軟な発想や考え方が出来ないし、寛容性や受容性も低いという共通点もあるのは、そのメンタルモデルが影響しているとも言えよう。つまり、メンタルモデルのクオリティが認知症になるかどうかの分岐点になるということになる。
言い換えると、そのメンタルモデルのクオリティも認知症発症の重要なファクターと言えるのである。心の底から人々の為に尽くすことが無上の喜びと思えるメンタルモデルなら、認知症にはならないであろう。ただし、他人に自分をよく見せようと、自分自身を偽って無理してボランティアをするような人のメンタルモデルのクオリティはけっして高いとは言えない。自然体で無理せずに、人の幸福に寄与できるような人のメンタルモデルなら認知症にはならないと言える。何故なら、人間の脳細胞を含めたすべての細胞には自己組織性があって、全体最適の為に働くのだ。つまり、自己中心的で身勝手な生き方しか出来ないようなクオリティの低いメンタルモデルの人は、細胞が喜ばないから少しずつ細胞が滅んで行くのである。60歳の定年を迎えて、今まで充分働いたから、今度は自分の為にだけ時間と金を使おうなんていう老人は気をつけたほうがいい。細胞が死滅していくに違いない。いくつになっても社会全体の幸福に寄与するような活動に取り組み、細胞を生き生きとさせる生き方をして、認知症を防ぎたいものである。