もはや陰謀論は依存症になった

 陰謀論にはまってしまった親族に非常に困惑してしまっている人々が多数存在する。親とか配偶者とか、実の我が子が陰謀論を信じ切ってしまい、生活にも大きな影響を受けてしまっているというケースが少なくない。そして、一旦陰謀論を信じてしまった人というのは、助言や正しい情報にも聞く耳を持たなくなる。親の言葉にも耳を貸さなくなるのである。陰謀論は唯一の真実であり、一切疑う事をしないし、科学的な根拠を示しても耳を傾けようともしない。もはや陰謀論依存症と言えるような状況である。不安感や恐怖感が強いので、自分が不遇なのは社会のせいで、自分の責任ではないと思ってしまうのだ。

 陰謀論依存症から抜け出すのは、とてつもなく困難である。何故なら、依存症だという自覚がないからである。アルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症などその他の依存症ならば病識がある。しかし、陰謀論依存症は自分がフェイクニュースに騙されているという感覚がないので、どんなに嘘なんだと説得されても、自分の認識を変えることはない。陰謀論を信じない人こそが騙されていると思い込んでいるのだから、どうしようもないのだ。特殊詐欺がなくならないのとまったく同じ構図で、騙されている認識が全くないのである。

 NHKスペシャルのドキュメントでも放映されていたが、陰謀論にはまってしまった親族をどうにか現実に引き戻そうとするが、非常に困難である実例が示されていた。冷静に考えると、陰謀論は極めて矛盾している論理であるから、その嘘に誰でも気付く筈なのであるが、まるでカルト宗教のように信じ切ってしまうのである。あたかも、オーム真理教における洗脳のような状況に置かれているのである。洗脳をしたのは、特定の誰かではない。不特定多数のネットにあげられた情報によって洗脳されているのだから、始末に悪い。

 実在の人物によって洗脳されているというのなら、その特定の人物に洗脳を解かせるということも出来よう。しかし、不特定多数の者がこれでもかというくらいに嘘の情報を次から次とあげている。しかも、それを拡散している者が真実だと思い込まされているのだから、なおさらフェイクニュースに引っ掛かりやすいのである。陰謀論はスピ系の人たちがはまりやすいということもあり、スピ系の情報発信をしている人たちも偽情報の拡散をしている。スピ系の人たちは元々科学的検証を信じようとしないから、困るのである。

 陰謀論が科学的、または論理的に破綻しているということを簡潔に証明してみよう。陰謀があるという人の主張は、闇の勢力(闇の政府=ディープステート)が存在していて、自分たちの利権や権益を守る為に、様々な政治や経済面での陰謀を起こして世の中を操作しているというものである。そして、闇の勢力は社会の善良な市民たちを分断させて、権力に歯向かないようにするばかりか、お互いに協力させないようにしていると言っている。しかし、こういう情報を垂れ流すことは、逆に社会の分断や断絶を起こしているのである。

 もし、これらの陰謀が本当にあったとしても、陰謀論者の主張は社会の分断と不信を招いてしまっているのは事実である。もし、陰謀を企む人がいたとすれば、逆に陰謀があるという情報を流されて社会の不信と分断を起こすのは好都合ではなかろうか。権力者や為政者というのは、市民が団結したり統合したりすることが、何よりも避けたいことである。陰謀論を展開してもらうのは、闇の勢力にとってもありがたいことなのである。まんまと彼らの術中にはまってしまっていると言えよう。陰謀の真偽は解らないが、陰謀の片棒を担いでいるのが陰謀論者なのである。

 もうひとつ陰謀論が破綻していることを、量子力学で解き明かしてみよう。量子力学(量子物理学&システム思考)で考察すると、この世(地球を含む宇宙全体)は、構成要素である素粒子(量子)が自己組織化とオートポイエーシスの機能を持ち、全体最適(全体幸福)や予定調和を目指す。すべての物体(生物)は、個別最適や個別幸福を追求すると、自己破綻(自己破滅)を起こしてしまう。地球の歴史においては、個別最適を目指し過ぎると揺り戻しが起きているのである。どうみても、大地震や台風などの自然災害は、人間とって必要だから起きていると考えられていて、けっして陰謀などによるものではない。陰謀論の論理は既に破綻しているのである。

不機嫌ハラスメントによるメンタル悪化

 フキハラという言葉がネット上で使われるようになってきた。不機嫌ハラスメントの略であり、家庭や職場で起きるハラスメントのひとつである。家庭においては、主に父親や夫がこの不機嫌ハラスメントで、子どもや妻を苦しめている。勿論、父親だけでなくて母親が子どもに対してフキハラをするケースだってある。職場では主に上司が部下に不機嫌ハラスメントをすることが多い。逆に部下が上司に対してフキハラをするケースだってあるが、その影響は周りの同僚に及ぼし、職場の雰囲気が悪化する。

 不機嫌ハラスメントが存在することは、イスキアの活動をしていて数年前から気付いていた。ようやく、社会での認知が進んできたかと、喜んでいる。この不機嫌ハラスメントは、暴言や暴力を奮うようなハラスメントよりは、影響は少ないだろうと思っている人が殆どである。➀無視、➁舌打ち、➂ため息、➃無言、⑤嫌な顔、⑥必要以上の音立て等によるフキハラは、執拗に繰り返し行われることで、ボディーブローのように心身を痛めつける。特にフキハラをしている当人が無意識で実施しているから、気付かないので始末に悪い。

 不機嫌ハラスメントを受ける側は、自分が不機嫌にさせるようなことをしたせいだと、自分を責めてしまう事が多い。平気で受け流せるならいいが、相手が地位や評価が高い人物であればあるほど、自分が悪いからだと思ってしまう傾向にある。包容力がなくてちっぽけな心の持ち主なんだなあと、蔑んだり可哀そうだと思ったり出来るならいいが、そんな風に思えないのである。ましてや、家庭においての妻が夫から受けるフキハラは深刻である。外面が良くて地位・学歴・収入の高い夫である場合、悪いのは自分だと思いがちになる。

 夫が暴言を繰り返したり酷い暴力を奮ったりするケースでは、割り切って離婚する決意が出来る。ところが、この不機嫌ハラスメントは他人には解りにくいし、そんなことぐらいでどうするのよと逆にたしなめられることも少なくない。実家の両親に話しても、あなたが不機嫌にさせるようなことをさせるからなんだから、気を付けなさいと叱られる始末である。かくして、誰にも言えずもんもんとした日常を送ることになる。そして、フキハラの影響で不定愁訴症候群になったり、原因不明の痛みを抱えたりすることになってしまう。

 中にはフキハラが執拗に何年にも渡り繰り返されることで、うつ病などの深刻な気分障害に追い込まれるケースもある。セクハラやモラハラに付随してフキハラが起きるので、妻のダメージは非常に大きい。パニック障害や複雑性PTSDになってしまう例もみられる。特に、経済的な自立が出来ていなくて夫の収入に殆ど依存せざるを得ない家庭では、妻は闘うことも逃げることも出来ず、八方塞がりの状況に追い込まれてメンタル疾患、免疫異常の疾患、線維筋痛症などの原意不明の痛みに苦しむことが多い。

 さて、そんな不機嫌ハラスメントを乗り越えるにはどうしたら良いであろうか。まずはフキハラをする人物にすべての非があり、自分にはその責任はないのだと認識することだ。不満や不備があるのなら、面と向かって言葉で伝えるべきであり、その方法を取れない人物が悪いのだと認識して良い。それを言葉として発せられない人に非があり、自分にはその責任がまったくないのだと思うことだ。二つ目は、可能ならその環境から逃げることである。職場移動を願い出ることも一つの方法であり、それも無理ならば離職するしかない。家庭では、別居か離婚しかない。

 さて、何故に不機嫌ハラスメントをするのだろうか、心理学的に検証してみたい。そもそも、フキハラを行う人物は自己肯定感や自尊心が育っていないのである。面と向かって言葉で間違いを正したり、注意をしたりする勇気がないのだ。だから、態度や表情で自分は不満であると暗に伝えようと無意識で行うのだ。そして、注意したり指導したりして、反発を受けるとか反論されたりするのが怖いのである。そもそも、こういうフキハラをする人物は、親からもそのように育てられて、愛情不足なのだ。いわば不安型愛着スタイルだから、不機嫌ハラスメントをして、相手をコントロールしようとする卑劣な輩なのだ。可哀そうだと蔑むしかない。

頑張り過ぎているお母さんへ

 不登校やひきこもり、または様々な障害を抱えた子どもの支援を長い期間やって来て、そのお母さん方の大変なご苦労を目の当たりにしてきた。一人で頑張り過ぎるくらい努力してきても、なかなか効果が見られず心が何度も折れそうになりながらも、懸命に子どもの為にと苦労されてきたお母さんたちをサポートしてきた。支援の力が足りなかったのか改善が見られず、自分の無力さに打ちひしがれることも経験した。まだまだ人間としての修行が足りなかったかもしれないし、お母さん方の頑張りに遅れを取ったことに悔やむばかりだ。

 問題を抱えているお子さんのお母さん方をサポートしてきて解ったことがある。それは、お母さんたちはおしなべて、とても頑張り過ぎているという事実である。世の中には、社会を賑わしているような毒母も確かに存在する。しかし、それはごく少数でしかない。多くのお母さんたちは、頑張り過ぎるくらい努力しているし、とても悩み苦しんでいるという事実がある。子どものことを何よりも優先して、自分を犠牲にして無理して我慢しているという姿がある。そして、不思議なことに1人で頑張っていることが多く、孤独感を抱えている。

 問題を抱えている子どもを抱えているお母さんに共通しているのは、孤立しているという事実である。勿論、お父さんもいるしお母さんの実父母や養父母がいたとしても、孤軍奮闘しているケースが多い。中にはお父さんも一緒に悩んでいる例もなくはないが、それでもどこか他人事にしか思えていないように感じるし、どちらかというと子どもの問題に対して腰が引けている。殆どのケースで、お父さんは蚊帳の外にいるか、もしくはお父さんが明らかに発達障害を抱えていて、お母さんがカサンドラ症候群になっている場合が多い。

 日本という国では、家庭における父親の存在が非常に希薄になっているケースが多い。そして、子育てにおける父としての責任を果たしていないのである。その割には、妻の子育てに対して父親は批判的な言動をするし、自分だけが子どもの理解者であるような振る舞いをするのである。厳格な父親を終始一貫演じて、厳しい躾をしてくれるなら有難い。しかし、妙に理解ある父親を演じたり、子どもに嫌われたくないと子どもの機嫌取りをしたりする。母親の苦労を台無しにしたり躾の邪魔をしたりするのだ。子どもにおもねる親は最低だ。

 すべての日本の父親が、こんな酷いお父さんだと言うつもりはない。問題を抱えている子どもの父親は、おしなべてこんな調子であるから、お母さんたちが余計に苦労しているし、頑張り過ぎてしまうのである。そして、誰にも旦那の悪口を言えず、子どもの困り事を一人で抱えて相談できずに悩み続けている。お茶をしたりランチしたりするママ友は沢山いるけど、子どもの深刻な問題を相談できない場合が多いし、ママ友たちも同じような悩みを抱えているのだから、適切なアドバイスがもらえる訳もないのである。

 問題ある子どもさんを抱えて頑張り過ぎているお母さんたちは、どちらかというと男性脳を持っていることが多い。極めて論理的思考をする傾向があり、客観的合理性の考え方をしやすい。だから、問題を分析するのが得意である。そして、批判的な思考をしやすいので、子どもが問題を抱えた原因は夫にあるとか、教師や学友などにあると結論付ける傾向がある。子どもの周りの環境に問題があると批判するだけに終始してしまうと、例えそれが事実だとしても何も変わらない。分析や批判するだけで子どもの問題は解決しないのである。

 頑張り過ぎているお母さんはまったくの孤立無援に置かれているし、心理的安全を保証してくれる存在はない。だからこそ、お母さんにそっと寄り添い心理的安全を保証してくれる第三者が必要なのである。安全と絆のアタッチメント形成をサポートする存在がいれば、お母さんは安心して自分自身を振り返り安定した心理を獲得して、お母さん自身が自ら変わり、問題ある子どもを安定させることが出来る。お母さんが不安を払拭し安定して、豊かな愛情を子どもに注ぎ続ければ、子どもの精神は見事に安定してくるのである。

※イスキアの郷しらかわは、問題を抱えている子どもを育てるのに頑張り過ぎているお母さんを、個人的にサポートするのは事情があり止めてしまいました。しかし、親身になってサポートしてくれる第三者を養成する活動をしています。子ども食堂や子どもの居場所を設置運営している方々の研修を受け入れています。これから、子どもの健全育成のための母親サポートをしている方々、またはこれからそういう活動をしたいと思っている方たちの研修を実施しています。

批判的な見方をする人ほど騙される

 世の中では、インターネット上でフェイクニュースや巧妙な詐欺サイトが横行している。リアルの世界においても結婚詐欺や投資詐欺は、より巧妙になっている。最近は、AIを利用した投資詐欺がSNSを舞台にして実行されていて、被害者が激増しているらしい。これだけマスコミやネット上で、詐欺のことが騒がれているのにも関わらず、詐欺被害者が一向に減らずに増えているとはいうのはどういうことであろうか。騙されない為には、いつも批判的に物事を見なくてはならないと言われている。本当にそうだろうか。

 それとは真逆の主張をしている著名な人物がいる。物事を客観的に、そして批判的に見てしまうと、騙されてしまう。物事を主観的に、共感的に眺めると、嘘だということが解り騙されない。このような提言をした人物とは、経営の神様と呼ばれた松下幸之助氏である。彼の元には、儲け話を持って大勢の人たちがやってきたらしい。投資話や新規事業の提案、または新製品の売り込みなど、いかにも多額の利益を生み出しそうな美味しい話を持ち込んだと言う。しかし、松下幸之助氏は一度も騙されなかったというのである。

 一代で松下電器産業という巨大企業を作り上げた松下幸之助氏の元には、多くの人々がいろんな儲け話を持ち込んでは、巧妙に脚色してリスクが少なくリターンが大きいと説明したらしい。その際に、松下幸之助氏は冷たい態度で来客に接したことはなかったらしい。いつも温かく優しい態度で、共感的に傾聴したという。けっして胡散臭い目で来客に接しなかった。そして、先入観を持って話を聞かずに、まっさらな気持ちで、相手の話に耳を傾けたというのである。だから、相手の嘘を見破ることが出来たという。

 相手は自分を騙そうとしているのではないかと、猜疑心を持って話を聞き、客観的に、そして批判的に分析的に相手の話を聞いてしまうと、逆に騙されてしまうのだと松下氏は警鐘を鳴らしている。松下氏は、主観的にそして共感的に相手の話を聞いた。相手の身になって真剣に話を聞いたのである。まるで自分のことのように、相手の気持ちを自分の気持ちに重ね合わせて共感して話を聞くと、辻褄が合わないぞとかどうも変だぞという点が見えてくるという。自分だったらこんな話をするだろうかと考えたという。だから生涯一度も騙されなかったというのである。

 すべてに対して、批判的に見てはならないということを言うつもりはない。時には批判的に客観的に論理的に分析的に見なくてはならないケースもあろう。主観的にも客観的にも、そして批判的にも共感的にもバランスよく見なくはならないということである。あまりにも批判的に見てしまうと、騙されやすいのだということを認識すべきだということを松下幸之助氏は伝えたかったのであろう。これは、日本人の男性、または男性脳を持った女性にとっては難しいことである。何故なら、客観的合理性の学校教育を受けたからである。

 明治維新後に大久保利通を中心にした元勲たちは、欧米の教育制度を真似た近代教育を取り入れた。この近代教育は、論理的思考を子どもたちに教え込み、客観的合理性をあまりにも重視した教育をしたことにより、主観的にものごとを見て共感的に人の心を読むことを一切排除したのである。このことにより、ものごとだけでなく人をも批判的に見るような人間に教育してしまったのである。日本人の多くは、人の話を客観的に批判的にしか聞けなくなり、真実を見抜けなくなってしまったのだ。だから、簡単に詐欺に騙されるようになり、陰謀論にも騙されることになったのである。

 陰謀論に取り込まれたり、オカルト宗教に洗脳されたりするのは、ものごとを批判的に見ずに盲信するからではない。あまりにも批判的に客観的に見るから、騙されるのである。騙そうとする人は、批判的に見ている人ほど騙しやすいことを知っている。特殊詐欺を計画するような人間は、批判的にものごとを見るような人ほど仲間に引き込みやすいことを解っているのである。相手の気持ちになって共感的に話を聞けば、自分のことを騙そうとしているんだなと、必ず気付く筈である。ネットで流行る陰謀論もそうだが、フェイク情報を流している人の気持ちに共感しようとすればするほど、違和感を覚えるに違いないのである。

アルツハイマー型認知症にならない生き方

 前回のブログでアルツハイマー型認知症を防ぐ方法を書き記した。今回は、もう少し詳しく具体的にアルツハイマー型認知症にならない生き方を示してみたい。以後は略して単なる認知症と記載する。さて、認知症にならない為には適度な運動と身体と脳を適切に使うことが必要だと説いたが、もう少し詳しく説明する。運動と言っても辛くて苦しい運動や激し過ぎる運動は、ストレスがかかり過ぎるので効果がないと言われている。どんな運動がいいかというと、歩くのがよい。ただ平坦な道よりも、坂道や階段がある所が最適だ。

 何故坂道や階段が良いかと言うと、足の骨にショックを与えるからだ。骨にショックや負荷を加えると、破骨細胞が減り骨芽細胞を増やすし、脳の細胞も活性化する。特に、歩くことで筋肉に負荷がかかると、脳の海馬や前頭前野が活性化する。特に自然の素晴らしい景色を眺めながら歩くと、ストレスが解消されてカテコールアミンが減少して、偏桃体が縮小する。だから、自然が豊かなところをハイキングやトレッキングで楽しむことが認知症予防になる。気のおけない仲間と歩きながらおしゃべりしたり、ランチをしたりするのも良い。

 スポーツも良いが、すべてのスポーツが良いとは限らない。高齢者が毎日走っているのを見ることがある。マラソンに挑戦したりトレランをしたり姿も見ることがある。しかし、身体に負荷をかけ過ぎてしまうと、活性酸素フリーラジカルを大量に発生させてしまい、悪性腫瘍、心筋梗塞、脳梗塞を発症しやすくさせてしまう。また対戦型のスポーツは必要以上にストレスやプレッシャーを感じさせてしまい、逆効果を生む。ゴルフも良いが、勝負にこだわったり金品を賭けたりすると、認知症を発生させてしまう。

 脳を働かせるというのは、意識しないと難しい。高齢者は、ともすると自宅に籠ってテレビを見たり映画鑑賞を楽しんだりすることが日課になってしまう。この一方的な受動的体験は、あまり薦められない。双方向の体験をしないと、脳の機能を働かせられない。出来得るなら、料理をすることがお薦めである。インスタント食品や冷凍食品に頼らず、食材を調達することから始めてほしい。面倒なメニューや初めての料理に挑戦することは、極めて高い効果がある。そして、料理を作ったら誰かに食べてもらい、誉めてもらうとなお良い。

 趣味や芸術に勤しむのも良い。難しければ難しいほど、脳を活性化させる。パソコンやスマホを使ってSNSやブログ発信もいいだろうし、ウェブサイトを起ち上げてみるのも認知症予防に効果がある。この趣味や芸術、またはインターネットの世界において、友だちを作って交流するのは、認知症を防ぐ効果が大きい。何故かと言うと、人というのは誰かと交流して繋がって関係性を持つことで脳が活性化して、本来の自己組織化が起きるのである。誰とも繋がらず孤立してしまうと、自己組織化が起きずに人体は自己崩壊するのだ。

 何よりも大切なのは、人間としての正しい生き方である。正しく高い価値観に基づいた生き方をしないと、人間と言うのはその存在価値を無くしてしまい、自己崩壊をする。人間が人間として、正しく清らかに美しく生きることが求められている。正しく清らかに美しくというのは、具体的にどういうことかというと、無償の愛を周りの人々に注いで、出会う人々に幸せを感じてもらうという生き方である。何も求めず、損得や利害を超えて、人々に奉仕する生き方である。奉仕というと、自己犠牲を伴った苦しく無理した行動だと思われがちだが、けっしてそうではなく心から深い喜びを感じる行動である。

 何故、そんな無償の奉仕が出来るのかと言うと、神とか宇宙の意志に沿った行動だからである。神の哲学である『形而上学』に基づくものだからこそ、人間は全体最適のための行動が出来るのである。自分の損得や利害を優先した個別最適や個人最適のための行動は、人間を破綻させる。そんな行動をし続けると、誰からも信頼されず孤立するし、組織崩壊や家族崩壊を起こす。経済的な破綻も起こすことになる。神の意思を尊重して、関係性を尊重して全体最適の行動を取り続けるなら、認知症にはけっしてならないのである。

アルツハイマー型認知症を防ぐには

 65歳以上の5人に1人が認知症になる時代だと言われている。その認知症のうち、一番多いのがアルツハイマー型認知症であり、60%以上の割合を占めていて、認知症としての重症度も高いので、深刻な症状を抱えることになる。そして、一度認知症の症状が始まってしまうと、それを止めることは不可能で、どんどん症状が悪化することになる。一度認知症になると治癒することは100%ない。最新の医学技術を駆使しても、認知症の進行を抑えることが出来たとしても、症状を改善することは出来ないのである。

 認知症の原因は、アミロイドβというたんぱく質が繋がって脳の記憶機能に悪影響を与えるためだと言われている。このアミロイドβの発生を抑制したり繋がりを防げたりすることが出来たら、認知症の発症を防ぐことができるのではないかと、医薬品業界は必死になり研究開発を続けている。レカネマブという認知症の症状が進むのを抑制する新薬が出来たと話題になっている。しかし、高価で副作用もあることから、認知症の患者の誰にでも処方出来る訳でもないし、約3割の進行抑制効果しかない。まだまだ課題は大きい。

 このアルツハイマー型認知症の発症を予防することが出来たなら、高齢者にとっては朗報となろうし、医療費や介護費用の大幅削減も可能となる。国の福祉財政にも多大な貢献が出来よう。アルツハイマー型認知症の発症を、完全に防ぐことなんて出来るのであろうか。その答えは、NOである。最近の医学的研究で分かったのであるが、特定の遺伝子異常があって、アミロイドβの異常を促す遺伝子を持つ人は、アルツハイマー型認知症の発症を高い頻度で発症してしまうらしい。つまり、遺伝的なものもあるから予防が難しいのである。

 とは言いながら、最近の医学的な研究と統計調査によって、生活習慣、気質や考え方、生き方によって、かなりの確率で認知症が防げるということが明らかになったのである。つまり、100%ではないにしてもアルツハイマー型認知症は予防出来るのである。どういう気質や考え方の人が認知症になりやすいかというと、自分自身のことが好きかどうかに影響されるという。つまり、何事もポジティブに考える人は認知症になりにくく、ネガティブ思考の人は認知症になりやすいというのだ。つまり、自己肯定感があるかどうかだ。

 さらに、運動習慣のある人は認知症になりにくいということが統計調査によって判明した。積極的に運動を日常的にしていて、その運動を心から楽しめる人は認知症になりにくい。義務的な思考により運動したり、強制されて運動したりする人は認知症予防効果が少ないらしい。スポーツでも勝利至上主義に支配されたり、対戦型のスポーツでストレスやプレッシャーが強過ぎたりしても、認知症を予防出来ない。あまりにも激し過ぎる運動も、活性酸素を増やしてしまい、様々な悪影響が出るので薦められない。

 認知症になりにくい生き方とは、どういうものであろうか。それは、人々の為や世の中の為に貢献する生き方である。そして、その社会貢献の生き方は、無理せずに我慢することなく、自然体で行う社会貢献である。例え、人のために行うボランティアであったとしても、無理して実施するものであれば、認知症予防にはならない。自分が他人から認められたいとか高評価を受けたいからと公益活動をするのも、認知症予防効果が薄い。自然体であるがままに自分らしく、何の見返りも求めず粛々と人の為世の為に尽くす人は、認知症にはなりにくい。

 何故、アルツハイマー型認知症になるのかというと、人間の身体が持つネットワーク機能が無意識のうちに働いて、そうさせているのである。人間は誰でも老化して、徐々に死に向かう。運動をしなくなると同時に身体や脳の機能を働かせなくなると、もう人の為にお役に立てなくなった自分を不必要なものと認識し、この世から抹消させようと人体のネットワーク機能が勝手に働くのである。骨をボロボロにさせて筋肉量を少なくし、土に返しやすくする。認知機能を衰えさせて、死を迎える恐怖から逃避させてくれる。だとすれば、脳と身体の機能を最大限に機能させて、人の為世の為に尽くす生き方をし続ければ、認知症にはならないと断言できる。

社会問題化している孤立と孤独死

 3組に1組の夫婦が離婚するような時代を迎えて、高齢者の孤独死が急増していて社会問題化しているという。離婚している高齢者だけではなく、死別して一人で生活している老人も多くて、やはり孤独死を迎えている。元々子どもが居ない、または同居しないということを選択する子どもが多くなっている影響もあろう。そして、親しくしている友だちもないし、ご近所との付き合いもないことから、孤独死が誰にも知られず放置されているケースも少なくない。人生の最期を一人で迎えるなんて、不幸極まりないことである。

 結婚をしたがらない若者が多いし、結婚しても子どもを持たない若夫婦も増えている。このままで推移していくと、孤立と孤独死がこれから益々増えて行くのは間違いない。なんと世知辛い世の中であろうか。自分で孤独を選択したのだから仕方ないと言えるが、結婚したがらない若者や子どもを産まない夫婦が、老後の未来をしっかりと見据えての判断とは思えないのである。今が良ければいいじゃないかと思うのかもしれないが、これからは長生きが普通の時代だからこそ、老後の長い生活のことも考えてライフプランを立てるべきだ。

 老後のライフプランは、経済的に余裕があるから心配ないと豪語する人もいる。有料老人ホームや介護付きのリゾートマンションの為の貯蓄もしているから、まったく心配していないという人もいるだろう。確かに、ある程度の豊かな暮らしは出来るし、入居者どうしや介護を担う職員との触れ合いもあろう。その関係性があれば、寂しい思いなんてすることもないと考えるのも至極当然である。しかし、老人ホームや介護施設での生活は、同じ境遇どうしの付き合いだから、同じ日常の繰り返しで退屈極まりなく、孤独感を拭えない。

 元々リアルな人づきあいが苦手で、SNSなどのネットワーク上の繋がり合いだけしかしたがらない人も増えてきている。現実の職場では必要最低限の付き合いに限定して、プライベートな付き合いを拒否している人も増えているという。何故に、現実社会での深い付き合いを避けているかと言うと、他人との付き合いが煩わしいとか関係性が捻じれた場合に困るからという理由が多いらしい。それは、元々不安や怖れが強い気質を持つからと思われる。HSP(ハイリィセンシティブパーソン)のせいかもしれない。

 HSPとは、神経学的過敏から心理社会的過敏までも持つ気質を持った人ということで、人一倍繊細な感受性を持つが故に、強烈な生きづらさを抱えた人である。HSPになるそもそもの原因は、幼少期の極端な育てられ方にあり、良好なアタッチメントが欠落しているケースが殆どである。安全基地(安全と絆)が確立されていなくて、心理的安全性が欠如していることが多いのも特徴である。だからこそ、他人がパーソナリティスペースに入り込むことに対して不安や怖れを感じるので、深い関係性を築くのが非常に苦手なのでる。

 そんな深い関係性なんて必要ないし、いつでもブロックできるネット上の友達で十分だと思ってしまっている人も少なくない。これでは、人間として進化や成長するうえで、大きなマイナス要素となってしまうことを認識してほしい。人が本当の自分や自分の本質を認識する為には、他人との深い関わり合いが必要である。何故なら、人間とは他人との違いを認めてこそ、自分と言うものが初めて理解できるし、他人の心も解ることが出来るのだ。人間が人間として、深く気付き学ぶためには、人との関わり合いが必要不可欠なのである。だから、人は多様性を持つのだ。己を知らずして他人の理解なんて不可能だ。

 人間という生き物は、単独では生きて行けない。助け合わないと生きることが出来ないのである。ましてや、人間と言う生物(あらゆる生物も含めて)は、自己組織化する。主体性と自発性・成長性と進化性・責任性と自己犠牲性・連帯性という自己組織化能力は、人間どうしのネットワークが根底に無いと育まれない。人間が進化成長してきた歴史においては、ネットワーク化(組織化)が必要不可欠だったのである。つまり、人間と言う生物が完全なる人間という存在であり続けるには、『関係性』が何よりも大切だということなのだ。人間は孤立させてはならないし、孤独を求めてはならない所以がここにある。

不運と幸運のどちらになるかは宿命か

 自分の人生は不運続きだと嘆いている人もいれば、何をやっても幸運に巡り合うと喜んでいる人がいる。同じ国に住んで同じように生活している人間なのに、どうしてこんなにも違うのかと、自分の不運を恨んでいる人も少なくない。最近は生まれ育った環境や両親によって、未来の生き方が違ってしまうのだということが盛んに言われて、『親ガチャ』という言葉がネット上で踊っている。確かに、統計上においては親の年収と子どもの年収は、相関関係があるとも言われている。教育を受ける権利が制限されるとも伝えられている。

 親が経済的に貧しくて不運な人生を歩んでいると、子どもは満足な教育を受けられないので、同じように不運な人生を送るとも一般的には言われている。しかし、本当にそうなのであろうか。幸運や不運と言うのは、生まれつき決まってしまうものなのか。確かに、低レベルの教育・初等教育だけしか受けられないと、高収入の職業には就き難い。ましてや、人々が望むような、医師・高等技術者・高級官僚・政治家・法律家などになるのは非常に難しい。いくら努力したとしても難しい現実がある。

 職業や収入が子どものうちに決められてしまうという考え方は、お隣の韓国や中国においても支配的であり、だからこそ教育に熱心なお国柄になってしまっている。それでは、経済的に裕福でなくて、優秀な学業成績を収めなくて、立派と言われている職業に就けなかった人間は不幸・不運なのであろうか。それは一概に言えないのではなかろうか。高級外車や高級ブランドを手に入れて、都心のタワマンに住んでいる人々がすべて幸運・幸福なのかというと、けっしてそうではない。幸福だと絶対に思えないような人々も少なくない。

 それはどういう人なのかと言うと、こんな人々である。仕事においても大きな成功を収めて、幸せそうな家庭も築いたのに、大病をしてしまい早逝する人、重篤なメンタル疾患になった人、若くして認知症になった人、詐欺師に騙されて財産を失った人、事故を起こして半身不随になった人、子どもが不登校やひきこもりになった人やDVに苦しむ人、人から恨まれて殺害された人、そんな人々が身近にも沢山存在する。上野の飲食店経営者夫婦だって、経営者的には成功したが命を落としてしまった。本人には、そうなった要因がないのだろうか。

 例え経済的に裕福でないにしても、家族がお互いに支え合っていて愛情たっぷり注がれている家族が存在する。家族みんなが心身共に健康で、事故にも合わずに、毎日笑顔で暮らす家庭も多くあることを知っている。不幸や幸運になるのは、すべて宿命なのだろうか。親ガチャと言われているように、とんでもない親の元に生まれてしまえば、不幸で不運な人生を送るしかなくなってしまうのか。ある程度は、親の影響を受けてしまうのは、やむを得ないような気がする。しかし、すべての不運や幸運が宿命により決まるというのは言い過ぎのような気がする。

 それでは、不運や幸運というのは何によって決まるのであろうか。思想や哲学で言われているのは、不運や幸運というのはその人の受け取り方であって、どのように受け容れるのかで決まるという考え方である。塞翁が馬という諺は、まさしくそのことを言っている。または、青い鳥という寓話も同じような事である。それは観念論であって、科学的な検証をして得た理論ではない。それでは科学的に真理だと確証されている、幸運を招く方法はないのだろうか。仏教哲学において『空の理論』として確立され、量子力学で証明されている理論は真実を捉えている。

 その理論とは、この世に起きるすべての物質と起きる現象は、我々の意識によって支配されているというものである。つまり、私たちの集合無意識によってどのような世界になるかが規定されているというのだ。つまり、人間の意識が幸運や不運に感じる現象を引き起こしているのである。そして、すべての物質や現象は、ひとつの法則によって支配されている。『全体最適・全体幸福』という法則に則っているし、この世は関係性によって生成されているのである。関係性が損なわれると、物質は崩壊するということであり、個別最適を目指すと破綻するという意味である。つまり、関係性を豊かにする生活や全体最適を目指す生き方をすれば、幸運や幸福になれるということなのである。

アタッチメント欠落による生きづらさ

 日本の精神医学においては、アタッチメントの重要性がなかなか認識されなかったが、ようやく認知されるようになってきた。どうしてかと言うと、米国の若者たちのSNS上でのアタッチメントという言葉が広まり、その情報が日本にも伝わった影響で医療や福祉の世界でも認識されたと思われる。ジョン・ボウルビィという英国生まれの精神医学者が、1950年代に米国においてアタッチメント理論を初めて提唱した。あれから長い期間が過ぎて、ようやく世界的に認識されてきたというのは、精神医学の発展上喜ばしいことである。

 ジョン・ホウルビィは戦中戦後に生まれた孤児や施設の子どもたちの研究をして、虐待や望まない親との離脱をさせられた子どもたちがアタッチメント・ディスオーダーという深刻な障害を抱えてしまうことを提唱した。アタッチメント理論を基にして、エインワースは安全基地という概念も論じた。精神医学界では、アタッチメント・ディスオーダーという疾患名は存在しない。長い期間に渡り精神疾患とは認めらなかったのである。それが、日本の家庭教育における大きな間違いを、延長させてしまったと言えなくもない。

 ようやくアタッチメントの重要性を認識されるようになったのであるが、家庭教育における間違いを指摘するまでには至っていない。母性愛と父性愛のかけ方の誤解や、あまりにも強い干渉や介入がどれほど子どもの心を蝕んでしまっているのかを認識している人は極めて少ない。だから、不登校やひきこもりは益々増えているし、メンタルを病む人が激増しているのである。正しいアタッチメントが育っていないから、特定できない不安や恐怖感を持つ人があまりにも多いし、生きづらさを抱えている若者が急増しているのだ。

 生きづらさを抱えている若者たちは、何故そうなってしまったのか解らないし、抱えている不安や恐怖感の特定も出来ていない。生きづらさと不安や怖れは、アタッチメントが存在しないせいなのである。アタッチメントがないことを認識できるようになって、ようやく自分の育てられ方に問題があったということを知る若者もいるらしい。自分には安全基地がないということを認識できて、安全と絆を求める行動を始められるのだ。安全基地はいくつになっても作ることが可能であると言われているが、実際にはとても難しいのである。

 日本において、アタッチメントの概念が広がらなかった原因は、アタッチメント・ディスオーダーという語句を『愛着障害』として意訳してしまったせいであろう。アタッチメントを愛着と訳したのであるが、愛着というと愛情の有り無しが必要以上に強調されてしまう。ましてや、愛着障害というと虐待やネグレクト、または親からの暴力が原因で起きると勘違いされてしまい、特殊な家庭環境や育成環境でしか起きえないものとして認識されてしまったと思われる。一般家庭においては、愛着障害は起きないものだと思い込んだのである。

 しかし、実際には愛着障害と呼べなくても、同じような強い不安や恐怖感の症状を抱えた子どもたちが増え続けているし、強烈な生きづらさ故に不登校やひきこもりになる若者が増大している。まさしく、適切なアタッチメントが存在しない人々である。それを、『不安型愛着スタイル』と呼んでいる精神科医もおられる。あまりにも躾が厳しくて、親からの干渉や介入が強過ぎてしまい、本当の自分を見失い誰かの操り人形を演じているだけだから、自分らしく生きることが出来なくなっているのである。当然、安全と絆を提供してくれる安全基地は存在しないし、HSPを抱えていて不安に押しつぶされそうになって生きている。

 先日放映されたNHKのドキュメンタリー番組では、アタッチメントはいくつになっても構成され得ると断言していたが、そんなに容易なものではない。アタッチメント・ディスオーダーの人々を長年に渡りサポートしてきたが、安全と絆である安全基地を提供してアタッチメントを確立するのは、非常に難しい。何故なら、アタッチメントを確立していない人間は、他人を信頼しにくいからである。不信感があるばかりか、試し行動をし掛けてくるのである。そういう人々に対して、安全基地となるのは容易ではないし、長期間に渡る支援が必要だということを覚悟しなければならない。

依存症の本当の原因と克服の方法

 大谷選手の元通訳水野一平容疑者が、深刻なギャンブル依存症で600億円を超える借金を抱えているというニュースは社会を驚かせた。それにしても途方も知れない金額をギャンブルに注ぎ込んだものである。2021年からスポーツ賭博を始めたというが、3年足らずのうちに、こんなにも多額の賭け金を賭博によって失ったというのは、前代未聞のことであろう。ギャンブル依存症という精神疾患は、そら恐ろしいものである。アルコールや薬物依存も怖いが、雪だるま式に増えて行く賭け金と負債が、犯罪にまで手を染めさせてしまった。

 依存症には、他にも様々なものがある。アルコール依存症、薬物・麻薬依存症、ニコチン依存症、パチンコ依存症、ネット依存症、ホスト依存症、ゲーム依存症、浮気依存症、セックス依存症、万引き依存症等々、あげたらきりがない。一度これらの依存症に嵌まってしまうと、抜け出すことが難しい。完全に離脱するには、相当な努力・費用・時間が必要だと言われている。しかも、再依存になりやすい傾向もあるので、一旦抜け出せたとしても、再発を繰り返すケースも少なくない。薬物やアルコール依存症はその典型である。

 依存症になってしまう原因は、脳内ホルモンの影響が大きいと言われている。とりわけ快楽ホルモンと呼ばれるドーパミンと脳内麻薬のβ-エンドルフィンが、依存症に引き込むと推測されている。そして、セロトニンホルモンが欠乏しているのも要因らしい。しかし、それだけではなく元々依存症になりやすい人間と、なりにくい人間がいることから、気質や人格にも依存症になる要因があるとも考えられる。さらには、人間が生きて行くうえで拠り所となる価値観・思想に問題があると、依存症になりやすいとも考えられている。

 依存症になってしまう原因は、それだけではない。依存症になる人間には、特別に何かあるような気がする。それは、『満たされない何か』である。最近注目されている英語で言えば『アンメット・ニーズ』である。常日頃から何となく満たされない何かを抱えていると感じていて、心の中に何か空虚な隙間があるように思っている人間は、その満たされない何かを別のもので満たそうとあがき苦しむのではなかろうか。それ故に、何かにとりつかれ依存してしまい、それから離脱できなくなってしまうように思える。

 それでは、その満たされない何かとは、具体的に何なのか。端的に言えば、それは『愛』ではなかろうか。勿論、お金・地位・名誉・評価・ブランド品・高級車だと思っている人もいるだろうが、そういうものを求めてしまうのも、実は愛に満たされていないからなのだ。愛というのは、恋愛における性愛のようなものではない。つまり愛欲とは違うもので、見返りのない無償の愛である。人類愛というか、博愛とか慈愛と呼ばれるものである。プラトンが論じた『アガペ』のような、与えるだけの愛である。

 そういう無償の愛によって満たされることがない人間は、愛を渇望する。例え相思相愛の伴侶や恋人が居たとしても、お互いに無償の愛(アガペ)で包みこむような関係でなく、求め合う愛(エロス)なら、満たされていない心境になり依存症になりやすい。世の中の夫婦や恋人は、このエロスを求め合う関係であることが多い。何故なら、パートナーのうちどちらか一方、または両方が不安型の愛着スタイルを抱えているからである。不安型の愛着スタイルを抱えていると、いつも見捨てられるのではないかという不安に心が支配されている。その不安を打ち消すために、何かの欲望で満たそうと依存症に陥るのであろう。

 不安型の愛着スタイルを持ってしまったのは、親から無償の愛を充分に与えられなかったからである。無償の愛を与えられずに大人になった人は、自分だけへの無償の愛を求める。しかし、無償の愛をたっぷりと注いでくれる相手なんて、おいそれと見つかるものではない。満たされない思いを持ちながら生きることになる。その心の隙間を何かに依存して満たそうとするのである。本物の無償の愛で満たされない限り、依存から解放されることがないのである。つまり、依存症を克服するには、揺るがない無償の愛を注ぎ続けてくれる存在が必要なのである。