ダイアローグが西野ジャパンを活性化

サッカー日本代表西野ジャパンがロシアワールドカップで大活躍をした。戦前の予想では、活躍は期待出来ないと思われていたのに、決勝リーグまで残りベルギーと互角に渡り合えたのは、西野監督の采配とマネジメントの賜物であるのは間違いない。あんなに短い期間によくチームをまとめあげたし、選手の掌握によくぞ成功したなと感心するばかりだ。西野監督のチーム管理が成功を収めた一番の要因は、彼と選手間の徹底した『対話』にあったと言われているが、まさしくその通りだと思われる。

監督に就任してから、各選手と徹底して対話したと伝えられている。しかも、選手たちをリスペクトして、彼らの言い分にしっかりと耳を傾けて、取り入れるべき戦術の参考にもしたと聞き及んでいる。そして、選手たちとの心を開きあった対話によって、選手と監督との『関係性』が非常に良くなり、揺るぎない信頼関係が構築されたのである。監督が考えていることをチーム全員が理解して、それを一丸となって実行できたのは、対話によって彼らの『共通言語』が創造できたからに他ならない。

スポーツのチームにおいて、強くなったり成果を残したりするには、チームワークが大切であるのは言うまでもない。良好なチームワークを作り上げるには、コミュニケーションが大事だというのは誰にも共通した認識であろう。だからこそ、常日頃からの対話が必要なのである。対話というのは、モノローグ(一方的な会話)であってはならない。ダイアローグ(双方向の会話)でなければならない。ともすると、監督と選手間というのは、圧倒的に監督が優位な立場であるが故に、モノローグになってしまうことが多い。上位下達という形である。これでは、共通言語が形作れないから対話にならないのである。

日大のアメフト部のコミュニケーションは、モノローグであった。志学館大学のレスリングも同様である。ハリルジャパンも、言葉の壁もあっただろうが、ダイアローグでなかったのは確かであろう。野球の巨人がカリスマの監督を据えて、優秀で実績のある選手を金でかき集めても、実績を上げられないのは、実はチーム全体の共通言語を持たないからである。FIFAランク61位のチームが決勝トーナメントに残る活躍が出来たのは、ダイアローグ(対話)のおかけであろう。

日本人の素晴らしい精神文化を形成した根底には、「和を以て貴しとなす」という聖徳太子が提唱した価値観があると思われる。個の意見も大切であるが、お互いの意見を尊重しあい、共通の認識や意見に集約するまで、徹底した対話を続けるという態度が大切であろう。西野監督は、まさにそうした対話を続けることで、チームをひとつにまとめあげたのである。勿論、監督のリーターシップも必要である。最終的には、監督が重要な決断をしなければならないし、すべての責任を取らなければならない。今回のポーランド戦は、まさに西野監督が苦渋の決断をして、その責任を一身に背負った。あれで、チームはひとつにまとまったのである。

西野監督が、オープンダイアローグという心理療法の原理を知っていたとは到底思えないが、彼はチーム内の対話をまさしくオープンダイアローグという手法を使って活性化していたのには驚いた。各選手の話を傾聴して共感したと言われている。監督としての優位性を発揮せず、対等の立場で対話したらしい。しかも、否定せず介入せず支配せずという態度を貫いたという。このような開かれた対話をされたら、誰だって西野監督のことが好きになり、信頼を寄せる。このような対話を続けると、選手たちは自ら主体性を持ち、自発性も発揮するし、責任性を強く持つ。つまり、アクティビティを自ら強く発揮するのである。

ともすると、組織のリーダーは圧倒的な権力を持つことにより、構成員を支配し制御したがる。こうすることで、ある程度の成果は出せるものの、継続しないし発展することはまずない。大企業の著名経営者が陥るパターンであり、中小企業のオーナー経営者が失敗するケースである。家庭において、圧倒的な強権を持つ父親が子どもを駄目にするパターンでもある。ひきこもりや不登校に陥りやすいし、弱いものをいじめたり排除したりする問題行動をしやすい。組織をうまく機能させるには、開かれた対話、つまりオープンダイアローグの手法により、共通言語を形成し関係性を豊かにすることが必要である。西野ジャパンが対話によって成功したように、コミュニティケアを目指せばよいのである。

※スポーツチームのリーダーや組織の管理者、または企業のマネージャーがオープンダイアローグを学びたいと希望するなら、イスキアの郷しらかわにおいでください。組織の活性化が実現できます。1泊2日のコースで丁寧にレクチャーいたします。勿論、家族とのコミュニケーションが苦手だと感じるお父様も、是非受講してください。

メンタル不調にも最適なゴルフ

勝ち負けにこだわる処や、相手の弱点をついたり嫌がることをしたりするのが性に合わないからスポーツをしないという人がいる。または、何人かのチームワークをするのが苦手なのでスポーツから遠ざかっているという人もいる。あまりにも心が優しくて対戦型のチームスポーツが合わない人がいる。こういう人は心が傷つきやすくメンタル不調にもなりやすいが、そんな人でも楽しめるスポーツがある。それがゴルフである。メンタル不調の方に是非にもお薦めしたいスポーツである。

団体スポーツや対戦型のスポーツは実際にゲームをするまでの準備が大変だから嫌いだという人も少なくない。団体スポーツで対戦型というと、人が集まらないとゲームが出来ない。5人のチームを組むバスケットボールは10人揃えばゲームが可能になる。バレーボールなら12人、野球・ソフトボールなら18人、サッカーは22人が必要になる。ましてや、競技場や体育館を借りるにも苦労する。何日も前から申し込まないとゲームにならない。ぴったりの人数であれば、都合の悪い人が出ると足りなくなるので余裕を持って人数を集める。ゲームにフル出場できないプレーヤーも出てくる。試合に出場しなければ面白くないのは当然だ。ゴルフは1人でも気軽に、そして一日フルに楽しめるスポーツである。

元々団体スポーツに向かない人もいる。身勝手な人がそうだと思いがちであるが、そうではなくて周りに気を遣うような人ほど団体スポーツが苦手である。何故なら、自分のせいでゲームが不利になったり負けたりすると、他のチームメイトに申し訳なく思い、居たたまれなくなってしまうのだ。気持ちが優しくて繊細な神経の人ほど、団体スポーツに向かない。また、自分がミスをした時に、口では気にするなと言いながら心の中では「この下手くそ、お前のせいで負けたじゃないか」と思っているチームメイトがいるのを、鋭く感じてしまうから団体スポーツが出来ないのだ。

対戦型スポーツに違和感を覚えるという人も少なくない。自分がどれほど良いプレイをしたとしても、相手がそれを上回るプレイをすれば負ける。ましてや、技術だけでなく相手との駆け引きも必要だし、相手が苦手とすることや嫌がることをしないと勝てないのである。相手がミスした時に、外面には出さないものの、内心嬉しいという複雑な気持はどうしようもない。相手の弱点を突く攻撃をするというのは、フェアープレイを謳っていながら、パラドックスの感覚を持たざるを得ない。

ゴルフは、あくまでも個人プレイなので相手を気にしないでプレイできる。すべてのプレイと結果は自己責任だから、人に迷惑をかけることはない。自分のプレイが他人に嫌な思いをさせることはない。失敗したら自分がその責任を負うし、素晴らしいプレイをしたら自分の成果になる。悪い成績を誰かのせいにしたり天候やゴルフ場のせいにしたりすることは基本的に出来ない。技術面の未熟さとメンタル面での弱さは自分のプレイに跳ね返る。まさに自分との闘いである。マッチプレイやコンペに参加しない限り、すべては自分だけのプレイを純粋に楽しむだけである。

ゴルフ場に一度でも立ったことがある人なら解るが、あの解放感は何とも言えなく嬉しい。広々としたフェアウェイが続いて、青々とした芝生が伸びている景色は、この世のものとは思えない爽快感を与えてくれる。樹々や植物が豊富にあり自然が豊かな環境が広がっている。人工的に配した池や浮島などは、まるで日本庭園のような趣さえ感じられる。近くにある連峰や海を借景にしたゴルフ場さえある。こんなにも自然が豊かな処でするスポーツは他にない。だから、ストレス解消に最適である。心が疲れたり折れたりしてしまった人に薦められるスポーツである。

さらに、ゴルフはマインドフルネスに最適でもある。ゴルフというスポーツは、奥が深く難しい。でも、初心者でもそれなりに楽しめる。今はセルフプレイなので、キャディにも気兼ねすることがない。スロープレイをしなければ、未熟者でもラウンドが可能だ。自分のゴルフプレイに専念することで、心を無に出来る。自分の心を支配している苦しくて悲しい気持ちを一時的に手放せるのである。難しくて楽しいゴルフだからこそ、自分を苦しめている思考を一時的に停止できると言えよう。マインドフルネスにこれほど適したスポーツは、ゴルフ以外にないであろう。メンタル不調の方は、是非ともゴルフを試してほしいものである。ひきこもりや不登校、メンタル不調による休職者にもお勧めであ。

 

※心が傷つき折れてしまい、メンタルが不調になってしまい、何をする気力もなくなってしまった方には、ゴルフをすることをお勧めします。イスキアの郷しらかわでは、宿泊者に近隣のゴルフ場までご案内します。ご希望されるなら、同行プレイもいたします。また、ゴルフの初心者には練習場までご案内し、基本的な技術やルールなどをレクチャーします。ゴルフクラブも無料でレンタルいたします。お問い合わせのフォームから、ご相談ください。

スポーツに優しさは要らないのか

日大アメフト部の内田監督による指導の不適切さが、次第に明らかになってきている。その指導の中で、あまりにも異常だと思うのが、『はまる』という言葉である。特定の選手に対して、指導という範疇を逸脱するような、監督の意地悪行為を『はまる』とアメフト部の選手たちは呼んでいたらしい。その特定された選手は、集団練習から外されて厳しいランニングだけをさせられるというようなパワハラ指導を受けていたと言う。その選手は試合にも出されず、必要以上の嫌がらせを受けて、精神的に追い込まれていた。今年度は、その特定された選手というのが、反則行為をした宮川選手だったと言われている。

どうしてそんな前近代的な人権無視の酷い指導をしたのかというと、監督は当該選手のさらなる成長を望んでいたのは間違いないだろう。だとしても、けっして許される指導方法ではない。何故かと言うと、当該選手をスケープゴートにして酷い仕打ちを繰り返し、他の選手を自分の思い通りに支配しようとしたからである。しかも、その『はまる』選手の性格を変えようとして、他の選手を恐怖心で同じようにさせようとしたからである。そして、その『はまる』選手の優しい性格を変えようとしたというから驚きである。

内田監督にとって、アメフトをする選手は優しい性格を持っていてはならないと思っていたらしい。優しい性格であると、厳しいタックルや反則すれすれの卑怯な行為が出来ないと思っていたのであろう。だから、その『はまる』選手というのは、心根が優しくて思いやりのある誠実な部員だったという。一方、乱暴な性格で監督の言われた通りにペナルティを平気で行うような選手は、絶対に『はまる』ことはなかったという。内田監督は、反則すれすれのラフなプレーを好んでいたし、そういうことをする選手にすることで勝ちに繋げたかったのであろう。

内田監督は、その危険な反則のラフプレーを、宮川選手に敢えてしろとに指示した。それも、『はまる』選手にして、精神的に追い込んで指示を守るしかない状況にしておいてから、反則タックルをさせたのである。どれだけ卑怯かということが解るであろう。気持ちが優しくて、相手を怪我させるような卑怯な行為が出来ない選手を嫌い、乱暴でハードプレーをする選手だけを可愛がり、試合に出させるというのは、もはや人間として許される行為ではない。選手たちが荒々しいプレーをするには、優しさが邪魔だと考えた節がある。相手の怪我や故障することなんか考えるなと檄を飛ばしていたらしい。

スポーツをする際には、優しい心というのは不要なのだろうか。優しい心があると、ハードな対戦型スポーツにおいては、相手に対する遠慮があるから、厳しいプレーが出来ないと内田監督は考えていたらしい。だから、選手が優しい心を無くすために、敢えて反則のラフプレーをさせていたと考えられる。本当にスポーツ選手には、優しい心は邪魔になるのだろうか。大相撲の世界でも、取り口に優しさが感じられず、非常な仕打ちをする横綱がいる。確かに、その取り口はラフな印象を受けるが、圧倒的な強さを誇っていた。しかし、その取り口は卑怯に見えていたし、けっして美しくはなかった。

日本の古武道において、何よりも大切としたのは対戦相手の尊厳を認めることであり、敬意を持つということである。卑怯な行動を取ることを恥じていたし、正々堂々と闘うことが求められている。そして、何よりも大切なのが『惻隠の心』である。惻隠というのは、相手に対する慈悲の心と言ってもよい。言い替えると相手に対する優しさであり、強き者が弱き者に対する配慮を持つということでもある。一旦相手を倒して戦意を喪失させたら、敗者に対しての必要以上の攻撃を続けてはならないし、敗者にも敬意を持たなくてはならないと教えていた。生命をも奪うような闘いだからこそ、相手に対する優しさが必要だという教えである。

スポーツにおいても、それがハードで相手を怪我させるようなスポーツであるならなおさら、惻隠の心が必要であろう。そうでなければ、平気で怪我をさせたり卑怯なプレーをしたりしてしまう危険がある。危険性のあるスポーツの指導者は、まずは対戦相手の尊厳を認めることを教えるべきであろう。勝負に徹するとしても、相手を潰せなんて言葉を言うべきではない。惻隠の心があれば、反則プレーなんかできるものではないし、指導者がそれを強いるなんてことは絶対にない筈である。スポーツの指導者たる者は、惻隠の心を持つことをまずは教えるべきであろう。そうすれば、真の強者を育成することが出来るに違いない。

登山ガイドをさせてもらう喜び

10年近く、地元の公民館で登山ガイドをさせてもらっている。その他、個人的なガイドをボランティアでさせてもらう機会も多数ある。登山ガイドの役目は、先ずは安全で確実な登山を利用者に体験してもらうことであろう。登山客の安全対策には、特に責任がある。無事に登って下りてくるまで、登山客の生命と体調を守る責任がある。それ以上に気を遣うのは、山登りの喜びをどのように感じてもらうかでもある。

登山客の満足度をどう高めるに苦心している。勿論、満足度を高めるために無理をさせて安全が疎かにするようなことはけっしてない。登山において、何よりも安全が最優先なのは当然である。そのうえで、登山の楽しみや喜びを感じてもらい、また登りたいなと思えるようにガイドをさせてもらっている。そして、登山客から今日は本当に楽しかったと笑顔で言ってもらった時の言葉が、登山ガイドとしての至上の喜びになる。

登山ガイドは、安全登山の仕方や疲れない歩き方、登山中の体調管理などについて登山客に伝授する。樹々や花々の名前、鳥の鳴き声や動物の生態についても説明する。登る山の説明や歴史についても、説明することもあろう。登山ガイドは、それらの事前調査も実施して、登山客に詳しく話をさせてもらうのである。普通なら、ここまですれば登山ガイドとして合格点であろうと思う。しかし、私はそれでは飽き足らず、もっといろんな話をさせてもらっている。

一昨日、地元の公民館のトレッキング教室があり、15人の生徒を茨城県の最高峰八溝山にお連れしてきた。バスの中で、安全登山の基本的な考え方を伝える為に、エベレストの登山歴史と栗城史多氏の遭難事故について話をさせてもらった。ヒラリー卿の談話やG・マロリーの「ここに山があるから」という有名な言葉と本当の意味も説明した。単独無酸素登頂がとんでもなく難しく、今まではたった一人の登山家しか成功したことがないこと。その登山家ラインホルト・メスナー氏の人となり、そして登山スタイルにも言及した。

G・マロリーはヒラリー卿よりも前に、3度もエベレスト登頂に挑戦している。そして、3度目の挑戦で還らぬ人になった。でも、もしかすると登頂に成功した後に、下山中に滑落したのではないかと見られている。それに対してヒラリー卿は、登山というのは登って無事に戻ってきてこそ、登頂に成功したと言えるのだと断言している。登山と言うのは、ある程度の危険性はあるものの、何よりも生命の尊重を最優先させるというのが基本だと言っていた。ラインホルト・メスナーも、最愛の弟であるギュンターを同行した登山で失っているからこそ、生命の尊重を何よりも大事にしたのだ。

こんな話をしながら、安全登山の基本的な理念を話させてもらった。また、登山における自然保護や環境保護についても言及した。さらに、今の時期に見られるヤマボウシの花についても説明した。ヤマボウシは漢字表記だと山法師となる。山法師とは、比叡山の僧兵のことを指す。僧兵の白い頭巾が、ヤマボウシの花びらと酷似していることから命名されたと伝えられている。このように、花の名前の由来についても詳しく説明することが多い。そのほうが、花の名前を憶えやすいし、花に対する親近感が湧いて、より大好きになると思うからである。カエデという名前が『蛙手』からということや、英語でメイプルと言って、メイプルシロップがその樹液から作られることも説明してあげた。

普通の登山ガイドならば、これぐらいの知識はあるので説明することもあろう。しかし、ここからが自分にしか出来ない話だと思う。山法師と言えば、平家物語の第一巻にこんな記述があるという。白河法皇の「鴨川の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心の思うにならぬもの」という言葉である。白河法皇は、自分の子どもと孫を天皇に据えて、本格的な院政を日本で初めて敷いた人物である。絶大な権力を持ってしても、日吉山王大社の神輿をかついで強訴する山法師(比叡山の僧兵)に手を焼いていた。それを北面の武士として平家の武士を宛てて、警護させたのである。これが平家の政権掌握のきっかけになったのである。

こんなことまで、登山の話とは違うから聞きたくないと思う人もいるかもしれない。しかし、こういう話は皆さん初めて聞いたと驚いていらしたし、元校長先生の引率者も北面の武士という言葉は聞いているが、そういう歴史背景があることまでは知らなかったとびっくりされていた。歴史も、こういうストーリー性のある話ならば、みんなが好きになるに違いない。このように歴史や登山の哲学の話を含めて、様々なことを説明してもらっている。これが登山客の喜びであると同時に、自分としてもガイドする大きな喜びでもある。

 

※イスキアの郷しらかわでは、登山ガイドをしています。ガイド料は特別頂いていません。交通費の実費だけか体験料(1500円)だけの費用です。樹々や花々の名前や由来、それらの背景や歴史なども詳しく説明しています。クマガイソウやアツモリソウの名前の由来と源平合戦における平敦盛と熊谷直実の「須磨の浦での対決」、山吹の花と太田道灌に関わる短歌の話、などいろんな話をさせてもらいます。特に、登山の哲学についてご興味がある方には、ご満足いただけると思います。登山ガイドの申し込みやご相談は、問い合わせフォームからお願いします。

スポーツの指導は科学的手法で

日大アメフト部の不適切指導が大変な問題になっているが、そもそも内田監督という人物が、指導者として相応しかったのかということが話題になっている。至学館大学の栄和人監督も同じような批判にさらされた。どちらもそれなりの成績を残しているものの、指導される側からは、その指導法に疑問を呈されている。彼らの指導法に共通しているのは、精神論や感覚論に偏っているという点だ。そして、体力の限界を超えるような猛練習を課しているのも特徴的である。確かに日本のトップレベルを保つにはハードな練習が必要なのは理解できる。しかし、自らが求めた練習ではなくて、嫌々やらされているという感覚ならば、そんな練習はするべきではない。

旧来のスポーツ指導においてもてはやされてきた精神論が、まだ横行していることに驚く。内田監督と栄監督はあまりにも精神論に固執していたように思える。新しい技術や戦略的部分はコーチが補佐していただろうが、基本的な組織全体の科学的な管理手法については、疎かったように感じる。厳しい練習に耐え抜いた選手だけが結果を残せるという考え方は間違っていない。だとしても、選手の心が折れてしまうような押し付けの練習は逆効果である。科学的な根拠のないやみくもな練習など、まったく役に立たないのである。

スポーツにおける心身の鍛練において、根性を示せ、気合で乗り切れ、精神を鍛えろなどと前時代的なことを平気で言う指導者がいる。内田監督や栄監督などは、その部類であろう。特に日大のアメフト部は、深夜時間まで及ぶような長い練習を部員に課していたというから、考えられない横暴ぶりである。精神論、根性論、気合論で結果が残せると本気で思っていたなら、時代錯誤と言えよう。スポーツにおいては、科学的・論理的にどうすれば選手が成長し向上できるのかは、ほぼ解明されている。ましてや、メンタル面においても、どうすれば心が平静になって実力が発揮できるのかも、科学的に説明できるのだ。

今は科学的に実証された、効果の高いトレーニング方法が確立されている。最新のフィジカルトレーニングは、短い時間でも必要な筋肉や体力が作られるし、持久力を上げるのに長い時間走るだけのトレーニングなんて、時代遅れになっている。メンタルトレーニングも科学的な手法が用いられる。心理学的に、そして脳科学的に検証されている手法でメンタル面が強化されている。精神論や根性論なんて、今の青少年は誰も信用していない。科学的合理性の教育を受けてきた青少年は、科学的に正しいのか正しくないのかで取捨選択するようになっているからだ。

最近のスポーツ指導者、とりわけ日本トップレベルにある高校や大学の指導者たちは、自然科学を駆使した指導だけでなく、社会科学を活用した指導法を取り入れている。チームワークやリーダーシップ、または自主性や自発性を選手たちに発揮させるには、どのような指導法が良いのかを研究しているのである。最新の経営管理学の理論を学んでいる。チームをどのようにマネジメントしていくかが問われているからである。チームをまとめきって、部下との信頼を得ていなければ結果を出せないからである。

日大のアメフト部は、監督を神格化してコーチと部員を完全に支配しようとした。部員たちに何も考えさせなくして、監督の手足として動く選手だけを重宝した。部員たちが自分達で考えたり、自主的に行動したりすることを何よりも嫌ったのである。戦略を立てるのは監督であるが、試合中に刻々と変化する情勢に臨機応変に自主的に自発的に動ける選手が必要である。瞬間的に対応するには、常日頃からアクティビティが養成されていなければならない。アイコンタクトでお互いが何を考えているのか理解できる関係性が必要である。監督にすべて支配され制御された選手は、いざという時に役に立たなくなる。

最新の科学では、スポーツのチーム全体をひとつのシステムとして捉えている。そのシステムが効率的に機能するには、システムの構成員であるひとりひとりの選手が、全体最適を目指して主体的に動くことが求められる。監督やコーチから、いちいち指示されることなく、自主性を持って行動できるように自己組織化されていなければならない。それぞれの選手たちが、ネットワークを組んでそれぞれが過不足なく連帯性を持って行動出来た時に、最大の効果や成果を発揮できるのである。その為には、選手どうし、選手と指導者、指導者どうしの関係性が大事である。その豊かな関係性を築くには、自己組織化されたシステムという考え方をチーム全員が認識しなくてはならない。スポーツの指導は、精神論でなく科学論でするべきだ。

 

ゴルフマナーが悪い社員は使えない

昨今のゴルフ場におけるゴルファーのマナーは、まったくなっていない。ゴルファーのマナーやエチケットは、地に落ちたと言っても過言ではない。それはゴルフを始めたばかりの若者だけではない。立派な中年ゴルファーや老年愛好者までもが、ゴルフのマナーを守らない。おそらく、ゴルフのマナーを知らないのではなかろうか。または、一度も教えてもらってないのかもしれない。一緒に回るようなことがあると、目をそむけたくなるような光景に出くわすことがしばしばである。

ゴルフの個人会員が減っていることもあり、ゴルフ場からの指導や教育がないせいかもしれない。または、企業内のゴルフ部の活動が少なくなったことに加え、接待ゴルフが激減したので、ゴルフのマナーをしっかり教える機会もなくなった影響もあろう。それにしても、ゴルフのマナーやエチケットは最悪の状況にある。というか、人間として当然な行動さえ出来ていないのだから、周りの人に迷惑をかけているという実感を持てないのかもしれない。

ゴルフのラウンドにおいてスロープレーは、絶対に避けなくてはならない基本マナーである。何故ならば、ゴルフのラウンドというのは、パーティとパーティの間で1ホールを完了するプレー時間は、ホールの移動時間も含めて7分程度と決められている。次から次へと7分間隔で3人から4人のパーティがスタートして行く。その中で1人でもスロープレーのゴルファーがいると、その組のパートナーだけでなく、後続のプレーヤーはその間待たせられるのである。当然、その後に続く組のすべてのゴルファーは待たせられることになる。

例えば、7時スタートの組の1人がスロープレーヤーだったとしよう。その人が1ホール当たり3分ずつ遅れてプレーしたとする。そうすると、前半9ホールトータルで27分もその後のプレーヤーが遅れてしまうことになるのだ。休日ともなると人気のコースでは、ぎっしり予約者がいることが多い。7時7分から10時30分までのスタートで、12組の48名のゴルファーが27分ずつ遅れてプレーすることになるのである。後半も同じように遅れれば、なんと1人の遅延プレーヤーのお陰で48名のゴルファーが1時間も浪費するのである。遅い時刻スタートのプレーヤーは、遅延プレーヤーのせいで日没してしまいラウンドを完了できないケースもあるのだ。

ゴルフの技術が未熟な初心者は仕方ないだろうと擁護する人も少なくない。しかし、今までいろんなゴルファーをみてきたが、未熟な初心者だからスロープレーになることは少ない。どちらかというと、中級者や経験者のほうがスロープレーになることが多い。まずはアドレスに入るまでの時間がかかり過ぎる、素振りを3回も4回も行う、アドレスをセットしてからスィングを始めるまで数秒要する、打った後にずっとその場に立ち止まる、走らないばかりかゆっくり歩く、クラブやボールを余計に持たないからカートまで戻る、こんな非常識なことを平気でするのだ。特に、パットの時のスロープレーは酷い。自分の番になって初めてラインを確認する始末である。回りが見えないし、空気が読めないのである。

こういったゴルファーは絶対に上達しない。いつまでもスコアー100を切れない。マナーやエチケットを守れる人は、いつも他人に対して迷惑をかけまいと努力している。当然、自分の自己満足のためではなくて、周りの人々に対する配慮のために、自分自身の力量を磨いている。当然、こういう人は自分の結果が出ないのは、自分に責任があると認識して、技能とメンタルを磨き続ける。平常心を持てないと、ゴルフは失敗する。スロープレーをしている人は、メンタルが弱くミスを犯しやすく、自分を振り返って自分の非を認めないから、いつまで経っても上達しない。

ゴルフのマナーとエチケットが素晴らしい人間は、技術も素晴らしいしメンタルも鍛えられている。手前勝手で自己中心的な人間性を持っている人間は、ゴルフは上手くならない。責任性を持ち、自発性や主体性を発揮できず、いつまで自分の悪い点を認めないし受け入れられないから、自己成長できないのである。人間性の低劣な人間は一時的には成功するが、長い期間に渡り活躍することは出来ない。全体最適を目指し、関係性の哲学を重視する人間だけが、ゴルフのマナーやエチケットの向上が出来る。こういう人間は、ビジネスでも間違いなく成功するのである。

 

※イスキアの郷しらかわでは、ゴルフのマナーとエチケット講座を開催しています。ゴルフのメンタル講習も実施します。メンタルトレーニングを、マインドフルネスと前後裁断の方法を含めてレクチャーします。ゴルフの技能はそこそこ行っているのに、なかなか100を切れないでいるとか、ゴルフで詰まらないミスばかりをしている人は、是非とも受講してみてください。問い合わせのフォームからお願いします。

ゴルフで記憶力アップ

国立長寿医療研究センターでは、65歳以上の高齢者にゴルフを体験させたら、記憶力の向上につながったという発表をした。65歳以上の高齢者でゴルフ未経験者106人を選び、そのうち半数の人に週に1回以上のゴルフの練習かラウンドをしてもらった。残り半数の人はゴルフをしない普通の生活を続けた。その生活を半年間続けてもらい、事前と事後に記憶力のテストをしてもらったら、ゴルフをした人のほうが項目別検査で平均8~12%の向上が見られたというから驚きだ。

以前からゴルフをやると記憶力向上になるとか、認知症の予防に効果的だとは言われてきた。確かに、ゴルフをやる高齢者は元気な人が多いし、計算力や記憶力の良い人が多いように感じる。特に高齢になってからゴルフを始めるという人は、前向きな考え方の人が多いし、運動習慣を持っている人だからと思っていた。ところが、今回は統計学的というか、実際に実験によって検証されたというのだから、ゴルフが脳にかなり良い影響を与えるということが科学的に実証された形だ。

ゴルフ人口がかなり減少していて、どのようにしてゴルフ愛好者を増やすのか、ゴルフ協会は苦労しているという。それで、国立長寿医療研究センターに協力して、このような検証実験をして高齢者にもゴルフを楽しんでもらう努力をしたのだろうと思われる。本当は、若い人にゴルフを楽しんでもらいたいし、少年少女のゴルフ人口を増やすことをゴルフ協会は目論んでいる。今回は、高齢者を対象にした検証実験を実施したのだが、なかなか粋なことをゴルフ協会はしたものである。

他のスポーツでもある程度の記憶力向上や認知症予防効果があると思われる。しかし、ゴルフほどの効果はないかもしれない。何故ならば、ゴルフというスポーツは他のスポーツよりも遥かに頭(脳)を使う運動だからである。ゴルフは、1ラウンドするのに約4時間から5時間要する。その間、実際にショットやパットをする時間は、事前の準備も含めてわずか15分から20分だと言われている。それ以外の時間は移動や歩行をしていて、その間ずっと自分のショットやパットのことを考えているのである。

脳(頭)は使えば使うほど、脳の機能が高まってくると言われている。こんなにも頭脳を使うスポーツは、ゴルフの他にはないと思われる。他のスポーツで、こんなにもインターバル時間の長いスポーツはないからである。ゴルフはメンタルスポーツとも言われていて、心のあり様が即プレーに反映する。したがって、技能だけ磨いてもスコアーは良くならない。ゴルフには戦略性が必要であるし、メンタル面における自分との葛藤にも勝たなくてはならないのである。こんなにも複雑なスポーツは他にないと確信している。

さらに、ゴルフはアウトドアのスポーツであり、風や雨、気温などにも影響される。しかも、芝生の状態や樹々などの配置にも考慮と対応が必要である。刻々と変化する自然に、どう対応するかが問われているスポーツと言えよう。そして、自然のせいにすることが一切許されていないし、すべては自分の責任なのである。対戦型のスポーツであれば、相手の力量が上だったと言い訳できるが、結果は自分で正直に受け止めるしかないのである。そういう意味では、責任性、主体性、自発性、自主性に基づいたスポーツだと言える。仕事においてもアクティビティが要求されるが、まさしくゴルフというスポーツはそれが重要な要素なのである。他の要因に責任転嫁できず、すべて自分の責任にせざるを得ないのがゴルフなのである。

人間という生きものは、とかく責任逃れをしたり、困難なことから回避したり、誰かに依存したりするものである。ところが、ゴルフだけはそれらのことが一切許されないというルールの中で行うスポーツなのである。だから、人間性とか人間力が磨かれるスポーツであるとも言える。頭脳を使うことで、その能力向上が出来るということも解った。さらに、一緒にラウンドする人との洒落た会話も楽しむことで、社交性も向上する。ゴルフこそ、高齢者に相応しいスポーツだと言える。高齢者のうつ病予防にも効果があるし、メンタル障害になられた方の社会復帰訓練にもおおいに効果がある筈である。高齢期になって、意欲が湧かないという人にも好適なスポーツとして薦められる。

 

※イスキアの郷しらかわでは、不登校、ひきこもり、メンタルで休職や離職された方々が、グリーンツーリズム体験によって社会復帰を目指すことをサポートしています。利用者の農業体験、自然体験は勿論のこと、ゴルフの練習やラウンドの指導(無料)などもいたします。ゴルフ用具の無料貸し出しもしますので、是非お問い合わせください。

あらゆる病気を癒す特効薬「登山」

若い人たちにも登山ブームが起きているらしい。昔のような野暮ったい登山服装ではなく、洗練されていてファッショナブルな洋服に身を包んで、颯爽とした姿で登っている。トレランというスポーツ登山で、走りながら登る姿も目立つ。昔ながらの大きいザックに重登山靴に履いて、山シャツにニッカボッカ姿は見られなくなった。若い人がどんな形にせよ、登山にはまりこんでいるというのは嬉しいことである。さらに、若いパパさんやママさんたちが子どもを連れて登っている姿も微笑ましい。登山人口が増えるから、大歓迎したい。

どうして登山にこんなにも心惹かれるのだろうか。それは、あまりにもストレスフルなこの社会だからこそ、現世界から一時的にも逃れてストレス解消をしているのではないかと見られる。あまりにも生きづらいこの世の中、例え一時的でも何もかも忘れて目の前に広がる自然を満喫することで、精神的に癒されたいと思って登山するのではないだろうか。これは、心理学でいうマインドフルネスという有効的な心理療法のひとつである。気分障害が重症化する前なら、非常に効果が高いと言える。

登山は、精神疾患に有効であるのは間違いない。マインドフルネスという効果もあるが、自然との触れ合いは、間違いなく心を癒してくれる。豊かな大自然に包まれた時に、人間は自分のちっぽけな存在に気付く。登山をしていると、厳しい暑さ寒さ、雨や風に遭うこともあり、雄大な自然が人間の力ではどうにもならないことを知る。人智ではどうしようもない存在がこの世に存在することを実感し、人間は神のような自然に生かされていることを深く認識する。謙虚で素直な、ありのままに自分に還ることが出来る。そうすると、自分があまりにも傲慢で、しかも周囲の人々に対して頑なな態度をしていたと気付くのである。

各種の精神疾患になられた方々が、登山に行ける気力が残っているのであれば、無理にでも行くことを勧めたい。気分障害の方々を登山に連れて行った経験がある。何度かの登山を繰り返すうちに、徐々に心が癒されて元気になった気分障害の人が多い。心と身体は一体である。身体を無理にでも動かしていると、次第に心も動くことになる。少し身体的に厳しい登山をすることで、精神的忍耐力や柔軟性を持てるようになる。簡単に折れてしまう心でなく、どんな苦難困難に対して柔軟な心を持つことなる。精神疾患を緩和するのに、登山が有効だという根拠である。

登山は、身体的な各種疾患にも有効であると思われる。何故ならば、病は気からと言われるように、現代病は殆どが精神的な影響により起きていると言っても過言ではない。勿論、食習慣も含めた生活習慣や生活環境にも影響を受けるが、その悪い生活習慣も元を正せば間違った心が作り出したものである。生活習慣病の殆どは、ストレスや過度のプレッシャーによって生活習慣が乱れて起きていると思われる。そして、身体のネットワークの誤作動が起きて、脳内神経伝達物質や各種ホルモンの分泌異常が、血液循環も含めた体内循環を滞らせて、各種疾患が起きているということが判明してきた。

登山は長時間の負荷運動をすることで、心肺機能を高めることになる。故に滞った血液循環など体内循環を適切に調整してくれる。ガンになった患者さんたちを、富士山登山に誘って、心肺機能向上と生きがい療法をする団体もあるほどである。登山をした人なら解るが、体温を驚くほど高めてくれる。ガンは低体温で起きると言われている。ガンなどの疾病は、自律神経のアンバランスで起きる。副交感神経の活動が低下し、交感神経の異常な亢進により、各種疾患が発症することが判明している。標高の高い所は低気圧になり酸素が薄くなる。低気圧と運動負荷により、酸素摂取を少なくさせて、副交感神経が亢進する。

このように、登山は精神的疾患だけでなく身体的疾患にも有効だという科学的根拠が示されている。厚労省によって難病と指定されている自己免疫疾患などにも、有効であると推測される。さらには、パーソナリティ障害や成人の発達障害なども、登山によって症状が緩和されると思われる。あらゆる疾患を緩和もしくは完治させてくれる登山療法は、現代医療で見離されてしまった人々にも福音をもたらすであろう。病気になられた方は、是非とも登山に勤しんでほしいものである。

※イスキアの郷しらかわは、精神的な疾病と身体的疾病に苦しんでいらっしゃる方々を登山にご案内します。症状に応じた難易度の山を選択しますし、体力に応じたコースを選定します。重症の方には、登山歴豊富のアルピニストで、40年近く臨床に携わったベテラン看護師が同行します。登山ガイドは複数人が同行して、万全の体制でバックアップしますので安心して申し込みください。

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ファン無視の相撲協会

元横綱日馬富士の暴力事件に端を発した角界の不祥事は、相撲協会と横綱白鳳対貴乃花親方の対決に発展している。それにしても、相撲協会と危機管理委員会、さらには横綱審議委員会というのは、権威主義というのか利権主義と言ったらいいのか、あくまでも自分たちの言い分を主張することにだけに拘り、相撲ファンや相撲取りの方々の意思を無視しているかのような言動を続けている。それでいて、世論やマスメディアにどのように思われるのかを怖れていて、まったくと言っていいほど相撲に対する理念がないかのような言動に辟易せざるを得ない。

相撲というのは、勝てばよい訳ではないだろう。他のプロのスポーツでは、あくまでも勝ちにこだわるものもあるが、相撲は神事でもあり崇高な理念に基づいた日本人の魂の拠り所でもある。プロスポーツであるからには、確かに勝たなければならないというのも当然である。しかし、プロスポーツが社会に対して果たす役割としては、勝つ喜びだけではないように感じる。スポーツ振興という役割と、人々に闘う勇気と諦めない精神を伝える使命もある。さらには、子どもたちに夢を与えてくれるのがプロスポーツである。勝つためには、どんな手を使ってもいいというなら、子どもたちの健全育成に悪影響を与えてしまうだろう。

今の相撲が好きだという人と、面白くないという人がいる。勝負に徹して、どんな手を使ってでも勝ちにこだわり、懸命に取る相撲に魅力を感じるファンがいる。一方では、昔のような正攻法をあくまでも追及する美しい相撲こそが大相撲だと主張するファンもいる。こういう人は、ねこだまし、かち上げと称するエルボー打ち、張り手の多用などは、横綱としては許せないと言う。やはりフェアープレーに徹するのが横綱たる所以だと主張する。確かに、勝ちにこだわるのは仕方ないが、勝ち方がえげつないのは、子どもに悪影響を与え兼ねない。

モンゴルから一攫千金を夢見て、単身で乗り込んできたモンゴル相撲の猛者たちは、何よりも勝ちにこだわるのは当然である。勝つためには手段を選ばないであろう。見る人によってはあの他を圧倒する強さに喝采するファンもいることだろう。でも、あの姿を見て相撲を志す子どもたちの心にどんな価値観をもたらすのかということを想像した時に、愕然とした思いを持つのは自分だけではないだろう。一戦一戦が、それこそ自分と母国に残してきた家族の生活と将来がかかっているのだから、勝負に徹するのは当然である。だからこそ、相撲の精神をしっかりと師匠は弟子に教え込まなければならない。

多くの心ある相撲ファンは、あんな勝ちに対して貪欲な姿勢を見せるのは、美しくないと断言する。確かに、相撲道から見たら醜いと思うファンも少なくない。相撲協会は、モンゴル勢の人気に頼らざるを得ない。だから、モンゴルの力士に対して言うべきことを言えないでいる。モンゴル力士だけではない。日本の力士の中にも、美しくない相撲を取るものも少なくない。相撲協会や危機管理委員会、そして横綱審議会の委員たちは本来の相撲道を忘れていないだろうか。相撲は神事であり、神の意思に添わない相撲の取り方は許されない筈である。自分勝手で、相手に尊厳を認めないような、汚い相撲は神が求めていないのである。

相撲協会はおおいなる勘違いをしている。強い力士を育てることが相撲人気を高めるのだと思い込んでいる。しかし、そういう見かけだけの強さ、または肉体的な強さだけの力士だけになったら、ファンは美しい相撲は見せてもらえなくなるのである。貴乃花のような美しい相撲を、ファンは待ち望んでいるのである。それが長い目でみたら、大相撲が隆盛することに必ずつながるのである。相撲の師匠たちや理事たちは、弟子に対して美しい相撲を取ることを教え育てなければならないし、それが出来ないとなればルールとして確立するしかないであろう。相撲ファンを無視した相撲運営をしようとする相撲協会の理事たちは、引退したほうがいいだろう。