保育士が園児に暴力を振るった訳

 静岡県裾野市の認可保育園で起きた事件は、社会に大きな衝撃を与えた。女性保育士というと、子どもには優しく接してくれる存在だと世間一般では思われているのに、子どもを吊り下げるというとんでもない暴行を加えていたとは、すごい驚きである。それにしても、そのような暴行に及んでいたのは、一人ではなくて複数いたというから、驚愕の極致である。保育園側ではそれを知りながら、隠蔽しようとしていたというから呆れる。このような暴行が日常茶飯事に行われるようになったのは、新しい園長に交替してからだという。

 保育園などでは、慢性的なマンパワー不足により、大変な思いで保育士さんたちが働いているという事情もあろう。または、難しい対応が迫られるような園児も大勢いたであろう。だとしても、虐待をしたりカッターナイフで園児を脅したりして、園児を自分たちの思い通りに操ろうとするのは、大きな間違いだ。暴力や罰でもって、自分たち保育士に従わせようとするのは、絶対にしてはならないことである。園児の心に大きな傷をもたらすし、彼らの性格や人格にまでも大きな影響を及ぼすからだ。

 いくら小さい子だとしても、日常的な暴力や虐待は子どもの心身に大きなダメージを与えてしまう。暴力暴言や虐待を受けて育つと、子どもの脳は取り返しのつかない損傷を受ける。記憶を支えている海馬が委縮してしまうし、前頭前野脳が成長しないばかりか退化してしまうこともある。また、脳の中にある偏桃体が異常に肥大化してしまい、不安・恐怖・怒りの感情がコントロールできなくなり、異常なパーソナリティを持ってしまう怖れもある。こうなってしまうと、やがてうつ病などの気分障害を発症することもある。

 暴力や虐待を受けなかった子どもは影響がないかというと、そうではない。それを日常的に見せつけられた子どものほうが、大きな心のダメージを受ける。自分も同じ目に遭うかもしれないという恐怖が大きいからだ。酷いトラウマを抱えることもある。心的外傷(トラウマ)を受けた子どもは、やがて大きくなってからパニック障害やPTSDを起こす可能性だってある。特に乳幼児期に虐待や暴力を振るったり、そういう場面を見せられたりするのは、絶対にあってはならないのである。保育士は暴行罪だけでなく、傷害罪も負うことになる。

 彼女らは『躾』の一環として虐待や暴行をしたとの認識だという。学校現場においても、指導の一環だとして悲劇的な不適切指導が起きている。虐めに加担するような教師もいるし、自らが暴言や暴行を繰り返す教師もいる。たまたま保育士が、今回は同じ行為をしてしまっただけである。他の保育園や教育現場でも起こりうるのである。保育士たちは、目の前の園児たちの言動が許せなかったのである。乳幼児が皆、自分たちの願うように、大人しく聞き分けのある子どもである筈がない。中には、騒ぎまわって指示をまったく受け付けない子どももいるし、反抗的な態度をする子もいたろう。

 多くの大人は、自分の思い描いたように子どもを支配して制御したいものである。特に小さい頃に、あるがままにまるごと愛されて育てられなかった大人は、自己肯定感が育ってないから、子どもの言動に対して寛容と受容が出来ない。すぐに切れてしまう。虐待や暴力を振るわれて育つと偏桃体が肥大化すると記したが、まさしく同じように育てられたのではなかろうか。怒りのコントロールが出来なくなっているのだ。自分は、インナーチャイルドが傷つけられて育っているから、子どものような純真さを表に出せない。その純真さを思いっきり表出させて騒いでいる園児が余計に許せないのだ。

 すべての人間がそうだとは言えないが、大きな愛で包まれて心が満たされている人は、他人に対して攻撃を加えることがない。豊かな愛を注がれ続けている人は、他人の言動を許せるし受け容れられる。小さい頃にあるがままにまるごと愛されて育った人、いわゆる豊かな母性愛に包まれて育った人は、自分より小さくて弱い存在をまるごと愛することが出来る。例え、自分の思い通りに行動しない園児だとしても、優しく接する。園児を暴行した保育士たちは、おそらく自我と自己の統合が出来ていなかったのではなかろうか。自己肯定感がなくて、自己の確立が不完全だったように思う。罪を償ったうえで、自己マスタリーを実現して、社会復帰してほしいと願う。

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