なぜ自殺をしてはいけないのか

 なぜ自殺をしてはならなのか?と子どもや孫に問われて、どのように答えるだろうか。または、自殺をしてはならない理由を児童生徒に聞かれて、先生たちはなんと答えるのか。適確にそして適切に、自殺してはならない理由を明確に答えられる人は、おそらくごく少数であるに違いない。殆どの人が答に窮すると思われる。どうして自殺をしてはならないのか、この答を明確に答えられる大人が少ないから、そして子どもたちに自殺をしてはならないことを教えてこなかったから、子どもたちの自殺が減らないのである。

 自殺者の総数は減少傾向にあるものの、子どもたちの自殺者数は減ってないどころか増え続けている。生きていく苦しさをもうこれ以上抱えられない、自ら死を選んだほうが楽なんだと思ってしまうのであろう。そんなにも悩み苦しんでいる子どもを、救ってあげられる大人がいないというのは、実に情けないことではないだろうか。自殺の原因は何なのかと調べていくと、学校でいじめられていたとか、成績不良で挫折していた、友人関係で悩んでいた、家族との関わり合いで問題を抱えていたとか、実に様々である。

 自殺の原因をそのように特定してしまうと、自殺を防ぐことは永遠に出来ないのではないかと思えて仕方ない。何故ならば、これらの自殺の原因を完全取り除くことが出来ないからである。そして、これらの問題を抱えている子どもは、もっと多い筈であり、実際に自殺をしてしまうかどうかは、別の要因によって大きく違ってくるのではないだろうか。そして、自殺をする本当の原因は他にあるのではないかと思われる。まず、自殺をする子どもたちは、自己肯定感を持っていなかったし、安全基地になってくれる存在がなかったのは確かだ。

 絶対的な自己肯定感を持てなかったのは、愛着に問題があったからだろうし、安全基地が存在しなかったというのは、愛着障害だったからであると思われる。もし、自殺してしまった子どもたちに絶対的な自己肯定感が育っていて、安全基地という存在があったなら、同じような境遇に追い込まれても、絶対に自殺はしなかった筈だ。絶対的な自己肯定感を育むように成長し、安全基地に守られていたなら、自分から死を選ぶことはなかっただろう。そして、人間はなぜ自殺をしてはならないのかを教えられていたら、どんな苦境も乗り越えただろう。

 なぜ自殺をしてはならないのか、この問いに大抵の人はこんなふうに答えることだろう。人は自分ひとりで生きてきたのではなく、多くの人に支えられて生きてきた。そして、その育てられた恩に報いずに死んではならない。また、自殺してしまうと自分を支えてきた人をおおいに悲しませてしまうと。多くの人を悲しませるようなことをしてはならないのだと諭す人は多い。または、こんなことを言うかもしれない。自殺とは自分で自分を殺すということで、殺人と同じなのだから、そんな罪を犯すようなことをしてはならないと説得する。

 こんな理由で自殺をしてはならないと、苦しんでいる子どもを説得しようとしても、おそらく自殺を思い止まらせることは難しいことであろう。何故なら、自殺をするような子どもは、親・家族との関係性、友達や先生たちとの関係性が希薄なのだからだ。良好な関係性がないから、一人で悩み苦しんで誰にもその苦しみを打ち明けられないのだ。当然、自分が死んでも悲しんでしまう人がいると実感できないのだ。または、自分を殺してはならないのだと倫理的に訴えても、聞き入れる訳がない。

 それでは、なぜ自殺をしてはならないのか、真の理由は何か。人間は自ら自己組織化をするひとつのシステムである。人体とはこのシステムによって全体最適を目指す。37兆2000億個の細胞のひとつひとつがそれぞれの関係性(ネットワーク化)によって、全体最適のために協力し合う。さらに、それぞれの多様性があるからこそ、自己進化をするのである。人間社会もまったく同じでひとつのシステムである。当然、多様性と関係性があってこそ、自己組織化するし自己進化をする。その多様性と関係性を自ら断ち切るような行為である自殺をすることは、社会を否定し破壊するエゴ行為なのである。だから、自殺をしてはならないのだ。

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