子どもは哲学が大好き

 子どもなんて哲学とか思想の話に興味を持つ筈はないだろうと、殆どの大人が思っているに違いない。実際に試したこともないだろうから解らないのも当然だが、子どもに思想・哲学の話をすれば、目を輝かしてその話に聞き入る筈だ。そんな馬鹿なと思うであろうが、子どもは思想や哲学の話が大好きなのだ。思想・哲学の話に興味を持つ子どもなんてごく少数であって、殆どの子どもは哲学を嫌う筈だと大人は思うに違いない。確かに、今の大人たちは哲学や思想が嫌いだ。しかし、子どもは哲学の話を欲しているのだ。

 今から30年以上も前に、こんなことがあったのを覚えている。一家5人が車で一緒に出掛けた時のことである。その時にどんな話をしたのかは忘れてしまったが、こんな話だったろうと思う。人間は本来こういう生き方を志すべきであり、それこそ人間がこの世に生まれてきた意味である、というようなことを言ったと思う。子どもに対して、そんな難しいことを言っても興味を示さないだろうと、冷ややかな目をしていて呆れていたのは愚妻である。その時助手席に乗った小学生高学年の愚息が、驚くような反応をしたのだ。

 彼の様子を運転席から眺めたら、なんと涙をボロボロとこぼしていたのである。あまりにも泣いていたので、心配してどうしたのかと尋ねたら、今の話に感動したからだと答えたのである。10歳そこそこの子どもが、父親の話に感動して涙を流すほど感動するなんてありえないと、その時は思ったものである。しかし、20年くらい過ぎた時に、そういうこともあり得ると確信したのである。何故なら、他の子どもたちに哲学的な話をした時にも、真剣になって聴く姿を見たからである。子どもというのは、哲学が好きなんだと気付いた。

 日本人の大人たちは、哲学の話を聞くのも話すのも避けたがるというか、嫌っている。そして、子どもたちに哲学を語れる親がいない。親が哲学とか思想を嫌っているのだから、学ぶ機会もなかったと思われる。おそらくは、哲学・思想を自分自身の親から聞かされてなかったのではなかろうか。ましてや、学校教育においては、哲学・思想を文科省が敢えて排除してきたのだから、親がその大切さを知らないのは当然である。思想・哲学なんて生きる上で必要としないと思うのだから、子どもに大人が語らないのも仕方ない。

 子どもは何故哲学が好きなのかというと、それは子どもの魂というか深層無意識のレベルで思想・哲学を欲しているからである。人間そのものというのか人体というネットワークシステムが正常に働いて本来の機能を発揮する為には、哲学が必要不可欠なのである。車の運転に、操作システムと制御システムが必要なように、人間が健全に生きる為には人体ネットワークシステムを制御する『哲学』がなくてはならない。その哲学は何でも良い訳ではなく、正しくて崇高なる価値観によって裏付けされた哲学が求められるのである。

 詳細は省くが、明治維新政府は欧米から近代教育を取り入れ、学校教育から思想哲学を敢えて排除した。さらにGHQの指導もあって、戦後の学校教育から思想教育を徹底排除した。こうして日本においては、思想哲学が廃れてしまったのである。それでも、純真無垢であって、変な固定観念に縛られていない子どもは、哲学が好きだし求めているのである。しかし、残念ながら哲学を語れる大人がいないので、子どもは哲学を学ぶことなく大人になってしまうのである。現代の日本人が、本来生きるべき道を忘れ迷い、生きづらさを抱えているのも、哲学がないからだ。メンタルを病んで不登校やひきこもりになる所以もここにある。

 哲学というと、あくまでも観念論であって非科学的な学問だと認識する人が多い。非科学的であり、我々が経済生活を営む上で不要なものだと考える人が少なくない。しかし、哲学は非科学的ではない。最新の正しく崇高な価値観に基づいた哲学は、科学的にも正しいのである。特に、複雑性科学に基づくシステム思考の哲学は、科学的にも正しいことが世界一般に認められつつある。哲学は科学と統合されつつあり、科学哲学と呼ばれているのである。雑念に惑わされていない子どものうちに、科学哲学を学ばせたいものである。そもそも子どもは哲学が大好きなのだから。

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