哲学を語れないのは父親失格

 小学生の高学年や中学生に対して、親が真面目に哲学の話をしても、けっして耳を傾けることはないと思っているに違いない。しかし、試しに子どもに哲学を語ってみてほしい。そうすると、意外に思うかもしれないが、子どもは熱心に哲学の話に聞き入るだろう。しかも、目を輝かせながら、時には涙を流しながら聞くのである。勿論、ただ単に哲学のエッセンスだけを語っても子どもは聞く耳を持たないかもしれない。あくまでも、物語化させた哲学を熱く語らなくてはならない。そうすれば子どもは生き生きとした表情を見せながら、その哲学的物語に耳を傾けることだろう。

 

 子どもは、基本的に哲学の話が好きなのである。何故かと言うと、人間というのは生まれながらにして、自分自身の哲学や価値観を求めているからだ。最新の医学的な所見に基づけば、人間の細胞どうしはネットワークによって連携している。さらに細胞は、ある意味哲学的とも言えるようなひとつの法則によって活動が行われていることが判明した。その法則とは、関係性の哲学であり、全体最適の価値観なのである。細胞は人体を網羅したネットワークを組んで、各種のメッセージ物質をやり取りしながら、全体最適を目指して活動しているのである。

 

 人間は、37兆2千億個からなる細胞で組成されている。当然、人間もまたその細胞の影響を受けているし、細胞そのものの哲学に反した活動をすると、深刻なシステムエラーを起こす。病気とか怪我もそのエラーのひとつであるし、家族崩壊や企業破綻などもシステムエラーである。親子や夫婦が破綻を起こすのも、関係性重視と全体最適の哲学を無視した生き方によるエラーである。子どもは純真で大人のように穢れていないから、関係性重視と全体最適の哲学を聞くと、すんなりと受け容れて感動するのである。

 

 この関係性重視と全体最適の哲学を『システム思考』の哲学と言う。このシステム思考のような正しくて高邁な哲学を子どものうちから父親は語って聞かせておかないと、子どもは大人になってシステムエラーを引き起こす。夫婦間における破綻、家族崩壊、企業破綻などを起こしてしまうからである。ところが、この哲学を語れる父親がいないのである。父親自身が哲学を知らないのだから、子どもに哲学を語れないのも当然である。父親が哲学を語って聞かせて、子どもが涙を流して感動する様を見たことがないだろう。

 

 子どもは哲学に飢えているのである。現代の学校教育では、先生が思想哲学の話をするのはタブーとなっている。終戦後、GHQは学校教育現場から思想哲学を排除した。天皇崇拝や全体主義につながると誤解した為である。今では、一部の大学にしか哲学科は残っていない。思想哲学の勉強をしても、全体主義には陥らないし、逆に全体主義には批判的になる。全体最適と全体主義とは、正反対の思想である。このような誤解があって、日本の教育から思想哲学が消えてしまい、哲学を知らない親たちは子どもに哲学を語れなくなった。

 

 父親が子どもに哲学を語れないというのは、由々しき一大事なのである。思想哲学と言う生きる上での道しるべというか航海における羅針盤が抜け落ちたまま大人になるのである。人生の大事な選択に際して、間違った生き方を志してしてしまうこともあるし、大きな過ちを犯すことも多々ある。こういう不幸な生き方を子どもにさせてしまったら、父親失格である。母親だって哲学を我が子に聞かせることが出来ると思うかもしれない。しかし、やはり母親では無理なのである。母親は、母性愛という無条件の愛で子どもを包むだけである。

 

 現代の父親が哲学を子どもに語れなくなったのは、本人の責任ではない。父親が自分の親から哲学を語って聞かせてもらえなかったからであり、学校教育で思想哲学を排除されてしまったからである。自分に責任がないと言いながら、子どもが不幸になるのは父親の責任である。とすれば、これからでも遅くないから、父親は正しくて高邁な哲学を学んで、子どもに語って聞かせるべきである。関係性重視と全体最適というシステム思考の哲学を、子どもに語って聞かせなくてはならない。父親失格の烙印を押されないように。

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