自分を責めなくていいんだよ

不登校やひきこもりの状態にある子どもたちや若者に共通して存在するのは、自分を責める心である。自分がこのような状態に追い込まれているのは、自分が悪いせいだと責めているし、こんなにも弱い自分が許せないと思っている。そして、何よりも親に心配かけていることにも自責の念を抱いている。そして、自分でも何とか解決したいと思いながら、どうにもならない自分の勇気のなさも気にかけている。さらに、主に子育ての役割を果たしていた母親もまた、不登校やひきこもりの子どもにしてしまった自分を責めている。

★セツブンソウ(2月から3月に咲く花)

不登校やひきこもりをするようになったのは、本人と子育てをした親に責任があると思っている人は多い。何故なら、誰にとっても同じ学校の環境なのに、学校に行けないのは本人の心の弱さであり、そのように育てた親に責任があると考えてしまうからである。学校の先生も同じように考えている節がある。すべての児童生徒に対して、同じように教育と指導をしている筈なのに、どうして特定の児童生徒だけが不登校になるのか不思議だと思っている。本人とその保護者に責任があると思うのだから、口にこそ出さないが不登校の責任は学校にはまったくないと思い込んでいる。

しかしながら、不登校やひきこもりになった責任は、本人にはまったくない。ましてや、子育てをした親にも責任はない。不登校やひきこもりにさせてしまった本当の責任は、学校と社会にある。学校、職場、地域すべての社会は、不寛容社会だと言われている。他と少しばかり違っていると、仲間から排除したがる。自分達と同じ考え方や言動をしないと、仲間外れにしたり虐めたりする。他との違いを個性として認めないし受け容れないのである。不寛容社会は、多様性を認めないから生きづらいし居場所がない。だから、不登校やひきこもりがなくならないのである。

不登校児とひきこもりの青少年、そしてそのご両親に対して、自分のことを責めなくていいんだよ!と申し上げたい。そのうえで、敢えてご両親に助言したいことがいくつかある。先ずは、子どもたちは学校に行けないことで罪悪感を持っていることを認識してほしい。したがって、学校に行けないことを責めるのは止めてほしいということだ。自分で自分を否定している子どもを、さらに親が否定することは避けなくてはならないということである。学校に行けないことを、ことさら問題視しないでそっと見守ってほしい。

また、子どもを言葉で動かせると思い込むことは、よくないということも認識しなくてはならない。幼少年期までなら、言葉で子どもを動かせる。しかし、思春期に入ってある程度の自我が芽生えてくると、親の言葉で子どもを動かすことが出来なくなる。そして、やがてはお互いに言葉で主導権争いをしてしまうのである。さらに、それがお互いに不可能だと察すると、不機嫌な態度や無言の圧力をかけて、相手を支配し制御しようとする。これは、けっしてよくない結果を生み出すこということを認識したい。

さらに、親の期待が大きければ大きいほど、子どもを責めることになることを認識しておく必要がある。そして、それは本人への直接的な言葉でなくても、子どもを責めてしまうことにも繋がる。例えば、兄や弟が学業やスポーツで優秀な成績を取った場合に、不登校やひきこもりの子の前で誉めることは、無言の期待をかけることになる。また、親戚や知人の子が、優秀な成績で有名高校や著名大学に入ったこと、大企業に入社した話なども、その子の前で言う事は禁物である。優秀な子と比較されることは、自分が責められている事と同じなのである。他と比べるということは、本人を責めてしまうことになるのだ。

最後に、意外だと思うかもしれないが、励ましも本人を益々責めることになるということも認識すべきだ。やがては学校に行けるようになるよ、ひきこもりから復活できるから心配ないよ、という言葉は本人にとって実に残酷なのだということを知らない親が多い。親がこんなに励ましてくれているにも関わらず、実際にその通りに出来ない自分がもどかしく、そして期待に応えられないことに幻滅し、自分が情けなくて益々自分を責めることになる。辛い自分、苦しい自分、情けない自分、責めてしまう自分に対し、親はまるごと共感して、否定せずにそっと寄り添うことが求められる。そうすればやがて、自分を責めなくてもいいのだと自ら思えて、少しずつ自立に向かうことが出来るに違いない。

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