不倫報道の深層心理分析

不倫報道は止まるところを知らない。連日に渡り芸能人や政治家・スポーツ選手など有名人の不倫報道が、マスメディアを賑わしている。特に、週刊文春と週間新潮はスクープ合戦を繰り広げており、それに乗じてTV各局のワイドショーがこれを取り上げている。今年は特に多いらしくて、計35~36回の不倫報道があったらしい。これらの不倫報道に対して、ワイドショーの出演者たちが、おしなべて批判的なコメントをする。少しでも擁護でもしようものなら、視聴者からの容赦ないバッシングが届くのだから、我が身を守るには批判的にならざるを得ない。

それにしても、日本という国は平穏だというか、平和ボケした国民だと思われる。報道すべき大切なことが他に沢山あるだろうに、不倫報道にかかる時間は必要以上に多い。昔からゴシップ記事を載せた婦人週刊誌は売れていたし、不倫報道を扱うワイドショーは視聴率が高い。それだけ一般市民が知りたがっている情報だということで、週刊文春や週刊新潮という比較的お堅い週刊誌までが、不倫を扱うようになってしまった。芸能誌や写真週刊誌が扱うならまだしも、正統派の週刊誌までも不倫報道をするなんて、実に情けないことである。

週刊文春や週刊新潮に、難関を突破して入社したエリート記者たちは、こんな下卑た記事を書いたり編集したりするとは夢にも思わなかったであろう。勿論、こんな不倫報道の記事は正社員が書くのではなく、外部の委託社員が持ち込む記事であろうが、こういう記事を買い取ったり編集したりすることを、正社員たちはどのように感じているのか興味がある。もしかすると、報道記者としての矜持さえなくしてしまっているとしか思えないのである。営利企業だとはいえ、こんな下劣な不倫報道を何度もスクープして喜んでいるというのは、彼らに報道哲学が存在しないという証左ではないだろうか。

テレビ局の記者たちも同様である。こんな不倫報道のスクープ合戦に、嫌気がささないのであろうか。報道記者としてのプライドがないのに等しい。政治や経済関連の報道は、国民に正しい情報を伝えるという報道記者の使命を全うするので、報道のしがいもあろう。不倫報道をして、社会的にどんな意味があるのだろうか。無理やりこじつければ、不倫という行為が愚かなことであり、自分の身を亡ぼしてしまう行為だから、絶対にしてはいけないことを教示しているとも言える。しかし、一般人の不倫がばれることは殆どないのだから、不倫報道によって自分が不倫を止めるということは考えにくい。

さて、このような不倫報道をする週刊誌やTV局の記者たちの心理を分析してみよう。彼らの深層心理においては、著名人の不倫報道にこれだけこだわるというのは、成功している者や富裕者に対する妬みや嫉みがあるからではなかろうか。勿論、このような不倫報道とその不幸な結果を知りたいと求める一般市民がいるからであり、このような市民もまた深層意識において、幸福な人に対するジェラシーがあるように感じる。幸福な人間を自分と同じ不幸な境遇に引きずり下ろしたい深層意識があるように思えて仕方ない。

古来より他人の不幸は蜜の味と言われてきたが、自分が幸福だと実感している人はそんなことを求めない。真の幸福とは、物質的金銭的な豊かさではなくて、家族や周りの人から敬愛されて、必要な人として求められることであろう。それが満たされていなくて、愛されていない人が、不倫報道とその悲惨な結果を求めるし、不倫は許されないと憤るのではないかと思う。もしかすると、深層意識で不倫願望があって、それが叶えられないことの裏返しではなかろうか。実に卑劣で、情けないことである。

不倫と言うのは、本来は秘め事である。その秘め事は、絶対に他人には知られてはならないことであるし、その秘め事により周りの人々を不幸にしないという暗黙のルールがあった筈である。とすれば、その秘め事をあたかもスパイのような行為で明らかにして、それを記事にしたり報道したりするのは、ルール違反だと言えないだろうか。勿論、不倫はしてはならないことである。だとしても、その不倫行為は本人が罪悪感を持ちながら、または自己責任を取る覚悟で実行する行為であり、他人がとやかく言うべきものではない。不倫報道により、たくさんの人々の不幸を招いたり不信感を植え付けたりするのは、報道に携わる人間としてやってはならないことであろう。報道哲学と社会正義を発揮し、森友・加計問題や検査偽装事件が何故起きたのか、再発防止に向けた課題を真剣に掘り下げるなどの報道を強く望むものである。

 

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