森のイスキアと佐藤初女さん

森のイスキアの佐藤初女さんが2016年の2月に永眠された。日本のマザーテレサとも呼ばれる伝説的な福祉活動をされて、多くの人々から慕われ続けた94歳の生涯を閉じられた。彼女の握った奇跡のおむすびは、死を覚悟した人の心を動かし、自殺を思い止まらせた。心を痛め折れてしまった人々を、佐藤初女さんは温かい心と食事で救い続けてきた。森のイスキアという施設は、傷ついた心と疲れ切った身体を抱えた人々を優しく迎え入れて、自らの元気さを取り戻すことを可能にして、再び社会に送り出してきたのである。

その森のイスキアは、佐藤初女さんが天国に召されてから、活動を休止している。既に1年半が過ぎたというのに、残念ながら彼女の活動を引き継ぐ方がいらっしゃらないようである。森のイスキアは多くの方が寄付をなさって建てられた、善意の施設である。彼女の遺志を継いで行く人がいないというのは非常に残念なことである。イスキアという名前を引き継いで、各種の活動をされていらっしゃる方は存在する。助産所をしたりカウンセリングやヒーリングをしたりしている方もおられる。相談業務をして人々を救う活動をしている施設もあるらしい。しかし、森のイスキアのような癒しの宿泊施設として運営している処はないみたいだ。

佐藤初女さんと同じような活動をするのは、非常に難しいと思う。佐藤初女さんと同じ空間にいるだけで、彼女に話を聞いてもらえるだけで、心を込めて作ったおむすびや食事を食べただけで、心を癒すことが出来た。佐藤初女さんのような方は二度と出てこないに違いない。彼女の存在は、それだけ大きかった。だとしても、第二、第三の佐藤初女さんが現れて来なければ、彼女は浮かばれないように思うのである。彼女の遺志を継いで、同じような癒しの宿泊施設が全国の各地に開設してほしいと願うのは、私だけではあるまい。

今から20年くらい前に佐藤初女さんを初めて知った。彼女を紹介していた地球交響曲第2番を鑑賞して、大きな衝撃を受けた。その時に、自分もいつかこのような施設を作りたいと強く思った。そして、12年くらい前に弘前にある森のイスキアを訪ねた。佐藤初女さんとお会いして、その滲み出ている優しさと凛とした強さを感じた。彼女の存在そのものが偉大であり、大きく包み込むような愛そのものだった。その時に、訪問者が記すノートが置いてあり、『イスキアと同じような施設を白河に必ず作ります』と記してきた。自分のライフワークとして取り組む宣言でもあったように思う。

あれから、10数年が経過した。森のイスキアと同じような施設を福島県の白河地方に作りたい思い、準備を重ねてきた。森のイスキアの佐藤初女さんのような食事を作りたいと思い、毎日せっせと料理をしては多くの方々に食べて頂き、率直な感想を伺った。心理学、精神医学、カウンセリング、ヒーリング等の学習を進めた。また、哲学、思想、仏教哲学、神学、キリスト教などの価値観を学んだ。さらには、医学、分子生物学、分子細胞学、量子力学、宇宙物理学、脳神経科学、大脳生理学なども詳しく勉強した。空き農家も物色して、農家民宿への改築する準備をしてきた。

しかし、残念ながら開設資金の問題がなかなかクリアーできずにいたのだ。開設してから運営が順調に行くまでのランニングコストを負担する目途も立たなかった。改築資金が約500万円、そして当座の運営資金が約500万円、合わせて1,000万円の準備は難しかった。寄付を募ったりするという方法もあったが、なるべく寄付には頼らないというのが自分のポリシーである。さらに、国や県の委託事業(助成金)として運営する方法も考えて企画書を作成して、各行政機関に提案したものの、実績もない事業計画を認められるのは困難だった。

ある日、吉田さん夫妻が経営している農家民宿「四季彩菜工房」とタイアップするのはどうか?とアドバイスしてくれる友人がいた。早速訪問して、森のイスキアへの思いを伝えてみた。幸運にも『イスキアの郷しらかわ』への全面的協力を約束してくれたのである。四季彩菜工房は、7年前までは毎年400人から500人ほどの利用者があった。マクロビや自然食愛好者から絶大な支持を受けて、食事も美味しいとリピーター訪問者が多かったのである。その後の震災による風評被害で、利用者はゼロになってしまったのである。物事が順調に進んでいくには、『間』が必要不可欠である。絶妙のタイミングであり出会いであった。吉田さんの協力がなければ、このイスキアの郷しらかわの開設は出来なかった。こうして、平成29年9月1日にイスキアの郷しらかわは産声を上げることが出来たのである。森のイスキア佐藤初女さんのご遺志を継いでいけるよう、精進したいと誓っている。

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