キレるのは何故か~脳科学的検証~

高速道路でのあおり運転から事故死を招いて、危険運転致死傷罪で23年の求刑をされた被告運転手がいた。まだ判決は出ていいが、この被告は運転中に何度もキレていたと交際していた女性が証言していた。最近、このような危険なあおり運転が続発しているが、その殆どのケースで運転手がキレていたと思われる。車というのはある意味凶器にもなりえる。そんな凶器を操っている人間が、こんなにも簡単にキレてしまえば、周りの善良な運転手と同乗者は大変なリスクを背負うことになる。死と隣り合わせのドライブと言えよう。

隣国の韓国では、最近飲食店や販売店に訪れたお客が、突然キレて店員に暴力を奮う事件が続発しているらしい。韓国のケースでは、この様子を動画で録画していた他の客がSNS上にアップして、人物が特定されてしまうという。この人物はネット上で炎上するだけでなく、警察にも摘発されてしまい、深く反省させられるという。韓国ではこのキレる客が多いことから社会問題化してしまい、労働法を改正せざるを得ない状況に追い込まれているくらい深刻だという。韓国ではキレた経営者が社員を暴行する事件も起きている。

日本や韓国で、どうしてこんなにもキレる人間が多くなっているのであろうか。我慢できない人間が増えているとも言えるが、何故こんなに忍耐力を持てなくなっているのか、脳科学的に検証してみたいと思う。怒りや憎しみの感情などを起こすのは大脳辺縁系における偏桃体だと言われている。キレるというのは偏桃体が暴走した状態と言えよう。この偏桃体の働きを抑えるのは前頭前野である。前頭前野が正常に発達していると、偏桃体が暴走するのを鎮めてくれるらしい。偏桃体が異常に働きすぎることと前頭前野の未発達がキレる原因を作っているのではないかと見られている。

キレる原因はこれだけではない。セロトニンの分泌が少ないとキレやすいとも言われている。脳幹部に近いところにある縫線核という箇所に、セロトニン神経の細胞が集中している。このセロトニン神経が、現代の過剰なストレスや疲れ、または不眠などにより、セロトニン神経が疲弊しているとキレると言われている。さらに、低血糖状態でキレることが解明されている。現代の食生活の乱れが血糖値の不安定を呼んで、低血糖状態を起こしてキレる。糖分や糖質の多い食べ物や飲み物を好んで飲食する生活が、キレることに繋がる。

偏桃体や前頭前野の異常、そして脳幹部の縫線核の機能低下、さらには食生活の乱れがキレるという症状を起こしているのである。現代人における、運動不足・不眠などの生活習慣の乱れもキレやすくさせている。自然派の医師たちは、農薬と化学肥料使用の農産物・人工の食品添加物・殺菌剤・ホルモン剤や抗生物質投与の畜産物や魚介類・ワクチン投与・牛乳の摂取なども脳や人体システムの異常を起こしていると主張している。そういう意味では、小さい頃からの食生活も含めた生活習慣が大切だと言える。ましてや、セロトニン不足がキレるというのであれば、親からの愛情不足も影響しているかもしれない。

現代人がこんなにもキレやすくなっているというのは、別の視点から考察すれば、このままに推移していくと、社会生活が安心して送れなくなってしまうということになる。街を歩いていて、ちょっとした動作や表情が気に入らないからと、突然暴行を奮われることになり兼ねない。車の運転だって、いくらドライブレコーダーを積載して抑止効果はあっても、あおり運転をされる危険性がまったくなくなる訳ではない。ましてや、激高した人間は後々のことなんて考えない。一度キレてしまえば周りの人が止めてもブレーキが効かなくなる。車を運転するのは楽しい筈なのに、おどおどしながらドライブするしかなくなる。

こんなキレるような人間を生み出している責任は、すべてではないにしても、保護者にあると言える。小さい頃から愛情いっぱいに育てて、正しい食生活を心がけ、運動や自然体験をたっぷりとさせて、豊かな想像力と感性を育むことが大切だ。しかも、前頭前野を正常に発達させるには、正しい価値観の教育が必須である。人は何故生まれてきたのか、どう生きるべきかという人生哲学を育むには、根底となる宇宙の真理に基づく価値観が必要になる。自分の為だけでなく、周りの人々や世界人類を幸福にすることが人間としての務めであると、具体例や物語として教えてくれる大人が必要だと言える。これがキレる人間をこれ以上生み出さない唯一の方策である。

※キレやすい我が子、またはキレる社員がいて困っている方がいたら、「イスキアの郷しらかわ」の研修を受講されることをお薦めします。キレる本人だけでなく、親、または企業の管理者がキレる人間をどう扱うかという学びも可能です。自分がどうしてキレるのか悩んでいらっしゃる方には是非受講してもらいたいと思っています。問い合わせフォームからご相談ください。

NOと言える企業風土なら伸びる

個人経営の企業や商店でしかもワンマン社長のケースでは、自分の信念など忘れたようにイエスマンを演じている社員・店員がいる。いや、信念そのものがないような振る舞いを平気でしている社員が所属している例が多い。社長・店主に逆らえば、会社を去るしかないと思い込んでいるのかもしれないが、絶対に反対意見を述べない社員が殆どだ。いわゆる裸の王様状態であり、それを社長自身も気付いていない会社が多い。ワンマン社長が悪い訳ではない。最終的には、社長が決断して責任を取るのだから、ワンマンであっても良い。しかし、社員が意見まで言いにくい環境になっているのは問題であろう。

役員のように自分の地位や待遇を守る為には、ある程度は社長に追随しなくてはならない。それでも、社長が経営の為に必要な情報を持ちえない場合は、その情報が社長の望まない情報であったとしても伝えるべきであろう。たとえ機嫌を損なったり自分に風当たりが強くなったりするような、都合の悪い情報であったとしても提供すべきであろう。その情報が伝えられなければ、経営や重要な決定において誤る可能性が高いならなおさらである。ところが、得てして地位が高くなればなるほど、社長に評価されればされるほど、追随を通り越して、社長に追従してしまうケースが多いのである。

このような企業は外から見ると社長を中心にして一枚岩のように見えているし、ある程度は安定経営をしているが、残念なことに伸びないのである。何故かというと、一つは必要な情報が社長に集まらないからである。それも、社長にとって都合の悪い情報や、社長が機嫌を悪くするような情報が伝わらないのである。社長の機嫌を損なったり叱られたりするのを避けたいと、会社経営には絶対に必要な情報も敢えて伝えないようになるからである。さらに問題なのは、社員たちが自分たちで即断出来なくなることである。社員すべて社長の判断を仰ぐようになり、スピードが必要な判断が出来ず、対応が後手に回るケースが増えるからである。

もっと悪い状況が起きる。社員が伸びないのである。自己成長や自己実現をする社員がいなくなるという状況が起きるのは、企業にとって致命的となる。自発性、自主性、主体性という会社を構成する社員が絶対に必要とする人間性が欠落してしまうことになる。しかも、責任性さえも持てなくなるから最悪である。社員は指示されたことだけをするようになるし、責任を問われるようなことは絶対にしなくなる。会社にとって最善となる処理さえも、後から責任を追及されるのが嫌だから、見て見ぬふりをする。問題の先送りという由々しき事態が起きる。後で大問題になるようなことにさえ、社員は目をつぶることになってしまうのである。

やがて、もっと最悪な状況が社内に起きる。社内の人間関係が最悪になるのである。社長ににらまれないようにするし、社長に気に入られようとする社員たちは、お互いに協力しなくなる。何故なら、行き過ぎた競争原理が働いてしまい、周りの人々の悪口を平気で言うようになるし、競争相手の失敗を望むようになるのである。お互いに必要な情報交換、共に協力が必要な問題解決がまったくなくなるからである。社員の関係性が悪くなれば、社内の問題はまったく解決されず先送りされて、やがて問題は先鋭化・巨大化していき、取り返しのつかない状況に陥る。関係性が悪くなるから、優秀な社員ほど辞めていくし、やる気をなくすのである。メンタル障害者も多発するし、離職者や休職者も多くなる。

業績が伸びている会社、さらにはイノベーションを起こして発展している会社は、社員がいきいきとしている。社員が自発性や主体性をいかんなく発揮している。そして、自らが率先してリスクとコストを引き受ける。つまり、社員が責任感をいかんなく発揮しているのである。会社が大きく発展しているというのは、何も社屋や組織、売り上げや社内留保、時価総額が大きくなることではない。社員がおおいなる成長をして、人間性の優秀な社員が増えることである。そうすれば、収入の伸びよりも収益性が高くなるし、常に新しい価値を創造して、社会に提供している。つまり、おおいに地域貢献・社会貢献をしている会社になるのである。そういう会社は間違いなく、安心してNOと言える社内風土がある。

※NOと言える会社風土を創るための研修を、イスキアの郷しらかわでは実施しています。また、集合研修だけでなく、実際に企業を訪れて職場の診断とOJT指導をすることも可能です。メンタル障害が多発するとか、離職者や休職者が多いという職場は、風通しが悪くNOと言えない環境なのかもしれません。お悩みの人事担当や経営者の方は、問い合わせフォームからご相談ください。

※NOと言える会社風土を創るための研修を、イスキアの郷しらかわでは実施しています。また、集合研修だけでなく、実際に企業を訪れて職場の診断とOJT指導をすることも可能です。メンタル障害が多発するとか、離職者や休職者が多いという職場は、風通しが悪くNOと言えない環境なのかもしれません。お悩みの人事担当や経営者の方は、問い合わせフォームからご相談ください。

詐欺や偽投資話に騙されない為に

ジャパンライフという会社が2,000億円の負債を抱えて倒産したというニュースが流れた。投資した多くの出資者は、その投資額の殆どが戻らないと言われている。なけなしの退職金をつぎ込んだり、細々とため込んだ虎の子の老後資金を投資したりしてしまい、これから生活もままならないという可哀想な人もいるという。最初から巧妙に騙そうとしたのではないかと疑われている。騙されるほうも悪いなんてことは言わないが、どうして人はこんなにも簡単に、儲け話やうま過ぎる話に騙されてしまうのであろうか。

世の中において、巧妙に詐欺を働く人間は後を絶たない。天下の一流企業でさえころっと騙される世の中である。積水ハウスが地面師グループに55億円を騙し取られる詐欺事件が起きたのは記憶に新しい。なりすまし詐欺事件も、これだけ注意喚起されているのに、続々と起きている。高齢者を騙す、偽請求事件や偽投資話も増えている。結婚詐欺も巧妙化していることもあるが、騙されてしまう人も少なくない。人間と言うものは、実際に痛い目に遭わないとその怖さを認識できなくて、騙されてしまう生き物なのだろうか。

詐欺に遭ってしまうという人は、疑うことをしない人で素直に信じてしまう人なのかというと、実はそうではないらしい。客観的に、そして合理的な判断をする傾向にある人だというのだ。そして、知識や教養もあり、高い学歴もあり知能も高いという。だから、どうしてこんなにも簡単に騙されるのか、不思議でならないと警察関係者は言うのである。だとすると、誰でも騙されるのかというと、そうでもないという。騙されない人というのは、どんなに巧妙に仕組まれたとしても、絶対に詐欺には引っかからないらしいのだ。

それじゃ、騙される人と騙されない人との違いは何なのか、それが解れば詐欺に遭わない方法が解るであろう。詐欺に遭う人が居なくなれば、詐欺という行為をする人がいなくなるというものだ。積水ハウスの詐欺事件でも、この地面師たちは違う不動産会社にこの話を持ち掛けたが、疑われてしまい失敗したという。その際に、この売買交渉に当たった不動産会社の社員は、地面師たちとの会話から何かおかしいぞと感じて、断ったらしい。積水ハウスの社員は嘘を見抜けなかったことになる。その違いは何だろうか。

その違いのヒントは、松下電器産業の創始者松下幸之助氏が著作の中で述べている。松下幸之助氏の元には、儲け話を持って沢山の人たちが集まったという。それらの儲け話によって、幸之助氏は一度たりとも騙されたことがなかったというのだ。巧妙な嘘をすぐに見破ったし、そんな騙しには乗らなかったというのである。それらを判断する際に、基準としたのはこういうことである。氏は最初から疑わしいぞと先入観を持って話を聞いたことがないというのである。相手の話を100%信じて聞いたというのである。それも、相手の気持ちに成りきって、あたかも自分のことのように聞いたのだ。

そうすると、こんなにもおいしい話をどうして私の処に持ってきたのか不思議だと感じるというのだ。こんなにも儲かるような話なら、自分なら独り占めしたくなる。それを敢えて他人である私に何故儲けさせようとするのか、おかしいと気付くというのである。そして、相手の話を疑いもせずありのままに聞くことによって、相手の本音が認識できるというのである。ありえないようなうまい話を持ってきたら、うさん臭いぞと思うのが普通の感覚である。そうすると、騙そうとする人はありえないことがあり得る根拠をこれでもかというくらいに羅列する。聞いているほうは、一時は疑っていたのに疑問点がすべて解消されることによって、徐々に信じてしまうのであろう。客観的合理性の考え方をしている人が騙されるのは、こういう仕組みなのである。

騙そうとする人は、相手の弱いところや足りない部分を巧妙に見抜く。そして、騙そうとする相手の欲望や弱点をついてくる。騙す人は、そういう意味では客観的合理性の感覚ではなく、相手の気持ちを解ろうとする努力を続けるのである。想像力や感受性が強い人間しか、詐欺行為は務まらない。相手の気持ちが手に取るように解るからこそ、相手の欲しいものを提供しようと提案するのである。ということは、巧妙な詐欺に騙されないようにするには、客観的合理性の考え方にとらわれず、ある意味では主観的でしかも関係性を重視する考え方を持つことである。近代教育は、客観的合理性を重視しているあまり、皮肉にも騙されやすい人間を育てているとも言える。近代教育の見直しが必要であろう。

 

※イスキアの郷しらかわでは、客観的合理性の近代教育によって作られてしまった人間性を、主観的互恵関係の研修によって改善することをサポートしています。ある意味、歪んでしまったメンタルモデルを改善する研修でもあります。問い合わせフォームでご相談のメッセージをください。

酔いどれパイロットと問題飲酒

飲酒をしていながら飲酒テストを不当にすり抜け、乗務しようと企んだパイロットが英国で逮捕された事件が起きた。このように飲酒して乗務しようとする事態はJALだけでなくANAでも度々起きているというから驚きだ。大勢の乗客を乗せて飛ぶ大型旅客機の操縦士が、飲酒しながら操縦かんを握るなんて考えられない。地上を走るバスの運転手だって許せないが、より高度な操作を要求される大型旅客機のパイロットが、飲酒してコクピットに座るなんて考えられない異常事態だ。

このパイロットは、今回が初めだったとは思えない。たまたまバスの運転手が気付いたから解ったのだろうが、今までは見過ごされてきたこともあったに違いない。同乗勤務していた他のパイロットたちも狭いコクピットなのだから、酒臭いのは感じていただろう。それなのに、見て見ぬふりをしていたものと推測される。ひどい会社があったものである。人命軽視も甚だしい。国内線では何度も飲酒パイロットのせいで遅延があったというのだから、そういう体質の会社だと思われても仕方ないだろう。

前の日に飲んだとの報道であるが、おそらく勤務数時間前まで飲んでいたものと思われる。12時間前までしか飲酒が認められていないというが、大量に飲酒したら12時間で完全に酔いが覚めないケースもあろう。また、そもそも乗務前12時間前だといっても、前日に大量飲酒をすること事態通常考えられないことである。普通の人の感覚なら、勤務の前日は酒を控えるだろう。おそらく、毎日のように大量飲酒していたと思われる。もしかすると、アルコール依存症に近い状態にあったのではないだろうか。

パイロットという職業は、多くの人命を預かる使命があるうえに、航空機という巨大な鉄の塊を安全に飛ばさなければならぬ大きなプレッシャーと共にストレスが伴うことだろう。前日、眠りが浅くなってしまうこともあろう。だから、アルコールの助けを借りて眠る気持ちも解らないでもない。しかし、このようなお酒の飲み方は、大変なリスクを伴うことぐらい百も承知であろう。会社にも専門の精神科医がいるに違いない。このようなアルコール摂取は習慣化するし、アルコール依存症になりやすいことを周知していた筈だ。

それなのに、パイロットのアルコール摂取による遅延事故が毎年複数件起きているというのは、自己管理できていない酔いどれパイロットが相当数存在している証でもある。そして、これらの状態を会社が見逃していたということになる。会社の人事管理や健康管理がおろそかになっている証拠でもある。パイロットというと、航空会社の中ではエリート中のエリートである。だから、自己管理が出来ている筈だと思い込んでいたに違いない。それは浅はかな考えであろう。教養が高くて分別があってもアルコール依存症になるのである。人事管理や業務管理が徹底されていなかったと言えよう。

これらの飲酒による遅延事故があまりにも多いので、12時間前までの飲酒を認めていたが、24時間前までという制約に変更した航空会社も増えてきたらしい。飲酒テストもより厳密になる傾向らしい。しかし、そもそもこんなに厳しくする必要があるのだろうか。飲酒するかどうかは、本人が選択するべきであり、そんな厳しい飲酒管理を会社がしないと飲酒運航事件が起きるというのは、分別ある大人の成熟社会ではありえないことである。自己管理が出来ない人間が、人々の生命や安全の鍵を握っているなんてことが許される訳がない。厳しいルールに縛られないと正しい飲酒が出来ないような人間に、自分の命を預けることは出来ないと思うに違いない。

実は、パイロットだけでなく医師や高級官僚たちにも、飲酒の自己管理できない人間が多いのである。また、企業の経営者や役員、著名な政治家や首長にも飲酒の自己管理が出来ない人間が少なくない。その証拠に、飲酒時にセクハラやパワハラ事件を起こす人間が多い。世間からすれば、立派な学歴や経歴を誇るような人間は、自己管理できているからこそ、業務が遂行できると思い込んでいる。しかし、飲酒の自己管理出来ないような人間には、重要な仕事は任せるべきではない。何故なら、問題飲酒をするような人間には、そもそも正しい理念や思想哲学がないからである。そして、その理念の基になる崇高な価値観を持たないのである。だから、いくら高い学歴や教養があっても、自己管理が出来ないのである。人の上に立つような人物には、価値観の学習こそが必要である所以である。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、飲酒の自己管理ができない役職員、または問題飲酒の傾向がある幹部の役職員のための、『問題飲酒を解決する価値観学習』という研修をしています。飲酒のために健康を損なってしまっているような社員も対象です。このような問題飲酒は、医療やカウンセリングでは完全治癒が難しいのです。価値観の学習と思想哲学、正しい理念を持つことでしか克服することはできません。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

ひきこもりは老化が進み早死に

ひきこもりの方は、あまり外出しないし運動をする習慣がない傾向にある。運動が大好きだというひきこもりの方は殆どいない。当然運動不足になる。運動をしないと、人体というシステムがとんでもない方向に向かってしまうという真実を知らない人は意外と多い。骨折して寝たきりになった高齢者は、急激にQOL(生活の質)が低下してしまうことは広く知られている。認知症になる人も少なくないし、筋肉量の低下、骨密度の低下、消化器や循環器の低下、免疫力の低下まで起きてしまう。運動が出来ない故に起きる反応であろう。

こういうQOLの低下は、運動しないことによる影響だということは知られているが、何故こういうことが起きるのかを医学的に正しく認識している人は少ない。運動しないことによる老化は、骨に関連するホルモン(神経伝達物質)によって進むということが解明された。そのホルモンとは、スクレロスチン、オステオカルシン、オステオポンチンという三つの神経伝達物質である。スクレロスチンとは骨を増やす骨芽細胞の増減に関わっている。その骨芽細胞からは人間の老化に関係するオステオカルシンとオステオポンチンというホルモンが作られているのである。

骨芽細胞から産出されたオステオカルシンが、血液によって脳の海馬まで運ばれて、海馬を刺激する。そうすると海馬の働きが活性化するだけでなく、海馬の細胞も増加して大きくなるという。反対に骨芽細胞が少なくてオステオカルシンが分泌されないと、海馬の働きは衰え、海馬の体積も縮小するという。極端に海馬が委縮すると、記憶力が極端に低下してしまい、認知症にもなりやすい。つまり、骨芽細胞の多い少ないが、脳の老化を進めるかどうかを決めているというのである。

それだけではない、オステオカルシンが筋肉組織に届くと、筋肉組織の細胞を増加させて、筋力を上昇させる。さらに、オステオカルシンが精巣に届くと、テストステロンというホルモンを活性化させ、精子の生産力を向上させる。生殖能力を高めるのだ。一方、骨細胞から分泌されるオステオポンチンというホルモンが、人体の各組織に送られて、免疫力が活性化される。オステオポンチンが不足すると免疫力が低下して、ガンや生活習慣病、または重篤な感染症を引き起こすのである。

どうして骨が人体の老化を支配するのかというと、どうやら骨の状況によって寿命を延ばすかどうかを決めているのではないかと見られている。どういうことかというと、骨の密度が低下して骨粗しょう症の状況になってくると、もう無理して長生きさせる必要がないと記憶力や免疫力を下げるのかもしれない。さらには、筋力も低下させてしまうし生殖能力も必要ないと判断するのであろう。骨の状態を見て、少しずつ老化をさせて死を穏やかに迎えさせる準備をするとも言える。ある意味、高齢者には残酷なシステムとも言える。

その際、若返りをさせるオステオカルシンやオステオポンチンというホルモンを出す骨芽細胞を増やすかどうかを決めるのが、スクレロスチンというホルモンである。このスクレロスチンが骨細胞を作るかどうかのアクセル役とブレーキ役を果たしている。スクレロスチンが多いと破骨細胞が多くなり骨芽細胞が減少する。逆にスクレロスチンが少ないと破骨細胞が少なくなり骨芽細胞が増加する。つまり、スクレロスチンが少ないと骨細胞が増えるし、スクレロスチンが多くなると骨細胞が少なくなることが判明したのである。

スクレロスチンを少なくすれば、骨細胞を増やして老化を防げるし若返りも可能になる。このスクレロスチンの分泌量の多い人と少ない人の研究調査をしたら、運動する人が多いことが判明した。その運動も、骨に対してショックを与えるような運動こそ効果が高いという。つまり、ただ歩くだけでなく、走る、ジャンプする等、骨に対して負荷をかけることで、スクレロスチンが少なくなることが判明したのである。運動不足の人はスクレロスチンが増加して老化させて死に向かわせる。これは若者だって例外ではない。どんな運動が良いかというと、バレーボールやバスケなどが最適だが、ひきこもりの方にはチームスポーツは合わない。とすれば、軽い縄跳びや登山などがよいし、軽いジャンプをするダンスなども勧められる。ひきこもりは、病気になりやすいし老化が早まり長生きできないということであるから、少なくても運動することを薦めたい。心を動かすためにも、身体を動かすことが必要である。

 

チェ・ホソンがゴルフの常識を変える

先日開催されたゴルフのカシオワールドオープンで、韓国人プロゴルファーのチェ・ホソンが優勝した。このトーナメントには内外のトッププロが参加しているので、優勝するには非常にハードルが高い。この歴史ある大会で優勝して、優勝賞金4,000万円を獲得したのである。このチェ・ホソンプロの優勝を、TV各局のワイドショーでこぞって取り上げている。何故かというと、このチェ・ホソンのゴルフスィングが独特だからだ。まさしく踊るようなスィングをする。今までのゴルフ理論からすると、あり得ない姿なのである。

なにしろ、まずスタンスが独特である。とんでもない方向を向いてスタンスを取る。極端なクローズドスタンスだ。そのまま真っすぐボールが飛んで行ったら間違いなくOBになる。さらに、スィングをし終わってフォロースィングがとんでもない動きをする。左足1本でくるっと回るのである。しかも、1回転してから左に身体を傾けたり右に傾けたりして、飛んだボールを見守る姿は、ふざけているとしか見えない。左足で回転してクラブを振り回す姿は、まるで釣り人のよう。自らフィッシャーマンズスィングと命名する。

チェ・ホソンは、スィングも特徴的であるが、そのプロフィールも他のプロゴルファーと違っている。最近のプロゴルファーは、ジュニア時代から指導を受けている。小学生から英才教育を受け、ゴルフ部のある名門高校を卒業してプロになるか、または大学でゴルフ部を経てプロになるのが通例だ。そして、プロになってからも誰かに師事するケースが殆どである。一匹狼的なプロは皆無である。ところが、チェ・ホソンは誰にもコーチを受けずにプロになったのである。しかも、25歳からゴルフを始めたというから驚きだ。

彼は水産高校を卒業後、水産加工工場に就職し魚の解体と調理をしていたという。20歳の時にマグロを解体していた時に右の親指を切り落としてしまったという。移植手術を受けたものの親指は短くなり、微妙な業務が出来なくなり離職したらしい。それで、いろんな職業を転々として、ゴルフ場のアルバイト募集広告を見つけて、人生の転機が訪れた。最初はクラブ磨きなど下働きをしていたが、社長からゴルファーの気持ちを理解する為に全員ゴルフを覚えるようにという指示を受けて、彼のゴルフ人生が25歳から始まった。

実際にゴルフを始めると、水を得た魚のように生き生きとした生活になった。毎日ゴルフ場の営業終了後から午後11時まで、黙々と練習に励んだ。誰からもゴルフ理論を教えられなかったから、独学でゴルフを学んだ。めきめきとゴルフの腕前が上達して、あれよあれよという間にプロに転向した。ところが、若い頃からゴルフをしていた訳ではないこともあって身体が固くて、しかも年齢も盛りを過ぎていて、ボールの飛距離が他のプロよりも圧倒的に劣っていた。それを克服するために編み出したのが、あの独特なスィングだった。

このスィングをしてから、飛距離が飛躍的に伸びた。ましてや現在45歳なのだが、このスィングが進化した2年前から、以前と比較して15ヤード飛距離が伸びているのだ。このフィッシャーマンズスィングは、ゴルフの基本理論からするとあり得ない。解説者やコーチたちは、揃って言葉を失う。しかし、これだけの実績を残しているのだから、けっして間違っている訳ではない。飛距離が落ちてきたシニアゴルファーにとっては、このスィングを取り入れるのもありだと言わざるを得ない。科学的に考察すると、柔軟性がなくなり筋力の落ちたアマチュアにとって、実に理想的だということが判明したのである。

まず、ゴルフのスィングはなるべく真っすぐに振るほうが良いと思っているアマチュアが多いが、間違いである。スィングは円回転であるから、真っすぐに振れないのだ。そして、円回転だから回転軸がぶれると、スィングスピード(球速)は落ちて、ボールは飛ばなくなる。左ひざや左腰に壁を作って円回転をさせないと、ヘッドスピードは低下する。チェ・ホソンのスィングは、左足1本で回転するから軸がぶれない。しかも、フォロースルーがスムーズで大きくなる。極端なクローズドスタンスは、身体が固い人でもバックスィングで肩がスムーズに回るから、スィングアークも大きくなる。クローズドスタンスでも回転軸が左足だから回転がスムーズだ。自分でも試してみるとよく解る。私も試してみたが、距離が10ヤード以上伸びるし、飛ぶ方向も安定する。チェ・ホソンのスィング理論が多くのシニアゴルファーから受け入れられ、ゴルフの常識が変わることであろう。

 

※このチェ・ホソンのフィッシャーマンズスィングは、飛距離の落ちてしまった女性やシニアゴルファーには最適ですが、柔軟で筋力のある若いゴルファーにはお薦めできません。そして、身体は硬くても、心が柔軟で柔らかい感性を持ってないゴルファーには向かないと思います。さらに、このスィングは器用でないと真似できませんから、自分は不器用だと自認する人もマスターするのは難しいと思います。チェ・ホソンは、常識を疑い自分の柔軟な感性と直観を信じたからこそ、このスィングを開発できたのでしょう。彼の素晴らしいファンサービスにエールを送りたいと思います。

自分の目で自分を見る

「僕らは奇跡でできている」というTVドラマで歯科医の水本先生がこんな台詞を言うシーンがある。「私は自分を自分の目で見ずに、いつも他人の目を通して自分を見ていた」と語り、いつも自分をいじめていたとも言い付け加える。これには伏線があり、主人公の高橋一生演じる一輝が水本先生に、「自分をいじめているんですね」と言われていたのである。人は、自分を自分の基準で評価せず、いつも他人による評価を気にしている。だから、必要以上に自分を大きく見せたりする。あるがままの自分を認め受け容れられないのだ。

人間という生き物は、動物と違い苦しい生き方をするものだ。他人が自分をどうみているかとか、他人からの評価をどうしても気にするものである。他人からの自分に対する批判を耳にすると、落ち込んでしまうし自分を責めてしまう傾向がある。自分の評価を自分ですればいいのだが、小さい頃からの習い性で、どうしても他人の評価を優先させてしまうものである。これは欧米人よりも日本人のほうが、陥りやすい落とし穴みたいである。何故かと言うと、日本人はアイデンテティの確立をしていないからではなかろうか。

アイデンテティとは自己証明と訳されている。他人が自分をどう見ようとも、自分は自分であり、他人の見方によって自分が変わることはないという自己の確立のことである。自分らしさとか、自分が自分である自己同一性とも言える。揺るがない自己肯定感を得るには、このアイデンテティを確立しなければならない。この自己同一性を持つ日本人が少なくて、欧米人が多い傾向があるのは、その信仰心による影響ではないかとみている人も少なくない。江戸時代は殆どの市民が自己の確立をしていたが、明治維新後に激減した。

何故、明治維新以降に自己の確立が出来なくなったかというと、近代教育のせいであろう。明治維新後に国家の近代化を推し進めようとした明治政府は、西郷隆盛を政治中枢から追い出して、欧米の近代教育を導入した。西郷隆盛は、欧米の近代教育導入は国を滅ぼすことになると頑迷に反対していたが、大久保利通らが無理やりに導入してしまったのである。この欧米型の近代教育とは、客観的合理性の教育であり、自分を自分の目で観るという内観の哲学を排除したのである。いつも自分を他人の目で見る思考癖を持ってしまった。

明治維新以後に欧米型の近代教育を受けた人間は、あるがままの自己を認め受け容れることを避けるようになった。自分にとって都合の良い自己は認め受け容れ、誰にも見せたくない醜い自己はないことにしてしまっている日本人が多い。つまり、他人の目をあまりにも気にするあまり、自分の恥ずかしくて醜い自己を内観することを避けてしまったのである。欧米人が日曜ミサや礼拝において、神職の前で醜い自己をさらけ出して、あるがままの自己を確立するプロセスを歩んだのと、あまりにも対照的である。

身勝手で自己中で、自分だけが可愛くて歪んだ自己愛の強い醜い自己を持つ日本人が異常に増えてしまったのである。だから、自己愛の障害を持つ人間が多いし、揺るがない自己肯定感を持つ人間が少ないのであろう。ましてや、主体性や自発性、責任性などの自己組織性を持つ日本人も極めて少なくなってしまった。これも、日本の近代教育の弊害とも言える。日本の教育における多くの問題の根源も、近代教育の悪影響であると言えよう。家庭における虐待や暴言・暴力、夫婦間の醜い争い、親子間の希薄化した関係性、パーソナリティ障害の多発、愛着障害の多発生、それらのすべての発生要因は、自己の確立が出来ていないことに起因していると言えよう。

あるがままの自分を自分の目で見ることは、ある意味怖ろしいことである。醜い自己を自分の心の中に発見したら、自分を否定することになるからである。だから、誠実で素直な内観を避けたがるのであろう。他人の目で自分を見ていたほうが楽であるし、自分の醜い自己を見なくても済むのである。しかし、これではいつまで経ってもアイデンテティの確立は出来ない。この自己マスタリーという行為を成し遂げないと、一人前の人間として欧米人は認めない。欧米人から最近の日本人が信頼されにくくなり尊敬されなくなったのは、アイデンテティの確立をしていないからである。もう、他人の目で自分を見るのは止めて、あるがままの自分を自分の目でみようではないか。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、あるがままの自己を認め受け容れる自己同一性を持つための研修をしています。この自己マスタリーを学ぶ勉強会を、ご希望があれば随時開催できます。ご希望があれば、問い合わせフォームからご相談ください。

長期の権力集中は腐敗を生む

日産自動車のカルロス・ゴーン会長が金融商品取引法違反容疑で逮捕された。日産の経営立て直しを実現させた功労者であり、日産自動車の躍進を支えた名経営者として評価されている。彼の図抜けた剛腕ぶりは、社内では恐れられていて、長い期間に渡りトップ経営者として君臨した。1999年低迷していた日産自動車を、ルノーの副社長からCOOとして乗り込んで、見事にV時回復させたのである。その経営手腕は経済界でも一目置かれていて、毎年10億円以上という破格の役員報酬を得ていたと、話題をさらっていた。

カルロス・ゴーン会長は、日産自動車の内部調査によって会社資金を私的に支出していたことが判明したという。内部告発で密かに内部調査を進めていて、確証が掴めたらしく取締役会で会長と取締役の解任を提案するという報道がされている。あれほどの絶対的権力を握っていたゴーン会長があっけなく失脚するなんて驚きである。絶大な権力を持って大胆な経営改革を断行して、多くの社員と協力企業を切り捨ててきたゴーン会長が、内部告発によってその絶大な権力を失うなんて、実に皮肉なものである。

日産自動車がV字回復をしたことを、ゴーン会長の経営手腕だと評価し、素晴らしいイノベーションだと称賛される一方で、まったく評価に値しないというアナリストも少なくない。あの大胆な資産の投げ売りとリストラは、将来の日産自動車に暗い影を落とすに違いないと見ている。譲渡してしまったいろいろな資産は、将来の日産にとって必要不可欠な良好な資産もあり、苦しい現状を乗り切る為とは言え、実にもったいないことをしたと嘆く人も多い。さらに、過激なリストラによって将来性のある優秀な社員を失ったとも言える。

また日産自動車が不正検査による不祥事を起こしたが、あれもゴーン体制が引き起こしたとも言われている。あれほど日産と経済界から称賛されていたのに、カルロス・ゴーンの名誉も地に堕ちたとも言えよう。それにしても、何故にゴーン会長は法を犯すようなことをしたのだろう。また、日産自動車という会社はゴーン会長の暴走をどうして止められなかったのであろうか。日本を代表するような大企業が、こんな子どもでも解りそうな誤魔化しを許したのか。自浄能力のない会社なら、実に情けない。

昔から、権力者は長い期間に渡りトップに君臨すると、汚職に走りやすい。だから公務員は同じ部署に長期間勤務させないし、同じ管理職を続けることを避ける。オーナー経営者は別としても、民間企業における雇われ経営者だって長期間同じトップだと腐る可能性が限りなく高くなる。流れない水は腐ると言われる所以である。これは経済界だけではない。政界においても長期政権が利権を私物化したり汚職したりするケースが多い。だから、大国の大統領は複数回の就任に制限を加えているのである。

日本の自民党も、過去にあった汚職や利権の私物化を受けて、総裁を3期以上続けることに制限を設けていた。自浄能力が発揮できなくなることを怖れての処置である。ところが、今回3期までの総裁を認めるだけでなく、4期までも認める規則改正を見込んでいるらしい。これでは、日産自動車の二の舞になりかねない。本人だけでなく、取り巻き連中やトップに親しい奴らが汚職のようなことを平気でやり出すのだ。森友加計問題のような事件が、益々増えて来るに違いない。権力や利権に群がる輩が、暴走するリスクが高まるのではないだろうか。自民党議員の良識に期待したいものである。

日産自動車で、どうしてこんな不祥事が起きたのであろうか。それは、経営理念が企業内にしっかりと根付いてなかったか、もしくは経営理念が機能していなかったに違いない。経営理念または企業理念と言うのは、企業経営をする目的のことあり、正しい普遍的な価値観がなければ、適切な経営の目的は作れない。日産自動車の役職員に、高い価値観に基づく経営哲学がなかったと断じなければならない。なんとも情けない話である。日産自動車は膿を出し切るだけでなく、しっかりした企業理念を作る為にも、高い価値観に基づく経営哲学を持つ経営者の体制に生まれ変わってほしいものである。

 

パワハラ上司をやっつけるには

パワハラを平気で繰り返すような上司に仕えるかどうかは、宮仕えの身では上司を選ぶことが出来ないから、もしそんな上司に仕えることになったら最悪である。人事異動を申し出ても、余程の理由がない限り希望が叶うことはない。ましてや、パワハラを認定してもらうには、相当なリスクを負担する覚悟が必要だ。パワハラと認定されたとしても、それからずっと睨まれるし、恨みを買う場合もあろう。ましてや、パワハラをするような上司は粘着タイプが多いから、逆恨みをして仕返しされるかもしれない。

ということであれば、次の人事異動まで我慢するしかないのであろうか。それなら、上司か自分のどちらかが異動するまでの数年間を忍耐の一念でやり過ごすしかないのであろうか。それは、辛い数年間になるし、メンタルを病んでしまうかもしれない。どうにかして、パワハラ上司を何とかやりこめる方法はないのだろうか。職場の総務・人事部門に訴えるのは出来ないから、水戸黄門のように悪を懲らしめてくれる存在はないだろうか。そんな役員や経営者がいたら有難いが、パワハラ上司は上の人に取り入るのが上手いので難しい。

パワハラ上司というのは、役員や経営者に上手に媚びへつらい、部下には厳しい態度で臨むケースが多い。歯の浮くようなおべっかをつかうことを平気でするし、懇親会になると役員や経営者べったりで酒を注いでは気に入られようと必死だ。そんな姿を見せられると、役員や経営者だってパワハラ上司を快く思うことだろう。こんなパワハラ上司は、完全な人格障害である。自分よりも出来そうな部下は、徹底して苛め抜くし、ちょっとしたミスも許さず貶める。何かと権力を盾にして、自分の立場を危うくするような部下を虐める。

このような自己愛性のパーソナリティ障害者は、権力闘争が巧みだし、あることないことを上役に進言しては、部下の出世を阻もうとする。少しでも反抗したり自分よりも目立とうとしたり、名誉を傷つけられたりすれば、激怒して意地悪をする。始末に負えないのである。このようなパーソナリティ障害の人は、歴史上の有名人でいうと、ヒットラーやムッソリーニと同じ人格を持つ。ヒットラーは政敵を卑怯な手を使って葬ったのである。だから、パワハラ上司と戦って勝つという確信がなければ、争わないのが賢明だ。

それでは、毎日我慢すればよいのかというと、それも辛いものだ。ひとつだけ、パワハラ上司と対峙する方法がある。自己愛性パーソナリティ障害の人物は、実は小心者である。だから、自分の資格や地位、または名誉を求めるのである。小人物ほど、自分を大きく見せたいのである。必要以上に大きい車を乗りたがるし、出世や昇給に異常にこだわる。そして、自分の噂や悪口に過剰反応をする。いつも自分の評価を気にしたがるのである。自分が嫌われることを異常に避けたがる。この辺のことが、付け入る隙になるのだ。

先ずは、パワハラをされている現状をつぶさに記録することである。出来る事ならば、録音データとして残すことを勧める。何月何日の何時にどこどこの場所で、言われたことを一言一句違わずに記録する。感情的なことや感想は記録せず、あくまでも客観的な事実だけを記録する。そして、可能ならば同じようにパワハラを受けている人とタッグを組んで、記録を残すとよい。それらの録音データやらもろもろを集めたら、少し大変だがデータを日時順と共に、パワハラの系統別に集計しておくとよい。その記録書をパワハラ上司が偶然見つけられるような処に、しまい忘れたように出しておくのもよい。見つけたら、小心者のパワハラ上司は二度とパワハラをしないに違いない。

これらの行動は、パワハラ事案をある程度集計するまで絶対に内密にしなければならない。信頼できる同僚しか味方にしないことも大事だ。万が一にも裏切られたら、とんでもないことになる。慎重にことを進めるようにしたい。パワハラの集計データを上役に見せる時には、絶対に勝てる見込みがなければしてはならないであろう。根回しを十分にして、勝てると確信してから開示したい。さらに、「あまりにもパワハラ事案が酷いので、しかるべきところ(例えば法務局の人権擁護委員会)に訴えたいという人もいるみたいで困っています」というような柔らかい言葉で訴えるのがよいと思われる。まずはデータの収集をすることから始めることを勧めたい。

グレイヘアは自分を解放する

グレイヘアが静かなブームを呼んでいるらしい。自分自身も3年前からヘアカラーで黒髪に染めるのを止めてグレイヘアにしたのだが、自分でもとても気に入っている。男性がカラーリングを止めてナチュラルヘアにするのは抵抗がないだろうが、妙齢の女性が黒髪からグレイヘアにするのは勇気がいるに違いない。それでも敢えて黒髪に染めずに自然のままにするという女性が増えているというのだ。それは、自分が自分らしく生きるという選択をして、自分の姿と心をありのままでもいいんだと解放することに繋がるというのだ。

女性はおしなべておしゃれであるし、みだしなみに気を付けている女性が圧倒的に多い。白髪という言葉のイメージがあまりにも悪い。グレイヘアと呼ぶならば印象も良いから、染めないという選択をする人もいるだろう。だとしても、やはり白髪のままでいるのは避けたいであろう。ましてや、ビジネスの場面に居続けるにはグレイヘアでいるのは抵抗感があまりにもある。白髪のままでいるのは、面倒くさがり人間とか、だらしない人だと見られやすいことも影響している。染めるという無難な選択をせざるを得ないであろう。

今までも60代以上の男性の中には、敢えて染めなくてもおしゃれに見せられる芸能人がいた。代表的な芸能人としては、吉川晃司、柴田恭兵、渡辺篤郎、舘ひろし、柳葉敏郎などである。彼らは大物芸能人と呼ばれて、存在感のある演技にも定評があるし、人間としても魅力あふれる成熟した大人である。女性芸能人でも、グレイヘアが似合う人が増えてきた。草笛光子、中尾ミエ、永作博美、有働由美子は素敵なグレイヘアを見せている。彼女らは、グレイヘアであっても仕事が減らず、逆に増えているという。

元フジテレビのアナウンサー近藤サト女史が、悩みに悩んだ末にグレイへアを選んで、自分らしく生きることを選んだという。若い頃から白髪が増えてしまっていて、アナウンサーを続けるためにはカラーリングが必要だと自分に言い聞かせてきたらしい。しかし、本来の自分の姿を押し隠してまでして、偽りの自分を多くの視聴者に見せていることに違和感を覚えたという。それは、自分の心までも偽ることに通じはしないかと悩んだという。あるがままの自分を見せたいと決断し、グレイヘアでTVに出ることにしたという。

人は誰でも、自分の醜い部分を隠しておきたいものだ。いつまでも美しい自分でありたいし、他人には美しい自分を見せ続けたいであろう。ましてや、美貌を売り物とする芸能界であれば、若い年齢でグレイヘアをさらすのは自殺行為にも等しい。白髪の頭では仕事もなくなるのではという恐怖感にさいなまれることだろう。しかし、それは本当の自分を隠すということであり、本当の自分を否定するということでもある。人間は、自分の醜い心を隠して生きているが、それが故に生きづらい人生を歩むことにもなる。白髪を隠して生きるというのは、本当の心を隠して生きることに通じるのかもしれない。

白髪を染めずにグレイヘアを敢えて見せることをした女性たちは、おしなべてその時点から生き生きとした人生を歩んでいるという。それまでは、避けていたパステルカラーのファッションに身を包むのが楽しいと言っている。ピンクやクリーム色の服が実に似合うようになったと喜んでいるらしい。表情も明るくなり、いつもけれんみのない笑顔がはじけるという。そして、あるがままの自分を見せることで、自己肯定感が強くなったと口を揃えて微笑む。自分らしさを誇らしく思えるようになったと言うのである。

人間というのは、自分を見る際に自分の目を通して観るのでなくて、いつも他人の目を通して観察したがるものである。特に日本の女性は、男性から見たらどう思われるかという視点から自分を評価したがる傾向にあるらしい。だから、必要以上にフェミニンなファッションに身を包みたくなるし、可愛いと言われたいらしい。本来は、自分の価値観や自分らしさに見合った服装やメイクをしたいのに、他人の目を気にするあまり、あるがままの自分をさらけ出せない女性が多いということだ。グレイヘアを選択する女性が増えてきたというのは、あるがままの自分を見せることが出来る自立した女性が増加してきたと思われる。グレイヘアは、自分を解放することに繋がるのだろう。