家族葬には大きな落とし穴がある

都会だけでなく、地方でも家族葬をするケースが多くなっている。全体でも8割以上の遺族が家族葬を執り行うらしいし、都会だと9割を超える方々が家族葬だと思われる。高齢者である故人の友だちは既に鬼籍に入っている人も多く、故人も残された家族に負担をかけたくないと家族葬で良いと言い残すことが、その理由であろう。確かに、家族葬のほうが負担も少なく、義理で弔問する人たちにとってもありがたい。余計なコストをかけて葬儀を行うより、家族だけでじっくり故人を見送りたいという気持ちも理解できる。

しかし、この家族葬には大きな落とし穴や危険性が内在しているということを、認識している人は極めて少ない。その落とし穴とは、故人ロスが起きる危険性が高まるということである。夫をなくした方がまさしく『夫ロス』で長く苦しまれているので、支援したケースがいくつかある。そういう夫ロスを起こすケースでは、例外なく家族葬をしていたのである。そして、単なる家族葬だけでなく、親しくしていた故人の友達にさえも訃報を知らせることなく、密かに葬儀を執り行っていた。焼香のための弔問も遠慮してもらっていたのである。

愛する人をあの世に送りだすというのは、非常に辛いことである。特に、長年に渡りずっと寄り添っていた配偶者を突然失うというのは、大きな悲しみが襲う。そして、その悲しみと孤独感は長く心を支配しがちである。だとしても、徐々に悲しみが癒えてくるものであるが、たまに悲しみがなくならないケースがある。それがどういう訳か、家族葬の場合であり、しかも通知を出さないで弔問をお断りしているケースなのである。遺族の負担は少なくて済むし、義理で弔問しなければならない人は有難いが、悲しみが癒えないのは困る。

どうして家族葬だと悲しみが癒えないのか、脳科学的に洞察を試みた。悲しみが癒えない理由は様々であるが、一番は最愛の人の死を受け入れられないことである。死んでしまってこの世にもう存在しないのだと頭では解っていても、実感できないのである。この実感できないという意味は、亡くなって悲しくて辛い記憶を右脳に閉じ込めてしまっているということだ。辛くて悲しくてどうしようもない感情と共にある記憶は右脳に存在しがちだ。それを徐々に左脳の記憶に移し替えていく。これは意識してするものではなくて、時間が経過する中で自然と最愛の人を喪失した記憶を左脳に移動させる。そうすると悲しみが癒えるのだ。

辛い記憶を右脳から左脳に移し替えると、何故悲しみやトラウマが和らぐのかというと、右脳の記憶は自分のマイナスの感情とごちゃまぜにあるからだ。そうすると、記憶を思い出す度に、辛くてどうしようもない感情に押し流されてしまい、冷静な判断や認知が出来なくなるのである。ところが、左脳に移し替えた記憶は、自分の辛い記憶を客観的に俯瞰して眺められる。あの時、私はとても辛かったんだよと、第三者的にコメントできて、冷静に記憶を振り返ることが可能になり、悲しみが癒えるのである。

この辛い記憶を右脳から左脳に移し替えるのを支援するのが、カウンセリングである。カウンセラーやセラピストは、クライアントの辛い記憶を否定することなく共感してくれる。何度も辛い記憶を話して共感してもらうと、右脳の記憶がいつの間にか左脳に移し替えられて、悲しみやトラウマが癒されるのである。葬儀にいらした弔問客と故人の思い出話や亡くなった時の話をすることで、カウンセリングと同じ効果が得られる。それも次から次へと訪れる故人と親しかった人との対話が、悲しみを癒すのに必要なのである。家族葬にして通知もせず、弔問客がなくて故人の話ができないと悲しみやトラウマがずっと残るだろう。

生前に故人と関わった人々に訃報の知らせをして、通夜や葬儀に弔問にきてもらい、さらには精進落としにも参加してもらい、故人の思い出話や亡くなった経過などを話すのは、遺族としては辛いものである。しかし、長年に渡りこのような慣習が作られてきたのには、深い意味がある。遺族の深い悲しみを癒すのに、こういうしきたりが必要だったのである。元々、通夜と葬儀をすることに長い時間をかけるのは、遺族の悲しみを癒す効果があるからと言われている。葬儀や弔問を簡素化してしまうのは、遺族の悲しみがいつまでも続き、ずっと癒せなくなる危険性が高い。したがって、故人ロス症候群を防ぐ為にも、従来のような葬儀・告別式をすることを勧めたいと考える。

パワハラ上司をやっつけるには

パワハラを平気で繰り返すような上司に仕えるかどうかは、宮仕えの身では上司を選ぶことが出来ないから、もしそんな上司に仕えることになったら最悪である。人事異動を申し出ても、余程の理由がない限り希望が叶うことはない。ましてや、パワハラを認定してもらうには、相当なリスクを負担する覚悟が必要だ。パワハラと認定されたとしても、それからずっと睨まれるし、恨みを買う場合もあろう。ましてや、パワハラをするような上司は粘着タイプが多いから、逆恨みをして仕返しされるかもしれない。

ということであれば、次の人事異動まで我慢するしかないのであろうか。それなら、上司か自分のどちらかが異動するまでの数年間を忍耐の一念でやり過ごすしかないのであろうか。それは、辛い数年間になるし、メンタルを病んでしまうかもしれない。どうにかして、パワハラ上司を何とかやりこめる方法はないのだろうか。職場の総務・人事部門に訴えるのは出来ないから、水戸黄門のように悪を懲らしめてくれる存在はないだろうか。そんな役員や経営者がいたら有難いが、パワハラ上司は上の人に取り入るのが上手いので難しい。

パワハラ上司というのは、役員や経営者に上手に媚びへつらい、部下には厳しい態度で臨むケースが多い。歯の浮くようなおべっかをつかうことを平気でするし、懇親会になると役員や経営者べったりで酒を注いでは気に入られようと必死だ。そんな姿を見せられると、役員や経営者だってパワハラ上司を快く思うことだろう。こんなパワハラ上司は、完全な人格障害である。自分よりも出来そうな部下は、徹底して苛め抜くし、ちょっとしたミスも許さず貶める。何かと権力を盾にして、自分の立場を危うくするような部下を虐める。

このような自己愛性のパーソナリティ障害者は、権力闘争が巧みだし、あることないことを上役に進言しては、部下の出世を阻もうとする。少しでも反抗したり自分よりも目立とうとしたり、名誉を傷つけられたりすれば、激怒して意地悪をする。始末に負えないのである。このようなパーソナリティ障害の人は、歴史上の有名人でいうと、ヒットラーやムッソリーニと同じ人格を持つ。ヒットラーは政敵を卑怯な手を使って葬ったのである。だから、パワハラ上司と戦って勝つという確信がなければ、争わないのが賢明だ。

それでは、毎日我慢すればよいのかというと、それも辛いものだ。ひとつだけ、パワハラ上司と対峙する方法がある。自己愛性パーソナリティ障害の人物は、実は小心者である。だから、自分の資格や地位、または名誉を求めるのである。小人物ほど、自分を大きく見せたいのである。必要以上に大きい車を乗りたがるし、出世や昇給に異常にこだわる。そして、自分の噂や悪口に過剰反応をする。いつも自分の評価を気にしたがるのである。自分が嫌われることを異常に避けたがる。この辺のことが、付け入る隙になるのだ。

先ずは、パワハラをされている現状をつぶさに記録することである。出来る事ならば、録音データとして残すことを勧める。何月何日の何時にどこどこの場所で、言われたことを一言一句違わずに記録する。感情的なことや感想は記録せず、あくまでも客観的な事実だけを記録する。そして、可能ならば同じようにパワハラを受けている人とタッグを組んで、記録を残すとよい。それらの録音データやらもろもろを集めたら、少し大変だがデータを日時順と共に、パワハラの系統別に集計しておくとよい。その記録書をパワハラ上司が偶然見つけられるような処に、しまい忘れたように出しておくのもよい。見つけたら、小心者のパワハラ上司は二度とパワハラをしないに違いない。

これらの行動は、パワハラ事案をある程度集計するまで絶対に内密にしなければならない。信頼できる同僚しか味方にしないことも大事だ。万が一にも裏切られたら、とんでもないことになる。慎重にことを進めるようにしたい。パワハラの集計データを上役に見せる時には、絶対に勝てる見込みがなければしてはならないであろう。根回しを十分にして、勝てると確信してから開示したい。さらに、「あまりにもパワハラ事案が酷いので、しかるべきところ(例えば法務局の人権擁護委員会)に訴えたいという人もいるみたいで困っています」というような柔らかい言葉で訴えるのがよいと思われる。まずはデータの収集をすることから始めることを勧めたい。

女が男を捨てる『男捨離』

三行半(みくだりはん)は、今や男性からではなくて女性から突きつける時代らしい。そもそも三行半とは、江戸時代に女性が再婚する為に必要だった離婚証明書という性格を持ち、男性が別れる妻に書くものであったらしい。だから離婚をするという宣言書ではないから、女性から三行半を書くことはあり得ない。とは言いながら、ここ数年では離婚を切り出すのは、圧倒的に女性が多いということだ。現在は男性から離婚を言い出すのは僅か3割弱で、女性から離婚を申し立てるケースは実に7割近くの高率に上るという。つまり、離婚の3分の2は女性から言い出すということだ。

NHKTVの情報番組では、これらの事実を受けて特集を組んでいた。ショッキングな題名が付いていて、男を捨てるという意味で『男捨離』という言葉が最近とみに使われているという。自ら申し出た離婚を経てシングルマザーの生活をしている数人の女性がインタビューに応えていたが、おしなべて離婚して良かったという感想を述べている。ある女性は共働き家庭においての家事育児の負担があまりにも妻だけに偏り過ぎていて、我慢できなかったと主張していた。専業主婦の一人は、専業主婦なのだから家事・育児を妻がするのは当然であり、養われているのだから家事は妻の役割だという態度が許せなかったという。

一方、突然離婚を言い出された男性は、まったく離婚の原因に心当たりがないという。ギャンブルや不倫をしている訳でもないし、真面目に働いて浪費することもないから、どうして離婚を言い出されたか理解できないという。離婚する理由を確認すると、やはり妻側として家事・育児の負担が自分に偏り過ぎていることと、自分の話を聞いてくれないことが我慢できないと主張するらしい。特に、否定せずに黙って聞くという傾聴の態度がないし、妻の話に共感してくれないのが不満だという。妻は、別に助言や解決策を求めている訳ではなく、ただ黙って頷くか相槌を打ってくれるだけでいいというのだ。

男性と女性の感性はまったく違うということが、夫はまったく理解していないらしい。特に高学歴で教養が高い男性ほど、傾聴と共感が出来ないという。さらに驚きなのは、高学歴で高収入の男性が結婚して子どもが生まれた途端に、離婚を言い出される例があるという。まるで、種馬として利用されたのではないかとしか思えないと、愚痴る男性もいる。高収入な故に、高額の養育費を要求されるのだ。まさか、種馬として利用する為に結婚までするなんて考えられないが、結構このようなケースが増えているという。

このように、実に様々な離婚のケースがあり、妻のほうから離婚を申し出る場合が急増しているのは間違いなさそうだ。男性にとってはあまりにも衝撃的な言葉、『男捨離』が、これからも増え続けそうである。ただでさえ結婚できない男性が多いこの社会で、折角苦労して伴侶になるべき人と巡り合い結婚できたのに、簡単に男捨離されてしまうなんて、由々しき大問題である。それも離婚を言い出されるのは、30代が一番多いらしい。離婚した妻の方も、幼い子どもを抱えたシングルマザーのケースが多いということだ。離婚出来たとしても、経済的な課題を抱えることになりそうである。

男性のほうが離婚の原因だとすれば、離婚されないようにするにはどうすれば良いのだろうか。女性の心を、深く理解するしかないであろう。女性は、デリケートな心情を持つ。感性も豊かである。一方男性は鈍感なところがある。特に、相手の気持ちに共感し、その気持ちになり切って、相手を心から思いやることが苦手である。慈愛とか慈悲という心を発揮できないから、子育てや家事を自ら分担する気持ちが起きないのであろう。慈悲というのは、相手の悲しみを我がことのように悲しむという意味である。この慈悲の心を持つことが肝要だということであろう。

高学歴で教養が高い男性が離婚を切り出されやすいというのは、近代教育の悪い影響だと思われる。客観的合理性の教育を受けているが故に、人の悲しみや苦しみに共感しにくくなってしまうのであろう。相手の悲しみに対して客観的なり過ぎて、自分の悲しみとしてとらえることが出来ないのではないかと思われる。家事育児で苦労している妻に、感謝と慰労の言葉をかけてあげられる夫になりたいし、出来得る限り家事育児の分担を自ら進んで果たせる夫になりたいものである。慈しみの心を惜しげもなく発揮できる、大人の男性になるということである。そうすれば、男捨離なんて言葉は死語になってしまうと確信している。