陰謀論とスピ系主張の矛盾点

陰謀論を唱える人たちは、この世に起きる悲惨な事故や思いがけない事件を、すべて闇の存在が起こした陰謀であると主張したがる。そして、不思議なことに陰謀大好きの人間は、おしなべてスピ系の人が多い。科学的な検証をすれば陰謀論なんていう荒唐無稽な理論は通用しないのだから、スピ系的な理論に頼らざるを得ないのだから当然であろう。そして、面白いことに、陰謀論を主張すればするほど、自分たちが普段から信じるスピリチュアルの理論とかけ離れてしまうというパラドックスに陥ってしまうのである。

スピリチュアルを盲目的に信奉する人たちは、引き寄せの法則を主張する。この世に起きることは、すべて私たちが思っていることが現実化しているだけだと言う。つまり、私たちが強く願うと、その願いが現実になるというのである。ところが、実際は思ったことがすべて現実化する訳ではない。そうした現状に対して、スピ系の人々は当事者が心から確信していないせいだという。潜在意識が半信半疑である場合、顕在意識だけでは現実化しないのだと主張する。また、集合無意識が関係しているから、個人の意識だけでは難しいのだとも弁解するのだ。

スピリチュアル系の人々は、こういう主張もしている。この世に起きていることは、我々の集合無意識が起こしていることなのだから、皆の意識をこの世が平和で幸福になるのだという確信に近いものに近づけることが必要だと説いている。つまり、我々の存在するこの世界は実体ではなくて、意識が実体であると思い込むからそう見えているだけである。我々の集合無意識が、平和な世界だと思えば平和になり、争いの世界だと心から認識してしまうと争いが蔓延する世界になると主張し、平和な願いや祈りが大切だとも説いている。

ところが、こういう主張しているスピ系の人たちは、面白いことにこの世に起きる大災害は闇の人々が起こしているのだと言い張っている。東日本大震災はある闇の機関が人為的に起こした人工地震であり、局地的な豪雨災害が起きる原因は、特殊粉末を飛行機で撒き散らしたことによるものだと主張するのである。なんだか訳のわからないような陰謀論をネット上に拡散して、皆が知らないこんな秘密を自分は知っているのだからすごいだろうと自慢しているのである。すべての大災害や大事故は、人為的な陰謀だと主張する。

そうすると、冷静に考えることができる人なら、陰謀論を主張することとスピ系の引き寄せの法則を信奉することは、大きなパラドックスを抱えていることに気付く筈である。この世に起きる大災害や大事故を陰謀だという主張する人々は、さらなる陰謀による大災害や大事故が起きるから気をつけろと警告している。引き寄せの法則によると、そんな不幸なことが起きてしまうと考えると現実化するから、思ってはいけないと説く。それが真実ならば、陰謀論をネット上に拡散すると、大災害や大事故が実際に起きてしまうに違いない。これは大きく矛盾している論点なのだが、どう説明するつもりだろう。

いや違うのだと陰謀論を唱える人は反論するかもしれない。陰謀が実際にあることをこの世に知らしめることが出来たら、陰謀を企てる人たちが事故を起こすことが出来なくなるのだから、阻止するために陰謀を明らかにする活動をするんだと主張するであろう。そう主張する人たちは、よく考えてほしい。引き寄せ法則からすれば、そもそもこの世に陰謀なんていうことがないと皆が確信するなら、陰謀による事故はけっして起きないのである。この世はすべて人々の善意によって現実化すると確信して、平和で皆が豊かな生活を実現できると心から信じた時にこそ、全地球や全宇宙が幸福で平和な世界になるのだ。

陰謀論大好きな人は、この世には様々な陰謀が張り巡らされていて、一部の権力者や財力を持つ特権階級が、自分たちの利権を守る為に暗躍していると主張している。おそらく、自分たちが不遇な暮らしや待遇を受け、評価されず地位や名誉も得られない境遇にある人が陰謀論を展開するらしい。そういう人は、不遇な境遇に遭い続けているのは、自分たちがそれを引き寄せているだけであり、他の人たちの陰謀ではないのだということを考えられないのだろうか。こんな矛盾を気付けないというのは、あまりにも情けない。陰謀論を展開して、善良なる市民を惑わすことは止めてほしいものである。もし、陰謀を企む人たちが実際にいるとすれば、陰謀論を拡散することで彼らの術中にはまるだけだと心得たいものである。

脱税経営者のお粗末な価値観と哲学

青汁王子と自ら名乗る三崎優太容疑者が、巨額脱税の罪で逮捕された。税金を納めるのは、国民の義務だから脱税をしてはいけないと、自らツィートしていたにも関わらずこんなにも大きな金額の脱税をしていたとは驚きだ。つい先日は、ここ白河の地で設備会社のオーナー経営者が、2億円という巨額の収益隠しをして逮捕されたという事件もあった。この経営者は、中小企業家同友会の地区会長を務めていた、名実共に地域の名士である。経営者の見本となるべき人物が悪質な脱税をするなんて考えられないことだ。

脱税をする資産家は後を絶たない。余計な税金を払いたくないのは人情である。だから節税をするための知恵を絞る。しかし、本来払うべき税金を払わないようにするために、偽装するなんてことは許されない行為だ。また、税金を払いたくないからと、海外に会社の登記を移すような卑劣な行為をする経営者もいるが、これも情けない行為である。そういえば、過去に居住地を海外にして税金逃れをした芸能人もいた。誰のお陰で儲けさせてもらったのだろうか。税金というのは、利益を提供してくれた国民に還元するという性格を持つのだから、感謝しながら支払うべきものだ。

日本において脱税をすることの罪の意識は、けっして高くない傾向にある。犯罪だとは知りながらも、税金を出来るだけ少なくしたいという、節税的な気持ちからついつい実行してしまうらしい。勿論、確信犯的な脱税ではなくて、間違って申告漏れをしてしまったというケースならば、申告漏れや申告ミスに対する追徴課税で済む。ところが意図的に収入を隠したり架空の経費を計上したりして納税を免れた場合は、刑事罰もあるし重加算税が課せられる。それは現金で納めなくてはならず、資金繰りが悪化する。また、これらの追徴課税や重加算税は損金処理が出来ないから、その分が二重に課税されるのである。

脱税をすると、社会的信用を失う。当然売上げに響くし、取引先からの信頼を失うだけでなく、脱税するくらい利益が上がっているのだからと足元を見られ、値引き交渉をされる。税金を納めたくないからと脱税をすると、とんでもないペナルティーを科せられることになり、経営破綻をするケースも少なくない。本当に賢い経営者ならば正しいリスク管理が出来るから、絶対に脱税なんてしないのである。そんな恐い脱税なのに、三崎容疑者のように悪質な脱税が後を絶たない。愚かな経営者でもないのに、どうして脱税するのだろうか。

何故、こういう経営者は脱税をするのかというと、価値観が劣悪で経営哲学がねじ曲がっているからであろう。自分の損得しか考えていないし、利己的であり身勝手な人間であると言える。お金の為になら、人を騙すことも平気でする劣悪な価値観を持った人間に違いない。つまり、生きるということ、または仕事をするということは、利益を受けて楽しいことをする為の単なる手段としか考えていないのである。仕事を通して地域貢献や社会貢献をするという使命感はないし、仕事をすることで人間性を磨くという観念もない。

人間とは、本来仕事や地域活動を通して、人々の豊さや幸福に寄与する為に生まれてきたのであるし、その為にも仕事を通して人間として成長することが求められる。仕事で収益を上げて個人収入を得るというのは、社会貢献や自己成長による副産物でしかないのである。自分の利益を増やすためという個別最適や個人幸福を、仕事に求めてはならない。あくまでも、会社全体の為、地域全体の為、社会全体の為という、全体最適を目指すのが、人間としての正しい価値観である。人間はこのような高邁な価値観に支えられて生きるのであるし、仕事をするべきなのである。

人間とは、このような高い価値観を持たないと、正しい生きる目的や生きる意味を見いだせない。つまり、正しく高潔な哲学というのは、高邁な価値観に目覚めた人にしか見いだせないことになっている。卑劣な脱税をする人は、低劣な価値観しか持たないから、正しい哲学なんて持ちえないのである。正しい理念を持てない人間は、経済的な豊かさは実現できるかもしれないが、やがて誰からも相手にされず孤独な人生を送ることになる。そして、重い病気やケガをしたり、事故に遭ったりするのである。三崎容疑者のような低劣な価値観を持つ人は、悲惨な人生を送ることになるのだ。

すべての問題の根源は関係性にあり

社会生活を営んでいると、様々な問題に遭遇するのが常である。家庭内(家族)の問題、職場の問題、地域の問題、広くは国家や地球規模の問題、実に様々な問題が起きている。それらの問題は、我々の生活に大きな苦難困難をもたらすだけでなく、生活の基盤さえ揺るがすような影響さえ与え兼ねない。特に、家庭や職場の問題は、生活に密着しているから余計に深刻である。家族の問題は家庭全体を崩壊させることもあるし、職場の問題は収入に関わってくるから、問題を先送りすることが死活問題になることもある。

家庭の問題と言うと、夫婦や親子間における不仲や軋轢があげられる。または子どもの不登校やいじめ、ひきこもりなどの深刻な問題もある。家庭の問題がこじれてしまうと、離婚や家庭崩壊まで到達してしまうことも少なくない。職場での問題では、パワハラ、セクハラ、いじめ等などが表面化するケースがある。経営不振や経営破綻という問題は深刻である。最悪の場合、会社そのものが倒産して、収入が途絶えることにもなる。それぞれの問題が起きれば、問題の解決対応策が必要となるし、問題が起きない予防も大切だ。

家庭において、学校でのいじめ、不登校やひきこもりが起きると、その問題が起きた原因を追究する傾向がある。そして、そうなった原因は、学校、学友、教師、教委等にあると思いがちであろう。つまり、問題が起きた原因の少しは家庭内にあるものの、大きな原因は外にあると分析したがるものである。また、職場の問題が起きた時に、起きた原因はそれぞれの社員や管理職、特定の部門にあると分析評価し、原因をつぶす作業をすることになる。経営不振や経営破綻の原因は、外因にあると思うのが普通であろう。

家庭内の問題が起きた原因は、外因や特定の『個』にあると考えがちである。特に、不登校やひきこもりになったのは、そうなった当事者という『個』に問題があったからだと思いたくなるものである。職場の問題が起きるのも、特定の個人や部門という『個』に問題があったからだと思う人が殆どであろう。しかし、これは完全な間違いである。少しは『個』にも問題があったとしても、本当の原因は構成要素である『個』にはなく、個と個を結びつける『関係性』にこそ存在するのである。

家庭の問題が起きると、問題を起こしている当事者やその母親、または父親に原因があるのではないかと思いがちである。そのうえで、問題があるとされた人を変えようと周りは考えるし、自分でも変わろうとする。しかし、いくら問題があるとされた人が変わる努力を続けても、変わるように指導教育しても、問題は一向に解決しない。何故なら、家族個人だけの問題ではなく、家族間の関係性にこそ問題があるからである。家族間の関係性の希薄化や劣悪化によって問題が起きているのだから、問題が解決しないのは当然だ。

職場の問題も同様である。問題を起こす社員個人や問題があるとされた部門を改善しようとしていくら努力を続けても、問題は一向に解決されない。社員どうしの関係性や部門間の関係性に問題があるからだ。この関係性が悪化して、お互いの信頼関係や協力関係がなくなっていれば、問題は起こり続けるし、成果が上がらないのは当然だ。何故、関係性が悪いのかと言うと、各社員と各部門が全体最適でなく、個別最適を目指しているからである。お互いが競い合い争い合っていて、全社最適を忘れ自分最適を志向してしまうのだ。

家庭内において、家族全員の幸福や豊かさを目指すのが、家族としての本来の役割である。ところが、家族の関係性が悪くなると、自分だけの幸福や豊かさを優先してしまう。そして、お互いの気持ちに共感しようとせず、対話も喪失してしまう。家族という全体システムは、その構成要素であるそれぞれの家族がお互いに支え合うという豊かな関係性が根底に保証されていなければ、システムは機能しない。会社も同じである。だからこそ、関係性こそが問題が起きるすべての根源なのである。家庭でも、そして会社内でも問題が起きないようにするには、豊かで良好な関係性が必要である。そして、問題を解決するには、本来あるべき良好で豊かな関係性を取り戻せばよいのだ。そのためには、個別最適ではなくて常に全体最適を目指さなければならないのは言うまでもない。

キレるのは何故か~脳科学的検証~

高速道路でのあおり運転から事故死を招いて、危険運転致死傷罪で23年の求刑をされた被告運転手がいた。まだ判決は出ていいが、この被告は運転中に何度もキレていたと交際していた女性が証言していた。最近、このような危険なあおり運転が続発しているが、その殆どのケースで運転手がキレていたと思われる。車というのはある意味凶器にもなりえる。そんな凶器を操っている人間が、こんなにも簡単にキレてしまえば、周りの善良な運転手と同乗者は大変なリスクを背負うことになる。死と隣り合わせのドライブと言えよう。

隣国の韓国では、最近飲食店や販売店に訪れたお客が、突然キレて店員に暴力を奮う事件が続発しているらしい。韓国のケースでは、この様子を動画で録画していた他の客がSNS上にアップして、人物が特定されてしまうという。この人物はネット上で炎上するだけでなく、警察にも摘発されてしまい、深く反省させられるという。韓国ではこのキレる客が多いことから社会問題化してしまい、労働法を改正せざるを得ない状況に追い込まれているくらい深刻だという。韓国ではキレた経営者が社員を暴行する事件も起きている。

日本や韓国で、どうしてこんなにもキレる人間が多くなっているのであろうか。我慢できない人間が増えているとも言えるが、何故こんなに忍耐力を持てなくなっているのか、脳科学的に検証してみたいと思う。怒りや憎しみの感情などを起こすのは大脳辺縁系における偏桃体だと言われている。キレるというのは偏桃体が暴走した状態と言えよう。この偏桃体の働きを抑えるのは前頭前野である。前頭前野が正常に発達していると、偏桃体が暴走するのを鎮めてくれるらしい。偏桃体が異常に働きすぎることと前頭前野の未発達がキレる原因を作っているのではないかと見られている。

キレる原因はこれだけではない。セロトニンの分泌が少ないとキレやすいとも言われている。脳幹部に近いところにある縫線核という箇所に、セロトニン神経の細胞が集中している。このセロトニン神経が、現代の過剰なストレスや疲れ、または不眠などにより、セロトニン神経が疲弊しているとキレると言われている。さらに、低血糖状態でキレることが解明されている。現代の食生活の乱れが血糖値の不安定を呼んで、低血糖状態を起こしてキレる。糖分や糖質の多い食べ物や飲み物を好んで飲食する生活が、キレることに繋がる。

偏桃体や前頭前野の異常、そして脳幹部の縫線核の機能低下、さらには食生活の乱れがキレるという症状を起こしているのである。現代人における、運動不足・不眠などの生活習慣の乱れもキレやすくさせている。自然派の医師たちは、農薬と化学肥料使用の農産物・人工の食品添加物・殺菌剤・ホルモン剤や抗生物質投与の畜産物や魚介類・ワクチン投与・牛乳の摂取なども脳や人体システムの異常を起こしていると主張している。そういう意味では、小さい頃からの食生活も含めた生活習慣が大切だと言える。ましてや、セロトニン不足がキレるというのであれば、親からの愛情不足も影響しているかもしれない。

現代人がこんなにもキレやすくなっているというのは、別の視点から考察すれば、このままに推移していくと、社会生活が安心して送れなくなってしまうということになる。街を歩いていて、ちょっとした動作や表情が気に入らないからと、突然暴行を奮われることになり兼ねない。車の運転だって、いくらドライブレコーダーを積載して抑止効果はあっても、あおり運転をされる危険性がまったくなくなる訳ではない。ましてや、激高した人間は後々のことなんて考えない。一度キレてしまえば周りの人が止めてもブレーキが効かなくなる。車を運転するのは楽しい筈なのに、おどおどしながらドライブするしかなくなる。

こんなキレるような人間を生み出している責任は、すべてではないにしても、保護者にあると言える。小さい頃から愛情いっぱいに育てて、正しい食生活を心がけ、運動や自然体験をたっぷりとさせて、豊かな想像力と感性を育むことが大切だ。しかも、前頭前野を正常に発達させるには、正しい価値観の教育が必須である。人は何故生まれてきたのか、どう生きるべきかという人生哲学を育むには、根底となる宇宙の真理に基づく価値観が必要になる。自分の為だけでなく、周りの人々や世界人類を幸福にすることが人間としての務めであると、具体例や物語として教えてくれる大人が必要だと言える。これがキレる人間をこれ以上生み出さない唯一の方策である。

※キレやすい我が子、またはキレる社員がいて困っている方がいたら、「イスキアの郷しらかわ」の研修を受講されることをお薦めします。キレる本人だけでなく、親、または企業の管理者がキレる人間をどう扱うかという学びも可能です。自分がどうしてキレるのか悩んでいらっしゃる方には是非受講してもらいたいと思っています。問い合わせフォームからご相談ください。

NOと言える企業風土なら伸びる

個人経営の企業や商店でしかもワンマン社長のケースでは、自分の信念など忘れたようにイエスマンを演じている社員・店員がいる。いや、信念そのものがないような振る舞いを平気でしている社員が所属している例が多い。社長・店主に逆らえば、会社を去るしかないと思い込んでいるのかもしれないが、絶対に反対意見を述べない社員が殆どだ。いわゆる裸の王様状態であり、それを社長自身も気付いていない会社が多い。ワンマン社長が悪い訳ではない。最終的には、社長が決断して責任を取るのだから、ワンマンであっても良い。しかし、社員が意見まで言いにくい環境になっているのは問題であろう。

役員のように自分の地位や待遇を守る為には、ある程度は社長に追随しなくてはならない。それでも、社長が経営の為に必要な情報を持ちえない場合は、その情報が社長の望まない情報であったとしても伝えるべきであろう。たとえ機嫌を損なったり自分に風当たりが強くなったりするような、都合の悪い情報であったとしても提供すべきであろう。その情報が伝えられなければ、経営や重要な決定において誤る可能性が高いならなおさらである。ところが、得てして地位が高くなればなるほど、社長に評価されればされるほど、追随を通り越して、社長に追従してしまうケースが多いのである。

このような企業は外から見ると社長を中心にして一枚岩のように見えているし、ある程度は安定経営をしているが、残念なことに伸びないのである。何故かというと、一つは必要な情報が社長に集まらないからである。それも、社長にとって都合の悪い情報や、社長が機嫌を悪くするような情報が伝わらないのである。社長の機嫌を損なったり叱られたりするのを避けたいと、会社経営には絶対に必要な情報も敢えて伝えないようになるからである。さらに問題なのは、社員たちが自分たちで即断出来なくなることである。社員すべて社長の判断を仰ぐようになり、スピードが必要な判断が出来ず、対応が後手に回るケースが増えるからである。

もっと悪い状況が起きる。社員が伸びないのである。自己成長や自己実現をする社員がいなくなるという状況が起きるのは、企業にとって致命的となる。自発性、自主性、主体性という会社を構成する社員が絶対に必要とする人間性が欠落してしまうことになる。しかも、責任性さえも持てなくなるから最悪である。社員は指示されたことだけをするようになるし、責任を問われるようなことは絶対にしなくなる。会社にとって最善となる処理さえも、後から責任を追及されるのが嫌だから、見て見ぬふりをする。問題の先送りという由々しき事態が起きる。後で大問題になるようなことにさえ、社員は目をつぶることになってしまうのである。

やがて、もっと最悪な状況が社内に起きる。社内の人間関係が最悪になるのである。社長ににらまれないようにするし、社長に気に入られようとする社員たちは、お互いに協力しなくなる。何故なら、行き過ぎた競争原理が働いてしまい、周りの人々の悪口を平気で言うようになるし、競争相手の失敗を望むようになるのである。お互いに必要な情報交換、共に協力が必要な問題解決がまったくなくなるからである。社員の関係性が悪くなれば、社内の問題はまったく解決されず先送りされて、やがて問題は先鋭化・巨大化していき、取り返しのつかない状況に陥る。関係性が悪くなるから、優秀な社員ほど辞めていくし、やる気をなくすのである。メンタル障害者も多発するし、離職者や休職者も多くなる。

業績が伸びている会社、さらにはイノベーションを起こして発展している会社は、社員がいきいきとしている。社員が自発性や主体性をいかんなく発揮している。そして、自らが率先してリスクとコストを引き受ける。つまり、社員が責任感をいかんなく発揮しているのである。会社が大きく発展しているというのは、何も社屋や組織、売り上げや社内留保、時価総額が大きくなることではない。社員がおおいなる成長をして、人間性の優秀な社員が増えることである。そうすれば、収入の伸びよりも収益性が高くなるし、常に新しい価値を創造して、社会に提供している。つまり、おおいに地域貢献・社会貢献をしている会社になるのである。そういう会社は間違いなく、安心してNOと言える社内風土がある。

※NOと言える会社風土を創るための研修を、イスキアの郷しらかわでは実施しています。また、集合研修だけでなく、実際に企業を訪れて職場の診断とOJT指導をすることも可能です。メンタル障害が多発するとか、離職者や休職者が多いという職場は、風通しが悪くNOと言えない環境なのかもしれません。お悩みの人事担当や経営者の方は、問い合わせフォームからご相談ください。

※NOと言える会社風土を創るための研修を、イスキアの郷しらかわでは実施しています。また、集合研修だけでなく、実際に企業を訪れて職場の診断とOJT指導をすることも可能です。メンタル障害が多発するとか、離職者や休職者が多いという職場は、風通しが悪くNOと言えない環境なのかもしれません。お悩みの人事担当や経営者の方は、問い合わせフォームからご相談ください。

詐欺や偽投資話に騙されない為に

ジャパンライフという会社が2,000億円の負債を抱えて倒産したというニュースが流れた。投資した多くの出資者は、その投資額の殆どが戻らないと言われている。なけなしの退職金をつぎ込んだり、細々とため込んだ虎の子の老後資金を投資したりしてしまい、これから生活もままならないという可哀想な人もいるという。最初から巧妙に騙そうとしたのではないかと疑われている。騙されるほうも悪いなんてことは言わないが、どうして人はこんなにも簡単に、儲け話やうま過ぎる話に騙されてしまうのであろうか。

世の中において、巧妙に詐欺を働く人間は後を絶たない。天下の一流企業でさえころっと騙される世の中である。積水ハウスが地面師グループに55億円を騙し取られる詐欺事件が起きたのは記憶に新しい。なりすまし詐欺事件も、これだけ注意喚起されているのに、続々と起きている。高齢者を騙す、偽請求事件や偽投資話も増えている。結婚詐欺も巧妙化していることもあるが、騙されてしまう人も少なくない。人間と言うものは、実際に痛い目に遭わないとその怖さを認識できなくて、騙されてしまう生き物なのだろうか。

詐欺に遭ってしまうという人は、疑うことをしない人で素直に信じてしまう人なのかというと、実はそうではないらしい。客観的に、そして合理的な判断をする傾向にある人だというのだ。そして、知識や教養もあり、高い学歴もあり知能も高いという。だから、どうしてこんなにも簡単に騙されるのか、不思議でならないと警察関係者は言うのである。だとすると、誰でも騙されるのかというと、そうでもないという。騙されない人というのは、どんなに巧妙に仕組まれたとしても、絶対に詐欺には引っかからないらしいのだ。

それじゃ、騙される人と騙されない人との違いは何なのか、それが解れば詐欺に遭わない方法が解るであろう。詐欺に遭う人が居なくなれば、詐欺という行為をする人がいなくなるというものだ。積水ハウスの詐欺事件でも、この地面師たちは違う不動産会社にこの話を持ち掛けたが、疑われてしまい失敗したという。その際に、この売買交渉に当たった不動産会社の社員は、地面師たちとの会話から何かおかしいぞと感じて、断ったらしい。積水ハウスの社員は嘘を見抜けなかったことになる。その違いは何だろうか。

その違いのヒントは、松下電器産業の創始者松下幸之助氏が著作の中で述べている。松下幸之助氏の元には、儲け話を持って沢山の人たちが集まったという。それらの儲け話によって、幸之助氏は一度たりとも騙されたことがなかったというのだ。巧妙な嘘をすぐに見破ったし、そんな騙しには乗らなかったというのである。それらを判断する際に、基準としたのはこういうことである。氏は最初から疑わしいぞと先入観を持って話を聞いたことがないというのである。相手の話を100%信じて聞いたというのである。それも、相手の気持ちに成りきって、あたかも自分のことのように聞いたのだ。

そうすると、こんなにもおいしい話をどうして私の処に持ってきたのか不思議だと感じるというのだ。こんなにも儲かるような話なら、自分なら独り占めしたくなる。それを敢えて他人である私に何故儲けさせようとするのか、おかしいと気付くというのである。そして、相手の話を疑いもせずありのままに聞くことによって、相手の本音が認識できるというのである。ありえないようなうまい話を持ってきたら、うさん臭いぞと思うのが普通の感覚である。そうすると、騙そうとする人はありえないことがあり得る根拠をこれでもかというくらいに羅列する。聞いているほうは、一時は疑っていたのに疑問点がすべて解消されることによって、徐々に信じてしまうのであろう。客観的合理性の考え方をしている人が騙されるのは、こういう仕組みなのである。

騙そうとする人は、相手の弱いところや足りない部分を巧妙に見抜く。そして、騙そうとする相手の欲望や弱点をついてくる。騙す人は、そういう意味では客観的合理性の感覚ではなく、相手の気持ちを解ろうとする努力を続けるのである。想像力や感受性が強い人間しか、詐欺行為は務まらない。相手の気持ちが手に取るように解るからこそ、相手の欲しいものを提供しようと提案するのである。ということは、巧妙な詐欺に騙されないようにするには、客観的合理性の考え方にとらわれず、ある意味では主観的でしかも関係性を重視する考え方を持つことである。近代教育は、客観的合理性を重視しているあまり、皮肉にも騙されやすい人間を育てているとも言える。近代教育の見直しが必要であろう。

 

※イスキアの郷しらかわでは、客観的合理性の近代教育によって作られてしまった人間性を、主観的互恵関係の研修によって改善することをサポートしています。ある意味、歪んでしまったメンタルモデルを改善する研修でもあります。問い合わせフォームでご相談のメッセージをください。

酔いどれパイロットと問題飲酒

飲酒をしていながら飲酒テストを不当にすり抜け、乗務しようと企んだパイロットが英国で逮捕された事件が起きた。このように飲酒して乗務しようとする事態はJALだけでなくANAでも度々起きているというから驚きだ。大勢の乗客を乗せて飛ぶ大型旅客機の操縦士が、飲酒しながら操縦かんを握るなんて考えられない。地上を走るバスの運転手だって許せないが、より高度な操作を要求される大型旅客機のパイロットが、飲酒してコクピットに座るなんて考えられない異常事態だ。

このパイロットは、今回が初めだったとは思えない。たまたまバスの運転手が気付いたから解ったのだろうが、今までは見過ごされてきたこともあったに違いない。同乗勤務していた他のパイロットたちも狭いコクピットなのだから、酒臭いのは感じていただろう。それなのに、見て見ぬふりをしていたものと推測される。ひどい会社があったものである。人命軽視も甚だしい。国内線では何度も飲酒パイロットのせいで遅延があったというのだから、そういう体質の会社だと思われても仕方ないだろう。

前の日に飲んだとの報道であるが、おそらく勤務数時間前まで飲んでいたものと思われる。12時間前までしか飲酒が認められていないというが、大量に飲酒したら12時間で完全に酔いが覚めないケースもあろう。また、そもそも乗務前12時間前だといっても、前日に大量飲酒をすること事態通常考えられないことである。普通の人の感覚なら、勤務の前日は酒を控えるだろう。おそらく、毎日のように大量飲酒していたと思われる。もしかすると、アルコール依存症に近い状態にあったのではないだろうか。

パイロットという職業は、多くの人命を預かる使命があるうえに、航空機という巨大な鉄の塊を安全に飛ばさなければならぬ大きなプレッシャーと共にストレスが伴うことだろう。前日、眠りが浅くなってしまうこともあろう。だから、アルコールの助けを借りて眠る気持ちも解らないでもない。しかし、このようなお酒の飲み方は、大変なリスクを伴うことぐらい百も承知であろう。会社にも専門の精神科医がいるに違いない。このようなアルコール摂取は習慣化するし、アルコール依存症になりやすいことを周知していた筈だ。

それなのに、パイロットのアルコール摂取による遅延事故が毎年複数件起きているというのは、自己管理できていない酔いどれパイロットが相当数存在している証でもある。そして、これらの状態を会社が見逃していたということになる。会社の人事管理や健康管理がおろそかになっている証拠でもある。パイロットというと、航空会社の中ではエリート中のエリートである。だから、自己管理が出来ている筈だと思い込んでいたに違いない。それは浅はかな考えであろう。教養が高くて分別があってもアルコール依存症になるのである。人事管理や業務管理が徹底されていなかったと言えよう。

これらの飲酒による遅延事故があまりにも多いので、12時間前までの飲酒を認めていたが、24時間前までという制約に変更した航空会社も増えてきたらしい。飲酒テストもより厳密になる傾向らしい。しかし、そもそもこんなに厳しくする必要があるのだろうか。飲酒するかどうかは、本人が選択するべきであり、そんな厳しい飲酒管理を会社がしないと飲酒運航事件が起きるというのは、分別ある大人の成熟社会ではありえないことである。自己管理が出来ない人間が、人々の生命や安全の鍵を握っているなんてことが許される訳がない。厳しいルールに縛られないと正しい飲酒が出来ないような人間に、自分の命を預けることは出来ないと思うに違いない。

実は、パイロットだけでなく医師や高級官僚たちにも、飲酒の自己管理できない人間が多いのである。また、企業の経営者や役員、著名な政治家や首長にも飲酒の自己管理が出来ない人間が少なくない。その証拠に、飲酒時にセクハラやパワハラ事件を起こす人間が多い。世間からすれば、立派な学歴や経歴を誇るような人間は、自己管理できているからこそ、業務が遂行できると思い込んでいる。しかし、飲酒の自己管理出来ないような人間には、重要な仕事は任せるべきではない。何故なら、問題飲酒をするような人間には、そもそも正しい理念や思想哲学がないからである。そして、その理念の基になる崇高な価値観を持たないのである。だから、いくら高い学歴や教養があっても、自己管理が出来ないのである。人の上に立つような人物には、価値観の学習こそが必要である所以である。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、飲酒の自己管理ができない役職員、または問題飲酒の傾向がある幹部の役職員のための、『問題飲酒を解決する価値観学習』という研修をしています。飲酒のために健康を損なってしまっているような社員も対象です。このような問題飲酒は、医療やカウンセリングでは完全治癒が難しいのです。価値観の学習と思想哲学、正しい理念を持つことでしか克服することはできません。まずは問い合わせフォームからご相談ください。

自分の目で自分を見る

「僕らは奇跡でできている」というTVドラマで歯科医の水本先生がこんな台詞を言うシーンがある。「私は自分を自分の目で見ずに、いつも他人の目を通して自分を見ていた」と語り、いつも自分をいじめていたとも言い付け加える。これには伏線があり、主人公の高橋一生演じる一輝が水本先生に、「自分をいじめているんですね」と言われていたのである。人は、自分を自分の基準で評価せず、いつも他人による評価を気にしている。だから、必要以上に自分を大きく見せたりする。あるがままの自分を認め受け容れられないのだ。

人間という生き物は、動物と違い苦しい生き方をするものだ。他人が自分をどうみているかとか、他人からの評価をどうしても気にするものである。他人からの自分に対する批判を耳にすると、落ち込んでしまうし自分を責めてしまう傾向がある。自分の評価を自分ですればいいのだが、小さい頃からの習い性で、どうしても他人の評価を優先させてしまうものである。これは欧米人よりも日本人のほうが、陥りやすい落とし穴みたいである。何故かと言うと、日本人はアイデンテティの確立をしていないからではなかろうか。

アイデンテティとは自己証明と訳されている。他人が自分をどう見ようとも、自分は自分であり、他人の見方によって自分が変わることはないという自己の確立のことである。自分らしさとか、自分が自分である自己同一性とも言える。揺るがない自己肯定感を得るには、このアイデンテティを確立しなければならない。この自己同一性を持つ日本人が少なくて、欧米人が多い傾向があるのは、その信仰心による影響ではないかとみている人も少なくない。江戸時代は殆どの市民が自己の確立をしていたが、明治維新後に激減した。

何故、明治維新以降に自己の確立が出来なくなったかというと、近代教育のせいであろう。明治維新後に国家の近代化を推し進めようとした明治政府は、西郷隆盛を政治中枢から追い出して、欧米の近代教育を導入した。西郷隆盛は、欧米の近代教育導入は国を滅ぼすことになると頑迷に反対していたが、大久保利通らが無理やりに導入してしまったのである。この欧米型の近代教育とは、客観的合理性の教育であり、自分を自分の目で観るという内観の哲学を排除したのである。いつも自分を他人の目で見る思考癖を持ってしまった。

明治維新以後に欧米型の近代教育を受けた人間は、あるがままの自己を認め受け容れることを避けるようになった。自分にとって都合の良い自己は認め受け容れ、誰にも見せたくない醜い自己はないことにしてしまっている日本人が多い。つまり、他人の目をあまりにも気にするあまり、自分の恥ずかしくて醜い自己を内観することを避けてしまったのである。欧米人が日曜ミサや礼拝において、神職の前で醜い自己をさらけ出して、あるがままの自己を確立するプロセスを歩んだのと、あまりにも対照的である。

身勝手で自己中で、自分だけが可愛くて歪んだ自己愛の強い醜い自己を持つ日本人が異常に増えてしまったのである。だから、自己愛の障害を持つ人間が多いし、揺るがない自己肯定感を持つ人間が少ないのであろう。ましてや、主体性や自発性、責任性などの自己組織性を持つ日本人も極めて少なくなってしまった。これも、日本の近代教育の弊害とも言える。日本の教育における多くの問題の根源も、近代教育の悪影響であると言えよう。家庭における虐待や暴言・暴力、夫婦間の醜い争い、親子間の希薄化した関係性、パーソナリティ障害の多発、愛着障害の多発生、それらのすべての発生要因は、自己の確立が出来ていないことに起因していると言えよう。

あるがままの自分を自分の目で見ることは、ある意味怖ろしいことである。醜い自己を自分の心の中に発見したら、自分を否定することになるからである。だから、誠実で素直な内観を避けたがるのであろう。他人の目で自分を見ていたほうが楽であるし、自分の醜い自己を見なくても済むのである。しかし、これではいつまで経ってもアイデンテティの確立は出来ない。この自己マスタリーという行為を成し遂げないと、一人前の人間として欧米人は認めない。欧米人から最近の日本人が信頼されにくくなり尊敬されなくなったのは、アイデンテティの確立をしていないからである。もう、他人の目で自分を見るのは止めて、あるがままの自分を自分の目でみようではないか。

 

※「イスキアの郷しらかわ」では、あるがままの自己を認め受け容れる自己同一性を持つための研修をしています。この自己マスタリーを学ぶ勉強会を、ご希望があれば随時開催できます。ご希望があれば、問い合わせフォームからご相談ください。

グレイヘアは自分を解放する

グレイヘアが静かなブームを呼んでいるらしい。自分自身も3年前からヘアカラーで黒髪に染めるのを止めてグレイヘアにしたのだが、自分でもとても気に入っている。男性がカラーリングを止めてナチュラルヘアにするのは抵抗がないだろうが、妙齢の女性が黒髪からグレイヘアにするのは勇気がいるに違いない。それでも敢えて黒髪に染めずに自然のままにするという女性が増えているというのだ。それは、自分が自分らしく生きるという選択をして、自分の姿と心をありのままでもいいんだと解放することに繋がるというのだ。

女性はおしなべておしゃれであるし、みだしなみに気を付けている女性が圧倒的に多い。白髪という言葉のイメージがあまりにも悪い。グレイヘアと呼ぶならば印象も良いから、染めないという選択をする人もいるだろう。だとしても、やはり白髪のままでいるのは避けたいであろう。ましてや、ビジネスの場面に居続けるにはグレイヘアでいるのは抵抗感があまりにもある。白髪のままでいるのは、面倒くさがり人間とか、だらしない人だと見られやすいことも影響している。染めるという無難な選択をせざるを得ないであろう。

今までも60代以上の男性の中には、敢えて染めなくてもおしゃれに見せられる芸能人がいた。代表的な芸能人としては、吉川晃司、柴田恭兵、渡辺篤郎、舘ひろし、柳葉敏郎などである。彼らは大物芸能人と呼ばれて、存在感のある演技にも定評があるし、人間としても魅力あふれる成熟した大人である。女性芸能人でも、グレイヘアが似合う人が増えてきた。草笛光子、中尾ミエ、永作博美、有働由美子は素敵なグレイヘアを見せている。彼女らは、グレイヘアであっても仕事が減らず、逆に増えているという。

元フジテレビのアナウンサー近藤サト女史が、悩みに悩んだ末にグレイへアを選んで、自分らしく生きることを選んだという。若い頃から白髪が増えてしまっていて、アナウンサーを続けるためにはカラーリングが必要だと自分に言い聞かせてきたらしい。しかし、本来の自分の姿を押し隠してまでして、偽りの自分を多くの視聴者に見せていることに違和感を覚えたという。それは、自分の心までも偽ることに通じはしないかと悩んだという。あるがままの自分を見せたいと決断し、グレイヘアでTVに出ることにしたという。

人は誰でも、自分の醜い部分を隠しておきたいものだ。いつまでも美しい自分でありたいし、他人には美しい自分を見せ続けたいであろう。ましてや、美貌を売り物とする芸能界であれば、若い年齢でグレイヘアをさらすのは自殺行為にも等しい。白髪の頭では仕事もなくなるのではという恐怖感にさいなまれることだろう。しかし、それは本当の自分を隠すということであり、本当の自分を否定するということでもある。人間は、自分の醜い心を隠して生きているが、それが故に生きづらい人生を歩むことにもなる。白髪を隠して生きるというのは、本当の心を隠して生きることに通じるのかもしれない。

白髪を染めずにグレイヘアを敢えて見せることをした女性たちは、おしなべてその時点から生き生きとした人生を歩んでいるという。それまでは、避けていたパステルカラーのファッションに身を包むのが楽しいと言っている。ピンクやクリーム色の服が実に似合うようになったと喜んでいるらしい。表情も明るくなり、いつもけれんみのない笑顔がはじけるという。そして、あるがままの自分を見せることで、自己肯定感が強くなったと口を揃えて微笑む。自分らしさを誇らしく思えるようになったと言うのである。

人間というのは、自分を見る際に自分の目を通して観るのでなくて、いつも他人の目を通して観察したがるものである。特に日本の女性は、男性から見たらどう思われるかという視点から自分を評価したがる傾向にあるらしい。だから、必要以上にフェミニンなファッションに身を包みたくなるし、可愛いと言われたいらしい。本来は、自分の価値観や自分らしさに見合った服装やメイクをしたいのに、他人の目を気にするあまり、あるがままの自分をさらけ出せない女性が多いということだ。グレイヘアを選択する女性が増えてきたというのは、あるがままの自分を見せることが出来る自立した女性が増加してきたと思われる。グレイヘアは、自分を解放することに繋がるのだろう。

一芸に秀でる者は多芸に通ずる

京都大学特別教授の本庶佑氏が、ノーベル医学生理学賞に輝いた。彼は、実に多趣味である。一芸に秀でる者は多芸に通ずという諺があるが、まさにその諺通りの理想的な人物である。医学の分野、特に免疫学においては世界のトップクラスの研究者である。まさに一芸に秀でている。多芸においては、ゴルフと楽器演奏など多数の趣味を持つ。ゴルフはシングル並みの腕前で、ゴルファーなら憧れのエイジシュートを目指しているというからすごい。楽器演奏では、京都大学楽団で演奏の難しいフルートを吹いていたという。

ゴルフと言えば、やはりノーベル医学・生理学賞を取得した大村智北里大学特別栄誉教授もシングルハンデの腕前だと言われている。さらに、優れた経営手腕もあり、赤字続きだった北里研究所を黒字化したマネジメント力もすごい。経営改善のために、経営学を真剣に学んだと伝わっている。大村氏は、美術コレクターとしても玄人なみの眼力もあったらしい。また、温泉まで掘り当てることに成功したとのこと。ゴルフ好きのお陰で、名門コースの川奈ホテルゴルフ場から持ち帰った土で、エバーワクチンの開発に成功したという。

このように自然科学の学者というと、スポーツが苦手で超インドア派のガリ勉タイプを思い浮かべるが、世界に通用する超一流の学者は、多芸にも一流なのである。手前味噌になってしまうが、自分でも呆れるくらいの多趣味である。ゴルフ、登山、カメラ、料理、読書、テニス、PC、等々上げればきりがない。ゴルフはベストスコアが本庶氏と同じ78であるし、登山ガイドは10年以上続けている。残念ながら、器用貧乏というのか秀でた一芸はない。芸は身を助けるというが、趣味のお陰で充実ライフを過ごしている。

どうして多芸であることが一芸に秀でることになのか、詳しく考察してみよう。社会一般で言われているのは、いろんな趣味を楽しむことにより多眼的な視点と柔軟な思考力を持つことが出来るし、想像力と発想力が養われるということだろう。専門バカになることを防ぐことにもなろう。いずれにしても、昔からだいそれたことを成し遂げるような人物は、『遊び』が上手だった。その遊びが、泥臭くなくて洗練されてもいた。一流の人間は、遊びも一流なのであろう。遊びも出来ない人間が、世界的に認められる人物たりえないのだ。一流の人間は文武両道が基本であろう。

さらに、多芸ということを拡大解釈すれば、『統合』というキーワードに思いを馳せる。ノーベル賞の自然科学3分野である物理学、化学、医学・生理学は、現在はそれぞれの分野を分けるのが難しくなっているという。何故なら、それぞれの分野はお互いに影響し合っているし、3分野を統合しないと真理が明らかにならからである。最先端の科学研究では、すべての学問を統合して研究しないと、正しい法則を導き出せないことを科学者たちは認識せざるを得なくなっている。さらに、自然科学と社会科学も統合されつつある時代である。科学と哲学さえ統合され、科学哲学が最先端の学問になりつつある時代でもある。

古川学園高校(旧古川商業高校)の女子バレー部を率いて、当時無名の高校だったのに12回の全国制覇を成し遂げたのは国分秀男監督である。彼は、赴任当時バレーの技術と知識は素人同然だったが、猛勉強をしてバレーの指導術を得た。それと同時に、経営学を学んだ。選手たちの育成管理とチーム運営には、経営学が必要だと認識したからである。ドラッカーやジャック・ウェルチの本を読み漁って、チーム管理に生かした。かのアインシュタインは、科学の発展進化には形而上学(神智学)が不可欠だと主張していた。ノーベル賞を取るような最先端の欧米の量子力学の科学者たちは、押しなべて仏教哲学に傾倒しているという。

宇宙の万物がこの現実の世界に生成し、それが発展進化し存在するための法則(真理)を見極めるには、物理学だけでは困難である。化学、生物学、分子細胞学、医学、大脳生理学などの自然科学だけでなく、神智学、人智学、哲学、人間行動学、社会システム学などの社会科学にも精通していなければ普遍的な真理には到達できないことが判明しつつある。医学の世界では、脳外科、消化器外科、整形外科、精神科、循環器内科、眼科などの単科に精通していても、病気の原因は分からないことから、総合診療科や統合診療への流れが加速している。人体を全体の「システム」として考えないと、病気の原因と治療が出来なくなっているのである。これからの時代は、一芸だけを極めるには、まさに多芸としての『統合』が必要不可欠なのである。